[過去ログ] 【ドラマはドラマ】令和弐年 麒麟がくる歴史館 1号室【史実を基にしたフィクションです】 (497レス)
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136(1): 2020/10/03(土) 07:07:51.52 ID:aIBsnvU2(1/17)調 AAS
永禄11(1568)年
正親町天皇 関白近衛前久 将軍足利義栄2/8〜9月 足利義昭10/18〜
関東管領上杉輝虎 京都奉行村井貞勝
1/7 三好義継 大和多聞山城から河内津田城に移る(細川両家記)
1/11 朝廷 徳川家康を左京大夫とする(東照宮御実紀)
1/17 三好長逸ら 大和超昇寺に移陣する (多聞院)
1/17 (多聞院)英俊 加賀国一向一揆と朝倉義景(越前)が(和談)したことを知る
足利義秋(上意)が越前国一乗谷に移って実現した調儀であるという(多聞院)
1/18 英俊 三好義継(三好左京大夫)が年始に夢で詠んだ歌を見る
三好義継はこの年の6月には(彼存分)の実現(足利義秋・織田信長の上洛か)を
予測し悦んでいることを知る (多聞院)
1/27 川合某(篠原長房重臣) 病死 (多聞院)
2/6 (多聞院)英俊 (主)が替わる夢を見る (多聞院)
2/8 足利義栄 将軍宣下を受ける (公卿補任)(御湯殿)
山科言継 足利義栄の上卿となり攝津富田に赴く(言継)
越前へ亡命中の足利義秋が一月二三日に加冠元服を希望し
この日山科言継に密使を贈る(言継)
2/8 織田信長(尾張守信長) 直江景綱(直江大和守)へ(糸毛之腹巻)・(同毛之甲)
を進覧す (上杉家文書)
2/11 興福寺衆徒 奈良大阪堺の岩成友通(石成主税守)一向宗門徒が大和烏芋峰に道場
を建てようとするのに抗議して閉籠する (多聞院)(言継)
2/13 三好康長(三好山城守) 興福寺塔頭(多聞院)大御堂に於ける閇門の為の
祈祷を了承す (多聞院)
2/15 月食
2/20 森屋城に於いて三好三人衆側と十市某の軍勢が交戦
森屋城を三好三人衆側が奪取(多聞院)
2/22 (河権)大和国春日神社へ栗毛の(神馬)を奉納す (多聞院)
2/29 大和多聞山城の斎藤龍興の兵が三好三人衆に通じる (多聞院)
2/ 織田信長 (藤八)へ(名田)を(前々)の如く安堵す (中村林一氏所蔵文書)
2月 織田信長 北伊勢を攻略 三男信孝を神戸友盛(具盛)の養子とし弟信包に
長野氏を嗣がせ織田掃部介を安濃津城主とする(勢州軍記)(勢州兵乱記)(総見記)
3/2 朝廷 高山寺へ沽却質券地を取り戻し 再建を督促す (言継)
3/6 武田信玄・北条氏康・上杉輝虎(後の上杉謙信)の3者の和睦同盟が成立
3/6 足利義秋 武田信玄および北條氏康が上杉輝虎世の和睦を承諾するとの請文を
出したと輝虎に報せ速やかに同心して上洛するよう求める(上杉文書)(歴代古案)
(度々仰せられ候越甲相和与の事両国に対し堅く申し遣はすの処請状の旨宜しく候
しかれば存分有ると雖もこの節是非をさしおき同心せしめ入洛の儀馳走の段頼み
思し召され候 併せて輝虎の所為これを為すべく候 仍って太刀一腰(助長)
腹巻一領(紫肩紅)これを遣はし候 猶義景申すべく候なり
三月六日 足利義秋(花押)
上杉弾正小弼とのへ ) (上杉文書)
3/11 十市某(大和国人)三好康長(三好山城)・篠原某(篠原弾正)と誓紙を交換す (多聞院)
3/14 英俊 篠原某(篠原弾正)・三好康長(三好山城)の各自の使者の到来を受けて
3/11に交換された誓紙を披見す (多聞院)
3/19 大雨により大和国興福寺の(西ノ陳番替)が到着せず (多聞院)
3/21 三好備中守・遊佐安芸守・大嶋助兵衛・加地六郎兵衛ら(高屋衆)
三鬼鎰助・カヰノ庄助丞・木村宗也以下千五百計の軍勢が大和国興福寺の
西陣の(番替)として到着 (多聞院)
3/22 大和国興福寺 番替として配備された三好備中守へ20疋 (取継)の
三宅八郎兵衛入道へ10疋を進上 (多聞院)
3/24 足利義昭 本願寺顕如(本願寺殿)へ朝倉義景(義景)が越前国(一果)を報告
してきたこと 次は加賀国(料所)の差配のために三淵伊賀入道を派遣したので
詳細を伝達させることを通知 (越加記所載文書)
3/25 大和国興福寺の氷室城が焼失 寺内を悉く開いたため寺内は焼けず
河内衆・筒井衆は寺内に入らず (多聞院)
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