[過去ログ] 【ドラマはドラマ】令和弐年 麒麟がくる歴史館 1号室【史実を基にしたフィクションです】 (191レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
65
(1): 2020/03/15(日) 07:25:17.98 ID:YwNMce0Y(2/3)調 AA×
>>64

66: 2020/03/15(日) 07:29:51.33 ID:YwNMce0Y(3/3)調 AAS
>>65
7/20 山科言継 上洛した北畠具永「出羽国浪岡」の使者「政宗」より書状および
   以前の叙位任官の礼物を受ける(言継卿記)
8/13 (本願寺第10世)本願寺(光教)証如(39) 歿す(本願寺系図)(私心記)(証如上人画像)
8/16 足利義輝 大友義鎮「大友新太郎義鎮」を「肥前国守護職」に補任(大友書翰第9号‐13)
8/29 三好長慶 攝津三田城の有馬重則の協力を得て 将三好長逸を播磨に出陣させる
    播磨三木城方の城七つを落として
9/12 三好長慶 帰国する(細川両家記)
10/3 北畠教賢「勢州藤方源教賢」従五位上に昇進(歴名土代)
10/12 三好長慶 淡路に赴き弟三好之康十河一存安宅冬康と洲本に会合する 
    ついで長慶 山城芥川城に帰る(細川両家記)
10/20 織田信長 加藤順光へ織田信秀の逆鱗に触れて零落した山口孫八郎後家と
    その子供の処遇を委ねる(加藤景美氏文書)(張州雑誌抄二十六)
 
10月  三好之康 播磨大山寺に禁制(大山寺文書)
11/11 赤松義祐 安宅冬康等 細川晴元の属城 播磨明石城を攻撃(細川両家記)(赤松記)
11/16 織田信長「上総守」祖父江五郎右衛門へ俵小船1艘の諸役免除を安堵
    (氷室和子氏所蔵文書)(津嶋神社旧記)(張州雑誌抄二十三)
11/20 織田信長「上総介」安斎院(曹洞宗曹源山)へ居屋敷 寺領を先規の如く安堵(尾張文書通覧一)
12月 三好之康 大徳寺大仙院に禁制(大仙院文書)
67
(1): 2020/03/23(月) 07:53:25.08 ID:6MCp5KAc(1/3)調 AA×

68
(1): [Sage] 2020/03/23(月) 07:58:42.44 ID:6MCp5KAc(2/3)調 AA×
>>67

69
(1): [Sage] 2020/03/23(月) 08:02:17.27 ID:6MCp5KAc(3/3)調 AA×
>>68

70: 2020/04/04(土) 21:13:56.49 ID:8InxmXgs(1)調 AAS
2020年
71
(1): [Sage] 2020/04/05(日) 08:12:28.71 ID:MmlG+TXu(1/2)調 AA×

72
(1): 2020/04/05(日) 08:16:02.41 ID:MmlG+TXu(2/2)調 AA×
>>71

73: 2020/04/08(水) 21:18:35.67 ID:W3q4NIb5(1)調 AAS
織田信長
74
(1): 2020/05/18(月) 20:23:12.07 ID:vOFxXe6T(1)調 AAS
>>69
木下ほうかいつの間にか死んでた

>>64>>72
義龍って道三生きてた頃は利尚で殺してから高政って名乗ったのか
75
(1): 2020/05/23(土) 07:37:17.30 ID:CLZrvdd0(1/5)調 AA×

76: 2020/05/23(土) 07:42:00.81 ID:CLZrvdd0(2/5)調 AA×
>>75

77
(2): 2020/05/23(土) 08:10:33.75 ID:CLZrvdd0(3/5)調 AA×

78
(1): 2020/05/23(土) 08:17:01.96 ID:CLZrvdd0(4/5)調 AA×
>>77

79: 2020/05/23(土) 08:21:41.68 ID:CLZrvdd0(5/5)調 AA×
>>78

80
(1): 2020/05/24(日) 07:13:07.42 ID:oYhc/R2N(1/6)調 AA×

81
(1): 2020/05/24(日) 07:17:12.26 ID:oYhc/R2N(2/6)調 AA×
>>80

82
(2): 2020/05/24(日) 07:24:45.11 ID:oYhc/R2N(3/6)調 AA×
>>81

83
(2): 2020/05/24(日) 07:30:07.37 ID:oYhc/R2N(4/6)調 AA×
>>82

84
(1): 2020/05/24(日) 07:35:10.35 ID:oYhc/R2N(5/6)調 AA×
>>83

85: 2020/05/24(日) 07:39:55.84 ID:oYhc/R2N(6/6)調 AA×
>>84

86: 2020/05/24(日) 10:30:12.08 ID:e8icigvK(1)調 AAS
織田信長
87
(1): 2020/05/30(土) 07:20:28.35 ID:2JhUliW5(1/6)調 AA×

88
(1): 2020/05/30(土) 07:24:07.58 ID:2JhUliW5(2/6)調 AA×
>>87

89
(1): 2020/05/30(土) 07:32:07.41 ID:2JhUliW5(3/6)調 AA×
>>88

90
(1): 2020/05/30(土) 07:38:12.61 ID:2JhUliW5(4/6)調 AA×
>>89

91
(1): 2020/05/30(土) 07:42:19.69 ID:2JhUliW5(5/6)調 AA×
>>90

92: 2020/05/30(土) 07:45:31.93 ID:2JhUliW5(6/6)調 AA×
>>91

93: 2020/07/27(月) 13:00:17.02 ID:vsERFVbM(1)調 AAS
浜松 +14
94
(1): 2020/08/23(日) 08:44:38.33 ID:SNTe09Q1(1/7)調 AA×

95
(1): 2020/08/23(日) 08:47:42.30 ID:SNTe09Q1(2/7)調 AAS
>>94
4/24  織田信長 高木貞久(高木直介 美濃斎藤氏被官)へ市橋長利(市橋)を
  仲介に内応した旨を喜ぶ意思を通達「弥々御馳走」を奨励(美濃高木文書10)
5/9  「応仁記」(上巻奧書 龍門文庫)
5/22  今川氏真(上総介)鈴木重勝(鈴木平左衛門尉)へ山中郷・大野郷百姓等を
 調略により「引付」した功績を賞す(鈴木重信氏所蔵文書-3)
6/17 織田信長(三介信長)毛利広盛(毛利小三郎)へ合戦で討死にした親
 (毛利広雅)の忠節を讃える(毛利?ヨ七郎氏所蔵文書)
7/3  朝廷 醍醐寺義堯に諸国に勧進して同寺の堂舎の再建につとめさせる(続史愚抄)
7/3  朝廷 京都醍醐寺堂舎再建を督促(続史愚抄)
7/6  松平元康 今川氏と絶縁 名を家康に改める(徳川家譜)(家忠日記増補)
7/10  幕府 橘以緒の知行青花座の違乱を停止(言継)
7/18 上杉輝虎(藤原輝虎)八幡極楽寺の一女阿闍梨へ越後国・信濃国両国に
  於いて数度の戦功を挙げて「決勝千里之外」であること 上野国へ進撃し
   「大略復先忠」としたこと濁世は勿論であるが「遂年追日闘諍鉾楯無休」
   という状態であることを通知(武家事紀)
7/22 三好義興 京都市原野と幡枝との柴木相論を裁許する(賀茂別雷神社文書)
8/某  京極高次 誕生
8/4  毛利隆元 没
8/25  三好長慶の子 三好義興(22)攝津芥川城で歿 長慶 弟十河一存の子
   熊王丸(のち三好義重のち義継)に家督を嗣がせる(長享年後畿内兵乱記)(御湯殿)
   松永久秀が義興を毒殺したという噂がたつ(続応仁後記)

9/15 織田信長(信長) 水野藤九郎(尾張国緒川の豪族)へ島田秀順
  (嶋田かた)への「鶻」献上を謝す(古今消息集5)
9/17 前伊勢国司 北畠晴具(61)歿 (公卿補任)(伊勢国司紀略)
9/18 井伊直平 家臣の飯尾則重により毒殺される(井伊家伝記)
   是秋  三河一向一揆
10/1  近江観音寺城主六角義弼(義治) 父義賢の臣後藤賢豊父子三人を殺害する
   このため後藤縁故の有力な家臣 進藤 平井 池田の諸臣が離反(近江蒲生郡志)
10/9  浅井長政(賢政) 近江大原観音から陣僧を徴発する(観音寺文書)
  同観音寺 兵火により焼失(長享年後畿内兵乱記)
10/13 浅井長政 近江多賀社に禁制(多賀社文書)
10/16 三好長慶の将 三好康長 三好政康 岩成友通 和泉堺で
    根来寺衆徒と和睦(細川両家記)(足利)
10/24 幕府 京都清水寺と本国寺との山木相論を裁許し本国寺に安堵す
(後鑑所収広布録)
96: 2020/08/23(日) 08:50:54.22 ID:SNTe09Q1(3/7)調 AA×
>>95

97
(1): 2020/08/23(日) 09:23:27.22 ID:SNTe09Q1(4/7)調 AA×

98
(1): 2020/08/23(日) 09:27:19.83 ID:SNTe09Q1(5/7)調 AA×
>>97

99
(1): 2020/08/23(日) 09:30:35.47 ID:SNTe09Q1(6/7)調 AAS
>>98

✳7/24 三好長慶(43) 歿  永禄9/6/24河内国で葬礼(足利) 
 一族の日向守三好長逸 下野守三好政康(十河在保)主税助岩成友通の三人が補佐する
 三人を三好三人衆と言う 長慶の死は翌々年6月まで秘される
                         (三好家譜)(細川両家)
7/5  長尾政景 没
7/29 竹中重治(重虎)美濃国西庄内出雲の宝林坊へ禁制書状を下す(敬念寺文書‐1)
7/29 竹中重虎 美濃宝林寺に禁制(敬念寺文書)
8/15 水野勝成 誕生(異説1565年)
8/某  織田信長 織田信清の尾張犬山城を攻略する(信長公記)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
9/1 越前の朝倉景鏡 朝倉景隆 加賀に出陣する
9/2 景鏡と朝倉景紀(かげとし)の子景?b(かげみつ)とが大将の座を争い 
   敗れた景?bが陣中で自害 景紀は景?bの子を連れて敦賀郡に隠居する
    9/12 朝倉義景が総大将として出陣 本所 小松を攻略
    9/19 湊川を攻略 大聖寺に守兵を置き
    9/25 朝倉軍 一乗谷に帰る (当国御陣之次第)(越州軍記)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
9/9 織田信長(信長) 直江景綱(直江大和守)へ「其後絶音問」は
  本意ではなかったこと 去8月に美濃国へ出動し井口城に迫り 
  その近所に砦を構築したこと 犬山・金山などその他数ヶ所は
  「降参」したので「宥免」したこと 更に伊勢国まで出撃したことなど
  「直書」を以て上杉輝虎に通知したので省略することを通達 
  なお佐々長穐(佐々)に連絡させる旨を通知(歴代古案1)
9/10 山科言継 一色淡路守より明日足利義輝が勧修寺尹豊を同行し摂津国有馬湯山へ
   下向する旨を通知される(言継)
9/11 足利義輝 摂津国有馬湯山へ細川輝経・細川藤孝・一色藤長を随行し
   「御成」する(言継卿記)(御湯殿上日記)
9/13 足利義輝 摂津国有馬郡湯山に禁制を掲げる(浅野文書)
9/13 幕府 攝津湯山に禁制(浅野文書)(摂州有馬文書)
9/15 織田信長 美濃国常在寺へ100貫文の領知を寄進(常在寺文書‐13)
9/23 足利義輝 摂津国有馬郡湯山阿弥陀堂の諸役を免除する(善福寺文書)
9/23  朝廷 立入宗継を尾張に派遣し御料所の回復等を織田信長に命ず(立入文書)
10/10 朝廷 近所六町衆に禁裏東の掘を掘り始める(言継)
100: 2020/08/23(日) 09:34:47.18 ID:SNTe09Q1(7/7)調 AAS
>>99
10/24 上杉輝虎 上野国沼田城に着陣
10/28 立入宗継(朝廷御倉職)正親町天皇の御料所回復及び御所修理の密勅を
 携え尾張国清洲へ下向
10月  織田信長 尾張定光寺に乱暴停止の禁制(棟札 愛知県瀬戸市 定光寺)
11/7 織田信長(信長) 直江景綱(直江大和守)へ織田信長からの使者派遣に触れ
 上杉輝虎に懇願した件が受諾され 更に「おほ鷹」5連を贈られたことを謝し 
  上杉輝虎へその旨の「取成」を依頼(上杉家文書1)
11/7 織田信長(信長) 直江景綱(直江大和守)へ上杉輝虎からの「御誓談条々」を
   受領し「愚息」(織田信長子息)を上杉輝虎の「御養子」とすることを
   承諾されたことを謝す 今後の「御指南」及び上杉輝虎へこれらの旨の
  「御披露」を依頼(上杉家文書1)
11/13 京都東寺 塔供養のため大黒天を開帳(言継卿記)
11/13 織田信長(信長) 伊勢方面の分部光高(分部左京亮)に連絡を取り
   味方として優遇する旨を通知 更に情報提供を促す(分部文書)
11/23 朝廷 京都東寺再建のため諸国に勧進させ造営を開始させる(言継)
12/15 幕府 旧により四府駕輿丁熊座人の緒役を免除する(京都大学所蔵文書)
12/15 島津貴久 島津義久へ近衛家の使者である進藤長治が「官途」伝達のために
   太刀1腰・馬1疋を伴い下向したことを通知 島津貴久自身も島津義久へ
   太刀1腰・馬1疋を祝儀として贈与 島津氏に対する受領の事は
  「過分至極」であると表現(島津家文書2‐1136)
12/18 山科言継 陰陽頭土御門左京大夫を訪問する(言継)
12/20 織田信長(信長) 大館晴光(大館左衛門佐)へ足利義輝からの
   「御内書」に対する請状を発す 「寔生前大事不過之候」と感激し
   「青毛」馬1疋を進上 「御内義」の件を取り成されたことは
  「本望」であることを通知(古簡雑纂11)
12/23 幕府 京都上野村へ松室重清預状返弁を督促す(松尾月読神社文書)
12/26 足利義輝 伊予大善寺を諸山に列す(鹿苑日録)
12/27 幕府 上御霊神社境内茶室の諸役を免除す(御霊神社文書)
12/27 幕府 禁裏供御人 近江粟津座商人の関銭などを免除し 
  また攝津今宮社神人が勝手に洛中で商売することを禁示(京都大学所蔵文書)
12/27 幕府 京都上御霊神社境内の茶屋の諸役を免除する(御霊神社文書)
12/29 池田輝政 誕生

是冬 将軍足利義輝 室町に新邸を造営する(足利)
   伊勢国司北畠具教 その領内に徳政令を出す(護国寺文書)
101: 2020/09/06(日) 07:20:48.20 ID:XUpe2LDh(1/14)調 AA×

102
(1): 2020/09/06(日) 07:22:45.91 ID:XUpe2LDh(2/14)調 AA×

103
(1): 2020/09/06(日) 07:24:58.92 ID:XUpe2LDh(3/14)調 AA×
>>102

104
(1): 2020/09/06(日) 07:28:53.93 ID:XUpe2LDh(4/14)調 AA×
>>103

105
(1): 2020/09/06(日) 07:31:22.54 ID:XUpe2LDh(5/14)調 AA×
>>104

106
(1): 2020/09/06(日) 07:35:30.27 ID:XUpe2LDh(6/14)調 AA×
>>105

107: 2020/09/06(日) 07:38:56.76 ID:XUpe2LDh(7/14)調 AA×
>>106

108
(1): 2020/09/06(日) 07:46:51.82 ID:XUpe2LDh(8/14)調 AAS
松永久秀 略年

永正五年(1508) 攝津嶋上郡五百住豊嶋に生まれる
天分二十二年(1553) には攝津滝山城主となっている (藤田忠正書状播磨清水寺文書)

永禄3年 (1560)
1/20 三好長慶 修理大夫 嫡子義興筑前守 松永久秀弾正少弼に任じられ 
    将軍足利義輝の御供衆に召し加えられる(蜷川家記)
11月 大和に入り 信貴山城を居城とする

永禄4年
    大和眉間寺を移し多聞山城を築く(二條寺主家記抜粋)
1/28 三好義興 松永久秀 正五位下から従四位下に叙される 
    藤原姓を賜る (伊勢貞助記)
2/1  三好長慶 義興 松永久秀 将軍足利義輝より桐の紋章を許される 
   その返礼として太刀・馬・五千疋を進上(伊勢貞助記)
2/4  松永久秀 朝廷に請い 四位の口宣案の姓を源氏と改めさせ賜る(伊勢貞助記)
2/10 松永久秀 将軍足利義輝より塗輿を許される(鳩拙抄)
2/26 松永久秀 足利義輝に御酌の参勤 太刀を進上(伊勢貞助記)
3/10 将軍足利義輝 三好義興邸に御成(三好邸御成記)
4月 和泉 十河一存病死 これを機に畠山高政六角義賢が連携 
 三好長慶を南北から挟み込む
 三好長慶 義興と久秀を六角の押さえとし京都に置く 
  弟三好実休を畠山のおさえに和泉に置く
7/28 六角義賢 義弼父子細川晴元の子晴之を擁し 山城将軍山城に出陣 
 畠山高政これに応じ和泉岸和田に陣 義興は山城梅津(左京区) 
  久秀は西院に陣(足利)
11月 久秀 六角義賢の将永原安芸守を討取る(足利)
12月 三好義興 松永久秀大山崎に徳政を免除(離宮八幡宮文書 戦国1-793.796)
12月 松永久秀 誓願寺に禁制(誓願寺文書 戦国1-797)

永禄五年
3/5  和泉久米田合戦で三好実休 畠山根来寺連合に攻められ敗死
3/6  三好長慶 飯盛城に籠城 将軍義輝を京都より岩清水八幡宮に退去させる 
義興 久秀も大山崎に退く(御湯殿)(長享年後畿内兵乱記)
京都は六角が占拠
5/10 義興 久秀 攝津鳥養 柱本に陣 畠山高政安見宗房根来衆に飯盛城が
   包囲され窮地(長享)
109
(1): 2020/09/06(日) 07:49:12.74 ID:XUpe2LDh(9/14)調 AAS
>>108
5/14 義興 久秀 二万余の兵で飯盛城の後巻きし 
実休の軍を継いだ長慶叔父三好康長が合流 長慶 飯盛城から出陣
5/20 河内教興寺で両軍合戦におよび 三好方 畠山根来寺連合を破る
(細川両家記)(長享)
6/22 将軍義輝 義興 久秀とともに岩清水八幡宮から京都に帰還(長享)
三好氏による河内 大和の支配 義輝伯父大覚寺義俊 
政所執事伊勢貞孝貞良父子 近江坂本へ敗走
9/12 松永久秀 水坂(長坂城)に立て籠る伊勢父子を八千の軍で攻め討取る(長享)
8/22 「多聞山棟上」(享禄天分之記)

永禄6年
3/19 山科言継 天満森に於て松永方へ人質として下向する
足利義輝娘「総持寺殿八才」と会う(言継)
6月  三好義興病に倒れる(足利)
   松永久秀 義興の病を知り悲歎する(柳生文書 戦国2.894)
6/16 松永久秀 柳生宗厳に知行の替地宛行の判物を発給(柳生文書戦国2-891)
8/25 芥川城で三好義興(22) 歿す(足利)
閏12/1 松永久秀息 久通従五位下に叙され右衛門佐任じられる
閏12/14 松永久秀 久通へ家督を譲る(厳助)
閏12/21 松永右衛門佐久通 上洛 将軍足利義輝に御礼(厳助往年記)

永禄7年
3月  松永久秀 義兄広橋国光を介し改元申請(御湯殿)
    甲子改元の慣例 将軍に成り代わり進言
7/4  三好長慶(43) 飯森城で歿 長慶死亡を秘する 永禄9年6/24河内で葬礼

永禄8年 
11/15 松永久秀と三好三人衆不和 三好三人衆飯盛城を攻略 
義継(17歳)を奉じる(多門院)
8/2  内藤宗勝(松永長頼)丹波黒井城 荻野直正と戦い敗死(多聞院)

永禄9年 
5/19  松永久秀 多聞山城を出て攝津中嶋野田に陣
5/23  堺南北へ討ち入り
5/30  堺の口々で合戦に及ぶも三好三人衆に敗れ堺会合衆の調停により堺に忍ぶ
(細川両家記)
5/30  松永久秀 行方しれず(多門院)
110
(1): 2020/09/06(日) 07:53:07.51 ID:XUpe2LDh(10/14)調 AAS
>>109

6/8  尾張衆松永勢の籠る筒井城 筒井方へ筒井城を引き渡される(多門院)
7/18  伊賀の仁木長頼が足利義昭側近和田惟政に義昭上洛を果たすべく
  松永方勝竜寺城に加勢する旨伝える(和田文書 戦国遺文2 .101)

永禄10年 
2/16 三好義継 三人衆と不和
2/28 三好義継 山城椿井政貞 大和古市播磨守に対し 三人衆「悪逆無道」を構え
 「前代未聞の所業」と断罪し 久秀こそが三好宗家に「大忠」であるので
  一味するよう求める
(小林凱之氏所蔵文書 戦国2.1322)(宮坂伊兵衛氏所蔵文書 戦国2.1323)
4/6 松永久秀 三好義継を擁し 堺より信貴山城に入る 翌日 筒井順慶 筒井城へ引く
4/11  松永久秀 多聞山城に入る(多門院)
8/21 織田信長 柳生宗厳に足利義昭の上洛は松永久秀とよくよく相談していた旨
 伝える (織田信長書状 柳生文書 戦国遺文2,1362)
10/10 東大寺大仏殿 兵火により焼失(多門院)
12/1  織田信長 大和国人岡因幡守へ 足利義昭を奉じて上洛するので
松永久秀と懇意にし義昭に忠節を尽くすべしと申し付ける
(岡文書 織田信長文書上83)

永禄11年
2/19 「去る十五日 松源(松永弾正)母儀堺に於て死におわんぬ 八十四才 
松源ハ当年六十一才なりト」(多門院)
9/28  松永久秀 娘を織田信長息との祝言と号し人質に出す(多門院)
4月  松永久秀 三好長逸 東大寺大仏殿全焼に心を痛め
京都阿弥陀寺清玉がその再興に尽くした事に対しそれぞれ謝意を表す
(阿弥陀寺文書 戦国2.1398,1399)

12/24 松永久秀 早旦に美濃国へ下向 「不動国」行などの
「名物」を多数持参(多聞院日記二)

永禄12年

1/10 織田信長「織田弾正忠」松永久秀「松永弾正少弼」を同行し美濃国より上洛(言継)

3/28  松永山城守久秀 義継 二条御所の普請見物(言継)
111
(1): 2020/09/06(日) 07:56:21.31 ID:XUpe2LDh(11/14)調 AAS
>>110

元亀元年
2/20  多聞山城 井戸氏の軍に攻められる
2/22  井戸氏の人質(井戸氏娘)松蔵権助の息子を串刺しにして見せしめ(二條宴乗記)
4/1  二条城落成の祝言 三木氏 織田信雄 徳川家康 
    一色 三好義継 畠山高政 松永久秀 参列
4/5  井戸城を破却(多聞院)
4/12 松永久秀 信長の越前攻めに合流のため南方の軍を引き上げ
4/20 松永久秀 信長の越前入りに合わせ出陣(二條宴乗記)
4/25 信長 松永久秀 「人数二千余も損ずかの由」大敗 京まで退却
5/12 松永久秀 竹内秀勝とともに多聞山城へ帰城(多門院)
7/25 三好三人衆 河内に討ち入り 久秀久通 信貴山城へ向かう(多門院)
7/27 松永軍 八千の軍で河内に討ち入り(多門院)
8/28 松永久秀 三好義継等 攝津中嶋 天満森野田福島に籠る三人衆を攻めるため
 天満森に陣 信長呼応し天王寺に陣
9月  足利義昭 中嶋に着陣 
本願寺 突如 参陣 信長驚愕
9/22  浅井朝倉連合 近江坂本に進出 義昭信長 陣を引き久秀 
三好義継も従い京都入り
9/23  多門山城に帰陣 
9/25  松永久秀は信貴山城 義継は河内若江城に入り 
三人衆 本願寺と対する(尋憲記)(二条宴乗記)

10月 11月下旬までに信貴山城は久秀 多聞山城は久通に譲る
11/12 松永久秀の仲介により 織田信長と三好三人衆阿波三好長治との和睦交渉始まる
11/21 松永久秀 岐阜に人質として遣わした娘を信長の養女とし
      三好長治へ嫁がせる事となる
11/22 松永久秀 娘と共に岐阜から信貴山城に帰り
12/7 篠原長房から松永久秀に人質 和睦成立(尋憲記)
    松永久秀 信貴山城に本拠地 多聞山城を久通へ譲り渡す

元亀2年 松永久秀 足利義昭 不和
5/10  松永久秀 義昭方畠山秋高家臣安見直政を多聞山城で自害させる(言継)
5/12  松永久秀 その居城交野城を攻める
5/30  三好三人衆 松永久秀に呼応し秋高の拠点高屋城を攻める(多門院)(信貴山文書)
6/6  松永久通 三好義継 高屋城を攻め敵兵を討ち取る
6/11 高屋城より引き上げ藤井寺に入る
6/11  足利義昭 九条氏の娘を養女とし筒井順慶に嫁がす(多聞院)
6/12  筒井方の箸尾為綱 久秀に叛く
6/28  松永久秀 三好義継 三人衆とともに一万三千の軍で藤井寺から箸尾表へ出陣
7/3  松永久通 多聞山城に帰る 久秀 法隆寺龍田へ陣取(多門院)(尋憲記)
7/12 松永 松永方 義昭方攝津高槻城和田惟政を攻める つづいて木津表へ打ち寄せる
7/15 久秀 三好義継 高槻城攻めに合流 義昭政権から離脱(尋憲記)(多門院)
112
(2): 2020/09/06(日) 08:00:55.44 ID:XUpe2LDh(12/14)調 AAS
>>111
元亀三年(1572)
4月 織田信長 松永久秀 破綻(信長公記)
4/16  佐久間信盛 柴田勝家 交野に着陣 久秀 久通 三好義継 三人衆
交野周辺で織田方と一戦 久秀は信貴山城 久通は多聞山城 
義継は若江城へ退く(誓願寺文書)(信長公記)
5/9  筒井順慶 東大寺南大門に陣 尾張衆 多聞山城の北を囲む(多門院)
7/29  松永久秀 山城出陣
8/28  松永久秀 久通 木津を攻めるは引き退く(年代記抄節)
11/19 久秀 片岡(上牧町)に軍勢 付近を焼く
11/22 松永方 多聞山城より出陣 今市を焼くも筒井方に追い返される(多門院)
12/20 久秀 三好義継 本願寺と連携 細川昭元を攝津中嶋城に攻める
11/22 松永方 多聞山城を出陣 今市を放火 筒井方を逐う(多門院)(年代記抄節)

天正元年(1573)
1/2  松永久秀 六角家臣 三上栖雲軒に書状を返信 三方原で武田信玄が
織田徳川連合を撃ち破った事を「珍重」とし近江にいる「信長衆」を
調略するよう求める(護国寺文書 戦国遺文3-1643)
2/14  足利義昭 織田信長を敵とする 大和は義昭方松永 信長方筒井と対立
2/18 「一、京都将軍ハ当方へ御一味の由 四手作(四手井美作守家保)申す也」
2/20 「一、略)将軍ハ十四日に当房へ御一味 信長御テキニフセラレ候ト有(略)」(尋憲記)
2/27 久秀 三好義継と細川昭元を攝津中嶋城に攻める 昭元を堺に敗走させる(細川文書)

4/22 武田信玄 死亡
5月  足利義昭 大和国衆岡周防守を通じ信玄に対し信長を退けるための上洛を求める
武田方より快諾の返報(武州文書 戦国遺文3-1662)(荒尾文書戦国遺文3-1665)
7/3  足利義昭 山城槇島城にて応戦
7/18 足利義昭 河内若江城に追放
10/21 織田信長 多聞山城攻略を本格化 筒井順慶と相談 付城築城要請
11/4  三好義継 若江城に於て家臣多羅尾綱知の寝返りにより佐久間等の軍に攻められ
11/16 三好義継 自刃 
11月  松永久秀 久通 降伏
11/29 織田信長 佐久間信盛に対し (松永方の)多聞山城引き渡しと久通を
 信貴山城に入れ久通惣領子を人質として出し詫びを入れれば赦免する旨を
  申し付ける(赤木康夫旧蔵文書 信補35)
12/26 松永方 多聞山城を明け渡す 久通 嫡男春松を差し出し信貴山城へ入る(尋憲記)

天正二年(1574)
1/24  松永久秀 岐阜の織田信長へ礼に参じ 不動国行等を献上 忠誠を誓う(尋憲記)
12/24  松永久秀 剃髪して「道意」と号する(多門院)

天正三年(1575)
3/23 塙(原田)直政 織田信長より大和守護を任じられる
4/27 松永 塙直政 十市方とともに大和十市郷三分の一を与えられる
7/25 松永久通 龍王山城に於て十市後室娘なへと祝言 (多門院)
11/13 松永久通 筒井方であった十市常陸介が拠る十市城を攻めついで柳本城を陥れる
113: 2020/09/06(日) 08:06:41.15 ID:XUpe2LDh(13/14)調 AA×
>>112

114: 2020/09/06(日) 08:09:47.91 ID:XUpe2LDh(14/14)調 AAS
永禄十一年(1568)
2/15 松永久秀の母(84) 堺で死亡(多門院)
文明七年生まれ    松永久秀永正五年生まれ

永禄七年
9/21 去る8/21 法華宗一致派と勝劣派の和睦に際し調停に当たった法華衆徒の
久秀への礼として 堺の法華宗僧侶28人が「堺南庄松永老母宿所」に赴く 
これに「大方殿(母)」は酒と雑煮を振る舞う(永禄之旧規勝劣一致和睦之次第案文)

元亀元年(1570)
2/12 久秀 母の三回忌追善で千部経を行うため堺に赴く(多門院)

弟 松永甚助長頼 

天分十八年
七月 幕府料所山科七郷を三好長慶から与えられる(厳助)
 年不明 丹波守護代内藤家に婿入り
天分二十二年
9月 義父 内藤国貞戦死 家督を長頼息千勝(貞勝)が継承 
丹波桑田郡八木城を拠点とし丹波攻略を進める
口部から奥郡へ勢力を拡大 しかし奥郡氷上黒井城荻野直正 
多紀郡八上城を追われた波多野元秀の抵抗も激しく

永禄八年(1565)
8/2  黒井城荻野直正の軍と激戦の末敗死 何鹿郡下原の山中(上杉家文書戦国2-96)
 長頼の子に貞勝の弟であるキリシタン内藤貞弘ジョアンと妹内藤ジュリア

慶長十九年(1614) 
   江戸幕府の禁教により二人ともルソンに追放
115
(1): 2020/09/10(木) 01:15:45.99 ID:924BWX46(1/2)調 AAS
【イエズス会1582年日本年報追信】
6月2日朝、三七殿(信孝のこと)岸和田城で報を受け信澄が籠る大坂城(石山本願寺跡)へ向かうが兵が離散する。
三七殿の兵は自国の北伊勢2郡以外からの傭兵である。

【多聞院日記】
6月5日、伊賀国では織田信雄の兵が城を捨て逃亡、牢人衆が城を占領した。
信雄はその後、蒲生氏郷と合流し伊賀国へ城奪還の為、出陣す。

【上杉家御年譜】
6月7日、信長の兵は離散、甲斐・信濃・越中は台風が止むが如く静かになった。
116: 2020/09/10(木) 01:17:09.88 ID:924BWX46(2/2)調 AAS
宇野主水日記】
6月3日五時分(6から8時半)紀伊への一報が届く。
反信長派の土橋一族が挙兵した為、鈴木孫一は岸和田城へ逃亡す。
【兼見卿記】
6月8日、光秀が安土城を出陣、安土の守備には明智秀満を配置す。
【イエズス会日本年報1582追信】
彼(光秀のこと)はいずこも火を放たなかったが重臣(秀満のこと)と幾らかの兵を同所に残して、予期していた戦を始める為、津の国(摂津国)へ引き返した。
この時、安土城下では略奪が行われており、家々を荒らして家財を盗み路上では追い剥ぎが横行していた。
この事は同所ばかりでなく堺の市から美濃国および尾張国まで道程にして6から7日の所でも同様であり、ここかしこで殺人が行われた。
イエズス会が有する家財や装飾品も盗まれ被害は2800クルサード以上に値し運び出せなかった柱と屋根以外には何も残らなかった。
【老人雑話】
6月11日、羽柴にも明智にも特に親しかった
施薬院全宗(医者)はこの時、羽柴の見舞いで西国に居たが、上って下鳥羽の明智の陣所へ寄り、秀吉は早くも上洛するので時間は有りませんと伝えると明智は夜しきりに雨が降っていたが桂川を越えた。
117
(1): 2020/09/19(土) 12:06:40.01 ID:fiUhJIB/(1/5)調 AA×

118
(1): 2020/09/19(土) 12:09:11.08 ID:fiUhJIB/(2/5)調 AA×
>>117

119
(1): 2020/09/19(土) 12:12:40.04 ID:fiUhJIB/(3/5)調 AA×
>>118

120
(1): 2020/09/19(土) 12:20:50.70 ID:fiUhJIB/(4/5)調 AA×
>>119

121: 2020/09/19(土) 12:23:10.76 ID:fiUhJIB/(5/5)調 AA×
>>120

122: 2020/09/22(火) 16:30:03.95 ID:76aW7Pix(1)調 AAS
はふ
123: 2020/09/22(火) 23:19:30.71 ID:DENBxYFt(1)調 AAS
やほ
124: 2020/09/23(水) 00:13:37.07 ID:abHHsdDO(1)調 AAS
んさ
125: 2020/09/23(水) 23:38:18.71 ID:vPJJNH8r(1)調 AAS
やほゆ
126: 2020/09/24(木) 23:00:42.39 ID:jQmOvYrJ(1/2)調 AAS
らふ
127: 2020/09/24(木) 23:10:22.83 ID:jQmOvYrJ(2/2)調 AAS
やむ
128: 2020/09/25(金) 23:20:03.51 ID:offlnsdW(1/2)調 AAS
らぬ
129: 2020/09/25(金) 23:21:21.55 ID:offlnsdW(2/2)調 AAS
わむ
130
(1): 2020/09/27(日) 07:31:57.91 ID:EgqjMaNq(1/5)調 AA×

131
(1): 2020/09/27(日) 07:36:04.30 ID:EgqjMaNq(2/5)調 AA×
>>130

132
(1): 2020/09/27(日) 07:41:15.27 ID:EgqjMaNq(3/5)調 AA×
>>131

133
(1): 2020/09/27(日) 07:47:49.86 ID:EgqjMaNq(4/5)調 AA×
>>132

134: 2020/09/27(日) 07:55:22.16 ID:EgqjMaNq(5/5)調 AA×
>>133

135: 2020/10/02(金) 23:20:48.76 ID:BPBSdVNn(1)調 AAS
らや
136
(1): 2020/10/03(土) 07:07:51.52 ID:aIBsnvU2(1/17)調 AA×

137
(1): 2020/10/03(土) 07:11:18.96 ID:aIBsnvU2(2/17)調 AA×
>>136

138
(1): 2020/10/03(土) 07:16:00.71 ID:aIBsnvU2(3/17)調 AA×
>>137

139
(1): 2020/10/03(土) 07:20:56.78 ID:aIBsnvU2(4/17)調 AA×
>>138

140
(1): 2020/10/03(土) 07:26:36.78 ID:aIBsnvU2(5/17)調 AA×
>>139

141
(1): 2020/10/03(土) 07:30:59.16 ID:aIBsnvU2(6/17)調 AA×
>>140

142
(1): 2020/10/03(土) 07:37:41.18 ID:aIBsnvU2(7/17)調 AA×
>>141

143
(1): 2020/10/03(土) 07:43:10.50 ID:aIBsnvU2(8/17)調 AA×
>>142

144
(1): 2020/10/03(土) 07:49:35.63 ID:aIBsnvU2(9/17)調 AA×
>>143

145
(1): 2020/10/03(土) 07:53:50.59 ID:aIBsnvU2(10/17)調 AA×
>>144

146
(1): 2020/10/03(土) 07:57:37.79 ID:aIBsnvU2(11/17)調 AA×
>>145

147
(1): 2020/10/03(土) 08:02:07.91 ID:aIBsnvU2(12/17)調 AA×
>>146

148
(1): 2020/10/03(土) 08:06:23.11 ID:aIBsnvU2(13/17)調 AA×
>>147

149
(1): 2020/10/03(土) 08:12:21.28 ID:aIBsnvU2(14/17)調 AA×
>>148

150
(1): 2020/10/03(土) 08:18:11.45 ID:aIBsnvU2(15/17)調 AA×
>>149

151
(1): 2020/10/03(土) 08:25:07.24 ID:aIBsnvU2(16/17)調 AA×
>>150

152: 2020/10/03(土) 08:29:26.39 ID:aIBsnvU2(17/17)調 AA×
>>151

153
(1): 2020/10/07(水) 07:06:47.60 ID:Uwrnu8ET(1/15)調 AA×

154
(1): 2020/10/07(水) 07:09:06.99 ID:Uwrnu8ET(2/15)調 AA×
>>153

155
(1): 2020/10/07(水) 07:10:56.62 ID:Uwrnu8ET(3/15)調 AA×
>>154

156
(1): 2020/10/07(水) 07:12:13.98 ID:Uwrnu8ET(4/15)調 AA×
>>155

157
(1): 2020/10/07(水) 07:14:55.68 ID:Uwrnu8ET(5/15)調 AA×
>>156

158
(1): 2020/10/07(水) 07:18:18.58 ID:Uwrnu8ET(6/15)調 AA×
>>157

159
(1): 2020/10/07(水) 07:20:48.10 ID:Uwrnu8ET(7/15)調 AA×
>>158

160
(1): 2020/10/07(水) 07:25:47.74 ID:Uwrnu8ET(8/15)調 AA×
>>159

161
(1): 2020/10/07(水) 07:29:07.57 ID:Uwrnu8ET(9/15)調 AA×
>>160

162
(1): 2020/10/07(水) 07:31:35.33 ID:Uwrnu8ET(10/15)調 AA×
>>161

163
(1): 2020/10/07(水) 07:36:25.12 ID:Uwrnu8ET(11/15)調 AA×
>>162

164
(1): 2020/10/07(水) 07:39:56.68 ID:Uwrnu8ET(12/15)調 AA×
>>163

165
(1): 2020/10/07(水) 07:43:26.73 ID:Uwrnu8ET(13/15)調 AA×
>>164

166
(1): 2020/10/07(水) 07:45:36.03 ID:Uwrnu8ET(14/15)調 AA×
>>165

167: 2020/10/07(水) 07:47:57.37 ID:Uwrnu8ET(15/15)調 AA×
>>166

168
(1): 2020/11/01(日) 07:23:22.55 ID:pGe1zPAV(1/24)調 AA×

169
(1): 2020/11/01(日) 07:27:07.60 ID:pGe1zPAV(2/24)調 AA×
>>168

170
(2): 2020/11/01(日) 07:30:00.26 ID:pGe1zPAV(3/24)調 AA×
>>169

171
(1): 2020/11/01(日) 07:31:56.56 ID:pGe1zPAV(4/24)調 AA×
>>170

172
(1): 2020/11/01(日) 07:34:15.88 ID:pGe1zPAV(5/24)調 AA×
>>171

173
(1): 2020/11/01(日) 07:36:32.72 ID:pGe1zPAV(6/24)調 AA×
>>172

174
(2): 2020/11/01(日) 07:39:00.07 ID:pGe1zPAV(7/24)調 AA×
>>173

175
(1): 2020/11/01(日) 07:42:40.04 ID:pGe1zPAV(8/24)調 AA×
>>174

176
(1): 2020/11/01(日) 07:44:54.40 ID:pGe1zPAV(9/24)調 AA×
>>175

177
(1): 2020/11/01(日) 07:49:22.16 ID:pGe1zPAV(10/24)調 AA×
>>176

178
(1): 2020/11/01(日) 07:51:47.33 ID:pGe1zPAV(11/24)調 AA×
>>177

179
(1): 2020/11/01(日) 07:54:50.02 ID:pGe1zPAV(12/24)調 AA×
>>178

180
(1): 2020/11/01(日) 07:57:22.40 ID:pGe1zPAV(13/24)調 AA×
>>179

181
(1): 2020/11/01(日) 08:00:06.21 ID:pGe1zPAV(14/24)調 AA×
>>180

182
(1): 2020/11/01(日) 08:01:48.10 ID:pGe1zPAV(15/24)調 AA×
>>181

183
(1): 2020/11/01(日) 08:04:03.60 ID:pGe1zPAV(16/24)調 AA×
>>182

184
(1): 2020/11/01(日) 08:06:08.69 ID:pGe1zPAV(17/24)調 AA×
>>183

185
(2): 2020/11/01(日) 08:08:48.87 ID:pGe1zPAV(18/24)調 AA×
>>184

186
(1): 2020/11/01(日) 08:11:46.10 ID:pGe1zPAV(19/24)調 AA×
>>185

187
(1): 2020/11/01(日) 08:13:46.38 ID:pGe1zPAV(20/24)調 AA×
>>186

188
(1): 2020/11/01(日) 08:16:29.94 ID:pGe1zPAV(21/24)調 AA×
>>187

189
(1): 2020/11/01(日) 08:19:18.41 ID:pGe1zPAV(22/24)調 AA×
>>188

190
(1): 2020/11/01(日) 08:22:36.07 ID:pGe1zPAV(23/24)調 AA×
>>189

191: 2020/11/01(日) 08:24:01.91 ID:pGe1zPAV(24/24)調 AAS
>>190

12/15 本願寺光佐 武田信玄・勝頼父子に好を通ず (顕如上人御書札案留)
12/17 朝倉義景浅井長政もそれぞれ帰国 (言継)(歴代古案)(尋憲記)(信長公記)
12/18 三淵藤英(三淵大和守) 山城国醍醐寺へ寺法として徳政は無効であることについて
     「信長朱印」が進上される旨を通達 (三宝院文書)
12/27  木下秀吉 京都警護のため蜂須賀正勝(近江国横山城守将)へ 山門衆徒・
     一向一揆の乱暴によって段銭徴収などが侵害されぬよう適宜対策を構ずるよう命令 (徳川公爵家旧蔵文書)
12月 織田信長 京都本能寺に禁制 (本能寺文書)

是年 

  イエズス会宣教師フロイス 和田惟政の斡旋により二条城で織田信長に謁見 
  足利義昭にも謁見 (フロイス1571/9/28付書翰)
  イエズス会宣教師オルガンティーノ入洛 (耶蘇会士日本通信)

  興福寺大乗院門跡 尋憲 前門主尋円と同門跡領の事で争い松永久秀らに
  解決を依頼する (多聞院)

  吉田兼見 「兼見卿記」を記す (〜1610)
1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ

ぬこの手 ぬこTOP 8.918s*