織田信長の人物像・人間像について考える (558レス)
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(7): 2022/05/16(月)01:01 ID:gTySp7Of(1/2) AAS
>>159
君がそんな事を書いたって、
逆に信長がその時点で、桶狭間山にいる軍勢を、義元本陣だと認識していた、
という論拠自体が無いと思うんだけど。
少なくとも、信長公記を読むなら、その時点で信長が義元本陣の位置を知っていたと思しき記述はどこにもない様に思うし、
義元本陣の状況を知る情報を得ていた形跡もないように思う。

そんなの、敵軍勢の前衛部隊が行う当たり前の事だと思うけど。
信長には、信長公記を読むと、敵が大高城に兵糧を運んだ事、
その後で織田側の丸根、鷲津の砦を攻撃した事、は報告が入っているように思われるし、
その後で救援に向かう信長は、信長公記だと、丸根、鷲津が攻略されたと思しき煙を確認してるように思われるので、
省11
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(3): 2022/05/16(月)01:35 ID:gTySp7Of(2/2) AAS
>>160
山といったって、結構範囲が広いと思うので、豪雨が来た時に、信長が近づいていたのが、
義元本陣の近くだったかは、まだ疑問の余地があると思う。

言ってみれば、桶狭間山の、義元本陣が布陣していた場所から結構距離のある山際に来た時に、
豪雨が来て、信長公記を読むと、その雨は今川勢にとっては正面から当たる雨で、
桶狭間山の方に向かう織田勢にとっては後ろに当たる通り雨だったように思うので、
そのまま今川勢が前線の状況を把握しにくくなってる状況で、織田勢は義元本陣近くまで移動し、
織田側にはその通り雨が行き過ぎて、今川勢にはまだ当たっていると思われる状況で攻撃した、
っていう解釈も可能だと思う。

上記に書いたように、信長公記を読むと、その豪雨の通り雨は、桶狭間山の方に向かう織田側にとっては背中に当たり、
省14
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