無差別級 (157レス)
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91: 闇夜の鮟鱇★ 2011/09/30(金)10:37 ID:???0 AAS
  ●●●東歌の起源について●●●(1/3)

さて、久々に古典講読の万葉集についてですが、今回は先ず、
東歌の由来について、私が感じたことを書いてみようと思います。
この東歌に関しては、当時の民謡であるとか、労働歌であるとか、
様々な人が様々な意見を言っているようですけどね。
でも先ず、ハッキリしていることは、それを民謡だとか、
労働歌だとか考える説は、全く駄目だろうということです。

なぜなら、もしそれが本当の民謡や労働歌であるなら、
57577という短歌形式におさまるはずがないからです。
近代の民謡や労働歌にしたって、57577にはなっていないでしょ!?
省45
92: 闇夜の鮟鱇★ 2011/09/30(金)10:41 ID:???0 AAS
  ●●●東歌の起源について●●●(2/3)

東歌の次のテーマとして、今度は防人の歌が取り上げられていますが
実は、その防人の大半も東国の出身で、その歌は東国を立ってから、
難波の港を出るまでに作られたものだという話が出ていました。
とすると、そうした防人の歌が作られたのは、
短歌を作る習慣が東国に根付いた後の時代、つまり、
例の東歌が作られた後の時代と考えないと辻褄が合いませんよね。

その意味では、両者の時間的な前後関係が気になりますが、
実は、その防人の歌を採録したのが大伴家持なんだそうです。
彼は万葉集の中でも最後尾にあたる第四期の歌人ですから、
省59
93: 闇夜の鮟鱇★ 2011/09/30(金)10:45 ID:???0 AAS
  ●●●東歌の起源について●●●(3/3)

彼が死にのぞんで作ったという歌の詞書きに『臨死自傷』
という表現があるのも、その傍証であるという話が出ていました。
因みに、これが梅原猛氏の説の一部なのか、このサイトの人の意見なのか、
日本語の文章表現が甘いので良く分からない点がネックですけどね。
こうなると、気になるのはその刑死の理由ですよね。(^^;)
私が前に書いた内容と照らし合わせると、これはやはり、
女性問題以外にあり得ないだろう、というのが私の印象です。

実は『人麻呂は持統・文武の両天皇に仕えた』
と同じサイトに書いてあります。
省43
94: 闇夜の鮟鱇★ 2011/11/04(金)10:35 ID:???0 AAS
  ●●●万葉集の極彩色●●●(1/6)

私の周辺は例によってゴタゴタ続きで余裕をなくし、それで、
また少し書き遅れていますが、久々に万葉集についてです。(^^;)
今回は遣唐使というか、遣新羅使の歌から始めますが……
この時代の外交使節として、有名な遣隋使や遣唐使以外に、
遣新羅使や遣渤海使があったというのは、少し意外でしたね。
その場合、その手の遣何々使といった渡航使節全体を現す、
適当な呼び名がないのが、また何とも不便な気がします。

例えば、近代には遣欧使なんていうのがありましたから、
それに対置させて、遣亜使なんてのはどうでしょうか。(^^;)
省45
95: 闇夜の鮟鱇★ 2011/11/04(金)10:38 ID:???0 AAS
  ●●●万葉集の極彩色●●●(2/6)

と言うわけで、この例ひとつとっても『大切な書物というものは、
たとえどんなことがあっても、それを支持する人々により、
時代を越えて残されていく』ということが良く分かりますよね。
その意味で、ある文献が残るか残らないかという問題には、
単なる偶然性という以上に、後世の評価というものが、
多かれ少なかれ関わってくると私は思う分けです。

ですから、遣亜使の資料の残り方についても、
それと全く同じように考えて良いのではないでしょうか。
つまり、遣亜使がどれだけ沢山あったとしても、
省39
96: 闇夜の鮟鱇★ 2011/11/04(金)10:40 ID:???0 AAS
  ●●●万葉集の極彩色●●●(3/6)

ただ、一つ気になったのは、その後に新羅で作った歌が一首もなく、
3718番から突然、帰途の歌に転ずることなんですね。
ですから私は最初、ひょっとして彼らは目的を果たすことなく、
途中で引き返したんじゃないか、とさえ思いましたが……
色々調べてみると、彼らが新羅まで行ったのは事実のようです。

実は、この使節団が行った先の新羅でも、戻った後の日本でも、
その直後には疫病がはやったので『彼らは行路の途中で疫病にかかり、
行く先々でそれを広めたのではないか』とも疑われているようです。
因みに、この時の大使と副使も、帰途に病没したそうですね。
省38
97: 闇夜の鮟鱇★ 2011/11/04(金)10:44 ID:???0 AAS
  ●●●万葉集の極彩色●●●(4/6)

それから、遣亜使に関しては、その船の構造の話も色々ありました。
帆船に詳しくない人は『帆船というものは、ただ風上から風下に、
風まかせで流されていくだけ』と思っているかもしれませんが、
実際の帆船は、必ずしもそうではないわけですね。
ヨット競技をする人は良く御存知でしょうが、
ヨットは風上に向かって斜め前方に進める分けですね。

ですから、先ず風上に対して右斜めに前進し、次は、
帆と梶を切り替えて、左斜めに前進するという繰り返しで、
ジグザグに進めば、幾らでも風上に行ける分けなんです。
省47
98: 闇夜の鮟鱇★ 2011/11/04(金)10:47 ID:???0 AAS
  ●●●万葉集の極彩色●●●(5/6)

さてそれで漸く短歌の話ですが、この辺の歌を読むと、
生活に密着したその歌いぶりは素晴らしいですね。
これに比べ、平安時代以降の短歌は、より洗練されてはいますが、
まるで生活感にかける気取った歌ばかりですからね。
万葉の短歌は生活感にあふれ、バラエティに富んでいる点で、
現代から見ると、遥かに価値が高いような気がしてきました。

最初の贈答歌11首(3578〜3588)は『女男女男女男女男男女男』
という構成になると思いますが、冒頭二首などは、
何やら、かなりの年の差カップルを思わせますね。
省47
99: 闇夜の鮟鱇★ 2011/11/04(金)10:51 ID:???0 AAS
  ●●●万葉集の極彩色●●●(6/6)

結局、当時の下着と上着の差は、その材質や厚さの違いだけで、
さしたるデザインの違いがあったわけではないんでしょう。
多分、下着としては、無地で柔らかい物を身につけ、
上着の方は、厚くて模様が付いていたりするわけでしょうね。
その場合、金持ちほど沢山の着物を重ね着する分けで、
その発展形が平安時代の十二単になるのかもしれませんね。

その場合、下着の紐を解くということには少し別の意味があるわけです。
これはもっと後の平安時代の話ですが、男女が共寝をする時には、
互いの着物を下に敷いたり掛けたりして、夜具の代わりにしたそうですね。
省47
100: 闇夜の鮟鱇★ 2011/12/11(日)12:03 ID:???0 AAS
  ●●●万葉解釈とタミル語起源説●●●(1/4)

また少し間があきましたが……人麻呂刑死説に関しては、
古典講読の第31回で、更に決定的な証拠が出てきましたね。
持統天皇の伊勢行幸の時、人麻呂が都で留守居役をしたようですが、
その時に彼が詠んだ『伊勢留京歌』というのが、三首ありました。

その三首の内の最後のものが、これなんですね。
  http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/one/m0042.html
  潮左為二(しおさひに)
  五十等兒乃嶋邊(いらこのしまべ)
  榜船荷(こぐふねに)
省45
101: 闇夜の鮟鱇★ 2011/12/11(日)12:06 ID:???0 AAS
  ●●●万葉解釈とタミル語起源説●●●(2/4)

実は、笠女郎の歌には、他にも人麻呂の歌に良く似たのがありますね。
先ず、壬申の乱の英雄・高市皇子の死に際して、
人麻呂が詠んだ歌がありましたが、その格調の高さは、
万葉集の中でもピカイチですから、私が好きな歌の一つです。
因みに、ここでも最後の『かも』は鴨となっていました。(^^;)
  ひさかたの 天知らしぬる 君故に 日月も知らず 恋ひ渡るかも
  (昇天して、ひさご形の天空を支配なさっているあなたですから、
  私は時間が経つのも忘れ、ひたすら思い焦がれています。)

それに比べ、次は笠女郎が大伴家持に贈った歌の一つですが、
省58
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(1): 闇夜の鮟鱇★ 2011/12/11(日)12:13 ID:???0 AAS
  ●●●万葉解釈とタミル語起源説●●●(3/4)

第32回では武市黒人の歌を取り上げていましたが、
その中で『あけのそほ船』というのが話題になっていましたね。
  http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/25995464.html
  客為而(たびにして)
  物戀敷尓(ものこひしきに)
  山下(やましたの)
  赤乃曽保船(あけのそほぶね)
  奥榜所見(おきにこぐみゆ)
  (旅の途中でふと、もの恋しい気分になっていると、
省53
103: 闇夜の鮟鱇★ 2011/12/11(日)12:17 ID:???0 AAS
  ●●●万葉解釈とタミル語起源説●●●(4/4)

ただ……こうした解釈の最終的な信憑性に関しては、
タミル語の専門家でない素人には、判断のしようがありません。
それを支持する学者にしても、日本には数名しかいないんだそうです。
実際問題として、タミル人が住むのはインド南部ですし、
その顔だちも、日本人と共通性があるようには見えませんからね。
それでも、私の考えでは、この説は一般に思われているほど、
突飛なものではないんじゃないか、と言う気がします。
というのも、私が以前から考えていることとして『日本人の祖先は、
何万年か前には中国大陸にいたんじゃないか』と思うからです。
省54
104: 闇夜の鮟鱇★ 2012/03/30(金)11:29 ID:???0 AAS
  ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(1/6)

ちょっと間が空き過ぎて、うまくまとまる自信がありませんが……
今回は、先ず『さつや』の話から始めようと思います。
以前に『何故、海の幸・山の幸と言って畑の幸と言わないのか』
という話をしましたが、それに関し、笠金村の歌には驚きました。
それは古典講読の第44回に出てきた志貴皇子の挽歌でしたが、
その冒頭付近に『ますらをの さつやたばさみ』とあった分けですね。

訓読表記の場合、ここの『さつや』を『幸矢』と書く人が多いですが、
原文を探すと、何とそこが『得物矢』となっていたんですね。
これだと『幸』が『獲物』を意味することは、ほぼ自明ですね。(^^;)
省40
105: 闇夜の鮟鱇★ 2012/03/30(金)11:32 ID:???0 AAS
  ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(2/6)

他方では、笠金村を調べている最中に、とんでもないものを見つけました。
旅の途中で見かけた美女を一夜妻として迎えた、という長歌ですが、
もし本当なら、現代の男から見ても垂涎の体験でしょうね。(*^^)v
  平成万葉歌仙三十「秋の百夜」の巻〜起首
  http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/60718606.html

  三香の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き逢ひに
  天雲の よそのみ見つつ 言問はむ 由の無ければ
  心のみ 咽(む)せつつあるに 天地の 神事依せて
  敷栲の 衣手交へて 己妻と 恃(たの)める今夜
省42
106: 闇夜の鮟鱇★ 2012/03/30(金)11:35 ID:???0 AAS
  ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(3/6)

それから第41回で額田王を取り上げた時、その最初の歌に関して、
天皇が本当にそんな粗末な宿に泊まったのか、と疑問が出されていました。
  秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 
  宇治の宮処(みやこ)の 仮廬(かりいほ)し思ほゆ
  (秋の野の草を刈り、それで屋根を葺いて明かしたあの夜の、
  宇治の粗末な仮御所のことが、懐かしく思い出されます。)

でも……当時の貧しさは今日、我々が想像する範囲を軽く越えるだろう、
ということを、我々は十分に想定して置く必要があると思います。
天皇がそういう粗末な宿に泊まっても、別に不思議はないということですね。
省46
107: 闇夜の鮟鱇★ 2012/03/30(金)11:38 ID:???0 AAS
  ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(4/6)

そうした万葉の編者の心情に、更に分け入るとすれば、
一つ絶対に落せない要素として『書き言葉というものを、
始めて手にした人々の衝撃』ということがあると思います。
それまでは、たとえどんなに優れた歌を詠んだとしても、
ただ口承として伝えるしか無い時代が、長く続いていたわけでしょ!?
それがある時、漢字が伝来し、それを万葉仮名として用いて、
和歌を書き言葉として記録する道が突然、開けた分けですね。

例の東歌にしても、ひょっとすると東国の人が和歌を教わったのは、
万葉仮名の使い方を教わったのと同時だったのではないでしょうか。
省37
108: 闇夜の鮟鱇★ 2012/03/30(金)11:41 ID:???0 AAS
  ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(5/6)

よって編纂の開始は、少なくともそれ以降ということになりますね。
因みに、家持は718年頃の生まれとされていますから、
彼が物心が付くころには、憶良の望郷歌は、
既に四半世紀も昔の話ということになります。

他方では、家持の死後にも万葉集が編纂された形跡があるのに、
その人物は不明ということで、講師はそれをXと読んでいましたね。
でも、そうなると、その謎の編者というのは、
家持の正妻であった大伴大嬢ではないかという気がします。

つまり全く外部の、例えば大伴家以外の人物が、
省43
109: 闇夜の鮟鱇★ 2012/03/30(金)11:44 ID:???0 AAS
  ●●●書き言葉の衝撃と万葉人の責任感●●●(6/6)

それから第45回では、大伴坂上郎女の724番歌の解釈が気になりました。
  朝髪の 思ひ乱れて かくばかり 
  汝姉(なね)が恋ふれそ 夢に見えける
  (朝、髪がくしゃくしゃになるように、
  心がちぢに乱れて、あなたが私のことを思うから、
  私の夢にまで、あなたが出てきましたよ。)

この講師の解釈は、もう一つ明確ではありませんでしたが、
『こんなにもあなたを恋しがるから、
あなたが私の夢に出てきた』とか言っていたと思います。
省41
110: あぼーん [あぼーん] あぼーん AAS
あぼーん
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