[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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605: 2020/06/20(土)18:05 ID:5ACpsvez0(4/4) AAS
・分別説部が勝手に分別して削ぎ落した、とかいう可能性

>スリランカ大寺派は分別説部からも切られた異端だから可能性は多いに有る

>ブッダゴーサの改竄以降はインド上座部にもカウントされて無いから 現行自称上座部は総て
分別説部の名残り

>無縁の慈悲とは、迷いの世俗を超越した仏・菩薩のみにある、縁なくしておこす絶対平等の慈悲であるから無縁という。
人・法の一切法は空であると体得した智慧よりおこる慈悲であるから大悲という。
外部リンク:labo.wikidharma.org
606: 2020/06/21(日)05:28 ID:5U5aiOChD(1/5) AAS
大乗仏教には、インド伝来の釈迦仏教(原始仏教)以来の伝統があります。
戒・定・慧の三学を兼修して総合的に学ぶことです。鎌倉新仏教(祖師仏教)
のように、宗祖が選び取った一つの行を専修する方法は大乗仏教のあり方
ではありません。宗祖が選んだ易行を専修する「撰択の仏教」には、
釈迦の精神を継承する正当性や正統性が欠落しています。大乗仏教の
精神を継承する適格性があるとは考えられません。「宗祖が選び取った教え」を仏教の全てと考えることは、釈迦仏教を否定し、大乗仏教の精神を否定することになるのです。これを布教する行為は、妄想を語るプロパガンダでしかないと考えられます。
外部リンク:shukyo-kataru.com
607: 2020/06/21(日)05:30 ID:5U5aiOChD(2/5) AAS
>ブッダはなぜ女嫌いになったのか (幻冬舎新書)
したらばスレ:news_3665

ブッダの実母マーヤーは、ブッダを生んで7日で亡くなった。
ブッダの養母マハーパジャーパティ(父の後妻)とは、歳の差もなく、小さいころから仲良しだった。

ブッダは、マハーパジャーパティを愛していて、肉体関係もあった(と、著者は書く)。
しかし、父の後妻で、自分の養母だから、愛することはできない。

ブッダは、妻を持つが、これが欲深な悪妻ヤショーダラーだ。
ヤショーダラーはブッダとの間に、ラーフラを生む。

しかし、ラーフラはブッダの子供ではなくて、別の男(デーヴァダッタ)の子らしい。
だからブッダは、子供にラーフラ(邪魔者)という名前を付けた。
省6
608: 2020/06/21(日)05:32 ID:5U5aiOChD(3/5) AAS
そろそろ私たちは5世紀に到るまで法華経教団はおろか大乗教団の遺跡が発見されていない(法華経自体は色々発見されている)ことを素直に受け止め、これら大乗経典と信仰が布薩に共に参加する上座伝統教団内のグループとし行われたと考えるべきではないのか?

そう考えると法華経に見える釈尊や仏達への形容句がデイヴィ・アヴァダーナやマハー・ヴァゥストゥと共通していくることはなんら不思議がないことになる。更に律文献に見える教団の社会対応から所謂不正腐敗と対する反発と浄化運動も推測出来ることになる。

つまり大乗と小乗は違う拠点で睨み合っていた訳ではなく寺院、チャイティアを中心に森林遊行など四方僧伽・全教団として戒を保ち律をよくして共存しながら、分裂ではなく思想闘争をしながら連綿とナーランダーのような大学まで歩んでいったという方が自然に思う。

伝統教団的に戒と律をよく行った上での大乗経の創作・解釈となると中国、日本的解釈とは異なり、インド的な戒と律で守る信仰と護られる生活があるから、親鸞さんや日蓮さんのような大胆な、極論すれば仏教から踏み外しかねない領域へは足を踏み込まないことになる 。

法華経は有る意味それまでの仏教をおさらい的に語っているところもある。インド的活動に沿って読めば迹門本門という枠組みも疑問だし、声聞縁覚と仏弟子を呼ぶのが蔑称と言うのは大乗小乗の対立を前提にした中国日本的解釈ではないのだろうか?
609: 2020/06/21(日)10:26 ID:5U5aiOChD(4/5) AAS
身体を壊(やぶ)り、表象作用と感受作用とを静めて、識別作用を滅ぼすことができたならば、苦しみが終滅すると説かれる。

それの出離であって、思考の及ばない静かな境地は、苦しみのことがらの止滅であり、つくるはたらきの静まった安楽である。

そこには、すでに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている。

来ることも無く、行くことも無く、生ずることも無く、没することも無い。住してとどまることも無く、依拠することも無い。ーーそれが苦しみの終滅であると説かれる。

水も無く、地も無く、火も風も侵入しないところーー、そこには白い光も輝かず、暗黒も存在しない。
省6
610: 2020/06/21(日)21:49 ID:5U5aiOChD(5/5) AAS
通常人の一般的感覚からして
五蘊のうち、色・受・行、およびケンリツダヤ識・阿摩羅識を除く識は
「我が物に非ず」と理解し易いでしょう。しかし「想」は「我」が思っているのでは
と最後まで錯覚が残るというか観想の残像も多少継続し、完全な「止」に至らないと思うのです。
そこから、残りの一切をクリアするのが非想非非想処定から滅尽定に至るプロセスではないのかなと

坐禅と動中の工夫
2chスレ:psy
611: 2020/06/22(月)22:19 ID:3dWGDJgbn(1/2) AAS
真俗二諦(しんぞくにたい)

漢訳仏典の中でも古い経典とされる阿含部の経典では二諦の語は『増一阿含経』第三の「阿須倫品」に説かれるものが指摘されてきた。
しかし、『増一阿含経』そのものが経典成立からいえば、相当に新しい部分の初期経典であるので、二諦の説をもっとも古いものとすることには問題がある。
といえ、二諦の語そのものは相当古くから用いられていた。

最も古いとされる、仏陀の言葉を直接伝えたものを多く含んでいると考えられる『経集』(suttanip?ta)に「パラマットハ」(paramattha)、「サンマティ」(sammati)という語があり、前者は「勝義」、後者は「世俗」を意味する。
しかし、ここでのこの二語は決して対語として用いられているわけでないから、後世の真俗二諦と同じようには考えられない。
したがって、真俗が対語として用いられるもので最も古いものは『ミリンダ王問経』ということになり、時代的には大分後のものとなる。

漢訳阿含経でみれば真俗二諦について、『中阿含経』第四十二巻「分別六界経」に
 >真諦とは、いわく如法なり。
 >妄言とは、いわく虚妄法なり
省2
612: 2020/06/22(月)22:35 ID:3dWGDJgbn(2/2) AAS
般若心経に説かれる波羅蜜多は、その原形が釈迦仏教にある。六波羅蜜の忍辱が、釈迦仏教にないと思ったが、
誰かがアングリマーラ経に忍辱行の原形があると指摘した。なるほど、アングリマーラが民衆から迫害された時、釈迦の助言は、耐え忍べ、であった。
妙薬は

根本智を得た覚者の二諦
世俗諦〜ことばによる説明で伝わる範囲の真理。
勝義諦〜ブッダの教えにおける深い真実、言語によって説明され得ない奥義。シニフィエ
最勝真実の道理のことで、諸法実相・真如・涅槃
ことばの持つ本質的な意味
613: 2020/06/23(火)11:36 ID:siq55ernp(1/2) AAS
>たとえば五位七十五法、なんてのがある。
これなど、勉強すればするほど、悟りからは遠ざかる典型的な例だ。アビダルマ論師たちが暇に任せてくだらない研究をまとめた例だ。
少し修行が進むと、無駄な知識と、有用な知識との区別がつくようになってくる

>坐禅、坐禅。
柔軟心(にゅうなんしん)。
和尚が一つの円を描いて言う。
「この丸は月か団子か桶の輪か、カドのとれたる人の心ぞ。
614: 2020/06/23(火)17:04 ID:siq55ernp(2/2) AAS
もう一つ可能性があるのは
大乗仏典が数多く出現した像法初期には
原始仏典も作り物だというのが共通認識として皆わかっていて
どうせフィクションなのだからと腕利きの歴史小説作家気取りの学僧たちが
観想の中で得た構想をフルに飛躍させて 大衆向けにSFファンタジー仏伝を生み出したとかも
言えるかなとは想像します
615: 2020/06/24(水)00:39 ID:+rtV48xJL(1/4) AAS
色即是空解釈の誤り4
2chスレ:psy
616: 2020/06/24(水)06:25 ID:+rtV48xJL(2/4) AAS
上座部が廃した経典の復古版かも知れない経典が初期の大乗経典にある
大乗経典はサンスクリット語ベースだから わざわざプラークリット語に直す必要も無い
パーリ語に代表されるプラークリット語は釈迦の意向で上座部教団の特徴だし
般若経典のルーツが上座部にあるとしたら経典の削除を行った上座部に過失が有る事になる

>スリランカ大寺派は分別説部からも切られた異端だから
分別説部が勝手に分別して削ぎ落した可能性は大いに有る

ブッダゴーサの改竄以降はインド上座部にもカウントされて無いから 現行自称上座部は総て
分別説部の名残り
617: 2020/06/24(水)14:37 ID:+rtV48xJL(3/4) AAS
龍樹はこの十二支縁起をブッダの教えの中でも最も優れたもので、誰でもこれを正しく見るなら、その人はブッダそのものを知り、最上のものを見るとして、
全く否定はしていません。

釈迦は十二支縁起を解したら悟りだとしている。
618: 2020/06/24(水)17:44 ID:+rtV48xJL(4/4) AAS
ネガティヴな響きがあったとしても
マイナスにマイナスを掛ければプラスになるみたいなもので
「因縁の空なるを悟れば解脱できる」とか「空があるから、滞らずに
変えていける」
619: 2020/06/25(木)06:35 ID:Mr0OAYUZw(1/4) AAS
ダンマパタ
一七一 世の中は泡沫(うたかた)のごとしと見よ。王者の車のように美麗である。愚者はそこに耽溺するが、心ある人はそれに執着しない。

金剛般若経
一切の有為法
夢、幻、泡、影の如く
露の如く、又雷の如し
まさにかくの如し観をなすべし
620: 2020/06/25(木)07:17 ID:Mr0OAYUZw(2/4) AAS
ただ言葉の問題として、仏教はアナートマンだからアートマンという訳にいかない
しかし、如来蔵とか、活仏転生とか
実質アートマンだし、日本の仏教だって梵我一如です
621: 2020/06/25(木)20:04 ID:Mr0OAYUZw(3/4) AAS
色即是空受想行識亦復如是で終わりになれば諸法は空にして無分別ですから自他の分別もなくなる。
でも大乗仏教はそこから空即是色の後得智に続きます

後得智
?仏? 現象界の個々の物事の相違を認める智慧ちえ。あらゆる物事が無差別であると知る根本智ののちに得られる。仏は衆生の差別を知って救済
しようとするので、衆生を救済するのは後得智とされる。
外部リンク:kotobank.jp

金剛般若経だと
「諸々の菩薩摩訶薩は、まさに、かくの如く、清浄の心を生ずべし。まさに色に住して心を生ずべからず。まさに声香味触法に住して心を生ずべからず。まさに住する所無くして、しかもその心を生ずべし(応無所住而生其心)」と説かれていますが、
これが空即是色に即した大乗の菩薩行でしょう

>灰身滅智よりも無住処涅槃にウエイトを移した
省12
622: 2020/06/25(木)22:10 ID:Mr0OAYUZw(4/4) AAS
・仏教とヒンズーは相互に影響与えあってた

スマナサーラとマハルシのどちらが
よりブッダに近い? 圧倒的にマハルシと思うぞ
分別説部はそもそも破門されたグループで、仏法破壊をやっただけ
ヒンズーは逆に純仏教化してた

>破門されたのは分別説部全体じゃなくてスリランカ大寺派だけ

今の南伝仏教の系譜だよ

他のインド上座部はチベット仏教に包摂されてるから寧ろ南伝仏教が法脈としては異端という事になる
省3
623: 2020/06/26(金)01:55 ID:5ux/ZgOdE(1/6) AAS
菩薩摩訶薩は、何のように般若波羅蜜を行じるのか?

大智度論 巻三十五(上)より

『舎利弗』は、『仏に白して!』、こう言った、――
『菩薩摩訶薩』は、何のように、『般若波羅蜜』を、『行えばよいのですか?』、と。
『仏』は、『舎利弗』に、こう告げられた、――
『菩薩摩訶薩』は、『般若波羅蜜を行う!』時、『菩薩も!』、『菩薩の字も!』、『見ることなく!』、『般若波羅蜜も!』、『わたしは、般若波羅蜜を行っているとも!』、『わたしは、般若波羅蜜を行っていないとも!』、『見ることはない!』。
何故ならば、『菩薩も!』、『菩薩の字も!』、『性は、空であり!』、『空』中には、『色も、受想行識も!』、『無いのに!』、『色を離れて!』、『空』は、『無く!』、『受想行識を離れて!』、『空』は、『無いので!』、
『空は、即ち色であり!』、
『色』は、『即ち、空であり!』、
『空は、即ち受想行識であり!』、
省1
624: 2020/06/26(金)01:57 ID:5ux/ZgOdE(2/6) AAS
何故ならば、舎利弗!
但だ、『名字が有る!』が故に、『菩提である!』と、『謂い(言い)!』、
但だ、『名字が有る!』が故に、『菩薩である!』と、『謂い!』、
但だ、『名字が有る!』が故に、『空である!』と、『謂うからである!』。
何故ならば、『諸法の実性』は、『生も、滅も、垢も、浄も!』、『無い!』が故に、『菩薩摩訶薩が、是のように行えば!』、『生も、滅も、垢も、浄も!』、『見ないからである!』。
何故ならば、『名字』は、『因縁和合の!』、『作法であり』、但だ、『分別、憶想』を、『仮名して!』、『説くだけであり!』、
是の故に、『菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行う!』時には、 『一切の名字を見ることなく!』、『名字を見ない!』が故に、『名字に著さないのである!』。
外部リンク[htm]:tubamedou.egoism.jp

般若波羅蜜は三十七道品や六波羅蜜の修養など一切の善法と道を学んだ上で完成するわけですが、
その中で肝心なのは一切のそのものの名を見ることがなく名に執着することなく一切の想(概念・イメージ)から離れて、一切法を実体視することなく執着を捨てることとされているようです。
省2
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