[過去ログ] 日々雑記 in哲学板 その5 (1002レス)
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1: [age] 02/04(日)18:19 ID:0(1/1000) AAS
「知性とは、方法や手段に対して鋭い鑑識眼を持っているが、目的や価値に対して盲目である」

アインシュタイン

前スレ
2chスレ:philo
2: [age] 02/04(日)18:19 ID:0(2/1000) AAS
私は、理詰めで考えて新しいことを発見したことはない。

アインシュタイン
3: [age] 02/04(日)18:20 ID:0(3/1000) AAS
我々という言葉に疑問を感じる。誰も隣の人間と同じではない。

アインシュタイン
4: [age] 02/04(日)18:21 ID:0(4/1000) AAS
一見して人生には何の意味もない。 しかし一つの意味もないということはあり得ない。

アインシュタイン
5: [age] 02/04(日)18:21 ID:0(5/1000) AAS
人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。 普通と言われる人生を送る人間なんて、
一人としていやしない。 いたらお目にかかりたいものだ。

アインシュタイン
6: [age] 02/04(日)18:22 ID:0(6/1000) AAS
私は天才ではありません。ただ、人より長く一つの事柄と付き合っていただけです。

アインシュタイン
7: [age] 02/04(日)18:22 ID:0(7/1000) AAS
常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。

アインシュタイン
8: [age] 02/04(日)18:23 ID:0(8/1000) AAS
第3次世界大戦では分らないが、第4次世界大戦では、人間は多分石を持って投げ合うだろう。

アインシュタイン
9: [age] 02/04(日)18:24 ID:0(9/1000) AAS
想像力は知識よりも重要である。知識に限界があるが為に、想像力が世界をとりまき、
発展を刺激しつづけ、進歩に息を吹き込みつづけているのだから。

アインシュタイン
10: [age] 02/04(日)18:24 ID:0(10/1000) AAS
間違いを犯したことのない人とは、何も新しいことをしていない人だ。

アインシュタイン
11: 02/05(月)10:11 ID:0(11/1000) AAS
中国語の普通話における「そり舌音」として知られる、ピンインでは"r"の文字により表記される「発音」(「発音」という表現そのものに問題があるのだが)について、まだ考へつづけている。
12: 02/05(月)10:19 ID:0(12/1000) AAS
音声学においては、「有声そり舌摩擦音」と呼ばれるらしく、"ʐ"という文字表記も当てられるこの発音は、中国語の地方語や歴史に照らしても、"r"によって表記するのは到底、妥当であるとは考へられない「発音」であり、この表記そのものが、日本語を母語とする人々がこの「発音」を学習する妨げとなっていることは既に指摘した。
しかし、それを記述するのに、代わりにそれを表記するのに"ʐ"の文字を当てたところで、状況は改善されるにしても、この「発音」がどのようにイメージされているのか、つまり、「こゑ(声)」としてどのようにつか(使/仕/遣)はれているのかについての理解が深まるわけではない。
13: 02/05(月)10:41 ID:0(13/1000) AAS
母語とは別の言語の表現が「外来語」として取り込まれるとき、その表現が取り込まれて通用するようになった後にも、大抵の場合、その表現は依然として「外来語」として意識されつづけるが、それでも、取り込まれて通用するようになった表現の「こわ(声)づか(使/仕/遣)ひ」は、その表現が想起させる作用/様態のイメージと結び付くことになる。
例えば、英語の"soft"は、今では「ソフト」というカタカナ語として日本語として通用するようになっているが、依然として、それが「外来語」であることが忘れられたわけではない。
それでも、「ソフト」というカタカナ語は、この表現の「こわ(声)づか(使/仕/遣)ひ」そのものが既に、「『ソフト』な様態/作用」を想起させることになっているだろう。
そして、「ソフトな」様態/作用と言ふ場合の「ソフトな」をメタ言語的に記述するなら、「あ(当)たり(例えば、「衝突」や「刺激」)をやはらげるような」と言ひ換へることができるだろうと私には思はれる。

では、音声学においては、「有声そり舌摩擦音」と呼ばれ、"ʐ"という文字表記も用ゐられる、中国語の普通話における「そり舌音」として知られる、ピンインでは"r"の文字により表記される「こゑ(声)」の場合にはどうだろうか。
14: 02/05(月)10:45 ID:0(14/1000) AAS
後で論じようと思っていたことが、念頭にあったので、先走って記述が混乱してしまったので訂正する。

誤:「あ(当)たり(例えば、「衝突」や「刺激」)をやはらげるような」
正:「あ(当)たり(例えば、「衝突」や「刺激」)を吸収するような」
15
(1): 02/05(月)11:07 ID:0(15/1000) AAS
私は、中国語の学習の初歩の段階にすらない(まだ、中国語を学習してある程度でも身につけようという決心にすら至っていない)ので、中国語の普通話の「正しい発音」をどのように身につけるかについて他人に助言するような立場にはない。
しかし、そのことを前提としたうえで、勝手に云はせてもらうなら、「そり舌音」とされる"r"の「こわ(声)づか(使/仕/遣)ひ」をイメージさせるのに最も妥当な日本語としての表記は(現時点の私の理解においてという限定付きで)、
「ぢ」だろうと思ふ。また、日本語として「ぢ」の「こゑ(声)」を出すことが、そのまま「そり舌音」とされる"r"の発声とはならないものの、この後者の発声は、日本語の「ぢ」を発声することを基礎として、その「こゑ(声)」の出し方を、中国語の発声の聴こえ方に合せるように調整することが近道ではないかと思ふ。
少なくとも、そのようなアプローチの方が、「中国語の発音」を説明するサイトによく見られるような、ピンインの"ri"の表記にカタカナの"リ"を当てて、この「こゑ(声)」を"r"の発声の変種として理解させようとする、中国語の地方語と歴史のいずれに照らしてもまったく合理的でないアプローチより、はるかにましであると私は思ふ。

その理由についてさらに説明する。
16: 02/05(月)11:34 ID:0(16/1000) AAS
中国語のそり舌音の"r"に対応する「こゑ(声)」は、歴史的に、どのような「こゑ(声)」として認識されて日本語に(「漢語」という「外来語」としてであれ)取り込まれているだろうか。
これは、現代の日本語からでもただちに容易に確かめることができる。

「弱」、「若」、「柔」、「乳」、「日」、「人」、「譲」などの漢字やそれを含む漢語の表現は、現代の日本語でもよく使われるが、これらの漢字の語頭の発音は、中国語の普通話では、すべてピンインの"r"で表記されるそり舌音となっている。
ところで、これらの漢字の日本語としての音読みは、現代仮名遣ひの表記によれば、
「弱(ジャク)」、「若(ニャク/ジャク)」、「柔(ニュウ/ジュウ)」、「乳(ニュウ)」、「日(ニチ/ジツ)」、「人(ニン/ジン)」、「譲(ジョウ)」
であり、Wiktionayで確認してみると、これらの漢字の中国語の中古音としての発音は、すべて語頭が"ny"に近いものであったと想定されている。
したがって、これらの表現が日本語に取り込まれた当時の発音は、それを現代仮名遣ひで表記するなら、「ニャ、(ニィ)、ニュ、(ニェ)、ニョ」、もしくは「ジャ、(ジィ)、ジュ、(ジェ)、ジョ」に近いものとしてイメージすることができるだろう。
17: 02/05(月)11:59 ID:0(17/1000) AAS
「日本」は、日本語では、「ニッポン」と呼ばれるが、英語では、"Japan(ジャパン)"であり、かつては、それをカタカナ表記するなら、欧州において"ジパング"に近い発音の名称で呼ばれたことが知られている。
この場合も、この語頭の「ニッ/ジャ/ジ」は、中国語の普通話のそり舌音の"r"に対応する発声に由来するものと考へられている。
したがって、この発音は、本来、日本語においても、欧州の他の言語の話者にとっても、「はっきりしない発声」として捉へられたと考えるのが妥当であり、その発声にどうしてもカタカナ表記を当てる必要があるなら、それは「二」にも聴こえるし、「ジ」にも聴こえるが、そのどちらとも明確には判定しがたい「ニ/ジ」のような「こゑ(声)」の出し方ということになるだろう。
さらに、私には、その「こゑ(声)」の出し方が「はっきりしない」、または「あいまいである」ように感じられることには、明確な理由を見出すことができるだろうと思える。
それは、まさに、この「こゑ(声)」が、そのような効果をイメージとして利用することを意図している「こゑ(声)」だからである。
どういうことかさらに説明しよう。
18: 02/05(月)12:21 ID:0(18/1000) AAS
レヴィ=ストロースの「構造主義」の流行とともに、言語学者のロマーン・ヤーコブソンの名前も広く知られるようになったが、レヴィ=ストロースの構造主義に最も強く影響を及ぼすことになったのが、ロマーン・ヤーコブソンの音声学・音韻論である。
ロマーン・ヤーコブソンが、音声学・音韻論の記述において重視したのが、「弁別的素性」/"distinctive features"であるが、言語の「発音」を整理して記述するのに「弁別的素性」/"distinctive features"を特定しようとすることは、あまりにも当たり前のこととして受け容れられるようになっているため、あたかも、「『ことば』として用ゐられる『発音』を、あらかじめ『弁別的素性』/"distinctive features"によ(依)り分類されるべきものとしてあ(或/在/有)る『存在者』」であるかのように扱ふ」ことが「暗黙の前提」とされるようにまでなってしまっている。

しかし、ここにこそ、中国語の普通話のそり舌音の"r"に対応する発声の場合にも当てはまる、大きな問題がある。
19: 02/05(月)12:55 ID:0(19/1000) AAS
PIKARRRのブログ主やな
20: 02/05(月)13:31 ID:0(20/1000) AAS
「ことば」として「こゑ(声)」を「つか(使/仕/遣)ふ」とは、どのようなことだろうか。
それは、「発音」という表現が示唆する如く単に体から音を出すことを意味しているわけではない。
例えば、死体の喉に内側から空気を送り込んで、口から音を出させたところで、死体は、音を発していることにはなるが、「こゑ(声)」を出しているわけではない。
「こゑ(声)」を出すとは、どのようにか「こゑ(声)」を発することによって何かを伝へようとする「行為」であって、単に体が何らかの特徴を有する音を出すという出来事ではない。
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