[過去ログ] 【仏教】悟りを開いた人のスレ96【天空寺】 (1001レス)
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60
(1): 2011/07/06(水)16:28 ID:4IDZqdiz(6/23) AAS
>>59
では定点、何時何分何秒に本来の自己があって、
過去になったら本来の自己がいなくなる。

その時は本来であって次のときが本来でなくなるなら、

本来って何時にあるんだってなる。

あってなくなるもの、こんなもんが本来か?
61
(1): 2011/07/06(水)16:29 ID:nMhoYqXR(11/17) AAS
今日のポエム。
過去の自分と今の自分、両方自分のはずなのに
ここにいるのは今の自分
過去の自分はどこに行ったの?
62
(2): 2011/07/06(水)16:39 ID:4IDZqdiz(7/23) AAS
>>61
本来が身体なら30年前の自己と今の身体は細胞の一つも変わらず同じとなる。

感情が本来なら笑っているときの、泣いてるとき精神は同じだということになる。

知識が本来なら、誰でも東大に入れるだろう。

意志が本来なら、子供のときの目的と大人の目的
顧客の目的と売り手の目的は同じになる。

で、きみのいう「何」をもって本来とすべきかね?
本来というのは変わらないもの、それが何か示してくれんかね?
63
(1): 2011/07/06(水)16:39 ID:nMhoYqXR(12/17) AAS
>>60
今には確かに自己がある。
過去になったとたんに世界ごと消滅する。
全ての事象は過去や未来に無く、今にある。
64: 2011/07/06(水)16:41 ID:KdJm2Xtl(11/38) AAS
うんちゃ!
65: 2011/07/06(水)16:42 ID:4IDZqdiz(8/23) AAS
>>63
だから、どこをもって自己というのかね?
具体的にどれ?
66
(1): 2011/07/06(水)16:43 ID:nMhoYqXR(13/17) AAS
>>62
「ここにいる」って感覚かな、言葉にして一番近いのは・・・
67
(1): 2011/07/06(水)16:44 ID:4IDZqdiz(9/23) AAS
>>66
その感覚は常時ありますか?
寝てる間も?食べてる間も?テレビ見てる間も?
68: 2011/07/06(水)16:45 ID:qfS11skS(3/16) AAS
さあ、どんどんキチガイじみてきましたよっと。
69
(2): 2011/07/06(水)16:46 ID:nMhoYqXR(14/17) AAS
>>62
でも「ここ」って特定のどっかじゃないんだよなあ・・・
70: 2011/07/06(水)16:46 ID:KdJm2Xtl(12/38) AAS

枝上一声々。
日暖かに風和して岸柳青し。
ただ是れ更に廻避する処なし。
森森たる頭角画けども成り難し。

見牛とは牛即ち本来の自己をはっきり見た段階である。本来の自己をはっきり見るとはどういうことかというと、
今迄自分というカタマリ(自我)があると思っていたのが、本当は全く中身カラッポで自我なぞというカタマリは全く無かった!
という事実を体験することである。
この体験は、多くは声より入るのが一番である。無門和尚は太鼓のドドーンという音を聞いた途端に大悟したし、
香嚴和尚は一生懸命庭の掃除をしている間に、箒にはさまった石が勢いよく飛んでいって竹に当たり、カチーンという音を聞いた途端に今迄の迷いが一度に吹き飛んで、
省11
71
(1): 2011/07/06(水)16:47 ID:4IDZqdiz(10/23) AAS
>>69
よのような不確かなものをもってきて「本来の」と主張するわけですか?
72: 2011/07/06(水)16:47 ID:KdJm2Xtl(13/38) AAS
それでは廓庵禅師の頌を拝見しよう。

●枝上一声々。

こうおうは鶯である。鶯が枝にとまって、ホーホケキョーと声高らかに鳴いた。見牛(見性)はこのように、
テッキリハッキリしたものでなければならない。無門和尚のドドーンであり、香嚴和尚のカチーンである。
「天地万物一つ一つが無字の展開です」なぞという理屈を室内に持ってくる限り本物ではない。
理屈・観念・思想は禅の模型であって禅そのものではないことを師学共に心すべきである。従ってこの点検が特に大切である。

●日暖かに風和して岸柳青し。

真の見牛(見性)の体験をしてみると、初めて自我の桎梏から離れて、事実を事実としてありのままに見ることができる。
その肩の荷を下ろした有様は、丁度春の日ざしがポカポカとして、そこへ心地よい風がそよそよとこれに和し、
両岸の柳が青芽を出してゆったりと枝がゆれている様子に似ている。
省8
73: 2011/07/06(水)16:48 ID:YhDrZKsy(1/11) AAS
かなり、深いような、どっちでもいいような、、、
74: 2011/07/06(水)16:48 ID:qfS11skS(4/16) AAS
>>69
逃げるな。
言語に最後までしがみつけ。
75
(1): 2011/07/06(水)16:49 ID:nMhoYqXR(15/17) AAS
>>67
あると思うけど普通に生活してる時は気にしてないよ。
76
(2): 2011/07/06(水)16:52 ID:nMhoYqXR(16/17) AAS
>>71
俺にとってはハッキリした感覚だから、
不確かだとは思えないんだよなあ
77
(1): 2011/07/06(水)16:54 ID:4IDZqdiz(11/23) AAS
>>75
あると思う?映画に集中してるときでも?
ここに俺がいるって?
78: 2011/07/06(水)16:55 ID:qfS11skS(5/16) AAS
>>76
ジャン=リュック・ナンシーはこう書いてるぞ。

 物の何らかの物が、ただ思考と同じ水準に至るために、いったいどこまで思考を酷く扱わねばならないのか、
 あるいはどこまで思考によって酷く扱われなければならないのか。
 中途半端はありえない。続けることしかできない。

とにかく書け、馬鹿野郎が。
書けないなら黙れ、くそが。
79
(1): 2011/07/06(水)16:56 ID:4IDZqdiz(12/23) AAS
>>76
心の引き出しから「出してきた」でなくて、
常に頭の中で「俺はいる、俺はいる、俺はいる」
って断続的につぶやいてるわけ?
80
(1): 2011/07/06(水)16:58 ID:YhDrZKsy(2/11) AAS
どこいくんだ〜。
81: 2011/07/06(水)17:00 ID:qfS11skS(6/16) AAS
>>80
クリニックじゃないすか?
82: 2011/07/06(水)17:06 ID:nMhoYqXR(17/17) AAS
>>77
ここにいるって感覚が気になったのは最初の1週間くらい。
あとはあるのが普通だから気にはならないよ。
>>79
ここにいるって感覚はあるけど、俺とか私って感覚は無いね。

もう飯の時間だから一旦落ちるよ。
気が向いたらまた来るよ。
83: 2011/07/06(水)17:08 ID:qfS11skS(7/16) AAS
辛くなるほど拙いな。
なんで問われたとたんに片言になるんだ?
独り言なら饒舌なのにw
84: 2011/07/06(水)17:09 ID:KdJm2Xtl(14/38) AAS
うんちゃ!
85: 2011/07/06(水)17:09 ID:YhDrZKsy(3/11) AAS
食べ後は、ハミガキしろよ。
86: 2011/07/06(水)17:10 ID:KdJm2Xtl(15/38) AAS
四 得 牛


神通(じんづう)を竭尽(けつじん)して渠(かれ)を獲得す。
心強く力壮(さか)んにして卒(つい)に除き難し。
有時(あるとき)は纔(わずか)に高原の上に到り、
又烟雲の深き処に入って居す。

得牛位とは眞の自己である牛を、しっかり掴まえた位で、牛の正体が明瞭になった段階である。
「見牛」と云うのは牛を見ただけであるから、これで有頂天になって油断をしていると、牛はすぐに見えなくなってしまって、
只牛を見た(見性した)という記憶だけが残るという状態になってしまう。そこで見性したら、ますます熱心に参禅して、
その世界を更にはっきりさせていくことが肝心でありる。
省13
87: 2011/07/06(水)17:11 ID:KdJm2Xtl(16/38) AAS
それでは廓庵禅師の頌を味わうこととしよう。

● 神通(じんづう)を竭尽(けつじん)して渠(かれ)を獲得す。

眞牛を見つけた(見牛)ので、やれ嬉しやと勇気百倍、その牛を現実に手に入れようと精神を鼓舞して、
一生懸命追いかけていった甲斐があって、ようやくその牛の鼻づらを掴まえることができた。

● 心強く力壮(さか)んにして卒(つい)に除き難し。

ところが、その心牛を掴まえてみると、この牛は二元対立の分別を求める心が強く、盛んに自己を主張し、
他を認めてその世界にとらわれ、せっかく明らかにした中味カラッポの手綱が、ともすると切れそうになってしまう。
自他対立の悪習性は、長年にわたってついたもので、中々その空性はわかっても云うことを聞かないのが現実である。
そこでますます熱心に坐禅に励まなければならない。
省12
88: 2011/07/06(水)17:12 ID:qfS11skS(8/16) AAS
こいつはこいつで独り言が酷いなww
89
(1): 2011/07/06(水)17:27 ID:lmJB6eVI(1/4) AAS
だからぁ、「ウシはうまい」

これで、いいじゃん?
90: 2011/07/06(水)17:35 ID:qfS11skS(9/16) AAS
>>89
たしかにウシは肉もうまいが牛乳だってあるからな。
むしろウシの本質は乳じゃないんか?
91
(2): 2011/07/06(水)17:36 ID:YhDrZKsy(4/11) AAS
なるほど〜。そういうものなのか〜。
思いあたるな〜。ふつうの世界で、自分なりに確かめながら生活してるが、二元対立の魔境から離れることは、今のトコロできない。離れてしまったら、生活するのが大変になる。ので、二元対立の中間にいようといった今日この頃。
92: 2011/07/06(水)17:40 ID:4IDZqdiz(13/23) AAS
>>91
何から離れると大変になるの?

具体的に何をしているときに何から離れたら大変になるか、

説明お願いします。
93: 2011/07/06(水)17:46 ID:qfS11skS(10/16) AAS
>>91
クリニックに池。
薬をもらえ。
楽になるからな。
94
(2): 2011/07/06(水)17:47 ID:YhDrZKsy(5/11) AAS
92、二元対立は、真理、世俗 の二つの世界。
日々生活していくうえで世俗から離れてしまっては大変だということ。
95
(1): 机龍之介 ◆b5VIxRNE/I 2011/07/06(水)17:52 ID:0ZlqqrLK(2/3) AAS
>>54
>悟ったと云いながら悟りというものを持ち
>それによって人生をしきってもって、結局は生活そのものにならない。

知識や論理といった対立(相対)という構図において、その論理性の破壊ということをしたとしても、
それが一転して非論理性を帯びる。→いわゆる頓悟です。
ですから「悟った」という段階においては、まだ悟っておらんということですね。
矛盾のさらに矛盾において「悟った」となりますが、
これはさらには「悟っておらん」といういことになり、
つまり「悟る」と「悟らない」は言語における特殊用語でして、唯一対立しない。
ってことになりますね。
省4
96: 2011/07/06(水)17:54 ID:qfS11skS(11/16) AAS
>>94
お前も真理とやらをゲットンしたんかwwww

石投げたら当たるくらいおるもんだな。
ありがたみねーなーwwwwww
97: 2011/07/06(水)17:55 ID:qfS11skS(12/16) AAS
また毛虫が来ちゃったよorz
98
(1): 2011/07/06(水)17:56 ID:qfS11skS(13/16) AAS
>>95
「特殊用語」の定義を教えてくれ。
意味がわからん。
99: 2011/07/06(水)17:58 ID:4IDZqdiz(14/23) AAS
>>94
その「世俗」を具体的にお願いします。
その具体的なものに対する意識は断続的に持ち続けるべきか?(離れてはいけないか?)
もお願いします。
100: 2011/07/06(水)18:00 ID:YhDrZKsy(6/11) AAS
95、言っていることはわかるが、"最後"まで行ったらここには来ないんじゃないかな。その間があるし、"その間"でもけっこう、楽になれる、でもイイんじゃない。つまづいたら、つまづいたで、自業自得。
101
(1): 2011/07/06(水)18:07 ID:YhDrZKsy(7/11) AAS
99、字、出てこない、"しょうぎたい"
でないのが世俗。離れたり、つなげたりの二元対立。離れるか、離れないかは、その時、その時、決めればイイ。
102
(1): 2011/07/06(水)18:10 ID:4IDZqdiz(15/23) AAS
>>101
すみません。
文字の世界ではなくて、現世の具体的な例でお願いします。
103
(2): 2011/07/06(水)18:12 ID:O6cSJkxn(1) AAS
鬼和尚さま

先日数息観はある程度の緊張感をもって集中したほうがよいかと
質問させて頂いた者です。その際は、ご回答ありがとうございま
した。

やや緊張感を持って、鼻先や呼吸に意識を集中させる数息観を続
けております。だいぶ、コツも分かってきました。

この、呼吸なのですが、横隔膜での通常呼吸、さらには腹式呼吸
や胸式呼吸などありますが、鬼和尚さんのお勧めはありますか?
腹式呼吸は健康にもいいそうなので数息観時に腹式呼吸にてして
ますが…、結構疲れますよね(^^ゞ
省8
104
(1): 2011/07/06(水)18:13 ID:4IDZqdiz(16/23) AAS
鬼さんこんにちわ。
105
(1): 机龍之介 ◆b5VIxRNE/I 2011/07/06(水)18:13 ID:0ZlqqrLK(3/3) AAS
>>98
言語は対立概念において成り立ちますね。
ですから、表記上においては「悟る」と「悟らない」は対立しますけど、
その語義について、どこまでも解釈していくと対立しないことになる。
これはインド哲学の特徴ですね。
非合理性はそのまま合理性になるからです。
106: 2011/07/06(水)18:14 ID:qfS11skS(14/16) AAS
安価くらいできんのか。
107: 2011/07/06(水)18:14 ID:KdJm2Xtl(17/38) AAS
うんちゃ!
108: 2011/07/06(水)18:19 ID:KdJm2Xtl(18/38) AAS
五 牧 牛


鞭策時々身を離れず。

恐らくは伊(かれ)が歩を縦(ほしい)ままにして埃塵(あいじん)に入らんことを。
相将(ひき)いて牧得すれば純和せり。
羈鎖(きさ) 拘(とど)むることなきも自(おのずか)ら人を逐う。

牧牛位とは真牛である本来の自己を、漸く得牛位で手に入れたものを、
そこで安心せず必死になってそれを馴らして自分のものにしていく段階で、非常に大切な過程である。
真牛を掴える(得牛)ということは、前回述べたとおり、
自分の心の実体が全くカラッポであること(人空)と同時に宇宙万物がそのままで
省6
109: 2011/07/06(水)18:20 ID:YhDrZKsy(8/11) AAS
102、ふつうに生きてりゃ、笑ったり、泣いたりするだろう。
110: 2011/07/06(水)18:23 ID:KdJm2Xtl(19/38) AAS
その事実に本当に安住することができれば、その一つ一つが真の自己そのものとなるのであるが、我々人間というものは、
悲しいことに自分が体験したことにどうしても執着してそれを放さないという習性を持っている。特にそれが得牛という、
普通の人では仲々手に入らない境地を得てみると、俺程すばらしい体験をしたものはいない。もしかするとお釈迦様以上の体験ではないかと、
次から次へと思い上った想念が湧いてきてそれに執着し、遂にそれが新たな迷いの基となってしまうのである。
我々は常に主観・客観の二元対立の世界しか見えないが、客観界が現実にあるから「有る」という観念が出てくるのではない。
「客観界が有る」と心に認識するから「有る」のであって原因は「心」に在るのが事実である。そこで得牛を体験した自分という心が生ずるため、
その高慢さに対する境が生じてそれ相応の客観界が現れる結果となる。本来得牛の世界は、この客観界がカラッポ主観界もカラッポであって、
有無の生ずる余地は全く無い。そこで常にこの世界に安住するためには、どうしても牛の鼻に通した綱をしっかり引きつけて、
この牛が分別妄想の草を食べようとしたら「駄目、駄目」とどこまでも油断のない訓練調教が必要である。
その具体的方法は、どこまでも「ムー」の一本槍である。これが悟後の修行であって、考えようによっては、
省1
111: 2011/07/06(水)18:30 ID:YhDrZKsy(9/11) AAS
まったく、サボってるわけではないが、それ程ハードコアにはなりたくない今日この頃。一所懸命、"駄目、駄目" してはいるつもり。
112
(1): 2011/07/06(水)18:35 ID:4IDZqdiz(17/23) AAS
>>102
私とあなたの「勝義諦」の定義が異なっているようですね。
あなたの勝義諦は「心や感情を失っている」
ということでしょうか?

それならば、職務中や学業中などの特殊な状況を除いて

102、ふつうに生きてりゃ、笑ったり、泣いたりする
というありのままの感情に何か都合が悪い事が起こるでしょうか?

という質問に変えます。
113: 2011/07/06(水)18:37 ID:4IDZqdiz(18/23) AAS
すみません>>112は>>109さんあてで。
114
(2): 2011/07/06(水)18:42 ID:YhDrZKsy(10/11) AAS
112、異なっているようですが、あなたの勝義諦はどのようなものでしょうか。
115: 2011/07/06(水)18:46 ID:4IDZqdiz(19/23) AAS
>>114
私の考える勝義諦の内容を述べることはできませんが、
「究極においての真理」として「そのまま誰にでも説いてはいけないもの」
と解釈しております。
説いて良い者になる手段のために「世俗諦」が説かれていると、、いささか大乗寄りの考え方です。
116
(1): 2011/07/06(水)18:50 ID:4IDZqdiz(20/23) AAS
>>114
なぜ異なっているというと、「感情」に対する解釈が異なるからでしょう。

例えばヴィパサナの結果としてあなたは「感情が失われたから好転した」よいうでしょう。
私は「あるのままの感情を受け入れたために好転した」というでしょう。
117
(1): 2011/07/06(水)18:56 ID:YhDrZKsy(11/11) AAS
115、116、今晩仕事なので寝ます。
118: 2011/07/06(水)18:57 ID:4IDZqdiz(21/23) AAS
お疲れ様でした。>>117
また暇つぶしに付き合ってください。
119
(1): 2011/07/06(水)19:04 ID:sPcFRcWE(2/9) AAS
>>116
好転してるんだったらどっちでもイイんじゃね
120: 2011/07/06(水)19:38 ID:4IDZqdiz(22/23) AAS
>>119
「どうでもいい」
素晴らしいですね、あなたはVagabondのお仲間ですか?

「これでいいのだ」
121
(1): 忍法帖【Lv=20,xxxPT】 2011/07/06(水)19:44 ID:SZE4qYyV(1) AAS
鬼和尚

出口王仁三郎
山岡鉄舟
肥田春充
という方々は本当に悟っていたのでしょうか?
あと、以前ナザレのイエスは悟っていなかったといわれてましたが
私はイエスさんは悟っていたような気がするのですが答えは同じでしょうか?
122: 2011/07/06(水)19:46 ID:z7oPqnYj(1) AAS
おお、2000年に一度現れるお方の
お言葉を拝聴しようではないか
123
(1): 2011/07/06(水)20:04 ID:sPcFRcWE(3/9) AAS
>>105
「悟る」と「悟らない」って対立してないんじゃないの?
悟るは悟るだし、悟らないは悟らない。
やっぱり対立していないよ。
124: 2011/07/06(水)20:04 ID:Jkt1yWPT(1) AAS
【脳科学】「自由意志への不信」は脳活動に影響:研究結果
2chスレ:scienceplus
125: 2011/07/06(水)20:22 ID:qfS11skS(15/16) AAS
世の中は平等じゃない。
そうだろう? 誰に聞いても多分そう答えるさ。
よくある比喩だが、たとえば誰かに質問してみろよ、
《あんたより劣った人間がこの世に一人としていないと思うか?》
首を縦に振る奴ぁまずいねえよなあ。

「悟る」ってのはな、ま、そういうことだ。
126: 2011/07/06(水)20:29 ID:KdJm2Xtl(20/38) AAS
うんちゃ!
127: 2011/07/06(水)20:30 ID:KdJm2Xtl(21/38) AAS
それでは廓庵禅師の頌を味わうこととしよう。

● 鞭策時々身を離れず。

牧牛位はどこまでも掴えた牛をならしていく血みどろの努力の時である。その為には、
鞭も綱も片時も自分の身から離さないようにしなければならない。

● 恐らくは伊(かれ)が歩を縦(ほしい)ままにして埃塵(あいじん)に入らんことを。

さもないと、あの牛はきっと勝手に行きたいところへ飛んでいって、塵埃が一杯ある分別の世界に入ってしまうであろう。
元居た居心地の良い俗界のみならず、得牛という悟の世界にも入りたがって、容易にそこから出てこなくなってしまう。
省8
128: 2011/07/06(水)20:44 ID:lmJB6eVI(2/4) AAS
真の自己=ウシ
なら、まだいいが、これがゴキブリだったら、どうする?

十ゴキブリ図

誰も、探さんし、飼い慣らそうとも思わんwww
129: 2011/07/06(水)20:44 ID:sPcFRcWE(4/9) AAS
牛の話はモー結構
130: 2011/07/06(水)20:46 ID:KdJm2Xtl(22/38) AAS
六 騎牛帰家


牛に騎ってとして家に還らんと欲す、
声声(せいせい)、晩霞(ばんか)を送る。
一拍一歌限り無きの意、
知音(ちいん)何ぞ必ずしも唇牙を鼓せん。

騎牛帰家とは読んで字の如く、牛に騎(の)って家に帰る位ということで、前段階の牧牛の努力の甲斐あって、
牛が漸く自分の云うことを聞くようになった段階である。

得牛位で本来の自己を手に入れたが、前思纔(わずか)に起(おこ)れば後念(ごねん)相随(したが)うと云うように、
次から次へと出てくる想念に悩まされる。特に自分が他人が滅多に体験できない大悟をしたことを、
省9
131: 2011/07/06(水)20:46 ID:lmJB6eVI(3/4) AAS
「真の自己」を新聞紙で叩いたりしてwww
132: 2011/07/06(水)20:49 ID:KdJm2Xtl(23/38) AAS
まことにすばらしい境地であるが、ここに大きな陥穴(おとしあな)がある。任運堂々と流れるように歩む牛がおり、
それを見ている自分がそこにいるからである。そしてその自分が、本来の自己である牛がいかに従順になったかに感心し、
それを眺めて喜んでいる。自分の境涯はこんなに楽になりました。こんなにすばらしくなりましたとやたらと宣伝するが、
それを聞く人はそれは結構なことだと一応は感心するが、何か偉い特別な人だということであえて坐禅をしようとする気になれない。
全く自分免許の独りよがりの禅で何の役にも立たないということになってしまうのである。
折角ここまで来たのであるから、「更に参ぜよ三十年」と自粛自戒して、坐って坐ってこの自己を練磨しなければならない。
133: 2011/07/06(水)20:50 ID:KdJm2Xtl(24/38) AAS
それでは廓庵禅師の頌を味わうこととしよう。

● 牛に騎ってとして家に還らんと欲す、

「いり」とはずるずると連なって長くのびるさまを云うのでありますが、
ここではおとなしくなった本来の自己の牛に乗って、悠然とゆっくりと果てしなく、本家郷に帰ろうとしていることを示す。
「還らんと欲す」というのは、帰ろうとしているが帰れないという意味が含まれているのであって、
それは何故かと云うと、その牛を眺めている自分がいるからである。

● 声声(せいせい)、晩霞(ばんか)を送る。

「きょう」は中国北西部に住むえびす人で、このえびす人の呼く笛の音が、一節(ひとふし)一節晩霞(夕焼け)を送ってくる。
笛の音ははっきり聞こえる。しかしその笛は異国人の吹く音のようで物悲しさがこみ上げてくる。
省10
134
(1): 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2011/07/06(水)21:17 ID:d4uT31vv(1/2) AAS
>>24 前世も今世も共に夢でしかないからじゃ。
 夢の中で夢を語っても何の意味も無いものじゃ。
 むしろ沈黙によって示すがいいのじゃ。

>>103 やはり複式呼吸でした方がいいじゃろう。
 そのうち慣れるじゃろう。
 どうしても慣れなければ胸式でも普通でもいいのじゃ。
 
 瞑想が深くなるとやがて雑念の思考が止まる時が来る。
 その状態ならば、余計な雑念に惑わされる事無く本心を観る事が容易に出来るのじゃ。
 例えば波紋の無い水面にものが鮮明に見えるようなものじゃ。
省3
135
(3): 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2011/07/06(水)21:19 ID:d4uT31vv(2/2) AAS
>>121 イエスは悟っていたのかも知れん。
 しかし、残っている本人の言葉が少なすぎる上に、かなり捏造が入っていてどれが本当かもわからないのじゃ。
 本人が残したと言う祈りの言葉はまだ神への依存があり、意味の無いものじゃ。
 これも本人のものではないかもしれんが、それを見ると悟っていないと言えるのじゃ。

出口王仁三郎は神降ろしの行者じゃのう。
異能の者ではあったが、悟ってはいないのじゃ。

山岡鉄舟はもっと修行すれば悟れたかもしれんが、本当に悟ってしまったら国家も仕事も捨ててしまっていたじゃろう。

肥田春充は独自の方法でサマーディにまで達していたのじゃ。
瞑想で得たものでないからその境地を記憶し、書く事も出来た。
空間にも満ちた意識を感じる事も出来た。
省1
136
(1): 2011/07/06(水)21:23 ID:sPcFRcWE(5/9) AAS
>>135
鬼和尚、悟りとは何ですか?
チンチン切ることですか?
137
(3): ビーフシチュー作ったどw 2011/07/06(水)21:31 ID:XpucLqj1(1/11) AAS
人生相談板に書き込むと反発くらうからここで良いよな?
なんじゃこれ?

772 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] 投稿日:2011/07/06(水) 20:37:14.14 ID:o4/xEvD/ [3/3]
 空海は死ぬときに弥勒のいる兜率天に行くといっていたのじゃ。
 そこから弟子達を見てるといっていた。
 もし悟っていたならば己が弥勒であると気づいたじゃろう。

>空海は死ぬときに弥勒のいる兜率天に行くといっていたのじゃ。

この話はマジか?(別にどうでもええんだがw)
まぁ生きてる間に仏教かぶれして、そんな幻想を言うのも想像は出来るわなw
だけど、空海は死の間際に私は産まれる前も死にいく先も知らないって言った所は俺は評価出来るところだ。
省6
138: 2011/07/06(水)21:34 ID:KdJm2Xtl(25/38) AAS
七 忘牛存人


牛に騎(の)って已に家山に到ることを得たり。
牛も也(ま)た空(くう)じ人も也た閑(かん)なり。
紅日三竿猶(なお)夢を作(な)す。
鞭縄(べんじょう)空しく頓(さしお)く草堂の間。
仏道修行の階梯もいよいよ第七段階の忘牛存人位となった。
牛とは云うまでもなく、本来の自己とも真の自己とも呼ばれ、皆さんが探している「無字」そのものである。
この牛を忘(ぼう)ずる段階であるが、牛を忘ずるとはどういうことであろうか。
我々はこの牛を求めて修行を始めたわけである。そしてこの牛を発見し(見牛)、手に入れ(得牛)、この牛ならしをし(牧牛)、
省4
139: 2011/07/06(水)21:34 ID:KdJm2Xtl(26/38) AAS
この世界を譬えて云うと、丁度鉱石の中から純金を採り出したように、全く純粋であり無垢である。
全宇宙が純金ばかりで、採り出した鉱石も、掘り出す為の道具も一切無いという状態である。また丁度月が雲を離れて、
満天の空に皓々と照り輝いているように、全世界が月ばかりで雲は全く無い世界である。
中味カラッポの世界の壮絶さは筆舌に盡くし難いものであって、実体験によってのみ味わえる世界である。ここに至れば、
今まで苦労して工夫してきた公案は全く不要なもの(閑家具)となる。
だがしかし向上更に向上の有る在りであって、この中味カラッポの世界のみであるという自己意識の滓が残るのである。
これが存人位といわれるゆえんである。山田耕雲老師も次のようにご自分の体験を延べられておられる。
「私の体験で云いますと、まず見性して一週間位は身体がぶるぶる震えるような感じでしたが、
魚が水の中を泳ぐようにさらさら何の障害もなく生活ができて非常に自由で嬉しいものです。しかしそれは長く続かない。
十日、一ケ月と経つうちに、やはり自分というものが出てくるのです。それはエゴイスティックな所謂自我意識というより自己意識です。
省3
140: 2011/07/06(水)21:35 ID:KdJm2Xtl(27/38) AAS
それでは廓庵禅師の頌を味わうこととしよう。

● 牛に騎(の)って已に家山に到ることを得たり。

第六騎牛帰家位の頌では「牛に騎っていりとして家に還らんと欲す。」とあって、
家に帰ろうとしているが帰れないという意味が「欲す」の中に含まれていた。それは何故かというと、
その牛を眺めている自分がいるからだと申し上げたが、この眺めている自分を粉砕してみると、
已に家山に到っていることが本当に手に入ったというのである。一度自己を徹底忘じた体験が如何に大切かを味わっていただきたい。

● 牛も也(ま)た空(くう)じ人も也た閑(かん)なり。

求むべき牛(本来の自己)も求める人も全くカラッポで実体が無いことがわかって、
その求むべき牛と求める人が全く一つになった境地である。「求心止むとき全体現ず」と云うのであろうか。
誰も居ない何にも無い世界が明々白々と現前している。これを「絶学無為の閑道人」にあらずして何と呼ぶのであろうか。
省7
141
(2): ビーフシチュー作ったどw 2011/07/06(水)21:37 ID:XpucLqj1(2/11) AAS
悟りの判断基準が俺は死んだら弥勒の居る世界に行くって思い込めたら
悟ったって言えるのだな?

まぁ〜ムチャだなw
精神病院行ったら悟った人ばかりになるなw
142
(2): ビーフシチュー作ったどw 2011/07/06(水)21:41 ID:XpucLqj1(3/11) AAS
小さな子供に
<人間つうか、お前は死んだら弥勒の所に行くんだよ>って刷り込みに成功した場合、
子供は素直なもんで、
『うん、僕は死んだら弥勒の所に行くんだ!』って思い込みを持って死ねたら
悟ってるって事なのか?
143: 2011/07/06(水)21:42 ID:lmJB6eVI(4/4) AAS
そういえば、十牛図って幻の十一枚目があるって知ってた?

目を血走らせて、エライ怒ってるウシさんの前で
お釈迦様が赤い布をヒラヒラと・・・・・・

確かそんな構図だと思ったが・・・
違ってた?
144: ビーフシチュー作ったどw 2011/07/06(水)21:44 ID:XpucLqj1(4/11) AAS
次は死後、意識は残るのか?ってところの話でもしてみるか?w

まず誰か鬼に聞いてみてくれ、心ってなんだ?って。
145
(1): 2011/07/06(水)21:44 ID:qfS11skS(16/16) AAS
>>142
そうすると、自爆テロ犯はみんな悟ってることになあ。
146: 2011/07/06(水)21:51 ID:CntntSss(1) AAS
ビフテキを食っているような人間が十牛図を読む資格があると思っているのか?!
147: ビーフシチュー作ったどw 2011/07/06(水)21:51 ID:XpucLqj1(5/11) AAS
>>145
錯覚の思い込みなら、生きてる人間は皆多かれ少なかれしてる事なので、
思い込み=悟りなら皆悟ってる事になる。

鬼の話なんぞは根本的にそれなんだよ。

鬼批判者に対して、
<心が世界を作ってる>ってポイント持ち出して反論していたが、
<ワシは悟ってる>なんてもんも自分の妄想の産物でしかない所までには考えが進めない。

鬼は知恵が足りないんだよ。
ちょっと考えれば解かりそうなもんだけどなぁ〜?
148: 2011/07/06(水)21:53 ID:k4fk1K47(1/7) AAS
中国にはカードを使った人生ゲームが昔からあって、それがのちにトランプになった。十牛図とは……、おっ誰かきたみたいだ。
149: 2011/07/06(水)21:59 ID:k4fk1K47(2/7) AAS
達磨、527年9月21日中国の南海に到着
達磨、528年10月5日死亡

たった一年で壁面9年、これが奇跡……、おっ、誰かきたみたいだ。
150: 2011/07/06(水)22:00 ID:1GHiqRYI(1/8) AAS
情熱ホルモンのリップはI牛図のどこの部位になるの?
151
(1): 2011/07/06(水)22:05 ID:1GHiqRYI(2/8) AAS
鬼和尚って、なんでそんなに上から目線なの?
152: 2011/07/06(水)22:07 ID:k4fk1K47(3/7) AAS
守るべき立場があるから。通常それは自我といわれている。
153
(1): 2011/07/06(水)22:10 ID:KdJm2Xtl(28/38) AAS
八 人牛倶忘


鞭索(べんさく)人牛(にんぎゅう)尽く空に属す。
碧天(へきてん)寥廓(りょうかく)として信通じ難し。
紅炉焔上爭(いか)でか雪を容れん。
此に到って方(まさ)に能く祖宗に合(かな)う。
十牛図は何度も申し上げている通り、迷っている我々(人)が本来の自己或いは真の自己(牛)を求め、探し、発見し、把え、
それを慣らして次第に云うことを聞くようにしていく……という修行の過程を示したものであるが、第八人牛倶忘の段階に来ると、
その求めている自分(人)も求める対象の本来の自己(牛)も全く無かったという事実がわかったというのである。

道元禅師が天童如浄禅師のところで「参禅は身心脱落なり」という如浄禅師のお言葉を聞いて大悟し、
省7
154: 2011/07/06(水)22:11 ID:KdJm2Xtl(29/38) AAS
第七忘牛存人位では自己意識が残るということを申し上げたが、これはこの無仏の処に腰掛けていたからである。
こゝを通り過ぎてはじめて「誰もいない、何にも無い世界」が明々瞭々となるのである。
さて有仏と無仏の両端を去ってみると、お釈迦様や文殊様のように先を見透せる方でも、
この人の境地を窺い知ることはできない。それは何故かと云うと、こちらに何も無いからである。
禅は体験によってこの何も無い世界をはっきり掴むことが基本である。
従ってこの体験が無い禅は観念禅であり禅の模型をもてあそんでいるに過ぎない。
それでは本当の体験をした人の生活はどうなるのであろうか。それを実例で見ることにしよう。
昔中国に牛頭法融(ごずほうゆう)禅師という方がおられた。
大変徳の高い方で近所の人々は心から尊敬し遂に鳥までがその徳を讃(たた)えて花を啣ばんできて供養するようになった。
後に四祖破頭(ず)道信禅師に師事して大悟してからは、鳥が花を持って来なくなったということである。
省2
155: 2011/07/06(水)22:11 ID:KdJm2Xtl(30/38) AAS
それでは廓庵(かくあん)禅師の頌を拝見しよう。

● 鞭索(べんさく)人牛(にんぎゅう)尽く空に属す。

盛んに鞭を使い縄でしばりながら、本来の自己を求めて刻苦勉励してきた。
到ってみるとその鞭(むち)も索(なわ)も人も牛も全く中味カラッポだった。
何も無い誰も居ないという世界である。

● 碧天(へきてん)寥廓(りょうかく)として信通じ難し。

碧天(へきてん)は青く澄んだ空。それは寥廓(りょうかく)すなわち広々としてカラッとしている。
中味カラッポの真の事実、真の自己の世界を示している。中味カラッポだから信通じ難しで音信の通じようがない。
だが実は中味カラッポ即ち空、と元々通じていたということである。
省8
156: 2011/07/06(水)22:12 ID:1GHiqRYI(3/8) AAS
かわいそうな人なんだね。
おもしろいかもしれないけど、友人にはならないだろうな。
157
(1): ビーフシチュー作ったどw 2011/07/06(水)22:25 ID:XpucLqj1(6/11) AAS
あと仏教もだが、宗教的概念は優れてるとか言うが、
実はそうでもないって目覚めは欲しいなw
宗教的概念によって、とある抑止の制御つうのも有る話だが、
争いなんて途絶えた試しなんて皆無だろ?

そこに何か綻び見えたら糸の切れた凧だわなw

それとワールドワイドな概念にするならむしろ害。

優れた概念なら《 イジメかっこ悪い 》って概念の方がよっぽどマシだわなw
そっちの概念の広まりの方がよっぽど優れてる。
158
(1): 2011/07/06(水)22:26 ID:1GHiqRYI(4/8) AAS
>>153
>その求めている自分(人)も求める対象の本来の自己(牛)も全く無かったという事実がわかったというのである。
なんで事実が分かったの?意味分からんし。
159
(1): ビーフシチュー作ったどw 2011/07/06(水)22:28 ID:XpucLqj1(7/11) AAS
>>158
お前すげえな、俺なんてあんな長文まったく読めんわw
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