[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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551: 2020/06/15(月)03:22 ID:vgMmz1NAf(1/4) AAS
現代語訳大智度論 第一巻(下)

(抜粋)

 また次に、すべての外道の出家は次のように考えている、「私の教えは微妙で、最も清らかである」と。
このような人は自分が実践する教えを称賛し、他人の教えを貶める。
このために、現世では互いに争いを起こし、来世では地獄に落ち、様々な限りない苦しみを受ける。

『自らの教えに執着するから、他人の教えを貶める。このような人は、たとえ戒律を守っていたとしても、地獄の苦しみを免れない』

仏は、すべての愛着を捨て、すべての偏見を捨て、すべての驕りを捨て、「わたしが、わたしが」という態度を捨て、
すべてにこだわらないことを教えている。
『筏喩経』では次のように説いている、「あなたがたが筏の喩えを理解したなら、正しい教えでも捨てるべき時には
捨てねばならない、ということが分かるだろう。間違った教えならば尚更である」と。
省3
552: 2020/06/15(月)03:26 ID:vgMmz1NAf(2/4) AAS
『阿他婆耆経』(『衆徳経』)には次のように説かれている。マーガンディヤは仏を非難して言った、
『確定した諸事象の中で、自由に様々な思いが生じる。自分の中と外に生じるすべての事象を捨て去ってしまったら、そこでどんな道が得られるというのか』
仏は答える、
『見るのでもなく、聞くのでもなく、知覚するのでもなく、戒律を守るのでもなく、見ないのでもなく、聞かないのでもなく、知覚しないのでもなく、
戒律を守らないのでもない。
 このような考えはすべて捨てて、自我と自分のものを捨て、対象の認識を捨てる。そうして道を得ることができる』

マーガンディヤは問う、
『もし、見るのでもなく、聞くのでもなく、知覚するのでもなく、戒律を守るのでもなく、見ないのでもなく、聞かないのでもなく、
知覚しないのでもなく、戒律を守らないのでもないとしよう。
 私の心がそのようであれば、口のきけない人の道を得たのだといえよう』
省7
553: 2020/06/15(月)03:29 ID:vgMmz1NAf(3/4) AAS
空海が法華経解題で言ったのは 法華経は抜苦与楽であるという事だけ

空海を悟らせたのは法華経じゃない

雑密の三論宗にあった虚空蔵求聞耳聡明法で神秘の扉を開けた後に夢で自分の求める経典は大日経だと告げられ
西大寺にその通りの経典が有ったが
大半が行法や作法を記した儀軌で有ったが為に入唐求法し
恵果阿闍梨より当時最新の密教を授かったもの 法華経で悟ったなんて司馬遼太郎でさえ創作してない筈

>天台宗と真言宗に密教化された法華経が伝わってはいるけど 日蓮の押した鳩摩羅什訳とは別物や
羅什訳では儀軌が無い

>二人が言ってるのは題目の音に隠し込まれた羅什の創作真言の事だぞ?
省4
554: 2020/06/15(月)16:02 ID:vgMmz1NAf(4/4) AAS
原始仏教では釈迦も阿羅漢も等覚だから悟る前の阿羅漢は菩薩だよ ブッダを特別上位に置くようになったのは後代の上座部だから厳密には原始仏教とは言い難い

最初の独覚者に対する敬意からブッダだけを特別視してるけど そのブッダにも七人の先輩ブッダがいた訳だし
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