[過去ログ] ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ3 (1002レス)
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755
(2): 132人目の素数さん [] 2023/05/05(金)09:13 ID:WIXSdjE7(1/5)
ありがとう スレ主です
全部にレスが出来ないのでご容赦

>>749
>「三四郎」には大まかに言って
>こういう設計図がある。

なるほど
矢ヶ部 巌 数3方式 ガロアの理論 >>655
広田先生の引っ越しを、与次郎が手伝う場面から始まっている
これも、『三四郎』から取っていたんだ!(いまごろ気づくおれw)

なお、stray sheep 新潮文庫の三四郎>>740 H23年版(143刷)の注解 147で
新約聖書のマタイ伝18章12-14節 100匹の羊で、迷える羊1匹を探すために、99匹を山において探す逸話のみを紹介している
文系教養としては、これが面白いか
理系としては、下記 どうしてよいか分からず、迷っている人
と端的に書くべきと思う
なお、ストレイ‐シープが何カ所か出てくるが、小説では多義です(場面によってその意味が違う)
数学では、ストレイ‐シープの定義ありきで、場面の解釈はストレイ‐シープの定義に従うのですがw

(参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%9B%E9%83%8E
『三四郎』
あらすじ
与次郎が「先生」と慕う英語教師広田 萇の引っ越しが決まり、手伝うことになった三四郎
作品背景
三四郎は、漱石の弟子である小宮豊隆がモデルである。
小宮は、福岡県仲津郡久富村に生まれ、旧制の福岡県立豊津中学校(現在の福岡県立育徳館高等学校)を経て第一高等学校 (旧制)から、東京帝国大学文学部に進む。三四郎が熊本の第五高等学校出身とされている点は、小宮の経歴とは異なる
なお、育徳館高等学校の校庭には、小宮豊隆文学碑を中心とする「三四郎の森」がある
与次郎も、同じく漱石の弟子の鈴木三重吉がモデルである
「三四郎」の名前については、早稲田南町の夏目家の近所に陸軍幼年学校の物理学教授田中三四郎邸があり、漱石が田中三四郎の表札を見て、主人公の名を思いついたとする説がある
美禰子は、漱石の弟子である森田草平と心中未遂事件を起こした、婦人運動家平塚雷鳥がモデルである

https://www.weblio.jp/content/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%97
デジタル大辞泉
ストレイ‐シープ【stray sheep】
読み方:《「迷える羊」の意。聖書から》どうしてよいか分からず、迷っている人
760
(2): 132人目の素数さん [] 2023/05/05(金)09:28 ID:WIXSdjE7(2/5)
>>754
スレ主です
アホざるが暴れているなw 2chスレ:math

>>「数学ロボット」と言われるのは本望。
> では数学のみ語れ

アナーキズムを主張する人が
他人に指図するのは、数学的にヘンだろ?w

> 数学以外のウソ語っても嘲笑されるだけ

それあんた一人だろ?
つーか
その命題には、反例があるよ
反例の一人は、わたくしですがw

あんた、”鳥無き里のコウモリ”をやるのに
彼が邪魔なんだろ?
自分より優れた存在が、数学でも教養でもねw

あんた、アナーキズム板作って
そこで、一人暮らせよwww
780
(1): 132人目の素数さん [] 2023/05/05(金)20:38 ID:WIXSdjE7(3/5)
>>779
どうも
スレ主(>>778)です

>教授には何度も間違いを指摘してもらい
>「人を黒板がわりに使うんじゃない」と
>叱られもした。ある時「解けない問題かもしれない」と

結果良ければ全てよし (シェイクスピア)
解けてしまえば「良くやった!」ですねw
https://www.nec-nexs.com/bizsupli/break/topic/index32.html
NECネクサソリューションズ
“終わりよければ全てよし”は本当?
ピーク・エンドの法則
「終わりよければ全てよし」ということわざがあります。
これは、「物事の結末が大事であり、過程は問題にならない」という意味です。
実はシェイクスピアの戯曲「All's well that ends well」のタイトルのフレーズでもあり、生活の中でもよく使われるフレーズですね
(引用終り)

>真顔で言われたこともある。解けてしまえば簡単なことだったが
>なぜ解けたのかは今でも不思議な気がする。

万事そうなんじゃないですか? 数学の未解決問題は
下記 梅村先生語録
 >>302より再録
https://ocw.nagoya-u.jp/files/100/umemura_lect.pdf
最終講義 射影極限と帰納極限 梅村浩 2008年3月14日
P14
数学において何をやってたか
非可換なテータ関数を探す.
A. Weil のアイディア
野心的 失敗作!
本質的な問題であるが誰にも解けない
問題である.
P15
よい問題とは
(1) 解ける問題である.
(2) 解けたとき反響がある.
井草準一
反省 如何に魅力的であっても,解けない問題に
挑戦してはならない.
(引用終り)

でも、現実の世界は「解ける or 解けない」が
分かれば苦労はない
神様でないと分からない!
「解ける!」と思ってチャレンジしないと解けないし
一方で「解けない問題かもしれない」という不安を振り払い
そのストレスに勝てるメンタルもね、解ける要因ですね
781
(1): 132人目の素数さん [] 2023/05/05(金)21:09 ID:WIXSdjE7(4/5)
>>780 余談

ふと見つけた 小沢 登高氏の”わらしべ”物語
”たった一人になったおかげで、死にもの狂いの努力ができた。 修士論文も書けた。 Texasに来るときはPisierに何か課題を与えてもらおうとか進路を 指導してもらおうとか考えていたのだが、 今になって振り返れば、そうならなくて本当に良かった”
か。でも、実力もあるんだ当然、きっとね

https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~narutaka/rireki.html
小沢 登高 履歴書(非公式版)

1997年4月 東京大学大学院数理科学研究科修士課程入学
河東先生と泉先生の指導の下、作用素環を学んだ。 ひょんなことからマイナー分野であった作用素空間論の勉強を始める。 夏休みはWassermann講義録やKirchberg論文などを読む。 この年の秋に河東先生に薦められて、 作用素空間論の専門家であるテキサス農工大学(以下、TAMU)のPisierのもとに 留学することを決意。

1998年7月1日 Texas到着
7月中旬のワークショップでPisierに会ったが、 彼は8月になるとなぜかParisへ帰って行ってしまった。
驚いて彼から以前もらった電子メイルたちを調べたところ、 秋はParisにいるから私の面倒は見られないとハッキリ書いてあった。 英語で書いてあったので、それまで読まなかったのだ。 それから五ヶ月間ほとんどまったく他人と話さなかった。 たった一人になったおかげで、死にもの狂いの努力ができた。 修士論文も書けた。 Texasに来るときはPisierに何か課題を与えてもらおうとか進路を 指導してもらおうとか考えていたのだが、 今になって振り返れば、そうならなくて本当に良かった。 一年間住んだアパートはむやみにでかかった。 自家用車も公共交通もなく、人とも付き合わなかったので、 生活にはいろいろ不便した。 特に空港まで行くのには難渋した。

つづく
782
(2): 132人目の素数さん [] 2023/05/05(金)21:10 ID:WIXSdjE7(5/5)
>>781
つづき

1999年3月 修士(数理科学)取得
1999年4月 日本学術振興会特別研究員(DC1)
博士課程に進学するもTexasにいたので別段、環境に変化無し。 6月にあった日米作用素環セミナーのため一時帰国。
Texasの夏はこの年も暑かった。 Poincare研究所の後、 MSRIの通年研究集会"Operator algebras 2000-2001"に行くことにした。 そんなわけで、TAMUのPh.D.は諦めるつもりだったが、 多く人の努力のおかげでなんとかなることになった。 感謝。

1999年9月--2000年6月 Paris遊学
この時期までの研究はKirchbergの仕事・アイディアを 作用素空間に翻訳・適用することで得られたものが多い。 (当時の)作用素空間論には、 (書き方が)難解で有名なKirchberg論文の解読をする人はいなかったので、 いくつものことが手付かずで残っていたのだ。 難しい論文は難しいうちに読むと得るものが大きい。 2月に研究集会が終わると、Paris第6大学に移った。 このとき某氏のプレプリントを読んでいて、 某未解決問題がアッサリ解けることに気がついた。 おかげでこの後一年余りの間、数学的ウツに悩まされる。 新しい研究に身が入らない、 なんら進展が見られない同じ問題に長期間こだわる、 という停滞のことだ。

2000年3月 博士(数理科学)を東大から取得
2000年4月 東京大学大学院数理科学研究科 助手
2000年9月--2001年5月 MSRI (Berkeley) "Operator algebras 2000-2001"
英会話に対して臆病なため、 MSRIでは日本人研究者たちと過ごす時間が多かった。 それでも多くの人たちに出会えたことはいい経験だった。 研究の方は、 修士論文で取り組んだ(有名?)未解決問題を解こうと空回りを続けただけ。 そんな中、気晴らしに離散群論を勉強しておいたのが後になって役に立った。
(引用終り)
以上
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