おっさんのやり直し日本史を生暖かく見守るスレ (301レス)
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119: 2015/12/23(水)13:43 ID:bmk(4/7) AAS
どんどん続いていきますね
●4) 桓・霊の間(ということは147-189年の間)倭国では大乱(壮絶な殺し合い)があった。
このころ、集落の形態に変化が現れます。
「環濠集落」や「高地性集落」です。
環濠集落というのは、集落の周りに溝を掘り、矢を逆立ってたものを埋め込んで置いたりして、簡単に攻めてこられないようにした集落。
高地性集落というのは、丘の見晴らしのいいところに、作られた集落です。
いずれも、期間限定(=倭国大乱のころ)、場所限定(=瀬戸内方面限定)。
なので、その原因は、中国の古文書が言うところの「倭国大乱」による者であることはほぼ明白です。
●5) 卑弥呼という女王が邪馬台国連合の頂点として君臨し、乱が終息した。
このころの国の成り立ちのプロセスがわかる事例です。
要するに、ムラという集落単位で戦っていたのが、だんだんとまとまってきて、ある程度の大きさになったところで
悲惨な人名消耗戦が始まった。
お互いにこれじゃあやばいっていうんで、共通の王様を立てて、みんながそれに従う、という平和な解決法を発明した。
これが邪馬台国における卑弥呼であり、他地域でも似たようなことが続いていたと思われ、また、のちに現在の天皇に
つながる人のルーツもこういう形から発生したと考えられています。
もう一度別な角度からいいますね。
まず、数十人単位のムラがある。ムラ同士で仁義なき戦いが繰り広げられ、ある程度統合されて
数百人単位(あるいは数千人単位)のクニになる。
そのクニの長が集まって、会議を開いて、全員で、「俺たちのリーダーはこの人」って決める。
「クニ」が約30個集まって、そのリーダー約三十名で会議して、邪馬台国というクニのリーダーである卑弥呼を
「俺たち全員のリーダーにしよう」と決めて、全員が邪馬台国連合の一員になる、という流れです。
暴力団の抗争と手打ちと系列化、みたいなものだと思えばいい。
当時と現在で比較すると、違うのは警察(公権力)の有無。
その離合集散の形や上納金の取り方などは、暴力団を分析して、さらに「もし現在暴力団しかいなかったとしたら?」
と考えると、案外当時の姿に近いものがあるかもしれません。
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