小中学校範囲の算数・数学の問題のスレ Part 62 (548レス)
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343
(3): 04/25(金)16:55 ID:zZIr7uvW(5/6) AAS
>>341
「それ」とはどれ?
344: 04/25(金)17:29 ID:UASae6IP(3/8) AAS
>>343
>もし自明性が主観に依拠しないのであれば、それが後に誤りだったと判明するという事態は論理的にありえないはずだ。だが、数学史にはそうした事例がある

問いに含まれる「自明」という語には、少なくとも二つの異なるレイヤーが存在しています。
1)命題がある形式体系(公理系)の内部において、他の命題なしに直接導かれる、あるいは明らかであると定義可能なもの。
2)人間の認識・時代の数学的常識・直観に基づいて「これは明らかだろう」とみなされたもの。
この二者を混同すると、論理的混乱が生じます。
たとえば、「平行線は交わらない」は、ユークリッド幾何学では「自明」あるいは「公理」とされいた。
省3
345: 04/25(金)17:29 ID:UASae6IP(4/8) AAS
>>343
>自明性が主観に基づかないのなら、そんなことは起こりえないのでは?

自明性(triviality)とは、ある命題が、その真理性について論理的逡巡を要さず、任意の理性主体に対して即時に了解される性質を指す。すなわち、それは論証を経ずして了解可能な明証性を具備するものである。
主観性(subjectivity)は、個別の意識主体の内面に依存する評価・認識の形態であり、その妥当性は観測者ごとに変容しうる。したがって、主観的了解は、必ずしも他の理性主体にとって了解可能とは限らない。
仮に自明性が主観性に還元可能であるとすれば、命題の「自明性」は、その命題を受け取る主体の意識内容に依存し、その結果、ある者にとっては自明であり、他の者にとっては自明でないという事態が許容される。
しかしながら、このような状況において当該命題を「自明」と称することは、概念上の自己矛盾を孕む。なぜなら、自明であるとは、あらゆる合理的存在者に対して、その真理性が論証を介することなく直観的に与えられることを意味するためである。
ゆえに、自明性は主観的了解の水準には還元されえず、それ自体が主観を超えた間主観的または論理的構造に依拠するものである。
省1
346
(1): 04/25(金)21:41 ID:hkMJAg/N(1/4) AAS
>>343
>定義されてないよ

「定義されていない」という主張は、一義的・厳密な定義が存在しないという点に立脚していると考えられる。
しかし、概念には文脈依存的な定義という階層が存在する。
よって、「自明」という語が異なる文脈において明確な操作的・機能的定義を与えられている限りにおいて、「定義されていない」とは言えない。

【数学・論理学における定義の存在】
以下において「自明な命題/結果」が定義されている:
省12
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