無差別級 (157レス)
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98: 闇夜の鮟鱇★ 2011/11/04(金)10:47 ID:???0 AAS
  ●●●万葉集の極彩色●●●(5/6)

さてそれで漸く短歌の話ですが、この辺の歌を読むと、
生活に密着したその歌いぶりは素晴らしいですね。
これに比べ、平安時代以降の短歌は、より洗練されてはいますが、
まるで生活感にかける気取った歌ばかりですからね。
万葉の短歌は生活感にあふれ、バラエティに富んでいる点で、
現代から見ると、遥かに価値が高いような気がしてきました。

最初の贈答歌11首(3578〜3588)は『女男女男女男女男男女男』
という構成になると思いますが、冒頭二首などは、
何やら、かなりの年の差カップルを思わせますね。
  武庫の浦の 入江の洲鳥 羽ぐくもる 君を離れて 恋に死ぬべし
  (むこの浦の入り江にいる州鳥が親鳥に育てられるように、
  私を育ててくれたあなたから離れた私は、恋しくて死にそうです)
  大船に 妹乗るものに あらませば 羽ぐくみ持ちて 行かましものを
  (遣新羅使の大船にあなたを乗せて良いものなら、
  今まで通り、羽根に包むようにして連れて行きたいのだが……)
  
例えば、光源氏が紫上を誘拐して来て育て上げ、自分の妻にしたように、
幼い頃から育てた上げたみたいな印象を受けますよね。
その場合、作者を単なる下男と見なす発想はちょっとそぐわないですから、
ここでも、歌日記説による解釈の方が辻褄があうかもしれません。

この後に続く3〜4首目が、例の霧の歌ですね。
  君が行く 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ
  (旅先の海辺の宿で霧が立ったら、私が嘆く息だと思ってください)
  秋さらば 相見むものを 何しかも 霧に立つべく 嘆きしまさむ
  (秋にはまた会えるのに、どうして嘆息が霧になるほど嘆くのですか)

これに対置する形で、安芸国の風速(かざはや)の浦の歌がある分けですね。
  我がゆゑに 妹歎くらし 風速の 浦の沖辺に 霧たなびけり
  (私を思って恋人が嘆いているらしい、風速の浦の沖に霧が流れている)
  沖つ風 いたく吹きせば 我妹子が 歎きの霧に 飽かましものを
  (沖風がもっと強ければ、恋人が嘆く息の霧を飽きるほど吸い込めるのに)

その後の5〜6首目に海路の安全を祈る歌があって、
それに続く7〜8首目が色々と意味深でしたね。
  別れなば うら悲しけむ 吾が衣 下にを着ませ ただに逢ふまでに
  (別れたら悲しくなるでしょうから、
  また直接会うその時まで、私の下着を身につけていて下さい)
  我妹子が 下にを着よと 贈りたる 衣の紐を 吾解かめやも
  (彼女が下着として身につけるようにとくれた衣の紐は、決して解くまい)

ここでは、女が『再会する時まで着ていて下さい』と下着を男に与えると、
男は『その下着の紐を絶対に解かない』と約束するというわけです。
何カ月もの間、洗濯もせずに同じ下着をつけるというのは、
現代では考えられないですが、その点では、防人の歌にも、
垢がつくまで同じ着物を着ている、という話がありましたね。
当時はまだ虱なんてものは、余りいなかったんでしょうかね!?

講師はここを男女共通の歌と解釈し、下着の紐を解かないことを、
相手を裏切らないことのように言っていたと思いますけどね。
ただ、この場合の下着の紐というのは、
西洋でいう所の貞操帯の鍵とは大分、違うでしょうね。
結局、この時代の下着が、どんなものだったかが問題ですが、
当時、ブラジャーだのパンティだのがあったはずがないですよね。
そんなものなら、男が身につけることも出来ませんしね。(^^;)

そう言えば『関東大震災の時、デパートの窓から飛び降りた女性は、
お尻がむき出しになった』という有名な話がありましたね。
当時の女性は、着物の下にパンツなんてものは着けてなくて、
それをはくようになったのは、これ以降だという説がありました。
ですから、江戸時代以前は言うまでもありませんが、
奈良時代ともなれば、尚更でしょうね。
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