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闇夜の鮟鱇★
2011/12/11(日)12:17 ID:???0
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103: 闇夜の鮟鱇★ [] ●●●万葉解釈とタミル語起源説●●●(4/4) ただ……こうした解釈の最終的な信憑性に関しては、 タミル語の専門家でない素人には、判断のしようがありません。 それを支持する学者にしても、日本には数名しかいないんだそうです。 実際問題として、タミル人が住むのはインド南部ですし、 その顔だちも、日本人と共通性があるようには見えませんからね。 それでも、私の考えでは、この説は一般に思われているほど、 突飛なものではないんじゃないか、と言う気がします。 というのも、私が以前から考えていることとして『日本人の祖先は、 何万年か前には中国大陸にいたんじゃないか』と思うからです。 例えば、例のブータン人と日本人が良く似ている件ですけどね。 ついこの間も、国王夫妻が国賓として来日していましたが…… あまりに日本人と似過ぎていて、威厳をそがれた感もありました。 つまり、ブータンの国王は、日本では例えば、 その辺の長屋に住んでいるあんちゃんみたいな風貌ですからね。(^^;) 他方では、日本人とモンゴル人の類似性もあったわけですが、 そうしたことを総合的に考えると『何万年か前には、 日本人の祖先が、今の中国大陸に住んでいた』と考えると、 色々なことの説明がし易いように思う分けです。 そこへ中国人が後から侵入して来たので、日本人は東へ、 モンゴル人は北へ、ブータン人やタミル人は南へと、 それぞれ弾き飛ばされたんじゃないか、という気がします。 つまり、ブータン人と日本人が似ている原因として、 南海方面を経由して日本人の祖先が渡ってきたと考えるより、 この方が、ずっと自然に両者の関係を説明できるでしょ!? 似たようなことで言うと、インド北部のアーリア系インド人も、 数千年前に、インドに渡ってきたことが知られている分けですね。 多分インド人の祖先は今のヨーロッパ大陸にいて、 そこでの争いに敗れた結果、東に逃れ来たんでしょうね。 ですから、インド人にとっての憧れの理想郷が、 西にある(つまり、西方浄土)のもその帰結と思われます。 中国人の場合、そのインド人よりも更に古い昔に、 やはり、西から逃れて来たのではないかという気がします。 もしそうなら、それ以前の先史時代の中国大陸に日本人やモンゴル人、 更にはブータン人やタミル人がいたとしても、不思議はないですよね。 日本語とタミル語が同じ言語から分離したという説も、 そうした展開の中で見れば、それほど不自然ではないと思う分けです。 そうした日本語のタミル語起源説に関しては、 以前から私が一つ気になっていることがあります。 万葉集では『まくらをまく』という表現が良く出てきますよね。 その場合、まくらという言葉の語源は『まく』という動詞に、 接尾語の『ら』が付いて名詞化したものではないかと思う分けです。 それと同様に、似た表現で『さくらがさく』というのがありますよね。 この場合も『さく』という動詞に『ら』という接尾語が付いて、 さくらという名詞になったのではないか、 というのが私が受ける印象であるわけです。 更に言うと『もぐる��もぐら』や『あぶる��あぶら』があるし、 『あぐら』も似たように説明できるかもしれませんよね。 だとすると、この『ら』という接尾語がタミル語では、 一体どう解釈できるのかが気になる所なんです。 それがうまく行けば、タミル語起源説の補強因子になりますよね。 他方では、日本語と朝鮮語の近縁関係を言う説がありますから、 朝鮮語の位置づけをどうするのかも一つの焦点でしょうね。 例えば『海の幸・山の幸とは言うのにどうして、 畑の幸とは言わないのか』という問題があります。 この場合、さちの語源が朝鮮語のサルであって、 そのサルが矢尻を意味するという話がありました。 つまり、海の幸は漁の獲物、山の幸は猟の獲物というわけで、 共に、モリとか矢とかで仕留める生き物のことなんですね。 ですから『畑でとれる作物は畑の幸とは言わない』というわけです。 そうした朝鮮語と日本語の近縁関係を考えるなら、 朝鮮語の古語もタミル語から説明できないとおかしいですよね。 もしそれがうまく行けば、日本語のタミル語起源説も、 今より遥かに信憑性が高まるのではないでしょうか。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/3729/1069922074/103
万葉解釈とタミル語起源説 ただこうした解釈の最終的な信性に関しては タミル語の専門家でない素人には判断のしようがありません それを支持する学者にしても日本には数名しかいないんだそうです 実際問題としてタミル人が住むのはインド南部ですし その顔だちも日本人と共通性があるようには見えませんからね それでも私の考えではこの説は一般に思われているほど 突飛なものではないんじゃないかと言う気がします というのも私が以前から考えていることとして日本人の祖先は 何万年か前には中国大陸にいたんじゃないかと思うからです 例えば例のブータン人と日本人が良く似ている件ですけどね ついこの間も国王夫妻が国賓として来日していましたが あまりに日本人と似過ぎていて威厳をそがれた感もありました つまりブータンの国王は日本では例えば その辺の長屋に住んでいるあんちゃんみたいな風貌ですからね 他方では日本人とモンゴル人の類似性もあったわけですが そうしたことを総合的に考えると何万年か前には 日本人の祖先が今の中国大陸に住んでいたと考えると 色なことの説明がし易いように思う分けです そこへ中国人が後から侵入して来たので日本人は東へ モンゴル人は北へブータン人やタミル人は南へと それぞれ弾き飛ばされたんじゃないかという気がします つまりブータン人と日本人が似ている原因として 南海方面を経由して日本人の祖先が渡ってきたと考えるより この方がずっと自然に両者の関係を説明できるでしょ 似たようなことで言うとインド北部のアーリア系インド人も 数千年前にインドに渡ってきたことが知られている分けですね 多分インド人の祖先は今のヨーロッパ大陸にいて そこでの争いに敗れた結果東に逃れ来たんでしょうね ですからインド人にとっての憧れの理想郷が 西にあるつまり西方浄土のもその帰結と思われます 中国人の場合そのインド人よりも更に古い昔に やはり西から逃れて来たのではないかという気がします もしそうならそれ以前の先史時代の中国大陸に日本人やモンゴル人 更にはブータン人やタミル人がいたとしても不思議はないですよね 日本語とタミル語が同じ言語から分離したという説も そうした展開の中で見ればそれほど不自然ではないと思う分けです そうした日本語のタミル語起源説に関しては 以前から私が一つ気になっていることがあります 万葉集ではまくらをまくという表現が良く出てきますよね その場合まくらという言葉の語源はまくという動詞に 接尾語のらが付いて名詞化したものではないかと思う分けです それと同様に似た表現でさくらがさくというのがありますよね この場合もさくという動詞にらという接尾語が付いて さくらという名詞になったのではないか というのが私が受ける印象であるわけです 更に言うともぐるもぐらやあぶるあぶらがあるし あぐらも似たように説明できるかもしれませんよね だとするとこのらという接尾語がタミル語では 一体どう解釈できるのかが気になる所なんです それがうまく行けばタミル語起源説の補強因子になりますよね 他方では日本語と朝鮮語の近縁関係を言う説がありますから 朝鮮語の位置づけをどうするのかも一つの焦点でしょうね 例えば海の幸山の幸とは言うのにどうして 畑の幸とは言わないのかという問題があります この場合さちの語源が朝鮮語のサルであって そのサルが矢尻を意味するという話がありました つまり海の幸は漁の獲物山の幸は猟の獲物というわけで 共にモリとか矢とかで仕留める生き物のことなんですね ですから畑でとれる作物は畑の幸とは言わないというわけです そうした朝鮮語と日本語の近縁関係を考えるなら 朝鮮語の古語もタミル語から説明できないとおかしいですよね もしそれがうまく行けば日本語のタミル語起源説も 今より遥かに信性が高まるのではないでしょうか
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