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現代数学の系譜 工学物理雑談 古典ガロア理論も読む74 (1002レス)
現代数学の系譜 工学物理雑談 古典ガロア理論も読む74 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1564659345/
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34: 現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE [] 2019/08/02(金) 12:58:36.95 ID:ZHN8Qh/w >>33 つづき https://www.nagaitoshiya.com/ja/2012/infiniteness/ 永井俊哉ドットコム日本語版 無限性のコペルニクス的転回 2012年4月8日2018年2月1日 (抜粋) 目次 1 : 極限における無限の問題 2 : ε-δ 論法による問題の解決 3 : 超準解析による問題の解決 4 : アキレスと亀のパラドックス 5 : 無限に対応する対象はあるのか 6 : 参照情報 1 : 極限における無限の問題 無限とは何かという問題は、古代ギリシャのゼノンが提起して以来、重要な哲学的問題であった 2 : ε-δ 論法による問題の解決 このように、ε-δ 論法においては、「限りなく小さくなる」という表現が直接出てこないのだから、ε-δ 論法は、無限概念の追放に表面的には成功している。 しかし、ε 自体が無限小ではないにしても、その代わりに、ε は全称記号(∀)で全称量化されている。 したがって、無限は極限から消滅したのではなくて、ε 自体が無限に小さくなるという際限の無さから、ε により小さな数値を代入し続ける作業の際限の無さへと変化しただけと評することができる。 ε-δ 論法の開発者自身が自覚していたことではないが、ε-δ 論法の意義は、極限における有限と無限を分割し、後者を認識対象の属性から認識作用の属性へと振り替えたところにある。 そして、それは、カントが『純粋理性批判』で行ったコペルニクス的転回とよく似ている。 3 : 超準解析による問題の解決 超準解析(Non-standard analysis)は、1966年にアブラハム・ロビンソン(Abraham Robinson)がその考えを公表して[9]以来、無限小や無限大を数学的に厳密に扱うアプローチとして注目されている。 ジェロム・キースラー(Howard Jerome Keisler)が超準解析に基づく分かりやすい教科書、『初等微積分学(Elementary Calculus)』をオンライン上で無料公開しているので、それをもとに簡単に紹介しよう。 http://www.math.wisc.edu/~keisler/calc.html Elementary Calculus: An Infinitesimal Approach On-line Edition. Copyright c 2000 by H. Jerome Keisler, revised December 2018. つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1564659345/34
35: 現代数学の系譜 雑談 古典ガロア理論も読む ◆e.a0E5TtKE [] 2019/08/02(金) 12:59:55.97 ID:ZHN8Qh/w >>34 つづき 4 : アキレスと亀のパラドックス 無限のパラドックスは、微積分学が考案される前から指摘されていた。 最も有名なのは、古代ギリシャの哲学者、パルメニデスあるいはその弟子のゼノンが考案したとされるアキレスと亀のパラドックスである。 無限性のコペルニクス的転回がその難点をいかに解決するかを確認しよう。 5 : 無限に対応する対象はあるのか 古代ギリシャの哲学者たちにとって、無限小や無限大が存在するかどうかは自然学の問題であったが、物質を、原子、素粒子等々と無限に分割できるのかとか、宇宙は無限の大きさを持つのかといった物理学的な問題は実証的に検証されるべきであって、そうした物理学的問題と純粋に理論的に解決される数学的な問題は区別しなければならない[注]。 幾何学的に定義された完全な円が現実の世界に存在しないことからもわかるように、数学が扱うイデアールな対象と実証科学が扱うレアールな対象は異なる。 そして、無限小や無限大は、レアールな対象の属性でもなければ、イデアールな対象の属性ですらなく、イデアールな対象に対する認識行為の属性であるというのが本稿の結論である。 私たちには有限な認識能力しかないので、イデアールな対象、あるいはレアールな対象に、私たちが無限小あるいは無限大と呼んでいる概念に対応する対象があるかどうかは、わからない。 しかし、わからないからこそ、無限小や無限大という概念があるということもできる。 すなわち、私たちが無限を認識することができるのは、私たちの認識能力が無限ではないからである。 言い換えるならば、無限の認識能力を持つ無限な存在者と私たちが想像する神には、いかなる無限も存在しないであろうということである。 (引用終り) 以上 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1564659345/35
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