無差別級 (157レス)
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97: 闇夜の鮟鱇★ 2011/11/04(金)10:44 ID:???0 AAS
  ●●●万葉集の極彩色●●●(4/6)

それから、遣亜使に関しては、その船の構造の話も色々ありました。
帆船に詳しくない人は『帆船というものは、ただ風上から風下に、
風まかせで流されていくだけ』と思っているかもしれませんが、
実際の帆船は、必ずしもそうではないわけですね。
ヨット競技をする人は良く御存知でしょうが、
ヨットは風上に向かって斜め前方に進める分けですね。

ですから、先ず風上に対して右斜めに前進し、次は、
帆と梶を切り替えて、左斜めに前進するという繰り返しで、
ジグザグに進めば、幾らでも風上に行ける分けなんです。
これを英語ではタッキング、日本語では間切り走りと言います。
その場合、本質的に重要なのは、帆が可動式であることと、
船底に横滑りを防ぐ、滑り止めがあることの二点である分けです。

その点、古来の日本の船というのは、底が平らな上、
帆も固定されていて、風上には行けなかったみたいですね。
例えば、七福神が乗っている宝船なんかがその典型ですが、
あの場合の帆は、その中心が帆柱に固定されてますよね。
ですから、帆の角度を切り替えてジクザグに風上に進む、
なんていう芸当は、できるはずがない分けです。

その意味では、例の熊野船の場合も、もし大陸式の作りなら、
そうした可動帆を備えていたのではないでしょうか。
例えば、中国式のジャンク船みたいなもっだったかもしれませんね。
でも日本というのは不思議な国で、外国から進んだ技術が入っても、
敢えてそれを捨ててしまうようなところがある分けです。

例えば、江戸時代の日本では、鉄砲を禁止する一方で、
大井川に橋をかけることすら、許さなかった分けですね。
それは全て、徳川幕府が日本を統治するのに都合がよかったからで、
それと同じ意味で『鎖国政策を推進する幕府が、
外洋航海が可能な帆船を禁止する為に、
可動帆の船を造らせなかった』という説があります。

その点では、中国などに出かけて海賊行為を働いた倭寇の場合も、
彼らの帆船は固定帆だったので『東シナ海を渡るのにひと月もかかる』
とか言って、明時代の中国人に馬鹿にされたという話がありました。
  遣唐使船の構造的欠陥
  http://www.kougakutosho.co.jp/mathematics/mathematics_73.htm
但し、倭寇というのは鎌倉から室町時代の話ですから、
この場合の固定帆は、鎖国政策のせいとはいえないでしょうけどね。

ただ、倭寇はともかく、例の鑑真和尚を日本に送り届ける際にも、
敢えて、そんな危険な固定帆の船を使ったんでしょうかね。
その点が、どうも私には解せない所なんですが……。
因みに、江戸時代後期には弁財船(べざいせん)というのが発達し、
これは間切り(ジグザク)帆走をやったようですし、
時代と共に改良されて、性能もどんどん上がったらしいですね。
ですから外洋船を禁じたのは、江戸時代初期の話かもしれません。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%89%8D%E8%88%B9

弁財船という名は、恐らく七福神が乗った宝船になぞらえて、
縁起を担いだんでしょうけど、特に弁財天の名を選んだのは、
元々、弁財天が河の神様であることに由来するんでしょうね。
その意味では、弁財船の帆が宝船と良く似ているのは当然ですが、
ポイントは宝船の場合、帆を固定する横棒が上下にあるのに対して、
弁財船の場合、横棒は上に一本あるだけで、下にはない所ですね。
  http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/zusetsu/C20/c2023.jpg

ですから、帆の下側を綱で操作して、間切り走りが出来たようです。
但し、一説によるとヨットが風上に対して45°の角度まで進めるのに比べ、
弁財船は60°が限界で、しかも強風には対応できなかったそうです。
ヨットのような三角帆と違って、弁財船のような帆の形だと、
高い位置で風を受けますから、強風で不安定になるのは当然でしょうね。
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