[過去ログ] ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ3 (1002レス)
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568
(1): 132人目の素数さん [] 2023/04/29(土)10:09 ID:5aVg/kwD(1/7)
>>565
>>566
「スレ主です」がどんなダジャレなのか
田舎者にはわからないので
誰か教えてください

>>愛裸舞雄とか夜露死苦とか
これなら田舎者でも読める。
ある女性に「Ich liebe dich」とメールしたら
大事なことは日本語で言えと叱られた。
(冗談です)
570: 132人目の素数さん [] 2023/04/29(土)10:17 ID:5aVg/kwD(2/7)
>>562
7歳くらいになると
「小さい頃はもっと楽しかった」
と言うようになる。
「人って不幸だな」はそれと同じ。
自分の場合だと、ふと「5歳のころはもっと体が軽かった」と
思ったことがある。
572
(1): 132人目の素数さん [] 2023/04/29(土)10:45 ID:5aVg/kwD(3/7)
>>569
>>その後シウ(Siu)は、多重種数の変形不変性定理を、極小モデル理論を仮定せずに証明した
>>これが、第3章で述べた極小モデル理論の最近の発展の端緒になった

ここはなかなか味わい深い箇所です。
川又氏ご本人は
シウの論文が出た直後くらいに
この論文の方法に興味を持たれたようで
勉強会を開かれましたが
そのときはまだ「極小モデルを使わずに何ができるんですか」
と強気の発言をされていました。
そのあとでBirkar-Cascini-Hacon-McKernanなんかが出て来たので
考えが変わったのだと思います。
575
(1): 132人目の素数さん [] 2023/04/29(土)11:29 ID:5aVg/kwD(4/7)
>>573
高木論文が書かれたのはゲッティンゲンではないでしょう。
ゲッティンゲンで書かれたと思うのは斎藤恭司氏の
Einfach-elliptisch Singularit"atenです。
これは非常に有名な論文になりました。
斎藤氏はSiegelの薫陶を受けた最後の世代かもしれません。
私はSiegel大先生を街の一角でチラ見しただけでした。
岡潔スクールの論文がフランス語なのも有名ですね。
私はドイツ語でもフランス語でも論文を書いたことがありません。
578
(2): 132人目の素数さん [] 2023/04/29(土)12:23 ID:5aVg/kwD(5/7)
>>576
擦れある痔?
581: 132人目の素数さん [] 2023/04/29(土)12:33 ID:5aVg/kwD(6/7)
575
訂正
Einfach-elliptisch Singularit"aten
--->
Einfach-elliptische Singularit"aten
587
(1): 132人目の素数さん [] 2023/04/29(土)16:02 ID:5aVg/kwD(7/7)
「近世数学史談」のクライマックスは次の部分です。

そういう不分岐などいう条件を捨ててしまって, 少しやってみると,
今ハッセ(Helmut Hasse 1898-1979. ドイツの数学者.)なんかが,
逆定理(ウムケール・ザッツ)と謂っている定理であるが,
要するにアーベル体は類体なりということにぶつかった.
当時これは, あまりに意外なことなので, それは当然間違っている
と思うた.間違いだろうと思うから, 何処が間違っているんだか,
専らそれを探す.その頃は, 少し神経衰弱に成りかかった
ような気がする.よく夢を見た.夢の裡で疑問が解けたと思って,
起きてやってみると, まるで違っている.何が間違いか,
実例を探して見ても, 間違いの実例が無い.大分長く間違いばかり
探していたので, 其の後理論が出来上がった後にも自信が無い.
どこかに一寸でも間違いがあると,理論全体が,その蟻の穴から
毀われてしまう.外の科学は知らないが,数学では
「大体良さそうだ」では通用しない.特に近くにチェックする
人が無いので自信が無かったが,漸くのこと1920年に,
チェックされる機会が来た.

お粗末な補足をつけるなら次の通りです。

しかしこの機会というのはストラスブール(Strasbourg
フランスの都市ですが1918年まではドイツ領の
Strasburg(シュトラスブルク)でした。高木が学生時代に
ウェーバーの本で代数学を学んだのは藤沢利喜太郎(1861-1933)の
影響でしたが、藤沢はここでクンマーの弟子のクリストフェル
(E.B.Christoffel 1829-1900)の指導で学位を取りました。)で開かれた
ICMで、戦争の影響でドイツからの参加者はほとんどなく、
高木論文をチェックできる人もいなかったようです。
とはいえ『近世数学史談』によれば論文は直ちにヒルベルトに送られ、
1921年にはハンブルク大学でも読まれていました。
「アーベル体は類体なり」を詳しく述べたのがこの論文の主定理です。
クロネッカー青春の夢は結局この主定理の系として解決されました。
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