[過去ログ] 【負けの大地】北海道新幹線300【バカ道民】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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403: 2016/10/28(金) 08:33:57.41 ID:JQnYsXGs(20/50)調 AAS
なよろ - Nayoro
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
駅構造 地上駅
開業年月日 1919年(大正8年)10月20日(名寄本線)
1937年(昭和12年)11月10日(深名線)
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日(名寄本線)
1995年(平成7年)9月4日(深名線)
乗入路線
所属路線 名寄本線
キロ程 0.0km(名寄起点)
(5.8km) 中名寄?
所属路線 深名線
キロ程 121.8km(深川起点)
?西名寄 (4.0km)
テンプレートを表示
404: 2016/10/28(金) 08:34:30.95 ID:JQnYsXGs(21/50)調 AAS
ホーム(2011年8月)
駅構内(2004年6月)
名寄駅(なよろえき)は、北海道名寄市東1条南6丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)・
日本貨物鉄道(JR貨物)宗谷本線の駅。駅番号はW48。
目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 駅構造
4 貨物駅(名寄オフレールステーション)
5 利用状況
6 駅名の由来
7 かつて販売されていた駅弁
8 駅周辺
9 バス路線
10 隣の駅
10.1 かつて存在した路線
11 脚注
12 参考文献
13 関連項目
14 外部リンク
405: 2016/10/28(金) 08:35:45.06 ID:JQnYsXGs(22/50)調 AAS
概要[編集]
名寄市の中心駅であり、普通列車に加え特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」や快速「なよろ」が停車する宗谷本線の主要駅である。また、運転士の乗務はこの駅を境に稚内方面が宗谷北線運輸営業所、旭川方面が旭川運転所と担当区域が分かれている。
普通列車の運転系統も当駅で同じように分かれるが、1日3往復列車番号を変えて相互に直通する列車もあり、そのうち1往復は旭川 - 稚内間の全線を走破する。
当駅は、1903年(明治36年)9月に開業した。当時は旭川方面から伸びる天塩線(宗谷本線の前身)の終着駅だった。その8年後の1911年(明治44年)11月に路線が恩根内駅まで延伸し、名寄駅は途中駅となった。
406: 2016/10/28(金) 08:36:14.38 ID:JQnYsXGs(23/50)調 AAS
1919年(大正8年)10月には下川町方面へ向かう名寄線(後の名寄本線)が開業し、同線と宗谷本線の乗換駅となった。また1937年(昭和12年)11月には名雨線が開業した。
名雨線は部分開業であったが、5年後の1941年(昭和16年)に深川 - 名寄間が開業し、深名線となった。
1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化により、名寄駅は北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。名寄本線・深名線もJR北海道が継承したが、
名寄本線は1989年(平成元年)5月に、深名線は1995年(平成7年)9月に廃止され、名寄駅は開業時と同様に宗谷本線のみの駅となった。
407: 2016/10/28(金) 08:37:07.17 ID:JQnYsXGs(24/50)調 AAS
1977年の名寄駅と周囲約1.8km範囲の状況。上が稚内方面。下中央が宗谷本線、下左が深名線、下右が名寄本線。
深名線と並行して南の天塩川製紙工場(現王子マテリア名寄工場)へ専用線が分岐している。駅の構内には多くの副本線と共に、転車台を持つ大きな機関区が残されている。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
408: 2016/10/28(金) 08:38:14.07 ID:JQnYsXGs(25/50)調 AAS
歴史[編集]
1903年(明治36年)9月3日 - 北海道官設鉄道天塩線士別 - 当駅間の開業時に開設[1]。一般駅。名寄機関庫設置。
1905年(明治38年)4月1日 - 逓信省鉄道作業局に移管[1]。
1911年(明治44年)11月3日 - 天塩線名寄 - 恩根内間延伸開業[1]。
1913年(大正2年)6月2日 - 名寄機関庫設置(北海道鉄道管理局の事務上制定)。
1919年(大正8年)10月20日 - 名寄線(後の名寄本線)開業。
1925年(大正14年) - 扇型機関庫新築[2]。
1927年(昭和2年)6月 - 2代目の現駅舎に改築。
1937年(昭和12年)11月10日 - 名雨線(後の深名線)開業。
409: 2016/10/28(金) 08:38:35.11 ID:JQnYsXGs(26/50)調 AAS
1949年(昭和24年)
2月 - 構内増改築[3]。
6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1950年(昭和25年)2月1日 - 名寄客貨車区設置。
1961年(昭和36年)1月 - 天塩川製紙名寄工場操業開始に伴い専用線使用開始。
1966年(昭和41年)9月 - 天塩川製紙名寄工場第3期増設工事竣工。専用線2km増設。
1967年(昭和42年)6月1日 - コンテナ基地設置[1]。
1968年(昭和43年)10月1日 - みどりの窓口設置。
410: 2016/10/28(金) 08:38:59.52 ID:JQnYsXGs(27/50)調 AAS
1986年(昭和61年)
11月1日 - 荷物取扱い廃止。
11月 - 名寄機関区が旭川機関区名寄支区となる[3]。
1987年(昭和62年)
2月 - 扇型機関庫解体撤去[3]。
4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)に継承[1]。
1988年(昭和63年) - 名寄駅旅行センター開店。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線廃止。
1990年(平成2年) - 名寄駅旅行センターを駅から分離し、旅行センター名寄支店発足。
1991年(平成3年)11月13日 - 宗谷北線運輸営業所発足。
411: 2016/10/28(金) 08:39:19.23 ID:JQnYsXGs(28/50)調 AAS
1995年(平成7年)9月4日 - 深名線廃止。
1996年(平成8年)9月1日 - 貨物列車設定廃止、自動車代行駅となる。
1998年(平成10年) - 「旅行センター名寄支店」の営業を名寄駅に統合。
2006年(平成18年)4月1日 - JR貨物の名寄オフレールステーションを開設。
2009年(平成21年)6月30日 - 駅弁製造・販売元廃業のため同日付で駅弁販売終了。
2016年(平成28年)3月31日 - 旅行センターが営業終了[4]。
412: 2016/10/28(金) 08:39:41.26 ID:JQnYsXGs(29/50)調 AAS
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。駅舎(改札口)は西側1箇所にあり、日本最北のLED発車標導入駅である[5]。
以前は駅舎脇直結の島式ホームがあり2面4線であったが、0番のりばが廃止された後、単式ホームになった[6]。1 - 3番のりばはいずれも折り返しが可能。ホーム間の移動は跨線橋を使う。
留置線が敷設され、夜間滞泊の運用もある。このうち1本は音威子府駅発着で、当駅まで回送して滞泊している。
終日社員配置駅。駅構内にはみどりの窓口(営業時間:7時40分 - 20時50分)・自動券売機・キヨスク[7]がある。
1990年代まで構内にきょくてつストア(物資部)という名称の小型のスーパーマーケットがあった。現在は駐輪場となっている。
413: 2016/10/28(金) 08:41:05.62 ID:JQnYsXGs(30/50)調 AAS
貨物駅(名寄オフレールステーション)[編集]
JR貨物の名寄駅は、コンテナ貨物(JR規格12フィートコンテナのみ)の取扱駅となっている。
コンテナ集配基地の名寄オフレールステーション(略称:名寄ORS)が駅舎北側に併設されており、貨物列車の代行のトラック便が北旭川駅との間に1日5往復運行されている[8]。JR貨物の駅としては最北端に位置している。
かつては1面2線のコンテナホームがあったが、貨物列車の発着が廃止された1996年(平成8年)9月以降、荷役線は使用されずホームのみコンテナ基地として使用されている。
貨物列車の発着がない自動車代行駅となった後、2006年(平成18年)4月の貨物駅の名称整理の際に、名寄オフレールステーションとなっている。
414: 2016/10/28(金) 08:41:30.52 ID:JQnYsXGs(31/50)調 AAS
また1993年(平成5年)ごろまでは岩谷産業名寄LPGセンターへの専用線があり、本輪西駅発送の液化石油ガス (LPG) 輸送用のタキ25000形貨車が到着していた。
また、それより前には王子マテリア名寄工場への専用線もあり、同工場向けの石油輸送用タンク車も到着していた。
駅名の由来[編集]
アイヌ語の「ナイ、オロ、プツ」(川の傍なる河口)が転訛したもの。名寄川が天塩川に注いでいることから。
415: 2016/10/28(金) 08:41:50.80 ID:JQnYsXGs(32/50)調 AAS
かつて販売されていた駅弁[編集]
角舘商会
蝦夷っ子ちらし寿し(1050円) - スーパー宗谷へ積み込み
牡蠣帆立弁当(940円)
北の味きのこごはん(940円)
ニシンカズノコ弁当(840円) - スーパー宗谷へ積み込み
みそ豚丼(750円)
たこ寿し(730円)
駅売店のほか、ワゴン販売のある特急「スーパー宗谷」の車内でも販売されていた。なお、角舘商会は2009年(平成21年)6月30日限りで廃業した[9]。
416: 2016/10/28(金) 08:42:19.52 ID:JQnYsXGs(33/50)調 AAS
駅周辺[編集]
SLキマロキ編成(2004年6月)
北海道道540号名寄停車場線
名寄市役所
名寄警察署
名寄警察署駅前交番
名寄郵便局
名寄駅前郵便局
北海道労働金庫名寄支店
北星信用金庫本店
北見信用金庫名寄支店
北洋銀行名寄支店
北海道銀行名寄支店
道北なよろ農業協同組合(JA道北なよろ)名寄支所
日本通運旭川支店名寄営業支店
グランドホテル藤花
名寄せ(なよせ)商店街
名寄6丁目商店街
西條百貨店名寄店
山田デパート
北国博物館
SLキマロキ編成
吉田病院
名寄中央整形病院
親林館
プラザよろーな
名寄簡易裁判所
ハローワーク名寄
名寄労働基準監督署
上川総合振興局名寄庁舎
国道40号・国道239号
417: 2016/10/28(金) 08:42:48.29 ID:JQnYsXGs(34/50)調 AAS
バス路線[編集]
2013年(平成25年)4月1日に「駅前交流プラザ『よろーな』」がオープンし、同日より併設されたバス乗り場に発着する[10][11]。
名士バス
名寄市内路線、下川町・興部町方面(JR名寄本線廃止代替)など郊外路線を運行。路線詳細はバス事業者記事を参照。
ジェイ・アール北海道バス
幌加内町方面(JR深名線廃止代替)へ運行。路線詳細は深名線 (ジェイ・アール北海道バス)を参照。
道北バス(案内所を設置)
士別市・旭川市方面への郊外路線、札幌市方面(北海道中央バス共同運行)および音威子府村・枝幸町・猿払村方面(宗谷バス共同運行または宗谷バス単独運行)への都市間バスを運行。
路線詳細はバス事業者記事を参照。
418: 2016/10/28(金) 08:45:30.10 ID:JQnYsXGs(35/50)調 AAS
中名寄駅
中名寄駅
■
なかなよろ - Naka-Nayoro
◄名寄 (5.8km)(3.9km) 上名寄►
所在地 北海道名寄市字朝日
北緯44度19分51.8秒
東経142度30分45.6秒座標: 北緯44度19分51.8秒 東経142度30分45.6秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 5.8km(名寄起点)
電報略号 ナヨ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1947年(昭和22年)9月21日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
419: 2016/10/28(金) 08:46:00.88 ID:JQnYsXGs(36/50)調 AAS
1977年の中名寄駅と周囲約500m範囲。右が紋別方面。石積み土盛のしっかりとした作りの単式ホームを持つ。無人化される直前で、駅舎はプレハブの待合室に変わる前の木造のもの。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
中名寄駅(なかなよろえき)は、北海道(上川支庁)名寄市字朝日にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はナヨ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
420: 2016/10/28(金) 08:46:19.73 ID:JQnYsXGs(37/50)調 AAS
歴史[編集]
1947年(昭和22年)9月21日 - 運輸省名寄本線の中名寄仮乗降場(局設定)として開業。旅客のみ取扱い。[1]
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1950年(昭和25年)1月15日 - 駅に昇格。中名寄駅となる[2]。荷物取扱い開始[1]。
1963年(昭和38年)4月1日 - 業務委託化[2]。
1978年(昭和53年)12月1日 - 荷物取扱い廃止[1]。同時に無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
421: 2016/10/28(金) 08:46:38.18 ID:JQnYsXGs(38/50)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[3]。
無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、興浜北線豊牛駅や斜内駅と同型[4]のプレハブ駅舎[5]となっていた。駅舎は構内の北側に位置しホームに接していた。[3]。
422: 2016/10/28(金) 08:47:06.75 ID:JQnYsXGs(39/50)調 AAS
駅名の由来[編集]
名寄川沿いにあり、上名寄と名寄の中間に位置したため[6]、「名寄」に「中」を冠する。
駅周辺[編集]
国道239号(下川国道)[7]
名寄市立中名寄小学校
名寄川[7]
名士バス「中名寄5線」停留所
423: 2016/10/28(金) 08:47:32.97 ID:JQnYsXGs(40/50)調 AAS
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では駅舎が残存しており、舎内には現役時代の看板やポスターが保存されていた[5]。2010年(平成22年)時点でも駅舎は残っており、旧構内裏手にはブロック造りの鉄道官舎も残存していた[8]。
2011年(平成23年)時点では駅銘板も設置されたままで、名寄本線のほかに深名線の遺物の一部も集められていた[4]。駅舎はバス停として利用されている。
424: 2016/10/28(金) 08:48:23.19 ID:JQnYsXGs(41/50)調 AAS
上名寄駅
上名寄駅
■
かみなよろ - Kami-Nayoro
◄中名寄 (3.9km)(2.4km) 矢文►
所在地 北海道上川郡下川町上名寄
北緯44度18分59秒
東経142度33分25秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 9.7km(名寄起点)
電報略号 カヨ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1919年(大正8年)10月20日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
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425: 2016/10/28(金) 08:48:39.94 ID:JQnYsXGs(42/50)調 AAS
1977年の上名寄駅と周囲約500m範囲。無人化直前の姿。右下が紋別方面。千鳥式ホーム2面2線と、駅横名寄側、駅裏紋別側にそれぞれ引込み線を有するが、引込み線やストックヤードは使用されなくなって久しいようである。
無人化後は駅舎ホーム側に棒線化された。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
上名寄駅(かみなよろえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町上名寄にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はカヨ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
426: 2016/10/28(金) 08:48:58.81 ID:JQnYsXGs(43/50)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
427: 2016/10/28(金) 08:49:33.34 ID:JQnYsXGs(44/50)調 AAS
歴史[編集]
1919年(大正8年)10月20日 - 鉄道院名寄線名寄駅 - 下川駅間開通に伴い開業。一般駅[1]。
1921年(大正10年)
3月25日 - 線路名を名寄西線に改称、それに伴い同線の駅となる。
10月5日 - 線路全通に伴い線路名を名寄線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1960年(昭和35年)9月15日 - 貨物取扱い廃止[1]。
1978年(昭和53年)12月1日 - 荷物取扱い廃止[1]。同時に出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備廃止、完全無人化。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
428: 2016/10/28(金) 08:50:42.35 ID:JQnYsXGs(45/50)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。
国鉄時代末期に無人化されるまでは、相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。
互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた[2]。駅舎側(南側)ホームが上り線、対向側ホームが下り線となっていた[2]。
そのほか下り線の遠軽方から北側に分岐し対向側ホーム手前附近で行き止まりとなっていた側線を1線有していた[2]。
無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた時期を経て完全無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。
429: 2016/10/28(金) 08:51:08.60 ID:JQnYsXGs(46/50)調 AAS
駅舎は構内の南側(遠軽方面に向かって右側)に位置し上り線ホーム中央部分に接していた。ホームの長さは50mで2輌編成の列車がやっと停車出来る長さであった[2]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、名寄川の上流に位置したため[3]、「名寄」に「上」を冠する。
駅周辺[編集]
国道239号(下川国道)[4]
上名寄郵便局
名寄川[4]
名士バス「上名寄12線」停留所 - 駅名標が現存する
430: 2016/10/28(金) 08:51:43.30 ID:JQnYsXGs(47/50)調 AAS
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では貯木場となっており跡形も無くなっていた[5]。
2010年(平成22年)時点では駅跡付近の国道沿いのバス停留所に駅名標が設置されているのみであった[6]。2011年(平成23年)時点でも同様であるが、この駅名標は新しく設置されたレプリカで、上部に「上名寄駅跡」と記載されていた[7]。
また駅跡地は仮囲いで囲われており、建築資材などが保管されている模様であった[7]。
431: 2016/10/28(金) 08:55:43.97 ID:JQnYsXGs(48/50)調 AAS
わいも協力したるわ
名寄から名寄本線に入ったわい
え、宗谷本線名寄駅以北、名寄本線名寄駅〜上名寄駅はレス済
これを書かなければならないんか
目的は
このスレは、以下の類似荒らしスレを1000レスさせない状態で建て続けた銃刀法違反逮捕者を矯正する目的で埋めています
432: 2016/10/28(金) 08:59:10.05 ID:JQnYsXGs(49/50)調 AAS
ネットでも「延伸すれば黒字だから問題ない」との意見が多くなってきている
なのに、日本語らしい文字の羅列を2chだけ荒らししても無駄やろ
道庁行って抗議しろやボケ
433: 2016/10/28(金) 09:00:16.55 ID:JQnYsXGs(50/50)調 AAS
札幌駅まで歩いて行けたのだから、道庁にも歩いて行けるだろ
434: 2016/10/28(金) 12:25:10.87 ID:EQpc1n05(8/10)調 AAS
遅れたd民のお仲間同士で、Noと言えない肯定的ぬくぬく議論してるより、
d民はもっと他のスレで全国からどう思われてるか観察したほうがいい。
2chスレ:bizplus
435: 2016/10/28(金) 13:11:17.57 ID:EiAoAzuH(1/2)調 AAS
負けたのはアクバル
436: 2016/10/28(金) 15:36:24.35 ID:EQpc1n05(9/10)調 AAS
これ分かりやすいわ
北海道・東北新幹線 通過速度の比較
動画リンク[YouTube]
コメント欄
>北海道新幹線は東京ー大宮、青函と2度減速区間を通る。
>4時間超えの長距離路線にとっては痛い減速ですね。
>こんな遅いのに、バカ高な割増料金徴収するとは、もはや犯罪レベル!
437: 2016/10/28(金) 15:36:42.33 ID:EQpc1n05(10/10)調 AAS
●東京ー新函館 820km 22690円
●東京ー博多 1170km 22950円
失敗作でも料金は博多並みを頂戴します
438: 2016/10/28(金) 18:41:27.19 ID:CGOBSFG5(1/70)調 AAS
矢文駅
矢文駅
■
やぶみ - Yabumi
◄上名寄 (2.4km)(1.7km) 岐阜橋►
所在地 北海道上川郡下川町上名寄
北緯44度18分34秒
東経142度35分3秒座標: 北緯44度18分34秒 東経142度35分3秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 12.1km(名寄起点)
電報略号 ヤフ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1956年(昭和31年)10月30日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
439: 2016/10/28(金) 18:41:55.02 ID:CGOBSFG5(2/70)調 AAS
1977年の矢文駅と周囲約500m範囲。右が紋別方面。紋別側に十六線道の踏切がある。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
矢文駅(やぶみえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町上名寄にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
電報略号はヤフ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り1本上り2本(快速運転列車)[1])。
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
440: 2016/10/28(金) 18:42:22.07 ID:CGOBSFG5(3/70)調 AAS
歴史[編集]
1956年(昭和31年)10月30日 - 日本国有鉄道名寄本線の矢文仮乗降場(局設定)として開業[2]。
1959年(昭和34年)11月1日 - 駅に昇格。矢文駅となる。旅客のみ取扱い[2]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。
転轍機を持たない棒線駅となっていた[3]。
仮乗降場に出自を持つ開業時からの無人駅で[3]駅舎および待合所は存在しなかった。ホームは遠軽方にスロープを有し[3]駅施設外に連絡していた。
441: 2016/10/28(金) 18:42:49.28 ID:CGOBSFG5(4/70)調 AAS
駅名の由来[編集]
駅の北方に存在する矢文山に由来する。
駅周辺[編集]
下川町の盆地に入った所に位置した[3]。
国道239号(下川国道)[4]
名寄川[4]
矢文山 - 駅の北。標高422m[4]。
名士バス「上名寄16線」停留所
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では跡形も無くなっていた[5]。2010年(平成22年)時点[6]、2011年(平成23年)時点でも同様で、遺構は全く残されていなかった[7]。
民間へ売却され農地となっている。
442: 2016/10/28(金) 18:43:17.53 ID:CGOBSFG5(5/70)調 AAS
岐阜橋駅
岐阜橋駅
■
ぎふばし - Gifubashi
◄矢文 (1.7km)(2.7km) 下川►
所在地 北海道上川郡下川町上名寄
北緯44度18分23秒
東経142度36分18.5秒座標: 北緯44度18分23秒 東経142度36分18.5秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 13.8km(名寄起点)
電報略号 キハ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1956年(昭和31年)10月30日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
443: 2016/10/28(金) 18:43:51.34 ID:CGOBSFG5(6/70)調 AAS
1977年の岐阜橋駅と周囲約500m範囲。右が紋別方面。名寄側に十九線道の踏切があり、上へ行くと名寄川に架かる岐阜橋という名の橋がある。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
岐阜橋駅(ぎふばしえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町上名寄にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
電報略号はキハ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り2本上り3本(快速運転列車ほか)[1])。
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
444: 2016/10/28(金) 18:44:17.31 ID:CGOBSFG5(7/70)調 AAS
歴史[編集]
1956年(昭和31年)10月30日 - 日本国有鉄道名寄本線の岐阜橋仮乗降場(局設定)として開業[2]。
1959年(昭和34年)11月1日 - 駅に昇格。岐阜橋駅となる。旅客のみ取扱い[2]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。
転轍機を持たない棒線駅となっていた[3]。
仮乗降場に出自を持つ開業時からの無人駅で[3]駅舎および待合所は存在しなかった。ホームは名寄方にスロープを有し[3]駅施設外に連絡していた。
445: 2016/10/28(金) 18:44:44.80 ID:CGOBSFG5(8/70)調 AAS
駅名の由来[編集]
当駅附近を流れる名寄川に架かる橋の名前に由来する。この付近に岐阜県出身の人々が入植し、架橋した際にちなんで名付けられた橋である[3][4]。
駅周辺[編集]
民間へ売却され農地として利用されている。
国道239号(下川国道)[5]
下川墓地
下川町農山村交流広場「上名寄交流広場」 - 廃駅後に開設。
名寄川[5]
名士バス「上名寄19線」停留所
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では跡形も無くなっていた[6]。2010年(平成22年)時点[7]、2011年(平成23年)時点でも同様で、遺構は全く残されていなかった[8]。
民間へ売却され農地として利用されている。
446: 2016/10/28(金) 18:45:53.05 ID:CGOBSFG5(9/70)調 AAS
下川駅
曖昧さ回避 この項目では、北海道に存在した名寄本線の下川駅について説明しています。京都府に存在した北丹鉄道の下川駅については「下川駅 (京都府)」をご覧ください。
下川駅(1989年3月)
しもかわ - Shimokawa
◄岐阜橋 (2.7km)(4.9km) 二ノ橋►
所在地 北海道上川郡下川町共栄町
北緯44度18分2秒
東経142度38分19.6秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 16.5km(名寄起点)
電報略号 モハ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1919年(大正8年)10月20日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
447: 2016/10/28(金) 18:47:45.77 ID:CGOBSFG5(10/70)調 AAS
1977年の下川駅と貨物ホーム。周囲約500m×750m範囲。右が紋別方面。左側に下川駅の本構があり、少し離れた右に戦後に設置された大きな貨物ホームと側線がある。
周囲はかなり広いストックヤードとなっていて、パルプ材が野積みされているが、既に疎らである。北側の営林署のストックヤードは既に草生して一部が宅地になっているが、
かつては珊瑠森林鉄道が引き込まれていて、町と名寄川を挟んだ対岸の支流サンル川上流から木材を搬入していた。
448: 2016/10/28(金) 18:48:07.00 ID:CGOBSFG5(11/70)調 AAS
この軌盤跡は、上中央より少し右寄りから本線に対して直角に向かって入る道路として残っている。ヤード右側の水色の家屋は当時の機関車庫の一部。最盛期の頃はこれらのヤードが満杯になった事もあった。
また、写真下端に道道354号が本線と並行して走っているが、1951年(昭和26年)に廃止されるまで、下川鉱山軌道(中名寄森林鉄道ペンケ線)がこの道沿いを右へ向かい、下川ペンケ川上流の鉱山まで引かれていた。
449: 2016/10/28(金) 18:48:22.88 ID:CGOBSFG5(12/70)調 AAS
この軌道はまた、下中央から少し右寄りに見える青い屋根の民家の庭先で90°上に曲がり、貨物ホームの左側でまた90°左へ曲がって本線と並行して下川駅構内へ向かっていた。軌盤跡がこれらの曲がり箇所に残っているのが見える。
また中名寄森林鉄道パンケ線は、この民家からペンケ線とは逆方向へ向かって曲がり、町営住宅や左下に見える建設中の中学校の敷地を通って桑の沢川の上流へ向かっていた。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
450: 2016/10/28(金) 18:48:46.39 ID:CGOBSFG5(13/70)調 AAS
下川駅(しもかわえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町共栄町にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
電報略号はモハ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。
>>1
451: 2016/10/28(金) 18:49:10.16 ID:CGOBSFG5(14/70)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 下川町バスターミナル合同センター
7 駅跡
8 隣の駅
9 接続
10 脚注・出典
10.1 注釈
10.2 出典
11 関連項目
>>1
452: 2016/10/28(金) 18:49:44.28 ID:CGOBSFG5(15/70)調 AAS
歴史[編集]
1919年(大正8年)10月20日 - 鉄道院名寄線名寄駅 - 当駅間開通に伴い開業。一般駅。
1920年(大正9年)10月25日 - 当駅 - 上興部駅間延伸開通に伴い中間駅となる。
1921年(大正10年)
3月25日 - 線路名を名寄西線に改称、それに伴い同線の駅となる。
10月5日 - 線路全通に伴い線路名を名寄線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1948年(昭和23年)6月 - 営林局専用の側線を新設する。>>1
453: 2016/10/28(金) 18:50:26.31 ID:CGOBSFG5(16/70)調 AAS
1949年(昭和24年)1月1日 - 下川鉱山専用の側線を新設する。
1950年(昭和25年) - 下川鉱山が当駅まで索道設置。
1962年(昭和37年) - 下川鉱山がトラック輸送に切り替え、索道廃止。
1969年(昭和44年)10月20日 - 開駅50周年事業として人道跨線橋を新設する[注 1]。
1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物取扱いを廃止する[1]。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱いを廃止する[1]。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
1991年(平成3年)1月 - 下川町のバスターミナル合同センターが当駅跡地に完成する。>>1
454: 2016/10/28(金) 18:51:09.55 ID:CGOBSFG5(17/70)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。
互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム西側を結んだ構内踏切で連絡していた[2]。線路北側の駅舎側ホームが下り線、対向側ホームが上り線となっていた。
そのほか1983年(昭和58年)時点では、下り線遠軽方から駅舎側に分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線、
また上り線から分岐し対向側ホームの外側(乗降不可)への貨物側線を2線、また副本線の遠軽方から分岐した側線を2線有していた[2]。
職員配置駅で、駅舎は構内の北側(遠軽方面に向かって左側)に位置し下り線ホーム中央部分に接していた[2]。
455: 2016/10/28(金) 18:51:33.62 ID:CGOBSFG5(18/70)調 AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名(町名)より。地名は、アイヌ語の「パンケ・ヌカナン」(下の沢)の和訳に由来する[3]。
456: 2016/10/28(金) 18:51:49.89 ID:CGOBSFG5(19/70)調 AAS
駅周辺[編集]
国道239号(下川国道)[4]
北海道道330号下川停車場線
北海道道354号ペンケ下川停車場線
下川町役場
名寄警察署下川駐在所
上川北部消防事務組合下川消防署
下川郵便局
北星信用金庫下川支店
北はるか農業協同組合(JA北はるか)下川支所
五味温泉 - 駅から南に約6km[2]。
下川鉱山 - 駅から南東に約9.5km[2]。
名寄川[4]
457: 2016/10/28(金) 18:52:24.41 ID:CGOBSFG5(20/70)調 AAS
下川町バスターミナル合同センター[編集]
名寄本線廃止に伴うバス利用者等の利便を図り、交通資料の保存展示、町民の生活文化向上を目的として1991年(平成3年)1月に開設された。
バス待合室やトイレ等が設置され、エントランスホールには鉄道コーナーがあり駅の写真などが展示されている[5]。1階には下川町商工会、観光協会が入居し、
2階にはコミュニティホール(大ホール)などが設置されている。
名士バス
名寄方面
興部方面
下川町コミュニティバス
班渓線 - 五味温泉 >>1
458: 2016/10/28(金) 18:53:00.88 ID:CGOBSFG5(21/70)調 AAS
駅跡[編集]
上記の下川町バスターミナル合同センターのほか、にぎわい広場、林業総合センターなどが設置された。
広場には名寄本線で使用された車輌であるキハ22形気動車キハ22 237、キハ22 245の2両が連結された状態で静態保存・展示されている[>>6]。
これらの車両は2000年(平成12年)時点では集会所として再利用されており[5]、2010年(平成22年)時点では車体にかなり痛みが見られた[>>7]。
車内はお座敷風に改装されている。また、名寄本線の沿革が記載された「鉄道記念碑」が建立されている[8]。路盤跡は「ふるさと通り」として道路が整備された。
459: 2016/10/28(金) 18:53:45.44 ID:CGOBSFG5(22/70)調 AAS
二ノ橋駅
二ノ橋駅
■
にのはし - Ninohashi
◄下川 (4.9km)(3.6km) 幸成►
所在地 北海道上川郡下川町二の橋
北緯44度18分26秒
東経142度41分40秒座標: 北緯44度18分26秒 東経142度41分40秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 21.4km(名寄起点)
電報略号 ニノ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1947年(昭和22年)12月25日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示>>1 >>2
460: 2016/10/28(金) 18:55:33.51 ID:CGOBSFG5(23/70)調 AAS
1977年の二ノ橋駅と周囲約500m範囲。右上が紋別方面。石積み土盛の単式ホーム1面1線と駅舎は中名寄駅と似ているが、こちらは片開分岐で駅裏側に敷かれた副本線を有している。
比較的新しい時期に出来た木工所の広いヤードが隣接し、この一年後には無人駅となって貨物の取扱をやめてしまうようには見えない。副本線は後に名寄側の分岐が切られ、保線用の側線とされた。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
461: 2016/10/28(金) 18:56:03.20 ID:CGOBSFG5(24/70)調 AAS
二ノ橋駅(にのはしえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町二の橋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はニノ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で上り1本(快速運転列車)[1])。>>1 >>2
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目 >>1-10
462: 2016/10/28(金) 18:56:37.60 ID:CGOBSFG5(25/70)調 AAS
歴史[編集]
1947年(昭和22年)12月25日 - 運輸省名寄本線の二ノ橋仮乗降場(局設定)として開業[>>2] 。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1950年(昭和25年)1月15日 - 駅に昇格。二ノ橋駅となる。一般駅。
1962年(昭和37年)4月1日 - 業務委託化。
1978年(昭和53年)12月1日 - 貨物および荷物の取扱い廃止。同時に無人(簡易委託)化[>>3] 。
1986年(昭和61年)11月1日 - 簡易委託廃止、完全無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
463: 2016/10/28(金) 18:57:24.98 ID:CGOBSFG5(26/70)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[>>4]。そのほか遠軽方から南側に分岐した行き止まりの保線用側線を1線有していた[>>4]。
無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、中名寄駅や渚滑線中渚滑駅と同型のプレハブ駅舎となっていた。駅舎は構内の北側に位置しホームに接していた[>>4]。ホームの長さは50mであった[>>4]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地区名より[>>5]。地区名は、1903年(明治36年)に開削された仮定県道(現在の国道239号)が名寄川を渡る上流から2番目の橋の名前に由来する。
464: 2016/10/28(金) 18:58:16.92 ID:CGOBSFG5(27/70)調 AAS
駅周辺[編集]
畑になっている。
国道239号(下川国道)[>>6]
名寄川[>>6]
名士バス「二の橋」停留所
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では跡形も無く、道床跡を利用して用水路の工事が進められていた[7]。2010年(平成22年)時点でも跡形は無く[>>8]、
2011年(平成23年)時点でも同様で、農耕地に取り込まれ遺構は何も無かった[>>9]。畑になっている。
また、2000年(平成12年)時点では駅跡附近の国道の「二の橋跨線橋」から線路跡が望め[7]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[>>9]。
465: 2016/10/28(金) 18:58:43.35 ID:CGOBSFG5(28/70)調 AAS
幸成駅
幸成駅
■
こうせい - Kōsei
◄二ノ橋 (3.6km)(2.9km) 一ノ橋►
所在地 北海道上川郡下川町一の橋
北緯44度19分0秒
東経142度44分1秒座標: 北緯44度19分0秒 東経142度44分1秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 25.0*km(名寄起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1956年(昭和31年)4月30日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
テンプレートを表示
466: 2016/10/28(金) 19:00:39.95 ID:CGOBSFG5(29/70)調 AAS
1977年の幸成仮乗降場と周囲約500m範囲。右が紋別方面。ホーム中程の外側にプレハブの白い待合室が同じ高さに設置されている。
青い屋根の古い待合室が残されている。
幸成駅(こうせいえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町一の橋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り1本上り3本(快速運転列車ほか)[>>1])。
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
7.1 注釈
7.2 出典
>>8 関連項目
467: 2016/10/28(金) 19:01:16.39 ID:CGOBSFG5(30/70)調 AAS
歴史[編集]
1956年(昭和31年)4月30日 - 日本国有鉄道名寄本線の幸成仮乗降場(局設定)として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に駅に昇格。幸成駅となる。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した[2]。転轍機を持たない棒線駅となっていた。
仮乗降場に出自を持つ無人駅で、駅舎は無いがプレハブの物置を待合所として利用していた[3][2]。ホームは名寄方にスロープを有し[>>2]駅施設外に連絡していた。
468: 2016/10/28(金) 19:01:56.06 ID:CGOBSFG5(31/70)調 AAS
駅名の由来[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
当駅の所在地近辺の地名より[4][注 1]。
Nuvola apps important.svg
情報が不足しています。「幸成」の地名由来をご存知の方は編集をお願いします。
駅周辺[編集]
国道239号(下川国道)[5]
名寄川[5]
モサンル川[5]
名士バス「幸成」停留所
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では跡形も無くなっていた[>>6]。2010年(平成22年)時点[>>7]、2011年(平成23年)時点でも同様で、熊笹に覆われた原野になっていた[>>3]。
469: 2016/10/28(金) 19:03:42.68 ID:CGOBSFG5(32/70)調 AAS
一ノ橋駅
一ノ橋駅
一ノ橋駅改札(1989年3月)
一ノ橋駅改札(1989年3月)
いちのはし - Ichinohashi
?幸成 (2.9km)(11.0km) 上興部?
所在地 北海道上川郡下川町一の橋
北緯44度19分9秒
東経142度46分9秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 27.9km(名寄起点)
電報略号 ハシ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1920年(大正9年)10月25日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示 >>1-20
470: 2016/10/28(金) 19:04:54.78 ID:CGOBSFG5(33/70)調 AAS
1978年の一ノ橋駅と周囲約750m範囲。右が紋別方面。左上に中学校、左下に小学校が見える。
典型的な木材搬出駅で、かなり広い営林署のストックヤードが隣接しているが、貨物取扱い廃止を間近に控え、ヤードは既に使用されていない様子である。
かつて林業が盛んだった頃は、奥名寄森林鉄道が名寄川上流の奥地から、また然別森林鉄道が一の橋市街対岸のシカリベツ川上流から、
それぞれこのヤードの北側へ乗り入れ、ここを満杯にする程の木材を搬入していた。>>3-54
471: 2016/10/28(金) 19:05:24.81 ID:CGOBSFG5(34/70)調 AAS
これらの路盤跡は,左(然別方面)から本線の脇をかすめてS字カーブを描いて入るのが見え、ヤード内で右上方に向かい道路と交わり、その先は緩やかなカーブを描く道路となっている(奥名寄方面)。
また駅裏名寄側左端の白い三角状の空き地には、かつては上興部駅との間にある天北峠越えの補機用機関車の待機線と転車台があったが、この写真の時点では全て撤去されて埋められている。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成>>54-185
472: 2016/10/28(金) 19:06:06.99 ID:CGOBSFG5(35/70)調 AAS
一ノ橋駅(いちのはしえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町一の橋にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
電報略号はハシ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
7 隣の駅
8 森林鉄道
9 脚注
10 関連項目>>1
473: 2016/10/28(金) 19:06:48.74 ID:CGOBSFG5(36/70)調 AAS
歴史[編集]
1920年(大正9年)10月25日 - 鉄道省名寄線下川駅 - 上興部駅間延伸開通に伴い開業。一般駅。
1921年(大正10年)
3月25日 - 線路名を名寄西線に改称、それに伴い同線の駅となる。
10月5日 - 線路全通に伴い線路名を名寄線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1978年(昭和53年)12月1日 - 貨物取扱い廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備廃止、同時に無人化。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。>>3
474: 2016/10/28(金) 19:07:46.65 ID:CGOBSFG5(37/70)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。
国鉄時代末期に無人化されるまでは、相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた[1]。
駅舎側(南側)ホームが上りの1番線、対向側ホームが下りの2番線となっていた[>>1]。そのほか1983年(昭和58年)時点では、上り線名寄方から駅舎側に分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[1]。
475: 2016/10/28(金) 19:08:11.90 ID:CGOBSFG5(38/70)調 AAS
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた[>>1]。ホームの長さは50mであった[>>1]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地区名より[2]。地区名は、1903年(明治36年)に開削された仮定県道(現在の国道239号)が名寄川を渡る最上流の橋の名前に由来する。
476: 2016/10/28(金) 19:08:38.94 ID:CGOBSFG5(39/70)調 AAS
駅周辺[編集]
国道239号(下川国道)[>>3]
一ノ橋郵便局
郷土資料展示保存施設「札天山収蔵館」 - 旧一の橋小学校。
下川町立知的障害者更生施設「山びこ学園」
名寄川[3]
然別川[3]
札天山 - 駅の南。標高596m[>>3]。
名士バス「一の橋」停留所 - 駅名標が移設されている。
477: 2016/10/28(金) 19:09:58.90 ID:CGOBSFG5(40/70)調 AAS
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では集落のコミュニティセンターとなっていた[>>4]。2010年(平成22年)時点では駅の開業時に植樹された松が「夫婦松」と名付けられて「一ノ橋駅開業記念樹」として存在していた[>>5]。
2011年(平成23年)時点では駅跡の近くに上名寄駅と同様のレプリカの駅名標が設置されていた[>>6]。
コミュニティセンターにはゲートボール場や駐車場が併設されている。2012年11月には、コミュニティセンターに隣接して一の橋住民センターがオープンし、施設内へ郵便局が移転・入居した。[>>7]
478: 2016/10/28(金) 19:10:45.94 ID:CGOBSFG5(41/70)調 AAS
また、2011年(平成23年)時点では駅跡から遠軽方に向かってすぐの場所に、名寄川に架かっていた橋梁の橋台が残存していた[6]。
さらに上興部駅との間にある天北峠には国道のすぐ脇を通っていた切通しの線路跡が残存し[>>4][>>5]、保線小屋と思われる建物も倒壊しそうな状況ながら残存していた[>>6]。
森林鉄道
旭川営林局一の橋営林署(1942年までは下川出張所)の管轄として、一ノ橋駅に隣接したストックヤード(土場)を設置し、1952年(昭和27年)頃には総延長33kmの森林鉄道を有していた。
その後トラック輸送に切り替わり、1959年(昭和34年)の奥名寄森林鉄道の廃止をもって森林鉄道は全廃となった。
479: 2016/10/28(金) 19:11:12.24 ID:CGOBSFG5(42/70)調 AAS
1930年(昭和5年) 奥名寄森林鉄道(17km)竣工。土場設置。>>2
1935年(昭和10年) 然別森林鉄道(8.8km)竣工。
1949年(昭和24年) 奥名寄森林鉄道の延長支線かじか沢線(4.1km)竣工。>>6
1952年(昭和27年) 然別森林鉄道の支線茂珊瑠越線(2.5km)竣工。
1955年(昭和30年) - 1959年(昭和34年) 各線廃止、トラック輸送に切り替え。
480: 2016/10/28(金) 19:11:32.36 ID:CGOBSFG5(43/70)調 AAS
なお、1956年(昭和31年)時点での保有機関車は以下の通り。
蒸気機関車:8t雨宮製1台、8t市川製1台、10t市川製1台(いずれも昭和31年迄に使用中止)
ガソリン機関車:5tプリモス製2台(いずれも昭和28年迄に使用中止)
ディーゼル機関車:5tセントラル製1台、7t日野製1台
481: 2016/10/28(金) 19:13:38.13 ID:CGOBSFG5(44/70)調 AAS
上興部駅
上興部鉄道資料館(旧上興部駅舎、2009年11月)
かみおこっぺ - Kami-Okoppe
?一ノ橋 (11.0km)(6.3km) 西興部?
所在地 北海道紋別郡西興部村字上興部
北緯44度20分14秒
東経142度52分21秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 38.9km(名寄起点)
電報略号 カコ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1920年(大正9年)10月25日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
上興部駅に停車中の列車(1973年)>>1
482: 2016/10/28(金) 19:14:16.18 ID:CGOBSFG5(45/70)調 AAS
1978年の上興部駅と周囲約500m範囲。右が紋別方面。国鉄型配線の2面3線で、駅横の貨物積卸場へ引込み線、駅裏側に2本の副線とそこより紋別側に伸びる貨物の留置線がやはり2本ある。
副線から上へ向かって分岐しているのは、上興部石灰砿業所の専用線。
また駅裏名寄側には一ノ橋駅間にある天北峠越えの補機用機関車の待機線が残っていて、給水塔や転車台と共に蒸気機関車が放置されている様に見える。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
483: 2016/10/28(金) 19:14:45.16 ID:CGOBSFG5(46/70)調 AAS
上興部駅駅舎(ホーム側より撮影)(1989年3月)
上興部駅(かみおこっぺえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡西興部村字上興部にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
電報略号はカコ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
7 脚注
8 隣の駅
9 関連項目>>1-103
484: 2016/10/28(金) 19:15:32.63 ID:CGOBSFG5(47/70)調 AAS
歴史[編集]
1920年(大正9年)10月25日 - 鉄道省名寄線下川駅 - 当駅間延伸開通に伴い開業。一般駅。
1921年(大正10年)
3月25日 - 線路名を名寄西線に改称、それに伴い同線の駅となる。
10月5日 - 当駅 - 興部駅間延伸開通に伴い中間駅となる。線路全通に伴い線路名を名寄線に改称、それに伴い同線の駅となる。名寄機関庫上興部分庫設置。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1929年(昭和4年)11月14日 - 名寄機関庫上興部分庫廃止。
485: 2016/10/28(金) 19:15:51.20 ID:CGOBSFG5(48/70)調 AAS
1935年(昭和10年)4月 - 北海道庁直営の上興部石灰鉱業所操業開始に伴い、専用線運用開始[1]。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1978年(昭和53年)12月1日 - 貨物取扱を専用線発着車扱貨物に限定。
1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物取扱い廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。廃止当日まで、ここを終着とする名寄発の列車が運転されていた。
486: 2016/10/28(金) 19:16:43.19 ID:CGOBSFG5(49/70)調 AAS
駅構造[>>編集]
廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった[>>2]。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡した。
駅舎側単式ホーム(南側)が上りの1番線、待合所が設置された[>>3]島式ホーム駅舎側が下り及び当駅折り返し用の2番線、島式ホームの外側が下り貨物列車専用の副本線である3番線となっていた[>>2]。
487: 2016/10/28(金) 19:17:07.34 ID:CGOBSFG5(50/70)調 AAS
そのほか1983年(昭和58年)時点では、1番線の名寄方から分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、3番線の外側に貨物用であった側線を2線、
及びそこから分岐する行き止まりの側線を多数有していた[>>2]。
職員配置駅となっており、駅舎は構内の南側に位置し上り線ホーム中央部分に接していた[>>2]。
「わたしの旅スタンプ」が設置されていた[>>2]。
488: 2016/10/28(金) 19:17:49.87 ID:CGOBSFG5(51/70)調 AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、興部川の上流に位置したため[>>4]、「興部」に「上」を冠する。
駅周辺[編集]
国道239号(天北国道)[>>5]
上興部警察官駐在所
北海道農材工業株式会社上興部石灰砿業所
道の駅にしおこっぺ花夢(駅廃止後に建設)
知的障害者更生施設 清流の里(駅廃止後に建設)
興部川[>>5]
札骨川[>>5]
名士バス「上興部」停留所
489: 2016/10/28(金) 19:18:52.48 ID:CGOBSFG5(52/70)調 AAS
駅跡[>>編集]
旧駅構内は1994年(平成6年)5月1日から西興部村により「上興部鉄道記念館」として整備されている[>>6]。開業当時からの木造駅舎を現役当時のままに保存すると共に自由に見学出来る[>>7]
鉄道資料館とし、舎内には備品、蒸気機関車の動輪、軌道自転車、駅銘板、制服などが保存・展示され[>>6]、専用鉄道の歴史も伝えられている[>>7]。
レールとホームも保存され(但し2面3線から2面2線になっている)、旧2番線上に横付けする形でキハ27形気動車キハ27 109とDD14形除雪車DD14 302号機のロータリー式除雪機構部が連結された状態
490: 2016/10/28(金) 19:19:20.41 ID:CGOBSFG5(53/70)調 AAS
で静態保存・展示されている[>>6]。また腕木式信号機[>>6]、踏切警報機[>>7]も設置されている。2010年(平成22年)時点[>>8]、2011年(平成23年)時点でも同様で、
ホームには本物の駅名標も保存されていた[>>9]。
491: 2016/10/28(金) 19:20:14.52 ID:CGOBSFG5(54/70)調 AAS
西興部駅
西興部駅(1989年3月)
にしおこっぺ - Nishi-Okoppe
?上興部 (6.3km)(3.6km) 六興?
所在地 北海道紋別郡西興部村字西興部
北緯44度19分49秒
東経142度56分46.4秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 45.2km(名寄起点)
電報略号 コツ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1921年(大正10年)10月5日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示>>1
492: 2016/10/28(金) 19:20:42.50 ID:CGOBSFG5(55/70)調 AAS
1978年の西興部駅と周囲約500m範囲。右が紋別方面。相対式ホーム2面2線駅舎横に貨物ホームと引込み線、駅裏に副本線を持つ。副本線からは紋別側にある木工所の敷地前へ引込み線が伸びていた。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
西興部駅(にしおこっぺえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡西興部村字西興部にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
電報略号はコツ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。
493: 2016/10/28(金) 19:20:59.54 ID:CGOBSFG5(56/70)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
494: 2016/10/28(金) 19:22:12.74 ID:CGOBSFG5(57/70)調 AAS
歴史[>>編集]
1921年(大正10年)10月5日 - 鉄道省名寄線上興部駅 - 興部駅間延伸開通(名寄線全通)に伴い瀬戸牛駅(せとうしえき)として開業。一般駅。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1954年(昭和29年) - 駅舎改築[>>1]。
1955年(昭和30年)3月19日 - 木工所専用線敷設[>>1]。
1961年(昭和36年)3月20日 - 西興部駅に改称。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 無人化。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
495: 2016/10/28(金) 19:23:22.72 ID:CGOBSFG5(58/70)調 AAS
駅構造[>>編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した[>>2]。
そのほか1983年(昭和58年)時点では、名寄方から分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[>>2]。
かつては単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する列車交換可能な交換駅であった。
1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった島式ホーム側の線路は交換設備運用廃止後も旧本線、副本線共に側線として残っていた。
496: 2016/10/28(金) 19:23:54.01 ID:CGOBSFG5(59/70)調 AAS
転轍機は遠軽方、名寄方の両方向とも維持されていた[>>2]。また副本線の遠軽方から分岐した行き止まりの側線を1線有していた[>>2]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた[>>2]。
駅名の由来[>>編集]
当駅の所在する地名(村名)より。地名は、興部の西に位置するため[>>3]、「西」を冠する。
旧駅名の瀬戸牛(せとうし)は、アイヌ語の「セツ・ウシ・ナイ」(鳥の巣の多い沢)に由来する[>>3][>>4]。
497: 2016/10/28(金) 19:24:56.12 ID:CGOBSFG5(60/70)調 AAS
当線が延伸していた頃この地域は興部村に属し、七重(ななえ)と呼ばれていた。このため当駅名も当初は「七重」とする話があったが、既に函館方面に七飯駅があったため混乱するとの理由で、
地域内の局所的な地名であった「瀬戸牛」を採用して駅名とした。このため七重は瀬戸牛を名乗るようになった。大正14年1月にこの瀬戸牛を中心地として興部村から分村した際に村名を西興部村としたが、
当駅周辺の字名は瀬戸牛のままであったため駅名との乖離はなかった。ところが昭和20年頃の市街地改名で字名も西興部となったため問題となり、幾度か改名運動を行なったが、
498: 2016/10/28(金) 19:25:31.13 ID:CGOBSFG5(61/70)調 AAS
実を結んだのは16年後の昭和36年であった[>>5]。
駅周辺[>>編集]
国道239号(天北国道)[>>6]
西興部村役場
西興部郵便局
北見信用金庫西興部支店
オホーツクはまなす農業協同組合西興部支所
特別養護老人ホームにしおこっぺ興楽園
499: 2016/10/28(金) 19:25:49.13 ID:CGOBSFG5(62/70)調 AAS
村立西興部厚生診療所 - 駅廃止後に建設。
村立つくし保育所 - 駅廃止後に建設。
西興部村デイサービスセンター - 駅廃止後に建設。
ケアハウスせせらぎ - 駅廃止後に建設。
ホテル森夢 - 駅廃止後に建設。
紋別地区消防組合西興部支署
セイコーマート西興部店
西興部公園 - 駅から南に約1.2km[>>2]。
興楽園 - 駅から北に約1km[>>2]。純日本庭園。
興部川[>>6]
500: 2016/10/28(金) 19:26:14.19 ID:CGOBSFG5(63/70)調 AAS
ウエンシリ岳 - 駅の南。標高1,142m[>>2]。
瀬戸牛峠[>>6]
名士バス・西興部村営バス「西興部」停留所
駅跡[>>編集]
2000年(平成12年)時点では駅跡地に町が経営するリゾートホテルが建設され、線路跡地に沿って行政施設が並んでいた[>>7]。
2010年(平成22年)時点では複合施設として美術館などもあり[>>8]、2011年(平成23年)時点では診療所や保育所などもあった[>>9]。駅舎が建っていた場所は道路になっている。
501: 2016/10/28(金) 19:27:03.27 ID:CGOBSFG5(64/70)調 AAS
また、2000年(平成12年)時点では駅跡の名寄方に、興部川の支流瀬戸牛川に架かっていた「瀬戸牛川橋梁」[>>9]の鉄骨ガーダー橋が残存していた[>>7]。
2010年(平成22年)時点[>>8]、2011年(平成23年)時点も同様で、国道横に確認出来、レールは撤去されたが金網や枕木は残存していた[>>9]。
遠軽方には興部川の支流に架かっていた橋梁の橋台が2000年(平成12年)時点[>>7]、及び2010年(平成22年)時点には幾つか残存していた[>>8]。
2011年(平成23年)時点では橋梁の存在は確認出来なかった[>>9]。
502: 2016/10/28(金) 19:33:51.26 ID:CGOBSFG5(65/70)調 AAS
六興駅
■
ろっこう - Rokk?
?西興部 (3.6km)(3.4km) 中興部?
所在地 北海道紋別郡西興部村字六興
北緯44度21分22秒
東経142度57分57秒座標: 北緯44度21分22秒 東経142度57分57秒
所属路線 名寄本線
キロ程 48.8*km(名寄起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1959年(昭和34年)4月20日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
テンプレートを表示
503: 2016/10/28(金) 19:34:19.15 ID:CGOBSFG5(66/70)調 AAS
1978年の六興仮乗降場と周囲約500m範囲。上が紋別方面。紋別側に小さな踏切。踏切右横に小さな待合室。その下少し白く長い線が不明瞭ながら線路脇に確認できる。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
六興駅(ろっこうえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡西興部村字六興にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り2本上り3本(快速運転列車ほか)[1])。
504: 2016/10/28(金) 19:34:45.80 ID:CGOBSFG5(67/70)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
歴史[編集]
1959年(昭和34年)4月20日 - 日本国有鉄道名寄本線の六興仮乗降場(局設定)として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に駅に昇格。六興駅となる。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
505: 2016/10/28(金) 19:35:09.12 ID:CGOBSFG5(68/70)調 AAS
駅構造[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。 仮乗降場に出自を持つ無人駅となっていた。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地区名より[2]。地区名は、当駅附近を流れる興部川に架かる橋の名前に由来する。興部市街から川を遡って六番目に架橋されているために「六興橋」と名付けられた橋である[2]。
506: 2016/10/28(金) 19:35:28.01 ID:CGOBSFG5(69/70)調 AAS
駅周辺[編集]
国道239号(天北国道)[3]
六興地区集落センター
興部川[3]
名士バス「六興4線」停留所
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点で場所もわからなくなっていた[4]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[5]。
507: 2016/10/28(金) 19:37:09.21 ID:CGOBSFG5(70/70)調 AAS
宗谷本線名寄駅以北、名寄本線名寄駅〜六興駅はレス済
目的
このスレは、類似荒らしスレを1000レスさせない状態で建て続けた銃刀法違反逮捕者を矯正する目的で埋めています
508: 2016/10/28(金) 20:02:57.62 ID:66YxTANg(1)調 AAS
銃刀法違反者、昼過ぎからいなくなったな
509: 2016/10/28(金) 20:25:37.17 ID:v89/rV2+(1)調 AAS
また収監されたかな
510(1): 2016/10/28(金) 21:14:43.17 ID:EiAoAzuH(2/2)調 AAS
「ネズミの臭いはネズミが良く判る」って言葉があるように、ザマーは同類の連投厨の
いるスレには手を出せないと見る。
511(1): 2016/10/28(金) 23:18:41.79 ID:k3rew6E9(1)調 AAS
他のスレでは、名古屋と福岡を持ち上げて、札幌に大阪と神戸などの関西を叩いてるな
出身は名古屋とかなんだろうな
512: 2016/10/28(金) 23:39:43.27 ID:2tdzAiEX(1)調 AAS
>>511
出身は中京圏。
高度経済成長期、石炭需要の高まりによる高給につられて
北海道へやってきた、元炭鉱マンだったりして。
513: 2016/10/29(土) 20:56:04.70 ID:WqzV53fM(1/2)調 AAS
若月A作、コピペ中断中。
514(1): 2016/10/29(土) 23:51:31.64 ID:aiuWXCU4(1)調 AAS
体力と相談しながら
515: 2016/10/29(土) 23:53:33.61 ID:WqzV53fM(2/2)調 AAS
>>514
私にはあまり時間が残されていない、状態なんじゃないか?
516: 2016/10/30(日) 03:39:32.33 ID:eEJ7ft2f(1/3)調 AAS
(今日も親の自宅に引きこもって年金生活を満喫しながら)
「北海道の不幸な現実と北海道民叩きでメシがうまいwww」
HAT (若月A作76歳)
「いやあ〜親のスネかじって現実世界を無視して自宅に引きこもって北海道叩きしている時が最高だな〜
な〜 え!なぜかって?そらりゃこの2chの掲示板で自分の世界に引きこもり自分勝手な妄想をネタにした
荒らしをすることしか生きがいがないからねwww
え!働いた方がいい?そんなこと考えていないよ、年金生活だしそれに現実世界ではつらくて生きれないからねwww
517: 2016/10/30(日) 03:40:45.09 ID:eEJ7ft2f(2/3)調 AAS
(今日も親の自宅に引きこもって年金生活を満喫しながら)
「北海道の不幸な現実と北海道民叩きでメシがうまいwww」
HAT (若月A作76歳)
「いやあ〜親のスネかじり現実世界を無視して自宅に引きこもって北海道叩きしている時が最高だな〜
な〜 え!なぜかって?そらりゃこの2chの掲示板で自分の世界に引きこもり自分勝手な妄想をネタにした
荒らしをすることしか生きがいがないからねwww
え!働いた方がいい?そんなこと考えていないよ、年金生活だしそれに現実世界ではつらくて生きれないからねwww
518(1): 2016/10/30(日) 03:41:13.13 ID:eEJ7ft2f(3/3)調 AAS
(今日も親の自宅に引きこもって年金生活を満喫しながら)
「北海道の不幸な現実と北海道民叩きでメシがうまいwww」
HAT (若月A作76歳)
「いやあ〜親のスネかじって現実世界を無視して自宅に引きこもって北海道叩きしている時が最高だな〜
な〜 え!なぜかって?そらりゃこの2chの掲示板で自分の世界に引きこもり自分勝手な妄想をネタにした
荒らしをすることしか生きがいがないからねwww
え!働いた方がいい?そんなこと考えていないよ、年金生活だしそれに現実世界ではつらくて生きれないからねwww
519: 2016/10/30(日) 08:57:20.61 ID:rKAewALA(1/2)調 AAS
若月A作、コピペ中断中。
520(1): 2016/10/30(日) 17:08:44.74 ID:H4YCf8xN(1)調 AAS
>>518
もしザマーの親が生きてたら百歳いってんじゃない?もしかして隠蔽工作で死んだはずの親の年金も資金源とか、こわ。
521: 2016/10/30(日) 22:38:46.58 ID:rKAewALA(2/2)調 AAS
>>520
銃刀法違反容疑で捜査した過程で、既に死亡していた親の年金の不正受給が判明したとか?
522: 2016/10/31(月) 21:33:08.33 ID:cIsU6Bes(1)調 AAS
自作自演に命がけの負け犬、KC57こと馬力くんは玩具の模型スレでぴぃぴぃ喚いています
そんなに悔しいんですかね?w
ついに○射能で 馬力( 蒸機好き・D員)の頭がやられる2 [無断転載禁止]©2ch.net
2chスレ:gage
523: 2016/11/01(火) 01:11:06.22 ID:oQCu+zqr(1/475)調 AAS
静かになったな。
524: 2016/11/01(火) 18:11:23.66 ID:VAzuB+9Y(1)調 AAS
(今日も親の自宅で引きこもって無職生活を満喫しながら)
「北海道の不幸と北海道民叩きでの荒らしは愉快だなぁwww」
HAT
525: 2016/11/01(火) 18:37:52.38 ID:fxMc63L0(1)調 AAS
>>510
他人に連投されるとはじめのうちは対抗してコピペするんだよな。
それでも他人の連投が続くと気分が悪くなるのか、諦める。
526: 2016/11/01(火) 19:22:05.67 ID:oQCu+zqr(2/475)調 AAS
すまないが、
このスレは埋立させていただく。
527: 2016/11/01(火) 19:23:23.98 ID:oQCu+zqr(3/475)調 AAS
関連スレ
北海道新幹線は道央から作るべきだったのでは?
2chスレ:rail
528: 2016/11/01(火) 19:23:40.50 ID:oQCu+zqr(4/475)調 AAS
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2chスレ:rail
529: 2016/11/01(火) 19:23:59.92 ID:oQCu+zqr(5/475)調 AAS
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