戦国時代における騎馬武者の実像とは 2騎目 [無断転載禁止]©2ch.net (982レス)
上下前次1-新
196: 某研究者 2016/11/11(金)23:38 ID:R9s7hnlV(1/2) AAS
外部リンク:matsu-reki.jp
上の松平正直の変わり兜は結城秀康考案の物なら
1607年には有ったのかだが
外部リンク[html]:blogs.yahoo.co.jp
上の猿面の兜も大阪の陣には有るなら
此れ等と同程度の複雑さの変わり兜は
同時期に多数有ったのかだが
省2
197: 某研究者 2016/11/11(金)23:46 ID:R9s7hnlV(2/2) AAS
外部リンク[html]:ameblo.jp
>六十二間小星兜、室町時代。
此の蛇の前立は江戸期の物なのかだが
こうした物は他に見ない訳だが
198: 某研究者 2016/11/12(土)14:04 ID:/qHkGKwk(1/3) AAS
外部リンク:iwiz-chie.c.yimg.jp
外部リンク[html]:www.city.nagaoka.niigata.jp
上の上杉謙信の具足の飯綱権現等の複雑な形状の前立は戦国期にも恐らく有り
画像リンク[jpg]:ja.wikipedia.org
上の益田元祥の龍の前立も現実に恐らく有る訳なら
同程度に複雑な形状の前立も戦国期に有るのかだが
Twitterリンク:boukenkyuu
省4
199: 某研究者 2016/11/12(土)22:14 ID:/qHkGKwk(2/3) AAS
精鋭長巻兵や力士隊と言うのは
騎馬武者の可能性も有るのかだが
200: 某研究者 2016/11/12(土)23:49 ID:/qHkGKwk(3/3) AAS
外部リンク:photozou.jp
津軽屏風の家康付近に書かれる長巻兵は
籠手・脛当が無いから騎馬武者では無いだろうが
具足は装備しているから槍足軽以下の雑魚兵では無く
精鋭歩兵の可能性も有るのかだが
201: 某研究者 2016/11/13(日)17:07 ID:gYsWIfik(1) AAS
津軽屏風の家康の付近に居る歩兵は籠手・脛当が無いから
徒武者と言う事なのかだが
黒田屏風だと籠手・脛当・袖・兜迄装備しているが
兜以外全員ほぼ同じ格好であるから
騎馬武者では無く高級品の貸具足を装備した徒武者と言う事なのかだが
秀忠の周囲の歩兵は袖は無いし全員同じ胴・篠籠手
兜もほぼ全員同じであるから
省1
202: 某研究者 2016/11/15(火)13:48 ID:V1dNKDEb(1/3) AAS
外部リンク:p.twipple.jp
槍や薙刀等の鍵の形状は上に有るが
上が全てなのかだが
鍵の登場は十文字槍が出る1550年代以降と言う事なのかだが
四方に鍵が出ている武器は西欧にも無いと言う事なのかだが
実用性はどうなのかだが
ポールアックスでスパイクが側面にも出ている物等は有るが
省18
203: 某研究者 2016/11/15(火)14:02 ID:V1dNKDEb(2/3) AAS
外部リンク:kotobank.jp
14世紀の明徳記に
金鎖の馬鎧と言うのが有るが
外部リンク:photozou.jp
上の物の様に馬の全体を覆う様な物では無いのかだが
弓が止まる様な物では無いなら
厚総の下或いは
省4
204: 某研究者 2016/11/15(火)14:51 ID:V1dNKDEb(3/3) AAS
外部リンク:webarchives.tnm.jp
外部リンク:webarchives.tnm.jp
外部リンク:webarchives.tnm.jp
17世紀の雑兵物語の騎馬武者の馬には
全て銃とホルスターが装備されるが
この銃は通常の馬上筒より小型に見えるし
西欧のピストルを模した短筒なのかだが
省2
205: 某研究者 2016/11/21(月)19:58 ID:z9//9B/c(1) AAS
外部リンク:tukitodora.exblog.jp
>この時 島津軍はみな 腰さし鉄砲を用意していた その数 数千挺
此の銃は
外部リンク:webarchives.tnm.jp
左の雑兵物語に有る騎馬武者用の左の銃の様な腰に差される物なのかだが
この銃も
外部リンク:webarchives.tnm.jp
省2
206: 某研究者 2016/11/26(土)12:02 ID:4NTNr3NO(1) AAS
画像リンク[JPG]:ja.wikipedia.org
合戦図等に有る白い弓は現実には無いと思ったが
一応白が多い物は有るのかだが
207: 某研究者 2016/12/01(木)20:36 ID:ab9wbXNX(1) AAS
photozou.jp/photo/photo_only/1849954/243659117?size=1024#content
外部リンク:photozou.jp
鈎縄は騎馬武者自身が装備する物なのかだが
此れが忍者の様に騎馬武者や歩兵の戦闘用に使用された可能性は有るのかだが
208: 某研究者 2016/12/04(日)11:54 ID:oSzeIz83(1) AAS
Duplex bulletproof armour | Royal Armouries
外部リンク:royalarmouries.org
佐竹義宣の30kgの二重胸甲は一枚板の西欧鎧より耐弾性は低い等と言う意見も有ったが
果たしてどうなのかだが
209: 某研究者 2016/12/21(水)19:25 ID:EEjUp7GL(1/3) AAS
外部リンク[html]:www.photo-make.jp
左の国芳の山本勘助の絵では
太刀は鞘から先端部が出ている様に見えるが
こうした物は戦国期には有るのかだが
山本勘助の舌が出ているのは何か意味は有るのかだが
210: 某研究者 2016/12/21(水)19:40 ID:EEjUp7GL(2/3) AAS
歌川芳勝 甲越武勇伝のうち 山本勘助
外部リンク:pin.it
兜の上に僧頭巾がこうした形で
装備される例は戦国期には有るのかだが
211: 某研究者 2016/12/21(水)20:51 ID:EEjUp7GL(3/3) AAS
pin.it/GFIFRbL
この歌川国芳の上杉謙信も兜の上に僧頭巾が有るが
江戸初期の合戦図にはこうした物は無い訳だろうか
212(1): 某研究者 2016/12/23(金)22:10 ID:srQoP5sI(1/2) AAS
Twitterリンク:boukenkyuu
此れは江戸期の洛中洛外図・船木本だが
左のかぶき者の肩から出ているのは孔雀の羽根なのかだが
此れは実戦用甲冑には有る物なのかだが
右の甲冑の肩も妙に張り出しているが此れは装甲では無く布製の物なのかだが
具足の下の満智羅の大型の肩部と言う可能性も有るのかだが
213: 某研究者 2016/12/23(金)22:20 ID:srQoP5sI(2/2) AAS
>>212
Twitterリンク:boukenkyuu
リンクは上の間違いだが
画像リンク[JPG]:commons.wikimedia.org
画像リンク[JPG]:en.wikipedia.org
画像リンク[JPG]:en.wikipedia.org
上の様に肩の巨大な満智羅と言うのも有るから
省1
214: 2017/01/13(金)15:59 ID:Nfe0NVCj(1) AAS
相変わらず知恵袋には騎馬戦術否定論者が蔓延っているな。
・馬は甲冑武者を乗せて走れません(>人<;)
・馬は貴重なので実戦には参加しません(>人<;)
・馬上で得物は振り回せません(>人<;)
・そもそも騎馬武者は指揮官なので突撃しません(>人<;)
…などなど。
フゥ〜…見ていて呆れるわ。
215(1): 某研究者 2017/01/17(火)10:45 ID:f/C2rTRM(1/2) AAS
>馬は甲冑武者を乗せて走れません(>人<;)
短距離なら高速突撃も騎士の馬(此れも体高は140程度以下と言うが)同様に
可能と言う事だろうか
>馬は貴重なので実戦には参加しません(>人<;)
外部リンク:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
大型の南部馬の高級な物では無く
体高130cm前後の馬なら
省13
216: 某研究者 2017/01/17(火)15:09 ID:f/C2rTRM(2/2) AAS
外部リンク:webarchives.tnm.jp
上の春日権現験記絵が成立した1309年には少なく共
馬上で長物は使用されていたと言う事なのかだが
蒙古襲来絵詞に下馬してだが薙刀を使用する騎馬武者が書かれているが
この時点での馬上での長物利用は
大太刀以外は無いと言う事なのかだが
217: 某研究者 2017/01/18(水)15:52 ID:6QnyMGYg(1) AAS
Twitterリンク:boukenkyuu
蒙古襲来絵詞には沢瀉縅の鎧が複数有るが
右下の物だけ草摺が逆沢瀉縅に成っているが
こうした形式の物も現実に有るのかだが
肩部は此処に有る様な逆沢瀉縅の物しか
鎌倉期には無いと言う可能性も有るのかだが
218: 2017/02/26(日)08:35 ID:rDSL63Lm(1) AAS
>>215
>>馬は甲冑武者を乗せて走れません(>人<;)
こんなのこそ、評価次第/言い方次第/実験次第
分速150mで10分でバテるが仮に事実であったとしても、
これで「走った」と評価する人と
これでは足軽に追いつかれる-->とても「走った」うちに入らないと評価する人に分かれるのは当然
馬の調教も問題。
省7
219: 2017/03/01(水)12:30 ID:B/PEA2di(1) AAS
そこまでやっても馬に備わるのは人を乗せて走るだけ
軍馬にするには、合戦での人の声や鉄砲の音に慣れさせないといけないから、それが一苦労
220: 2017/03/04(土)01:49 ID:7KPtKl4I(1) AAS
去年あたりにBSでやってたけど
例の木曽馬に総重量102キロの重しをつけて50m6秒78
ぬかるみで8秒46かな
ちょっとメモしただけなので詳細は忘れた
221: 某研究者 2017/03/11(土)23:47 ID:g7mTzi9E(1) AAS
騎乗しては具足を外しても足軽に追い付かれる程に
木曽馬・南部馬の長距離移動能力は低いのかどうかだが
222: 2017/03/12(日)08:38 ID:mFeXZWmL(1) AAS
「具足」は戦国期になれば30?以下くらいしかなく、全体の重量の中に占める割合はそんなに大きくないので支配的とまでは言えない。
具足がなくても、ヒト と ウマ の種としての能力差がそんなに(思ったほどは)大きくない。
大きな馬は力はあるが、自分の体も運ばねばならないので、長距離走は思ったほど速くない/航続距離が短い(すぐ電池が無くなるようなイメージ。電池が無くなって足軽に追いつかれてしまう)。
騎手がどんなに軽くても長距離走はあまり(思ったほどは)得意ではない。朝青龍が乗っていてももはや五十歩百歩でしかない。
おまけに、この種の話は 選りすぐった名馬ys精鋭足軽 や 平均的な馬ys平均的な人 の比較ではなく 色々な馬ys精鋭足軽(忍者など) の比較だから、
追いつかれてしまう馬もでるのは当然の話でしかない。
※凡人は、馬と人間を比べるときに自分の脚を基準にせず一流マラソンランナー(世界記録級)とかを基準にするものである
223: 2017/03/12(日)13:26 ID:b2oy7thr(1) AAS
そもそも長距離走で人間に勝てる四足獣なんていないんだよなあ・・・
224: 2017/03/14(火)21:06 ID:1BfDBLR9(1) AAS
人と馬の競走は、(本当は)馬の辛勝位だったように思う。
・人間のランナーはしんどいのは自分だからぶっ倒れる前にリタイヤする
・馬は自分の意志ではリタイヤできない。下がすごくしんどそうに走っているのを意地でもリタイヤせず乗り続けるのはすごい快感…なんてことにすぐなる。
これではかわいそうだから(人間のランナーには医師の診察はないにも拘らず)馬には獣医検査を設けて馬をいじめすぎると失格…の如くなっているのが平均的な競走。これでは馬は勝てない
225(1): 某研究者 2017/03/15(水)15:47 ID:1zbSY+n7(1/3) AAS
外部リンク[cgi]:www.jahou.net
ウマは、最大gallop速度7.8 m/sを持ち、10km走ではヒトより速い。しかし、10-15分以上ではgallop速度は劇的に減少する。
長距離にわたる繰り返し走では、速度は5.8 m/sになり、1日に約20kmしか走れない。それ以上走ると、回復不可能な損傷を筋肉骨格系に受けてしまう。
ヒトと同程度に長距離を走る哺乳類はいるが、暑い条件下で高体温症にならずに長距離を走ることができない。
とは言え馬も低速なら一日20kmと言う事は無いだろうし
外部リンク[html]:www6.atwiki.jp
モンゴル帝国の馬は換え馬を利用し一日で100km移動も出来ると言う事だろうが
省1
226: 某研究者 2017/03/15(水)16:04 ID:1zbSY+n7(2/3) AAS
外部リンク[html]:www6.atwiki.jp
>戦国時代の歩兵の軍勢の1日あたりの移動距離は20〜25kmだそうですが。
外部リンク:togetter.com
>江戸時代の東海道だと成人男性で40〜50km/日、参勤交代でも30〜40km/日だそうですから、
>46km/日は道路と天候がよくよく統制された精鋭隊の行軍なら強行ってこともないかと
>最盛期のローマ軍団で平均20〜30km、大休止をいれない強行軍でほぼ60kmを24時間で走破した記録もあるので、
>携行荷重の適正化と行軍隊列、あと路面状況次第ではあると思うけど40kmはけして無茶ではないかもとは
省2
227: 2017/03/15(水)22:18 ID:Jn9phLIl(1) AAS
>>225
ウマは、最大gallop速度7.8 m/sを持ち…では、普通の競馬の半分以下のスピード。
木曽馬とかだとサラブレッドよりは遅いが、いくらなんでもこれよりは速い。
どんなウマで実験したのか?よほど小さいポニーに大人が乗ったのか?
>長距離にわたる繰り返し走では、速度は5.8 m/sになり、1日に約20kmしか走れない。それ以上走ると、回復不可能な損傷を筋肉骨格系に受けてしまう。
は、可哀そうだからこれくらいでやめておきました・・・という意味に他ならないです。
自分なら、完全に動かなくなるまで叩いたに決まってる・・・なんて思えてしまうような文章。
省1
228(1): 某研究者 2017/03/15(水)23:52 ID:1zbSY+n7(3/3) AAS
外部リンク:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp
木曽馬は最大時速50kmと言うから秒速は13m程度だろうが
>長距離にわたる繰り返し走では、速度は5.8 m/sになり、1日に約20kmしか走れない。それ以上走ると、回復不可能な損傷を筋肉骨格系に受けてしまう。
此れは果たして事実なのかだが
229(1): 某研究者 2017/03/16(木)00:00 ID:H+aiJSuI(1) AAS
騎兵は替え馬を使えば一日100km移動出来るが
歩兵は50km程度が精々と言う事なら
騎兵を歩兵が追撃するのは現実的なのかだが
騎兵が敗走時等で替え馬を使えない状況ならどうなのかだが
230: 2017/03/16(木)21:29 ID:BLMcltn1(1/2) AAS
>>228
ウマというものの一般論としてなら、かなりダウトと言わざるを得ないです。
マズ、
「長距離にわたる繰り返し走では、速度は5.8 m/sになり、1日に約20kmしか走れない。」には
騎手が下手なだけではないか?というツッコミが入ります。
5.8m/sというは馬術の普通の駈歩です。
上級者(というほどではなくても、ある程度乗れる人)なら、この速度なら楽で気持ちよいですので、力を抜いてドスンと乗って20kmくらいノンストップで乗り通すに決まっております。
省13
231: 2017/03/16(木)21:31 ID:BLMcltn1(2/2) AAS
>>229
一日当たりの移動距離なら、駅馬なら確かに速いが、並走の替え馬では大差がないのでは?
馬はカラ馬でも自分の体重を運ばねばならないので、騎手が乗っていても差は小さくなるはず(騎手が下手であればこの限りではない
本来並走の替え馬は、一か所にとどまって何日も戦争をつづけるとき毎日乗る馬を換えられる…というものであったはず。
232: 某研究者 2017/03/18(土)18:51 ID:onRlXHt9(1/4) AAS
外部リンク[html]:www.gachi-kaccyu-kassen.com
>人間の体重を60kgとし、装備や甲冑などで40kgとしても100kgである。
戦国時代では男の平均体重は50−60kg程度かも知れぬが
木曽馬の体重は350ー420kgであるから
馬の体重の最大2割程度は重くは成るだろうし
具足や馬鎧を装備して行軍すれば更に重く成ると言う事だろうが
馬鎧以外の装備は当世具足+刀槍なら20kg程度では無いのかだが
省2
233: 某研究者 2017/03/18(土)19:02 ID:onRlXHt9(2/4) AAS
外部リンク:news.livedoor.com
>しかし、出土した馬はその骨格から、まさに当時としては異例なほどの大型で、高さが170センチメートルはあるアラブ系の馬と推定された。
アラブ馬も此処迄大型の物は戦争用では無く
乗馬・試合用かも知れぬし
通常は150−160cm程度だろうが
197cmと言う豊臣秀頼の体格に合わせた軍馬の可能性も有るのかだが
アラブ馬では無く大型の南部馬等の可能性も有るのかだが
234: 某研究者 2017/03/18(土)19:27 ID:onRlXHt9(3/4) AAS
外部リンク[html]:www.gachi-kaccyu-kassen.com
>鎌倉時代末期の遺跡から128 頭の馬骨が出土した。
>この馬骨の調査結果では平均体高は約130cm で、最も高いものでも140cm であった。
>推定体重は280kgから360kg。
此れは可成り小型の馬も含まれる様に見えるし
荷馬や
外部リンク:blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp
省2
235: 某研究者 2017/03/18(土)20:27 ID:onRlXHt9(4/4) AAS
画像リンク[jpg]:upload.wikimedia.org
上の蒙古襲来絵詞でも
胴丸装備の騎兵の馬は大鎧装備の物より
若干小さい様にも見えるが
果たしてどうなのかだが
画像リンク[jpg]:upload.wikimedia.org
去勢されていない日本馬は密集突撃が出来ない等と言うが
省1
236: 2017/03/19(日)12:04 ID:d2sE71XD(1) AAS
長篠屏風や大阪夏の陣屏風に普通に騎馬武者出てくるしなあ
237: 某研究者 2017/03/19(日)17:26 ID:2qQYmaH1(1) AAS
外部リンク:photozou.jp
馬鎧も上の大阪冬の陣図の物は正面が厚総だが
実用性は何処迄有るのかだが
外部リンク:photozou.jp
室町期の二人武者絵の馬鎧は正面は小札製だろうが
此れは矢や刀槍を止める実用性を考慮したのかだが
238: 2017/03/27(月)14:34 ID:N9kA39SP(1) AAS
目撃者が関わっている大坂夏の陣屏風であれだけ騎馬武者いるんだから
実在したと思うな
徳川方兵士の大坂民衆への酷い狼藉まで描かれてるんだから
239: 某研究者 2017/03/27(月)23:03 ID:8C/5tnkh(1/4) AAS
blog.goo.ne.jp/raruraru2003jp_1955/e/3ed8bc260dabf0c1f7c61bd7ceb1ad46
>長政が甲冑の上から陣羽織として着用したと伝える豪華な衣服。
此れは狩衣を一部模しているのかだが
狩衣を下腹巻の様にして
当世具足の上に装備していた例は有るのかだが
240: 某研究者 2017/03/27(月)23:10 ID:8C/5tnkh(2/4) AAS
楠木正成の連結式の盾は騎馬武者を止める為と言うし
画像リンク[jpg]:upload.wikimedia.org
此れは上の蒙古襲来絵詞に有る様な
密集突撃に対応する為と言う事は無いのかだが
241: 某研究者 2017/03/27(月)23:28 ID:8C/5tnkh(3/4) AAS
外部リンク:kikyo.nichibun.ac.jp
上の平治物語絵巻・六波羅合戦巻には
ほぼ騎馬武者同士の集団戦が書かれている様に見えるが
此れより大規模の騎馬武者主体の兵の集団戦も有ったのかだが
242: 某研究者 2017/03/27(月)23:53 ID:8C/5tnkh(4/4) AAS
外部リンク:photozou.jp
一番上の刀の鞘に弓を掛けている例は
Twitterリンク:boukenkyuu
上の平治物語絵巻・六波羅合戦巻に有る騎馬武者に有るのかだが
単に白兵戦前に弓を手放し落下させている訳では無いと言う事なのかだが
戦国期に同様の方法で弓の携行はしていたのかだが
243: 某研究者 2017/03/28(火)14:41 ID:wEcsOqWJ(1/3) AAS
外部リンク:kikyo.nichibun.ac.jp
>上の平治物語絵巻・六波羅合戦巻には
>ほぼ騎馬武者同士の集団戦が書かれている様に見えるが
上の様なほぼ騎馬武者のみでの集団戦と言うのは
戦国時代前期では廃れたと言う事なのかだが
弓歩兵が射撃戦後騎馬武者が乗馬突撃と言うパターンは
銃が出る前は割に多用されていた可能性も東国では特に有るのかどうかだが
省6
244: 某研究者 2017/03/28(火)16:28 ID:wEcsOqWJ(2/3) AAS
外部リンク:photozou.jp
室町期の絵に帽子兜らしき物を装備した騎馬武者が居るが
戦国時代後期でも騎馬武者はこうした兜を使用したのかだが
外部リンク:photozou.jp
上の秋夜長絵巻等に居る軽装の兜を装備した下馬兵は
脛当の有る者は騎馬武者の可能性も有るのかだが
245: 某研究者 2017/03/28(火)17:05 ID:wEcsOqWJ(3/3) AAS
銃の時代の騎馬武者の乗馬突撃はどうなのかだが
フサリアの様な散開しての突撃は無いが
スウェーデンの騎兵の様な敵の歩兵の陣形を崩してからの
乗馬突撃なら東国では多用されていた可能性も有るのかだが
三方ヶ原でも最終的にはこうした乗馬突撃で
徳川軍がやられた可能性も有るのかだが
246: 某研究者 2017/03/29(水)11:58 ID:IvIN05KP(1/5) AAS
Twitterリンク:boukenkyuu
此れは平治物語絵巻の一部だが
外部リンク:photozou.jp
上の一番上の騎馬武者と異なり
弓が肩の上に有るのは地上の障害物との干渉を避ける為なのかだが
右前で刀を振る分には邪魔では無いかも知れぬが
乱戦では此れでも弓は邪魔と成るなら武家奉公人に預けるか投棄したと言う事なのかだが
省6
247: 某研究者 2017/03/29(水)12:25 ID:IvIN05KP(2/5) AAS
外部リンク:photozou.jp
上の下絵だと左肩に弓が有るが
刀の鞘に掛けるよりメリットは何か有るのかだが
肩はやや動かし難いが
直ぐに弓を構えられると言う可能性も有るのかだが
248: 某研究者 2017/03/29(水)13:51 ID:IvIN05KP(3/5) AAS
外部リンク:www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp
>この武士は装具から判断するに、中級の侍頭クラスであろう。
此れは草摺の下に迄佩楯の装甲が有る様にも見えるが果たしてどうなのかだが
徒士侍用の草摺の隙間を埋められる様な
短い佩楯と言う事なのかだが
装甲は革製と言う事なのかだが
249(1): 某研究者 2017/03/29(水)14:33 ID:IvIN05KP(4/5) AAS
甲冑を着ている宮本武蔵と着ていない宮本武蔵が槍や刀で白兵戦をしたら
後者が勝つ可能性は無いのかだが
装甲が無ければ銃や弓でやられる危険は有るだろうし
宮本武蔵も石で負傷しているが
飛び道具が飛んで来ない状況なら素肌武者の様な格好に成った方が
達人は強い可能性は無いのかだが
そうした事を考慮して装甲を外した素肌武者等も居るのかだが
250: 某研究者 2017/03/29(水)14:37 ID:IvIN05KP(5/5) AAS
>>249
とは言え新撰組や赤穂浪士も飛び道具を防ぐ為に鎖を装備していた訳では無いだろうし
狭い場所で多数を相手に戦う場合
同時多数の敵の攻撃から逃げられぬ場合も多いから
こうした状況では装甲が有る方が良いのかだが
251: 某研究者 2017/04/05(水)11:48 ID:ekFUqUa+(1) AAS
南北朝期以降の大鎧25kg+此れの下の鉄板札・伊予札の金胴或いは胴丸5kg
+佩楯+籠手+喉輪+面頬と成ると35kg以上には成る可能性も有るのかだが
此れに近い装備は15世紀の二人武者絵でも有るが
大鎧の下に金胴や胴丸は無い可能性も有るから
装甲は30kg程度で収まっている可能性も有るだろうが
本小札製の胴丸は20kg以上有る物も確か有るだろうし
銃登場前は何処迄軽量化されていたのかだが
省2
252: 某研究者 2017/04/06(木)09:33 ID:UMUhPUJi(1/5) AAS
南北朝期の場合騎射戦後
騎馬武者は一旦後退し歩兵と合流して長物に持ち替え
再度乗馬突撃していたのかだが
この時点で騎馬武者は射撃を受けたら
一部の絵に有る様に弓も携帯していた者は弓を放つが
合流した弓歩兵の援護も有ったのかだが
銃登場前なら平地の多い東国では
省1
253: 某研究者 2017/04/06(木)11:14 ID:UMUhPUJi(2/5) AAS
戦国期の日蓮聖人註画賛等に多数出て来る大太刀も
大概は刃長は四尺(121cm)程度以上は有る様に見えるが
どの程度が標準サイズなのかだが
五尺(151cm)は流石に無いのかだが
騎馬武者用の九尺(272cm)の槍のリーチは左手で中央を持つ故に136cmであるなら
槍に対抗する為にこの程度の刃長(四尺五寸程度)が有る物が標準の可能性も有るのかだが
とは言え槍が突きを入れた際は当然リーチは更に長くは成る訳だろうか
254: 某研究者 2017/04/06(木)11:40 ID:UMUhPUJi(3/5) AAS
外部リンク[html]:www.mokuzai-tonya.jp
>山金造黒漆蛭巻大太刀(号・柏太刀)日光二荒山 蔵 重要文化財。
>「刀身」136.6cm(4尺五寸五分)反り 4.6cm 拵え 194cm 柄長 51.1cm 南北朝時代。
此れは136cm程度の刃が有るが
此れが当時の大太刀の標準サイズなのかだが
255(1): 某研究者 2017/04/06(木)12:17 ID:UMUhPUJi(4/5) AAS
Twitterリンク:boukenkyuu
上の日蓮聖人註画賛の歩兵が持っているのは大太刀なのかだが
柄の長い長巻或いは中巻野太刀の可能性も有るのかだが
騎馬武者の持ち物の可能性も有るのかだが
256: 某研究者 2017/04/06(木)12:34 ID:UMUhPUJi(5/5) AAS
>>255
柄の上端部には模様が有る様に見えるが
此れは中巻野太刀の刀身に巻かれた布である可能性も有るのかだが
刀身の方が柄より長い事を考えると
長巻では無く中巻野太刀の可能性が高いのかだが
257: 某研究者 2017/04/29(土)17:31 ID:gzmvUWsQ(1) AAS
外部リンク[html]:blogs.yahoo.co.jp
上の織田信雄の具足の産佩楯には
上部に鎖が入る可能性も有るのかだが
258: 某研究者 2017/05/03(水)20:33 ID:y+NINMVb(1) AAS
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%99%A3%E5%BD%A2%E5%8F%B2#.E4.B8.AD.E4.B8.96.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E9.99.A3.E5.BD.A2
>旗持が前列で左右に展開し、二列に鉄砲隊、三列に歩兵、その左右に騎兵
騎馬武者は戦闘時には備の側面に居たのかだが
此れは備の側面を敵が奇襲せぬ様に防護していたのかだが
259: 某研究者 2017/05/04(木)12:46 ID:4wFolEF+(1/3) AAS
側面に配置された騎馬武者も
射撃戦時には前に移動するのかだが
一部は奇襲警戒の為に側面に待機している可能性も有るのかだが
白兵戦時にも此れは残る可能性も有るのかだが
或いは徒武者が側面に配置される可能性も有るのかだが
260: 某研究者 2017/05/04(木)13:19 ID:4wFolEF+(2/3) AAS
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%99%A3%E5%BD%A2%E5%8F%B2
>戦国期に徹底した武装の指定を行ったのは、武田・上杉・北条氏といった東国大名達であり、西国の織田氏はむしろ動員人数すら定めておらず
西国では山が多い事も有り
備は使用されていない可能性も有るのかだが
大阪夏の陣図では旗持ち・銃兵の列の背後に乱雑に騎馬武者と歩兵が並んでいる例が多いが
此れは西国の陣形なのかだが
261: 某研究者 2017/05/04(木)14:38 ID:4wFolEF+(3/3) AAS
外部リンク:photozou.jp
上は大阪夏の陣図の一部だが
騎馬武者の集団が下馬戦闘しているのかだが
右上や左下に足軽らしき手足に装甲の無い陣笠を装備する兵が交じるが
雑兵物語に有る様に騎馬武者が先に突撃するが
一部戦意の高い足軽も此れに加わる可能性も有るのかだが
262: 2017/05/09(火)17:59 ID:puDlX50X(1) AAS
某研究者とかいうのはなんでエキサイト翻訳みたいな書き方なんだ
263: 2017/05/10(水)09:09 ID:Z5feHJZ9(1) AAS
頭がちょっとアレな人だからだよ
あと自称してるだけで別に研究者でも何でもないからね
264: 某征夷大将軍 2017/05/10(水)20:07 ID:Kn4rPJ8E(1) AAS
夜の顔を見忘れたか?
265: 某研究者 2017/05/19(金)15:08 ID:eToJbwEd(1/2) AAS
note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n262524
>後北条氏の北条氏直が岩付衆に宛た御朱印状に槍600、騎馬500、歩者250、小旗120、鉄砲50、弓40という部隊編成が記されているそうです。
飛び道具が余りに少ない様に見えるが
騎馬武者も銃・弓は下馬し使用していたのかだが
266: 某研究者 2017/05/19(金)17:31 ID:eToJbwEd(2/2) AAS
外部リンク:photozou.jp
上の川中島合戦図では
騎馬武者は側面の弓・鉄砲足軽の背後にも配置されているが
此れは弓・鉄砲足軽が襲撃された場合に騎馬武者が前に出て
後方に下がる迄の時間を稼ぐ故と言う事なのかだが
正面は槍足軽と後列の騎馬武者が支えるのかだが
267: 某研究者 2017/05/22(月)13:46 ID:NOxAnSCk(1) AAS
騎馬武者も下馬して山を高速で移動し
側面から地形を利用しつつ飛び道具を放つと言う様な事は
何処迄行われたのかだが
機動性を確保する為に素肌武者がこれを行った例は有るのかだが
268: 2017/05/22(月)17:58 ID:GiaQdOOY(1) AAS
何を言いたいのかわからないのかだが
269: 2017/05/24(水)09:28 ID:Q/sXcTC1(1) AAS
>あと自称してるだけで別に研究者でも何でもないからね
なんで研究者自称してるんだろう
願望なのかな?
270: 某研究者 2017/05/31(水)11:52 ID:S/mGk5Q/(1/2) AAS
南北朝期の戦闘では
垣盾を並べ騎馬武者も下馬して射撃戦後
騎馬武者同士が先ず打物を持ち乗馬突撃
後方から歩兵が続き
追撃・逃走時は騎馬武者も残っていた矢を利用して
馬上射撃もすると言う方向なのかだが
銃普及後では射撃戦後の騎馬武者の乗馬突撃は
省6
271: 某研究者 2017/05/31(水)12:02 ID:S/mGk5Q/(2/2) AAS
大阪夏の陣図(黒田屏風)でさえも一部の騎馬武者は弓を携帯しているだろうし
此れは下馬しての射撃だけでは無く
敵の追撃・逃走時の馬上での射撃にも
大阪夏の陣段階でさえ使われたと言う事なのかだが
272: 某研究者 2017/06/05(月)21:33 ID:McoDZPuy(1) AAS
敗走する歩兵を騎馬武者・馬足軽が追撃し
銃で狙撃と言うのは有り得たのかだが
銃での反撃を恐れて追撃しない可能性も有るのかだが
銃を持たぬ孤立した歩兵が狙撃される
或いは持っている者も奇襲でやられる例は有るのかだが
すてがまりの様に逆に歩兵に追撃部隊が奇襲狙撃されている例も有る訳だろうか
273: 2017/06/09(金)13:50 ID:GP3PQQon(1) AAS
マジキチ
274: 2017/06/09(金)17:05 ID:GxyIBQJs(1) AAS
マジキチなのかだが
275: 某研究者 2017/07/29(土)18:56 ID:mAsVZddF(1/2) AAS
薄い鉄札よりは皮を何重にも膠で貼り付けた後叩いて固める
練革の方がコストが掛かると言う意見も多いし
鉄が無いから練皮を使用している訳では
偉い人間の鎧にも練皮が多用されている事を考えると
無いと言う事だっただろうが
足軽の陣笠も鉄より皮の方が高級品と有るが
衝撃吸収力は厚みが有れば薄い鉄と同等なのかだが
省3
276: 某研究者 2017/07/29(土)18:58 ID:mAsVZddF(2/2) AAS
馬を利用出来ぬ様な山の多い西国の地形で
下馬して移動し銃撃戦に有利な位置を
出来るだけ早期に確保すると言う戦術を多用するなら
越中流具足の様な物は有用と言う事なのかだが
弓の時代でも軽量な胴丸・腹巻が西国では同様の理由で
南北朝期以降は多用された可能性も有るのかだが
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