おっさんのやり直し日本史を生暖かく見守るスレ (301レス)
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101: 2015/12/12(土)11:35 ID:S8B(3/6) AAS
●抜歯について

参考書には、縄文時代、成人の通過儀礼として抜歯があった、とされています。
けど、本当なのだろうか。おっさん的にはもやもやと疑問を感じています。

というのも、昔見た「楢山節考」という映画のワンシーンを思い出したためです。

その映画の舞台は江戸時代の貧しい農村。
寒村のため、食料が不足するので、村のおきてとして、生産性のなくなった老人を、つまり自分の親を、
姥捨て山に捨ててこなければいけないという、そういうお話です。

主人公のばあさんが最終的には冬山に捨てられてしまうんですが、その前段階として、
自分の意志で(あるいは村の掟か風習として)抜歯をするんです。
食事が不自由になるために。食事のスピードを減らすために。つまり食事の量を減らすために。
省6
102: 2015/12/12(土)11:48 ID:S8B(4/6) AAS
●屈葬について (通説への異議)

おっさんは屈葬の通説にも反対です。

屈葬については3つほど強い説があって、
1番強いのはゾンビのような黄泉がえりをさせないため。
2番目には生まれ変わり祈願。
3番目には穴掘りを楽にしたいからという合理性追求のため。

通説は1番が1番強い。
でも、おっさんは2番目が正しいと思う。

その理由を述べます。
省14
103: 2015/12/12(土)11:53 ID:S8B(5/6) AAS
●三内丸山遺跡

青森県出土で、世界最大の縄文遺跡。
しかし驚くべきは、その大きさもさることながら、集落の寿命です。

1500年間にわたって集落が続いていたと考えられるというのですからびっくりです。
簡単に1500年といっても、その長さは想像を絶する。

そもそも、いまから 1500年前といえば、515年。まだ磐井の乱も発生していない。
ろくに文字も伝わってない、神話の世界からようやく抜け出しかけたかという時代の話です。

それとほぼ同じ期間だけ、三内丸山遺跡では生活者が続いていたということ。
そしてさらに恐ろしいのは、その1500年間、ほとんど進歩がなかったであろうということ。
省1
104: 2015/12/12(土)12:02 ID:S8B(6/6) AAS
●弥生時代の特徴 → 「鉄」

やっと弥生時代ですw
弥生時代を一口で言うと「鉄」の時代。

弥生時代の特徴は、大きく言って2つあります。

一つは金属器の時代。これは青銅器と鉄器が同時に流入したことを意味します。
もうひとつは、本格的な農耕稲作がはじまったこと。

そして、金属でいえば重要なのは「鉄」のほうだし、本格的な農耕稲作を可能にしたのも「鉄」。
鉄は農具であると同時に殺人の武器でもある。
省14
105: 2015/12/13(日)11:32 ID:FwF(1/2) AAS
●微妙に方針転換w

今までのように、「詳説日本史研究」からテーマを取って書いていくと
書くべきテーマの抜け漏れ落ちの心配はなくなるんだけど進むスピードが
異様に遅くなることに気が付きましたw。

土日しか書けないので
今のペース程度しかできないのはしょうがないけど、今のペースでやると
1回転するのに休まずやっても4年かかる計算になってしまうw
これでは意味がないので、もう少しキャパの小さい本をテーマ選びの本にします。

いろいろ探したんだけど、「2時間でおさらいできる日本史」が手頃っぽかったんで、
この本の単語から触発された内容を中心に書いていくことにしました。
省2
106: 2015/12/13(日)11:40 ID:FwF(2/2) AAS
●高床倉庫

稲の備蓄をするのに必要な倉庫。食べるだけじゃなく、翌年用種もみも必要だから。
倉庫にはネズミ返しがついていたりしてて、結構高度なものらしいです。
あと、高床なのは、湿気対策だけではなく、津波対策でもあるらしい。

基本は稲の備蓄だけど、寝泊りするのにもつかわれたりもしてたかもしれないです。

●環濠集落

弥生時代特有の集落。
集落の周囲にぐるりと溝を掘って、そこに落とし穴のような仕掛け
(獲物が落ちると何かが突き刺さるような埋め込み物)がしてある集落。
省10
107: サボテン◆YYYYYYYYYY 2015/12/20(日)13:11 ID:tw(8/8) AAS
まだかなまだかな〜
108: 2015/12/20(日)16:02 ID:w1J(1) AAS
おっさんです

すみません。
風邪ひいちゃいました。
金曜の夜に熱が出て、土日ずっと寝っぱなしです。
いま、家族の目を盗んでキーボードを打ってます。

今週は水曜日に祝日があるんで、それを目指します。
申し訳ないです。
109: 2015/12/20(日)17:16 ID:2KG(1) AAS
面白く拝読してますよ。
ゆっくり自分のペースで頑張ってください。
それではご自愛を。一刻も早く病気が治りますように。
110: 2015/12/22(火)22:35 ID:jSc(1/6) AAS
おっさんです。

お騒がせしました。
熱は下がったんですが、なんか体がふわふわしてます。

で、休んでいる間も、日本史の参考書を読んで書き込んだらいいかなってな内容のメモを
紙に書いてみたりしていたんですが、読み返してみると、面白くないですね、全然。
かといって、没にすると、全部没になっちまうw

どうも、自分の書き込みの場合、内容よりもリズムとテンポが重要だったようです。
なのでリアルタイムで書いていかないと文章の旨みがどうもすぐに抜けて行ってしまうようです。

ということで、抜け漏れ落ちを気にすることなく、勢い中心で書いてみることにしました。
111
(1): 2015/12/22(火)22:50 ID:jSc(2/6) AAS
●三内丸山遺跡、再び。

で、休みの間、寝床でうとうとしながら考えていたのが、三内丸山遺跡。
これ、ひょっとすると、とんでもなくとんでもない遺跡になるような気がしてきました。

まず、世界4大文明に肩を並べる水準の期間の古さと長さと、文明の高さ。
でも、実はそれだけじゃない。

世界四大文明を「超えるもの」があるんです。
しかもそれは根本的に重要なことです。

世界4大文明は、金属を使った。荒れ地を開墾した。
そのために火をガンガン使った。薪として木を伐採した。
省18
112: 2015/12/22(火)23:00 ID:jSc(3/6) AAS
じゃ、縄文時代をそれで総括したことにしてしまってw

改めて弥生時代に入ります。

●弥生時代の特色

稲作と金属器。これに尽きます。

弥生式土器もあるだろうという突っ込みもありますが、これは微妙なんですね。
省19
113
(1): 2015/12/22(火)23:18 ID:jSc(4/6) AAS
●弥生時代の年号

さてその弥生時代ですが、ざっくり見て、前期後期と半々に分けられるように思います。
(ご注意:通説は3つに分けてるようですので学生さんは本気にしないように)

前期は、遺跡のみ、後期は遺跡と古文書でわかる時代分析です。
中国の古文書からぽつぽつと当時の日本の様子が分かり、それのおかげでいろいろな流れも見えてきました。
そういう意味で、古文書に乗ってきた時代とそれ未満の時代、という区分です。

で、今回はその古文書と、年号を扱ってみることにします。
下で引用するときのために順に番号を振っておきます。

1) 紀元前1世紀。日本は100以上の小国に分かれていた。その中で、中国に朝貢しに来る者がちらほら存在した。
2) 57年 奴国が朝貢して、「漢委奴国王」の金印を拝受する。
省11
114: 2015/12/22(火)23:27 ID:jSc(5/6) AAS
●訂正

と、その前に。
自分の書いた文書が少し言葉足らずだったので、補足します。

>>111
原文
>そういう意味で、三内丸山遺跡の存在というのは、ものすごく重要なものになるのではないか。
>そんなことをもやもやと考えていました。

修正(1行加える)
そういう意味で、三内丸山遺跡の存在というのは、ものすごく重要なものになるのではないか。
近未来の世界全体において、三内丸山遺跡が示す「哲学(生きざま)」が、平和と安全と幸福のアイコンになるのではないか。
省7
115: 2015/12/22(火)23:42 ID:jSc(6/6) AAS
ということで、改めて弥生時代の年号に入ります。

●1) 紀元前1世紀。日本は100以上の小国に分かれていた。その中で、中国に朝貢しに来る者がちらほら存在した。

ええと、このころの日本の動きというのは、中国大陸や朝鮮半島の動きと密接に関係しているので、
その動きを頭の片隅に入れておかないと、理解しにくくなることが多いようです。

漢(前漢です)の武帝が朝鮮半島に攻めてきて、4つの郡を設置したんですが、そのうちの一つが楽浪郡。
時は紀元前108年です。日本の中の小国の一つが朝貢しに来たのはこの楽浪郡。
要するに、本店である漢帝国には恐れ多くて出向けないので、最近開店した漢帝国出張所にご機嫌伺いをしに来た
というところです。まさにゴミみたいな扱いですね、このころは。

●2) 57年 奴国が朝貢して、「漢委奴国王」の金印を拝受する。
省15
116: 2015/12/23(水)13:13 ID:bmk(1/7) AAS
では昨日の続き

●3) 107年 別の国が、160人の奴隷を献上するという朝貢をした。

送り主は帥升(すいしょう。元帥の帥と、マスの升と書きます)
で、この人が日本市場、外国支所に名前が残る最初の人物。
ただし、それが人名なのか役職なのかは不明です。

ちなみに2)の57年は日本史で最初に覚える具体的年号。
このあたりは「史上初」が連発されます。

それと、ここからわかるのは、日本の小国は中国にいそいそと朝貢して冊封されることを望んでいた。
ということですね。つまり小国に分かれて争っていたということと、大陸と何某らの交流があったということ、
さらには中国が上、自国が下、という意識が明確だった時代です。
117: 2015/12/23(水)13:29 ID:bmk(2/7) AAS
●冊封体制について

ここで、この朝貢する動機となる冊封体制について、知っておかないといけないですね。

◎まずは、冊封についての辞書的解説
 ・中国,歴代王朝が東アジア諸国の国際秩序を維持するために用いた対外政策。
 
 中国の皇帝が朝貢をしてきた周辺諸国の君主に官号・爵位などを与えて君臣関係を結んで
 彼らにその統治を認める(冊封)一方,宗主国対藩属国という従属的関係におくことをさす。

簡潔にして無味乾燥ですが、わかりやすい説明ですね。

要するに、冊封を求める側は、中国大帝国様という虎の威を借りたいという、ずるがしこい小国の王たちです。
省13
118: 2015/12/23(水)13:30 ID:bmk(3/7) AAS
◎冊封体制のメリット 2)冊封を受ける小国側のメリット

 これは、大きく言って、3つあります。細かく分けると6つくらい。
 3つというのは「権威」「権力」「財産」です。

 細かく分けると、権威は国内での権威と、国外での権威。という2種類の権威。
 権力は、権力というよりはその源泉ともなるべきもので、具体的には、進んだ文化と進んだ文明の2つ。
 財産は「現金」と「現物」です。全部で6つ。

そしてこの6つの要素のうち、どの要素がほしくて冊封されたがるのかは、時代によって変わってくるところに注意が必要です。

まず、弥生時代。「倭の奴国王」も「帥升」も「邪馬台国の卑弥呼」も、みんな「国内での権威」をほしがったが故の朝貢です。
中国から日本地域の統治者であると認めてもらうことによりその周辺国に「俺に逆らうと、中国様が承知しないぞ?」
「わかってんのか「?あ?お?おらおらおら!」と、戦わずして勝つことができるわけです。少なくともそうなりやすい。
省9
119: 2015/12/23(水)13:43 ID:bmk(4/7) AAS
どんどん続いていきますね

●4) 桓・霊の間(ということは147-189年の間)倭国では大乱(壮絶な殺し合い)があった。

このころ、集落の形態に変化が現れます。
「環濠集落」や「高地性集落」です。

環濠集落というのは、集落の周りに溝を掘り、矢を逆立ってたものを埋め込んで置いたりして、簡単に攻めてこられないようにした集落。
高地性集落というのは、丘の見晴らしのいいところに、作られた集落です。

いずれも、期間限定(=倭国大乱のころ)、場所限定(=瀬戸内方面限定)。
なので、その原因は、中国の古文書が言うところの「倭国大乱」による者であることはほぼ明白です。
省17
120: 2015/12/23(水)13:56 ID:bmk(5/7) AAS
●6) 239年。卑弥呼が朝貢。「親魏倭王」と認定される。

「邪馬台国はどこにあるの?論争」に、このおっさんが、終止符を打ちます。
ご期待ください。

◎邪馬台国論争についての整理

その前に、この論争は、江戸時代から連綿と続けられてきた伝統のある論争であり、
いまだに結論が出ていないという難儀な代物であるということは皆さんもご承知の通り。

なぜ、邪馬台国のありかが分からないのか。
それは皆さんもご承知の通り、魏志倭人伝で描かれている、邪馬台国への行き方が、でたらめだからです。
省18
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