おっさんのやり直し日本史を生暖かく見守るスレ (301レス)
上下前次1-新
81: 2015/12/05(土)11:32 ID:Acj(7/12) AAS
○女帝について
女帝について言うと、飛鳥奈良時代は結構多かったんだけど、
これについて、個人的な疑問点が1つあります。
女性の天皇としては、前例として、持統天皇よりも前に、推古天皇がいる。
だから持統天皇がいても(女帝が天皇でも)いいじゃないか。
そういう主張を、日本書紀を編纂した連中は画策したのではないか、という、歴史の改ざんの闇の匂いを感じるんです。
というのも、隋書倭国伝。
この本は、中国大陸で栄えていた隋という国の歴史書なんですが、その中に、西暦600年に、日本から遣隋使が来た。
西暦600年当時の日本の大君(おおきみ:この音声を当て字で記載されている)である「姓がアメ、名がタリシヒコ」
という者の使いだ。要するに、男の天皇です。この当時男の天皇なら、聖徳太子が最有力者。
省16
82: 2015/12/05(土)11:53 ID:Acj(8/12) AAS
●長屋王について
藤原氏による天皇家乗っ取りについて言うと、長屋王の話が外せ無いと思います。
仮に女帝がOKだとして、民間から女性を嫁さんに迎えることができるとしたらどうなるか。
民間人だった嫁さんが、亭主の天皇が死んだ時に女帝になれてしまう。
これはとんでもない、許されべからざる話ですね。
なので、女帝がOKというルール化にあるのなら、天皇の嫁さんは皇族じゃないとダメだということになります。
このアタリマエのことを当たり前だろと言ったのが長屋王。
すると、この「嫁さん」を天皇家に送り込んで天皇家を乗っ取ろうとしていた藤原家は長屋王に対して
「良くも本当のことを言いやがったな」と、因縁つけて殺しちゃうんです。
省14
83: 2015/12/05(土)12:08 ID:Acj(9/12) AAS
●その後の天皇制度
やがて怨霊も鎮まり、めでたく藤原氏が実権を握り、権威は天皇、権力は藤原氏の時代になります。
藤原氏は天皇を嫁に出し続けることにより、天皇家の外戚になることになる。天皇の母方の実家です。
ここで一つ重要なことを言いますね。
当時は、妻問婚です。
ご主人が、奥さんの実家に通う生活。
当然子供は母方の実家で育てられる。
つまり、将来の天皇は、その幼少の頃、育ての爺ちゃんばあちゃん、全部藤原家w
つまり幼少のみぎりから刷り込みとして、藤原家の言うことに逆らうことはできません状態のロボット誕生システム。
省21
84: 2015/12/05(土)12:16 ID:Acj(10/12) AAS
●2巡目の総括。その2 日本はなぜ負けたのか
対外的には、
長期の戦略(=適切なゴール設定、くらいの意味)がなかった。
それがないから、目先の正しい優先順位がわからなくなる。
その結果、目の前の勢いに巻き込まれて場当たり的に動くようになる。
つまり、断固としてやる、あるいはやらない、やめる、動かない。
そういう正しい決断ができなくなってきてるんですね。それが敗因。
対国内的には、
省10
85: 2015/12/05(土)12:24 ID:Acj(11/12) AAS
●組織の長と、組織の関係
組織というのは結局はトップ次第。大きい組織でもそう。
というか大きくなれば大きくなるほどそうなのかもしれない。
明治時代は、大局をにらみ、同時に自己を律する事ができる稀有の人材が天皇をやっていたので、
明治時代の日本は栄えた。
大正時代は、家庭的な天皇だったので、リーダーとしては弱く、結局議会の空回りの時代に終わった。
のみならず、昭和時代へのマイナスの伏線の種がまかれていった。
昭和前半(1945年8月15日まで)は、天皇が若かったのと、すでに日本国が軍隊の敷いたレールに乗って
勢いづいてしまったので、破滅せざるを得なかった。
省6
86: 2015/12/05(土)12:29 ID:Acj(12/12) AAS
だらだらとしちゃったけど、以上で2巡目の総括はおわりです。
当初疑問を抱いていた「天皇とは何か」「日本はなぜ負けたのか」について、
ある程度もわっとではありますが、わかってきたような感じがします。
しかし、同時並行でいろいろな分野について更にわからないことがでてきたんで、
3巡目をはじめようかなと、3巡目はじっくりと行こうかなと思います。
テーマを見つけるのが骨なんで、先述したように「詳説日本史研究」の小見出し及びその内容を
主たる参考資料として使用することにします。必要に応じて年表や資料集や用語集を使うことも
あるかもしれません。
次の項から三巡目に入りますが、三巡目は「まえがき」のページから始めますw
87: 2015/12/05(土)17:05 ID:jwm(1/4) AAS
では、三巡目はじめます。
●なぜ日本史を学ぶのか(前書き前段)
詳説日本史研究のまえがきには、
真の国際人になるためには、日本人の場合、日本史に詳しくならないといけない。
という趣旨の話が書かれています。
全く同感でした。
学生時代、周囲がやたら「国際人」「海外留学」「英語」とうるさくて、
ふざけるなと、国際人として求められる資質は自国をよく知っておくべきだろうがと、
当時は少数派で日上としか受け止められないような意見を言ってたんだけど、
まさに我が意を得たりです。
省8
88(1): 2015/12/05(土)17:12 ID:jwm(2/4) AAS
●どのように日本史を学ぶのか
歴史を学ぶとは、「過去の出来事」と、その「意味」を学ぶこと。
ところが、出来事は一つであるはずなのに、証拠の多寡によって推測比率が上がるものもある。
また、やっかいなのが「意味」。意味、は意義でもあるし、思想でもある。
唯物史観とか皇国史観とか極端なものもいろいろある。
できるだけ事実に沿うように、大きい流れを意識しながら、小さい流れの必然性と
偶然性をかぎ分ける必要がある。
もう一つ重要なのが、時代の空気に思いをはせること。
時代の空気、流れによってその中にどっぷりはまっている人間の行動基準が変わってくる。
現代の倫理観で過去の人間の行動を批判しても滑稽なだけで無意味ですらある。
省3
89: 2015/12/05(土)17:20 ID:jwm(3/4) AAS
>>88の関連
例えば時代の主流となる思想哲学とかも、時代が求める自己正当化の隠れ蓑という
性質があったりするんで要注意。
たとえば帝国主義の正当化に弱肉強食の理論が使われていて、その理論的背後には
ダーウィンの進化論があったりする。(まあ、これは典型というか有名な話ではあります)
ちなみに進化論、今では今西のすみわけ進化論の要素も結構入ってるよという時代に
なってしまっているようです。
この切り口でいうと、ちょっとびっくりしたのが、マルサスの人口論。
これはイギリスの産業革命勃興時に、小学生が超過酷環境で超過酷労働を
強制されていたころの話。
省13
90: 2015/12/05(土)17:32 ID:jwm(4/4) AAS
●人類の誕生
詳説日本史の研究、いきなり誤植してる感じ。
「地球は45億5千年前に誕生した」って記載されていたけど、
「地球は45億5千万年前に誕生した」と書きたかったんだろうと思う。
で、細かいことはともかく、ちょっと数字遊びをしてみる。
この地球の45億5千万年の歴史を1年(365日)に見立てると、
見立ての1秒あたりが144年になる。
省22
91: 2015/12/06(日)11:28 ID:zkq(1/8) AAS
●日本人の形成
大きく分けると、「古モンゴロイド」と「新モンゴロイド」。
「古」のほうは南方系で、6千年前の日本では主流。
狩人系で、南国にする人っぽい暑苦しい人。
「新」のほうは、いわゆる「おしょうゆ顔」系。
これは現在の日本の主流。農業系。「古」と比較すると、寒さに強い変化。
北海道や沖縄など、辺境にいくほど「古」系の残り具合が強くなり、中央に行くほど
「新」が増えてきている。
省4
92: 2015/12/06(日)11:36 ID:zkq(2/8) AAS
●旧石器時代の文化:相沢忠洋
戦前、関東ローム層には遺跡はなくて、そこから
「旧石器時代には人類は日本列島にいなかった」説がプロの世界の常識だったんだけど
戦後まもなく歴史素人(←大学の学者じゃないという意味)の相沢さんによる旧石器発見が
それを覆してしまった、アマがプロに勝ったという意味においてものすごく意味のある事件。
なんかややこしいんだけど、1946年(終戦翌年)に相沢さんが発見してて、どうも
石器らしいと、大学生に話を持ち掛けてそれをその学生が大学教授に教えたら、
その大学教授が自分で調べてみると腰を上げ、相沢さんを道案内にして、1949年に
正式に発見認定。その際「これは私の発見であるぞ、えっへん」とその大学教授が
やっちまったからさあ大変。
省16
93: 2015/12/06(日)11:43 ID:zkq(3/8) AAS
●考古学の時期区分
なんかややこしいですね。
世界の常識と、日本の進化状況がちょっと違うってのがその原因。
まず旧石器時代ってのがあって、これは世界共通だから構わない。
次に新石器時代。
これが日本では縄文時代って言われる。なぜか?
それは、、、、
それは、世界と違って、日本の場合、まだ農耕牧畜がおこなわれていないからなんだと。
世界では、新石器時代のころには農耕牧畜がおこなわれてたんだね。
省11
94: 2015/12/06(日)11:48 ID:zkq(4/8) AAS
●続・考古学の時期区分
話が途中でした。
新石器の次が、青銅器時代と鉄器時代。
世界史的にはこれは別々のもの、というか青銅器時代の次に鉄器時代が来るんだけど
日本へはその伝番があまりにも遅すぎたんで同時に入ってきちゃった。
青銅器と鉄器が同時。
当然用途が分かれてくる。
青銅器はきれいで弱いので祭器。鉄器は固いので実用機。農具や武具。
祭器というと、銅鐸。おっさんが40年前に習った時には「用途不明」って言われていた。
今では祭器として確定してますね。なんでも朝鮮半島で馬の首つけていた鈴が日本に
省7
95: 2015/12/06(日)11:56 ID:zkq(5/8) AAS
●旧石器時代の石器
「詳説日本史研究」には、興味深いことが記載されていましたので、
その要点をご紹介します。
後期旧石器時代に属する約2万2千年前。
鹿児島湾北部の姶良カルデラが大爆発を起こした。(桜島か?)
て、その火山灰が青森県まで到達したという、超大爆発。
この大爆発よりも以前の時代には、全国津々浦々で同じような水準の石器が
発見されていたんだけど、この大爆発以降の地層では、地域ごとに違う石器が発見
されるようになってきたんだそうです。
これは何を意味しているのでしょうか。
省10
96: 2015/12/06(日)12:08 ID:zkq(6/8) AAS
●縄文文化の成立
縄文時代について。
まずは「詳説日本史研究 P8」からの引用。
>縄文文化は約1万2千年前に始まり、約2千3百年前に弥生文化に移行するまで、
>一万年もの長い期間に及んだ。それを縄文時代と呼ぶ。
縄文時代は1万年も続いたってことです。
ということは弥生時代以降は5分の一程度の短い期間の出来事であるということ。
逆に言うと、縄文時代という長い期間に皮膚感覚で浸透している精神的な文化が
遺伝子レベルに根付いているため、その後の文化の受容に関しても滞りなく
受け止めることができたのではないかという有力な仮説(視点)を持つことが
省10
97: 2015/12/06(日)12:22 ID:zkq(7/8) AAS
●縄文土器の形と用途
写真を見ても、草創期と早期の違いがよくわからないです。
共通しているのは深鉢だということ。縦長で底がとがっている土岐です。
もっぱら煮炊き用として使われていたものと思われます。
煮炊きができたということは、どんぐりとか、あく抜きをしないと食べることのできなかった
食べ物を食べることができるようになったということであり、食料の用途が広がったということで、
その意味では画期的です。
でも繰り返しますが、草創期と早期のちがいはよくわかりませんでした。
前期になると、浅鉢が出てきます。
これは平べったくよこひろがりになっている。いわゆる土鍋です。
省16
98: 2015/12/06(日)12:23 ID:zkq(8/8) AAS
続きです。
さて後期。
後期の土器には中注土器というのが出てくる。これはいわゆる急須やドビンです。
縄文やかんとでも言いましょうか。
晩期。やっと壺が出てきます。
壺は、余剰の食料保存用。弥生時代につながる予兆でもありますね。
整理すると、
草創期と早期が縦長三角。煮炊き用。
前期が鍋、浅鉢など横長。
中期は炎の形が記される複雑な文様。呪術性が強い。
省4
99: 2015/12/12(土)11:16 ID:S8B(1/6) AAS
●縄文人の世界観
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/bns/jomon/zyoumonnsekaikann.pdf
上記は、「縄文人の世界観」というレポートです。
概要を要約すると、
縄文文化は、日本全土に広がっていて、当然それは北海道のアイヌにもみられる。
縄文時代1万年間の彼らの最大の関心事は、自然とどう折り合いをつけてゆくかということだった。
縄文人の世界観は下記の3つ
1) 資源を捕(採)り過ぎない経済観
2) 自然を神として畏敬し、共存する自然観
3) 決して争わない社会観
省4
100: 2015/12/12(土)11:25 ID:S8B(2/6) AAS
●縄文時代の農耕
縄文時代にすでに農業は始まっていたと思われます。
ただし、水田稲作ではなく、焼畑農耕。
米ではなく、そばとかアズキなど、ラフな栽培で収穫できる穀物です。
また、最近の遺伝子分析工学の活用により、どんぐりなどの木々は集落の周辺に植えていたということが
わかってきました。
こういう植物に対する栽培の心構えができていたので、弥生時代になって稲作ノウハウが渡来してきても、
自然な姿で認知し理解し受容することができたのではないかと思います。
省15
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