[過去ログ] 官僚によるマインドコントロール()捕鯨問題-9 (459レス)
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(6): N ◆5UMm.mhSro 2008/12/26(金) 05:58:49 ID:X5laRYMW(1/8)調 AAS
前スレ2chスレ:seiji
小沢一郎代表の「官僚による国民のマインドコントロール」という直裁な発言。藤井裕久最高顧問の<天下り嫌い>。
もう引き返せない。 超高学歴なのに無教養で強引な上司に、うんざりしてる公務員はけっこう多いよ。
このスレでは『捕鯨問題』を、「官僚による国民のマインドコントロール」の一例として扱います。

ポイント -1.『エコテロリストとの<正義>の戦いなのか? 両者とも怨念に駆られた私闘なのか?』 
<30周年を迎えるシエラ号 vs. シーシェパード事件:年表>
1968年1月 オランダ余剰捕鯨船、母船兼捕鯨船に改造、バハマ籍ラン号(M.V. Run)としてIWC枠外捕鯨開始。*
1972年2月 ラン号、シエラ号(M.V. Sierra)と改称、ソマリア籍に。南大西洋でイワシ鯨137頭、ミンク1頭。*
1975年 シエラ号、キプロス籍へ。この年、大西洋アフリカ沖でナガス鯨3、イワシ鯨267、ミンク2頭。*
1976年 この年には不明な点が多いが、アフリカからスペイン沖にかけて少なくとも7回航海ニタリ鯨242頭。
1977年12月 シエラ号、船尾式トロール改造船トンナ号と合流* Tonna号旧船名は「Shungo Maru」**
 北大西洋に移り、少なくともイワシ鯨1、ニタリ鯨50、ナガス鯨約96頭。鯨肉586トンは「スペイン産」の
偽装ラベルで50kg単位梱包、コートジボアールのAbidjan港で通関せずに日本の輸送船へ転載。***
1978年 北大西洋、少なくともシロナガス鯨2頭、ナガス168頭、イワシ鯨110頭。
1979年7月16日 シエラ号、ポルトガルPorto de Leixoes港外でシーシェパード号に激突され大破*
数週間後:ポルトガル当局Sシェパード号押収、シエラ船主へ引渡され海賊捕鯨船となることを嫌ったSSが撃沈***
1980年2月6日 無保険で修理完了し、リスボン港に停泊中のシエラ号、Sシェパードメンバーにより沈没****
   後にシエラ号の所有関係は、大洋漁業75%、ノルウェーの'Foreningsbanken'25%と判明。

この件の他、チリ、ペルーでの大洋漁業、日本捕鯨(ニッスイ)による「海賊捕鯨」について、IWCで米仏蘭が日本側
当局の責任をただすが、日本政府/水産庁、米澤邦男氏(後にニッスイ常勤顧問)は、一切関知していないと主張。>>2
333: 2009/01/06(火) 14:06:07 ID:2JkU9N5I(32/119)調 AAS
なお、調査捕鯨や小型捕鯨で捕獲されている鯨種の在庫は、ミンククジラが643トン、ゴンドウ鯨、ツチ鯨、イルカ類などが416トンで全体の97%であった。上記の鯨種はいずれも、ワシントン条約では絶滅に瀕した種を掲載する付属書 I に記載されているが、実際の資源状態とは
かけはなれた分類なので、日本はこれらについて留保している。条約上では、ある鯨が合法的に捕獲されたものであり、捕獲国がIWCの加盟国であって、日本とその国の双方がその鯨種のCITESの付属書 I への掲載について留保していれば、両政府の輸出入の許可の許可によって合
法的に輸入できる。例えば、日本とノルウェーは共にIWC加盟国であり、共にミンククジラの付属書 I への掲載を留保しているので、双方の政府が許可すれば、ノルウェーで捕獲されているミンククジラから、ノルウェーで消費されない部分(ベーコンの材料や肉の一部)を日本へ
輸出する事は可能であり、実際ノルウェーは2001年1月に日本への輸出を開始する旨の発表をした(ただし、日本国内からは価格下落を懸念して反対があったために実現しなかったようである)。定置網での混獲された鯨の肉 以前は、海辺に座礁したり、漁網に絡まったりした鯨は
、生きている場合は海へ返すが、死んだ鯨は、焼却や埋め立てなどの処分の他、地域内での消費に限定する事で肉の消費が認められる場合もあった。ただし、金銭の授受を伴う売買は認められていなかった。しかし、漁民にとっては魚網などに経済的被害を受けた上に、何の経済的
見返りを受けることなく肉を分けたり、あるいは更にお金を払って焼却や埋葬するのでは踏んだり蹴ったりである事から、実際には、これらの鯨の肉が出回っている場合もあった(1)。そのため、鯨のDNAを登録するなどの手続きをした上で、肉の市場への流通を認める方向で法令の
変更が検討され、2001年7月から実施された。具体的には、定置網に鯨が混獲された場合、肉片のサンプルを水産庁か日本鯨類研究所へ送り、写真を撮って報告書に添付するなどの所定の手続きを取ることによって販売が可能になる。ただし、大型鯨類の中ではシロナガスクジラと
ホッキョククジラは対象外であり、定置網以外の巻き網や刺し網での混獲は対象外である。初年度(2001年の後半)には52頭の混獲クジラが販売された(すべてミンククジラであったという)。
334: 2009/01/06(火) 14:10:06 ID:2JkU9N5I(33/119)調 AAS
なお、海外から違法に密輸して摘発された例や密漁の例があるが(2)、それらの肉が実際に市場で流通しているという確たる証拠はなく、仮に流通してもやがて露見して長続きはしない事は想像にかたくない。ちなみに、密輸の場合は30万円以下の罰金もしくは3年以下の懲役、
密漁の場合は200万円以下の罰金もしくは3年以下の懲役、となる。また、上記4の最後に述べた法令改定に伴い、違法鯨肉を扱った流通業者や小売店も罰則の対象にする事が検討されている。現在では鯨肉の不足感もないため、リスクを犯して密漁するメリットもあまり無いよ
うに思われる。密輸や密猟は反捕鯨団体が好んで取り上げ、捕鯨に反対する口実にしたがるトピックだが、過去において「生物学的に適切な捕獲枠が設定されたが、密猟などの違反が横行したために絶滅の危機に瀕した」鯨種は存在しないという事実には留意しておきたい。
IWC以前に捕鯨によって絶滅した系統群はいくつかあるが、それは「適切な捕獲枠」の概念などなかったり、捕獲枠が設定されていない時代の話である。 IWCの時代になっても鯨種別に捕獲枠を設定したのは1970年前後以降であり(BWU制の廃止時期は南氷洋とその他の海域で
は異なる)、国際監視員制度の実施も70年代からと、時代によって大きく変化している。こういう過去における資源管理の有無や、その方法の違いを無視して同等に扱い、商業捕鯨が再開されたらすべての鯨種が再び絶滅の危機に瀕するかのような「捕鯨性悪説」的な雑な議論
を展開し宣伝しているのが反捕鯨団体である。なお、1990年代にIWCが開発した捕獲枠算定方式であるRMP(Revised Management System - 改定管理方式)では、計算される捕獲枠が種々の安全措置によってかなり控えめな上、報告された捕獲量が実際の捕獲量の半分であるよう
な極端な場合でも資源に悪影響を与える事なく管理できる事がシミュレーションで確認されている。
さて、関連する例だが、1994年に反捕鯨団体のEarth Trustなどの資金提供のもと、オークランド大学のC.S. Baker博士とハワイ大学のS.R. Palumbi博士が日本の市場で得た鯨肉のDNA分析でザトウクジラなど違法な鯨種が見つかったとの論文をScience誌の1994年9月9日号
(第265号)に発表し、欧米の著名なメディアでも広く報道された。
335: 2009/01/06(火) 14:11:00 ID:2JkU9N5I(34/119)調 AAS
同年10月31日付けのタイム誌によると、Earth Trustのエージェントがあらかじめ日本国内で鯨肉を買い集めて用意した検体を、1ヶ月後にBakerが東京のホテルの一室にポータブルの機器を持ち込んでDNAを
コピーし、既存の標本と照合したものだという。論文はニュージーランド政府からIWCにも提出されたが正式な論文とは認められず、科学委員会では検討の対象にもならなかった。内容に疑問点が多いため(3)、すぐに日本側がサンプルの提供を求めたものの、いまだに応じ
ていないのは何か不都合でもあるのだろうか。
その後Bakerは、かつてグリーンピース・ジャパンの活動家として南氷洋で日本の調査捕鯨の妨害に従事し、その後IFAW(International Fund for Animal Welfare - 国際動物福祉基金)に移った舟橋直子の協力のもと、 1997、98、99年に同様のサンプリング調査を行い、
現在捕獲されていない(過去の合法的在庫はある)鯨種の肉が流通している事をもって、日本では密輸や密猟が野放しであるかのように発表している。 IWC科学委員会では Bakerの論文について、サンプル鯨肉がどこで捕獲されたものなのかについて必要な情報がそろって
ない事が確認されている。 注意すべきなのは、このような疑わしい調査結果でも一方的に「事実」として英語のメディアに載って世界的に報道されると人々には事実として記憶されるという点である。反捕鯨国の一部の強硬な世論の背景には、この例のような一方的情報が
長年にわたって「事実」として報道され続けてきた事があるのは疑いないと思う。実際、ネット上で海外の人間と議論していても、「調査捕鯨では鯨を生きたまま解剖している」という類の与太話を信じている例にすら出くわす。
ただ残念なのは、流通過程において鯨製品のラベル表示にいいかげんな例が多いことで、私自身、北太平洋の調査捕鯨で捕られたニタリクジラの肉を買ったら、ラベルの原産地表示が南氷洋になっていて驚いたことがある。南極海のミンククジラが「オーストラリア産」
として売られていたという、笑い話のような例もあったと聞く。産地ならまだしも、違う鯨種が表記されている例も多い。一部の流通業者によるこの種のいいかげんなラベル表示が反捕鯨団体の格好の餌食となって、IWCの場で宣伝材料に使われる事態も起きていて、早急な
改善が求められる。
336: 2009/01/06(火) 14:15:49 ID:2JkU9N5I(35/119)調 AAS
ネット上での捕鯨に関する議論において、海外の反捕鯨論者が他の野生動物の狩猟や漁業と違って「いくら鯨の数が多くても捕ってはいけない」という極端な政策を支持する根拠にあげるのが「鯨は知能が高いから特別だ」という点である。実際、オーストラリアが70年代終りに
自国民の捕鯨を禁止する際、当時のマルコム・フレーザー(Malcolm Fraser)首相は、「特別で存在であり知能の高い鯨を銛で殺す事が多くの人に不快感を与えている」と述べていて、反捕鯨国の捕鯨に関する政策決定の背後に鯨類の知能に関する俗説への信奉がある事をのぞか
せている。また、カナダの人類学者ミルトン・フリーマン(Milton Freeman)が1992年初頭にカナダのギャラップ社に依頼して、オーストラリア、イギリス、ドイツ、アメリカ、日本、ノルウェーの6ヵ国で行った世論調査(サンプル数はアメリカが1000名、他はそれぞれ500名)
においても、「あなたは”鯨のような知能の高い生き物を殺すなんて信じられない”という主張に同意できますか?」という設問において、「イエス」の割合がそれぞれ 63.9、64.2、55.8、57.0、24.6、21.8 パーセントとなっていて、「知能が高い鯨」を殺す事に対する反感が
反捕鯨国で高い事をうかがわせている(ちなみに「ノー」の割合は 21.7、20.1、23.5、24.8、47.9、57.1パーセントである)。
そこで、以下知能面を中心に鯨類は特別かどうかについてまとめてみる。まず指摘しておかなければならないのは、70種類以上ある鯨類の中で、その知能が研究されているのはバンドウイルカなどほんの数種の小型鯨類であるという事である。シロナガスクジラやミンククジラな
どのヒゲ鯨や、マッコウクジラのような大型歯鯨について、その知能が研究され、それが人間に近い事が実証されたり、それを示唆するような事実が見つかったという話は聞いたことがない。しかし、例えばグリーンピース・オーストラリアが1992に発行した"Are whales almost
human?"と題したパンフレットでは記述の対象をイルカに限定せずに鯨類全般のこととして「疑いもなく知能が高く・・・」と書いている。チンパンジーの知能が高いからといってメガネザルの知能も同等のレベルにあると思い込む人はいないと思うが、鯨類に関しては「イルカ
は賢い」−>「鯨類は賢い」−>「鯨を食べるのは人食いと同様な野蛮な行為である」とメチャクチャな飛躍でもって論旨が発展して、
337: 2009/01/06(火) 14:19:28 ID:2JkU9N5I(36/119)調 AAS
捕鯨という漁業 − 漁業自体は反捕鯨国も含めて世界中で行われているごく普通の行為だが − を特別に罪悪視して抑圧する有力な論拠に使われているのが現状である。
1.脳から見た知能レベル 例えばバンドウイルカの脳は約1.6キロと、人間の1.5キロに近く、見かけも人間のものにけっこう似ていなくもない。ただ、脳の絶対重量や体重との相対比率については、知能との相関はないようである。アジア象の脳は人間のものより5倍重いが、
人間より賢いという兆候は全く見られないし、バンドウイルカの5倍近い重さの脳を持つマッコウクジラに、より高い知能を示唆する行動が観察されているわけでもない。そもそも脳は体全体をコントロールする役割を持っているから、大まかな傾向として、大きな動物ほど大
きな脳を要するのは、コントロールする対象が多いのだから当然であるここで「大まかな」と言ったのは、例えば同じ大きさの動物でも爬虫類のような変温動物と哺乳類のような恒温動物では、体の機構の複雑性が根本的に違っていて単純比較などできないからである。では、
体重に対する脳の重さの比率が大きい事が指標になるかというと、小型のマウスが高い数値を示すのである。そもそも、脳において知能をつかさどるのはごく一部分である事を考えると、脳全体の重量でなにか知能に関わる指標を得ようとする事自体が、的外れではないだろうか。
様々な動物の脳の重さ、体重、体重に占める脳の重さの比率(High North Allianceのホームページより)
Species Brain weight Body weight Brain weight
(gram) (tonn) as % of body weight
Man 1500 0.07 2.1 Bottlenose dolphin 1600 0.17 0.94
Dolphin 840 0.11 0.74 Asian elephant 7500 5.0 0.15
Killer whale 5620 6.0 0.094 Cow 500 0.5 0.1
Pilot whale 2670 3.5 0.076 Sperm whale 7820 37.0 0.021
Fin whale 6930 90.0 0.008 Mouse 0.4 0.000012 3.2
338: 2009/01/06(火) 14:23:58 ID:2JkU9N5I(37/119)調 AAS
次に脳そのものについて言えば、シワは人間より多いのだが、知能に大きく関わるとされる大脳新皮質は人間の半分程度に薄く、神経細胞の密度も低い。もっとも新皮質が脳全体に占める量が多い方が知能が高いかというと、実際にはハリモグラの方が人間より多く、やはり量
のみでなく質的な分析が求められる。鯨類の祖先が陸上の哺乳類で、6500万年から7000万年前に海での生活を始めた事は、今日ではよく知られていると思う。陸上哺乳動物において、脳の新皮質の最後の進化が始まったのは5000万年程前と考えられているが、鯨類の祖先はそれ
よりはるか以前に海へ移ったために、同じ哺乳類といっても、現世の陸上哺乳類とは違い、新皮質の層の数が6つではなく5つしかなく、構造もはるかに単純であるなど、質的な違いも大きい。また、海中という、視覚から入ってくる情報だけでは不十分な環境で生きているために、
音波を発して、その反射波から周囲の状況を把握するエコーロケーション(Echo location)という機能が発達しているため、音波の処理に必要な箇所が発達して、このような比較的重い脳を持つに至った、と考えている学者もいる。
というわけで、イルカの脳は見かけに反して質的にはかなり人間のものと違い、人間に匹敵する知能の存在を万人に納得させる決定的な材料は、今のところない、のである。
2.行動からみた知能レベル 10年ほど前であるが、ある新聞報道を見て苦笑した事がある。内容は、オーストラリアの海で溺れた人間をイルカが岸まで押したために命が救われたというようなものだった。苦笑したのは、どうもあちらの国では優しいイルカが溺れた人間を見て、
助けようという善意で押した、と勝手に人間本意の理屈で解釈している様子が文面からうかがえたからである。このような解釈が妥当であるためには、1.「イルカは溺れている人間の挙動から、危険な状態にあると判断した」、2.「イルカは危険な状態にある人間を助けたいと
思った」、3.「イルカは人間を助けるには、人間を岸まで連れていくのが解決策であると認識した」事が検証されてなくてはならないが、無論、そのような事を証明した研究などはない。実際にはイルカは生き物に限らず、木や生き物の死体などでも海で沈みかかっているもの
を支えたり、浮いている比較的大きな物を押して運ぶ習性があるから、
339: 2009/01/06(火) 14:25:40 ID:2JkU9N5I(38/119)調 AAS
上記のような民間信仰はあくまでも人間側の希望的心理の基づく解釈にすぎなく客観的根拠がない。あまり知られてないようだが、現実には泳いでいる人間が突然イルカに攻撃されたり、沖合いの方向へ押されるというトラブルも報告されているのである。
また、イルカには集団行動にみられる社会性や、教えられた動作を行う、遊ぶといった行動も見られるが、これらは他の動物にも見られるもので、特にイルカが抜きん出ているわけでもない。更に、イルカには人間と違って創造性というものを発揮する様子はほとんど見られない。
かつて欧米人に「俺達のやった事を猿まねする日本人」という言い方で蔑視する風潮が強かった事を思い起こすと、この点は若干興味深い。このように行動面では特に際立ったものはないようだが、ただ、陸上動物でそれほど目を引かない行動でも海洋動物が行うと、特に過去の
歴史において海の生き物とそれほど接点が無かった国々の人々の目には新鮮に映り、心が舞い上がってしまうのかも知れない。また、イルカの顔が可愛いという事も、行動を好意的に増幅して解釈しようとする心理に関係しているとも思われる。例えば、学習能力にすぐれ、様々
な遊びを楽しむカラスについて、イルカと同様の思い入れをし、「どんな事があってもカラスを殺すべきではない」という政策を取りいれる国は聞いた事がない。もし仮にカラスとイルカの知能が大差ないレベルのものだとすると、前者を殺す行為と後者を殺す行為に、政策上で
善悪の差を導入するという事は、喩えて言えば「人気のある芸能人を殺すのは一般の人を殺すよりも罪が深い」というような差別法を導入するようなものであり、到底、誰もが受け入れられるものではない事は多くの人が納得できると思う。 なお、付け加えると、あの可愛い顔で
(おそらく表情を多彩に変化させる事は不可能なのだろうが)仲間どうしのイジメがあったり他のイルカ類を殺したりしているのも、TV番組などでは取り上げられないが、事実である。
3.会話能力鯨類が音声をコミュニケーションに用いているのは事実である。ただ、「音声」が気分をうなり声レベルで表現するものなのか、それとも一つの物や概念を一定の音声で表現するレベルかとなると全く知見はなく、体系的な言語と呼べるものを持っていて、それでもっ
て仲間どうしの会話が行われている証拠は全く見つかっていない。
340: 2009/01/06(火) 14:27:58 ID:2JkU9N5I(39/119)調 AAS
飼育されたイルカにいくつかの名詞や動詞などの単語を教え、それらの組み合わせて作った様々な文章を理解できた、というような報告は読んだ事があるが、これはあくまで人間に教えられて達成した事であって、野生のイルカが自発的に行っているのが発見されたわけではなく、
また、実験そのものも、もっと多くの研究者によって追試されてからでないと、確かな事は言えないであろう。イルカ語のようなものがあって、それを人間の言葉に翻訳でき、イルカと様々なやりとりができる、という可能性は現在では全く見通しがたっていないし、おそらく達成
されないと思う。そもそも、人間とは違う形態を持ち生活環境も異なる動物の知能というものが、人間の知能でもって解釈できるものかどうかも疑問である。例えばサッカーとテニスは共に球技であるが、全く形態の異なるスポーツであって、単に用語を入れ替える事によってサッ
カーのルールブックをテニスのそれに変える事など不可能である。動物の知能も似たようなもので、異なる体を持ち異なる環境で生きている様々な動物の知能は、それぞれの動物の必要性に応じて異なった方向に発達しているものであって、ある動物にとっての知性は他の動物にと
って知性として認識されるとは限らないのではないかという気がする。イルカと会話が可能であると思っている方は、試しに本屋で幼児向けの童話でも買って、そこに使われている言葉に対応するものがイルカの生活に存在するかどうか考えてみるとよい。人間の世界でも、ある外
国語の単語が示す概念が自国語にないために翻訳に苦労するのはよくある事だが、相手は何もかも違うイルカである。百歩譲ってイルカが人間の言葉に翻訳可能な言語を持って仲間どうし会話しているとしても、「王子様」、「ごほうび」、「お祈り」、「結婚式」など、そもそも
イルカの世界に存在していそうになく、従って翻訳などできそうもない言葉に満ちている事がわかるはずである。子供向けの本ですらこの有り様では、鯨類高等知能教の教祖であるジョン・リリー(John Lilly)が言うように、イルカを相手に地球や宇宙の様々な事象について語り
合い、哲学的認識を深めるなど、夢のまた夢であって、せいぜい「あっちの方にイワシがたくさんいた」と教えてもらうのが関の山であろう。しかもこれは、
341: 2009/01/06(火) 14:34:45 ID:2JkU9N5I(40/119)調 AAS
「百歩譲ってイルカが人間の言葉に翻訳可能な言語を持っている」と仮定した場合の話であり、その前提すら現在では怪しいのである。実際、イルカの音声コミュニケーションについての過去の様々な研究について考察したある科学者は、彼らが「誰が」、「どこで」、「何を」
といった情報は伝達できるものの、「いつ」、「どのようにして」、「なぜ」といった情報をやりとりしている形跡はないとしている。このように考えると、鯨が人間に近い高度な知能を持った生き物であると信じ、それを捕鯨に関する政策に反映させるという行為は、喩えて言
うなら、カリフォルニアの砂漠で空飛ぶ円盤に乗ってきた金星人とテレパシーで会話したという、1950年代初頭のジョージ・アダムスキーの話を鵜呑みにして、「金星の方々に迷惑がかからないように、探査機を送り込むのはやめましょう」というのと同レベルであって、カルト
・グループの仲間うちならまだしも、政治レベルでまかり通る事が私には不思議に思える。同じ知能レベルである事が明白な他国の人間に対して、文化的背景に基づく社会・経済上の制度の様々な違いに難癖をつけ、自分たちの制度が世界の標準や理想であると強弁し、時にはそ
のような口実から経済制裁や軍事的対立にまで発展させる一方で、鯨類の知能レベルについての怪しげな巷説を盲信し、ヒステリックなまでに鯨類を保護する政策をとり続け、しかも自分たちの鯨観に基づく政策を世界中に強要しなければ気が済まない国々を見る時、なにか病ん
だ精神のようなものを感じてしまうのは、私だけであろうか。最後に、鯨類の知能に関して巷で信じられている事と科学者レベルで解明された事実のギャップが大きいのも注目に値する。客観的に様々な実験や多くの科学者の意見をもとに、他の動物と比較してイルカがずばぬけ
た知性の持ち主である事を立証してみせたTV番組や雑誌記事は、私の知る限りでは無いようである。だが、なんとなくイルカは動物の中で特別な知性を持っているかのような印象を与えるTV番組でのナレーションに接したり、思わせぶりなタイトルの本を目にする事は多いと思う
。たぶんこのあたりに、イルカが人間に近いレベルの知能を持っているとボンヤリ思いながらも、それを理路整然と説明する事などおぼつかないという事の原因がありそうである。
342: 2009/01/06(火) 14:38:07 ID:2JkU9N5I(41/119)調 AAS
かつてナチス・ドイツの宣伝相であったヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)は「豚の事をライオンであると100回言えば、豚はライオンとして通用する」というような事を言っていたと思うが、似たような状況にあるのが鯨類の知能をめぐる世間の認識の状況である。
鯨や魚など水産資源の捕獲枠を決める際の重要な概念が「最大持続生産量(Maximum Sustainable Yield - MSY)」というもので、これは今現在のIWCの捕獲枠算定方式である改訂管理方式(Revised Management Procedure - RMP)や70年代半ばに採用された新管理方式
(New Management Procedure - NMP)を理解する上で欠かせない。そこで、この概念について簡単に解説しておく。
今、ミンククジラの集団があるとする(別に他の鯨種であっても、魚類であってもいいのだが)。人間がこの集団から捕獲しない場合、環境の激変などがないかぎり、頭数はだいたい一定である。この時の頭数を初期資源量という(環境が許容する最大限の量という事で
「環境収容量」という言葉もある。 これは当然、環境の変化に応じて時間的に変わるから、初期資源量は「捕獲開始直前における環境収容量」といってもよいであろう)。これは、この集団で毎年死ぬクジラと生まれてくるクジラの頭数がだいたい釣り合っている事を意味
する。仮に最初の頭数を10000頭として、毎年300頭が自然上の理由で死に(シャチなどの天敵に襲われる場合も含む)、300頭程度が生まれているとする。さて、この集団から何年か捕獲を続けて頭数が6000頭に減ったとする。この時、自然上の理由で死ぬ頭数と新しく生まれ
る頭数は釣り合っているだろうか?このような状況に関する数多くの野生生物の研究で、新しく生まれる頭数の方が自然死するものより多い事が知られている。一種の法則のようなものである。これは、マクロの視点から見ると、あたかも集団が頭数を元に回復しようとして
いる一種の防御機能のように見えるが、ミクロというか個体レベルの視点では頭数が減る事によって群れの密度が減少し一頭当たりの餌の量が増えたりストレスも減るなど、繁殖を促進する要素が効いてくるためである。このような回復力があるからこそ、過去に過剰に捕獲
した鯨種も、捕獲をやめればだんだんと資源量が回復してくるわけである。
343: 2009/01/06(火) 15:24:49 ID:2JkU9N5I(42/119)調 AAS
ただし、ものごとには限度というものがあり、あまり頭数が減ってしまうと回復も難しくなる(極端な話、数10頭まで減ってしまうと思わぬ災害で全滅する可能性もでてくる)。
この様子をグラフで簡単に表すと下図のようになる。横軸が集団の頭数で、縦軸が頭数の自然増加分(= 生まれる頭数 - 死ぬ頭数)である。この曲線のピークに対応する増加分
をMSY(最大持続生産量)といい、その状態になる頭数をMSYレベルといい、初期資源量の50%から70%程度の場合が多いようである。 さて、10000頭いたクジラの集団のMSYレベル
が7000頭であり、捕獲によって現在7000頭にまで減って、毎年410頭が生まれて200頭が死んでいるとする(数値はあくまで例えである)。この状態では余剰分は 410-200、すな
わち翌年までに210頭増える事になる。「MSYレベルが7000頭」という事は、頭数が6000頭や8000頭の場合でもさらに増加はするが、毎年の増加分は頭数が7000頭の場合の210より
は少ない、というわけである。さて、ここでこの集団から捕獲しなければ、翌年には頭数は7210頭に増えるが、もしここで210頭捕獲すると、来年までに増えているはずの頭数は
また7000になり、同じ状況がくりかえされて、410頭生まれて200頭自然死し、翌年また210頭捕獲すれば総頭数は7000という状況が再現される事になる。総頭数が7000頭以外の場
合には、毎年の増加分はこの210頭より少ないので、従って、このレベルで捕獲を続けていくのが、もっとも効率よく安定した生産を続ける事ができるわけである。また、捕獲量
を210頭より少なく設定すれば、捕獲を続けていながら頭数も当初の10000頭に向けて徐々に増えていく。 以上が1931年にイギリスのラッセルによって提唱され、その後の漁業資
源管理に大きく影響を与えたMSY理論の考え方の概要である。無論、実際の捕獲においては捕獲するクジラの雄と雌の比率や年齢なども考慮に入れるなど複雑な要素が入ってくる
し、現実の自然界では、捕獲を開始する前だからといって資源量が安定しているとは限らないのだが、基本的な考え方は以上のようなものである。
344: 2009/01/06(火) 15:34:15 ID:2JkU9N5I(43/119)調 AAS
余談だが、IWCの歴史においてこのような考え方を鯨種ごとに当てはめて捕獲枠を設定したのは1970年代半ばからであり、また南氷洋のシロナガスクジラでは、このMSY理論が出るのとほぼ同じ(すなわち、まだ普及していない)1930/31シーズンに年間3万頭弱の捕獲が
行われてピークを迎えている。ちなみに当時の南氷洋捕鯨はノルウェーとイギリスがメインであり、日本が参加するのは遅れて1934/35シーズンからであった。よく反捕鯨団体の主張を見ると、商業捕鯨を再開させたら今世紀始めのような乱獲状態に逆戻りする、という
類の文を見かけるが、誇大妄想の感が強く、また捕鯨の資源管理の歴史に疎い一般市民をターゲットにしたプロパガンダと言っても良いと思う。さて、実際の例で見ると、例えば、コククジラ(Gray whales)の北東太平洋系統群は、初期資源は30000頭程度と考えられ
ているが、19世紀半ばからの過剰な捕獲によって20世紀初頭までには2000頭程度までに減ったと考えられている。その後資源は保護されたが1960年代終りから1980年代終りまで、回遊ルートの西側にあたるロシア沿岸で原住民のために年平均174頭捕獲されても、年3%
以上の増加を続け、その後も年間100数十頭の捕獲を続けながら1996年にはMSYレベルより若干高いレベルにあたる24000頭程度まで回復している。 MSYの推定値は670頭で、これは現在の頭数の3%程度に当たり、一方、原住民に許可された捕獲頭数は年平均で140頭程度に
すぎないから、今後も増えていく事が期待できる。また、ホッキョククジラ(Bowhead whales)も同様で、初期資源量が10000から20000頭程度と推定されるべーリング海系統群は過剰な捕獲によって激減し、1980年頃には3000頭程度だったが、その後、原住民生存捕鯨
で年間40頭程度の捕獲を続けながら、現在では8000頭以上にまで増えてきている。最近の研究では、資源量はMSYレベル近くまで回復してきており、年間100頭以上捕獲しても、なお増加し続けると考えられている(IWC 1998)。さて、商業捕鯨の最後の頃に日本が南氷洋
で捕っていたミンククジラの場合、状況はどうであろうか?
345: 2009/01/06(火) 15:37:01 ID:2JkU9N5I(44/119)調 AAS
まず、上の議論はそのまま単純に適用できない。これはどういう事かというと、南氷洋のミンククジラの初期資源量は、今現在の推定資源量の76万頭をはるかに下回るせいぜい20万頭程度というのが大方の科学者の見方で(日本が本格的捕獲を始める直前の1971年当時、
IWC科学委員会による推定資源量は15万頭から20万頭で推定MSYは5000程度であった。ただ、この時点ではIDCR調査航海は始まっていない)、つまりシロナガスクジラなどのようにオキアミというエサをめぐって競合する他の大型種が捕獲で激減しために、エサをめぐる環
境が好転してしまい、商業捕獲を開始する前にすでに数が当初より増えていたと考えられるからである(これは、今世紀前半からのミンククジラの妊娠率の増加や性成熟年齢の低下、成長曲線の経年変化などから考えられる)。南氷洋でのシロナガスクジラなども含めた
捕鯨が始まる前のミンククジラ資源量を基準に考えるべきか、それともミンククジラの本格的な捕獲が始まった1970年頃の資源量を「初期資源量」と見なすべきかは、素人の私には判らない。実際IWCでも新管理方式(NMP)という方法で捕獲枠を設定していた1970年代半
ば以降では、1970頃のミンククジラ資源量は初期資源量と見なせないとして、毎年の増加量(Replaceent Yield - RY)をもとに捕獲枠を決めていた。商業捕鯨が一時停止してから10年以上経つが、今仮に、「今現在の頭数を減らさない」事を指針にしたとすると、調査に
よって判っている年間5%前後という増加率と76万頭という90年代初頭の推定量から考えても、万単位の捕獲枠が出てくる。ただ、現在IWCで採用されている改訂管理方式(RMP)は「超」慎重に控え目な数字を出すように設計されているので2000頭程度の捕獲枠しか出てこ
ない。ミンククジラだけの事を考えているなら、これはこれでけっこうだが、シロナガスクジラを早く回復させたい野心家(?)には、生態系のバランスを更にミンククジラ有利に傾けかねない危ない数字に映るかもしれない。このように、10000トンの埋蔵量がある鉱脈
から毎年100トン採掘すれば100年で枯渇するのと違い、生物資源の場合には上手に利用すれば持続的に利用し続ける事が可能なわけである。MSYの説明もしたので、ここでIWCによる捕獲枠設定の歴史を見てみる。BWU(Blue Whale Unit − シロナガス換算方式)
346: 2009/01/06(火) 15:41:21 ID:2JkU9N5I(45/119)調 AAS
第2時大戦後にIWCが設立されて後、南氷洋などにおける捕獲枠の設定はBWUによって行われていた(BWU自身は戦前から用いられていた)。これは、ナガスクジラ(Fin Whales)は2頭、ザトウクジラ(Humpback Whales)は2.5頭、イワシクジラ
(Sei Whales)は6頭を、それぞれシロナガククジラ1頭の捕獲に等しいとするもので、鯨油の生産が目的であった西欧諸国が生産調整のために導入した方式である(戦前の換算ではイワシクジラは5頭であった)。例えば、捕獲枠が1500BWUの
場合、シロナガスクジラだけを捕った場合には1500頭の捕獲ができ、ナガスクジラだけを捕れば3000頭捕獲でき、あるいはシロナガスクジラを1000頭にナガスクジラを1000頭捕る事も可能である。、このように、鯨の種類ごとに捕獲枠を設定
するわけではないので、競って効率の良い大きい鯨種が狙われる事となり、大きい鯨種から順次資源状態が悪くなる事態を招いた。科学委員会ではすでに60年代から、南氷洋で鯨種別の捕獲枠を設定するように主張していたが、本会議レベルで
廃止が決まったのは70年代に入ってからで、1972/73シーズンからは捕獲枠が鯨種別に設定されるようになった(北太平洋では1960年代終りから鯨種別に捕獲枠が設定されていた)。
NMP(New Management Procedure − 新管理方式)1974年のオーストラリアの提案に基づいて、同年12月に科学委員会で細部が検討され、翌75年の会議で正式に採択されてさっそく適用されたもので、MSY理論の一種であるペラ・トムリンソン
(Pella-Tomlinson)モデルに基づいている。これによって、鯨の資源状態は以下の3種類に分類された。
初期管理資源(Initial Management Stocks)資源量がMSYレベルを基準にしてそれより20%以上のあるもの。捕獲限度はMSYの90%とする。
維持管理資源(Sustained Management Stocks)資源量がMSYレベルを基準に、マイナス10%からプラス20%の範囲にあるもの。捕獲限度は、ゼロからMSYの90%まで資源量に応じて決める。
保護資源(Protection Stocks)資源量がMSYレベルを基準に、それより10%以下のもの。捕獲限度はゼロ。 なお、MSYレベルは初期資源の60%に設定されたので、実質上の分類としては、初期管理資源は資源量が捕獲開始前の72%(72=60+20x0.6)
347: 2009/01/06(火) 15:46:00 ID:2JkU9N5I(46/119)調 AAS
初期管理資源の捕獲限度をMSYの90%としたのは、資源量など各種の推定値に伴う誤差を考慮に入れた安全措置だったようである。さて、このNMPでは初期資源量、現在の資源量、MSYの3つが判っていないと捕獲枠を設定できないが、これらを精度良く推定するのは難しい。
何がなんでも捕鯨を禁止したい勢力からすれば、初期資源量を大きめに推定したり、現在の資源量を少なく推定すれば、対象の鯨種を保護資源に分類させて捕獲をストップさせる事も可能となる。例えば、以前ミンククジラの資源量で取り上げた、反捕鯨派の科学者シド
ニー・ホルト(Sidney J. Holt)によるあまりにも低い資源量の推定値(1978年に2万頭説を唱えた)なども、こういう政治的意図に基づいている疑いが強いし、反捕鯨派科学者が少ない資源推定量を出すためにインチキ計算をした例もいくつか指摘されている。また、
使用した理論的モデルも鯨に適用して妥当だという裏付けがあった訳でなく、捕鯨側、反捕鯨側の間で使用するパラメーターの値をめぐって論争が続いた。 RMP(Revised Management Procedure − 改訂管理方式)NMPをめぐる上記のような背景から、1986年に、このよ
うな欠陥を改善して少ない知識で捕獲枠を算定できる新しい方式を開発する事が決められ、翌1987年にはNMPにとって替わる新しい方式の目標として以下の3つが採用されている。 捕獲限度枠が年によって大きく変動しない(捕鯨業のスムーズな進行のため)。
資源量がある一定の危険なレベル以下に枯渇しない。なるべく高い持続的な捕獲限度を与える。このような状況のもと、様々な科学者によって、NMPにとって替わる新しい管理方式が提案されたが、提案者の名前をとって以下のように呼ばれる。
de la Mareの方式(dlM Procedure) Cookeの方式(C Procedure)PuntとButterworthの方式(PB Procedure) SakuramotoとTanakaの方式(ST Procedure)MagnussonとStefanssonの方式(MS Procedure)最初の3つはNMPで用いられたのと同じMSY理論のモデルを用いる
ので、モデル依存型とよばれ、後の2つはそのようなモデルを仮定しないので、モデル独立型と呼ばれる。
348: 2009/01/06(火) 15:48:29 ID:2JkU9N5I(47/119)調 AAS
ただし、科学委員会と違ってIWC本会議は政治的動機が強く入って来る
場であり、「何が何でも捕鯨を再開させたくない」勢力が幅を利かせていたから、正式に本会議で採択されたのは1994年である。専門家が長年苦心して開発してきたRMPが本会議で採用されないのに抗議して、1993年の会議後に当時の科学委員会の議長であったフィリップ・ハ
モンド(Phillip Hammond)は辞任しているが、一方、この年のアメリカ政府代表であったマイケル・ティルマン(Michael Tillmann)は、RMP採択を阻止したとして翌年に反捕鯨団体の動物福祉協会(Animal Welfare Institute)からシュヴァイツアー賞(Albert Schweitzer
Medal)を授与され「感動し心から喜んでいる」と述べている。さて、ミンククジラの資源の頑健さが既に包括的資源評価によって確認され、捕獲枠算定方式も完成されたとあっては、商業捕鯨が再開されかねないので、反捕鯨国側は1992年にRMS(Revised Management Scheme
− 改訂管理制度)という監視・取締制度が完成するまで商業捕鯨を再開しない事を提案し、多数決で採択された。国際監視員制度などはすでに70年代から適用されており、その他の操業管理上の細目などは通常の漁業交渉などでは数時間の討議で決まる類のもので、本来数年
を要する代物ではないのだが、「鯨のような大きくて美しい動物を食べる必要はない」(1991年、オーストラリア政府代表のピーター・ブリッジウォーター(Peter Bridgewater))とか「捕鯨を禁止させる科学的な理由はもうないから倫理的な理由で反対していく」(1991年、
アメリカ政府代表のジョン・クナウス(John Knauss))という、条約目的とは異なった文化帝国主義的な動機で政策を決めている国が多数いるのがIWCの現状であるから、反捕鯨側はRMSの審議を遅らせる戦略によって商業捕鯨の再開を阻もうとしている。さらに南氷洋を鯨の
サンクチュアリー(聖域)にする事によって捕鯨再開を阻む事を企て、サンクチュアリーの設定には科学的認定に基づく、というIWCの条約第5条第2項を無視して科学委員会の勧告もないまま強引に多数決でもって1994年に成立させている。
349: 2009/01/06(火) 15:54:12 ID:2JkU9N5I(48/119)調 AAS
さて、ミンククジラの資源の頑健さが既に包括的資源評価によって確認され、捕獲枠算定方式も完成されたとあっては、商業捕鯨が再開されかねないので、反捕鯨国側は1992年にRMS(Revised Management Scheme − 改訂管理制度)という監視・取締制度が完成するまで商業捕鯨
を再開しない事を提案し、多数決で採択された。国際監視員制度などはすでに70年代から適用されており、その他の操業管理上の細目などは通常の漁業交渉などでは数時間の討議で決まる類のもので、本来数年を要する代物ではないのだが、「鯨のような大きくて美しい動物を食
べる必要はない」(1991年、オーストラリア政府代表のピーター・ブリッジウォーター(Peter Bridgewater))とか「捕鯨を禁止させる科学的な理由はもうないから倫理的な理由で反対していく」(1991年、アメリカ政府代表のジョン・クナウス(John Knauss))という、条約
目的とは異なった文化帝国主義的な動機で政策を決めている国が多数いるのがIWCの現状であるから、反捕鯨側はRMSの審議を遅らせる戦略によって商業捕鯨の再開を阻もうとしている。さらに南氷洋を鯨のサンクチュアリー(聖域)にする事によって捕鯨再開を阻む事を企て、サ
ンクチュアリーの設定には科学的認定に基づく、というIWCの条約第5条第2項を無視して科学委員会の勧告もないまま強引に多数決でもって1994年に成立させている。なお、RMPの明細はNMPに比べて複雑なので、詳細は専門家による解説などにまかせるが(例えば、自身も新しい
方式を提唱した田中昌一博士による解説 − 1 、 2 )、簡単に言えば捕獲データに加えて5年に一度義務付けられる資源推定調査の結果をフィードバックさせて、徐々に理想的な捕獲枠に近づけていこうとするもの、ということになるだろうか。また、系統群についての知識の誤
りなどが悪影響を与えないように、様々な安全措置が施されている。実際、RMPが与える捕獲限度が非常に控え目であるため、同種の手法が他の漁業にも適用されるとほとんどの漁業が商業的に成り立たなくなるという事が、1995年4月にIWCの事務局長を呼んで行われたEUの特別公
聴会における質疑で話題になっている。無論「100%安全」であるなどと保証はできないが、そのような事を求めるのは例えて言えば「交通事故がこの世からなくなるまで子供が外出するのを禁止しましょう」というのと同レベルの発想である。「100%安全とは保証できない」のは
350: 2009/01/06(火) 16:04:31 ID:2JkU9N5I(49/119)調 AAS
反捕鯨国でも行われている他の漁業や狩猟における管理手法、果ては他の分野の様々な事柄でも同じであり、捕鯨に関してだけ特別に厳しい基準を要求するのは、鯨可愛さに目がくらんで上での世界中の誰にも殺させたくないという
愛好家心理の隠れ蓑としてか、あるいは今世紀中頃までの捕鯨の知識から受けた心理的トラウマ(例えていえば、一度水に溺れた人間が水泳を拒否し続けるような)や、捕鯨に関して嘘と誇張を交えたプロパガンダ情報だけに接して
きて自分で各種文献を当たった事がない事からくる思い込み、あるいは捕鯨だけにスポットを当てて他の人間の活動と客観的に比較した事がないというバランスに欠いた思考回路、といったものからであろう。 なお、今現在のRMPの
対象はヒゲ鯨類であり、雄が複数の雌とハーレムを形成するなど特異な集団構成を持つマッコウクジラをはじめ歯鯨類は対象外である。20世紀最後のIWC総会は去る7月3日から6日まで行われた。開催地はアメリカなどよりも強硬な反
捕鯨国であるオーストラリアで、しかもロバート・ヒル(Robert Hill)環境大臣の選挙区内のアデレード市であった。ヒル環境大臣といえば1997年9月に、全世界の海で永久的に捕鯨を禁止するグローバル・ホエール・サンクチュア
リー構想を明らかにした事で知られ、今回の南太平洋サンクチュアリー案はその第一歩とも見られる。部外者としては会議のなりゆきが気になったが、捕鯨の当事国である日本では全国紙での取り上げは簡単で、あまり詳細は伝わっ
てこない。各種投票結果などは、例えば農水省のプレスリリースページにある 結果の概要 にあり、表に現れる投票結果などでは従来から目立った進展はなかったが、ネット上での海外のニュースで注意をひいた点をいくつか書き留
めておく。 − ワシントン条約事務局長からIWCへの手紙 −今年は4月に、ワシントン条約(CITES)の締約国会議が開かれ、日本とノルウェーが提案していたミンククジラのダウンリスティング案は否決された。これまでのIWCに
よる公式の資源評価からみると、ミンククジラは全世界で100万頭に迫る数が生息していると見られ、とてもではないが、現在分類されているような「絶滅に瀕している種」ではない。当初はワシントン条約の事務局でも、現状は絶滅
に瀕した種と認定するための科学的基準に合わないとして、
351: 2009/01/06(火) 16:06:11 ID:2JkU9N5I(50/119)調 AAS
提案どおりミンククジラを付属書Iから付属書IIへ移す事を勧告していたが、反捕鯨勢力の圧力を受けたのか撤回し、事務局のお墨付きを失った格好になった提案は浮動票を集めきれず否決された。ただ、商業捕鯨のモラトリアム後の資
改訂管理制度を完成させるよう、催促の手紙を書いたのだが、その文面は反捕鯨国などの反発もあって、マスコミなどには非公開となった。ただ、中立系の国が、IWCの現状がその国際的信用を落とす事を恐れ、2001年2月までに改訂管理
制度の完成に向けた会合を開く事などを提案して合意された。
− ドミニカ騒動 −カリブ海には中部に「ドミニカ共和国」(Dominican Republic)という比較的大きな島国と、東部に「ドミニカ国」(Commonwealth of Dominica、あるいは単にDominica)という奄美大島より少し大きくて人口が7
万人程度の島国があるが、後者はIWCの加盟国であり、そこを舞台にひと騒動があった。以下、現地紙の「The Chronicle」をはじめ、この騒動を報じた複数の記事やネット上の情報、IWCの資料などからまとめてみる。
ドミニカでは今年1月の総選挙を受けて、連立内閣が誕生したが、自身は出馬しなかったものの通商産業協会の推薦を受けて農業・環境・企画大臣に就任していたAtherton Martin氏は、ドミニカがIWC総会でオーストラリアなどが提案し
た南太平洋のサンクチュアリー(聖域)案に反対票を投じたのに抗議して、「これは海外援助にからんで日本が圧力をかけたためだ」として、抗議のために辞任すると本国での記者会見で発表した。会見の席でMartin大臣は「内閣はIWC
におけるすべての投票で棄権する事を決めていた」と主張し、また彼自身がRoosevelt Douglas首相に対して、IWCへのドミニカ政府代表であるLloyd Pascal氏を召還するよう要請していたが、却下されたとも述べた。ドミニカではホエ
ール・ウォッチングが比較的盛んであり、Martin大臣はこれら観光産業の利益も主張している。
352: 2009/01/06(火) 16:08:48 ID:2JkU9N5I(51/119)調 AAS
大臣に就任するまでMartin氏はドミニカの反捕鯨団体であるドミニカ自然保護協会(Dominica Conservation Association - DCA)の会長だったが、後述する外国NGOとの関係を考慮してか、捕鯨問題に関する管轄はIWC開催前に外務省へと移管されていた。
Martin大臣の言い分に対し、Douglas首相は「代表団に対しては、現地で得られるすべての情報をもとに独自の裁量で投票するように指示してあった」と反論、「オーストラリアなどのサンクチュアリー案は(条約第5条で規定されているような)科学的
裏付けが得られていなかった」とも指摘し、7月10日にMartin大臣の辞任は受理された。 Douglas首相と同じドミニカ労働党に属するPascalコミッショナーも「Martin氏は海外の反捕鯨団体の影響下にある人物だ」とコメントし、またサンクチュアリーにつ
いてはIWCの長年の懸案である改定管理制度(RMS)が完成しても豊富な鯨種の捕獲を不可能にするもので、原則にそぐわないとの認識を示した。Martin氏の政治キャンペーンが、反捕鯨団体である国際動物福祉基金(International Fund for Animal Welfa
re - IFAW)のテレビ広告を活用して行われていた事から、DCAはIFAWの傀儡であると見る現地筋もあり、金銭関係も指摘されている。連立内閣においてMartin氏は自身の諸政策に対する他の閣僚の支持をとりつけるのに失敗してきていたという。 DCAは反捕
鯨団体としては日本ではなじみが薄いが、IWC総会には1995年から参加している。 1998年のIWC総会においては、IWCと同じ略称を持つ国際野生連合(International Wildlife Coalition)というNGOと共に、「日本はカリブ海諸国への経済援助と引き替えにI
WCでの支持を受けている」という今回同様の主張をはじめ脅迫めいた言説を含む開会声明を発表して日本とカリブ海諸国の猛反発を買い、結局IWC議長の働きかけにより国際野生連合の声明はIWCのドキュメントから削除されるという騒動があった。
東部カリブ海諸国(Antigua & Barbuda、St. Lucia、St. Vincent & Grenadines、St. Kitts & Nevis、Grenada、Dominica)は1970年代終りまでの植民地時代のバナナ・プランテーション的経済状態、すなわちバナナの輸出や観光で得た金で外国から安い肉
を買うといった状態から脱却して周囲の豊富な漁業資源を自分達で活用するために漁の加工や保存などで日本の技術援助を受けている。
353: 2009/01/06(火) 16:13:18 ID:2JkU9N5I(52/119)調 AAS
ドミニカについて言えば、従来のバナナ農業はハリケーンなどの気候の影響のために収穫が不安定であり、砂浜が少なく入り組んだ海岸線と国際空港の不在から観光産業の発展も難航していて、政府は海の利用に活路を求める政策を推し進めている。東部カリブ海諸国の多くは当初、
独立して間もない頃に欧米の反捕鯨団体の資金援助のもとにIWCに加盟したと言われ、事実、モラトリアム採択時には外国人の反捕鯨活動家が政府代表として投票していた国すらあった事は以前ふれた。その後は「科学的根拠に基づいて利用可能な海洋資源は合理的・持続的に利用す
る」という、考えてみればごく当たり前の立場に変わり、条約の範囲外である倫理的理由をかざして捕鯨に反対する欧米諸国とは一線を画していて、小国ながら雄弁な様子はIWCの議長報告書からもうかがえる。日本からの海外援助に関した反捕鯨NGOの宣伝に対しても「我々は日本
よりもEUからより多くの援助を受けているが、もし我々がEU諸国と同じ投票をしたら、カリブ海諸国はEUに買収されていると言うのですか?」と反論している。
なお、Martin大臣は会見で「今回の投票によってドミニカの観光産業は大打撃を受けるであろう」と述べていたが、IWCにおいて条約の規定を満たさない提案に反対票を投じた事が観光客の心理に重大な影響を与えると考えるのは誇大妄想というものではないだろうか。
21世紀最初のIWC総会は去る7月23日から27日までロンドンで開催された。近年共通の主要議題については、例年と大差ない議論が展開され、概要は 本家IWCのプレスリリース や 水産庁のプレスリリース を見ていただきたい。
− アイスランドの加盟問題 −
今年の諸議題のうち、過去に例を見ない揉め方をしたのがアイスランドの再加盟問題であったので、以下、この点をまとめてみる。 アイスランドは、北大西洋にポッカリと浮かぶ島国で、デンマーク領グリーンランド、イギリス、ノルウェーの間に位置する。面積は10万3000平方
キロで人口は28万弱(1999年)である、といってもピンとこないであろうから、少しわかりやすく書くと、北海道より2割ほど広い島国に、函館市と同程度の人口が住んでいることになる。日本同様の火山国で、氷河、火山、オーロラなどが観光客を引き寄せる源となっている。
354: 2009/01/06(火) 16:16:14 ID:2JkU9N5I(53/119)調 AAS
農耕には向かない地理的環境で漁業が盛んであり、輸出の7割を依存している。漁業政策上の理由により、EUには未加盟である。 IWCには設立当初から加盟しており、自国の近海でナガスクジラ、イワシクジラ、ミンククジラ、マッコウクジラなどを捕獲していた。
1982年にIWCでモラトリアムが採択された後、捕鯨国であった日本、ノルウェーは条約に定められた意義申し立てをした。 IWCの科学委員会が、ミンククジラなど資源量が豊富な鯨種がいる以上、全ての鯨種の捕獲を禁止する包括的モラトリウムに科学的根拠なしとする中で、
鯨を特別視する風潮にすっかり染まった大多数の加盟国が、条約第5条の「科学的認定」を無視してモラトリアムを可決した状況は、とうてい受け入れ難かったのである。日本は当時、アメリカには弱いことで定評があった中曽根総理の政権下であり、アメリカの水域内での
日本漁船への漁獲割り当てへの削減で脅されて、モラトリアムへの異議申し立てを撤回してしまう。やがて、異議申し立ての撤回によって守りぬいたと思った、アメリカの水域での漁獲割り当ても、先方からの一方的通告で失い、禍根を残す結果となった。
ノルウェーは、異議申し立てをしたまま、商業捕鯨は自主的に停止していたが、1990年代に入って再開し、今日に至っている。さて、捕鯨国であるアイスランドはモラトリアムへの異議申し立てはしなかった。モラトリアムの条文には「遅くとも1990年までに鯨資源の包括的
評価を行なって見直す」とあったので、見直しに備えて調査捕鯨でデータを集める路線を最初から選択した(1986年からの4年間の調査で捕獲した合計は、ナガスクジラが292頭、イワシクジラが70頭)。調査捕鯨に際しては、反捕鯨団体のシーシェパードに研究施設を破壊さ
れたり捕鯨船を沈められるという被害にも会っている。科学的に鯨資源の状況を示せば、モラトリアムは解除されると見込んでいたようだが、1990年にはIWCの科学委員会が鯨資源の包括的評価をしてもモラトリアムが解除されない中、1991年に自国で開催されたIWCの会議の
場で 脱退を表明 する。IWCから脱退すればもはやモラトリアムに拘束されることなく捕鯨はできるのだが、捕鯨再開の意思を国会決議で示すことはあっても、実際に行なうことはなかった。ただ、1992年に結成されたNAMMCO(North Atlantic Marine Mammal Commission、北大
西洋海産哺乳類委員会)には加盟している。
355: 2009/01/06(火) 16:23:15 ID:2JkU9N5I(54/119)調 AAS
IWC脱退後は、様々な国から再加盟するように要請されたが、そのような中、今年6月についに加盟の手続きをした。ただし、「モラトリアムには異議申し立てをする」という条件付きであった。これは、再加盟した後も、モラトリアムに束縛されることなく、ノルウェーのように
商業捕鯨を再開できることを意味する。過去にも、こういう「条件付き加盟」の例はあった。例えば、ペルーやチリが1979年に加盟した際、自国の200カイリ以内の水域では国際捕鯨取締条約の制約は受けない旨の注釈付きであった。エクアドルも同様の条件付きで加盟している。
IWCの国際捕鯨取締条約の条文には加盟については、「この条約に署名しなかった政府は、この条約が効力を生じた後、アメリカ合衆国政府に対する通告書によってこの条約に加入することができる。」(条約第10条2項)とあるだけで、IWCの既存の措置について意義を申し立て
たままでの加盟の可否については全く既定がない。そこで、国際条約や協定について定めた「ウィーン条約法条約(Vienna Convention on the Law of Treaties)」に照らし合わせると、「異議申し立てをした状態での加盟をIWCの国際捕鯨取締条約が禁止していない以上、国際法
的に問題なし」となる。個々の加盟国が、アイスランドとの2国間レベルで異議を唱えるのは勝手だが、条約機関であるIWCが組織として加盟を拒否できる問題ではないのである。 むろん、反捕鯨国にとっては異議申し立てをしたまま加盟されて捕鯨を再開される事態は容認できる
はずはないから、さっそく会議初日に「異議申し立て状態での加盟は認めない」という動議を出した。これに対し捕鯨国側が、国際法的にIWCはこの問題を扱う権限がないと反対したが、賛成19、反対18、棄権1で、この問題を扱うことが認められた。さらに「アイスランドを
投票権のないオブザーバーとする」動議が、賛成18、反対16、棄権3で採択された。「棄権3」は、「この件で投票すること自体が国際法的に根拠なし」という立場を表明していた、スイス、フランス、オーストリアである。 この結果に反対する捕鯨国側は、以後すべての議
案の投票において、アイスランドの票をカウントした分を正当なものと見なす旨のコメントを付け加えるという、前代未聞の会議となったのであった。2002年のIWC年次会議は、
356: 2009/01/06(火) 16:27:50 ID:2JkU9N5I(55/119)調 AAS
1993年の京都以来9年ぶりに日本での開催であり、捕鯨基地としての役割を果たしてきた山口県の下関市での開催であった。会議前に6カ国が新規加盟したため、今年の会議で懸案になると思われた日本の北西太平洋の調査捕鯨における捕獲鯨種の拡大に対する
反対決議案などでの採択に影響が出るかどうかが、例年と違う点だろうと予想していたが、原住民生存捕鯨をめぐる思わぬ展開に会議が振り回され、議題を全部消化することなく時間切れで閉幕という前代未聞の終わり方をした。ここで、IWCの原住民生存捕鯨
について簡単に記しておく。対象となっているのは、デンマーク領グリーンランドの原住民(ナガス鯨とミンク鯨)、ロシアのシベリア東部のチュコト半島のチュクチ族(コククジラとホッキョク鯨)、アラスカのエスキモー(ホッキョク鯨)、アメリカのワシ
ントン州のインディアンであるマカー族(コククジラ)、カリブ海のセント・ヴィンセントの原住民(ザトウ鯨)。捕獲枠は毎年決められるものではなく、数年に一度、「この地域のこの鯨種は、何年から何年の間に何頭」という「ブロック・クォータ」で決め
られる。地域によって、捕獲枠の更新年は違うが、今年は久しぶりに全部の原住民生存捕鯨の新捕獲枠が検討される年だった。捕獲枠は条約の附表に記載されるので、条約に沿えば本来はコンセンサスではなく4分の3の多数決で決められるべきだが、近年は投
票なしのコンセンサスで決定してきた。さて、日本は鮎川など捕鯨の伝統が文化に深く根付いた地域に対しても、原住民生存捕鯨と同等な特殊な扱いが認められるべきだと主張してきたし、これを裏付ける内外の文化人類学者の研究も数多くあるが、50頭のミ
ンク鯨をこれら捕鯨に縁のある地域に対する救済枠として認めるように求めた提案は過去十数年、反捕鯨勢力によって日の目を見なかった。そこで今年は、資源量が9000頭程度で毎年50頭前後捕られてきているホッキョク鯨の分について、多数決で決める
ことを日本が主張し、投票の結果、ホッキョク鯨の原住民生存捕鯨枠の案は拒否された。この背景には、商業捕鯨のための捕獲枠算定方式であるRMP(改定管理方式)を適用するならばホッキョク鯨の資源量は30年間は捕獲禁止措置になるほどの低さなのに対
し、
357: 2009/01/06(火) 16:31:08 ID:2JkU9N5I(56/119)調 AAS
原住民生存捕鯨のための捕獲枠算定方式であるSLA (命中枠算定法)では年間60頭の捕獲が認められるという事態に見られる「科学の2重基準」に対する日本側の反発もあったようだ。なお、ホッキョク鯨よりは資源量の多い他の鯨種の原住民生存捕鯨の捕獲枠はすべて通った。
一部の人は、現代とはかなり違った状況下での今世紀半ばまでの捕鯨を例にとって「商業=悪」のような図式で捕鯨問題を考えがちだが、IWCの違反委員会の記録を見ればわかるように、原住民生存捕鯨でも違反はけっこう報告されているのであり(この点は再開して10年ほど
になるノルウェーの商業捕鯨と対照的である)、資源量が少ない種においては原住民生存捕鯨だからといって、5年間のブロック・クォータを安直に設定する事態に疑問が起きても不思議ではないと思う。ここで、事情を知らない人は、ロシアとアラスカの原住民が飢えるので
はないかと思うだろうが(事実、反捕鯨団体は一般の知識不足につけこんで、そのような宣伝をしているが)、現実はそんな単純なものではない。まず、近年の 捕獲統計 を見ればわかるが、ロシアのチュクチ族は今回捕獲が認められたコククジラを年平均100頭以上捕って
いるのに対し、ホッキョク鯨は1頭そこそこであった(捕獲枠としては年平均5頭まで捕れたが)。彼らはIWCの管轄外である小型鯨類も捕獲しており、ホッキョク鯨が捕れなくなったからといって餓死することは考えられない。ただし、彼らの文化においてはコククジラを捕る
よりはホッキョク鯨を捕る方が重要らしい。一方、アラスカの町バーロウでホッキョク鯨を捕っているエスキモーはどうであろうか?以下は現地を訪れた方の描写である。
もし貴方が豊かであれば、民族はその食生活を転換出来ると安易に考えているのならば、私は北米大陸の北端にあるアラスカ州のバーロウの町を訪れることをお勧めしたい。バーロウでは、世界でも最も枯渇の水準が心配されている鯨種である北極セミ鯨(英語で Bowheadと呼
ぶ)を住民が捕獲することをIWCが許可しており、それは、これらの住民が豊かでないからではない。いや、むしろ豊かであるからこそ、捕鯨が催事として許可されているのである。町の公共施設は完備し、住民の多くはセントラルヒーティングのある広い住宅に住む。町のスー
パーマーケットには、牛肉から日本の白菜まで、あらゆる食品が揃っている。
358: 2009/01/06(火) 16:34:49 ID:2JkU9N5I(57/119)調 AAS
ビデオショップには、最新のハリウッド映画のビデオが揃っており、明け方まで、暴走族めいたスノーモービルやバギーカーの騒音でゆっくりと眠る時間もない。若者達は、私の訪問した9月の末の長い日照時間をフルにエンジョイしていた。バーロウで捕鯨のキャプテンの
地位を保持するのは、単に人望があるだけではなく、資産が必要であると私は何度も聞かされた。なぜならば、ここの捕鯨は原住民/生存捕鯨としてIWCが認定しており、その為には、金銀による鯨肉の取り引きが出来ないからである。捕鯨を続ける為には、近代化されたモー
ターボート(秋に氷が接岸していない時期に行う捕鯨には、非伝統的なモーターボートが必需品である)をはじめとし、ガソリン代、気象状況モニターの為に欠かす事の出来ないコンピュターや、高性能の無線機、モリ撃ちの銃、一隻に五人は要するクルーの日当、(時には、
一ケ月もの日数がかかる)など莫大な経費が必要であるからである。町は石油や天然ガスなどの資源開発に伴って、財政が豊かであり、財テクの専門家も郡役所に配置されている。 この豊かさをもって、住民は、米国本土から野性生物研究の科学者を雇用し、ワシントンには
弁護士を置き、連邦政府の内務省に人権問題であると訴え、その結果枯渇した北極セミ鯨の捕獲をIWCに認めさせたのである。 IWCの科学小委員会は、今でも、この北極セミ鯨の系統群が十分な資源状態にあるという意見はもってはいない。バーロウの町の統計には、鯨肉は住
民の 蛋白源のわずか8%程度であり、主食としての役割を果たしてはいないことが判る。・・・三崎滋子「ゲームの名は捕鯨問題 」、1994年、より」
もし、彼らが本当にホッキョク鯨の捕獲なしで窮状に陥るのなら、他国の人権事情に口出しするのが大好きなアメリカ政府のことだから、国際捕鯨取締条約に従って「異議申し立て」をした上で自国民に捕獲させるなどわけないことであり、ロシアとアラスカにおいて、今回の
騒動の果てにひもじい思いをする原住民は一人も出ないことは断言して良いだろう。 特別会合 この、ホッキョク鯨の捕獲枠設定の否決という事態を受けて、10月14日からイギリスのケンブリッジで特別会議が開催され、再度討議された。その結果、IWC科学委員会による
ホッキョク鯨の資源量評価の結果によっては捕獲量を修正するという条件のもとで、投票にかけずに合意のもとに捕獲枠は承認された。
359: 2009/01/06(火) 16:39:15 ID:2JkU9N5I(58/119)調 AAS
捕獲枠は、「2003年から2007までの5年間で280頭以内(年平均にして、アメリカが51頭、ロシアは5頭)、ただし、ある1年における捕獲は67頭を超えてはいけない」という、従来の数字と同じである。また、この特別会議において、アイスランドが商業捕鯨モラト
リアムへの異議申し立てをした状態で加盟する件も再度討議され、19対18の一票差で正式加盟が認められた。アイスランド政府は2006年までは捕鯨を再開しない旨言明しており、また、再開する際にはIWCが認める捕獲枠に従ってミンククジラ、ナガスクジラ、イワシ
クジラを捕ることになるだろうという。更に、日本が過去十数年求めながらも否決され続けてきた、伝統的な沿岸捕鯨地域での50頭のミンククジラの捕獲要求は投票にかけられたものの16対19(棄権2)で否決されたが、ホッキョク鯨の件が無事一件落着したアメ
リカとロシアは賛成票だった。特に過去と打って変わったアメリカの賛成票は目を引く。
捕鯨問題とは関係のない話題だが、今世紀半ばに活躍したオランダの著名な鯨類学者 E.J. シュライパー (E.J. Slijper)博士の著書「鯨」に以下のような記述がある
"イルカは昔からたまたま海岸に近づいたところを捕らえられた(図 15)。散発的に獲られたこともあり、あるいは規則的にしかも1つの産業といっていいほど多数獲られたこともある。たとえば、11世紀にノルマンディーの海岸で盛んに獲られ、1098年には法律による捕
獲制限が行なわれたくらいである。イルカの油はとも燈火用に使われ、肉は人間の食糧となった。イルカの肉は当時大変美味なものと考えられ、1426年の年代記によれば、英国のヘンリー6世はこれをとても好んだという。かれの後継者であるヘンリー7世の戴冠式の正餐
にもイルカの肉はいろいろに調理して、メインコースあるいはパイとして供せられたという。伝統的な国民ではあるが、イギリス人は今日ではイルカの肉を食べない。ただし宮廷では17世紀の終り頃までイルカの肉を食べる習慣があった。(細川宏・神谷敏郎訳、東京大
出版会、1984、42頁)日頃から、日本におけるイルカ肉の扱われ方に違和感があったので、中世からルネサンス期のヨーロッパにおけるイルカ料理について少し調べてみた。
360: 2009/01/06(火) 17:11:51 ID:2JkU9N5I(59/119)調 AAS
まず、上のヘンリー6世についての記述は若干疑問が残る。というのは、彼の生年は1421年であり、父のヘンリー5世が若くして死んだために生後9ヶ月で即位したものの、「年代記」の書かれた1426年には5歳前後で、いくら王とはいえ、子供の食事上の好みに
年代記が言及するだろうかという気はする。年代記の執筆年が誤りか、あるいは父のヘンリー5世の誤りである可能性はあると思う。なお、時代で言えば、ヘンリー6世はフランスとの間の百年戦争末期から、王室の後継争いのバラ戦争初期の王であり、代表的
なパブリック・スクールであるイートン校(Eton College)やケンブリッジ大学のキングス・カレッジ(King's College)は彼が創立した。また些細な事だが、上の引用部でヘンリー7世がヘンリー6世の「後継者」となっているが、実際には赤バラを紋章とす
るランカスター家のヘンリー6世の後は、白バラを紋章とするヨーク家のエドワード4世、エドワード5世、リチャード3世が即位し、バラ戦争の勝利者ヘンリー7世は、新たなテューダー朝の創始者であって、直接の後継者ではない点を注意しておく。
さて、当時のヨーロッパではキリスト教の力は強大であり、復活祭の前の40日間にわたる四旬節(Lent)や断食日(fast day)といった、肉食禁止の日が設けられていた。ただし、昔の日本と同様、イルカや鯨は魚類と見なされて、これらの日にも食べる事は
認められていた。例えば、ヘンリー6世の父であるヘンリー5世はフランスから迎えた妻キャサリンの王妃としての戴冠式を1421年の2月に行なっているが、この時期は四旬節の最中であったので、式典で供された食事は、30種類以上に及ぶシーフードが主であり
、イルカも含まれていた。イルカが哺乳類である事は、すでに古代ギリシャのアリストテレスが見抜いていたはずだが、こういう哲学とは無縁の業績は中世までには忘れ去られていたのだろうか。なお、食感が魚類よりは陸上の動物の肉に近いという点は鯨類
の肉が当時好まれた理由の1つのようである。 14世紀のミラノの医者 Maino de' Maineriが著した本で海産種で良いものとして挙げられているのはイルカ類、サメ、タラなどで、ヒメジ、ホウボウ、ツノガレイ、シタビラメなどがそれに続くという。
361: 2009/01/06(火) 17:12:37 ID:2JkU9N5I(60/119)調 AAS
ところで、英語ではイルカ類のうち、口がとがったものをドルフィン(dolphin)、そうでないものをポーパス(porpoise)というが、当時の料理を調べると後者の方をよく見かける。ヘンリー5世の上の儀式でもそうであり、また彼が開いた他の宴会のメニューには
「ロースト・ポーパス」(Roasted Porpoise)という料理も見られる。たぶん、イギリス南西部沿岸やノルマンディーで捕られたネズミイルカ(Harbor porpoise)ではないかと思う。なお、シイラ(dorado)という魚もdolphinと呼ばれることがあり、しかも料理さ
れるので、"dolphin"をキーワードに検索する際には要注意である。15世紀前半の家庭向けのメニューを集めた"John Russell's Boke of Nurture"にもイルカは登場するし、イングランド東部の町イプスウィッチ(Ipswich)の記録でも、魚市場でも、サケ、チョウザ
メ、ニシンなどと並んで鯨肉とイルカが並び、イルカやサケなどは一種の贅沢品として、その取引自体に料金が課せられた、とある。ロンドン市長の食卓にも鯨やイルカは並び、鯨については串に刺してローストしたり、ボイルされたものが豆と一緒に出され、舌と
尾の身が好まれた。イルカはまるごと調理されてナイフで切り分けてマスタードを付けて食べた、とある。 時代が変ってテューダー朝の時代に入っても宮廷では食べられ、ヘンリー8世やその娘であるエリザベス1世の時代にも、ごく普通に食べられていた。また、
イングランドのみならずスコットランドの宮廷でもイルカは食べられていたことが、女王メアリー・スチュアートの時代の16世紀半ばの記録にうかがえる。冒頭に引用したシュライパー博士の「宮廷では17世紀の終り頃までイルカの肉を食べる習慣があった」という
言葉からすると、スチュアート朝の末期の名誉革命に際して、国王ジェームズ2世の娘婿のオランダ総督がウィリアム3世として即位したあたりが、宮廷からイルカ料理が消えた頃、という事になるが、宮廷内の人的変化が原因というよりも、イギリス社会における畜
産の発展や、大航海時代に入って海外からもたらされる産物などによる食生活の変化によって、17世紀末に向けて徐々にすたれていったのではないかと想像する。
362: 2009/01/06(火) 17:16:42 ID:2JkU9N5I(61/119)調 AAS
なお、今日のイギリス料理の味に対する評価を考えると「イルカの肉は当時大変美味なものと考えられ」という記述に疑念をいだく人も多いであろうが、フランスのアンジュー伯がイギリスのヘンリー2世となった12世紀半ば以降、百年戦争に敗北するまでは、イングランド王は
フランスにも領地を持っていて宮廷にもフランスからの人間は大勢いたようだから、料理をめぐる文化的状況は近代国家成立後とは違ったであろうと思う。フランスでもイルカや鯨肉は中世の市場で売られてきており、著名なレストランのトゥール・ダルジャン(Tour d'Argent)
が16世紀のパリにオープンした際にもメニューにはイルカのパイ(Porpoise pie)があった。と、ここまで書いてくると、当時のイルカ料理はどのようなものだったのか知りたくなるのだが、中世やルネサンス期の料理を紹介し、そのレシピも書いてある本やホームページはいく
つかあるものの、イルカのように今日のヨーロッパ圏では食卓から消えた食材を扱ったものは、取り上げられるのが稀なようである。今回ネット上を検索していて見つかったのは、以下に挙げるイルカのプディング(Pudding of porpoise)くらいである。
イルカのプディング イルカの血と脂を取り出し、オートミールと混ぜて、塩、胡椒、ショウガで味を付け、イルカの腸(Gut)につめる。お湯に入れて、強火でゆでた後に火を弱める。お湯から取り出して、よく水分を切り、表面がパリパリになるまで火であぶり、出来上がり。
ただ、古語を直訳した文と現代文による解説を比較してみると、「腸」と訳した言葉(大文字で始まる"Gut")は内蔵を取り除いた体全体、という意味かもしれない( 外部リンク[htm]:www.godecookery.com 参照 )。つまりイルカの体全体に詰め物をした、というわ
けで、先にでてきたイルカをまるごと調理したものが、この料理かも知れない。いったいどのような味がするのか興味をかき立てられる。さて、現代の日本に話を戻すと、商業捕鯨のモラトリアム以後、鯨肉の代用品としてイルカの捕獲量が増大し、イシイルカ(Dall's porpois
e)を中心に年間2万頭ほど捕られているが、「イルカ肉」ではなく「鯨肉」のラベルを貼られて店頭に並ぶ事は珍しくない。日本では様々な食材が料理されているが、伝統的な材料においても、様々な手法によって新しい料理が創られている。
363: 2009/01/06(火) 17:22:08 ID:2JkU9N5I(62/119)調 AAS
その事をふまえて、上に挙げた、日本ではまだ試された事がないであろうイルカ料理の事を考えると、単に鯨の代用品として風味の異なるイルカを扱うのは、何かもったいないように思う。「鯨肉」とラベルを貼られ、買って食べた消費者から「昔食べた味と違うなあ」と
思われるのでは、死んだイルカも哀れではないだろうか。鯨類は、とかく伝統的な料理にスポットが当られがちで、イルカについても一部の地方に伝統料理はあるのだが、今日では、昔と比べて様々な調味料があり、様々な調理器具があるのである。ならば、積極的にそれ
らを駆使して、今日の日本で調理しうる美味しいイルカ料理とはどのようなものか、挑戦して創り上げる料理人がいても良いように思うのだが。
シロナガスクジラは海獣類(海産哺乳類)のみならず、これまで地球上に生息した動物の中では最大の体長を持ち(植物の中にはもっと大きな物はあるが)、平均して25m程度にまで成長する(亜種のピグミー・シロナガスでは20m程度)が過去に捕獲された例では30mを越
える個体もあったという。「シロナガス」と言うものの、鈴木その子のように白いわけではなく、青と灰色の中間のような色に薄い斑点状の模様が散らばっている。ヒゲクジラ亜目のナガスクジラ科に属するが、体の背中側が黒くて腹が白っぽいというナガスクジラ科の他
の種と違って、腹部の側も白くない。多くの人にとって本物を見る機会はないだろうが、東京・上野の国立科学博物館の敷地には専門家の助言のもとに作られた、実物大の模型がある。なお、肉質はピンク色で脂がのっているというが、IWCが禁漁にしたのが1960年代半ば
であるから、極めて残念ながら食べた事はない。 同じヒゲ鯨でも脂肪が豊富で太ったセミクジラなどとは違い、スマートで泳ぐ速度が速く、死ぬと短時間で沈んでしまうシロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラなどは、昔の捕鯨技術ではなかなか捕獲が難しい種
であり、本格的に捕られ始めたのは、ノルウェーのスヴェン・フォイン(Svend Foyn)が、ロープの付いた銛を高速の船に載せた捕鯨砲から撃つ方法を導入した19世紀後半以降である。 南氷洋における捕獲開始前のシロナガスクジラ資源量は20万頭程度と推定されている。
余談だが、今世紀初めに南氷洋がいかに鯨が多い海であったかという逸話を記しておこう。
364: 2009/01/06(火) 17:28:10 ID:2JkU9N5I(63/119)調 AAS
1912年に日本人として初めて南極探検を行なった白瀬中尉の記録である。
「ロス海に突入して一つの湾に船を寄せようとすると、まるで算盤の玉を並べた様に大きな丘が海中一面にある。調べてみると皆鯨だから驚いた。隊員の中には、この鯨の大群の中をどうして通り抜けることが出来るだろうかと心配した者さえあった。構わずどんどん進んでい
くと、流石に鯨も船には恐れたのか、通り路だけは開けてくれたので、やっと安心したが、一時はどうなるだろうかと少々不安に思った。これが即ち鯨湾である。」(板橋守邦著「南氷洋捕鯨史」、1987年、中公新書 842) 南氷洋のシロナガスクジラはほとんどオキアミだけを
たべるという極端な偏食である。同じ南氷洋でもミンククジラやナガスクジラなどはオキアミ以外にもカイアシ類などの他の動物プランクトンや小魚も状況に応じて食べるのとは違っている。これは、オキアミにありつけなくなると、やがて集団の繁殖にも支障をきたす事態に
なる事を暗示しているが、事実、南氷洋でシロナガスクジラが減ったためにミンククジラやカニクイアザラシなどが大量の余剰オキアミを得て増える一方、それが長年捕獲が禁止されたシロナガスの回復を阻害しているという、何人かの科学者による説と整合する。このシロナ
ガスクジラの空白を埋めるように、それまで高緯度海域ではあまり見かけなかったイワシクジラも索餌域が南下してきたといわれている。さて南氷洋における今世紀前半の 捕獲統計 を見ると、すさまじい量の鯨が捕獲されている。シロナガスクジラでいえば、1930/31漁期には
3万頭にせまる頭数が捕られ、その後も1930年代半ばには毎シーズン1万5千頭以上も捕獲されていて、現代どころか捕鯨問題が世間の注目を浴び出した1970年代初頭の資源管理でも考えられない量である。 1930年代終りに捕鯨操業を管理するための国際捕鯨協定は作られたが、
捕獲枠などは設定していなく、また間もなく第2次大戦に突入して南氷洋での捕鯨は2シーズン中断した。第2次大戦が終りかかる1944年、7ヵ国が会議を開いて捕獲枠を戦前の捕獲実績の2/3程度に当たる16000BWUに抑える取り決めを交し、1946年に新たに作られた国際捕鯨取締条
約のもとでIWCが捕鯨を管理するようになってからもこのレベルの捕獲は続くが、当時はまだ、国際的な鯨の資源調査が行なわれていない時代であり、
365: 2009/01/06(火) 17:31:49 ID:2JkU9N5I(64/119)調 AAS
また、各国の科学者が自国の操業海域のデータをもとに、シロナガスなどの資源の減少を警告しても、南氷洋全域でデータをまとめた研究がないなど、業界の利益優先の風潮を覆すには説得力が欠け、さらに捕獲枠は鯨種ごとではなく BWU制 で決められている時代であった。ま
た、例えば10万頭いる鯨の集団から仮に3000頭捕獲するにしても、この集団における年齢構成が違えば捕獲の影響は全く違うが(たとえば年寄が多くて若い鯨が少ない集団と、その逆の構成の集団では、捕獲がその後の繁殖に与える影響は異なる)、ヒゲ鯨の年齢査定法をイギリ
スのパーヴェス(P.E. Purves)が見いだしたのは1955年になってからと遅い。当時と今では鯨の資源量の解析手法やデータの質と量、鯨に対する需要、管理手法など何もかも違うのであるが、こうした昔と今の違いなど無視して、商業捕鯨を再開すると当時のような乱獲が再び
始まると宣伝しているのが内外の反捕鯨団体である。さて、表題の「3人委員会」であるが、このように、科学委員会が業界を説得しきれずに、過剰と確信される捕獲枠が設定され続ける状況を打開するために、資源統計や解析に明るい外部の科学者に委託して、各国の長年のデ
ータをまとめて解析して捕獲枠への助言を行なうために、1960年のIWC年次会議においてその設置が決められた。任命されたのはFAO(国連食糧農業機関)のホルト(Sidney J. Holt), ワシントン大学のチャップマン(Douglas G. Chapman)、ニュージーランド水産局のアレン
(Kay Radway Allen)であり、遅くとも1964年7月末までには彼らの結果に従った捕獲枠を設定する事になっていた。 1963年には任期の1年延長に伴って英国水産研究所のガランド(John A. Gulland)も加わって4人委員会になり、1964年に彼らの任期が終わった後の数年間はFAO
が資源評価の作業を引き継いだ。3人委員会の解析の結果は1963年6月の第15回年次会議に報告された。シロナガスクジラとザトウクジラは資源の回復に50年以上見込まれるためただちに捕獲を禁止するよう勧告され、またナガスクジラは年間の捕獲量を7000頭以下に減らす事が勧
告された。各国のデータを総合して当時の最先端の手法で分析した勧告がようやく出たわけである。なお、資源評価の継続やこれまでIWC内部でも検討されたBWU制の廃止も勧告されたが、後者が実現したのは70年代に入ってからである。
366: 2009/01/06(火) 17:34:08 ID:2JkU9N5I(65/119)調 AAS
さっそくザトウクジラとシロナガスクジラは1963/64シーズンから捕獲禁止になり(ただし、捕獲歴史の浅い亜種のピグミー・シロナガスは1963/64には捕獲が認められた)、総捕獲枠は前年の15,000BWUから10,000BWUへと削減された。南氷洋のシロナガスクジラはついに安息の時
を得たというわけである(なお、北大西洋のシロナガスクジラはすでに戦前から保護されており、北太平洋では1966年から保護された)。翌年の1964年の会議は4人委員会の結果に従った捕獲枠を設定する期限であった。前シーズンの捕獲量を考慮に入れて4人委員会が出した勧告
はナガスクジラは4000頭、まだ情報の少ないイワシクジラについては2400から8000の間という範囲内での低めの数字が推奨された。会議では合意がまとまらず、結局会議後に捕鯨国が自主的に8000BWUに決めて落ち着いたが、鯨種別の捕獲枠ではないために実際の操業では捕鯨各国
によるナガスクジラの総捕獲は7000頭以上に達した。これがBWU制の怖い点である。もっとも、以後BWU捕獲枠は年々コンスタントに削減され、60年代後半には安全を見込んでナガスクジラとイワシクジラの推定持続生産量の合計よりも低めの捕獲枠を設定するなど、遅まきながら
削減傾向は定着していった。第2次大戦後に14,500BWUから16,000BWUの間で変動していた捕獲枠は、1971/72シーズンには2,300BWUまでに削減され、これを最後にBWU捕獲枠制度は廃止され、鯨種ごとに捕獲枠が設定されるようになった。 こうした時期、すなわち1970年代初頭にア
メリカのニクソン政権が捕鯨に関する管轄を商務省から大統領府に移し、当時の代表的な反捕鯨団体プロジェクト・ヨナなど連携して反捕鯨政策を大々的に開始し、別の機会に述べようと思うが、1972年の国連人間環境会議において「IWCのもとで商業捕鯨の10年間のモラトリアム
を実施するように求める」決議を通らせたものの、直後に開催されたIWCの年次会議ではアメリカのチャップマンが議長を務める科学委員会において、鯨種ごとの資源状態が違うにもかかわらずすべての鯨種の捕鯨モラトリアムを実施する事は科学的に必要性なし、として全会一致
で退けられ、総会でも否決された。余談になるが、この1972年のIWCでの敗北の後、アメリカ政府はIWCへ送り込む科学者を大幅に入れ替えるなど、いかにもニクソン政権らしい行動に出た。また、ホルトのように反捕鯨団体に取り込まれた科学者も出てきて、
367: 2009/01/06(火) 17:39:29 ID:2JkU9N5I(66/119)調 AAS
科学委員会の様相も変る。かつての3人委員会のメンバーは反捕鯨派に変貌した上に(4人目のガランドだけは別で、例えば後年FAOのオブザーバーとして1982年のモラトリアム採択に際しても、それを批判する声明を出している)、反捕鯨団体の資金援助を受けたり縁の深い科学
者が続々と科学委員会に登場する。よく目にする名前は、 Jutine G. Cooke (IUCN)、 John R. Beddington (イギリス)、 William K. de la Mare (オーストラリア)、 J.G. van Beek (オランダ)、 K. Lankester (オランダ)、 Elisabeth Slooten(ニュージーランド)
、 C.S.Baker(ニュージーランド) といった面々である。すでに最近のIWCには登場していない顔触れもあるが、逆にここには載っていない名前もまだまだある。彼らの特徴は、自分でデータを収集して科学的な真実を追求するというよりは、もっぱら捕鯨国側の科学者が出した
データを基にいかに反捕鯨に有利な結論や仮説に導いたり、捕鯨国側の科学者の見解にケチをつけるかという、政治的動機で動いている点にあるといえる。比較的近年では、日本が北太平洋でミンククジラの調査捕鯨を開始するキッカケになった系統群分類の仮説などが、そのほ
んの一例である。科学委員会のレポートを読んでいて「大多数のメンバーの見解では○○××だが、何人かのメンバーは××△△であると主張した」というような記述があって、その「××△△」がいかにも反捕鯨側に都合の良いような場合は、この「何人か」というのが、これ
らの面々であると見て大体間違いない。そして、科学委員会内部では少数であった彼らの意見が、英語圏のメディアによって大多数の見解のように宣伝されたり、それらに沿った措置が本会議では反捕鯨国の数的優位によって採決されるというのが、70年代半ば以降の捕鯨問題に
おける一つのパターンである。例えば、手もとにあるイギリスのガーディアン紙の記事(1989年1月31日付)には、南氷洋のミンククジラの資源量について「(捕鯨開始前の)半分に減ったと推定されている」とあるが、科学委員会がこのような見解で合意したためしはない。それ
どころか、全会一致の合意ではないものの、シロナガス鯨の激減による餌の余剰によってミンククジラは増加したというのが大方の見方であり、従って捕獲が本格的に開始した1970年代初頭の資源量は初期資源量とは見なせないために、 MSY(最大持続生産量)
368: 2009/01/06(火) 17:43:35 ID:2JkU9N5I(67/119)調 AAS
の代わりに毎年の加入量の推定を基に捕獲枠を決めていたはずである。また、この記事には日本での鯨肉の消費について「大部分は60歳以上の人間によって特別な機会に食べられている」とあるが、「大部分」の消費がこのような「特別な機会」に限られたものなら、全国の鯨料理店
はとっくに店じまいを余儀なくされていたであろう。大御所のホルトは、かつてミンククジラを資源が大幅に減少した保護資源に分類すべく、2万頭説を提唱して逆に科学委員会で失笑を買ったが、グリーンピース・イタリアの設立に関わったり、イタリアがIWCに加盟する前年の1997
年のIWC総会ではイタリア人ではない彼がイタリア代表団の「通訳」として本会議に参加するなど、もはや活動分野は科学者としてのそれから遊離しているようだが、まだまだ後継者には不足していないようである。
Q1: 鯨は何種類いますか。
鯨は大きく分けてヒゲクジラと歯クジラの2種類に分かれます。ヒゲクジラは主として沖アミや小さな魚を海水と共に口の中に入れ、ヒゲでこして呑み込みます。シロナガスクジラやミンククジラなど10数種類がいます。歯クジラはイカや魚を歯でとらえて呑み込みます。マッコウ
クジラやイルカ類など70種類にのぼります。鯨には80種類程度のものが知られていますが、このうち伝統的に捕鯨の対象となったのは、シロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラ、マッコウクジラ、ミンククジラなどです。
Q2: 鯨はすべて絶滅に瀕しているのではないですか。
捕鯨の対象でないカワイルカなど、少数の種類を除けば、本当に絶滅に瀕している鯨はいません。一口に鯨といっても大きいものは体長30メートルに達するシロナガスクジラから、小さいものは1メートルそこそこのコビトイルカまで多様です。普通4メートルより大きいものをク
ジラ、これより小さいものをイルカと呼んでいます。かつての鯨乱獲時代に大型の鯨であるシロナガスクジラ、ナガスクジラ、セミクジラなどはきわめて低い水準にまで減少しました。しかし、これらの鯨類は完全に保護されています。一方、南氷洋や北西大平洋および北大西洋のミ
ンククジラ、あるいは北西太平洋のニタリクジラのように、捕獲の対象にできるほど資源状態のよい種類もあります。
369: 2009/01/06(火) 17:46:54 ID:2JkU9N5I(68/119)調 AAS
Q3: しかし、それでも国際捕鯨委員会(以下IWCと略称)は72年以降、ナガスクジラ、イワシクジラ、マッコウクジラ等の資源を、保護資源に指定しています。乱獲は、1982年の商業捕鯨モラトリアム(一時中止)の成立まで続いたのではないですか。
票の上で圧倒的な力を持つ反捕鯨勢力が乱獲を許すわけがありません。ただ、国連人間環境会議が開催された1972年以降、科学委員会に大きな変化が生まれました。その直後に開催されたIWCの科学委員会が、国連人間環境会議が採択した「捕鯨の10年禁止決議には
正当な科学的根拠がない」と全会一致で結論したからです。このため翌年から米、英などの反捕鯨国は、自国の科学者の総入れ替えに近いことを行い、保護主義的色彩の濃い科学者、反捕鯨団体のリーダーたちを科学委員会に大量に送りこみました。その結果、73年以降の
科学委員会では、以前のように答申を一本化しようとする努力は行われなくなり、反捕鯨の立場に立つ学者は、むしろ自己の意見をそのまま答申の中に独立した提案として盛り込み、本会議では、票の力で、これを採択し、次々と自分たちに都合のよい結論を押しつけたので
す。しかし、それにもかかわらず、「捕鯨モラトリアムには科学的正当性や必要性がない」とする科学委員会の判断には、最後まで彼らもチャレンジできませんでした。 (わずかでも捕獲すれば、生態系が乱されるなどという主張が、科学的に成立するわけがないのは当然です)
Q4: くどいようですが、76年の南氷洋のナガスクジラの保護資源指定 -- 禁猟など一連の禁猟決定は、例え、保護主義の色彩の強い学者の発言でも、それなりの科学的根拠があったのではないですか。
IWCが定義する保護資源には、75年以降とそれ以前では、本質的な差があります。1960年代前半までに、英国、オランダが採算上の理由から、南氷洋捕鯨から撤退すると、IWCは急に規制の強化に乗り出し、70年代に入って、シロナガスクジラ等、乱獲によりいため
られた資源を保護資源に指定しました。遅すぎた保護といってもよいと思います。しかし、75年以後の禁猟措置をこれと同列に置くことはできません。新しい資源管理のルールが採択され、保護資源にまったく新しい定義が導入されたからです。前にも触れましたが、
370: 2009/01/06(火) 18:26:11 ID:2JkU9N5I(69/119)調 AAS
前にも触れましたが、IWCの科学委員会は、1972、73年の会議で再度にわたり、「捕鯨モラトリアムには科学的正当性も必要性もない」と全会一致で答申しました。このため1975年、ついに米国はオーストラリアなどと図り、捕鯨モラトリアムに代わる措置として、
新しい資源管理方式を提案し、これが翌年採択されました。この方式は、捕鯨の対象を資源状態が極めて良いものに限定し、もし、その資源が最大持続的生産量を実現する水準(MSYレベル)以下と判定されれば、これを保護資源に指定するというシステムです。以前の保護
資源の定義が、絶滅の危険のある水準を念頭においたものとすれば、新しい定義は、資源の年々の増加が最大になる水準を基準に考え、捕鯨の対象をこの水準を超えた豊かな資源に限定したのです。しかし、この新しい定義には、当時、日本の学者が指摘していたように学問的
にいろいろ困難があります。具体的にどこにその水準を設定するのか、いろいろな仮定を置く必要があります。保護主義の立場に立つ学者は、これをうまく利用しました。例えば、彼らは処女資源水準(資源が開発される以前の水準)を不当に高く推定する一方、現在の資源水
準を非常識と思われるほどの低いレベルに推定することによって、できるだけ多くの鯨種を保護資源におとす提案をし、票の力をもって本会議で採択させるという手段をとったのです。しかし、そうした彼らのやり方をもってしても、南氷洋のミンククジラや北西太平洋のニタ
リクジラなどについては、最後まで新しい定義による保護資源に分類することはできなかったのです。
Q5: IWC科学委員会では、世界の鯨資源量をどの程度に推定しているのですか。
IWC科学委員会が推定している主要鯨種の資源量は次のとおりです。
種類 海域 生息頭数 ミンククジラ 南氷洋北太平洋西系北大西洋全体 760、300 (d)28、000 (e)74、700 ー 145、200 (d) ニタリクジラ 全海域北太平洋西系 90、000 (a)22、600 (c) マッコウクジラ 全海域 1、950、000
371: 2009/01/06(火) 18:31:58 ID:2JkU9N5I(70/119)調 AAS
(a) ホッキョククジラ アラスカ系 7、800 (a) セミクジラ 南半球 3、000 (a) コククジラ カリフォルニア系 24、400 (g) ザトウクジラ 北大西洋西系 5、800 (b) シロナガスクジラ 全海域 14、000 (a) ナガスクジラ 全海域 120、
000 (a) イワシクジラ 全海域 54、000 (a) ツチクジラ 日本沿岸 4、220 (f) 注: (a) Oceanus 32(1): 12 - 3 (1989)(b) Rep. int. Whal. Commn 34:54 (1984)(c) Rep. int. Whal. Commn 36:249 - 55 (1986)(d) Rep. int. Whal. Commn 41:(in press) (19
91)(e) Rep. int. Whal. Commn 32:283 - 6 (1982)(f) Rep. int. Whal. Commn 39:117 (1989)(g) IWC/SC/44/PS1 (1992)
Q1: IWCで商業捕鯨中止が採択されたあとも、世界の各地で捕鯨が行われていますが、なぜですか。
現在、世界で行われている捕鯨は次の3つのタイプです。
(イ) IWCがみとめている原住民生存捕鯨 アラスカでのホッキョククジラ、ロシア・極東地方でのコククジラ、デンマーク(グリーンランド)でのナガスクジラとミンククジラ、セントビンセントでのザトウクジラなどが、原住民の生存のための捕鯨として認められています。
(ロ) IWCの管轄外にある小型鯨類の捕獲 IWCは大型鯨種だけを管轄しており、イルカ類などの小型鯨類は管轄の対象にしておりません。日本の沿岸では昔からツチクジラ、ゴンドウクジラ、イルカなどの小型鯨種を捕獲しており、日本政府の監督下で行われています。もち
    ろん、資源量に見合った捕獲枠も設けられています。日本以外でも、デンマーク(フェロー諸島)などがゴンドウクジラなどの小型鯨類を少量捕獲しています。
(ハ) IWC非加盟国による捕獲 カナダのホッキョククジラ、インドネシアのマッコウクジラ・ニタリクジラ、スリランカのマッコウクジラ、南太平洋諸国のザトウクジラなどが捕獲されています。 これらの国は、IWCに加盟していないため、IWCの規制を受けません。
Q2: 伝統的な捕鯨国である、アイスランドとノルウェーは、現在捕鯨をしているのですか。
捕鯨を重要な産業としているアイスランドは1992年にIWCを脱退しました。
372: 2009/01/06(火) 18:34:11 ID:2JkU9N5I(71/119)調 AAS
前にも触れましたが、IWCの科学委員会は、1972、73年の会議で再度にわたり、「捕鯨モラトリアムには科学的正当性も必要性もない」と全会一致で答申しました。このため1975年、ついに米国はオーストラリアなどと図り、捕鯨モラトリアムに代わる措置として、
新しい資源管理方式を提案し、これが翌年採択されました。この方式は、捕鯨の対象を資源状態が極めて良いものに限定し、もし、その資源が最大持続的生産量を実現する水準(MSYレベル)以下と判定されれば、これを保護資源に指定するというシステムです。以前の保護
資源の定義が、絶滅の危険のある水準を念頭においたものとすれば、新しい定義は、資源の年々の増加が最大になる水準を基準に考え、捕鯨の対象をこの水準を超えた豊かな資源に限定したのです。しかし、この新しい定義には、当時、日本の学者が指摘していたように学問的
にいろいろ困難があります。具体的にどこにその水準を設定するのか、いろいろな仮定を置く必要があります。保護主義の立場に立つ学者は、これをうまく利用しました。例えば、彼らは処女資源水準(資源が開発される以前の水準)を不当に高く推定する一方、現在の資源水
準を非常識と思われるほどの低いレベルに推定することによって、できるだけ多くの鯨種を保護資源におとす提案をし、票の力をもって本会議で採択させるという手段をとったのです。しかし、そうした彼らのやり方をもってしても、南氷洋のミンククジラや北西太平洋のニタ
リクジラなどについては、最後まで新しい定義による保護資源に分類することはできなかったのです。
Q5: IWC科学委員会では、世界の鯨資源量をどの程度に推定しているのですか。
IWC科学委員会が推定している主要鯨種の資源量は次のとおりです。
種類 海域 生息頭数 ミンククジラ 南氷洋北太平洋西系北大西洋全体 760、300 (d)28、000 (e)74、700 ー 145、200 (d) ニタリクジラ 全海域北太平洋西系 90、000 (a)22、600 (c) マッコウクジラ 全海域 1、950、000
373: 2009/01/06(火) 18:36:52 ID:2JkU9N5I(72/119)調 AAS
Q4: そんなに費用がかかるのにどうして毎年実施するのですか。2 - 3年に1度でもよいと思いますが。
南氷洋は広大な海域です。採取標本数は限られており、また1回で調査できる範囲は限られています。ですから毎年、調査を実施する必要があります。また、鯨資源の管理に必要なデータは、時系列的なものでなければなりません。継続的な標本採取は資源調査の精度を高める
ことに不可欠です。
Q5: 鯨を殺さないで、皮膚の1部だけをとってDNA等を調べれば十分という声もありますが。
日本鯨類研究所はバイオプシーという、皮膚を採取して検査するための皮膚採取銃を開発して、すでにこの種の鯨の非致死調査を行っています。しかし、皮膚のDNAからは、性別、親子関係など、ごく限られた情報しか得られません。このため捕獲調査によってしか得られな
い耳こう栓や、卵巣などの標本を取り、年齢構成、妊娠状態や妊娠歴などを調べています。
Q1: 捕鯨論争はいまや資源などの科学面を超えて、鯨に対する動物観の違いに移っているようです。欧米諸国のほとんどが捕鯨に反対しているのであれば、日本も国際協調の精神から捕鯨を放棄したほうがプラスになるのではないですか・・・。
そうは思いません。動物観の違いは民族の文化そのもので、お互いが干渉したり、非難したりすべきものではありません。反捕鯨国は鯨を聖獣視し、「人道的捕殺がなされていない」「捕鯨は倫理に反する」ということを言います。それでは昔、欧米の実施していた捕鯨は人道
的捕殺をし、倫理にも反さなかったのでしょうか。この反論に対し欧米人は「だから捕鯨を止めた」と言うでしょう。
しかし、それは詭弁です。欧米の捕鯨は昔の帆船式捕鯨や近代捕鯨でも採油が目的でした。石油や他の食用油が出回り、産業として成り立たなくなったため、自然に消滅したのです。一方、日本は肉を主体に丸ごと利用し、鯨肉に対する強い嗜好があるため、依然として産業と
して立派に成り立つのです。
374: 2009/01/06(火) 18:42:44 ID:2JkU9N5I(73/119)調 AAS
欧米では、反捕鯨の風潮が強いのは確かですが、決して100%ではありません。アングロサクソン系の国は一般に反捕鯨ですが、アイスランド、ノルウェー、デンマークなどの国は鯨を食料の対象と見ています。またアングロサクソン系の国でも極端な反捕鯨運動に疑問を呈する
声は上がっています。例えば92年6月30日付け英国のタイムス紙は「動物の福祉という問題を国際協定によってしばるのは適切でない」と指摘し、資源が大きいミンククジラの捕獲禁止は条約の主旨からみて、もはや適当ではないと結論しています。私たちは捕鯨の是非をあく
までも資源を中心にした科学論に基づくべきとの考えを持っています。それがもっともフェアーな論拠だと考えます。
Q2: 公海の鯨は世界人類共通の資源であり、日本人だけが獲るのは許されない、との声が上がっていますが・・・。
短絡的な、偏った意見です。1982年の国連海洋法条約は、海の資源をすべて人類共有の資源という見方から、その存続と合理的利用の責任と義務を、200カイリ内については当該沿岸国に、200カイリの外の公海部分については、国際社会に負託することとしています。
国際捕鯨取締条約は、1948年に発効した古い条約ですが、その点ではさらに一歩進め、対象資源が領海内にあっても、これを人類共有の資源とみなし、その保存と合理的利用を締約国の合意、つまり国際社会に負託することとしています。また、わが国だけが独占的に、また特
権的に利用することを主張しているわけではありません。資源のごく一部、経済でいえば、年々資本から生ずる利子の一部を利用するというのが、わが国の基本的立場です。その立場は、沿岸であろうと、公海であろうと、基本的には変わる所はありません。一方、いろいろな思惑
から捕鯨に限らず公海での漁業を禁止したり、極端に制限したりする動きがあることも事実です。しかし、こうした考え方は、海洋資源の合理的利用に有害なだけではなく、結局は海洋分割につながる思想です。不健全なエゴイズムという外はありません。
Q3: 南氷洋は鯨類の最後の宝庫です。ここを鯨のサンクチュアリ(禁猟区)とすることは世界の人にロマンと安堵感を与えます。日本は自国の200カイリ内だけで捕鯨を続けるべきでないですか。
375: 2009/01/06(火) 18:45:47 ID:2JkU9N5I(74/119)調 AAS
この提案は、昨年のIWC会議に突如提案されてきたもので、何が何でも捕鯨を阻止したいとする反捕鯨国の最後のあがきであることは明白です。また南氷洋を含め、すべての水域に合理的な鯨類の保存と利用に関するシステムを作りたいと願うわが国と、それより自国沿岸での
捕鯨の再開を願うノルウェー、アイスランド、デンマーク等との間を分断したいとの狙いであり、せめて南氷洋にだけ、捕鯨の禁止を実現したいと考えての提案に違いありません。しかし、76万頭以上も生息する南氷洋のミンククジラについて、科学者の認める量の捕鯨も認めず、
10万頭の北大西洋ミンククジラについて、これを認めるというのも、科学的にみて納得のいかない話です。 サンクチュアリ提案には、実は、伏線もありました。92年6月、リオ・デ・ジャネイロで開かれた国連環境開発会議にニュージーランドが捕鯨の10年禁止を提案した
ことです。提案の中で、同国政府は「IWCで改定管理法式が完成すれば、捕鯨の再開は阻止できない」と述べています。反捕鯨側は、科学を葬るための最後の切り札としてサンクチュアリを出してきたのです。1992年のIWCでは、本格審議に至らなかったため、93年に改め
て議題にのぼることになっています。なお、92年のIWCでは、改定管理法式によって南氷洋ミンククジラの捕獲枠を試算したところ、年間2000頭という数字が出てきました。わが国はこれを根拠に商業捕鯨の設定を強く主張する方針です。南氷洋をサンクチュアリへとするこ
とは、決して健全な生態系を取り戻すことにはなりません。生態系の一部、とくに、その頂点にある生物を完全保護することは、それが、低水準にあるときを除けば、かえって生態系のバランスを損ない、また、ひいては当該保護資源の不安定化をも招くというのが常識です。また、
IWC科学委員会が提案している改定管理方式は、大きな資源からわずかな量を、しかも広い海域から薄く捕獲させるというもので、これが生態系に対する不安定要因になりうるなどとは、冗談以外の何ものでもありません。
Q4: ツチクジラ、ゴンドウクジラ、イルカなどの小型鯨類はなぜIWCが管理していないのですか。当然IWCが一括して管理すべきだと思いますが・・・。
IWC条約は、条約の中で規制対象鯨種を限定しており、ツチクジラなどの小型鯨類は、この中に入っていません。
376: 2009/01/06(火) 18:48:08 ID:2JkU9N5I(75/119)調 AAS
これらの小型鯨類は沿岸性であり、世界単一の資源ではなく、狭い海域ごとに系統群が分かれています。このような鯨種については、沿岸の漁業資源との関連があるので、IWCで一括して管理するより各国、あるいは関係地域の漁業機関で管理する方が適切な措置が取れます。
また、実際問題としても関係国は内陸国を除くすべての沿岸国になりますから、100カ国を超えることになり、とてもIWCで管理するなど現実的ではありません。IWC加盟国の多くも、小型鯨類の管理は、それぞれの国に任せるべきであると考えています。日本近海の小型
鯨類については、水産庁が資源調査に基づいて毎年の捕獲枠を決めています。
Q5: 反捕鯨の主張の中には、鯨類の頭脳の高さが強調されています。どの程度頭がいいのでしょう。
鯨の知能が高いと主張する人たちは、その根拠として、鯨の脳が大きいことをあげています。大きな頭部を持つ鯨の脳が他の動物の脳より大きなことは当然です。動物の脳の大きさを比較する場合は、単に重さだけでなく、体重比で見るべきです。シロナガスクジラの脳の体重比
は平均0.007%で、人間の場合は1.93%です。鯨類でもっとも高いのはネズミイルカの0.85%です。それでは、ネズミイルカは人間の半分ぐらい知能が高く、シロナガスクジラはネズミイルカの100分の1以下の知能しかないかというと、決してそうではありませ
ん。脳重の体重比率で、知能の高低を判定することはできないのです。鯨の世界的権威の故シュライパー博士は「鯨のように主に尻尾を振って運動する動物が、手足を巧みに使うサルより、高度に分化した脳を必要とするのか理解できない」といっています。
また、英国ケンブリッジ大学の教授であり、IUCN(国際自然保護連合)の種生存委員会の委員長であるマーガレット・クリノウスカ博士は、「大多数の鯨の脳は特に大きくもなく、複雑でもない」と断じた後、「鯨類の行動様態にも、牛とか鹿の群れ以上の複雑性は認められ
ない」と述べています。
377: 2009/01/06(火) 18:50:43 ID:2JkU9N5I(76/119)調 AAS
Q1: IWCの加盟国数と補鯨国、反捕鯨国、中立国の内訳は。
IWCは1946年に締結された国際捕鯨取締条約によって1948年に設立されました。当初は捕鯨国とかつての捕鯨国15カ国で発足しましたが、鯨の乱獲により採算が取れなくなったオランダ、英国が、捕鯨をやめた1960年代からは鯨の保護に力を入れるようになり
ました。1970年代後半からは捕鯨禁止をめざす国の加盟が目立ち、1982年には多数決で商業捕鯨のモラトリアムを採択しました。現在の加盟国は38カ国。捕鯨再開を強く主張する国は日本、ノルウェー、デンマーク、ロシアなど少数です。中立国としては中国、韓国、
セントルシア、セントビンセント、ドミニカ連邦などがあり、あとは反捕鯨国です。この中でもっとも強硬な反捕鯨国はニュージーランド、豪州、イギリス、アメリカなどアングロサクソン系の国々です。
Q2: 国際捕鯨取締条約の目的は何ですか。
同条約の目的として (イ)鯨類の保存と適切な利用、(ロ)捕鯨産業の健全な育成などが、前文に明記されています。しかし、反捕鯨NGO(非政府機関)をバックにした多数の反捕鯨国に思うままに運営されたIWCは、条約の目的から逸脱した規則を次々と打ち出してきま
した。条約違反のもっとも顕著な例が、商業捕鯨モラトリアムの採択です(1982年)。条約によると、すべての資源保存措置は科学的根拠に基づかなければならないとなっています。一方IWCの科学委員会は過去に一度もモラトリアムを勧告していません。グリーンピース
などのNGOが捕鯨と全く関係のない国々をIWCに加盟させ、本会議で多数の力を持ってモラトリアムを採択したのです。この条約は1946年に締結されていますが、締約国がこのように、条約の目的や規定を公然と無視することは、単にIWC条約の違反だけでなく、条約
の忠実な実行を求めるウィーン条約の違反でもあり、許さるべきことではありません。
378: 2009/01/06(火) 18:58:30 ID:2JkU9N5I(77/119)調 AA×

379: 2009/01/06(火) 19:05:17 ID:2JkU9N5I(78/119)調 AA×

380: 2009/01/06(火) 19:10:32 ID:2JkU9N5I(79/119)調 AAS
 なお、WWF Japanが今年のIWC会議に向けて作成いたしましたパンフレットを同封いたしますので、合わせてご一読ください。
● はじめにWWF Japanが商業捕鯨に反対する根拠についてご説明いたします。
 WWFは、「WWFミッション(*1)」と「Caring for the Earth(CFE)・かけがえのない地球を大切に(*2)」を基に、長期的展望に立って地球の将来を考え、自然保護の戦略をたて実践しています。これまで人類は「自然資源は人間のために存在し、利用できるものは
 あくまで利用する」という考えのもとに、時には一部の人間の欲を満たすため必要以上に自然を搾取し続けてきました。そしてこの傾向は、人類が高度の技術をもつようになった20世紀以降に加速され、多くの野生動物が絶滅の危機にひんしているのはご存知のことと思います。
 先進国における現在の生活態度(資源やエネルギーの浪費など)は、従来の考え方に根ざしたものでCFEの精神からかけ離れています。人類が存続するには、すみやかに、過去のあやまちを認識して生活態度を改めること、資源の持続的利用を図ることが必要です。資源(自
 然資源)の持続的利用を考えるとき、その利用は生存に必要最低限を満たすレベルで行うことが必要となります。現在、世界中から大量の食糧を集め、浪費している日本の自然資源に対する姿勢は問い直す必要があるのではないでしょうか。先進国は世界の環境保全に積極的に
 責任を負うべきであり、もはや文化や習慣をふりかざしてのわがままは許されない時代になっています。過去の自然資源の利用のあやまちを反省せずに、日本が世界から食糧を集めているその一方で、途上国では環境破壊や資源の乱獲が起きていることを私たちはもっと認識す
 る必要があるでしょう。クジラ保護は、海洋生態系の保護を図る上で重要な課題です。WWFは世界中で20に及ぶクジラの生態研究および保護プロジェクトを行っており、今後とも力を入れて行きたいと考えています。(*1)WWFミッション:WWFが1990年に策定した活
 動指針。人類が自然と調和して共存するような未来の実現を図ることを目標として、(1)生物の多様性を守る(2)自然資源の持続的利用の推進(3)資源エネルギーの浪費の防止の3つを使命としている。(*2)CFE:WWFが1991年にIUCNとUNEPと共同で策定・刊行
 した。
381: 2009/01/06(火) 19:15:38 ID:2JkU9N5I(80/119)調 AAS
持続可能な生活様式実現のための9つの基本原則と13の行動様式を提言している。● とくに多くの方からいただきましたご質問2つにお答えいたします。
 ◆ クジラが絶滅しそうなら捕るべきではないが、どうして76万頭まで増えたという科学的データのある南氷洋のミンククジラまで保護しようとするのか
 ミンククジラの個体数についてはまだ正確にわかっていません。ミンククジラの数が76万頭(政府広報・水産庁)とは、91年のIWCに提出された数値を、加算したものです。(表(1)参照)。ただし、データを加算することをIWCで認めているわけではありません。
 個体数調査は南氷洋を6海区に分けて、毎年1海区ずつ調査していますが、回遊経路などクジラの生態が分からない時点で、年度の違ったデータを加算することの有効性が認められないのは当然でしょう。ちなみに今年のIWCでは、新たなデータ(87〜92年)が提出さ
 れ、それを加算すれば45万頭という数値がでてきます(表(2)参照)。しかしこれについてのマスコミの報道はほとんどありませんでした。
 (1)クジラは広域を回遊し、その行動もはっきりわかっていない(2)ミンククジラが増加しているかどうかを知るには、長期間にわたる調査が必要である、などの点からも個体数を推定するには限界があります。少なくとも現段階では毎年減った増えたといった議
 論を科学的にすることはできないのです。WWFは、クジラの保護が海洋生態系の保護を図る上で重要な課題であると考えています。たとえ現在個体数が安定している種であっても、海洋環境の悪化などで将来的には楽観できないため、クジラを脅かす要因である捕鯨
 再開には反対しています。
◆クジラも家畜も同じ生き物なのに、クジラを食べるのは「ダメ」で家畜は「OK」なのはおかしいではないか。
 これは非常に難しい問題を含んでいるように思います。「無用な殺生はしないこと」には洋の東西を問わず異論はありませんが、日本人の多くは「家畜でもクジラでも殺生に変わりはない」と考え、欧米人の多くは「家畜は神が人間に与えたもの」として、一般野生生
 物とは区別するようです。繁殖をはじめとして生存のほとんどすべてを人間によってコントロールされている家畜と、大自然の営みの中で生きる野生生物のクジラを区別して考える必要があるのではないでしょうか。
382: 2009/01/06(火) 19:24:03 ID:2JkU9N5I(81/119)調 AAS
たとえば、アフリカゾウの生息数は、生息環境の破壊や密猟により、1979年の130万頭から1989年には60万頭まで減ってしまいました。 60万頭といえども、アフリカゾウの種の存続の上で決して安心できる数ではありません。
 野生動物の商業的利用を持続可能なレベルで維持させることは非常に困難で、失敗したら取り返しがつきません。そのためWWFは、野生 生物の利用は必要最小限にとどめるべきだと考えています。
●その他ご質問いただきましたことについてお答えいたします。
◆クジラを食べることは日本人の伝統食文化であるのに、それを否定するのか。また、かつてはクジラは日常食であり、高価な嗜好品となったのは、捕鯨が禁止されたためではないか。
 鯨肉を食べることは日本の文化のひとつといえるかもしれません。しかし、南氷洋でおこなわれた列国による近代捕鯨は歴史も浅く、日本の伝統的な沿岸捕鯨とはほど遠いばかりでなく、大量捕獲によりクジラを激減させてしまいました。
 そのため、クジラ肉はもはや日常食ではありえず、希少で高価なものとなりました。ちなみに、クジラが日本では昔から広く食されていたように説明されることがありますが、鯨食を、日本人全体の伝統食といいきることはできないでしょう。
 鯨肉が全国的に大量に食されたのは、戦後、日本人が蛋白資源に喘いだ食糧難の時代のみです。
◆WWFの意見広告などで使われている「クジラのバイオマス(生体容量)が商業捕鯨開始以前の約8%までに激減した(ASOCによる)」はどのようなデータに基づくのか。
 ASOC(南極と南極海連合)は、南氷洋のヒゲクジラのバイオマスが、南氷洋で今世紀はじめに捕鯨が開始された時は5,000万トン、現在は400万トン(8%)という算出をしました。試算はIWC科学委員会に提出されたデータを利用しています。
 バイオマスがこれほどまでに劇的に減っているのは、重量の大きなものが減っているためです(例 シロナガスクジラ 20万頭 -> 700 〜 数千頭、ナガスクジラ 40万頭 -> 1万頭)。 ただしすでに述べた通り、クジラの個体数の推定を正確に行うこ
 とはきわめて困難なので、「8%」とはあくまで目安となる数値です。 以上、WWFのクジラに関する考え方を述べさせていただきました。今後とも私どもの自然保護活動に温かいご理解とご支援を賜りますようお願いいたします。
383: 2009/01/06(火) 19:26:52 ID:2JkU9N5I(82/119)調 AAS
4.三浦淳よりWWFへ  拝復
 先に貴会の捕鯨問題に関する広告に対し質問状を送付いたしましたが、この度お答えをいただきありがとうございました。じつのところ返事がなかなか来ないので、WWFとはいい加減な団体なのだろうと思いかけていたところでしたが、そうでないと分かったのは幸いなことで
 した。印刷物の形でお答えいただいたので必ずしも私の質問に添っていない部分もあるのですが、貴会のお答えを尊重し、この文書に関して改めて捕鯨問題について貴会のお考えを質したいと思います。
 まず「はじめ」の部分に関してですが、先進国の生活態度を改めるべきだという下りまでは異論はありません。しかしその後の「自然資源の持続的利用を考えるとき、その利用は生存に必要最低限を満たすレベルで行うことが必要になります」とあるのは、一見もっともらしく見
 えてじつは論理的に整合していません。生存に最低必要な量だけ利用しても自然資源が減少することもあれば、そうでない量を利用しても自然資源が減少しないこともあるからです。ですから真に必要なのは、自然資源はどれだけ使えば持続的に将来に渡って利用していけるかを
 厳密に調査することなのではないでしょうか。とくに最近の自然保護運動では、自分の利害に直接関係ない自然のみを保護せよと声高に訴える傾向がある(この点については最後に述べます)だけに、情緒に流されて何でも保護せよと主張するのではなく、冷静に自然資源の分析
 をすることが肝腎であると思います。次に、世界中から食糧を集め浪費している日本という下りですが、日本が貿易立国を国是としている以上、そして面積が狭く山が多い土地柄からして農牧業での食糧自給に多くを期待できない以上、外国から食糧を大量に輸入するのは当然で
 はないでしょうか。それともWWFは自由貿易体制に反対で、江戸時代のように食糧の自給自足を訴えることをモットーにしているのでしょうか。もしそうお考えでしたら、はっきりパンフレットなどにそう書いた方がいいと思います。ただし私は、先進国が中進国以下に比べて
 食糧・エネルギーなどを贅沢に使っているのは確かだと思います。日本の食糧の嗜好が他の食糧輸出国の自然環境を破壊する場合があることも知っております。ここで必要なのはしかしまたしても冷静な調査と議論です。
384: 2009/01/06(火) 19:32:15 ID:2JkU9N5I(83/119)調 AAS
 日本に食糧を輸出するおかげで自然環境が破壊される場合もあれば、そうではなくその国の経済がうるおう場合もあるはずです。無論破壊とうるおいが共存している場合もあるでしょう。ですから日本向けの食糧輸出に伴う他国の産業構造の変化とそれに付随する自然環境
 との関連を洗いだして、害があるケースは個々に指摘していけばいいのです。WWFで積極的にそうした調査を行ってはいかがですか。問題をひとくくりにして「日本は世界中から食糧を集め浪費し…」というようなセンセーショナルな表現をするのは赤新聞同然で有害無
 益でしょう。さて次ですが、「クジラ保護は、海洋生態系の保護を図る上で重要な課題です」とあります。鯨の保護が重要でないとは私は言いませんが、海洋生態系と言うとき、そこには海に生息する全ての生物が含まれているはずです。特にWWFミッションに「生物の
 多様性を守る」とあるからには、鯨のような哺乳動物だけではなく、魚類、貝類、甲殻類、海草類、そのほか虫やアメーバに至るまで保護の対象になるはずです。言うまでもありませんが、哺乳類は他の生物に依存して生命を保っています。生命のリングを考えるとき、別
 段哺乳類は特権的な立場にはなく、むしろ下等生物ほど保護の必要性があるとも考えられるのです。(例えば、人類が滅んでも植物は困りませんが、植物が滅んだら人類は生きていけません。)話を戻しましょう。海洋資源とは鯨ばかりではありません。一般に食糧として
 広く用いられている魚介類全部がそうです。したがって海洋生態系の保護を図ろうと言うのなら、海に生きる生物全部の保護が重要だと言わなければおかしいではありませんか。WWFの姿勢に疑問を感じる大きな理由の一つがここにあります。いったい何を基準に重要な
 ものとそうでないものを識別しているのでしょうか。(何でも重要だと考えているとお答えでしょうか? WWFは例えばハタハタや越前蟹や日本海のニシンの保護のために広告を出したことがあったでしょうか?)次にミンク鯨の資源量の問題ですが、海区ごとの資源量
 の合算が認められないというのは明らかにおかしいと思います。南氷洋の広さからしていちどきに調査するのが困難である以上、年ごとに海区別の調査を行いそれを合算するのは、最上とは言いませんが資源量を推定する有力な方法と言うべきでしょう。
385: 2009/01/06(火) 19:36:25 ID:2JkU9N5I(84/119)調 AAS
 無論単純な合算をそのまま用いるべきかどうかには問題があるでしょうが、資源量を推測する重要な基礎になることは確かです。もしそうでないというなら、海区ごとの資源量調査はいっさい無駄だということになってしまいます。反捕鯨派の常套手段は「分からない、
 分からない」と言うことですが、 もしそうなら例えばシロナガス鯨の資源量がこの鯨の捕獲が禁止された後も一向に増えていないことはどうして分かるのでしょうか。データが信用できないと言いながら、絶滅の恐れがある鯨については提示された数量を利用し、資源
 量が豊富な鯨についてのみ「分からない、分からない」というのは矛盾しています。 無論用心のために数量は少な目に見ておいた方がよいということはあるでしょう。ですからミンク鯨の資源量が45万頭でも、或いは一の位を切り捨てて40万頭でもいいと思います。
 ミンク鯨が76万頭いてRMS(改訂管理制度)による捕獲可能数が二千頭という数字が誤りなら、40万頭いて捕獲可能なのは千頭でも構いますまい。それで日本が捕鯨をやると言えばやらせ、千頭では採算が合わないから止めると言えば止めるに任せればいいではあり
 ませんか。ところが実際にはIWC科学委員会の勧告したRMSは総会で否決されているのです(そのために英国人の科学委員長は辞任したということです)。これは鯨資源を冷静に調査した上で捕獲可能な範囲内で利用するという「持続的利用」をIWCが考えてい
 ない証拠です。IWCは鯨資源の「不利用」をしか考えていないのです。とすると「持続的利用」をうたっているWWFの方針とはあいいれないと思いますが、どうお考えでしょうか。
 さて、ミンク鯨の問題を続けましょう。南氷洋で長年の捕鯨により鯨種のバランスがもともとのものより大きくズレていることは誰も否定できないでしょう。そのためむしろミンク鯨をある程度捕獲した方が、餌の競合するシロナガス鯨の増加に役立つという説があり
 ます。これが正しいかどうかについては議論があるようですが、少なくともシロナガス鯨が激減して以来、ミンク鯨の成長が早くなっているというデータがあることは(桜本・加藤・田中編『鯨類資源の研究と管理』96頁)知っておいていいと思います。現在の南極海
 はミンク鯨にとって(のみ)繁殖に有利な条件が揃っているわけです。
386: 2009/01/06(火) 19:44:12 ID:2JkU9N5I(85/119)調 AAS
 ちなみにこの説は「ニューズウィーク」誌のWWF批判記事でも取り上げられています(日本版、本年5月13日号)。或る海域の餌の量が一定で、それが生息動物の成長に影響していることは、例
 えば最近日本の河川に戻ってくる鮭が小型化しているという点からも明らかでしょう。これは日本で鮭の稚魚の放流が盛んになり過ぎて、餌場のオホーツク海で鮭一匹当たりの餌の量が減ったためと推測されています。
 自然は放っておいて保たれる場合もあれば、そうでない場合もあります。例えば地球の砂漠化を食い止め植林を行おうというのは人為的な企てです。あくまで自然のままがいいなら砂漠が広がっていくのを黙って見ているしかないことになります。自然を放っておく方
 がいいのか、人が手を出した方がいいのかはケース・バイ・ケースです。南氷洋を聖域にというのは、この点を無視した無責任な考え方と言わねばなりません。すでに南氷洋には沢山の人の手が加わっているからです。鯨ごとのバランスは捕鯨開始前と比較して大きく
 崩れています。それを前提とした上で何が最善かを考えるべきで、ただ放っておけというのは一見自然を尊重するように見えて、じつは自分が何もせずにイイカッコができるスタンドプレーに過ぎません。この提案をしたフランスは、実際は鯨資源の調査にろくな貢献
 をしていないからです。金を出さず、自分の利害関係のない部分でスタンドプレーをする国が信用できるはずがありましょうか。そしてそういう国の提案を支持する団体も信用に値しません。本当に鯨が大事だと考えるなら、例えばすでに聖域化されているインド洋の
 鯨資源調査をフランスやWWFは行うべきでしょう。捕鯨がなくとも「海洋環境の悪化などで楽観できない」とお考えならなおさらのことです。そういう種類の鯨がどのくらいインド洋にいるのか、将来に渡っての資源量の見通しはどうなのか、金をかけて調査しては
 いかがですか。 過去の鯨資源管理が失敗の連続であったことは事実です。その点で日本は他の捕鯨国(現在反捕鯨国に転じている国も含め)とならび大きな責任を負っています。ただし過去に失敗したから今後も失敗すると考えるのはおかしいと思います。少なくと
 も現在の情勢からして種を滅ぼすような捕鯨がどの国にもなし得ないのは明白ですし、 
387: 2009/01/06(火) 19:46:19 ID:2JkU9N5I(86/119)調 AAS
 過去においても(現在種の保存が危ぶまれているシロナガス鯨を除けば)南氷洋の鯨は絶滅に至ったものはありませんでした。そして捕鯨が鯨資源の減少というマイナス面を持っていたことは勿論ですが、同時に鯨研究の進歩というプラス面を持っていたことも見逃し
 てはなりません。進化論を教えるのが禁じられているそうですから、WWFのアメリカ委員会なら「家畜は神が与えた」と真面目に言うかも知れませんが、まさか日本委員会はそれに同調しますまいね?その意味で、ミンク鯨のような明らかに資源量の豊富な鯨につい
 ては捕鯨を認め、その代わり捕鯨国には鯨研究面での貢献を義務づけるというのが賢明な方策ではないでしょうか。例えば日本に年間一定量の捕鯨を認め、その代わり他国の鯨学研究者や留学生の受け入れをさせるといったやり方は、日本にとっても外国にとってもプ
 ラス面が大きいはずです。何でも危ないと言って騒ぐのは決して生産的ではなく、むしろ文化も習慣も異なる国々や人々の対立を激化させ、また現在のIWCのような偏向や無理な押し付けを容認してしまう態度につながります。WWFもその点で冷静な議論や態度表
 明を心がけて欲しいものです。 さて、次になぜ鯨を食べるのは駄目で、家畜ならよいのか、という問題に入りましょう。私は、鯨の資源量の問題に関しては過去の日本にも少なからぬ責任があった、ただ捕鯨全面禁止は行き過ぎだという考えですが、こと「なぜ鯨だけ
 は駄目なのか」という問題については、反捕鯨国側に百パーセント非があると思っています。そしてこの点についての日本の反捕鯨論者や団体はまったく赤子同然の意見しか持っていないと考えています。ただ、変な言い方ですが、貴会の今回のこの点についての回答
 にはある種の歯切れの悪さがあり、それが一抹の誠実さを感じさせないでもなかった、と言っておきましょう。まずお訊きしたいことがあります。WWF日本委員会の性格です。日本委員会は――
(一)世界のどこかにある本部の決定や指令に忠実に従って仕事をする団体で、本部からの指令には逆らわない。
(二)本部で決まったことは一応尊重するが、場合によっては異議を唱え、内部論争や対立も辞さない。
388: 2009/01/06(火) 19:52:04 ID:2JkU9N5I(87/119)調 AAS
――以上のうちどちらなのでしょうか?これまた変な比喩ですが、各国共産党の性格のような問題です。ソ連共産党の指示に無条件で従うのか、場合によっては喧嘩もし絶縁も辞さないのか……。
 もし(一)だとすれば、要するにロボットと同じですからこうした意見交換をしても無駄だということになります。(二)であって欲しいものですが、とりあえず先に行きましょう。
 まず「欧米人は家畜は神が人間に与えたものと考えている」とありますが、WWFは非科学的な前近代主義を容認する団体なのでしょうか?家畜は神が与えたものではなく、人類が野生動物に改良を加えたものであることは明白だと私は思いますが、 WWFはそうは思
 わないのでしょうか?私は宗教上の信念云々を言っているのではありません。科学的な常識を問題にしているのです。そもそもの初めから「野生動物」と「家畜」を峻別する思考はどう見てもおかしいのです。また家畜にしても工業生産物ではないのですから完全に人
 間の手でコントロールできるわけではありません。生産性には限界がありますし、疫病で全滅する可能性だってあるのです。要するに野生動物と家畜の違いは程度の違いなのであり、本質的な違いではないということです。もっとも、アメリカの一部の州ではいまだに
 進化論を教えるのが禁じられているそうですから、WWFのアメリカ委員会なら「家畜は神が与えた」と真面目に言うかも知れませんが、まさか日本委員会はそれに同調しますまいね?また、水産資源ということに限っていえば、そのほとんどは「野生」です。魚介類
 で養殖可能なものはごく僅かにすぎません。大部分の魚介類の生態は、WWF得意の台詞を借りて言えば、「正確に分かっていない」のです。とすると、WWFは大部分の魚介類について「持続可能なレベル」で維持できるかどうか分からないから世界中の漁業に反対
 であるという態度なのでしょうか。もしそうならそうはっきり言うべきでしょう。これは嫌みではなく、本当にそう思うのです。その方がむしろ首尾一貫しているではありませんか。水産資源の中で鯨だけを声高に保護せよと叫ぶのは、一種の動物差別主義で、それは
 容易に民族差別主義に転じるからです。
389: 2009/01/06(火) 20:17:06 ID:2JkU9N5I(88/119)調 AAS
 この差別ということについて、日本の反捕鯨論者や団体が恐ろしく鈍感なのに私はいつも驚いています。
 お答えの文書には書かれていませんが、同封の「クジラと私たち」というパンフ(以下パンフと略記)のQ&Aの項に「欧米の一部の動物愛護団体は『クジラは知能が高いから、殺すのはかわいそうだ』『クジラを殺すのは残酷で、クジラを食べるなんて野蛮である』
 といった感情的な理由で捕鯨に反対している人たちもいます」とあります。
 しかしこの認識は甘いでしょう。私の考えでは、こういう理由で捕鯨に反対している欧米人は「一部」ではなく相当沢山います。無論ある種の動物保護団体のようにテロリストまがいの行動をとる人間は少数ですが、多数の欧米人はテロリスト的な行為でもそれが外国
 人や他民族に向けられる限りは黙認しているのです。これは明確な民族差別ではないでしょうか?いったいWWF日本委員会は民族差別的な反捕鯨運動に同調するのでしょうか?例えばかつて「中央公論」誌で(1986年4月号〜8月号)小松錬平氏と捕鯨論争を行ったロ
 ビン・ギル氏は、アメリカの反捕鯨運動は鯨は知能が高いから起こったのだとはっきり述べています。そのギル氏も自らの論拠づけに利用しているかの有名な宇宙学者のカール・セイガンは、日本にも翻訳されている著作の中で反捕鯨運動を扇動するような言辞を弄し
 ています。私の友人でもアメリカに留学して「鯨は知能が高いから捕っちゃいけないと言われたよ」と苦笑した男がいます。またニュージーランドに旅行して「日本人は鯨を食べるのか」といかにも気味が悪そうに言われた学生もいますし(日本大学生協連発行「読書
 のいずみ」本年3月)、「鯨は可愛い」は「一部の」動物愛護団体ではなく、例えばドイツの大部数を誇る週刊誌の記事にも堂々と書かれています(「Stern」本年5月19日号)。 こういった事情をWWF日本委員会は認識していないのでしょうか?だとすれば無知のそ
 しりを免れないでしょう」だと書いています。そうかもしれません。だとすれば、しかし、人間は植物を食べることも禁じられねばならないはずでしょう。
390: 2009/01/06(火) 20:24:47 ID:2JkU9N5I(89/119)調 AAS
 「鯨は可愛い」が単なる価値観や伝統の問題であることは明白ですが、欧米人(ノルウェー、アイスランドなどを除く)はこういった価値観を他民族に押し付けて恥じないのです。また「知能」の問題について言えば、かつて鯨は知能が高いから人間とコミュニケーシ
 ョンが可能だという説は一部の学者により唱えられましたが、いまだに実証されていないのです。にもかかわらずカール・セイガンは『コスモス』『宇宙との連帯』といった著作で反捕鯨を堂々主張しているのです。私の見るところ、セイガンは宇宙人と容易に交信で
 きそうにないので、その代理品を海中に見いだそうとしているのでしょう。これがどれほど幼稚な思考法であるかは、彼の知名度に惑わされずに考えてみればすぐ分かるはずです。また「鯨と人間はコミュニケーション可能」説のリリーやスポングといった人たちは今
 回日本にやってきて自説の宣伝に努めましたが、実証されてもいない学説を宣伝する彼らはもはや科学者ではなく、宗教の伝道師と呼ぶべきでしょう。私の考えでは、彼らは生物上の「異種」ということがどういうことなのか分かっていないのです。これは科学的認識
 の基盤にあるべき哲学的認識の欠如を示しています(ここでの「哲学」は、難解な用語を振り回す訳の分からない代物という意味ではなく、物事の筋道通った考え方、くらいの意味です)。知能やコミュニケーションが人間の側から考えられている限りそれは人間中心
 主義の産物に過ぎませんし、またそうでない場合は「知能」によって鯨を特権化する理由はなくなってしまうはずです。例えばこれまた反捕鯨派の「学者」であるライアル・ワトソンは著書『生命潮流』の中で、人間と植物は精神交流が可能だと書いています。そうか
 もしれません。だとすれば、しかし、人間は植物を食べることも禁じられねばならないはずでしょう。 差別ということについてもう少し書けば、動物が人種・階級差別の根拠づけに使われる、或いは動物を可愛がっても異民族は奴隷扱いする、というのは珍しいこと
 ではないように思います。日本でも江戸時代の徳川綱吉の「お犬様」は誰でも知るとおりですが、有名な『野生のエルザ』の著者アダムソンが最後に原住民に殺されたのもこういった事情があったからと推測されますし、かの悪名高きユダヤ人大量虐殺を行ったナチス
 の指導者の一人ヒムラーは、
391: 2009/01/06(火) 20:30:15 ID:2JkU9N5I(90/119)調 AAS
 自分はユダヤ人を虐殺しながら動物が誰かに虐待されると烈火のごとく怒ったということです(村松剛『大量殺人の思想』)。動物は単なる人間の道具ではありませんが、同時にそれは単なる「保護」や「愛玩」の対象でもありません。動物を殺すな、というのが言い
 易いが故に、動物が民族差別の口実に使われ易いことを忘れないでいただきたいのです。IWCはこの点でも首尾一貫していません。最初に私が述べた通り、自然資源の中には必需品であっても利用により減少するものと、必需品でなくも一定の利用に十分耐えるもの
 があります。ご存じの通り現在IWCに認められている捕鯨のうち、エスキモー(イヌイット)の捕獲しているホッキョク鯨は生体数が少なく(千頭程度)絶滅が恐れられています。にもかかわらずこれは「伝統」の名のもとに認められています。それでいて今回のI
 WCは、日本近海で2万頭以上いると推測されるミンク鯨50頭を捕獲したいという日本の申し出を拒絶しているのです。南氷海は公海だから捕獲可能でも遠慮しろという論理なら幾分かは分からないでもありませんが、日本近海の資源量豊富な鯨の捕獲を認めず、絶滅
 の心配があるとされるアメリカ近海の鯨捕獲を認めるIWCは明らかに偏向しています。 WWF日本はこれに対しどういう態度をとっているのか、ご教示下さい。 WWFの論理からすれば当然エスキモーの捕鯨は禁止さるべきだということになるでしょう。「文化や
 習慣をふりかざしてのわがまま」はいけないと、文書の2ページにもはっきりうたってありますからね。またアメリカの経済力を持ってすればエスキモーを養うのは難しくはないでしょう。 WWF日本委員会は無論、日本が誤っていると考える場合には敢然と日本を批
 判すべきです。しかし、同様に外国が日本に対して偏見を抱いていることが明白な場合は、これまた敢然と外国を批判し偏見を正すべきではないでしょうか。捕鯨問題には沢山の偏見が絡んでいます。 この偏見に何も言わずに、日本の誤った部分だけを批判するなら、
 それは内弁慶の卑屈さと見られても仕方がないでしょう。次に文書5ページの伝統の問題に行きましょう。鯨資源がかつてに比べて激減していること、日本の戦後の捕鯨がいわゆる伝統捕鯨とは異なっていることはその通りだと思います。
392: 2009/01/06(火) 20:33:46 ID:2JkU9N5I(91/119)調 AAS
 ただし伝統の問題に関しては、流通機構が戦後著しく進歩したことを考えれば、漁民だけが鯨を食べてよい、式の狭い考え方には反対であることを付け加えておきたいと思います(たまたま魚網にかかった鯨を流通経路に回してすら、外国から非難されることがある
 のは、ご存じでしょう?)。「日常食ではなく、希少で高価」というところには少し言いたいことがあります。というのは反捕鯨論者が最近よく使う論法の一つがこれだからです。パンフのQ&Aにも似たような記述「これほど豊かな時代に日本でクジラを食べるこ
 とが本当に必要でしょうか」があります。まず、鯨は贅沢品というのは本当かという点です。現段階ではそうは言えない、というのが私の意見です。無論豚肉や牛肉や魚類のように日本人の栄養源の根幹をなしてはいないと思います。しかし近所のスーパーでは現在
 のところ鯨の缶詰は安いもので一缶500円程度です。確かに缶詰としてはお世辞にも安いとは言えず、またこれだけで一家何人かのタンパク質が賄えるわけではありません。しかし嗜好品としてみた場合これは決して高くはありません。時々ファミリーレストランで外
 食すれば一人当たり千円以上はかかるのです。缶詰というのは毎日食べるものではありませんから、年に何回か買ってふだん食べ慣れた豚や牛や鶏とは違った味を楽しむ分にはむしろ安いのではないでしょうか。ホエール・ウォッチングに私が新潟から小笠原諸島ま
 で出かければ、交通費宿泊費などで数万円はかかるのですから。次に、しかし鯨の特殊な部位は非常に高価だ、或いは将来は缶詰すらも一缶数千円になるかも知れない、と反捕鯨論者は反駁するかも知れません。私は、それでも構わない、鯨資源の管理がきちんとな
 される限りは、と答えます。鯨をきちんと科学的に資源管理した結果ごくわずかしか捕れないとしましょう。そして鯨の缶詰すら異常に高くなり、私には手が届かなくなったとしましょう。別にそれでもよかろうと私は思います。自分が食べられないほど高価だから
 捕鯨に反対する人がいるとすれば、それは醜悪としか言いようがありません。それは要するに嫉妬であり、取り上げるに足りますまい。非常に高価な鯨を食べられる人がいて、そのお金で漁民が生活でき、またそのお金の一部が鯨学の研究費に回されるなら、むしろ
 大変結構なことではありませんか。
393: 2009/01/06(火) 20:38:01 ID:2JkU9N5I(92/119)調 AAS
 鯨は贅沢品、必要最低限のものだけをという主張には、なにやら欲シガリマセン勝ツマデハ的なヒステリックないじめ(「戦時中なのにパーマをかけるのはけしからん」の類)の匂いがしますし、また文化の本質を理解していない人たちの奇妙に修道士的な生活理想
 が感じられます。文化というものの一面は贅沢です。例えば西欧の例で言えば、オペラを見るのにはかなりのお金がかかります(仮に安くても政府の補助金があるためです)。オペラを見なくとも死ぬ人はいません(オペラ歌手は失業して死ぬかも知れませんが)。
 それでもオペラは上演されるのです。なぜでしょうか?それが贅沢だからです。必要最低限のものだけで生きていけるなら地上に文化は生まれていないでしょうし、ということは人間は人間にならなかったでしょう。贅沢も人間には必要なのです。鯨食文化も同様で
 す。鯨資源が科学的に管理される限り、鯨肉がいくら高かろうが非難すべきいわれはありません。 次に最後の「クジラの生体容量」に行きます。はっきり言って、こういう記述は読む者を惑わせるだけですから、やめるよう私は要求します。数値を使うのは結構です
 が、鯨種ごとの頭数で表示すべきでしょう。まず、先の手紙にも書いたことですが、IWC科学委員会の鯨資源量推定についてミンク鯨のような資源量豊富な鯨については問題ありとしているのに、資源減少を訴える時だけそれを利用するのはどういう訳でしょうか。
 態度を一貫させていただきたいと思います。IWCの数値を使うならミンク鯨の資源量についても「分からない、分からない」と言うべきではありますまい。
 第二に、「生体容量」というのは馴染みにくく、頭数と容易に混同され誤解を生む概念です。いささか邪推すれば、誤解されたいために使っているのではないかと思うほどです。かつて捕鯨の限度量を決めるのにBWUという数値が使われたことはご存じでしょう
 (パンフにも記載してありますね)。最も大きいシロナガス鯨を一頭、小さくなるにつれて何頭分と換算するやり方ですが、これがシロナガス鯨の激減につながる誤れる管理法であったことは今日広く知られています。なぜ誤りであったか?鯨の種類を無視して、どれ
 も同じ基準で扱ったからです。そのため捕られやすい大きな鯨の生体数が減っても止められない結果に終わったのです。
394: 2009/01/06(火) 20:42:47 ID:2JkU9N5I(93/119)調 AAS
 ですからその後のIWCは捕鯨の可不可を論じる際には種類別にした訳です。WWFが鯨の種類を無視していっしょくたにし、おまけに頭数ではな く「生体容量」で南氷洋の鯨資源量を表すのはBWUと同断と言えましょう。体の大きなシロナガス鯨、ナガス鯨など
 が多く捕られた結果、頭数と比べて「生体容量」では全体の資源の減少が実際以上に強調され(それでいてシロナガス鯨が絶滅の危機に瀕していることは、この数値からだけでは分からない)、ミンク鯨のような小型鯨が数多くいることは容易に分からなくなるからで
 す。ですから、数値はあくまで鯨種類別の頭数で表していただきたいと思います。 それによって本当に保護に取り組まねばならない鯨は(放っておくというような無責任なやり方ではなく)国際的に種の保存や資源増加の努力がなされなくてはならず、豊富な鯨は一定
 量の捕鯨を認めればいいという、ごく当り前の認識が広まることでしょう。そして今本当に絶滅の危機に瀕しているのは南氷洋の鯨類ではなく、(WWFのパンフにもあった通り)一部のカワイルカであることももっと一般に知られていいと私は思うのです。長くて申
 し訳ありませんが、最後にもう一つ、捕鯨だけではなく自然保護一般のあり方についてWWFの姿勢を質したいと思います。文書の中にアフリカ象の頭数を書いた箇所がありましたね(十年間に70万頭減ったというのですが、捕鯨との関連で言えば説得力には乏しいで
 しょう。捕鯨国の現在の捕鯨要求は一年に1万頭を大きく下回っているのですから)。自然の保護を言うとき、資源量の科学的測定が第一であることは言うまでもありませんが、それが少数民族や少数文化や少数住民の圧殺につながらないよう用心することも、特に注
 意すべき点ではないでしょうか。象牙目当てでアフリカ象が減少していることはおっしゃる通りですが、これもアフリカの国ごとに違いがあり、国によっては象の数が多くむしろ象牙などを輸出した方が財政が潤うところもあるのです。こういう国情の違いを無視して
 一律に保護を叫ぶのは、先進国、特に都市住民の自己満足でしかありません。 私が特に危惧するのは、現在流行とも言えるほど人々の口に上る「自然保護」が実際には先進国・都市住民の思想であり、農村漁村や低開発国の抑圧につながりかねない点です。例えばこ
 ういうことです。
395: 2009/01/06(火) 20:50:25 ID:2JkU9N5I(94/119)調 AAS
 上でも引いた反捕鯨論者のロビン・ギル氏は、アメリカの反捕鯨運動のためアメリカの漁民はイルカを捕ることができなくなった、と誇らしげに語りました。アメリカの漁民がイルカを捕っていたのはイルカ自体が目的ではなく、魚類を捕るとき網にまぎれこんできた
 からですが、アメリカ都市住民は魚を買うことをボイコットしてイルカを殺すなと圧力をかけたそうです。好きな魚を食べないという犠牲を払ってもイルカを守った、とギル氏は言うのですが、これは私からみると都市住民の欺瞞に過ぎません。都市住民は魚を食べな
 くとも食糧には困らないからです。豚や牛や鶏など他にいくらでも食べるものがあるのですから。それに対して漁民はとった魚が売れなければ飯の食い上げです。ここに現れているのは、現場を知らない都市住民がその力にものをいわせて漁民を抑圧する構図に他なり
 ません。私はこの構図が現在の「自然保護」運動の大部分につながる恐れがあるのではないかと考えています。とりわけ単に野生動物の数だけを問題にするのではなく、自然環境の汚染ということを問題にするなら、先進国・都市住民の責任は重大なはずです。それで
 いて自然保護団体に幾らか寄付し、反捕鯨を叫び、毛皮や象牙は使わないと誓っていればなんとなく自然を守っている気分になる、これは変です。自分の利害に直接か関わらない部分でだけ自然保護を叫び、そうでない部分には目をつぶる――これはきわめてたちの悪
 い欺瞞と言えるでしょう。自然保護のためには漁民の食いぶちを奪うのもやむを得ないと考えるなら、エネルギーを大量消費する先進国・都市住民は同程度の犠牲を払うべきでしょう。同程度とは、年一万円をWWFに寄付する程度のことではありません。電気を使わ
 ぬために冷蔵庫やクーラーの使用は原則禁止し、排気ガスを減らすため自家用車の所有も禁止する。また企業の電気大量使用や煙放出を大幅に規制し、徹底的に環境汚染を防止する、このくらいのことはして然るべきではないでしょうか。そのため企業の採算が悪くな
 ってサラリーマンの給料が下がったり解雇者が出てもやむを得ないでしょう。自然資源使用を厳重に規制し、漁民の収入や低開発国の外貨取得手段を奪うのが当然ならば、先進国・都市住民の収入が減ろうが失業が増えようが構わないはずでしょう。WWFはそういう
 主張をする気があるのでしょうか。
396: 2009/01/06(火) 20:51:57 ID:2JkU9N5I(95/119)調 AAS
 つまり、いささか意地の悪い言い方をさせていただくなら、自然保護団体に多くの金銭的貢献をしてくれる都市住民や一部の金持ちの日常生活を根本的に叩き直すことができますか? そうでなければ、「自然保護」は所詮、強者の弱い者いじめや自己満足の域を出ること
 はできないでしょう。長々書いてしまい、申し訳ありません。しかしWWFは国際的にも有力な自然保護団体だそうで、その影響力も大きいと思います。それだけに行動にも慎重さが要求されるのではないでしょうか。以上の疑問へのお答えをいただければ幸いに存じます。
敬具 1993年8月24日 三浦 淳

5.WWFより三浦淳へ 1993年9月30日 三浦淳様 (財)世界自然保護基金日本委員会 自然保護室 K〔個人名省略〕
拝啓 時下ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。また、当会の捕鯨問題への姿勢に関する質問や率直な意見をいただきありがとうございました。今後の活動の参考にさせていただきます。
 商業捕鯨に関する問題は非常に難しく、商業捕鯨を推進する側、クジラ類を保護しようとする側の相互理解の不足から、双方の間に深い溝ができ、お互いに不信感さえ生まれてしまいました。この返書は、三浦様のご質問に答えると共に、三浦様と同様の疑問をお持ちの
方にもWWFのポジションを理解していただけるよう作成しました。
今日の環境問題のほとんどは、先進国を中心とする人間の環境容量を無視した活動や浪費的なライフスタイルが原因となっています。
397: 2009/01/06(火) 20:54:43 ID:2JkU9N5I(96/119)調 AAS
クジラ問題を通して、一般の人々に人間の生きる新しい道を考えてもらえることを期待して活動しております。我々の活動が、WWFの究極の目的「加速しつつある自然環境の悪化を食い止めるだけでなく、破壊から回復の方向に導き、人類が自然と調和して生きられるよ
うな未来を築く」 をもとに行っていることをご理解いただければ幸いです。なお、三浦様のご質問は非常に専門的であるため、海洋保護事業担当者である私からご返事をさせていただくことになりました。
(1)「自然資源の持続的利用を考えるとき、その利用は生存に必要最低限を満たすレベルで行うことが必要になります」は論理的に整合していない。最近の自然保護運動では、自分の利害に直接関係ない自然のみを保護せよと声高に訴える傾向があるだけに、情緒に流されて
なんでも保護せよと主張するのではなく、冷静に自然保護の分析をすることが肝心であると思う。
A:人間が自然資源を利用する上で、冷静に自然資源の分析をすることが肝心であることに異存はありません。また、自分に直接関係ない自然のみを保護せよと訴える傾向も否定できません。しかし、WWFでは情緒に流され、自分の利害に直接関係ない自然のみを保護せよ
と声高に訴えているわけではありません。WWFにもかなりの研究者がおりますが、野生生物(特に、海洋生物)の調査は、非常に困難でたいへんな時間と資金を要します。そのためほとんどの場合、十分に研究が進んでいないというのが現状です。しかしたとえ不十分な調
査でも、激減していることがあきらかになった場合、野生動物が有利に (疑わしきは野生生物の利益に) なるよう保護を進めるべきと考えます。種にもよりますが、個体数が一度一定以下に減少すると回復させることがたいへん困難であり、悠長に結果が出るまで待つわけ
にはゆかないからです。
(2)日本が貿易立国を国是としている以上、そして面積が狭く山が多い土地柄からして農牧業での食糧自給に多くを期待できない以上、外国から食糧を大量に輸入するのは当然。WWFは自由貿易体制に反対で江戸時代のように食糧の自給自足を訴えることをモットーにして
いるのか。
が残飯として捨てられている現状をみれば、この問題を真剣に考えざるをえません。
398: 2009/01/06(火) 20:58:15 ID:2JkU9N5I(97/119)調 AAS
A:GATTに対し、環境保護団体が懸念を抱いているのをご存知でしょうか。人間経済は、ものを材としか見ず、それが失われることにより発生する環境コストを軽視・無視しすぎており、貿易があまりににも自由に行われると、地球環境に破壊的な結果を引き起こす恐れ
があるからです。今の日本が、外国から一次産品を大量に輸入・消費(浪費)している問題について、たしかに、輸出国の経済を潤しているのは事実です。しかし、これが開発途上国では、いっそうの環境問題や貧富の格差を増大しているのも事実です。換金作物を増産
するために、熱帯林や湿地が農地に開墾され、そこに生息する動植物の生存が危うくなっている例もあります。我々先進国(日本だけではありませんが)の嗜好を満たすだけのコーヒー栽培地を開墾するため広大な面積の熱帯林が切り開かれ、そこに住んでいたライオン
タマリンなど絶滅が心配されている動物も激減してしまいました。東南アジアでは、日本人がエビの買い付けを始めてから、乱獲のため現地の漁師はエビ漁を行うことができなくなりました。また、エビの価格が上昇し、現地の普通の人々には、もはや食べられなくなり
ました。エビを養殖するためマングローブなどが切り開かれ、養殖池が造られていますが、過密に養殖をするため病気が蔓延します。一つの池は五年以上使えない有様で、次から次へと新しい池が造成されています。貿易が相手国の経済を満たすのも事実ですが、このよ
うな問題があることをご理解ください。貿易を否定するわけではありませんが、先進国の人間の贅沢を満たすためには、あまりにも大きな代償といわねばなりません。不可欠なものを必要量輸入するのは、いたしかたありません。しかし、今日の日本のように膨大な食料
  (3)クジラの保護が重要でないとは言わないが、海洋生態系と言うとき、そこには海に生息するすべての生物が含まれているはず。WWFミッションに「生物の多様性を守る」とあるからには、クジラのような哺乳類だけでなく、魚類、貝類、甲殻類、海草類、そのほか
  虫やアメーバに至るまで保護の対象になるはず。何を基準に重要なものとそうでないものを識別するのか。   
399: 2009/01/06(火) 21:02:22 ID:2JkU9N5I(98/119)調 AA×

400: 2009/01/06(火) 21:06:24 ID:2JkU9N5I(99/119)調 AAS
A:データが信用できないとは言っていません。ただ、個々のデータは行った年により大きく異なっていることも事実です。南極海でのミンククジラの行動がよくわからないままの状態で、単純な合算をそのまま用い、それを捕鯨再開の根拠として大々的なキャン
ペーンをすることに問題があると思います。シロナガスクジラのデータについて言えば、これまで28頭しか実際には確認されていないことや、目視調査を行っている科学者の感想から、極端に少なくなっていると考えられます。
(5)IWCはクジラの「不利用」しか考えていない。「持続的利用」をうたっているWWFの方針とはあいいれないはず。
A:昨年ブラジルで開催されたUNCED(地球サミット)で、IWCは捕鯨を地球規模で規制する機関であると規定しており、WWFもこれを認めています。IWCがクジラ類の保護・利用を図るのは条約にある通りです。現在のように資源がずたずたになって
いる状況では、保護を優先するのは当然かと思います。
(6)ミンククジラの間引き
A:ミンククジラの成長が早くなっているということは、『鯨類資源の研究と管理』の中で、遠洋漁業研究所の加藤秀弘博士が報告しています。しかし、我々にはミンククジラの増加が一時的なものなのか、今後も続くのか、まったくわかりません。オゾンホール
や海洋汚染などの影響も同様にわかりませんが、悪化する可能性も大きいと考えられます。わからない場合は、弱者の利益を考えて行動を起こすべきと考えています。ミンククジラの間引きがシロナガスクジラの回復を促進させるかどうかは、まったくの机上
の計算としか思われません。
401: 2009/01/06(火) 21:09:26 ID:2JkU9N5I(100/119)調 AA×

402: 2009/01/06(火) 22:07:22 ID:2JkU9N5I(101/119)調 AA×

403: 2009/01/06(火) 22:13:45 ID:2JkU9N5I(102/119)調 AA×

404: 2009/01/06(火) 22:17:09 ID:2JkU9N5I(103/119)調 AA×

405: 2009/01/06(火) 22:21:20 ID:2JkU9N5I(104/119)調 AA×

406: 2009/01/06(火) 22:24:49 ID:2JkU9N5I(105/119)調 AA×

407: 2009/01/06(火) 22:29:24 ID:2JkU9N5I(106/119)調 AA×

408: 2009/01/06(火) 22:32:53 ID:2JkU9N5I(107/119)調 AAS
(2)貿易がどんな場合も善であるとは私も思いません。エビのような例があることも存じています。私が言いたいのは、ミソもクソも一緒にした物言いは止めてくれということです。日本も、またどんな国でも、非難されるべき点を持っています。それを非難する時はその点を
  冷静に指摘すればいいので、赤新聞的なスキャンダラスな表現はすべきではないでしょう。「膨大な食料が残飯として捨てられている」のは事実ですから、それを非難するのは構いませんが、その中に鯨肉が沢山含まれているという事実はあるのでしょうか。あるならば残
飯の多さと絡めて非難するのもいいでしょうが、ないならばこういう論法はお止め下さい。
(4)ミンク鯨の資源量とその捕鯨再開については、RMSが先のIWC総会で認められなかったことが全てを物語っていると思います。結局「分からない、分からない」と言い続けてきた反捕鯨側の論拠が崩れたので、それを糊塗するために否決したのではないでしょうか。キ
  ャンペーンということですが、私の見るところ欧米の反捕鯨キャンペーンの方がはるかにひどいという印象です。またシロナガス鯨の資源量が極端に少なくなっているのは日本も認めているのですから、別に問題はないでしょう。
(5)IWCがどういう団体であるかは、地球サミットで認められたかどうかとは関係ないと思います。現在のIWCには非捕鯨国=反捕鯨国が多いのは周知の通りで、それらの国が地球サミットでIWCをどう評価しようが、それは自分が自分を規定するのと同じで当てにはな
りません。また、一般に国際機関の決定は(国連もそうですが)国際的だから正しいということにはなりません。保護と利用の関係については(4)で書いた通り、IWCの姿勢は明らかに偏向しています。この機関が鯨資源の保護と利用だけでなく、欧米の鯨偏愛論(「鯨は
賢い、可愛い」の類)を反映させているのは、一時期「鯨類の知能と倫理」を議題として持ち込んだこと(『鯨類資源の研究と管理』参照)からも明らかではないでしょうか。
(6)ミンク鯨の資源量増加が一時的だとどうして言えるのでしょうか。その論法で行くとあらゆる水産資源物は利用不可能になります。また、海洋汚染対策は重要な問題だと私も思いますが、捕鯨に関して、それもミンク鯨のように資源量の多い種類について言うのはフェアでは
409: 2009/01/06(火) 22:36:37 ID:2JkU9N5I(108/119)調 AAS
ないと思います。これも同じ論法で行くと魚類はどれも利用不可能になるのではないでしょうか。ミンク鯨とシロナガス鯨の関係ですが、餌が競合関係にある以上、ミンク鯨の間引きがシロナガス鯨の資源量
くとも悪影響を及ぼさないことは明らかではないでしょうか。もっとも私も、シロナガス鯨が増加しないのは数が少なくなりすぎて生殖の機会が減少したことが一番の要因だろうと思いますが、餌の競合相手
すぎないことはシロナガス鯨にとっていいことではないでしょうか。お返事には「机上の計算」とありましたが、どういう論拠でそう言えるのでしょうか。
(8)(9)私の言いたいのは、南極海を聖域にという主張が、欧米の鯨偏愛論から来ており、また捕鯨を行っていない国にとっては労せずして自然保護のポーズをとれる手段に過ぎないということです。もし本当に
国が鯨のことを考えているなら、すでに聖域化されているインド洋の鯨資源調査などをきちんと行っているはずです。ところが実際にはそうではない。これはフランスなどの態度がポーズに過ぎない証拠では
ないでしょうか。日本が南極海の調査捕鯨に大金を投じているのは鯨を資源として利用したいと考えているからです。資源として利用するからこそ大金を投じる、これは冷厳な事実です。無論だからといって
  つてのような乱獲が許されるはずはありませんが、現在の捕鯨状況はすでに過去の乱獲からは程遠いところに来ているのです。ですから、厳しい歯止めを設けた上で捕鯨を認め、その代わり捕鯨国には資源調
 査や鯨学への貢献を義務づけるといったやり方の方がはるかに生産的ではないでしょうか。また、南極海の生態系については、シロナガス鯨とミンク鯨の関係でも明らかなように、長期間に及ぶ利用ですでにバ
 ランスは大きく崩れています。放っておけばよくなるとは言えないでしょう。
410: 2009/01/06(火) 22:45:16 ID:2JkU9N5I(109/119)調 AAS
NGOの存在意義は私も十分認めます。またWWFが中国の楊子江イルカなどの保護調査を行っていることには敬意を表したいと思います。ただ、現在は鯨・イルカ類は欧米の偏愛の対象になり文化的偏見の源
 になっている以上(これについては(13)で詳述します)、その取扱いには慎重さが要求されるのではないでしょうか。楊子江イルカなど明らかに絶滅に瀕している種のことが一般に余り知られず、ミンク鯨のよ
 うに数の多い種が少数捕獲されても大騒ぎする現状はどう見ても異常です。そうした状況の中で、WWFは偏見を助長するような行動には特に敏感であるべきでしょう。WWFがそうだというのではありません
 が、NGOが一般に偏見から自由であるとは言えないと思います。むしろ国家と違ってある種の責任を負う立場にないため偏見を知らずして保持している場合もあるようです。例えば自然保護団体グリーンピー
 スの問題点についてはドイツの雑誌「シュピーゲル」でも指摘されています。
(10)WWFが独裁体制でないというなら、私はWWF日本委員会が全世界のWWF委員会に次のような提案をするよう要求します。
「WWFは鯨類の保護を、厳密に科学的な自然保護という見地から訴えるものである。したがって文化差別や価値観の違いを伴った鯨保護運動には反対である」と、全世界に向けて宣言すること。
(11)(12)資源利用の限界については、これまで野生動物の過剰捕殺がなされていたことは事実でしょう。しかしそれが一律に野生動物捕獲禁止につながるなら、水産資源の大半は誰も利用できなくなってしまいま
す。家畜と野生動物の無理な区別はここで意味をなさなくなるのです。現在水産資源についても世界的に様々な規制が広がっていますが、少なくとも水産資源をいっさい利用するなといった極論はないはずです。
十分な規制を設けた上で水産資源の秩序ある利用を行うことはこれからの人類の食糧事情を考えれば誰にも異存はありますまい。これは魚類以外の野生動物についても言えることではないでしょうか。魚類とそう
でないものを区別するのはご都合主義に過ぎません。
(13)日本の自然保護団体は文化差別的・民族差別的な反捕鯨運動に対する見方がまるで赤子同然と先の手紙に書きましたが、お返事を拝見してその感をさらに深くしました。これは一番肝腎な点ですから強調してお
きたいと思います。
411: 2009/01/06(火) 22:49:37 ID:2JkU9N5I(110/119)調 AAS
 「クジラ類が減少していることがより顕著になり、世界でクジラを守ろうという時に」とありますが、アメリカの反捕鯨運動が「鯨は賢い」を基調としていることは、先の手紙でロビン・ギル
やカール・セイガンの言動をもとに私が指摘した通りです。これも先の手紙に書きましたが、ニュージーランドに旅行した学生が「鯨を食べるのか」と言われたという話は、言うまでもなく「資源が少ない鯨を食
べるなんて」という意味ではなく、「我々は鯨を食べる習慣がないのに日本人は鯨を食べるのか、気味が悪い」という意味でしょう。英国の議員が「鯨を食べたいなら人肉を食べろ」と発言したというのは有名な
話です。また何年か前、宮崎の海岸にイルカが集団で乗り上げた時(いわゆるイルカの集団自殺です)、英国のマスコミはイルカが自分から浜に乗り上げたのにあたかも日本人がイルカを虐待しているかのごとく
に報じました。ここから出てくる結論は一つしかありません。欧米の反捕鯨運動は表向き自然保護の面をかぶりながらも、その裏に文化差別・民族差別的理由が隠されているということです。私の挙げた事例に対
して文化差別・民族差別以外の解釈ができるというならお答えいただきたいものです。 また、自然保護に逆行するというなら、生物の多様化を保持するためにはあらゆる種をその絶滅危険性に応じて保護するよう
 訴えるのでなくては筋が通りません。なのに(これは(3)とも絡みますが)なぜ鯨ばかり
が特権的な動物にされるのでしょうか。鯨は繁殖力が弱く長命なので海洋汚染に弱い、というのがお答えでしたが、しかし現実には「食物連鎖の上部にある」鯨・イルカ類の中で絶滅に瀕しているのは楊子江イルカ
やホッキョク鯨などごく少数で、むしろ住んでいる場所が限定される下等な生物に絶滅種が目立つというのが実際のところでしょう。生物の多様性ということからすればそれらの下等種をこそ総力を上げて保護しな
くてはならないはずです。ところが鯨といえばヒステリックなまでに反応するくせに、実際に絶滅しかかっている生物に関しては無関心である欧米人(反捕鯨派の日本人もですが)が多い、これはどう考えても異常
です。これがIWCにも影響しているのは、(5)でも書いた通り、「鯨類の知能と倫理」を議題に持ち込んだことからも明らかです。
412: 2009/01/06(火) 23:22:06 ID:2JkU9N5I(111/119)調 AAS
 次に、日本やノルウェーが「人類の共有財産ともいわれているものを(自分だけで)利用しようとする」ことについてどう考えるかとのご質問ですので、お答えしましょう。
 どんな野生動物でも無条件に人類の共有財産と言えるかどうか、私には疑問がありますが、一応それはおくとします。人類の共有財産であるものは、世界中のすべての国で利用しなくてはならないのでしょうか。
 例えば日本人は世界中で食料にされている魚種でなければ食べてはいけないのでしょうか。イカやタコや魚卵を食べる国民は、食べない国民から「共有財産を自分だけで利用している」と非難されなくてはならな
 いのでしょうか。そんなことはありますまい。どんな国にもそれなりの食文化があり、食べられるものなら何でも利用しなければならないという決まりはどこにもありません。ヒンズー教徒は牛を食べませんが、
 それに対して「せっかくの食料なのに食べないなんてケシカラン」と言うのは、大きなお世話です。この大きなお世話を、WWFが鯨に限って認めるのはどういうわけでしょうか。「人類の共有財産」と言います
 が、反捕鯨運動が起こる前は捕鯨国以外は誰も鯨を財産だとは思っていませんでした。数が少ないから利用しないのではなく、要するに鯨を利用する習慣がなかったに過ぎません。 それは今も変わりはなく、反捕
 鯨国の多くは鯨を保護すべき自然だとは思っても、保護すべき資源だとは思っていないでしょう。自然資源の持続的利用を唱えるWWFの方針が欧米の反捕鯨とは相容れないはずだと私が言うのはそのためです。
 かつてはアメリカなど幾つもの国が捕鯨をしていました。しかしそれは鯨から油をとるために過ぎず、肉は捨てていたのです。乱獲がたたって鯨資源が減少すると、それらの国は捕鯨を止めました。エコロジーに
 共鳴したからではなく、油をとるためだけに鯨を利用していたので資源が減少して採算が合わなくなったからです。しかし日本やノルウェーは鯨から油をとるばかりではなく食肉としても利用する習慣を持っていた
 ので、資源が減少しても十分採算がとれたのです。アメリカなどが反捕鯨を唱え出したのは、不採算性により捕鯨から撤退した後になってからです。つまり鯨が自分の利害関係の外に出てからです。
 捕鯨がこれほど世界的に問題にされるのは、大部分の国にとって鯨が資源ではないからです。
413: 2009/01/06(火) 23:29:52 ID:2JkU9N5I(112/119)調 AAS
 もし日本やノルウェーのように鯨を無駄なく利用する習慣を持つ国が多ければ、捕鯨問題がこれほど世の爼上に上ることはなかっただろうと私は思います。自分の利害と無関係な自然なら保護せよと訴えるのは簡単です。無論、無関係だから自然保護を訴えるなと言いたいのでは
 ありません。しかしそれが責任ある訴えなら、(8)(9)で述べたように反捕鯨国は大金をはたいてでも鯨類資源の調査をしているはずです。ところが実際にはそうではない。これは捕鯨問題が本当の意味での自然保護問題ではなく、文化差別・民族差別を背後に隠しているからであ
 り、また欧米の政治家にとっては労せずして自然保護のポーズをとれる手段と化しているからです。本当に自然保護を考える政治家なら国民の税金を上げてでも鯨類の調査を行うでしょうし、また鯨よりも絶滅の危険性の高い生物を(どんな下等生物であれ)保護するよう訴える
 はずです。その意味で、暗殺されたスウェーデンの故パルメ首相の責任は重大だというのが私の考えです。「鯨が救えないなら人間も救えない」式の安易なスローガンの元凶は彼だからです。これは私の想像ですが、この時彼は自分が何をしているかよく分かっていなかったので
 しょう。自分の提案が文化差別主義・民族差別主義に道を開き、ヒトラーの反ユダヤ主義にも似た反捕鯨主義を台頭させるとは予想していなかったのではないでしょうか。国民の支持を受けなければ成り立たない政治家という商売人は、しばしばこうした「敵」を想定することに
 よって受け狙いをします。ヒトラーの反ユダヤ主義と似ていると私が思う所以です。こうした反捕鯨運動をWWFは支持するのですか?私は捕鯨問題が厳密に資源量の面から語られるなら、自然保護団体にも十分な理があると思います。鯨の乱獲の歴史は明らかですし、捕鯨国を
 監視することも必要でしょう。しかしそこに文化差別・民族差別が絡んでいる以上、欧米の反捕鯨運動に何の批判もなく同調することは、文化差別・民族差別に加担するのと同じことになってしまいます。そうならないためにはどうすればいいでしょうか。まず第一に(10)で私が
 要求したように、自分たちは鯨類の保護を主張するが文化差別的な反捕鯨運動には反対であると全世界に向けて明確に宣言すること。これは、現在のWWF日本委員会のように、ウチの方針は欧米とは違うと小さな声で言うこととは全然違います。
414: 2009/01/06(火) 23:33:14 ID:2JkU9N5I(113/119)調 AAS
 現在のWWF日本委員会の態度では、あちらは「要するに奴らはやっと俺たちの偏見(とあちらは思っていないでしょうが)に同調するようになったわけだ」としか受けとらないでしょう。喩えで言えばこういうことです。三流国民と言われていた日本人が名誉白人扱いされて嬉
 しがり、白人が黒人差別をしているのを見ても俺自身が差別してるわけじゃないとつぶやいて知らん顔をしている。こういう日本人を私は醜悪だと思いますが、WWF日本委員会の態度はこれと同じではありませんか。欧米でも一部の良心的ジャーナリズムは反捕鯨に一方的に加
 担するような真似はしていません。IWC京都総会の頃、ドイツの「ツァイト」紙はノルウェーの捕鯨漁師の言い分を半ページを割いてそのまま紹介しました。狐狩りや闘牛などの殺生のための殺生は伝統だと言いながら捕鯨は伝統であろうが攻撃する反捕鯨国の身勝手さを、捕
 鯨漁師は訴えています。こうした良心的なジャーナリズムと比べるとWWF日本委員会の態度ははるかに内弁慶的で卑屈だというのが私の印象です。そして第二に、生物の多様化という目標に沿って下等生物であれ哺乳類であれ、本当に絶滅に瀕しているものを科学的根拠に基づ
 いて保護すること。私が貴委員会に手紙を書くようになった発端は新聞にお載せになった反捕鯨広告でしたが、なぜ鯨には広告まで出す癖により絶滅の危険性の高い生物には広告を出さないのかと私は二度に渡って問うたと記憶します。しかしちゃんとしたお答えをいただいてい
 ないように思います。欧米が反捕鯨だからこちらも真似れば自然保護先進国、といった薄っぺらな自然保護ではなく、大衆に受けるようなポーズをとるのでもなく、真に地球のために役立つようなバランスのとれた自然保護を地道にやっていただきたいと思います。そのためには
 、後にも書きますが、都市住民の生活を叩き直すことも忘れずやっていただきたいのです。 (14)エスキモー(イヌイット)の捕獲しているホッキョク鯨が絶滅に瀕しているのに、彼らの捕鯨を認めているWWFの姿勢は明らかにおかしいと思います。エスキモーは野菜のない地方
 に住んでいるとありますが、野菜がないならそれを政府が供給してやればいいだけの話ではありませんか。私は先の手紙にもそう書いたはずです。この点については筋の通ったお答えをいただきたいと思います。
415: 2009/01/06(火) 23:36:57 ID:2JkU9N5I(114/119)調 AAS
 それから、生存捕鯨と商業捕鯨を無理に分ける思考法がそもそもおかしいので、自分で捕って自分で食べるのと自分で捕ってそれを他人に売って他の生活の資を得るのに優劣は
 ないはずです。もっとも「商業」全般をWWFが否定するなら話は別ですが、(2)のお答えでは必ずしもそうではないようですね。日本近海のミンク鯨とエスキモーの捕獲して
 いるホッキョク鯨の資源量の違いが明瞭であるにもかかわらず、へ理屈をつけて前者の捕獲を否定し後者を擁護するWWFの姿勢はまったく非論理的と言わざるを得ません。
 (15)鯨の密猟や密輸が問題であるのは分かりますが、たまたま網にかかった鯨についてまで騒ぎ立てるのは神経症の極と言うべきでしょう。密輸への監視をいっそう強化すべき
 ことは言うまでもありませんし、例えば鯨肉の販売に関しては許可制とし、密輸肉を扱ったら許可を取り消すなど、密輸を防ぐ手段は考えられると思います。
 (16)(18)どうも私の書いたことを理解なさっていないようです。私は鯨が贅沢品になりつつあることを認めますが、贅沢品だから捕鯨はケシカランということにはならないと言
 っているのです。文化はそもそも贅沢なのであり、贅沢だから悪いとは言えない、栄養源として欠かせないからこそ鯨は乱獲されたのであり、現在のエスキモーの捕鯨にしても
 生活に必要だという名目のもとに絶滅に瀕した鯨種を捕獲している、逆に贅沢品だからこそ乱獲しないで少数ずつ捕獲し続けるということもあるだろう、それで何の不都合があ
 るのか、そう言っているのです。
416: 2009/01/06(火) 23:43:44 ID:2JkU9N5I(115/119)調 AAS
 鯨料理が何千円もするとありますが、別に何千円でもお金を出す人がいれば構わないでしょう。ホエールウォッチングにしても何千円もかかるようですし。(17)ホエールウォッ
 チングですが、私は原則的には結構なことだと思います。ただし、捕鯨を抑圧する手段として使わなければ、です。鯨を利用する方法には色々あるので、食べようが見ようがど
 ちらでもいいわけです。それは、牧場で牛を見るのが好きな人もいれば牛肉のステーキにしか興味を示さない人もいて、そのどちらが優れているとも言えないのと同じことです
 。ところが実際にはホエールウォッチングが捕鯨を抑圧する手段として欧米で喧伝されていることは言うまでもありません。それはすでにお答えの文章からも明らかです。「海
 外でも日本のホエールウォッチングが好意的に報道され、(…)外交上の利点など(…)」というのは、要するに「あちらもこちらの習慣に染まってきたから仲良くしてやろう
 」ということでしょう。これはホエールウォッチングが文化的偏見に端を発しており、政治の道具と化している証拠です。同じ文化習慣を持つ国同士しか「外交上」の利益を持
 てないとすると、何とも情けない世界ではありませんか。この点についてWWF日本委員会はどうお考えですか。それから、経済的効果だけでホエールウォッチングを称揚する
 のはおかしいと思います。人間が仕事を選ぶのは現金収入の多寡だけが基準ではありません。外部の圧力とは無関係に選んでいるなら結構ですが、実際にはそうとは言えないだ
 けに、「この方が収入が多い」という表現はきわめて政治的と言わざるを得ません。
417: 2009/01/06(火) 23:49:17 ID:2JkU9N5I(116/119)調 AAS
 農業や漁業のあり方を経済面からのみ考えるのは危険でしょう(WWFも(2)のお答えからすると私と同意見ではないかと思いますが)。例えば、今でも現金収入を手っとり早く上げようとすれば、日本の農家は農業など止めて全員都市部に出てしまえばいいわけです。
 無論米を初め農作物は完全自由化した方が安くなり経済的でしょう。日本の農業はこの場合つぶれるでしょうが、私はそれでいいとは思えません。(19)残念ながらお答えには納得できません。計算したのがホールトだろうと誰だろうと生体容量という概念はナンセンス
 です。例えば、新潟に棲んでいるトキは絶滅を待つばかりになっていますが、同じ鳥だからという理由でカラスと一緒くたにして数を計算するでしょうか。同様にシロナガス鯨とミンク鯨は同じ鯨と呼ばれる動物ではあっても別の種類で、お互い同士生殖は行いません。
 別々に考えねばならないのは当り前ではありませんか。そもそもこの箇所のお答えの文章は意味がよく分かりません。「大型のものを取り除けば…」の文章は、a)大型鯨が多く乱獲されたから生体容量が大幅に下がったのだ b)大型鯨を別に考えればミンク鯨など小
 型鯨だけだと生体容量はたいしたことがない のいずれの意味でしょうか。a)なら、シロナガスやナガスを種別にして資源量の変遷を示せばいっそうはっきり大型鯨の減少が分かるでしょうし、b)なら生体容量が大したことがないからといって小型鯨を乱獲していい
 わけがありません。「BWUが失敗に終わったのは…」の文章も理解しかねます。BWUが失敗したのは経済論理だけを優先させ、種の別を無視したからです。種別を無視する点でBWUと生体容量は同じ誤りを犯しています。いずれにせよ鯨は種別に資源量を示すの
 でなくては意味をなしません。WWFも是非そうしていただきたいものです。実際捕鯨の是非が問題になる場合でも種別に論じているのですし、捕鯨国でもシロナガスなど資源量の少ないものまで捕獲させろと要求しているわけではないのですから。(20)自分と無関係
 な自然ばかりを保護しようとするな、と先進国都市住民に訴えるべきだというのが私の言いたいことですが、理解されていないと思いました。
418: 2009/01/06(火) 23:54:01 ID:2JkU9N5I(117/119)調 AAS
 お返事の「減少したクジラに固執するのを止めることは、その一歩」というのは、その典型です。捕鯨とWWF日本委員会にお勤めの方たちは無関係である、だからこそ「鯨を止めるのが一歩」と簡単に言えるわけです。私は、隗より始めよ、と言っているのです。自
 分に直接関係のあることから始めていただきたい、そうでなければ所詮自己満足に終わるだけだと言っているのです。具体的には、先の手紙にも書きましたが、クーラーや自家用車など、エネルギーの無駄使いや空気汚染につながるものはまず自分から止めるというこ
 とです。もっとも環境保護団体にお勤めの方々は最初からクーラーや自家用車などお使いになっていないかも知れません。その場合は家族親戚・友人知人や同じビルに入っている会社のクーラーや自家用車をやめさせ、次には港区全体のクーラーと自家用車を、そして
 東京都全体の、という風に都市住民の生活を叩き直すことから始めていただきたいのです。それこそが本当の「一歩」ではありませんか。自分はエネルギーを浪費して快適な暮しをしながら、農村漁村や低開発国にのみ様々な要求を突きつけるのは偽善です。それは分
 かっていると口先で言うだけでは足りません。まず自分とその周囲の生活を実際に変えてこそ、農村漁村低開発国に要求を出す権利ができるのだと私は思っています。そうした意識を持たないまま弱者いじめをする自然保護論者が多すぎるのではないでしょうか。ワリ
 バシをやめれば森林は保護される、というバカげた考えが一世を風靡したことがありましたが、自分が大したダメージを受けずに自然環境に貢献できるというのは欺瞞です。自分が苦しむことから始めていただきたい、そして次には、少数者の習慣を改めさせることに
 よってではなく、多数者の習慣を改めさせることによって自然を保護しようと努力していただきたい。それが抑圧から最も遠い自然保護のやり方だと私は思います。あるがままの生態系を回復する、というなら、都市によって破壊された自然を当の都市住民自身が回復
 する、それが「隗より始めよ」の意味です。捕鯨国が少数であることは、反捕鯨を喧伝する理由にはまったくなりません。逆に、反捕鯨の根拠を慎重に検討しなければならないことを意味します。反捕鯨に文化差別・民族差別が少なからず絡んでいること、
419: 2009/01/06(火) 23:57:17 ID:2JkU9N5I(118/119)調 AAS
 他に保護すべき自然が山ほどあることを考えれば、WWF日本委員会の姿勢は厳しく問われなければならないでしょう。責任ある科学的自然保護を推進するためには、この点をなおざりにしないでいただきたいと思います。
 1993年10月15日          三浦 淳
* *
 以後WWF側からの返書はなく、捕鯨問題をめぐる往復書簡はこれで終わる。本誌掲載にあたって三浦からWWFに了承を求めたところ、拒否の返事がきた。したがってこの掲載はWWF側の意向を無視したものであることをお断りしておく。残念ながらWWFの意向に添え
 ないと三浦が判断したのは――(一)発端はWWFの意見広告であるから、それに続く意見のやり取りも公開する義務がWWFにはあると考えられる(二)個人のプライバシーやWWF内部の機密事項に触れる内容ではない(三)WWFの最初の返書は、意見広告へ疑問を寄
 せた多数の人間に宛てられた公的なものである(四)第二の返書は三浦個人に宛てられているが、「この返書は(…)三浦様と同様の疑問をお持ちの方々にもWWFのポジションを理解していただけるよう作成しました」とある以上、公開を前提にしていると考えられる――
 以上の理由によるものである。ただしWWFの返書には担当者の個人名が書かれているが、これは削除しイニシャルのみ記すことにした。他は、わずかな誤植を訂正した以外は、いっさい内容面での変更は加えていない。(三浦記)
420: 2009/01/07(水) 00:03:45 ID:JXs04a9t(1/22)調 AAS
 これから「反捕鯨の病理学」講座を開講します。反捕鯨病は20世紀末に流行している奇病ですが、その病因については十分な解明がなされていません。以下、ささやかながらこの点について寄与を行いたいと思います。なおこの病気の今後ですが、ペストやコレラのように
 一定期間猛威を振るった後でないと下火にならないだろうというのが筆者の予想です。原因究明は病気を治す第一歩ですが、理由が分かればすぐに治るというものでもありません。それに治りたくない患者だっているのですから。
1.二流知識人の卑屈病――文化差別主義に追随する「環境保護」団体WWFJ
 三島由紀夫に『不道徳教育講座』(1960年)というエッセイがある。その「オー・イエス」と題された章で、三島はこんなエピソードを紹介している。
 三島が渡米してあるアメリカ人教授から夕食に招待された時のこと。客は何人もいたが、日本人は三島以外に地方大学総長だという老人だけ。老人は英会話が余り得意ではない。その代わりに「愛嬌をこぼれるばかりに示して」いる。アメリカ人から何か話しかけられると、
 ニコニコしながら『オー・イエス』と答える。オー・イエス、ニコニコ、オー・イエス、ニコニコの繰り返し。傍で見ていた三島は、「サーヴィス精神の旺盛な先生だと感心」する。
 さて、この大学総長、三島が「あんまり若僧なので相客としてのプライドを傷つけられたのか、紹介されてのち全く無関心を装って」いたが、しかし得意でない英会話が途切れると、その場にいる日本人は三島だけであるから、彼を相手に日本語で会話をせざるを得ない。
 総長は三島にこう尋ねる。
 『あーん、君は何かね、何を書いとるのかね』
421: 2009/01/07(水) 00:05:12 ID:2JkU9N5I(119/119)調 AAS
 三島はあっけにとられる。「明治時代の小説に出てくるお巡りさんはよくこんな口調で話」すなと思ったからである。しかし三島が答えようとすると、別のアメリカ人が何事か話しかけてくる。総長はたちまちそちらへ向き直ると、『オー・イエス』と「世にも謙譲な態度
 で、満面に笑みをたたえて」答えるのだった。このエピソードの意味は言うまでもなかろうが、三島はこの後でこう書いている。 「日本人には威張り、外国人にはヘイコラするというのが、明治初年の通訳から、戦後占領時代の一部日本人にいたる伝統的な精神態度であり
 ました。これが一ぺん裏返しになると、外国人を野獣視し、米鬼撃滅のごとき、ヒステリックな症状を呈し、日本を世界の中心、絶対不敗の神の国と考える妄想に発展します。外国人と自然な態度で付き合うということが、日本人にはもっともむつかしいものらしい。これ
 が都市のインテリほどむつかしいので、農村や漁村では、かえって気楽にめづらしがって、外国人を迎え入れます。」
 三島の名に偏見を抱く人は、この文章を文字通りには読もうとしないかもしれない。最晩年を除けば三島が卓抜なエッセイストであったのは読書人なら誰でも知るところだが、念のため別の著作家からも引用をしておこう。
 中村光夫は、『言葉の芸術』(1965年)で高田博厚とロマン・ロランを批判している。発端は高田が岩波書店の雑誌「図書」に載せたエッセイで、そこで高田は昔ロランを訪れた時のエピソードを紹介しているのだ。そのエピソードとはこうである。
 高田はロランに日本語の難しさについて語り、「自分」を表現する場合でも私、僕、我輩、手前など十以上もあり、話す相手によって変えねばならずやっかいだと教える。するとロランは「そんなばかなことがあるか、どこへ行ったって自分は一つじゃないか、なぜ相手次
 第で変わらなければならないのだ?」と怒りだした。高田はその思い出を枕に、現代日本人には封建根性が根強く残っていて、ロランはそこに立腹したのだと「思いあたった」と書く。
 中村はこのエッセイを紹介した後で、高田とロランの両者を痛烈に批判する。
422: 2009/01/07(水) 00:08:57 ID:JXs04a9t(2/22)調 AAS
 高田の文章は、外国の名士の片言隻句に意味ありげな解釈をほどこす我国の知識人の習癖を示すもので、ロランとの会話は実にたわいない議論である。一人称の代名詞が沢山あるのが「封建根性」のせいというのはその通りかもしれない。しかしフランス語にそういう不平
 等な人間関係を表す言い回しがないかというとそんなことはない。主人と召使いが異なる二人称で呼び合うこともあるし、一人称は一つしかなくても、通常の二人称以外に敬称の二人称が存在するのはヨーロッパ語に共通して見られる現象だ。絶対的な平等が現実にはあり
 えない以上、上下親疎の程度をあらわす言い回しがどの国にもあるのは当然で、日本にしかないと考えるのは根拠のない独断に過ぎない。そもそもよその国の言葉の特色が分からないからといって立腹するのは失敬な話で、それなら高田はロランにこう言えばよかったのだ。
 日本語には一人称代名詞は沢山あるが、フランス語のように機能によって形が変わることはない。「私は」が jeで「私に」がmoiで「私を」が meであるフランス人は、人に金をやる時と人から金をもらう時とでは自我の形が違うのか、と。たわいない議論はそれで終わった
 はずだ。さらに中村は次のように述べる。「問題は、こういう考えがたんに高田氏のように特殊な教養と経歴の持主ひとりのものではなく、それに多数の賛成者がいるということです。どうも日本語というのは特別に封建的な言葉らしい、とか、我々の言語生活に表われた
 封建性は反省しなければならないという人がすぐでてきます。」30年も前のエッセイを二つ引いたのは、20世紀も終わろうとしている今日になっても状況にさして変化が見られないからである。やや枕が長くなりすぎたが、以下本論に入ろう。
先の『nemo』第2号に私とWWFJ(世界自然保護基金日本委員会)の捕鯨問題に関するやりとりを載せた。これをもとに、改めてWWFJの態度を批判しよう。私とWWFJとのやりとりには様々な論点があったが、私の消しがたい疑問は次の点である。
(1)  捕鯨問題には、鯨やイルカを特別な動物だとする文化差別主義がからんでいる。純粋に自然保護や資源保護の観点から鯨を保護せよとする運動は、こうした文化差別主義とは一線を画さなければならない。したがってWWFJは、文化差別的な鯨・イルカ類保護運動に   
423: 2009/01/07(水) 00:09:28 ID:JXs04a9t(3/22)調 AA×

424: 2009/01/07(水) 00:13:57 ID:JXs04a9t(4/22)調 AAS
以上の疑問について、WWFJは何一つ答えていない。つまり答えらないわけだ。そうである以上、文化差別主義を支持する団体だとみなされても仕方があるまい。その根底にあるのは、三島や中村のエッセイで指摘されていたような、日本知識階級の卑屈さである。外国では
受容者=弟子としてペコペコし、逆に国内では輸入品を振りかざして啓蒙家=教師を気どる――これが明治以来、日本の二流知識人が一貫してとってきた行動様式だった。同じ知識階級でも一流ならこういう莫迦な真似はしない。日本の欠点は欠点として指摘し、しかし対外的
にも言うべきは言う。例えば鴎外はそうだった。考えてみればそれは当然のことだが、この当り前のことが一番難しいのが日本の二流知識人なのである。現代の日本は、かつてのように知識人が論壇でもっともらしくご宣託を垂れる時代ではなくなっているが、その代役は色々
なものが果たしている。NGOもその一つだ。私はNGOの意義を否定しない。しかし逆にNGOだから無謬で無垢だとも思わない。おかしいと思うところはどんどん指摘させていただく。それに答えられないなら、そんなNGOは消えた方がいいのである。
WWFJに特徴的なのは、対外的な発信能力がないことだ。私は (1)についてはWWF日本委員会が全世界のWWFに提案せよと言ったわけだが、それについて日本委員会は何も答えていない。捕鯨文化を持つ国がそうでない国にこういう提案をするのはごく当然のことだ。
地球上にあらかじめ決まった普遍性などあるはずもなく、普遍とは地域性の集合体にすぎないのだから、地域の特性はその地域に住む者が訴えなければ誰にも分からない。多数者の偏見にしても、少数者がそれを指摘して初めて偏見であることが分かるのである。ところがこの
当然のことがWWFJにはできないのだ。この行動様式は先に述べた通り、日本の二流知識人の特徴である。WWFJは「オー・イエス、ニコニコ」の人だったのだ。
二流知識人の特徴はもう一つある。言葉と行動が一致していないことだ。例えばサロン・コミュニストのように口では共産主義を讃美しながら決して共産主義国では暮らさず、自分の生活も改めようとはしない。WWFJは (4)で明らかなようにこの点でも二流知識人相当である。
さらに二流知識人の特徴を挙げよう。
425: 2009/01/07(水) 00:16:48 ID:uj/3ItXM(1)調 AAS
涙目くん、今度アク禁になったら永久追放の可能性ありよ。
426: 2009/01/07(水) 00:20:03 ID:JXs04a9t(5/22)調 AAS
政治的センスがなく、国際政治の仕組みに無知なことだ。IWCは国際的な組織だからまともだと信じてしまう。様々な偏見と力(「経済制裁」などというのもその一種である。経済力の強い方が有利なわけだから)と身勝手が現実の国際政治を(残念ながら)動かしていること
を知らない。「環境保護」という美名も、そこにあっては偏見の隠れ蓑となり様々な政策の口実に使われることに気づかない。例えば、 (3)で述べたイヌイットの捕鯨である。イヌイットというと恵まれない少数民族というイメージがあるせいか、絶滅に瀕している鯨を捕っても
仕方ないんじゃないかと思う人も多かろう。しかし、イヌイットとはこの場合アメリカ人のことである。世界最強のアメリカ政府はその気になればイヌイットに必要な栄養を含んだ食物を提供して、絶滅に瀕した鯨を守ることができるはずである。実際、良心的なアメリカ人学者
は、日本の捕鯨をやめさせる科学的根拠はない、むしろイヌイットの捕鯨をやめさせるべきだとかつてレーガン大統領に訴えたのだった(『C・W・ニコルの海洋記』)。ところがアメリカは資源量豊富な鯨を対象とする日本の捕鯨には全面的な圧力を加え、全滅に瀕している鯨
を捕る自国民は擁護しているのである。要するにエゴ丸出しなのだが、アメリカのWWFが自国のエゴに気づかないのはある程度やむを得ないとしても、理不尽な抑圧を受けている日本のWWFがこのエゴに気づかないというのは、不思議な精神構造というしかない。(しかしこ
ういう精神構造の日本人が多いことは最後に述べる。)いや、もっとはっきり書こう。アメリカのWWFはこずるいのであり、自分の頭でものを考えないWWF日本委員会はこずるいアメリカWWFの言いなりなのだと。 実際、95年12月の朝日新聞の報道によれば、アメリカの
ブラウン商務長官は捕鯨問題にからめて日本に制裁措置を加えるようクリントン大統領に勧告したという。これは南極海の捕鯨だけではなく、北太平洋など他地域をも含むものである。そしてこの勧告を公表したのがグリーンピースとWWFだったのである。つまり両「環境保護」
団体はブラウン長官を支持するというわけだろう。ここに見られるのは、資源保護とか環境保護とかいう思想ではない。鯨を特別な動物だと見なす動物差別主義、それに基づく民族差別主義である。それほど鯨が大事ならまずイヌイットの捕鯨をやめさせるべきだし、
427: 2009/01/07(水) 00:24:08 ID:JXs04a9t(6/22)調 AAS
本当に鯨・イルカ類で絶滅に瀕しているもの(ホッキョク鯨以外では、川に生息しているカワイルカ)をまず保護すべきだろう。ところがそれと正反対の政策がとられているのは、捕鯨問題が環境保護の美名に隠れて政治的に悪用されている証拠である。グリーンピースやWWF
は環境保護に名を借りた民族差別と身勝手な政治を支援する団体だったのだ。
ところで、前号で私はWWFJとの往復書簡を発表したが、そこに書かなかった事実に触れておこう。前号を見れば分かる通り、WWFJからはこちらの質問に二度回答が来たが、その後右の (1) - (4)で列挙したような疑問を当方が述べたのに対しては返事が来なかった。それ
で私は二度ほど催促状を出したのである。しかし梨のつぶてであった。それで往復書簡を発表するにあたっては、別段断る必要もなかろう(プライベートな内容ではないし営利目的でもないからだ)とは考えたが、まあ一応と思い、「載せますからいいでしょうね、内容にはいっ
さい変更を加えず、余計なコメントもつけません、もし駄目ならちゃんとこちらの疑問に答えなさい」という手紙を出しておいた。実は返事はないだろうというのが私の予想だった。こちらの二度にわたる催促にもかかわらず疑問に答えないのだから、おめおめと返事をよこすは
ずがない。ところが驚いたことに返事が来たのだ。答はノー、そしてこちらの疑問にも答えないというのである。  何と阿呆な団体なのだろう『nemo』がわずか150部の雑誌であることは書いておいたのに、自分の意見を知られるのがそれほど恐いのだろうか。そもそも最
初に新聞に意見広告を出したのはWWFJである。ならばそれに対する疑問には最後まできちんと答える義務があるし、その応答を公開されても文句はないはずだ。それができないのは、まともな団体ではない証拠である。こちらは疑問に答えない限り掲載すると書いておいたの
で、予告通り掲載した。内容にいっさい変更を加えず余計なコメントもつけないというのも予告した通りである。ただし個人攻撃が目的ではないから、二度の返信にあった個人名はイニシャルだけにした。さて、個人攻撃が目的ではないと繰り返した上で、以下で或る事実を指摘
しておこう。
428: 2009/01/07(水) 00:25:09 ID:JXs04a9t(7/22)調 AAS
それは、WWFJからの二度目の返事を書いた人が一昨年朝日新聞の或る記事にコメンテーターとして登場した、という事実である。そのコメントとはこうだ。「野生のイルカと泳いで自閉症を治療したという研究があるなど、イルカには計り知れない将来性がある。
イルカと共存できるルール作りをめざすべきです。」自閉症を治すのにイルカを使うのは結構である。しかし、それはあくまで人間のためなのだ。じゃなければ、いったいイルカの自閉症を人間は治してやったのだろうか。「共存」という言葉はかくもいい加減に使われる。そし
てこの種の論理こそ鯨・イルカ類偏愛国に蔓延しているものであり、果ては鯨・イルカは絶対に殺してはならないという恐ろしい飛躍に至るのだ。「イルカには計り知れない将来性」なるフレーズにはこの匂いが芬々と感じられる。つまりこの人は、自然保護や資源保護、WWF
のモットーであるはずの「自然資源の持続的利用」から一歩も二歩も踏み出したコメントを加えているのである。すでに欧米の鯨・イルカ偏愛主義=文化差別主義に洗脳されている疑いが濃厚だと言えよう。「自然保護」団体に勤務する人が、この手の人間ばかりでないことを私
は望む。私はこの文章を三島由紀夫と中村光夫からの引用で始めて、20世紀も終わろうとしている今日になっても状況にさして変化が見られないと述べた。だから最後は私自身の手でそれを指摘しよう。
最近の話題といえばフランスのタヒチでの核実験である。フランスは南極海を鯨の聖域にという提案をした国だが、だいたい鯨類資源の調査にもろくにカネを出していないし、この提案も真に自然環境を守るためではなくポーズ作りのために過ぎないということは、前号掲載した
私の主張で明らかな通りである。そして今回の南太平洋での核実験はそれを裏書きしたものと言える。
ただ、感情的に反核を叫んでフランスを非難すればいいというものでもない。一部の人が言うように中国の核実験も非難せよ、というのでもない。そもそも過去にさんざん核実験をやってすでに核兵器を備えているアメリカやロシアを非難しないのはおかしいのだし、日米安保
により日本がアメリカの核の傘下にあると見なされている以上、日本は自国で持たずとも核を利用していると批判されても仕方がないわけだ。
429: 2009/01/07(水) 00:25:31 ID:JXs04a9t(8/22)調 AAS
批判はこういう具合に総合的にやらなければおかしいのである。ところで、本年1月末にフランスが6回目の核実験を行った時、朝日新聞
に識者(?)のコメントが載った。その中の「仏政府給費留学生としてパリに留学した作家の荻野アンナ慶応大学文学部助教授」のコメントは以下の通りであった。
《大学の授業で、作家クロード・シモン氏の大江健三郎氏への反論を教材に使った。シモン氏は、第二次大戦前の平和主義が、ドイツの侵略を許してしまったという後悔を語り、チェチェン紛争にみられるように不安定なロシアの脅威を強調した。その見解は、環境破壊など地球
規模の視点を欠いているものの、フランスでは多くの人に支持されている。日本の反核運動もこうしたフランスの歴史や地理を踏まえるべきだ。同時に、日本の被爆体験を理解してもらうためには、自らの侵略についてきちんと謝罪しなければならない。》
最後を読んで、奇妙なことを言うと私は思った。日本は植民地主義に走り侵略戦争を行ったのだから、それを謝罪しないと自分の被爆体験も語れないしフランスの核実験に抗議することもできない、というのである。
なぜ奇妙なのだろうか。昭和初期から20年までの日本の行動については色々な見解があり得るだろうが、それはここでは措く。少なくとも威張れないような行為を相当やっていることは確かだからだ。だから、核実験がフランスのもともとの領土内で行われているならこれでもよ
ろしい。実際はどうか。フランスは南太平洋のタヒチで核実験を行ったのだ。タヒチはもともとフランスの領土だったのだろうか。違う。フランスは19世紀半ばに軍艦を派遣してタヒチの王政を廃し植民地にしたのである。日本が韓国を併合したのと変わりはない。日本は、無論
戦争に負けたからではあるが、現在は植民地主義はとっていない。対してフランスはおのれの植民地主義を謝罪するどころか、植民地を手放さず、そこで核実験を数回行うという真似までやったのだ。要するに第2次大戦後半世紀を経てなおゴリゴリの植民地主義国家なのである。
そのフランスに対して、日本は自分の昔の植民地主義を謝罪しなければものを言えないとする荻野アンナの精神構造はどうなっているのだろう。「フランスの歴史や地理を踏まえ」るとはどうやらこの程度のことらしい。こういう二流知識人を日本の一流大学は助教授に迎えてい
るのだから、日本の知的水準はまだまだ低い。
430: 2009/01/07(水) 00:29:23 ID:JXs04a9t(9/22)調 AAS
反捕鯨病の分析を続けるにあたって、まずこの病気を大まかに分類してみたい。私の見るところ、反捕鯨病は大きく分けて三種類の原因もしくは症状に分けられる。無論、これらが絡み合って複合的な様相を示している病人も少なくない。その三種類とは、次のとおりである。
A.自然環境保護のためと聞くと、内容をろくに確かめずに何でも飛びつき支持してしまう単純エコロジスト病。
B.外国が日本を批判すると、ただちに悪いのは日本側だと反応するアンチ日本症候群。
C.鯨やイルカは特殊な動物で絶対に捕獲してはいけないし、人間とイルカの交流によって素晴らしい未来が開けると信じ込む一種の新興宗教熱(これをオウム真理教、じゃなかった、鯨・イルカ真理教と呼ぼう)。
 この三つの症状のうち一番タチが悪いのは、やはりCであろう。AとBもなかなかやっかいだが、少なくともデータの積み重ねによって論駁もしくは説得することは可能ではある。だがCは宗教であるだけに、論理やデータによる説得は効を奏さない場合が多い。これは聖書
の内容の荒唐無稽さをいくらあげつらってもキリスト教徒を改宗させられないのと同じである。そして、ここが肝腎なところだが、ある人間が宗教に染まりやすいかどうかは、一般に信じられているような知性の高低とは無関係なのである。ここでの知性とは、日本で言えば
偏差値の高い大学に合格できる、程度の意味だ。いや、むしろ中途半端なインテリの方が案外新興宗教や疑似宗教に弱いという事実は、オウム真理教事件で明らかになったばかりである。
 そして現在、反捕鯨を推進する側の最大の心理的論拠になっているのもCなのである。
 ところが、日本の「良心的」な反捕鯨論者はこの点を認めようとしない。それはそうだろう。
431: 2009/01/07(水) 01:15:24 ID:JXs04a9t(10/22)調 AAS
なぜならCには少なくとも現時点では科学的論拠は何もなく、要は「私はこう感じる」というだけの単純極まりない趣味性に基づいているからである。おまけにこれは露骨な動物差別主義であり、人種差別主義の一変種であって、多様な文化や習慣のあり方を認めようとし
ない偏狭なレイシズムに他ならないからだ。自然保護がレイシズムと結びついている、と言われたら良心的な人は困惑するだろう。そこから先、この人のとる道は二つに別れる。まず第一は、反捕鯨運動にレイシズムが関わっていることを素直に認め、それを批判した上で
純粋に自然保護・資源保護の視点から捕鯨問題を論じること。これがまともな道であることは言を俟たないが、そうなったらこの人はもう反捕鯨論者であり続けることは不可能になる。そこでこの人のとる第二の道が現れる。反捕鯨運動にレイシズムが関わっている事実を
否定してしまうのである。そしてとにかく反捕鯨を唱えている人間がいるのだから反捕鯨には論拠があるという循環論法的な言い分に徹してしまう。
その典型的な例として小原秀雄を挙げよう。
小原は女子栄養大の教授で自然保護問題の専門家として知られ、新聞などにもよく登場する人だ。自然保護派の看板を掲げていて日本の捕鯨には批判的だが、表向きCの病状はなく、日本近海の捕鯨は認める立場をとっている。その彼は、95年に朝日新聞社から出た『環境
論を批判する』というアンソロジーに一文を寄せている。題は「クジラとゾウは高等生物だから保護するのではない」。ここではゾウについては触れず、捕鯨問題だけに絞って小原の文章を検討しよう。小原は海外の反捕鯨運動を擁護しようとして様々な論拠を挙げてゆく
のだが、その論調は矛盾だらけなのである。最初の「概要」では次の三点が主張されている。
(1)捕鯨は伝統の所産だから許されるという考えも、鯨は高等生物だから捕鯨はケシカランという考えも野生生物保護の基本からはずれている。
432: 2009/01/07(水) 01:16:22 ID:JXs04a9t(11/22)調 AAS
(2)野生生物を保護するのは自然環境を保護することであり人間環境の保全にもつながるものである、というのが正しい考え方だ。
(3)南極海のサンクチュアリ案は(2)の観点から出てきたものだ。
 このうち最初の二点に関しては基本的には異存はない。ただし言い方が大ざっぱであり、(1)は「いくら伝統でも鯨が死滅するようなら捕鯨はやめるべき」ときちんと書くのが筋である。要は資源量と捕獲量のバランスを考えればいいだけの話だからである。また(2)
 は「保護」が資源利用とあいいれないと考える必要はないので、これもバランスの問題に過ぎない。しかし(3)に関しては到底納得することはできない。現在の南極海のミンク鯨の資源量を考えれば、それに合理的な根拠がないことは明白だからである。
 それはともかく、本文に入ると、小原の文章はこの「概要」を逸脱して支離滅裂となる。反捕鯨派に大甘な彼の姿勢が、整然たる論理展開を不可能にしているのだ。最初の「はじめに」はとばして、次の「野生動物保護は自然保護である」の章を見よう。まず、鯨は日本
 では魚介類と見られているが、実際には哺乳類であるから魚類より再産率で大幅に劣るのだという。だが「魚屋で売られているので国民の印象は魚である」という。バカなことを言うものだ。自然保護の専門家がこの程度のことしか言えないとはと、正直、愕然としてし
 まう。鯨が哺乳類であることくらい、今どきの日本人は誰でも知っている。鯨は哺乳類であり魚類より再生産率に劣る、だからこそ魚類のようにトン数ではなく、ちゃんと頭数で捕獲量を決めているのだ。いったい小原はふだんどのくらいの知的レベルの人間を相手にし
 ているのだろうか。
433: 2009/01/07(水) 01:20:05 ID:JXs04a9t(12/22)調 AAS
 次の段落に行こう。前半の文章をそのまま引用する。「人間が生きていく上でどんな生き物を食べるかは、現在は慣習で決まる。減らそうとする場合に意識を持つ動物をまず食用から外すのが第一歩だとの主張がある。菜食主義者は、その最も徹底した人々だが、確かに
 これも厳密にいえば生命を奪っている。だからと言ってなにを殺して食べてもよいとはなるまい。イルカやクジラ類を高等動物だから、あるいは知的動物だから殺すべきでないという主張は、差別だとはいえまい。食べる生き物のどこまでを許容するかは、各人の考え方
 次第である。欧米の人々が、クジラやイルカのような知的動物を殺して食べるとはとの批判に、人種差別的発想だといきり立ったのは、この点からは見当はずれであった。」論理が滅茶苦茶だし文章にもおかしな箇所があるが、ともかく検討していくと、まず小原は菜食
 主義者などは差別ではないというのだが、どうしてそう言えるのだろう。菜食主義者とは差別主義者に決まっているではないか。野菜という生物は食べてもいいが、動物という生物は食べてはいけない、これを差別と言わなくて何を差別と言うのだろう。もっとも、誰か
 が「自分は菜食主義者だ」という限りにおいては問題はない。好きでやっているのだから勝手にすればいい。差別といっても、個々人の好みの問題に帰着する部分は他人が口出しすべきではないからだ。差別は、それが個々人や共同体の慣習に根ざす限りは、そしてその
 個人や共同体内部の人間が納得している限りは、趣味性や文化的習慣という言葉で片づけて差し支えない。だから「どういう食べ物なら許容できるかは各人の考え方次第である」というところだけなら小原の論理はよろしい。
 問題はその後だ。菜食主義者を差別主義者として批判しなくてはならないのは、自分の趣味性を物差しにして他人を計る場合である。自分の趣味性を絶対化して、「動物を食べるなんて」と他人に攻撃を向ける時、菜食主義者は差別主義者となり批判さるべき存在となる。
 肝腎なのはここである。「自分は嫌だから食べない」というのと、「他人が食べるのが嫌だから食べさせない」というのは、まるっきり別物なのだ。前者はあくまで自分の趣味の範囲だが、後者は差別行為そのものである。「鯨イルカ類は高等生物だから食べるなという
 欧米の主張に対し、
434: 2009/01/07(水) 01:24:40 ID:JXs04a9t(13/22)調 AAS
人種差別的な考えだといきりたつのは、見当はずれである」という小原の主張は、したがってまるで見当はずれである。「(…)欧米の主張は、人種差別的な考え方の見本である」と書かねばならない。思うに、小原は差別ということが全然分かっていないのではないか。
自分が欧米人から差別される可能性があるなどと考えたことがないのかも知れない。だから、欧米人が何かを言うとそれには正当な理由があると頭から決めてかかり、自分が差別されていることが意識に上らないのだろう。差別されるのはまともな知性を持った人間には
不愉快なことであるはずだが、小原にはどうやらこの種の知性が欠如しているようだ。一見知識人風の日本人がしばしばこうした精神構造を持っていることは、先回分析したのでここでは深くは立ち入らない(症状Bである)。一つだけつけ加えておくと、食習慣の違い
は差別につながりやすいということだ。94年に出て話題になった辺見庸『もの食う人びと』でも、ドイツ人のトルコ人労働者への、日本人の在日朝鮮人等への食を媒介とした差別意識が指摘されている。自戒の念を忘れず、同時に自分が差別されたら毅然と反論する心構
えを持ちたいものだ。同じ段落の後半に行く。「動物愛護精神や感情は欧米では強烈であるから、生態的な見方に基づく反捕鯨論が大衆にも理解されているとはいえない。」私もそう思う。そしてこの「動物愛護」とは、自分の趣味を多民族にも押しつけることであるか
ら、差別にあたることは私が右で論証したばかりである。ところが小原は次にこう書く。「捕鯨モラトリアムが提起され(…)ストックホルム会議での国際世論の主張と、その背景になる基本理念は、明らかに地球上の自然を保全するためであった。」なぜ「明らか」な
のか。ここは一番論証の必要な部分ではないか。大衆に差別的な反捕鯨論がはびこっていることは小原は認めている。とすれば、民主主義の原則 ―― 一国はその国民の知的レベルに見合った政府しか持てない――によって、きれいごとの「基本理念」の背景に差別感情
があるのではないかと疑ってみるのは、常識であろう。差別を「差別ですよ」といって実行に移すバカはいない。差別にはいつもきれいごとの理念が隠れ蓑としてつきまとうものだ。ところがこの肝腎の作業を小原は省略してしまう。以下、「
435: 2009/01/07(水) 01:30:00 ID:JXs04a9t(14/22)調 AAS
 野生動物保護の基本理念は正しい」という類の文章が、論証ぬきで続くのである。そして野生動物は飼育される動物とは違って、自然環境に深く関わっているから保護しなくてはならないとくどくど繰り返すのだが、その根幹にあるのは「保護」は「利用」とあいいれず
 、少しでも「利用」すると野生動物が絶滅するがごとき論法である。まるでちょっとでも体に汚れがつくと病気になると思いしつこく手を洗い続ける潔癖症患者のようだ。この論法で行くと大多数の魚類は野生なのだから保護されねばならないはずであるが、しかしどう
 いうものか小原の論理には魚類は入ってこないのだ。 途中をとばして終わり近くの「利用のためのゾーニング(地域区分)をどうするか」を見ると、それが一目瞭然となる。「捕鯨に関して私が一貫して主張してきたのは、少なくとも公海から撤退すべしとのことであ
 る」「公海の大部分は自然のままにしておくべきだ」という。ならば公海での一般漁業もやめるよう主張すべきであるが、「海洋上での過剰漁業が問題」とわずかに触れるものの、どういうわけか「全世界に公海での漁業はやめさせるよう働きかけよう」といった主張は
 全然見られない。ひたすら捕鯨についてだけ公海から撤退せよと言い募るのだ。これはこの一文の題が「クジラとゾウ」だから、という逃げ口上は通じない。現在公海上で行われている捕鯨の規模と、一般漁業の規模を比べれば、小原の論理からするとどちらをやめさせ
 ねばならないかは明瞭であろう。にもかかわらず小原が公海上での一般漁業をやめさせよと主張しないのは、欧米がそれを主張していないからではなかろうか。小原の主張はそれほどに他律的なのである。 最後に、南極海の鯨聖域案について述べておこう。小原の主張は
 ここでもあくまで他律的である。「日本側の主張が、本質的に科学的ならば、もっと同調する声が上がってもよい」「日本側のいう科学性が、生態学や環境科学の上からも充分に科学的ならば、国際的になぜ孤立したのだろう」というのだが、ここに見られるのは、政治
 と科学が別物であるという認識がまるでなく、政治で決まったことを科学的だと考える恐るべき無知である。多数決でことが決まるなら科学者とは楽な商売と言うべきだ。小原はこの一文で科学者たることを放棄したも同然だろう。
436: 2009/01/07(水) 01:35:23 ID:JXs04a9t(15/22)調 AAS
 声の大小に影響されずにデータを自分で調べ自説主張するという、科学者として必要最低限の姿勢がまるで見られない。これは差別に対する感覚を欠くという彼の資質と無縁ではない。なぜなら、差別の自覚はいつも少数派から始まるからである。少数派が多数派に抗議
 て声を上げるところからしか差別を撤回させる行動は始まらない。多数派はいつも正しいと信じる者は、差別というものが根本的に理解不可能な人間なのである。 聖域案がIWCで通った理由は簡単である。捕鯨問題が、捕鯨国以外の国にとってはどうでもいいことだ
 からだ。日本やノルウェー以外の大多数の国は捕鯨に利害関係を持たないので、非科学的な理由であろうと声の大きい反捕鯨派に同調しておいた方が楽だし、自然保護のポーズもとれて便利だからである。逆に言えば、捕鯨に賛成しても非捕鯨国は何の直接的利益も得ら
 れないし、国内の差別的な反捕鯨派からは叩かれる、面倒だから聖域案に賛成しておこう、それだけの話なのである。一般漁業ならこうはいかない。一般漁業での乱獲は大西洋でも問題になっているが、これは欧米各国も密接な利害を持っているから、漁業規制や資源保
 護は話題になっても、「漁業は、野生生物を捕獲する行為で自然保護に反するから、全部やめましょう」などというふざけた意見を述べたり、いわんやそれに賛成したりする国はない。国際政治とはこういうもので、ご都合主義的部分が相当にある。それが政治的感覚を
 欠いた小原には分からない。もう一つだけ小原の議論に特徴的なところを挙げておこう。捕鯨問題についての日本での報道が「ナショナリズムを煽る」としていることだ。この「ナショナリズム」という言葉は、「良心的」な人が時事問題の論評によく用いるものだが、
 どうも内容をきちんと吟味して使っているようには思われない。ナショナリズムとは、帝国主義に対する批判として出てくるものであって、ナポレオンの行軍に対してドイツやロシアが立ち上がったのもナショナリズムなら、英国の支配に対してインドが立ち上がったの
 も、日本を含む列強の支配に対して中国が立ち上がったのもナショナリズムなのである。そして帝国主義はしばしば政治的優位に立つ国の普遍主義の仮面をかぶって現れるのだ。ナショナリズムはそうした政治的普遍主義への抵抗の土台を提供するものであった。「ナシ
 ョナリズムはいけません」などと言っていたら、
437: 2009/01/07(水) 01:39:10 ID:JXs04a9t(16/22)調 AAS
 植民地の独立などあり得ないことになってしまう。無論、ナショナリズムは偏狭な排外主義に転じやすい。したがって、ナショナリズムそれ自体は両義的なのであって、その点をふまえずにこの言葉を軽々しく使うわけにはいかないのだ。そして、現代は昔と違って露骨
 な植民地主義は不可能になっているが、代わりに別な形での帝国主義が台頭していることを見逃してはならない。メディアの発達による文化帝国主義がそれだ(トムリンソン『文化帝国主義』という本がある)。ここでは詳述しないが、捕鯨問題にはこの文化帝国主義の
 影がつきまとっている。少数派である捕鯨国に「ナショナリズム」のレッテルを貼るのは、新しい帝国主義に加担するものだとの認識は最低限必要だろう。
3.アメリカ・インテリの反捕鯨病を観察する
 日本の「環境保護」論者がいかにデタラメで欧米の偏見に不感症かを示すために小原秀雄を取り上げた。他にも批判に値する人間はいるが、日本人ばかり叩いていると自分もB症状の患者だということになってしまうから、
438: 2009/01/07(水) 01:41:04 ID:JXs04a9t(17/22)調 AAS
 以下で、「自然保護」の観点からではない、鯨を特殊な生物とする観点Cからの反捕鯨論がアメリカでいかに盛んかを見よう。最初に述べたとおり、日本人の反捕鯨論者はこの点から目を反らしがちだが、自分が差別されていることに鈍感な人間は所詮他人の精神的奴隷
 に過ぎないことを肝に銘じるべきだろう。新しい本から取り上げよう。ジョン・ダニング『死の蔵書』(宮脇孝雄訳、早川書房)という推理小説がある。日本では96年に翻訳出版されたばかり、宝島社『このミステリーがすごい!』96年海外部門で第一位に選ばれた作品
 だそうで、古本が材料になっていることもあり買ってみたのだが、意外にもここに捕鯨問題の影を発見したのだ。警察官をやめて古本屋になった「私」は殺人事件に巻き込まれるが、リタという美人の古本業者と知り合って惹かれるようになる。しかし彼女が事件の犯人
 ではないかとの疑いも抱く。初めて彼女の屋敷に入ると、室内の装飾品や写真には鯨が目立ち、捕鯨船の前に立ちはだかっているグリーンピース闘士の写真もある。その後初めて二人で食事をすると、彼女が環境保護論者で菜食主義者だと分かる。彼女の所有していた高
 価な古本を買うと、「小切手の振り出し先はグリーンピースにしてちょうだい」と言われる。唖然とする「私」に、彼女はこう言い放つ。「毎朝、目を覚ます気になるのは、グリーンピースがあるからよ。」
 しかし、やがて「私」と親密な関係になったリタは菜食主義を放棄してステーキにかぶりつく。「処女を失う日。肉食に戻る日。あたしって、本当は気まぐれで野蛮な生き物だったのかもしれないわ」と彼女は言う。そして壁の反捕鯨闘士の写真がかつての恋人であるこ
 とを打ち明ける。こうした描写からアメリカの時代背景を見てとることができよう。事件は86年に起ったという設定だから、反捕鯨運動がまだ燃え盛っていた時期である。リタは数年前には恋人の影響もあって反捕鯨に熱中し菜食主義者になったが、新しい恋人「私」が
 できて、あっさり菜食主義を放棄してしまうというわけだ。ただし、最後近くで彼女は「私」に殺人の嫌疑をかけられていると知って失踪する。やがて彼女の無辜を知った「私」が探してみると、リタはグリーンピースに戻っていることが分かる。せっかく新しい恋人が
 できて新興宗教から足を洗ったのに、
439: 2009/01/07(水) 01:49:17 ID:JXs04a9t(18/22)調 AAS
 殺人嫌疑にショックを受け逆戻りしてしまったのだ。『死の蔵書』がアメリカで出たのは、事件の設定年から6年後の92年。 70年代から80年代にかけての反捕鯨熱をある程度距離をおいて見られる時代である。作中には残念ながら反捕鯨を撤回するような言辞は見られな
 いが(そんなことを書くと環境保護団体からつるし上げを食い売上に響くのだろう)、少なくとも菜食主義に対するアイロニカルな視点ははっきり感じることができる。リタはある時期のアメリカ・インテリ層の典型的な行動様式を示しているが、よく考えればそこには
 大きな矛盾がひそんでいる。菜食主義者は、他人に自分の趣味を押しつける限りにおいて批判されるべき差別主義者になる、と私は先に書いた。捕鯨に関しては彼女はその押しつけを認め支持している。しかし自分の主義を他人に押しつけることがあくまで正しいと思う
 なら、捕鯨ばかりでなく一般の漁業や家畜の屠殺をも批判しやめさせなくてはならないはずである。だが彼女はそうした行動には走らない。一般漁業や家畜屠殺を批判することは、大多数のアメリカ人の食生活を批判することであるから、周囲の人間を敵に回す結果にな
 る。彼女はそうした行動には走らず、遠い日本やノルウェーの食生活に対してのみは強圧的な態度をとるわけだ。この安易さと身勝手さにアメリカ・インテリ層の大きな盲点があると言えよう。キリスト教や社会主義といった信じるべき大規範が失われた現代、カルトが
 流行するのはある意味では当然だろう。それはインテリであっても例外ではないし、むしろインテリの場合はもっともらしい理屈をつけてカルトを正当化するすべを心得ているだけいっそうタチが悪い。右では小説を例にとったが、フィクションだけでは説得力に欠ける
 から別の例を見よう。落語家・笑福亭猿笑に『くじら談議』(ブックマン社、1993年)という著作がある。彼は93年5月、「ニューヨーク・タイムズ」に捕鯨を擁護する意見広告を出した。この広告に寄せられた手紙がいくつか紹介されているが、中に「テキサス大学助
 教授ロバート・デュウリー」からの手紙がある。そのまま引用すると、
 
440: 2009/01/07(水) 01:50:23 ID:JXs04a9t(19/22)調 AAS
 この人は多分、思考と行動において平均的な大学人よりかなり尖鋭的なのだろうが、これを読むとアメリカ・インテリの悲惨な思考形式がよく分かる。まず鯨の資源状態がどうなっているかなど事実をきちんとふまえる姿勢がまるでなく、自国の「捕鯨=悪」という偏
 見をはなから疑いもしない。そしてその偏見を他国に押しつけるにあたって、目下地球上で政治・経済・軍事面で最強を誇っている自国の力を用いることに寸毫のためらいも覚えない。まるで「僕んちのパパは社長だから、言うことを聞かないとお前の親父をクビにして
 もらうぞ」と威張る子供同然である。 歴史認識においても一方的で、「世界の警察官アメリカ」そのまま、自国は正義だと信じきっている。日本の大学教師にもひどいのがいるが、アメリカもそれに劣らないなと感心してしまう。ここは歴史認識を論じる場ではないか
 ら簡単に書くが、第二次大戦まで十数年間の日本が侵略的であったことを私は認めるけれど、だからといってアメリカが正義の味方であったということにはならないのである。アメリカは19世紀末から米西戦争など帝国主義的行動をとるようになり、植民地獲得に走った
 のだ。ヨーロッパ列強の猿真似をしたことでは日本と同じである。その結果獲得した植民地のうちフィリピンは独立しているが、ハワイはいまだにアメリカ領である。東条時代の日本を論難するなら、敗戦によって植民地を手放した日本に捕鯨問題で圧力をかける前に、
 ハワイ独立運動のために奔走するのが筋じゃないんですか。 (この項続く)

補論:鬼頭秀一『自然保護を問いなおす』書評
441: 2009/01/07(水) 02:19:44 ID:JXs04a9t(20/22)調 AAS
ここで補論として、96年春に出た鬼頭秀一『自然保護を問いなおす』(ちくま新書)を紹介して内容を検討してみたい。 結論めいたことから言うと、これは「地球にやさしく」「自然との共生」といった流行のスローガンに惑わされることなく、自然保護とはいったい何
なのかをきちんとつきつめて考えた、大変すぐれた書物である。都市生活者が短絡的に「自然保護」を唱え、自然の中で暮らしている地元住民がそれに反対するという構図がしばしば見られること、「自然」と「人間」を二項対立的にとらえ前者を神化する思考様式の欠
陥、アメリカ自然保護思想家ソローが都市生活者であり啓蒙主義的な立場でものを言っていたに過ぎず、彼が「自然の中で」暮らした小屋は実際には都市に隣接していたこと、自然保護思想と超越主義とのつながり、自然保護思想家の唱える「地球全体主義」が文字どお
りの全体主義になりかねないこと、「原生自然」という観念の歴史的成り立ち、など、「自然保護」に関わろうという人間なら一度は考えておくべきこと・知っておくべきことがここにはぎっしり詰まっている。 特に自然と人間を対立的にとらえるのではなく、両者の
関わりの全体性を説く箇所は秀逸であるが、全体性という(ニューサイエンス風の)言葉を先走らせて物事を単純化・没論理化することを避け、あくまで分析的な作業の積み重ねで全体性を論証していこうという著者の堅実な姿勢は、右で批判した小原秀雄の、野生動物
や原生自然を絶対化してひたすら保護を唱える単純な物言いと比較すると知的レベルにおいて雲泥の差がある。私自身、漠然と考えていたことがこの本の中で様々な資料によりきちんと論証されているのに驚嘆したし、実に多くを教えられた。さて、そうした評価をはっ
きり書いた上で、この著書の中に出てくる捕鯨問題の扱われ方に触れてみたい。もとより捕鯨問題はこの本の中ではごく簡単に言及されているだけであり、著者からすればその部分で著書をあげつらわれるのは不本意であろう。実際、捕鯨に触れる最初のところで「詳し
くは論じられないが」と断っている。私もその点をあらかじめお断りした上で以下の感想を述べることにする。著者は、日本沿岸の捕鯨と南極海の捕鯨とを区別する。前者は地域と結びついた伝統的な文化的・社会的連関を多分に残しているので、都会市場への流通によ
り乱獲に陥る恐れがあるところをきちんと制限すれば問題ないとする。
442: 2009/01/07(水) 02:20:42 ID:JXs04a9t(21/22)調 AAS
私もこれには同意見である。後者については、南極海と日本は地域的つながりがないし海洋資源の所有権がどこまで及ぶかという問題があり難しいとする。私が引っかかったのはこの箇所である。
そしてそれは、単に捕鯨問題だけではなく、この本全体が現代社会の中でどういう役割をはたし得るかに関わってくるが故に、小さからぬ疑問なのだ。捕鯨に触れているのは「具体的な展望の中で」という章であるが、ここで著者は、都会生活者は単に「切り身」を消費
するだけではなく、生産者と何らかの形でつながることで、見えにくくなっている生産と消費のリンクを意識していくべきだとする。そこまではいい。次に著者は「理想的には、なるべく地域で生産したものがその地域の中で消費されるようなあり方が望ましい」と言う。
ここに来ると私は首をかしげざるを得ない。勿論、著者はこれが無理な相談であることを認識しつつ、「現実的にそこまでなかなかいけないにしても」とすぐに付け足すのだが、堅実だった著者の姿勢がここでやや逸脱している感がある。「切り身」は、好むと好まざる
にかかわらず現代社会の宿命だと私は思っている。日本の伝統的食品である豆腐は現在は多くが輸入大豆で作られているし、やはり日本人がよく食べてきた魚介類にしても輸入物が増えている。宿命とは、それをよしとしてその上にあぐらをかくことではない。一方で
「切り身のリンク」を知悉しつつ、しかしこの産業・商業社会では所詮切り身を免れ得ないのだと認識していることを意味するのである。「切り身のリンクを意識すること」を極論化すると、結局は自然の絶対化を行う単純エコロジストと同じでアナクロニズムになって
しまう。 そして著者が右のような議論の後に捕鯨問題に言及する時、こうした疑問は一層強まる。なぜなら「南極海の鯨は日本だけのものではない。みんなで利用法を考えよう」といった言い回しは、資源量から見て捕鯨を中止させる根拠が怪しくなってきた時に、自然
保護団体が窮余の策として編み出した詭弁という色彩がきわめて濃いからだ。(南極海の捕鯨史を考えれば、この論法の奇妙さはすぐ分かるだろう。)
443: 2009/01/07(水) 02:21:21 ID:JXs04a9t(22/22)調 AAS
その背後にあるのは、無論、鯨類を特殊な動物と見なし資源量とは無関係に捕鯨そのものを悪とする文化差別主義に他
ならない。私がここで文化という時、それはIWCも認めているような原住民捕鯨とか生存捕鯨などに見られる狭義の文化を指すのではない。大昔からやっているから、或いは先進国や都会から縁遠い生活をしている人たちの捕鯨だから認めるというのは、バカバカしい
文化観である。同じ先進国でも、アメリカ人は鯨を食べず日本人は食べる、文化の相違とはそういうことである。商業や産業を奇妙に敵視する思考法(右で批判した小原もそうである)は単純エコロジストにしばしば見られるものであり、捕鯨問題を論じる時にも大きな
足かせになっている。ノルウェーはモラトリアム後に捕鯨を再開する時、商業捕鯨ではなく伝統捕鯨だと言わなくてはならなかった。一方イヌイットは、きわめて数の少ないホッキョク鯨を捕獲しながら生存捕鯨の名のもとに認められている。こうした歪んだ文化観や商
業観が捕鯨論議をおかしくしている元凶の一つであることを忘れてはならない。 確かに現在は公海の自然資源を、いかに過去の実績があれ無料で利用できる時代ではない。入漁料として様々な形での国際貢献を行うことも捕鯨再開には必要だろう。しかし商業だからいけ
ないという議論はナンセンスである。鎖国をし自給自足経済によっていた江戸時代の日本にしても、国内では大規模な流通や商業が行われていた。まして交通や流通経路が世界的に発達した現代においてをやである。商業や流通は人類の歴史と共にあるのであり、人類の
宿命である。ただ、過去に行われたような資源の乱獲乱用を防ぐべく監視体制を強化し、持続的利用の可能範囲について調査や分析を怠らないこと、これが肝要なのだ。こうした前提を認めない限り、まともな捕鯨論議は不可能であろう。
444: 2009/01/07(水) 08:33:16 ID:YjAjIX4r(1/2)調 AAS
外部リンク[html]:english.aljazeera.net
アルジャジーラTuesday, January 06, 2009
メッカ時間12:19 Mecca time, 09:19 GMT
アジア太平洋ニュースNews Asia-Pacific
Japan seeks ban on whale protesters 日本は鯨抗議船の禁制令を模索
(血煙写真:Sea Shepherd activists have frequently clashed with whalers in the waters off Antarctica [GALLO/GETTY])
Japan's foreign ministry has said it plans to ask Australia and possibly New Zealand and Chile to ban
an anti-whaling ship from using their ports to refuel.
日本外務省はオーストラリアと、場合によってはニュージーランド、チリに反捕鯨船がその港を燃料補給に
使用することを差し止める要請を計画していると語った。
Japan has accused the conservation group Sea Shepherd and the crew of its ship, the Steve Irwin,
of acting "like pirates" in their efforts to stop Japan's annual whale hunt in Antarctic waters.
日本は保護団体シーシェパードとその船スティーブ・アーウィンの乗員を「海賊行為類似」の行動で
日本の例年の南極海での捕鯨を阻止しようと試みていると批難した。
The announcement came after Japanese fisheries officials said the whaling fleet had temporarily suspended
their hunt following the death of a crewman.
この声明は日本の水産当局者が、現在船員の死亡により捕鯨船団が一時捕鯨を停止していると発表した後に
明らかにされた。
The sailor, who has not been named, apparently fell over board in high seas and his body has not been recovered,
despite an extensive search.
氏名が公表されていないこの船員は、明らかに甲板から公海へ落ちたもので、集中的捜索にもかかわらず
体はまだ発見されていない。
The incident was not believed to be related to activities of Sea Shepherd or any other protest group.
この事故はシーシェパードやその他抗議グループの活動とは関連が無いと考えられている。
445: 2009/01/07(水) 08:34:36 ID:YjAjIX4r(2/2)調 AAS
欄外
|"They have obstructed our activities in the past, and their action is extremely dangerous.
|They are like pirates"
|Chiharu Tsuruoka,
|Japanese foreign ministry
|「彼らはかつてわれわれの行動を妨害しており、彼らの行動は非常に危険である。
|彼らは海賊のようなものだ。」
|鶴岡千晴、日本国外務省
446: 2009/01/07(水) 22:36:47 ID:Cab1SSq4(1/7)調 AAS
(アルジャジーラつづき)
Earlier this week the crew of the Steve Irwin said they had left their pursuit of the Japanese fleet in order to return to port to refuel.
今週はじめ、スティーブ・アーウィンの乗組員は日本船団の追跡をやめ、港へ給油に帰ると言った。
The ship had been pursuing the Japanese whaling fleet for more than 3,000km and have vowed to use all means necessary
to prevent the hunt from going ahead.
船はこれまで3000km以上日本の船を追跡し、捕鯨が進行することを阻止するにに必要なすべての手段を行使すると誓約した。
Japan has said it will ask countries where the Sea Shepherd crew might dock to refuse entry to the vessel.
日本はシーシェパードが入港しそうな国々にこの船を拒否するよう要請するつもりだと語っていた。
"We are going to request a port closure against it," Chiharu Tsuruoka, an official with the Japanese foreign ministry, said.
「われわれはこれに対して港を閉鎖するよう要請しようとしている」と日本外務省官僚、鶴岡千晴氏は語った。
"They have obstructed our activities in the past, and their action is extremely dangerous. They are like pirates."
「彼らは過去にもわれわれの行動を妨害してきたし、彼らの行動はきわめて危険である。彼らは海賊のようだ」と発言している。
447: 2009/01/07(水) 22:37:35 ID:Cab1SSq4(2/7)調 AAS
(アルジャジーラつづき)
Last month, the whaling fleet came under attack when Sea Shepherd activists lobbed 25 bottles of foul smelling rotten butter at the fleet.
先月、捕鯨船団はシーシェパード活動家たちの攻撃を受け、腐敗臭のする腐ったバターの瓶25本を投げ込まれた。
The group has denied Japanese assertions that the Steve Irwin rammed a Japanese ship.
このグループは日本側の主張、スティーブ・アーウィンが日本船に激突したということを否定した。
The Japanese whaling fleet plans to harvest up to 935 minke whales and 50 fin whales this year under
International Whaling Commission rules that allow the animals to be killed for research purposes.
日本の捕鯨船団は調査目的のために動物を殺すことを許している国際捕鯨取締条約に基づき、今年は935頭までのミンククジラ
と50頭までのナガスクジラを捕獲する予定である。
But opponents say the Japanese hunt is just a cover for commercial whaling, which was banned in 1986,
and that real research into the whales does not necessitate killing them.
しかし反対者たちは日本の捕鯨が、1986年に禁止された商業捕鯨の隠れ蓑にすぎず、現実の鯨類調査には
彼らを殺す必要は無いと言っている。
外部リンク[html]:english.aljazeera.net
アルジャジーラTuesday, January 06, 2009
メッカ時間12:19 Mecca time, 09:19 GMT
アジア太平洋ニュースNews Asia-Pacific
[Japan seeks ban on whale protesters 日本は鯨抗議船の禁制令を模索]
448: 2009/01/07(水) 22:39:06 ID:Cab1SSq4(3/7)調 AAS
外部リンク[html]:www.stuff.co.nz
ニュージーランド報道協会
【Captain rejects Japanese harassment claims 船長は日本の主張するハラスメントを否認】
Wednesday, 07 January 2009
The captain of an anti-whaling ship, which offered to help search for a Japanese whaling ship's missing crewman,
rejects claims he continued to harass the whalers during the search.
日本捕鯨船の行方不明になった船員を捜索することに援助を申し出た反捕鯨船の船長は、捜索中の捕鯨船に
嫌がらせをしているという主張を否認した。
The Sea Shepherd Conservation Society's ship Steve Irwin has been pursuing Japanese whaling ship Kyoshin Maru
No 2 in an attempt to prevent it whaling.
シーシェパード保護協会の船、スティーブ・アーウィンは捕鯨を阻止するために日本の捕鯨船第2共新丸を追跡していた。
Early on Monday morning Hajime Shirasaki, a 30-year-old engine room oiler, was reported missing from the
Kyoshin Maru No 2 and is believed to have been washed overboard, and drowned, in Antarctic seas with four metre swells.
月曜日早朝、30歳のエンジンルーム・オイラー白崎玄が第二共新丸から行方不明になったと伝えられ、南極海の
4メートルの高波により船外に転落して溺れたと思われていた。
The Japanese ship claimed the Steve Irwin's harassment continued while it was searching for the missing man.
日本船は行方不明者の捜索中にもスティーブ・アーウィンの嫌がらせは継続されたと主張した。
The Steve Irwin approached without its lights on and "began to harass and disrupt navigation", a statement said.
スティーブ・アーウィンは無灯火で接近し、「嫌がらせを開始し、航行を中断させた」と声明している。
The statement said the Steve Irwin called the Japanese vessel and said it had "come to help in the search for the missing crewman".
この声明によると、スティーブ・アーウィンは日本船に通信し、「行方不明の乗員捜索を助けにきた」と言ったとのことだ。
449: 2009/01/07(水) 22:41:55 ID:Cab1SSq4(4/7)調 AAS
(ニュージーランド報道協会つづき)
The Japanese responded "we will not accept any help nor cooperation from the Sea Shepherd who has been harassing
our research vessels".
日本側は「われわれはいかなる援助も受け入れず、われわれの調査船に嫌がらせをしてきたシーシェパードとの
協調も受け入れない」と答えた。
The Dutch-registered ship replied "we will restart harassing the whaling vessels once the search is over".
オランダ籍の(シーシェパード)船は「捜索が終わり次第捕鯨船への嫌がらせを再開する」と答えた。
Kazuo Yamamura, president of the Japanese ship's operator Kyodo Senpaku Kaisha, said the Steve Irwin disrupted the search.
日本の船舶運用会社、共同船舶の山村和夫社長は、スティーブ・アーウィンが捜索を中断させたと語った。
"There is a distinctly uncaring nature about Sea Shepherd people in that they are prepared to disrupt the search for a
missing seaman for their own ends."
「シーシェパードの人々に関してはこれは明らかに不用意なことだ、彼らの最終目的は行方不明の船員の捜索を
妨害することであり、その準備をしているのだから」としている。
Captain Paul Watson told NZPA it was "rude and unfair" for the Japanese ship to make such accusations.
ポール・ワトソン船長はニュージーランド報道協会(NZPA)に対して、日本船がこのような批難をすることを
「無作法で不公正だ」と語った。
"We told them very specifically that we were not there to harass them, that we respected their situation.
「われわれは彼らに非常に明確に、われわれが彼らに嫌がらせをするために来たのではないこと、彼らの
状況を尊重することを語ったのだ」、
"So, I was rather shocked to hear that they said we were harassing them."
「われわれが彼らを困惑させたと聴いて、どちらかというとショックをうけた」とし、
Mr Watson said the Japanese strategy was to demonise the anti-whalers.
ワトソン氏は日本の戦略が反捕鯨者を悪魔化することなのだと語った。
450: 2009/01/07(水) 22:44:15 ID:Cab1SSq4(5/7)調 AAS
(ニュージーランド報道協会つづき)
"The fact is we're not breaking any laws. We haven't hurt anybody, we haven't damaged any equipment.
But we have prevented them from killing whales.
(ワトソンはつづけて)「事実は、われわれが法を犯していないということだ。われわれは誰も傷つけてはいないし、
器物を破損もしていない。われわれは彼らが鯨を殺すことを阻止しているのだ。
"The biggest crime we've committed down here is saving lives."
ここでわれわれが犯した最大の罪は生命を救ったということだ。」
The Japanese whaling fleet has not killed any whales since December 20 and Mr Watson is confident his teams
efforts have reduced the number of whales killed and reduced the company's profits.
日本の捕鯨船団は12月20日以来、一頭の鯨も殺しておらず、ワトソン氏はかれのチームの努力、
殺される鯨の頭数を減らすことと、会社の利益を削減することについて確信している。
The Steve Irwin was returning to Hobart for refuelling and was being followed by a Japanese ship for the last 12 hours,
Mr Watson said.
スティーブ・アーウィンは給油のためにホバートへ向かっており、12時間日本船に追跡されていると
ワトソンは言った、
"As long as they're chasing us they're not killing any whales."
「彼らがわれわれを追っているかぎり、鯨を殺すことはできない。」
Maritime New Zealand's official search for the missing Japanese seaman has been called off.
ニュージーランド海洋当局公式の日本船員捜索は中止された。
NZPA(ニュージーランド報道協会)
451: 2009/01/07(水) 22:45:15 ID:Cab1SSq4(6/7)調 AAS
外部リンク[htm]:www.abc.net.au
オーストラリアABCニュース
【Whalers accuse Sea Shepherd of disrupting sailor search :捕鯨船はシーシェパードが船員捜索を妨害したと批難】
Posted 3 hours 21 minutes ago
Updated 2 hours 16 minutes ago
Paul Watson says an offer to help with the search was rejected.
ポール・ワトソンは捜索援助の申し出が拒絶されたと語った。
Paul Watson says an offer to help with the search was rejected. (AAP Image: Raoul Wegat)写真

The operators of a Japanese whaling vessel have accused anti-whaling ship the Sea Shepherd of disrupting the search for a missing sailor.
日本捕鯨船の運用者は反捕鯨船、シーシェパードが行方不明船員の捜索を中断させたと批難した。
The 30-year-old engine room worker disappeared more than two days ago from the spotter ship in the Southern Ocean.
30歳のエンジンルーム作業員は2日以上前に目視船から南大洋へ消え去った。
A spokesman for the ship's operators, Glenn Inwood, says the Sea Shepherd did not respond to initial calls for help,
falsely claiming it was not in the area.
船舶運用者のスポークスマン、グレン・インウッドは、シーシェパードが最初の救援コールには答えず、
この海域にはいなかったという虚偽を主張したと語った。
452: 2009/01/07(水) 22:46:08 ID:Cab1SSq4(7/7)調 AAS
(オーストラリアABCニュースつづき)
Mr Inwood says the Sea Shepherd refused to respond to a distress signal sent when the man went missing.
インウッド氏によると、シーシェパードは行方不明者が出た時に発信した遭難信号に答えることを拒否した。
"Sea Shepherd did not respond but they put in a press statement that they couldn't go back to where they were
because they were heading to Hobart," he said.
「シーシェパードは応答せず、報道ステイトメントに彼らがもといた場所へ帰ることができなかったこと、
なぜならホバートへ向かっていたからだと発表した」とインウッド氏は言う。
"But that was in fact a lie and they did actually head back under the cover of darkness and turned up with their lights off.
「しかしこれは嘘である。彼らは実際には暗闇に紛れて引き返していたのであり、灯火を消して出現した。」

Mr Inwood says the Sea Shepherd's Captain instead used the signal to locate the Japanese ship and begin destructive protest action.
インウッド氏は、シーシェパード船長が信号を日本船の位置特定に利用し、破壊的抗議行動を開始したと言っている。
"He's (Paul Watson) used his crew to throw missiles containing acid, he has rammed vessels and that is just this first time.
「彼(ポール・ワトソン)は彼の乗員を使って酸の入ったミサイルを投げさせ、船に激突し、これはまだ序の口である。」
"He's now coming back to Australia to refuel and go back down to the Antarctic and will likely undertake even more dangerous actions."
「彼は現在オーストラリアに給油のために帰っているが、南極に再び戻れば、もっと危険な行動を取る可能性が強い。」
In a statement, the Sea Shepherd's captain, Paul Watson, says an offer to help with the search was rejected.
シーシェパードの船長、ポール・ワトソンは声明で救援の申し出が拒絶されたと言っている。
453: 2009/01/08(木) 00:21:13 ID:qReRjgPX(1)調 AAS
ワトソン反論「常に灯火を点けていた」
外部リンク[php]:www.25today.com
シー・シェパードのポール・ワトソン会長は、「われわれは、小型ボートとヘリコプターで捜索協力を申し出た。
救難信号を船団位置を突き止めるために利用したというのは言いがかりだ。われわれは、救難信号に応答し、
船団にもニュージーランドの海事当局にも支援申し出を伝えた。われわれが船団に妨害行為をするつもりがない
というやりとりはすべてテープに記録されている」と無線電話でオーストラリアに伝えてきた。また、
スティーブ・アーウィン号が灯火を消して近づいてきたというICR側の映像発表に対しても、
「スティーブ・アーウィン号は常に灯火を点けていた。ICRは事実を歪曲しようとしている。
われわれの支援申し出に対しても、船団側はエコ・テロリストの協力は要らないと拒否してきた」と反論している。

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で実際ちゃんと灯火されておりますですはい。



外部リンク[htm]:www.icrwhale.org
454: 2009/01/08(木) 05:44:24 ID:lTbixk5L(1/2)調 AAS
外部リンク[html]:www.theaustralian.news.com.au
【Whaling ship ban an option for Julia Gillard (反)捕鯨船入港禁止 ジュリア・ジラードの選択肢】
Matthew Denholm | January 08, 2009
Article from: The Australian記事出典:ザ・オーストラリアン紙
AUSTRALIA is in a diplomatic tangle over Japanese calls for an anti-whaling protest ship to be denied access to the country's ports.
オーストラリアは日本が呼びかける反捕鯨抗議船の自国港湾への入港否認に関して、外交上の錯綜に巻き込まれている。
Acting Foreign Minister Julia Gillard yesterday refused to rule out agreeing to the request to deny port access to the Sea Shepherd
Conservation Society ship Steve Irwin.
現在外相執務を代行しているジュリア・ジラードは昨日、シーシェパード自然保護協会の船、スティーブ・アーウィンが
寄港することを拒否するようとの要請に合意することを排除することは退けた。
The ship, which has been harassing the Japanese whaling fleet in the Southern Ocean, is heading to Hobart to refuel.
日本の捕鯨船団に嫌がらせをしてきた船は、現在給油のためホバートへ向かっている。
Shigeki Takaya, an official with Japan's Fisheries Agency, was quoted as calling for Australia to deny port access to the Steve Irwin
because it was engaged in "sabotage".
日本の水産庁官僚、高屋繁樹氏がオーストラリアへのスティーブ・アーウィンの寄港阻止を呼びかけたと言及されており、
理由は「サボタージュ(妨害)」を行ったということである。
Ms Gillard's spokeswoman confirmed Japan had sought a ban and that no decision had been made. "Any decision on access to
Australian ports by the Steve Irwin, or any other vessel, will be made in accordance with usual procedures and relevant international
and domestic law," she said.
ジラードの報道官は日本が入港禁止を求めてきたことを認め、決定はなされていないと確認した。「スティーブ・アーウィン
あるいはすべての他の船舶のオーストラリア港湾への入港は、通常の手続きと該当する国際法および国内法により決定する」
と述べた。
455: 2009/01/08(木) 05:46:55 ID:lTbixk5L(2/2)調 AAS
(つづき)
Greens leader Bob Brown said Ms Gillard's refusal to rule out denying permission for the Steve Irwin to dock in Hobart was "unbelievable".
緑の党リーダー、ボブ・ブラウンは、ジラードがスティーブ・アーウィンのホバートでのドック入り許可を否認することを
排除しないという態度を「信じられない」と評した。
"We (Australia) have got such a weak approach to whaling, as we do with forests, that nothing would surprise me," Senator Brown said.
「われわれ(オーストラリア人)は森林に関すると同様、捕鯨にも弱いアプローチをしてきたので、驚きはしない」と
ブラウン上院議員は語った。
Steve Irwin captain Paul Watson said via satellite phone from 2500 nautical miles southeast of Tasmania he had sought permission
to dock in Hobart, most likely on January 15 or 16.
スティーブ・アーウィン船長、ポール・ワトソンはタスマニアの南東2500海里から衛星電話で、ホバートでドック入りする
許可を申請した、おそらく1月15日か16日になると語った。
He denied claims by Japan's Institute for Cetacean Research that his crew had obstructed efforts to find the body of a crewman missing
from a whaling ship. Rather, he said he had suspended protest activities and offered assistance, providing a helicopter to help search.
彼は、彼のクルーが捕鯨船からの行方不明者の体を発見する努力を妨げたという日本鯨類研究所の主張を否認した。
彼は抗議行動を中断し、捜索を補助するためにヘリコプターを出動させる申し出を行ったと語った。
Additional reporting: AFP補足報告:AFP
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ジ・エイジ紙によると、ロバート・ブラウン上院議員はスティーブ・アーウィンではなく、原生林からの木材チップを引き取りにくる
日本船を入港禁止にすべきだと言ってますね。
Senator Brown called on the government to instead ban Japanese ships which used Australian ports to pick up woodchips from old-growth forests.
外部リンク[html]:news.theage.com.au
456: 2009/01/09(金) 06:21:43 ID:crkrLmc2(1/3)調 AAS
現在、スティーブ・アーウィン号の灯火or無灯火論争と、日本からの寄港阻止要請の是非と、二つの論点が
入り乱れてるようです。下記ニューサイエンティスト誌の記事の場合、週刊誌のせいかタイムラグがあって、
幸か不幸か、乗員行方不明、灯火/無灯火の論点には触れておらず、捕鯨協会の入港拒絶要請だけに焦点が
あたってます。

スティーブ・アーウィン号に違法行為があった可能性はあるわけですが、だからといって給油のための
寄港阻止ができるかどうかというのは、法治主義にかかわる問題でしょう。

この船には、シーシェパードの行動に直接責任を負うわけではないTV番組制作チームや、士官ではない
スタッフも乗船しているわけで、寄港拒否要請というのはあまりにも法治主義を無視した無謀な主張でしょう。
(近頃の日本の論調だったら、即座に<内政干渉だ>という大合唱になるケースじゃないですかね。)

港湾への自由寄港の権利というのは「公海の自由」を具体的に裏付ける古典的に重要な権利なわけで、当該船に
違法行為の疑いがあれば、責任者だけを拘束し裁判にかければ良いわけで、他の乗員の自由権を毀損し、
大海に放置しておくという権利はどこの主権国家にも無いはずです。

去年の1月に共同船舶に対して出された豪州連邦裁判所の判決については、日本側は外務省も共同船舶も
最初の訴状の受取から拒否しているわけで、捕鯨問題に関しては、日本側は何か重大な法認識の崩壊現象を
起こしているのではないかと考えられます。
457: 2009/01/09(金) 06:22:20 ID:crkrLmc2(2/3)調 AAS
外部リンク[html]:www.newscientist.com
【Whalers attempt to block refuelling of activists' ships】
【捕鯨者は活動家船の給油ブロックを企てる】
07 January 2009
TENSIONS are rising in the Antarctic following skirmishes last month between anti-whaling protesters and Japanese vessels
they accuse of commercial whaling under the guise of research.
反捕鯨抗議船と、彼らが調査に名を借りた商業捕鯨だと批難する日本の船舶との先月の小競り合いに引き続き、南極海で
緊張が高まっている。
This week, Keiichi Nakajima, head of the Japan Whaling Association, called on the governments of Australia and New Zealand
to close their ports to the Steve Irwin, a ship run by the Sea Shepherd Conservation Society, on the grounds that it has committed
"criminal acts" and endangered lives. Failure to do so, he said, would make them "complicit" in any further attacks. Australia has
agreed to consider Japan's request.
今週、日本捕鯨協会会長、中島圭一氏はオーストラリアとニュージーランド政府に対し、スティーブ・アーウィン号の入港を
阻止するよう呼びかけた。この船はシーシェパード自然保護協会が運用する船で、「犯罪行為」を行い、生命を危険に
さらしたというのがその理由とされている。中島氏は、入港を阻止しないならば将来の攻撃の”共謀関係(complicit)”を
構成することになる、と述べている。オーストラリアは日本の要請を考慮することに合意した。
The Japanese Institute of Cetacean Research says that in the worst incident so far, the activists' ship circled the Japanese
whale-sighting vessel for 3 hours on 26 December, before ramming it from behind and throwing bottles of acid at the ship and its crew.
日本鯨類研究所は、12月26日に活動家の船が3時間にわたり、日本の目視調査船の周りを周回し、背後から激突して
船と乗員に対して酸の入った瓶を投げつけたが、これは今までに最悪の事件だったと語った。
458: 2009/01/09(金) 06:23:16 ID:crkrLmc2(3/3)調 AAS
(ニューサイエンティスト誌つづき)
The protesters, however, deny this. "The extent of Sea Shepherd's actions has been to toss rotten butter and slime onto the decks
of the whalers to hinder their illegal activities," says Paul Watson, the ship's captain. "We have turned their decks into stink holes
but we have not hurt any whaler nor have we damaged any property and we have not rammed these illegal whaling ships."
We have engaged them and stopped their whaling activities for two weeks
抗議者はしかしこれを否定している。「シーシェパードの行動は腐ったバターと粘着物を捕鯨船の甲板に投げ込み、
彼らの違法な行動を妨げることに限られている」と船長、ポール・ワトソンは言っている。「われわれは彼らの甲板を
臭い窪みにしているのだが、捕鯨者を傷つけたことはなく、資産に損壊を与えてもいない。われわれはこれらの違法捕鯨船
に激突もしていない。」われわれは彼らに従事して2週間、捕鯨活動を停止させた、としている。
Now needing to refuel, the crew of the Steve Irwin say they are determined to continue their activities, and plan to dock in Hobart, Australia.
現在、給油の必要から行動の継続を終結し、オーストラリア、ホバートのドックへ向かう予定だとスティーブ・アーウィンの
クルーは語っている。
459: 2009/01/09(金) 08:47:08 ID:JyiXfhVc(1)調 AAS
救難信号といえば「捕鯨船団がPANPAN信号を無視した」なんていうのもありましたね。



| +-kaizu.06127 95/08/16 12:45 [ 猫が好き♪ ]______ RE:捕鯨>「クジラを捕って考えた」の感想
外部リンク[htm]:fenv.jp

 この事件は、1993年 2月 3日に発生しました。
 オーストラリア南方海域で、フランス船籍の船から救難信号が出されました。
これを受けてオーストラリアのコーストガードが周囲の船舶に情報を求めるテ
レックスを打ち、無線(衛星海事電話インマルサットを含む)で協力要請を行
いました。
 しかし、遭難船舶から一番近くにいた捕鯨船団は、応答をせず、指名の問い
合わせに対しても位置を知らせず、救援を行わなかった、というのが事件の概
要です。結局、救援には、ロシアの砕氷船と、調査捕鯨への抗議行動のために
南極海にいたグリーンピース号が向かいました。グリーンピース号よりも捕鯨
船団の方が、近く、また遥かに足が早い船だったのですが。
 幸いなことに、救難信号は間違って発信されたもので、海難事故には至らな
かったとのことです。

 この事件について、「クジラを捕って、考えた」に記載されている日本側の
考えは、要するに「グリーンピースに船の位置を知られたくなかったため、位
置の開示はできなかった」「遭難船に一番近くにいたのが自船だということに、
しばらく気付かなかった」ということのようです。「グリーンピースを恐れる
あまり、判断が狂った」というような説明もあります。
 また、翌日になってから、ようやくキャッチャーを1隻救援に差し向けると
いう申し出をしたようですが、時すでに遅し、オーストラリアからは「必要な
い」との返答を受け、その船は船団に戻っています。
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スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ

ぬこの手 ぬこTOP 0.593s