鬼和尚に聞いてみるスレ part8 (1001レス)
鬼和尚に聞いてみるスレ part8 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/
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140: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>134 そうじゃ、今ここにあるものを見出すのじゃ。 またおいでなさい。 >>135 涅槃とは出たり入ったりできるものではないのじゃ。 それらはただ瞑想中に意識を失ったと思っているだけなのじゃ。 ただ単に記憶がないから何もないと思っているだけなのじゃ。 意識は常にあるものじゃ。 それだけが唯一あるといえるものなのじゃ。 すべては意識の現われに過ぎないのじゃ。 >>136 どういたしまして、またおいでなさい。 >>137 それらはエネルギーなのじゃ。 誰の体内にもあり、他の動物や植物などにも有るのじゃ。 自然にもあるものじゃ。 意識によって操ることもできるのじゃ。 >>138 それは人によるのじゃ。 神などを心底信じているものには帰依がやさしいのじゃ。 そうでなければ自分を観察するのじゃ。 わしは神を信じていなかったのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/140
141: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>139 ないじゃろう。 そこまでやれば大抵できるじゃろう。 マハリシは何も方法を知らず一日で悟ったのじゃ。 恐れを乗り越えて進めば自我も容易に観えるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/141
147: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>142 そうじゃ、死が免れないと心底わかればそれも乗り越えられるのじゃ。 いずれにしても死ぬのであるからのう。 いずれ死ぬ身であれば自我が消える恐れも無に等しいのじゃ。 >>143 違うと言えるじゃろう。 例えば地面に落ちた財布を捜すのに、全ての地面を探すのか、。自分の足跡を辿って探すのかの違いのようなものじゃ。 自分を観察しようとするのは、足跡を辿って探すようなものじゃ。 自我のありようを辿るのであるからのう。 心身を観察するのは地面全部を捜すようなものじゃ。 どこかにはある筈であるからのう。 そのような方法として違うことを知っておくと善いのじゃ。 >>144 今答えたのじゃ。 >>145 そうじゃ、涅槃ではないのじゃ。 涅槃とは大悟徹底の境地であるからのう。 悟れば常に涅槃なのじゃ。 まだ肉体があれば有余涅槃というのじゃ。 肉体をも消滅させれば無余涅槃とよばれるのじゃ。 >>146 そうじゃ、自分の性質を知って道を選ぶ゜のじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/147
155: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>148 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>150 そのようなものじゃ。 死について本当にわかっていれば自我消失の恐れもなくなるのじゃ。 実践によって確めるのじゃ。 >>151 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 おぬしもよいお年をなのじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/155
156: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>152 そうじゃ、宇宙も心の中にあるじゃろう。 見ようとすれば見られるのじゃ。 >>153 そうじゃ、常に動いているのじゃ。 動かないと病になるのじゃ。 意思によって動かせるのじゃ。 集中したところに気は集まるのじゃ。 >>154 やってもよいのじゃ。 雑念がわいて無理とわかったら戻ればよいのじゃ。 何でも試してみるのじゃ。 実践したことは無駄にならないのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/156
159: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>157 恐れを乗り越えたならばもはや恐怖は無いのじゃ。 それによって全ての価値観が覆るのじゃ。 もはや恐怖も止められないのじゃ。 >>158 消滅させようとしなくてよいのじゃ。 ただ流れていくままにすればいつか自然に止まるのじゃ。 それを観ているだけでよいのじゃ。 それは観察によって厭離されたのじゃ。 どんどんやるとよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/159
168: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>160 自我とは自分があるという観念なのじゃ。 それが消えるということは自分が無くなる、死ぬということと同じ観念なのじゃ。 自殺しようとするものも既に肉体消失の恐怖も無いものじゃ。 今のおぬしの自我も自分と同じ観念として働いているじゃろう。 よくみてみるのじゃ。 >>161 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>162 それは真の原因ではないのじゃ。 孤独や不安などが真の原因かもしれん。 更に深く自分の心を観察してみるのじゃ。 真の原因がわかればそれも消えるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>163 それはおぬしが気持ち悪い人間と見ているからなのじゃ。 他人はおぬしが見たとおりのものになるのじゃ。 おぬしが見方を変えれば他人は変るのじゃ。 気持ち悪いという観念の原因を探して滅するか、一時止めて観察するのじゃ。 言動をよく観察すれば他人も何が原因でそのような言動をするかわかるのじゃ。 先入観をなくして観察してみるのじゃ。 そこに答えはあるじゃろう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/168
169: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>164 熱くなったりしびれたようになるのじゃ。 熱は誰にでも感じられるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 こちらこそよろしくなのじゃ。 >>165 善かったのじゃ。 更に精進あるのみなのじゃ。 来年もまたおいでなさい。 >>166 善かったのじゃ。 来年もよろしくなのじゃ。 よいお年をなのじゃ。 >>167 善かったのじゃ。 実践するものだけが進んでいくのじゃ。 おぬしもよいお年をなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/169
174: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>170 あるのじゃ。 それが無ければ反応も無いのであるからのう。 実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>171 あけおめことよろなのじゃ。 おぬしにもよい年であるように。 >>172 どういたしまして、またおいでなさい。 >>173 なぜ家族だと気持ち悪いのか、その原因をさらに探すのじゃ。 例えば実はどちらかが貰いっ子で家族ではなかったとしたらどうおもうとかのう。 家族の観念とは血のつながりであるか、育ちであるかいろいろ観察して追求してみるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/174
178: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>175 そうじゃ、自殺する者なども苦によって死の恐れを乗り越えたりするものじゃ。 意思によって恐れも乗り越えられるのじゃ。 それがなければ自我を滅することもかなわないのじゃ。 恐れを超えて進まなければならないからのう。 >>176 そうじゃ、そのような時も気が集まっているといえるのじゃ。 ヒーリングは誰にでもできるが、自分が消耗してしまうのじゃ。 本当に自分の気をわけあたえる者が気が少なくなり、自分が病になったりするのじゃ。 遠赤外線のヒーターとかでも元気になるのじゃ。 それも気の一つであるからのう。 >>177 思い出せるじゃろう。 今も反応があるのであるから確実にそれは記憶に存在するのであるからのう。 瞑想をしたりリラックスしている時に記憶は探しやすいのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/178
184: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>179 そうじゃ、瞑想をしていると気が満ちてくるのじゃ。 心身が安らぐからなのじゃ。 寝ている時も、リラックスしている時も気が満ちるのじゃ。 囚われが無いほど心身が安らぐから気も満ちてくるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>180 何故そのように行動するのか原因を自分の心の中に探してみるのじゃ。 人に嫌われたくないとかが原因かも知れん。 更になぜ人に嫌われたくないのかその原因も探してみるのじゃ。 そのように根本の原因がわかれば全て変えられるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>181 やろうと思えばできるのじゃ。 習慣によるものであるからのう。 幻想と知りながら幻想を扱うこともできるのであるからのう。 >>182 使わないのじゃ。 思考はただ後から解釈するだけなのじゃ。 誰かに伝えるなどの理由が無ければ思考する必要も無いのじゃ。 気づいた事で変容は起こるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/184
186: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>183 できるのじゃ。 どちらも同じ状態なのじゃ。 更に進歩すればわかるじゃろう。 好きな方に集中してよいのじゃ。 囚われずに進むのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/186
190: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>187 それはただ毎日ひたすら観察に励むことじゃ。 観察が上手くなれば自然に思考の無い観察の仕方が身につくものじゃ。 実際に観察している時には思考は使われないからのう。 思考よりも観察することに慣れるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>188 そうじゃ、原因がわかれば変れるじゃろう。 またおいでなさい。 >>189 あけおめことよろなのじゃ。 それは対象についての観念がない状態になるということなのじゃ。 自分の肉体ならば肉体には本性が無く、あることも無くないこともないとひたすら念じるのじゃ。 そうすれば肉体に関する観念がなくなり、空と観たということになるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/190
197: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>191 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>192 すまんのう、見落としていたのじゃ。 >>185 観念だけならばいくらでも創れるのじゃ。 それを真実ではないと気付いているがのう。 習慣によって囚われなければ輪廻も無いのじゃ。 >>193 どういたしまして、またおいでなさい。 >>194 あると思う者にはあるのじゃ。 無いと思う者には無いのじゃ。 有るでもないでもないと念じるのが空なのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>195 それで善いのじゃ。 観察が進むほど苦が無くなっていくじゃろう。 肯定も否定もせずに本心をありのままに観るのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>196 悟りとは関係ないのじゃ。 わしは何でも食べているのじゃ。 自らの本心を観ることができれば悟りは訪れるじゃろう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/197
204: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>198 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>199 それは他人と話すときに必要だからなのじゃ。 それをそのまま自分として認識し続ければ習慣によってエゴともなるのじゃ。 それによって怒りや苦も起こってしまうじゃろう。 観念であるから直ぐに捨てることもできるのじゃ。 >>200 健康にはよいのじゃ。 肉を食べると腸内が荒れるというのじゃ。 菜食のほうが健康によいから修行にもよいといえるのじゃ。 >>201 どういたしまして、またおいでなさい。 >>202 違うのじゃ。 本来の心境に戻ったからなのじゃ。 更に観察と瞑想を進めればそれもわかってくるじゃろう。 他人にも勧められるようになるのじゃ。 >>203 そうじゃ、無あるでもなくないでもないのじゃ。 そのように全てを観るとよいのじゃ。 それが空なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/204
210: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>205 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>206 そのようにしようと思えばできるのじゃ。 しないようにしようとすればそうなるのじゃ。 自在なのじゃ。 全ては観念に過ぎないと知りながら人と付き合い金をもうけることもできるのであるからのう。 輪廻もないとしりながらあるとすることもできるのじゃ。 >>207 自我に気付くためなのじゃ。 追求していってそれが名前とイメージに過ぎなかった気付けば自我に気付いたことになるのじゃ。 名前もイメージも自分ではないからのう。 実践あるのみなのじゃ。 >>208 自我に気付くためなのじゃ。 観察していれば観念を増強することはないのじゃ。 自分とは観念なのじゃ。 観念があり、観念を主体と認識しているのじゃ。 観念でしかない自分に気付けばそれから離れることもできるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/210
213: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>209 それは昔から多くの方法があるものじゃ。 光をイメージしたり、実際に光るものをみて集中する方法なのじゃ。 月とか電球とか水晶などの宝石を見る方法があるのじゃ。 オショーのオレンジブックとかでも書いてあるのじゃ。 ヨーガでも眉間や頭の中に光をイメージする方法があるのじゃ。 ニミッタは瞑想中に現れる内光であり、人によっては見るのが難しいのじゃ。 見えない者には見えないからのう。 いろいろ試してみたらよいのじゃ。 >>211 そうじゃ、自我に気付くためなのじゃ。 自我に気付くことができるならばどれでもよいのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/213
214: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>212 まずくはないのじゃ。 放って置いても消えるのじゃ。 それも人と話すための観念に過ぎないからのう。 流れるままにすれば雑念と同じく消えるものじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/214
220: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>215 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>216 そうじゃ、光をみるのじゃ。 そして光に囚われないようにするのじゃ。 囚われずに進むのじゃ。 >>217 人によるのじゃ。 日ごろから本心で生きているものは、ことさらに本心を観ようとしなくとも見られるのじゃ。 逃避などで本心を避けている者は本心を観ようとしなくては見られないのじゃ。 自らの性質を知って進むのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/220
221: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>218 そうじゃ、自分に合わせて進むのじゃ。 またおいでなさい。 >>219 それは深い瞑想に入っているのじゃ。 意識への気付きが追いついていないだけなのじゃ。 その夢の中でも意識があることを気付けばよいだけなのじゃ。 夢も雑念と同じく生じては消えていくだけのものなのじゃ。 身体の観察などをして厭離ができれば、肉体が寝ている時にも消えない意識があると気付けるじゃろう。 或いは集中するところを胸の真ん中などにしてみるのじゃ。 脳が寝ていても胸の意識はあると気付くじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/221
232: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>222 結果を省みずに行動するのは本来善い事なのじゃ。 その方が全力で行動できるのじゃ。 つよい集中によって可能になるのじゃ。 瞑想によって集中力が強くなれば必然的にそれと同じ状態になるじゃろう。 智慧もわくのじゃ。 行動しなければならないときはその前に瞑想などをして集中力を高めると善いのじゃ。 つよく集中していれば時間も素早く過ぎてしまうのじゃ。 実践してみるのじゃ。 >>223 善いことじゃ。 更に実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>224>>225 そうじゃ、何でも聞くとよいのじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/232
233: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>226 そうじゃ、むしろ仮にでも自我を保っているほうが難しいのじゃ。 何もしないと消えてしまうのじゃ。 無為であると自我も投射する対象がないからのう。 何かの理由で素早く消したいときには意思によって観察し、消すこともできるのじゃ。 自在なのじゃ。 >>227 それで善いのじゃ。 無我の気付きが起こったのじゃ。 更に恐れずに無我を進めていくのじゃ。 常に無我になるじゃろう。 精進あるのみなのじゃ。 >>228 そうじゃ、心を偽っていては自分も見えないのじゃ。 見えたと思っても偽りの自分かも知れんからのう。 常日頃から心を偽っていては、自分を観るのも困難なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/233
234: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>229 そうじゃろう。 通常の状態では雑念を出さないでいるのは無理じゃろう。 かなり強く集中していないと普通に雑念は出るものじゃ。 日常でそうしたとしても既に変性意識に入っているのじゃ。 ノーマインドでは作られる現実は無いのじゃ。 創るマインドが無いのであるからのう。 ありのままの現実が見られるじゃろう。 全てがひとつであることがありのままに感じられるのじゃ。 世間でそのまま生きるには難しいじゃろう。 話もできないであろうからのう。 仕事などで集中するときは使えるのじゃ。 >>231 そうじゃ、指先でもよいのじゃ。 人によって違うじゃろう。 胸は大抵の者が日ごろから多少は集中している所であるからやりやすいのじゃ。 仕事で指先に集中していたりする者には指先が集中しやすいかもしれんのじゃ。 いろいろ試してみると善いのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/234
244: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>235 心を偽らなければ本心が観えるじゃろう。 心を偽らずに本心を観るのは頭痛が痛いというようなものじゃ。 心を偽らなければ既にそれが本心なのじゃ。 >>236 やがて常に無我になるじゃろう。 更にそれを見ている認識をも滅すれば大悟徹底の境地なのじゃ。 それまで精進あるのみなのじゃ。 >>237 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>239 自我とは観念なのじゃ。 観念が観られた時、それは観る主体ではなく客体であることに気付いて厭離されるのじゃ。 自我は思考を主宰しているのではなく、感覚の元ではなく、肉体の主でもないとわかって消え去るのじゃ。 ただの言葉とイメージだけであったとわかるから自己同一化がなくなるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/244
245: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>242 そうじゃ、記憶による観念を滅することができるじゃろう。 しかし全ての観念を滅する必要は無いのじゃ。 修業の邪魔となる観念と自我を・滅すれば善いのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>243 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1480943712/245
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