[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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(1): 2017/11/15(水)07:28 ID:xTt7t/Psg(1/33) AAS
「末法には、ただ名字(みょうじ)の比丘のみあり。
この名字を世の真宝となして、さらに福田なし。
末法の中に持戒の者有るも、すでにこれ怪異なり。市に虎有るが如し。これ誰か信ずべきや」
『末法燈明記』
2: 2017/11/15(水)07:32 ID:xTt7t/Psg(2/33) AAS
十二縁起(じゅうにえんぎ)は、仏教において、現実の人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの
無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個の支分において、無明によって行が生じるという関係性を観察し、行から次第して生や老死という苦が成立すると知ることを順観という。
また、無明が消滅すれば行も消滅するという観察を逆観という。
順観と逆観の両方を行って、人間のありように関する因果の道理を明らかにした結果、因果の道理に対する無知が苦悩の原因であったと悟る。
その際には苦悩が消滅し、根源の無明が消滅しているため輪廻もなくなるとされる。

無明(むみょう、巴: avijj?, 梵: avidy?) - 過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。明るくないこと。迷いの中にいること。
行(ぎょう、巴: sa?kh?ra, 梵: sa?sk?ra) - 志向作用。物事がそのようになる力=業
識(しき、巴: viññ??a, 梵: vijñ?na) - 識別作用=好き嫌い、選別、差別の元
名色(みょうしき、n?ma-r?pa) - 物質現象(肉体)と精神現象(心)。実際の形と、その名前
六処(ろくしょ、巴: sa??yatana, 梵: ?a??yatana) - 六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意
省7
3: 2017/11/15(水)07:38 ID:xTt7t/Psg(3/33) AAS
35歳のシッダールタは、ガヤー地区(英語版)のほとりを流れるナイランジャナー川で沐浴したあと、村娘のスジャータから乳糜の布施を受け、
体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、悟りに達して仏陀となった(成道)。
この後、7日目まで釈迦はそこに座わったまま動かずに悟りの楽しみを味わい、さらに縁起と十二因縁を悟った。
悟りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうかをその後28日間にわたって
考えた。
その結果、「法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至った。
ところが梵天が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)。
3度の勧請の末、自らの悟りへの確信を求めるためにも、ともに苦行をしていた五人の沙門に説こうと座を立った。
4: 2017/11/15(水)07:39 ID:xTt7t/Psg(4/33) AAS
パーリ律蔵の『マハー・ワッガ』(和訳:『南伝大蔵経』第3巻)
梵天の懇請を容れた釈迦は、世間には心の汚れの少ないもの、智慧の発達した者、善行為を喜ぶものもいる
ことを観察した上で、最終的に法を説くことを決意した。(「甘露の門は開かれたり 耳ある者は聞け」に始まる有名な偈はこの時説かれたとされる。)
釈迦がヴァーラーナスィーに向かう途中、アージーヴィカ教徒の修行者ウパカに無師独覚を話したが軽く受け流されている。
これは仏法を説いたことにはなっていない(ウパカは後、釈迦に帰依して出家した)。
…自らが阿羅漢であったことを表明した釈迦は、なお教えを受けることを拒む5人を説得して、最初の説法を為した。
このとき説かれた教えは四諦八正道であったとされるが、後代に編まれた経論、経解ほど中道、三十二相、三転十二行相など様々に脚色される。
5人の修行者は釈迦の説法を歓喜して受けた。
また、この時、5人のうちコンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものである。」という法眼が生じた(悟りを得た)。
伝統的に、これは四沙門果の第一、預流果に達したことと説明されている。
省1
5: 2017/11/15(水)08:51 ID:xTt7t/Psg(5/33) AAS
摩訶毘盧遮那(マカビルシャナ)
サンスクリット語ではマハーヴァイローチャナ、すなわち「偉大な光照者」。空海の開いた真言宗において、最も重要なブッダです。
弘法大師(空海)によると、あらゆる宗教における神や悪魔は、すべて大日如来の現れであり、大日如来の身体は宇宙そのものだといいます。
同時に、1粒の微塵の中にも大日如来は存在すると考えられており、大日如来は、白蓮華に坐して瞑想を行っている姿で、マンダラの中心に描かれます。
大日如来は、真言密教において一切諸仏諸尊の根本仏として帰依し観想されている本尊です。
 大日如来の名前は、大日の智恵の光が、昼と夜とで状態が変化する太陽の光とは比較にならないほど大きく、この世の全てのものに智恵の光をおよぼして、あまねく一切を照らし出し、
また慈悲の活動が活発で不滅永遠であるところから、特に太陽である「日」に「大」を加えて「大日」と名づけられています。

大日如来(だいにちにょらい、または毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ))、梵名 マハー・ヴァイローチャナ(????????? [mah?vairocana])は、密教において信仰される尊格。

摩訶毘盧遮那如来(まかびるしゃなにょらい)、大光明遍照(だいこうみょうへんじょう)とも呼ばれる[2]。なお、宇宙とはあらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がり、および宇宙空間を指す

それ如来の説法は必ず文字による。文字の所在は六塵其の体なり。六塵の本は法仏の三密即ち是れなり。
省1
6: 2017/11/15(水)08:58 ID:xTt7t/Psg(6/33) AAS
したい【四諦】

仏教で説く四つの真理(諦,サティヤsatya)のこと。四聖諦ともいう。仏教の開祖である釈迦は,ブッダガヤーの菩提樹下でこの四諦の真理を,あるいは十二因縁という縁起の法を悟ったといわれる。四つの真理とは苦諦,集諦(じつたい),滅諦,道諦の四つをいう。
苦諦(くたい) - 迷いのこの世は一切が苦であるという真実
集諦(じったい) - 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるという真実
滅諦(めったい) - 苦の原因の滅という真実。無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの境地であるということ
道諦(どうたい) - 悟りに導く実践という真実。悟りに至るためには八正道によるべきであるということ
苦滅道諦, くめつどうたい)とは、「苦を滅する方法・実践修行がある」という真理。これが仏道すなわち仏陀の体得した解脱への道である。その七科三十七道品といわれる修行の中の一つの課程が八正道である。

大乗の『大般涅槃経』の四諦品(したいぼん)では、通常の四諦に
新しい大乗的な解釈を加えた、涅槃の教理的な四聖諦を説いている。
苦聖諦
省11
7: 2017/11/15(水)09:05 ID:xTt7t/Psg(7/33) AAS
八正道(はっしょうどう、巴: ariya-a??ha?gika-magga, 梵: ?rya-a????gika-m?rga)は、仏教において涅槃に至るための8つの実践徳目である正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のこと

外部リンク:ja.wikipedia.org

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。
色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。
是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中無色、
無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智・亦無得。以無所得故。
菩提薩タ、依般若波羅蜜多故、心無ケ礙、無ケ礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、
究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
省4
8: 2017/11/15(水)09:13 ID:xTt7t/Psg(8/33) AAS
観音菩薩が、
深遠なる「智慧の波羅蜜」を行じていた時、
〔命ある者の構成要素たる〕五蘊はすべて〔いかなる本質、実体をも〕欠いていると明らかに見て、
すべての苦しみと災い〔という河〕を渡り切った。

『解深密経』(げじんみっきょう、梵: Sa?dhi-nirmocana S?tra, サンディ・ニルモーチャナ・スートラ)は、中期大乗仏教経典の1つ。
原題は、「サンディ」(sa?dhi) が「結合・連結」、「ニルモーチャナ」(nirmocana)が「解放」(「解脱」)、「スートラ」(s?tra) が「経」、総じて「解放(解脱)へとつながる経」の意。
唯識派(ゆいしきは)もしくは、中国(唐)・日本の法相宗の所依の経典の一つで、唯識思想を初めて説いたといわれる経典である。また、序品を除いて、
ほとんどが『瑜伽師地論』第75-78巻に引用され、さらに『摂大乗論』『成唯識論』などに引用されて、後世への影響が大きい。

阿頼耶識あらやしき    仏教の唯識説にいう第8番目の識。識とは純粋の精神作用をいう。
すべての存在は元来実体のないもので,「空」であるが,万有は「識」の顕現
省10
9: 2017/11/15(水)09:15 ID:xTt7t/Psg(9/33) AAS
この学派は、眼(め)、耳、鼻、舌、身、意による六認識と、アーラヤ識を自我
と誤認する自己執着である末那(まな)識と、アーラヤ識との八識をたてる。前
七識が表層的、意識的であるのに対し、アーラヤ識は深層心理的、無意識的な
認識である。アーラヤ識は前七識とその表象、つまり自我意識、意識ある存在
者、自然などのあらゆる認識表象を生み出すとともに、それらの表象の印象を自己のうちに蓄えるから、種子に例えられる。アーラヤ識は種子として刻々に
変化しながら成長し、成熟すると世界のあらゆる現象を生み出し、その果実と
しての印象を種子として自己のなかに潜在化する。世界は外的な実在ではなく、個体の認識表象である。

〈涅槃寂静〉に関して小乗論師たちは,涅槃とは何か,釈迦の本質は何か,一
般修行者の究極的到達点である阿羅漢(羅漢)の境地とは何か,涅槃に至る過程は何か,などの点について詳細に研究し,その思索を発展せしめた。…

…〈般若経〉に説かれる空の思想を受け継ぎながら,空を虚無主義ととらえる
省8
10: 2017/11/15(水)09:17 ID:xTt7t/Psg(10/33) AAS
楞伽経りょうがきょう
大乗仏教経典。
如来蔵思想と唯識思想の合流した後期大乗経典。三界唯心・法身常住などを説く。「入楞伽経」一〇巻など3種の漢訳が現存する。
人間の迷いの根源は,無限の過去からの潜在印象 (習気) によ
って,万物がただ自分の心の現れであること (三界唯心) を知らないでこれに
執着しているからであるという主張を中心に,仏教諸学派の学説を豊富に採用している。この経典は禅宗では特に重んじられた。

舞台をランカー島(スリランカ)にとり、そこの魔王ラーバナを教化するとい
う構想をもっている(これはインドの叙事詩『ラーマーヤナ』の主題を換骨奪
胎したもの)ところからその題名(ランカーに入る)を得た。五法・三性(さ
んしょう)・八識(はっしき)・二無我(むが)によって唯識(ゆいしき)説を説く
省6
11: 2017/11/15(水)09:19 ID:xTt7t/Psg(11/33) AAS
如来蔵経にょらいぞうきょう
仏教経典。サンスクリット語でタターガタガルバ・スートラTathgatagarbhastraという。『勝鬘経』、『涅槃経』などと共に、中期大乗仏教を特徴付ける如来蔵思想を説く代表的な経典。
原題は、「タターガタ」(tath?gata)が「如来」、「ガルバ」(garbha)が「蔵」、「スートラ」(s?tra)が「経」であり、総じて「如来を内部に宿すもの(如来蔵)についての経典」という意味になる。
成立は、龍樹よりのちの、3世紀中ごろと推定されている。
すべての衆生(しゅじょう)が煩悩(ぼんのう)にまとわれているにもかかわらず、「如来蔵」すなわち如来たるべき本性(=仏性)を内に宿しているといことを、
〔1〕蓮華(れんげ)の台(うてな)に安坐(あんざ)する如来、
〔2〕蜜蜂(みつばち)に囲まれた蜜、〔3〕外皮に包まれた穀物、
〔4〕汚物中の金、〔5〕地中の宝蔵(ほうぞう)、〔6〕種子から生ずる大樹、
〔7〕ぼろにくるんだ仏像、〔8〕王子を懐胎する貧女、〔9〕泥模(でいも)中の鋳像という9種の譬喩(ひゆ)によって説く小部の大乗経典。
いわゆる如来蔵思想を最初に提唱した経典として重要。3世紀ごろの成立で、漢訳2種とチベット訳が現存する。
12: 2017/11/15(水)09:46 ID:xTt7t/Psg(12/33) AAS
阿頼耶識
唯識思想により立てられた心の深層部分の名称であり、大乗仏教を支える根本思想である。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識のうち第8番目で、人間存在の根本にある識であると考えられている。
天台宗では阿摩羅識を加えて九識、真言宗ではさらに乾栗陀耶識を加えて十識とする。
ある人の阿頼耶識は、蔵している種子から対象世界の諸現象<現行(げんぎょう)法>を生じる。
またそうして生じた諸現象は、またその人の阿頼耶識に印象<熏習(くんじゅう)>を与えて種子を形成し、刹那に生滅しつつ持続(相続)する。
この識は個人存在の中心として多様な機能を具えているが、その機能に応じて他にもさまざまな名称で呼ばれる。諸法の種子を内蔵している点からは「一切種子識」、
過去の業の果報<異熟(いじゅく)>として生じた点からは「異熟識」、他の諸識の生ずる基である点からは「根本識」(m?la-vijñ?na)、身心の機官を維持する点からは「阿陀那識」、天台宗では末那識の別名)と呼ばれる。
心に積集、集起の2つの義があって、阿頼耶識は諸法の種子を集め、諸法を生起するので、心という。

阿摩羅識(あまらしき、梵:amala-vijñ?na、菴摩羅識とも)は、大乗仏教の論の一つ。
唯識思想(法相宗)では、八識を説く。 すべては阿頼耶識より縁起するとし、主に迷いの世界であるが悟りも阿頼耶識より生じるとする。 一方、心は本来清浄であるとする如来蔵思想があった。
省4
13: 2017/11/15(水)09:54 ID:xTt7t/Psg(13/33) AAS
乾栗陀耶識けんりつだやしき
確かに悪念は末那識から出るものですが、阿頼耶識はその悪念を経験として蓄積し、汚れる可能性があります。ならば、悪念のない無垢な阿頼耶識、というものがありうるはず。天台宗や華厳宗では、それを阿摩羅識という第九識とします。別名「仏性」と呼ばれるものです。

さらに真言宗では、個々人の仏性の奥にある真の根源として、第十識すなわち乾栗陀耶識を立てます。

@京都板じゃないよ:2017/10/29(日) 04:36:45.55 ID:Uz6a/Zgzk[2/3]
滅尽定(nirodha-sam?patti)では、有頂天にもとづき心と心所法は決められた間において止滅する。
大般涅槃経では、釈迦は入滅にさいして第一禅定と想受滅のあいだを上下し、第四禅定から出定したのち般涅槃に入ったとされている。
滅尽定は煩悩を滅して心を完全に清らかにした阿羅漢でなければできない禅定

生飯偈(さばげ)

偈文
省8
14: 2017/11/15(水)10:01 ID:xTt7t/Psg(14/33) AAS
懴悔文(さんげもん)
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞう しょあくごう)

皆由無始貪瞋痴(かいゆうむし とんじんち)

従身語意之所生(じゅうしんごい ししょしょう)

一切我今皆懴悔(いっさいがこん かいさんげ)

五大願(ごだいがん)
衆生無邊誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
省14
15: 2017/11/15(水)10:41 ID:xTt7t/Psg(15/33) AAS
歸命毘盧遮那佛 みょう びるしゃな
無染無着眞理趣 むうぜえん
生生値遇無相ヘ しょううじょうう
世世持誦不忘念 せえせえい

弘法大師 摶@樂
こうぼうだいし ぞうほうらく

大樂金剛  不空眞實 三摩耶經 般若波羅蜜多理趣品
たいらきんこう ふこしんじ さんまやけい

大興善寺三藏沙門大廣智不空奉詔譯

全文
省1
16: 2017/11/15(水)10:44 ID:xTt7t/Psg(16/33) AAS
AA省
17: 2017/11/15(水)10:58 ID:xTt7t/Psg(17/33) AAS
金剛手 若有聞此 本初 般若理趣
きんこうしゅ じゃくゆうぶんし ほんそ ふぁんじゃりしゅ

日日晨朝 或誦或聽  彼獲一切 安樂ス意
じつじしちょう こくしょうこくてい ひかきいっせい あんらくえっち

大樂金剛 不空三昧 究竟悉地
たいらきんこう ふこうさんまい きゅうけいしっち

現世 獲得一切 法自在ス樂
けんせい くぁきとくいっせい ほうしさいえらく

以十六大菩薩生 得於如來 執金剛位
いしゅうりくたいほさっせい とくよじょらい しゅうきんこうい
省6
18: 2017/11/15(水)11:00 ID:xTt7t/Psg(18/33) AAS
善哉 善哉 大薩捶 善哉 善哉 大安樂
せんざーいせんざーい たいさった
せんざーいせんざーい たいあんらく

善哉 善哉 摩訶衍 善哉 善哉 大智慧
せんざーいせんざい まかえん
せんざーいせんざーい たいちけい

善能演説 此法ヘ 金剛修 多羅加持
せんのうえんぜっ しはっこう
きんこうしゅ たらかち

持此最勝 ヘ王者 一切諸魔 不能壞
省11
19: 2017/11/15(水)11:19 ID:xTt7t/Psg(19/33) AAS
AA省
20: 2017/11/15(水)11:19 ID:xTt7t/Psg(20/33) AAS
AA省
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