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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ3 (1002レス)
ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ3 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1680684665/
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315: 132人目の素数さん [] 2023/04/23(日) 10:09:09.72 ID:xRz9gQiq >>309 >春の学会で総合講演をした日比さんの経歴も >わらしべ長者的 "日比さん"か、不勉強で初耳です 下記かな? あれ、「昭和47年3月、名古屋市立向陽高等学校卒業」は、入学の間違いですね 「翌年再挑戦するも惨敗。僕の数学者への夢は儚くも消えた」とあるけど wikipediaに「1983年広島大学大学院修士課程修了」とあるから、広大へ行ったんだ だったら、”数学者への夢は儚くも消えた”は、その時一瞬の感想でしかなかったんだw 1985年広島大学大学院博士課程退学、同年名古屋大学理学部助手、昭和62年(1987)12月 理学博士(名大) 辺りから、わらしべ長者のスタートかな? ”1981 年夏、修士1年で参加した京大数理研の研究集会で Melvin Hochster の講演を聞いたことが凸多面体を研究するきっかけでした。Hochster の講演では、八面体と立方体の板書以外細かいことは何も分からなかったのですが、講演の迫力と興味深い内容に圧倒された記憶があります。数ヶ月後、可換代数により凸多面体の未解決問題を解いていた Richard Stanley の論文を読んだ時の感銘は、今でも鮮明に覚えています”か (参考) https://researchmap.jp/read0167058 日比 孝之 ヒビ タカユキ (Takayuki Hibi) 基本情報 所属大阪大学 名誉教授 学位 理学博士(1987年12月 名古屋大学) 昭和31年、名古屋に生まれる。昭和47年3月、名古屋市立向陽高等学校卒業。高校2年生の12月、数学者に仄かな憧れを抱いた。現役のとき、名古屋大学理学部を受験。重力加速度gに翻弄し物理が撃沈され、理学部は不合格。けれども第2希望の農学部は合格し、母校の名古屋大学合格者数には+1の貢献ができた。翌年再挑戦し、理学部に合格。その頃世間で流行っていた歌謡曲は、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」である。今でも「木綿のハンカチーフ」を聴くと、懐かしい青春が蘇る。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1680684665/315
316: 132人目の素数さん [] 2023/04/23(日) 10:10:32.69 ID:xRz9gQiq >>315 つづき 僕が学部学生の頃、数学専攻の大学院に進学することは困難な厳冬の時代であった。100名以上が受験し合格者は4、5名などという凄まじい状況のときもあった。数学科の4年生(昭和54年)の9月、名大院の数学専攻を受験したが不合格。翌年再挑戦するも惨敗。僕の数学者への夢は儚くも消えた。しばらくは呆然としながら、山崎豊子の「白い巨塔」を読み耽った。野望に燃える財前五郎(「白い巨塔」の主人公の外科医)の姿は、挫折感に浸る僕を魅了した。昭和56年3月、名古屋大学理学部数学科卒業。 縁あって、昭和60年4月、名古屋大学理学部助手に採用され、昭和62年12月、理学博士。昭和63年8月から平成元年7月、マサチューセッツ工科大学客員研究員。平成2年10月、北海道大学理学部講師。平成3年10月、北海道大学理学部助教授。平成5年7月から11月、シドニー大学客員助教授。札幌に4年6ヶ月滞在した後、平成7年4月、大阪大学理学部教授に着任し、平成8年4月、大阪大学大学院理学研究科教授。平成14年4月、大阪大学大学院情報科学研究科教授。令和4年3月、大阪大学定年退職、大阪大学名誉教授。専門は、計算可換代数と組合せ論。 平成30年度日本数学会代数学賞受賞。国際雑誌 Journal of Pure and Applied Algebra 編集委員。 (日本数学会 2023 年度「年会」アブストラクト集に掲載されたプロフィール)1981 年夏、修士1年で参加した京大数理研の研究集会で Melvin Hochster の講演を聞いたことが凸多面体を研究するきっかけでした。Hochster の講演では、八面体と立方体の板書以外細かいことは何も分からなかったのですが、講演の迫力と興味深い内容に圧倒された記憶があります。数ヶ月後、可換代数により凸多面体の未解決問題を解いていた Richard Stanley の論文を読んだ時の感銘は、今でも鮮明に覚えています。1980 年代の可換代数と組合せ論の融合領域の黎明期に数学の研究を始め、1990 年代前半は凸多面体の格子点の数え上げ理論の礎を築きました。北大から阪大に赴任した 1995 年以降、Jurgen Herzog との共同研究によりスクエアフリー単項式イデアルの理論を発展させるとともに、凸多面体とグレブナー基底の研究に従事しました。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1680684665/316
319: 132人目の素数さん [] 2023/04/23(日) 10:41:38.74 ID:xRz9gQiq >>315 わらしべ長者 の補足として 「運も実力のうち」を上げておきます 下記は、ご参考として 私は、その人は「運をキャッチする実力を持っていた」ということだと思います 日比 孝之さんは、1981 Melvin Hochster の講演を自分の研究に生かす実力(忍耐と根気も含め、チームを纏めるリーダーシップも)があった 藤森 祥一さん>>306は、極小曲面というテーマをキャッチして仕上げる実力があった ということでしょう (参考) https://www.iza.ne.jp/article/20220214-2XI5OXBKMBANFHHW36FMABGBZU/ 「運も実力のうち」は本当か? 何かとツイてる人には“4つの法則”があった 2022/2/14 井上和 iza 今回は、そもそも運の良い人と悪い人の違いは何なのか? 努力次第で「運のいい人」になることはできるのか? そんなお話をしてみたいと思います。 運を決めているのは自信だった?! 「運も実力のうち」といいますが、これを真剣に研究した人がいます。英国の心理学者リチャード・ワイズマン博士です。元々マジシャンだったところから、人の心理を読むことへの興味が高じて学術の世界に転身した異色の経歴を持つワイズマン博士。彼は、いつも運がいい人と運が悪い人がいることに興味を抱きました。そこで、8年間かけて数百人の運がいい人と悪い人に対してインタビューを続けて、実験したのです。 当初、ワイズマン博士は「運は予知能力ではないか?」という仮説を考えました。そこで運がいい人と悪い人、計700人に宝くじの当選番号を予想してもらいました。結果は、当選率はまったく同じ。運は予知能力ではなかったのです(それはそうですよね笑)。 しかし、実験で発見がありました。運のいい人は、運の悪い人の2倍以上「当選する自信がある」と答えていたのです。そこでワイズマン博士は「運は自信と関係があるのでは?」と仮説を変更。考え方や行動を分析し始めました。 その結果として発見した4つの法則を、著書『運のいい人の法則』(角川文庫)にまとめています。 運を鍛える4つの行動・思考法 1.チャンスを最大限に広げる 2.虫の知らせを聞き逃さない 3.幸運を期待する 4.不運を幸運に変える http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1680684665/319
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