[過去ログ] ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ3 (1002レス)
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781
(1): 132人目の素数さん [] 2023/05/05(金)21:09 ID:WIXSdjE7(4/5)
>>780 余談

ふと見つけた 小沢 登高氏の”わらしべ”物語
”たった一人になったおかげで、死にもの狂いの努力ができた。 修士論文も書けた。 Texasに来るときはPisierに何か課題を与えてもらおうとか進路を 指導してもらおうとか考えていたのだが、 今になって振り返れば、そうならなくて本当に良かった”
か。でも、実力もあるんだ当然、きっとね

https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~narutaka/rireki.html
小沢 登高 履歴書(非公式版)

1997年4月 東京大学大学院数理科学研究科修士課程入学
河東先生と泉先生の指導の下、作用素環を学んだ。 ひょんなことからマイナー分野であった作用素空間論の勉強を始める。 夏休みはWassermann講義録やKirchberg論文などを読む。 この年の秋に河東先生に薦められて、 作用素空間論の専門家であるテキサス農工大学(以下、TAMU)のPisierのもとに 留学することを決意。

1998年7月1日 Texas到着
7月中旬のワークショップでPisierに会ったが、 彼は8月になるとなぜかParisへ帰って行ってしまった。
驚いて彼から以前もらった電子メイルたちを調べたところ、 秋はParisにいるから私の面倒は見られないとハッキリ書いてあった。 英語で書いてあったので、それまで読まなかったのだ。 それから五ヶ月間ほとんどまったく他人と話さなかった。 たった一人になったおかげで、死にもの狂いの努力ができた。 修士論文も書けた。 Texasに来るときはPisierに何か課題を与えてもらおうとか進路を 指導してもらおうとか考えていたのだが、 今になって振り返れば、そうならなくて本当に良かった。 一年間住んだアパートはむやみにでかかった。 自家用車も公共交通もなく、人とも付き合わなかったので、 生活にはいろいろ不便した。 特に空港まで行くのには難渋した。

つづく
782
(2): 132人目の素数さん [] 2023/05/05(金)21:10 ID:WIXSdjE7(5/5)
>>781
つづき

1999年3月 修士(数理科学)取得
1999年4月 日本学術振興会特別研究員(DC1)
博士課程に進学するもTexasにいたので別段、環境に変化無し。 6月にあった日米作用素環セミナーのため一時帰国。
Texasの夏はこの年も暑かった。 Poincare研究所の後、 MSRIの通年研究集会"Operator algebras 2000-2001"に行くことにした。 そんなわけで、TAMUのPh.D.は諦めるつもりだったが、 多く人の努力のおかげでなんとかなることになった。 感謝。

1999年9月--2000年6月 Paris遊学
この時期までの研究はKirchbergの仕事・アイディアを 作用素空間に翻訳・適用することで得られたものが多い。 (当時の)作用素空間論には、 (書き方が)難解で有名なKirchberg論文の解読をする人はいなかったので、 いくつものことが手付かずで残っていたのだ。 難しい論文は難しいうちに読むと得るものが大きい。 2月に研究集会が終わると、Paris第6大学に移った。 このとき某氏のプレプリントを読んでいて、 某未解決問題がアッサリ解けることに気がついた。 おかげでこの後一年余りの間、数学的ウツに悩まされる。 新しい研究に身が入らない、 なんら進展が見られない同じ問題に長期間こだわる、 という停滞のことだ。

2000年3月 博士(数理科学)を東大から取得
2000年4月 東京大学大学院数理科学研究科 助手
2000年9月--2001年5月 MSRI (Berkeley) "Operator algebras 2000-2001"
英会話に対して臆病なため、 MSRIでは日本人研究者たちと過ごす時間が多かった。 それでも多くの人たちに出会えたことはいい経験だった。 研究の方は、 修士論文で取り組んだ(有名?)未解決問題を解こうと空回りを続けただけ。 そんな中、気晴らしに離散群論を勉強しておいたのが後になって役に立った。
(引用終り)
以上
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