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現代数学の系譜 工学物理雑談 古典ガロア理論も読む79 (1002レス)
現代数学の系譜 工学物理雑談 古典ガロア理論も読む79 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1573769803/
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460: 現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE [] 2019/12/18(水) 07:30:24.95 ID:w5TRx3SM >>456 追加 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%84%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C コラッツの問題 (抜粋) 数論の未解決問題のひとつである。1937年にローター・コラッツが問題を提示した。問題の結論の予想を指してコラッツの予想と言う。 固有名詞に依拠しない表現としては3n+1問題とも言われ、初期にこの問題に取り組んだ研究者の名を冠して、角谷(かくたに)の問題、米田の予想、ウラムの予想、他にはSyracuse問題などとも呼ばれる。 数学者ポール・エルデシュは「数学はまだこの種の問題に対する用意ができていない」と述べ、解決した人に500ドルを提供すると申し出た。 コンピュータを用いた計算により、5 × 260 までには反例がないことが確かめられている[1]。 また、2011年度大学入試センター試験数学IIB第6問に題材として取り上げられた[2]。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E8%B0%B7%E9%9D%99%E5%A4%AB (抜粋) 角谷 静夫(かくたに しずお、1911年(明治44年)8月28日 - 2004年(平成16年)8月17日 )は日本の数学者。イェール大学名誉教授。娘は文芸批評家の角谷美智子。関数解析や確率論の研究で著名。 業績 1941年(昭和16年)に不動点定理を発表。角谷の不動点定理はブラウワーの不動点定理を一般化したものであった。経済学やゲーム理論において、角谷の不動点定理は現在でも頻繁に使われている。 特に、ゲーム理論においてはナッシュ均衡の存在を示すために、経済学においては一般均衡解の存在を示すために、角谷の不動点定理は決定的な役割を果たした。1950年にはICMにおいて、全体講演者として招聘された。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1573769803/460
461: 現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE [] 2019/12/18(水) 07:33:07.23 ID:w5TRx3SM >>460 つづき https://tuviannavy.hatenadiary.org/entry/20131013/1381669205 数学者、角谷静夫の生涯(メモ) TuvianNavy’s port 2013-10-13 (抜粋) 戦争が終わって1948年、占領された日本から角谷静夫、次いで湯川秀樹がIASに招聘された。湯川は岡潔の第七論文を携えていた。二人とも当時は接収されて米軍の航空基地となっていた羽田空港から渡米した。岡の論文草稿は湯川から先に米国入りしていた角谷、アンドレ・ヴェイユを経て、パリのアンリ・カルタンに郵送された。カルタンによる校閲を経て公表は2年後の1950年であった。 角谷は戦後、日本に戻る折に、岡を訪ねて議論したという。数学者の情緒、個人的創意の役割を重視し、一般化は数学の理解にとって弊害があると考える岡は、角谷の仕事を「人のやった仕事の一般化の論文を書いてはいけない」と批判したという。 岡の仕事はカルタンによって「層の理論」の言葉で再定式化されることになるが、角谷の戦後のエルゴード理論の研究から現れた「摩天楼」の概念も、現在では層の理論で定式化されているようであり、岡が具体的に考えた内容と、角谷が抽象的に考えた内容は無関係ではなかったのであろう。 http://reuler.blo(URLがNGなので、キーワードでググれ(^^ ) 日々のつれづれ 高瀬正仁 (岡潔先生を語る74)第7論文の消息 2008/02/02 10:25 (抜粋) 岡先生は秋月康夫に第7論文を委託し、秋月は渡米直前の物理の湯川秀樹に依頼してアメリカに運んでもらいました。湯川とともに大平洋を越えた第7論文は、在米の数学者、角谷静夫を経てアンドレ・ヴェイユの手にわたり、ヴェイユはパリのアンリ・カルタンのもとに郵送しました。 カルタンはこれを喜んで、フランス数学会の機関誌に掲載されるよう、10月15日付で受理しました。この当時、カルタンはフランス数学会の会長でもありました。 このような一連の経緯のおおよそは岡先生のもとにも伝えられたようでした。翌昭和24年3月28日、岡先生はこの年のはじめから書き継いできたエッセイ「春の回想」を書き終えた後、書き直しに取り掛かったのですが、その際、「第7報はたぶんアンリ・カルタンのところにあります」という言葉が書き添えられています。 受理はされたものの、カルタンが手許に置いて研究していたため、第7論文はなかなか刊行されませんでした。 (引用終り) 以上 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1573769803/461
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