王将社長射殺事件は中国マフィアの仕業=中華思想を持つ支那人を消去しよう!!Part2 (103レス)
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1: 普通以下の平凡な日本人 2014/07/06(日)15:26 ID:??? AAS
※餃子の王将社長射殺事件は中国マフィアの仕業=中華思想を持つ支那人を消去しよう!!
http://kohada.open2ch.net/4649/#3
を立てた人に“警告”が出たらしい。身の危険を感じさせる何かがあったのだろう。削除依頼にこのスレの削除依頼が出ている。
で、このスレが消える前に、私がその意思を引き継ごうと思う。

アジアが貧しいのは中華思想のせいである。王将フード大東社長射殺事件を契機として、中華思想と支那人の存在が害であることを論じ、彼らを消去して、真の平和と繁栄をアジアにもたらそう。
84
(1): 中華思想は東洋のナチズム 2014/07/13(日)20:02 ID:??? AAS
以上、>>82>>83
http://dadao.kt.fc2.com/fanzui05.htmからの引用
こんな支那人どもに、日本を非難する資格があるのか
絶対ない!
現在を見過ごし、昔の話を針小棒大に騒ぐ奴らが支那人だ
私が中華思想と支那人を糾弾するのは、一刻も早く日本人一人一人が日本人としての誇りを取り戻し、アジアで果たすべき役割を、誇りを持って果たしたいからである
今の日本人に必要不可欠なものは「日本人としての誇り」だ
そしてそれは、アジアで果たすべき役割を果たそうとすることで実感し、日本人同士がその誇りを共有できることで、にほんが一つになれる
そう考えているからです
85
(1): 中華思想は東洋のナチズム 2014/07/14(月)23:28 ID:??? AAS
今回は、法輪功学習者に対する残虐行為を紹介する。
■中国最大のタブー
 最近は大手マスコミで法輪功に関する報道をほとんど見かけなくなった。一方でインターネットや雑誌では法輪功や大紀元時報を取り上げる機会は増えている。当サイトの「中国のタブー度」でも指摘しているように、法輪功問題は現在中国最大のタブーである。大手マスコミは毒入り食品問題は積極的に取り上げるが、法輪功問題となると中国政府からの圧力を恐れて完全に縮み上がっている。マスコミとしての責務を完全に放棄しているのである。
■中国でも公認されていた法輪功
 法輪功が公に活動するようになったのは1992年5月から、李洪志が中国吉林省で最初の講法を行ったのがきっかけである。92年12月に法輪功は東方健康博覧会に参加、93年12月にも東方博覧会に参加し、このときは博覧会の最高奨を受賞している。当初は中国政府にもその健康効果が認められ、瞬く間に中国じゅうに広まり、学習者の数は1999年までに中国全土で7千万人、全世界で1億人にまで広がったという。7千万人というと超巨大組織のように思えるが、そもそも法輪功は明確な組織体系を持っておらず(全くないとは言い切れないだろうが)、入会手続きも会費の支払いも不要、ただ単に定期的に公園や広場で行われている修練場所に参加するだけである。中国の中高年層では気孔は普通に行われていることであり、中国で7千万人が参加したといってもそれほど異常というわけでもない。
■江沢民が激怒
 初めて法輪功に対する批判的言論が行われたのは1996年6月の光明日報である。だがその当時はメディアで時々批判的言論が取り上げられる程度で、依然として学習者の数は増え続けていった。本格的な弾圧が始まるのは99年からである。1999年4月11日に天津教育学院が発行する『青少年博覧』誌が法輪功のことを「学習者は精神病をきたす」「義和団のような亡国団体」と批判、これに対し18日から24日にかけて法輪功学習者は天津教育学院前で抗議行動を行い、該当する記事の削除を求めた。24日、天津市公安局は45人の法輪功学習者を逮捕した。
 そして4月25日、法輪功学習者1万人が天安門広場に集結し、中央政府に対し不当な弾圧をやめるよう平和的な抗議行動を起こしたのであった。時の首相朱容基は法輪功学習者の訴えに理解を示し、今後の法輪功の活動も認める方針であったという。だが共産党員を上回る7千万人に広まっていた法輪功にかねてから脅威と嫉妬を感じていた江沢民は1万人の抗議行動に激怒、法輪功を徹底的に弾圧する命令を下した。
■本格的な弾圧が始まる
 1999年6月10日、法輪功を弾圧する専門機関610オフィスが設立された。中国のいかなる法律、憲法をも凌駕する特務機関である。
省2
86: 中華思想は東洋のナチズム 2014/07/14(月)23:29 ID:??? AAS
>>85に続く
■迫害、拷問の実態
 中国当局に拘束された法輪功学習者には、とても21世紀の文明社会とは思えないような残虐な拷問が待ち構えている。
吉林省出身の女性Lさんは収容所で目撃した、そして自らが経験した拷問を生々しく語っている。学習者の潘剛さんは看守によって棍棒で足殴られ、楊立東さんは棍棒で頭を殴られ大量出血してしまった。ハンストをしている趙西順さんと潘剛さんに対し、看守は棍棒で彼らの前歯を叩き折った。肖錦春さんは電撃棒で電撃拷問を受け、死亡した。Lさんがいた収容所ではほかにも鉄の鞭で打つ、靴で顔をめちゃくちゃに蹴るなどなどの拷問が行われていた。薛保平さんは数人の看守によって体を固定され、電気棒を直腸に差し込むという拷問を1時間にわたって受けた。Lさん自身も電気棒によって繰り返し拷問を受け、消化器官が麻痺しまともに食事もできない状態となった。幸いLさんは労働強制所から釈放され、健康状態も幾分回復したため、自らの拷問経験を語ることが可能となった。
2001年12月、山東省で法輪功真相の資料を配っていた孫秀彩さんが、警察に拘束され、そこでゴム棒で滅茶苦茶に殴られ、さらに拘留所に送られてリンチを加えられ、危篤状態に陥った。やむなく釈放されたものの、2002年1月上旬に孫秀彩さんは自宅でこの世を去った。
 河北省では2001年11月、宋興国氏が警察により自宅から強制連行され、石家庄留置所へ送られ監禁された。入所してからというもの、迫害に対し絶食することで抗議を行った。監禁され丸一年が経過し、非常に衰弱していたにもかかわらず、石家庄留置所は彼をさらに自宅から遠く離れた邯鄲労働矯正所へ移送した。宋氏が息も絶え絶えとなった時に、邯鄲市労働矯正所の警官は、構うことなく乱暴に口や鼻から、食物を強引に詰め込み虐待した。その11日後に宋氏は死亡した。邯鄲市労働矯正所は、監禁している法輪功学習者に対し凄まじい拷問を行っている。例えば、針を爪と指の間に差し込む、棍棒で殴打する、寒い雪の中に立たせる、更に学習者の片足を切断する事さえもある。56歳の法輪功学習者任盂軍氏は、邯鄲市労働矯正所で8ヶ月もの間酷刑による虐待を受け、両耳は聞こえなくなり、尻及び両腿は鬱血して黒紫色を呈し、内臓は酷く傷つけられ、血尿と血便が出るようになり、2001年10月29日に死亡した。
 瀋陽市魯迅美術大学に勤務していた高蓉蓉さんは2003年7月に竜山強制労働収容所に送り込まれ、収容所で看守に殴打されるなどの虐待を受けていた。2004年5月7日高蓉蓉さんは、7時間に亘ってスタンガンで拷問を受けた。彼女は顔、頭、眼に火傷を負わされ、顔が腫れ形も変わった。彼女の顔は水泡に覆われ、髪の毛も膿と血にまみれた。高さんは、この拷問から脱出したい一心で、二階の事務室の窓から飛び下り、結局骨盤、もも、足を骨折した。彼女がこの傷害で入院したことで、彼女の顔、首、体にある傷の写真を入手できたのである。
拘束される前の高蓉蓉さん スタンガンで拷問された高蓉蓉さんの顔
 黒竜江省出身の徐紅梅さん(左)と沈子力さんは、2007年1月13日に不当に逮捕された。二人は警察によって一週間にわたる残酷な殴打及び拷問の後、体が震えて血を吐き、痛みながら死亡した。徐さんは午後4時30分、沈さんは午後8時50分に死亡し。この二人の女性の体には強打の跡や打撲傷で全身が覆われていた。
徐さんは五日間の虐待の間、両手にかけられた手錠だけで空中に吊り上げられていた。時には彼女の腕を背中に回した後で手錠をかけ、そのまま吊り上げるということもあり、彼女は極度な苦痛を受けた。徐さんは一時、体を大の字形にされて金属かごに閉じ込められていたという。徐さんが苦痛によって意識不明になると、警察は彼女を冷水に浸し、拷問を続けていた。
省3
87: 中華思想は東洋のナチズム 2014/07/14(月)23:38 ID:??? AAS
>>84を再掲
こんな支那人どもに、日本を非難する資格があるのか
絶対ない!
現在を見過ごし、昔の話を針小棒大に騒ぐ奴らが支那人だ
私が中華思想と支那人を糾弾するのは、一刻も早く日本人一人一人が日本人としての誇りを取り戻し、アジアで果たすべき役割を、誇りを持って果たしたいからである
今の日本人に必要不可欠なものは「日本人としての誇り」だ
そしてそれは、アジアで果たすべき役割を果たそうとすることで実感し、日本人同士がその誇りを共有できることで、日本という国が一つになれる
そう考えているからです
88
(1): 中華思想は東洋のナチズム 2014/07/16(水)15:38 ID:??? AAS
今回は、ダルフール紛争での虐殺支援を紹介します
■はじめに
 多くの日本人にとって、ダルフールという名称など聞いたことさえないかもしれない。イラクやパレスチナ情勢は頻繁に伝える日本マスゴミだが、今世界でもっとも悲劇的な地域であるダルフールについては意図的で悪質な隠蔽工作を行っているとしか思えない。新聞には時々取り上げられるようだが、テレビはほとんどが無視といった状態だ。当サイトをご覧になっている方は、スーダンで行われている民族虐殺で、背後に中国共産党が控えていることをご存知の方も多いと思う。
■スーダンについて
 まずはスーダンという国について説明することとしたい。スーダンはアフリカ最大の250万平方キロメートルの面積を誇り、世界でも第10位でチベットよりも広大だ。人口は約3600万人で世界第30位、台湾の1.5倍に達する。1956年にイギリスから独立、首都はハルツーム。民族構成はアラブ人が75%を占め、アラブ連盟加盟国でもある。アラブ人というとイラクやレバノンのようにコーカソイド系(注1)の顔立ちをイメージしがちだが、スーダンのアラブ人は概ね黒人である。その他にアフリカ系の黒人が25%となっている。宗教はイスラム教スンニー派が75%、キリスト教10%、その他の部族宗教が15%となっている。長期間続いた内戦と経済制裁により、経済は長らく疲弊していたが、90年代後半以降中国の援助や投資が拡大し、近年は経済が拡大傾向にあるものの、外務省の資料によると一人当たりGDPは470ドル程度で依然として世界最貧国の水準にある。The Fund of Peaceが発表している失敗国家ランキングでは堂々の1位である。
政治的にも悪いニュースが多く、アメリカから指定されているテロ支援国家のひとつであり、アメリカのマスコミが選ぶ世界の独裁者ランキングでバシール大統領は金正日と毎年首位を争っている。1998年にケニアとタンザニアのアメリカ大使館が爆破された直後、アメリカが報復として、アフガニスタン(当時はタリバンの全盛期)とスーダンの化学工場を空爆している(これに対しスーダン政府は化学工場ではなく薬品工場であると主張。西側マスコミの客観的な分析でも、アメリカの誤解であった可能性が高いと見られている)
■ダルフール紛争
 それではいよいよダルフール紛争の概略を述べることとしたい。スーダンは独立から6年後の1962年、政府軍と南部の非アラブ系との間で内戦が勃発、1972年に一旦停戦となったが、1983年に再び内戦が再開し、2002年にようやく休戦となった。
 だが2003年に再び紛争が激化。2003年以降の紛争の首謀者となったのはジャンジャウィードと呼ばれるアラブ系の民兵組織である。ジャンジャウィードという語には「武装した騎兵」という意味があるそうだ。非アラブ系の村を集中的に襲撃。虐殺、略奪、強姦が次々と行われた。
被害者の証言によると、攻撃はだいたいいつも夜明けに国軍のヘリコプターによる空襲からはじまり、村は住民が戻ってこないように焼き尽くされる。そしてジャンジャウィードが突入し、住民の財産である家畜を盗まれ、道路は封鎖され、逃げることも出来やしない。井戸の水を汚染するために死体を井戸に落とされた上、証拠隠滅のために砂で埋められる。さらに攻撃手段として女性たちがレイプされる。母親が家族の目の前でレイプされたりすることもある。
省3
89
(1): 中華思想は東洋のナチズム 2014/07/16(水)15:39 ID:??? AAS
>>88の続き
■中国共産党の関与
 この21世紀最悪の悲劇に関して、今やスーダン政府と同じぐらい国際的非難を浴びているのが中国である。中国がダルフール紛争にどのように関与してきたのか。3月28日にウォールストリート・ジャーナルに発表された共和党のウルフ議員の論文がうまくまとめられている。ウルフ議員は、「中国政府は虐殺の実行者であるスーダン政府を全面的に支援してきた」として中国政府を激しく非難。具体的に以下の4点を挙げている。
(1)中国政府は国有の中国石油を通じてスーダンの石油の大部分を買い、スーダンの石油生産企業集団2つの最大株主となっている
(2)スーダン政府は中国との石油取引からの収入の80%以上を虐殺を実行するアラブ人の民兵組織「ジャンジャウィード」用の兵器購入にあてている。
(3)同民兵組織やスーダン政府軍が使う爆撃機、攻撃用ヘリ、装甲車、小火器などの兵器はほとんどが中国製。
(4)中国は米英両国が推進する国連平和維持軍のダルフール派遣に一貫して反対してきた。
具体的に検討するとしよう。まず(1)についてだが、中国政府がダルフール虐殺を支援する理由がここにある。中国政府の目的は石油である。今や原油の50%を輸入に頼り、世界最大の石油輸入国となった中国は世界中で石油を貪ろうと血眼になっている。中国の石油消費量は毎年30%の勢いで増え続け、原油価格高騰の一員ともなっている。原油獲得のために、スーダン政府およびジャンジャウィードによる民族浄化を黙認するどころか、積極的に支援してさえいるのである。
 続いて(2)と(3)はきわめて重要である。虐殺をするには当然武器が必要であり、武器を調達するには金も必要である。中国政府は民族浄化のための資金と武器を援助しているのである。スーダン政府の資料によると中国は2005年、2400万ドル相当の武器・弾薬、5700万ドル相当の部品と航空機器、そして200万ドル相当のヘリコプターと航空機をスーダン政府に輸出している。中国の支援がなければ虐殺はより小規模なものとなったはずだ。そして(4)。国際社会とてダルフールの惨状を完全に見て見ぬふりをしているわけではない。スーダンに対する経済制裁や国連平和維持軍の派遣を検討しているものの、中国の拒否権によって阻まれているのだ。
■国際社会からの非難
省5
90: 中華思想は東洋のナチズム 2014/07/16(水)15:40 ID:??? AAS
>>89の続き
■頼りない日本
 さて日本はというと、小泉政権時代に18億円の人道援助を行い、2005年5月には民主党の岡田克也代表がダルフールの難民キャンプを視察。今年6月25日にパリで行われたダルフール地方の紛争解決を支援する閣僚級の国際会議にも参加するなど、何もしていないわけではないが、消極的な印象は否めない。問題の元凶である中国政府をもっと正面から非難すべきであろう。
 日本政府以上に頼りないのがマスゴミである。新聞はそれなりに取り上げているみたいだからまあいいとしても、テレビはダルフール問題を悪質なまでに隠蔽しているとしか思えない。中東情勢でもアフガニスタンやイラクやレバノンやパレスチナについては積極的に取り上げるが、ダルフールについて取り上げると、どうしてもマスゴミの大好きな中国共産党の悪徳行為にたどり着く為、意図的に隠蔽しているのであろう。当分日本マスゴミには何も期待できそうになり。われわれが微力ながらもアピールしていくしかないであろう。
注1 コーカソイドとは強いて日本語に訳せば「白人」ということになるが、厳密に言えば欧米の白人のほか、西アジア及び南アジアの人々の大半もコーカソイドに含まれる。
91: 中華思想は東洋のナチズム 2014/07/16(水)15:49 ID:??? AAS
以上はhttp://dadao.kt.fc2.com/fanzui01.htmからの引用である
実は、上記の文は「ダルフール」を「アフリカ各国」と置き換えて読むべきものである
すなわち、ここ数十年にわたって、アフリカは支那の植民地になってしまっているのである
これは今後も続くであろう
現に、支那企業が独裁政権との縁を利用して、すでに経済侵略を始めている 
詳細はまたの機会にするが、支那は、道具は日本から、資源はアフリカから調達して、“世界の工場”として発展してきた
92: 中華思想は東洋のナチズム 2014/07/16(水)15:57 ID:??? AAS
しかし、それで支那人は幸福になったかというと決してそうではない
国内は公害、汚職にまみれ、人権侵害、財産の喪失、過酷な労働環境と低賃金など、現実は幸福とは無縁と言っていい
現に、あまりのひどさに、日本を含めて国外に脱出する支那人が後を絶たないという
低所得労働者でも、日本にいる方が支那にいるよりずっとマシなのであろう
93: 不戦の誓は非現実的なデタラメ 2014/08/02(土)19:38 ID:??? AAS
東條英機は「軍国主義の象徴」のように言われているが、
東條が総理になったとき、
戦争を回避しようと懸命だったことをどう説明する?

むしろ、戦争回避を考えていた東條を「腰抜け」「売国奴」呼ばわりしたのは、
他でもない日本国民だったのだ。
そんなことも知らないで、東條元総理を罵倒するのはバカ丸出しだ。
だから日本人は世界中からなめられるのだ。
文句ありますか?

(補足)
ちなみに大東亜戦争はアメリカのルーズベルトによる挑発が原因だ。
省23
94: 不戦の誓は非現実的なデタラメ 2014/08/02(土)20:01 ID:??? AAS
http://www6.plala.or.jp/mwmw/kotoba.htmlより引用その1
ラダビノード・パール(1886〜1967年)。現在、どれほど多くの日本人がこの恩人の名をご記憶だろうか。

 東京裁判(1946〜1948年)で、日本は満州事変(1931年)から盧溝橋事件(1937年)を経て日中戦争に突入し、日米開戦(1941年)、そして終戦に到るまでのプロセスを「侵略戦争」と判定され、この「侵略戦争」を計画し、準備し、開始し、遂行したことは、「平和に対する罪」に当たるとして東條英機ら7人の絞首刑が遂行された。

 パール判事は、この東京裁判で日本が国際法に照らして無罪であることを終始主張し続けてくれたインド人判事である。田中正明著『パール博士の日本無罪論』によれば、同判事は日本の教科書が東京裁判史観に立って「日本は侵略の暴挙を犯した」「日本は国際的な犯罪を犯した」などと教えていることを大変に憂えて「日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負って卑屈、頽廃に流されて行くのをわたくしは平然と見過ごすわけにはいかない。」とまでいって励ましてくれたのである。

 日本が敗戦で呆然自失し、思想的にも文化的にも、日本人のアイデンティティーを失っていた時代に、パール判事の言葉はどれだけ日本人に勇気と希望を与えてくれたことか。わたしたちは決してこの恩義を忘れてはなるまい。
95: 不戦の誓は非現実的なデタラメ 2014/08/02(土)20:05 ID:??? AAS
その2
あまりに卑屈化した日本
 帝国ホテルにおいて『パール博士歓迎委員会』主催の歓迎レセプションが開かれた。この席上、ある弁護士が「わが国に対するパール博士の御同情ある判決に対して、深甚なる感謝の意を表したい。」という意味で謝辞を述べた。すかさず博士は発言を求めて起ちあがり、
 「わたくしが日本に同情ある判決を下したというのは大きな誤解である。わたくしは日本の同情者として判決したのでもなく、またこれを裁いた欧米等の反対者として裁定を下したのでもない。真実を真実として認め、法の真理を適用したまでである。それ以上のものでも、それ以下のものでもない。誤解しないでいただきたい。」と述べられた。
 この博士の高い見識に、列席者一同は益々畏敬の念を深くした。

 博士はこの席上でも、また東京、大阪の弁護士協会や広島高裁での講演においても、日本の法曹界はじめマスコミも評論家も、なぜ東京裁判やアジア各地で執行された戦犯裁判の不法、不当性に対して沈黙しているのか。占領下にあってやむを得ないとしても、主権を回復し独立した以上この問題を俎上にのせてなぜ堂々と論争しないのか、と問題を提起し、奮起を促した。

 博士によれば、「いまや英・米・仏・独など世界の法学者の間で、東京とニュルンベルクの軍事裁判が、果して正当か否かという激しい論争や反省が展開されている。げんに英国法曹界の長老ロード・ハンキーは<パール判事の無罪論こそ正論である>として『戦犯裁判の錯誤』と題する著書まで出版している。しかるに直接の被害国であり、げんに同胞が戦犯として牢獄に苦悶している日本においてこの重大な国際問題のソッポに向いているのはどうしたことか。なぜ進んでこの論争に加わらないのか。なぜ堂々と国際正義を樹立しようとしないのか・・・」と憤慨されるのである。

 博士は日本に来てみて、日本の評論家やジャーナリストや法律家が、東京裁判に対する本質的な論争、ないしは戦犯の法的根拠、東京裁判で裁いた「平和に対する罪」「人道に対する罪」が国際法とどう関連するのか、日本に侵略的意図があったかなかったか・・・。そうした問題について、あまりにも無関心、もしくは不勉強であると同時に、義憤さえ覚えられたらしい。その義憤は日本人の真理探究、マハトマ・ガンジーのいう《真理把持》の精神に欠けている点に対してである。長いものにはまかれろ、強いものには屈服せよという事大主義のしみったれた根性に対する義憤である。

 博士によると「日本の外務省は、わざわざごていねいに英文パンフレットまで出して、日本の《罪悪》を謝罪し、極東軍事裁判(東京裁判)の御礼まで述べている。東洋的謙譲の美徳もここまでくると情けなくなる。なぜ正しいことは正しいといえないのか、間違っていることをどうして間違っていると指摘できないのか。」と、博士は嘆かれるのである。
96: 不戦の誓は非現実的なデタラメ 2014/08/02(土)20:06 ID:??? AAS
その3
子孫のため、歴史を明確に正せ
   1952年11月6日、博士は広島高裁における歓迎レセプションに臨まれて、「子孫のため歴史を明確にせよ」と次のように述べられた。
 「1950年のイギリスの国際情報調査局の発表によると、『東京裁判の判決は結論だけで理由も証拠もない』と書いてある。ニュルンベルクにおいては、裁判が終わって三か月目に裁判の全貌を明らかにし、判決理由とその内容を発表した。しかるに東京裁判は、判決が終わって4年になるのにその発表がない。他の判事は全部有罪と判定し、わたくし一人が無罪と判定した。わたくしはその無罪の理由と証拠を微細に説明した。しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠も何ら明確にしていない。おそらく明確にできないのではないか。だから東京裁判の判決の全貌はいまだに発表されていない。これでは感情によって裁いたといわれても何ら抗弁できまい。」

 このように述べた後、博士はいちだんと語気を強めて、
 「要するに彼等(欧米)は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって自らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し罪の意識を日本人の心に植えつけることが目的であったに違いがない。東京裁判の全貌が明らかにされぬ以上、後世の史家はいずれが真なりや迷うであろう。歴史を明確にする時が来た。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはならぬ。・・・これが諸君の子孫に負うところの義務である。

 「わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争勃発にいたる事実の歴史を、どうかわたくしの判決文を通して充分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されてゆくのを、わたくしは見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の偽瞞を払拭せよ。誤れた歴史は書きかえられねばならない。」

 博士は、慈愛と情熱を込めて切々と訴えられるのである。

 パール博士は東京弁護士会においても多数の法律家を前にして講演された。いうまでもなく、博士は極東国際軍事裁判を根本的に否定している。それは戦勝国が復讐の欲望を満足させるために国際法を無視し、司法と立法を混合してマッカーサーが法を制定し、法の不遡及まで犯した一方的な軍事裁判だったからである。ここでも博士は次のように述べている
省1
97: 不戦の誓は非現実的なデタラメ 2014/08/02(土)20:08 ID:??? AAS
その4
戦犯家族と遺族へのいたわり
 1952年11月7日、わたくしたち一行が福岡に到着すると、BC級戦犯者の家族が60名ほど福岡消防館で博士を待っていた。
 深い悲しみにつつまれた家族たちを前に、パール博士は沈痛な表情でこう述べた。
 「戦犯といわれるが、決して犯罪者ではありません。全員無罪です。何も罪とがを犯したのではないのです。恥ずべきことはひとつもありません。世界の人たちも、戦争裁判が間違っていたことを少しづづ分かり始めたようです。しかし、わたくしは、今さらながら自分の無力を悲しみます。ただご同情申しあげるだけで、わたくしには何もできません。・・・けれど戦犯釈放にはできるだけ努めます。これ以上、罪のない愛する者同士を引き離しておくわけにはいきません。・・・わたくしは倒れそうです。・・・許してください。」受刑家族の苦悩を苦悩とする博士は、言葉も途切れがちに、ようやくこれだけ述べて合掌するのみであった。

 戦犯の無罪を確信し、この暴挙に憤りをもつ博士は、受刑家族を目のあたりに見て、深い責任感-自ら犯した過ちの如く- 責められる気持ちであったのだろう。「自分の無力を悲しむ・・・許してください」といって涙し、そして嗚咽する家族の中に歩みよって、家族の一人一人の肩にやさしく手をおいた。

 若いお母さんに連れられた水兵服の4才の遺児(父親は陸軍参謀中尉・重労働30年)を抱きかかえて頬ずりする。博士の目からは大粒の涙がこぼれている。元九州大学助教授の鳥巣太郎氏(九大事件で刑期10年)の夫人の肩をやさしく抱いて「泣かないで・・・泣かないで・・・」といたわりながら自分も泣いている博士である。

 本当に博士は倒れそうな心のささえを、合掌によってささえているようであった。

 東京へ帰ると博士は、巣鴨プリズンを慰問された。巣鴨にはA級戦犯とBC級戦犯あわせて130名ほど留置されていた。博士は一部屋ごとに声をかけられ慰めかつ励まされた。当局もインド代表判事ということで、BC級戦犯全員を廊下に整列せしめた。博士は「皆さんには何の罪もない。講和条約も終わった。講和条約が終われば、当然皆さんは釈放されるはずです。あとは手続きの問題だけです。それが国際法の定めるところです。どうかそれまで健康に留意してください。」と励ました。
省1
98: 不戦の誓は非現実的なデタラメ 2014/08/02(土)20:08 ID:??? AAS
その5
板垣征四郎元大将未亡人喜久子夫人は博士を帝国ホテルに訪ねてきた。博士は夫人の手をとって迎え、「板垣さんはわたくしの座席の真正面でした。」と博士がいうと、
 「はい、いつもパール先生がまっ先に正面にあらわれて、被告席に向かって合掌されるので、とても印象が深かったと、主人は死ぬまで申していました。」
 夫人はそういって二枚の色紙をとり出した。それには次の二首の短歌が染筆されていた。

  ふたとせにあまるさばきの庭のうち
   このひとふみを見るぞとうとき

  すぐれたる人のふみ見て思ふかな
   やみ夜を照らす灯のごと

 《ひとふみ》とは、博士が判決した全員無罪の要旨を弁護人から聴いた時の感慨である。ナイル君が英訳して伝えると、「そうでしたか・・・」と目をうるませながらこまごまと夫人をねぎらった。

 この夜、廣田弘毅元首相のお嬢さんと、東郷茂徳元外相の夫人が訪ねてきた。この時も博士は懇切に二人を慰めた。
省2
99: 不戦の誓は非現実的なデタラメ 2014/08/02(土)20:10 ID:??? AAS
その6
興亜観音に参詣
 箱根の秋を観光して熱海ホテルに一泊した時、博士は伊豆山の《興亜観音》にお詣りしたいといいだした。山麓には松井大将の未亡人がわび住まいしている。その未亡人を見舞いたいという気持ちである。
 興亜観音というのは、中支派遣軍総司令官松井石根大将が一念発起して建てた、日支両軍の英霊を祀った観音堂である。大将の《縁起書》によると、「支那事変ハ友隣相撃チテ莫大ノ生命ヲ喪滅ス 実ニ千歳ノ非惨事ナリ 然リト雖 是レ所謂東亜民族救済ノ聖戦ナリ 惟フニ・・・真ニ興亜ノ礎タラントスルノ意ニデタルモノナリ・‥」というので《興亜観音》と名づけ、南京や大場鎮の両軍の血に染めた土を取り寄せ、観音像を創って祭祀した御堂である。大将みずから縁起書を手に布施を乞うて歩かれ、2年半の日子をついやして建立した観音堂である。

 大将はこの鳴沢山の山麓に庵を結んで、《無畏庵》と名づけ、読経三昧の堂守生活に入った。戦犯の汚名をきせられて大将が処刑された後は、文子未亡人と久江嬢の二人が、養鶏をなりわいに寂しく暮らしていた。博士は突然ここを訪れて二人を驚かした。博士は大将の霊に祈りをささげた後二人を慰め、励ました。

 鳴沢山は急峻で、観音堂までは約2キロある。下中弥三郎翁は「とても」といって断念したが、博士は何でも登るという。中谷先生とナイル君とわたくしの三人が随行した。無住と思っていた御堂の中から読経の声が聞こえる。格子戸を叩くと、今まで読経した僧侶(伊丹忍礼師)が、けげんな顔で「どなたですか」と聞く。「東京裁判のパール判事がわざわざこの山に登って来られたのだ。」と答えると僧侶は膝を叩いて、
 「さてもさても奇縁と申そうか、み仏の手引きと申そうか、月こそかわれ今日は23日、松井大将が絞首台に立たれた命日です。」といって奇縁に驚いた。 
 博士も「大将の霊が導いたのでしょう。インドではうしたことを《マヤ》といいます。」といわれた。そして、博士はアジアの独立・解放の悲願に立つ観音像と七人の遺骨が眠る「七士之碑」(吉田茂揮毫)、それに隣した「BC級戦犯殉国刑死1086霊位」の碑に、それぞれ花香を手向け敬けんな祈りを捧げられた。
100: 不戦の誓は非現実的なデタラメ 2014/08/02(土)20:18 ID:??? AAS
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1941-50/1948_paru_hanketsusho.htmlより引用
パール判決書(反対意見書)
パール判決書の中の日本人が覚えておくべき重要コメント:

「戦勝国が敗戦国の指導者たちを捕らえて、自分たちに対して戦争をしたことは犯罪であると称し、彼らを処刑しようとするのは、歴史の針を数世紀逆戻りさせる非文明的行為である」
「この裁判は文明国の法律に含まれる貴い諸原則を完全に無視した不法行為である」
「ただ勝者であるという理由だけで、敗者を裁くことはできない」
「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においてはこの原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の(無差別殺人の)指令、およぴ第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものである」

博士はその判決文の最後を次の言葉で結んでいる。「時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう。」
101: 不戦の誓は非現実的なデタラメ 2014/08/02(土)20:22 ID:??? AAS
パール判決書の要約に、田中正明氏の解説を加えた本が、日本の占領が解除された昭和27年4月28日に出版された。
「日本無罪論-真理の裁き」
占領下では出版を禁じられていたパール判決書の出版準備をひそかにすすめ、占領解除の当日に発行したのだった。しかし、この時点で、「日本無罪論」という題名に猛反発する反日日本人が現れていた。
その後、昭和41年に講談社学術文庫から「共同研究パール判決書」が出版されたが、これは反日団体が出版したいかがわしい本である。本文の前に文庫版で200ページも余計なもの「解説」が付け加え、パール判決書の真意を理解させないようにしている(パール博士は日本無罪論を唱えていないなどと主張している)。現在、パール判決書の全文を読むにはこの「共同研究パール判決書」の文庫版しかなかったが、近年「パール真論(小林よしのり著)」が出版され、パール判決書の真意が理解できるようになった。

「日本無罪論-真理の裁き」が出版される前に、すでに欧米の法曹界・言論界において、このパール判事の「少数意見」が非常な波紋を呼んでいた。
102: 不戦の誓は非現実的なデタラメ 2014/08/02(土)20:25 ID:??? AAS
以上、私たち日本人が終戦記念日にまずするべきことは、日本人としての誇りを取り戻すことだ。
103: 2014/09/15(月)21:41 ID:??? AAS
中国人の入国を規制すべきだ。
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