[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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45: 2017/11/17(金)01:55 ID:RHodYhizL(8/21) AAS
七覚支
(しちかくし、巴: satta bojjha?g?, サッタ・ボッジャンガー)とは、
仏教における修行内容の1つ。悟りの7つの支分をなす項目。
念覚支(sati-sambojjha?ga) - 気づき。心で今の瞬間の現象を自覚すること
択法ちゃくほう覚支(dhamma-vicaya--sambojjha?ga) - 法の中から真実のものを選ぶ
精進覚支(viriya-sambojjha?ga) - 努力
喜覚支(p?ti-sambojjha?ga) - 喜びに住する
軽安きょうあん覚支(passaddhi-sambojjha?ga) - 心身に軽やかさ・快適さを感じる
定覚支(sam?dhi-sambojjha?ga) - 心が集中して乱れない
捨覚支(upekkh?-sambojjha?ga) - 対象に囚われない
46: 2017/11/17(金)01:56 ID:RHodYhizL(9/21) AAS
八正道(はっしょうどう、巴: ariya-a??ha?gika-magga,
梵: ?rya-a????gika-m?rga)は、釈迦が最初の説法において説いたとさ
れる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳。

正見(しょうけん, 巴: samm??di??hi, 梵: samyag-d???i)とは、
仏道修行によって得られる仏の智慧であり、様々な正見があるが、根本
となるのは四諦の真理などを正しく知ることである。
業自性正見(ごうじしょう-)[6](巴: kammassakat? samm??di??hi)[7] - 業を自己とする正見。
十事正見
四諦正見
「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。
省10
47: 2017/11/17(金)01:58 ID:RHodYhizL(10/21) AAS
正思惟(しょうしゆい, 巴: samm?-sa?kappa, 梵: samyak-sa?kalpa)とは、
正しく考え判断することであり、
出離(離欲)を思惟し
無瞋を思惟し、
無害を思惟することである。
このうち「出離(離欲)」とはパーリの原文では「nekkhamma」で、
世俗的なものから離れることを意味する。財産、名誉、など俗世間で重要
視されるものや、感覚器官による快楽を求める「五欲」など、人間の俗
世間において渇望するものの否定である。これら3つを思惟することが正思惟である。

正語(しょうご, 巴: samm?-v?c?, 梵: samyag-v?c)とは、
省2
48: 2017/11/17(金)02:00 ID:RHodYhizL(11/21) AAS
正業(しょうごう, 巴: samm?-kammanta, 梵: samyak-karm?nta)とは、
殺生を離れ、盗みを離れ、性的行為(特に社会道徳に反する性的関係)を離れる
ことをいう。 この二つは正思惟されたものの実践である。

正命(しょうみょう, 巴: samm?-?j?va, 梵: samyag-?j?va)
殺生などに基づく、道徳に反する職業や仕事はせず、正当ななりわいを持って生活を営むことである。

正精進(しょうしょうじん, 巴: samm?-v?y?ma, 梵: samyag-vy?y?ma)とは、
四正勤(ししょうごん)、すなわち「すでに起こった不善を断ずる」「未
来に起こる不善を生こらないようにする」「過去に生じた善の増長」「
いまだ生じていない善を生じさせる」という四つの実践について努力することである。

正念(しょうねん, 巴: samm?-sati, 梵: samyak-sm?ti)
省3
49: 2017/11/17(金)12:13 ID:RHodYhizL(12/21) AAS
仏教のある時代に人間として生まれてきただけで、すごいことです。
十分に悟れる可能性があります。
経典では奴隷の少女、瀕死の老人、盗賊…さまざまな人がお釈迦さまの詩を一節聞いたくらいでワンサカ悟っています。
仏教の知識どころか字を読めない人もいましたし、修行もしていません。(一応、過去世からの長い修行の結果、お釈迦さまに巡り合い、無常・苦・無我の理を観察し悟ったとされています。)
…容姿や性格、体力知力がそれぞれ異なるように、私たちの悟りへの道順や近さは異なります。しかしやるべきことは一緒です。
悪を離れ、善を行う。自分を観察し清らかな心を育む。
その修行のために最低限の知識がいるとすれば、個人的には「業自性正見」を挙げます。
天野和公

四諦(苦・集・滅・道)、また、名(こころ)と色(もの)の性質は苦・無常・無我であると知っておくのも役立つと思います。
その上で、五戒を守り、止(精神集中の瞑想、禅定)と観(智慧の瞑想、観察)を実践することが、悟る(苦悩の原因である煩悩をなくす)ための王道ではないでしょうか。    願誉浄史
50: 2017/11/17(金)12:18 ID:RHodYhizL(13/21) AAS
業自性正見(ごうじしょう-)  業を自己とする正見。
生きとし生けるもの(巴: satt?)は、
業(だけ)を自己の所有とする(巴: kammassak?)
業(だけ)を相続する(巴: kammad?y?d?)
業(だけ)を(輪廻的生存の)起原、原因とする(巴: kammayon?)
業(だけ)を親族とする(巴: kammabandh?)
業(だけ)を依り所とする(巴: kammapa?isara??)
51: 2017/11/17(金)12:22 ID:RHodYhizL(14/21) AAS
十事正見
布施の果報はある(巴: atthi dinna?)
大規模な献供に果報はある(巴: atthi yi??ha?)
小規模な献供に果報はある(巴: atthi huta?)
善悪の行為に果報がある(巴: atthi sukatadukka??na? kamm?na? phala? vip?ko)
(善悪の業の対象としての)母は存在する(母を敬う行為に良い結果があるなど)(巴: atthi m?t?)
(善悪の業の対象としての)父は存在する(父を敬う行為に良い結果があるなど)(巴: atthi pit?)
化生によって生まれる衆生は存在する(巴: atthi satt? opap?tik?)
現世は存在する(巴: atthi aya? loko)
来世は存在する(巴: atthi paro loko)
省1
52: 2017/11/17(金)12:46 ID:RHodYhizL(15/21) AAS
>>1
平安時代の仏教書。1巻。延暦20年(801)最澄著と伝えるが真偽未詳。末法には無戒名の僧こそが世の灯として尊ばれねばならないと主張したもの。
本書は栄西,法然,道元,親鸞らの著書に引用され,鎌倉仏教の思想的基盤となった。
53: 2017/11/17(金)13:15 ID:RHodYhizL(16/21) AAS
三時または五箇の五百歳は『大集経』に説かれる。
「大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固已上一千年、
次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」
第一の五百歳 解脱堅固…インドにおいて伽葉・阿難等が小乗教を弘めた。
第二の五百歳 禅定堅固…インドにおいて竜樹・天親等が大乗教を弘めた。
第三の五百歳 読誦多聞堅固…仏教が東に流れて中国に渡り経典の翻訳や読誦、講説等が盛んに行われた。天台大師(智)が法華経を弘めた。
第四の五百歳 多造塔寺堅固…仏教が東に流れて日本に渡り聖徳太子以来多くの寺塔が建てられた。伝教大師(最澄)が日本の仏教を統一し大乗戒壇を建てた。
第五の五百歳 闘諍堅固・白法隠没…戦乱が激しくなり、釈迦の仏法が滅尽する。
日本では『末法燈明記』[1]では1052年(永承7年)に末法に入ったとされた

^ なお、日蓮等の鎌倉仏教の多くの祖師は『末法燈明記』は最澄の著述だと定めているが、現在では『末法燈明記』は最澄に仮託して書かれた文献、つまり偽典と説明されることがある。
54: 2017/11/17(金)17:34 ID:RHodYhizL(17/21) AAS
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は、仏教用語で、煩悩の炎の吹き消された悟りの世界(涅槃)は、静やかな安らぎの境地(寂静)であるということを指す。
涅槃寂静は三法印・四法印の一つとして、仏教が他の教えと根本的に違うことを示す。
諸行無常・諸法無我の事実を自覚することが、この涅槃寂静のすがたである。
無常と無我とを自覚してそれによる生活を行うことこそ、煩悩をまったく寂滅することのできた安住の境地であるとする。
いっさいの差別(しゃべつ)と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地、それこそ悟りであるというのが、涅槃寂静印の示すもの
仏教本来の意味からすると、涅槃とはいっさいのとらわれ、しかも、いわれなきとらわれ(辺見)から解放された絶対自由の境地である。
これは、縁起の法に生かされて生きている私たちが、互いに相依相関の関係にあることの自覚であり、積極的な利他活動として転回されなくてはならない。この意味で、この涅槃寂静は仏教が他の教えと異なるものとして法印といわれる
55: 2017/11/17(金)18:04 ID:RHodYhizL(18/21) AAS
経典によれば、釈迦は縁起について、
私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである。
と述べた。またこの縁起の法は、
わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。如来(釈迦)は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり
と述べ、縁起はこの世の自然の法則であり、
自らはそれを識知しただけであるという。
縁起を表現する有名な詩句として、『自説経』では、
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。
— 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)
と説かれる。
56: 2017/11/17(金)18:16 ID:RHodYhizL(19/21) AAS
初期仏教および部派仏教までの段階の縁起説は、迷いの世界(有為)のみを説明するものであり、悟りの世界(無為)は縁起の中に含まれなかった。
この段階までの縁起説においては、悟りは縁起を超越し縁起の滅した世界であるとされた.
縁起(えんぎ、梵: プラティーティヤ・サムトパーダ、巴:パティッチャ・サムッパーダ)とは、他との関係が縁となって生起するということ。
全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。
仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる.
因縁生、縁生、因縁法、此縁性ともいう。
種々の縁起説は、〈煩悩(惑)→行為(業)→苦悩(苦)〉を骨格とするが、無明を根本原因とする12の項目からなる縁起説(十二因縁)が次第に定着した
57: 2017/11/17(金)23:31 ID:RHodYhizL(20/21) AAS
彼は神通力で兜率天に向かい、そこで弥勒(マイトレーヤ)から大乗仏教の空思想を学んだのだという。
また、他の人々にも、弥勒が直接『瑜伽師地論』(『十七地経』)を説くように要請し、無著がその解説をすることにした。これが唯識思想流布の端緒とされる。
彼は弥勒から日光三昧を教えられていたので、大乗の教義を容易に理解し、記憶することができたという。
無著
外部リンク:ja.wikipedia.org

『瑜伽師地論』は、世親の兄である無著(asanga, ?????)が、兜率天に住む弥勒菩薩(maitreya ???????)の説を聞いて著したといわれている。

瑜伽行唯識学派
ヨーガ(=瑜伽(ゆが))の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた。 とりあえず心(識)だけは仮に存在すると考え、深層意識の阿頼耶識が自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、最終的には阿羅耶識もまた空であるとする
58: 2017/11/17(金)23:40 ID:RHodYhizL(21/21) AAS
中台八葉院の「毘盧舎那仏」(Vairocana)を除く四仏・四菩薩の配置は、
『大日経』・入秘密マンダラ品にその根拠が見出され、また各尊に配当さ
れる真言は、『大日経』・秘密八印品で説かれる<「大威徳生」
「金剛不壊」「蓮華蔵」「万徳荘厳」「一切支分生」「世尊陀羅尼」
「如来法住」「迅疾持」>の真言にその出自が見出される。

外部リンク[html]:electricwombworld.blog.fc2.com

画像リンク[jpg]:blog-imgs-90.fc2.com
59: 2017/11/18(土)09:13 ID:0DNzmhkPp(1/8) AAS
法光定? 光之瑜伽
動画リンク[YouTube]
60: 2017/11/18(土)09:39 ID:0DNzmhkPp(2/8) AAS
日光三昧というのは法光定とよばれ、ある特殊な禅定に入った状態でチャクラからエネルギーを一挙に放つものです。
(無著菩薩位登初地。證法光定。得大神通。事大慈尊。請説此論『瑜伽師地論釋』)
そのチャクラのエネルギーが第三者に光となって感ずるもので、初期経典にもブッダが同じような現象を顕した、あるいは空海様が清涼殿での八宗論議の際、大日如来に変身し
全身金色の大光明を放ち、帝(嵯峨天皇)を含めその場にいたもの皆平伏した等、仏典・論書にて伝えられていることであります。

たとえば、初期経典においてブッダが次のような神通を示したとあります。
「世尊隨其所應。而示現入禪定正受。陵虚至東方。作四威儀。行住坐臥。入火三昧。出種種火光。青黄赤白紅頗梨色水火倶現。
或身下出火。身上出水。身上出火。身下出水。周圓四方。亦復如是。爾時世尊。作種種神變已。於衆中坐。是名神足示現〜『雑阿含経』」
要するに、釈尊が火界定という三昧に入ってチャクラからエネルギーを発し、七光の色を放ち、上半身は火炎のように下半身は水のようになり、あるいは逆になったということです。
これはチャクラから放たれるエネルギーが凄まじく、全身が炎に包まれたように見えたということです。
水のように見えたというのは、しばしば身体が透明状になる場合があり、それが水として表現されたということです。
61: 2017/11/18(土)09:56 ID:0DNzmhkPp(3/8) AAS
釈尊は、バーラーナシーのイシパタナ・ミガダーヤ(鹿野苑)で5人の苦行者を教化されたあと、ガヤー(ブッダガヤ)へ、ひとりで戻られます。…
そこで釈尊は神通力によって3500の奇跡を現し、火の行者であったカッサパ3兄弟を帰依させられたと伝わっています。

外部リンク[html]:web.kyoto-inet.or.jp
62: 2017/11/18(土)10:19 ID:0DNzmhkPp(4/8) AAS
後の仏教では、慈無量心を起こして慈心三昧にあれば、このようなことが可能だと言います。慈無量心というのは、あらゆる生き物への慈しみの心を言います。
その心を常に持ち続け、全身が慈しみで満たされるようになった状態が、慈心三昧です。そうなると、動物や虫など全ての生き物から愛されるようになると言います。

仏弟子群像(1)
外部リンク[html]:web.kyoto-inet.or.jp
仏弟子群像(2)
外部リンク[html]:web.kyoto-inet.or.jp
仏弟子群像(6)釈尊の実子ラーフラ(上)
外部リンク[html]:web.kyoto-inet.or.jp
63: 2017/11/18(土)10:46 ID:0DNzmhkPp(5/8) AAS
・智慧の行を完成し三明通を体得すると大法光を放つ(長阿含経・種徳経)
・四聖諦によって眼が生じ智が生じ慧が生じ明が生じ光明が生じた
・八勝処といわれるブッダが示した心理的段階の上位を、青・黄・赤・白と4色で表現しているが、
これはその人の心理的状態によって身心から放たれるエネルギーの色・波長を表している。
・ブッダが火界定に入って瞑想している時、麓から見ると山全体が燃え上がっているように見えた、他

日本では心の「悟り」ばかり強調されるので忘れ去られがちなのですが、心は身体と密接に関係があります。
身体の制御把握なくして心の制御把握はありません。
ですから、本来の(往時の)インド仏教において、クンダリニーヨーガは修行者にとって必修だったのです。
64: 2017/11/18(土)10:58 ID:0DNzmhkPp(6/8) AAS
しかし、ブッダはクンダリニーを上昇させず、そのエネルギーだけを前面のプラーナルートにのせ、さらに頭の中のルートを開発した、とされています。
つまり、釈尊はアートマン思想を否定する新思想だけでなく、クンダリニーヨーガでも革新的な技法を開発したと言われる所以です。

なぜそれが判るかというと、後期大乗に至り、修定比丘らによって、中観・唯識理論とともに行法という形でクンダリニーヨーガが秘密仏教(密教)として組み込まれたため、その痕跡が理解されるからです。

日光三昧とは唯識理論に基づいたクンダリニーヨーガを修し、全身のチャクラから凄まじいエネルギーを発して、人々の煩悩を断ずるために修されたものだった、ということ
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