[過去ログ]
純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)20 (1002レス)
純粋・応用数学・数学隣接分野(含むガロア理論)20 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1745503590/
上
下
前次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
抽出解除
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
リロード規制
です。10分ほどで解除するので、
他のブラウザ
へ避難してください。
626: 132人目の素数さん [] 2025/06/18(水) 12:03:16.69 ID:Qh/3AgjL >>625 >まあ、素人考えだな 素人に失礼だろ。ど素人だよ君は。初歩の初歩から分かってない。 >そもそも公理による無限集合N(自然数の集合)の構築について もう一行目からおかしい。 >素朴には、ペアノ公理による 0,1,2,3・・・をすべて集めて、集合にすれば よかんべだが ペアノの公理も分かってない。ペアノの公理読めよw >問題は、ラッセルパラドックスで、無限に関する操作を 無制限に認めるのはまずってことだ 全然違うけど。 >そこで、集合論の公理を設定して、抑制的に集合操作をして カントールやデデキントの素朴集合論の構築をしようとなった >いまは、”旅の途中”で 無限集合N(自然数の集合)さえ、まだ得ていない ZF公理系にNなんて無い。だから構成が必要。 >ちょっと脱線するが、誰しも考えるのは 素朴単純に 公理として >”ペアノ公理による 0,1,2,3・・・をすべて集めて、集合Nが出来た”(0,1,2,3・・・たちはノイマン後者関数による) >を公理として 決めればよかんべ と思う ペアノの公理も分かってない。ペアノの公理読めよw >ところが、次には 自然数の集合Nより大きな集合を認めるかどうかが問題になるのです 実数全体の集合が自然数全体の集合より大きいことはカントールが証明済み。認めなくてどうするw >そこで、公理としては 自然数の集合Nを含む大きな集合の存在を公理として認めて、Nはそこから落としてくる >この方が公理としてキレイなのだ それ君の感想だよね? 何を言うのかと思えば愚にもつかぬ感想を言いたかっただけかい オチコボレに感想を述べる権利なんて無いよ オチコボレは黙って勉強すべし http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1745503590/626
629: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2025/06/18(水) 17:02:57.74 ID:1ZjEJMOG >>626-628 素人が、グダグダ言い訳している さて 1)なぜ無限公理が必要なのか? その答えが 下記 渕野”Dedekind の数学の基礎付けと集合論の公理化” P173-174 "3 無限の存在証明"に記されている通り 「無限の存在が集合論の他の公理から独立である」ってこと 2)集合論の公理は”スッキリ”していることが求められる なので、>>625に示したように 単に 自然数の集合Nの存在だけを公理とするのではなく Nを含む(Nより大きな)集合の存在を公理として認めて、それ以外の公理系から もし”Extracting the natural numbers from the infinite set”(下記)が可能なら その方がスッキリだってこと(我々が求めているのは そのさらに先で N→Q→Rと 順序数*)の構築なのだから) *)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%BA%8F%E6%95%B0 3)下記に ”Extracting the natural numbers from the infinite set”を 全文引用しておいたから、百回音読してね 文中で、axiom schema of specification 、axiom of extensionality、 axiom of induction など 使う公理が明示されているでしょ? そして 最後”I=ω”が結論ですよ! 素人が、グダグダ書いても なんの格好付けにもなってないよw (参考) https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/1739-16.pdf RIMS講究録 Dedekind の数学の基礎付けと集合論の公理化 渕野昌(神大)2011 P170 無い物ねだり的な指摘をすることはたやすい.彼の時代には,現代の我々が識るような形式論理はまだ生れてすらいなかった(彼とほぼ同時代のFrege の研究には形式論理学の萌芽のようなものが見られるが,[3] の第2版の前書き(1893)では,Dedekind は,Frege の仕事を後になってからはじめて知ることになったと書いている).いわんや,形式的推論の体系や,その体系の完全性,そして不完全性定理に基づく知見は,どう頑張ったとしてもDedekindの行なった考察の背景にはなり得なかったはずのものである P173 3 無限の存在証明 単純無限的体系によって自然数の全体の体系の基礎付けがなされうるためには, そもそも無限集合の存在が大前提となる.しかも,これが,「数の理論を扱かう論理学の部分の基礎付け」としてなされるためには,無限集合の存在が無条件に証明できなくてはならない. P174 晩年のDedekind が,無限の存在証明([3] の66.) の残ったままのテキストをこの再版に回してしまったことの背景だったのではないだろうか. ただし,Dedekind の名誉のために付け加えておくと,1911 年の時点では,無限の存在が集合論の他の公理から独立であることは,当時の若い集合論の研究者たちすら,まだ完全には把握しきれていなかった可能性がある P176 集合論の基礎に関してDedekind の越えられなかった壁は,Zermelo やFraenkelが易々と越えることができたが,このZermelo も後にG"odel の不完全性定理を全く理解できず,不完全性定理以降の数学の発展に取り残されることになっ た. 1960 年代に強制法の理論が確立されたときにも,この手法を理解できなかったことで,多くの集合論の研究者が脱落していった つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1745503590/629
メモ帳
(0/65535文字)
上
下
前次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.035s