鬼和尚に聞いてみるスレ part12 (1004レス)
鬼和尚に聞いてみるスレ part12 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/
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9: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>1 ご苦労さんなのじゃ。 正に菩薩の行ないじゃ。 >>3 何も変らないから観察できていないとわかるのじゃ。 観察された者は他のものと認識するからなのじゃ。 観察できていなければ他のものと認識できていないのじゃ。 そのような思考や感情が心の中の原因から起こることを観察するのじゃ。 原因がないときは起こらないことを観察するのじゃ。 >>4 観察を重ねて今逃避していると気付くのじゃ。 観察ができていなかったのは逃避しているからと気づくのじゃ。 今ここで逃避している心の働きに気付くのじゃ。 逃避はなくなるのじゃ。 それもできるようになるじゃろう。 わしのブログ等を参考に実践あるのみなのじゃ。 >>5 そうじゃろう。 認識なのじゃ。 翻訳の難しい分野であるからそれで間違うのかもしれん。 自我の在る限り阿頼耶識を滅するのは難しいのじゃ。 先ずは無我を目指すと善いのじゃ。 >>6 なるじゃろう。 心を観察するところまで行けばできるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/9
10: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>7 中道とは苦行とか逆に快楽の道を進まずに、瞑想をすることなのじゃ。 昔はそれらが善いとか思われていたのじゃ。 瞑想をすれば真の悟りへの近道を行くことが出来るのじゃ。 極端な説に惑わされずただひたすらに止観を修行すれば中道といえるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>8 実践しないことなのじゃ。 悟りを得られず死んで又苦を受けるじゃろう。 尽きることの無い苦が続くのじゃ。 経典を読まないこともそうなのじゃ。 知識が増えないから間違ったことをしてもわからないのじゃ。 それもまた苦への道なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/10
19: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>11 そうじゃ、認識なのじゃ。 私も認識されたものなのじゃ。 認識の主体ではなく客体なのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>12 両立するじゃろう。 一時的には慈悲で損をしても後には栄えてくるものじゃ。 経営者が慈悲の在る者ならば会社も栄え、そうでなくなれば滅んだりするのじゃ。 これはオカルトとかではないのじゃ。 経営者が慈悲のある者でみんなによい物を提供しようとすれば品質も上がり、買って得をするからみんな買うのじゃ。 慈悲の無い者は自分だけが得をしようと品質の悪いものを無理に売りつけようとするからみんな損をすると思って逃げていくのじゃ。 客も愚かな者ではないから敏感に反応してそうなるのじゃ。 必然なのじゃ。 >>13 そうじゃ、皆が得をする自他の利益を目指すべきなのじゃ。 自分の利益も大事なのじゃ。 常に理想のイメージを思い描けば現実も動いていくのじゃ。 それには忍耐も必要なのじゃ。 思い通りに行かないことをよく観察して原因を探し、思い通りにすることが真の事業家の為すべきことなのじゃ。 そこに工夫が必要なのじゃ。 自他の利益と忍耐と工夫が必要なのじゃ。 >>15 何回でも生まれかわるのじゃ。 地球がなくなっても生まれかわるのじゃ。 いつかはなるじゃろう。 少しでも苦が少ないほうがよいじゃろう。 この娑婆世界では善い事をしても鞭打たれて磔にされる可能性が在るからのう。 そんな眼にあう前に解脱すると善いのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/19
20: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>16 そうじゃ、慈悲の経営じゃ。 残り物をただにするとかなのじゃ。 >>17 よいものは必要なのじゃ。 悪いものはいらないのじゃ。 そのようにして淘汰されていくのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/20
27: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>21 そうじゃ、それこそ真の成功への道なのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>22>>23>>24 そうじゃ、それでよいのじゃ。 正しい道なのじゃ。 自分が餓鬼の心を出せば他人も餓鬼の心を出すものじゃ。 自分が菩薩の心を出せば他人も菩薩の心を出すのじゃ。 自分から先に出すのが正しい道なのじゃ。 実践し続ければ必ず成功するじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 >>25 全ては心が作り出す故に、過去に生まれたと思えば過去なのじゃ。 時代も歴史も観念なのじゃ。 観念の中で観念の輪廻を繰り返しているだけなのじゃ。 >>26 それは動機次第なのじゃ。 慈悲の心で悪い友を善い道に動かしているならば善いことなのじゃ。 搾取しようとするのは悪いことなのじゃ。 全ての者に慈悲を持つのじゃ。 そうすれば他人もおぬしに慈悲を持つのじゃ。 悪い友が自分は搾取されているとか気付いておぬしに無慈悲になったならばえらいことが起きるかもしれん。 慈悲によって生きるのが最も賢い生き方なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/27
34: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>28 嘘なのじゃ。 善い事をすれば善いことが起こるのじゃ。 善い事をしていないのに善いことが起こるはずも無いのじゃ。 だまされてはいかんのじゃ。 >>29 それがそのまま今の本心なのじゃ。 逃避はしていないと思っていると心をそのままに観察するのじゃ。 殆どの者はなんらかの形で逃避しているものじゃ。 逃避していないと思うのは、逃避していることを認めるのに何かの障害が在るからなのじゃ。 逃避している事実に気づけば逃避してきたものと対峙しなければならないから、逃避していることをも認めないとかのう。 そのような心の働きを観察してみるのじゃ。 >>30 それも空なのじゃ。 一切を無として見るのが空であるからのう。 見解や分別を付け加えないのが空であり、それすらも無と観るのが空ともいえるのじゃ。 徹底した観想が必要なのじゃ。 >>31 それらは当時の物理学、医学的な観察法なのじゃ。 物理、医学的なものとしての肉体を観る法なのじゃ。 食べるもので肉体が保たれていると観察する法もあるように物としての肉体を見る法なのじゃ。 肉体の熱が火であり、血が水であり、肉が地であり、神経の伝達が風であり、空間に拠ってあるものと見たりするのじゃ。 それらの集まりが肉体であると観察する時、そこに自分は無いと気づくこともできるのじゃ。 物理的な肉体に囚われている者には効果が在るのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/34
35: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>32 善い気付きなのじゃ。 詳細に観察すれば今はわからないことも気付くことが出来るようになるのじゃ。 それが日々の精進で可能になるのじゃ。 そうじゃ、社会も観念なのじゃ。 観念ではない自分というものは無いのじゃ。 全てひとつで在るだけなのじゃ。 それに気づくまでただひたすらに観察し続けるのみなのじゃ。 >>33 そうじゃ、相手にしなくて善いのじゃ。 依存されるのも避けるとよいのじゃ。 そうかもしれん。 似た者が引き寄せられるのであるからのう。 自らの修業によって不動になった心を拠り所にするのじゃ。 それが最も堅固な拠り所なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/35
44: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>36 その状況も観察すると善いのじゃ。 自分を小市民と思っていると観察するのじゃ。 それが正に如来ではないと認識するための思いなのじゃ。 それに気づくのじゃ。 >>37 もはや何もしないのじゃ。 何もしなくて善いのじゃ。 個我は幻想であるからあり続けることはできないのじゃ。 その思いも消えていくのを観察すれば善いのじゃ。 >>38 そうじゃ、原子や分子も実際には我々には見えないものじゃ。 えらい学者が言うからそれで確固としたからだが在ると思うだけなのじゃ。 それは五大説を信じていたインド人と同じなのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>39 そう言えるじゃろう。 それが問題なのじゃ。 孤独や寂しさや恐れが在るからそれに逃避するのじゃ。 それに魅力が在るのではなく、逃避する対象として求めるのじゃ。 囚われずに進むのじゃ。 >>40 そうじゃ、思い通りに行くことが少ないのじゃ。 善事をしていれば幸運もやってくるのじゃ。 自然に企画も成就するようになるのじゃ。 どんどん善事を詰むと善いのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/44
45: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>41 そうじゃ、観察を続ければ厭離されるじゃろう。 それは幻想でしかないからのう。 日々観察を続ければそれもないと気づくのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>42 そうじゃ、捨てるとよいのじゃ。 観察していればそれも無意味な観念であったと気付くのじゃ。 囚われずに進むのじゃ。 >>43 おぬしの心の中にあるのじゃ。 心は迷い、不安定なものではあるが修業によって整えれば堅固なものとなるのじゃ。 正しく見て正しく気づくこともできるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/45
61: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>46>>47 心はほとんど不安定じゃろう。 お釈迦様も心は揺れ動き見難いものと言っているのじゃ。 修業によってのみ心は堅固なものとなるのじゃ。 原因から産まれるのじゃ。 全ては原因から起こるのじゃ。 根本的な原因は無明なのじや。 >>48>>49 ただひたすら真実を追い求めるのじゃ。 そうすれば真実を語る者には耳を傾けられるのじゃ。 真実の前には無に等しいと観るのじゃ。 >>52 それは忘我の境地なのじゃ。 われは無くとも物はあり、見ることもできるのじゃ。 見るとか聞くという行為もあるのじゃ。 悟りはもはや無認識なのじゃ。 何かを見る事もないのじゃ。 見るという行為すらも無いのじゃ。 そのように理解すると善いのじゃ。 実践によって確かめるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/61
62: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>56>>58>>59 そのような心構えは常に死を思うことでできるのじゃ。 死を常に思えば世間や社会という幻想に惑わされないのじゃ。 死こそ人にとっての本当の現実なのじゃ。 世間や社会という幻想にどれほど従っても死は免れないのじゃ。 唯一無二の現実を見ることこそ真の実在的な生き方といえるのじゃ。 >>57 西式健康法でもがんがきえたとかいうのじゃ。 それでは金にならないから医者や医者に金をもらっているマスコミは否定するのじゃ。 薬や手術が売れないと金にならないからのう。 抗がん剤などはまるできかないというのじゃ。 >>60 そうじゃ、脳が止まっているとき認識も休んでいるのじゃ。 その時には忘我にもなり易いのじゃ。 思考や感情が止まっていても意識は在ると気づくじゃろう。 それは自分ではない証明なのじゃ。 そのようなありさまをありのままに観察すると善いのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/62
66: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>63 そのような理解で善いのじゃ。 実践によって確かめるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>64 そうじゃ、記憶に囚われているから苦が有り不幸なのじゃ。 有害でも無害でもないのじゃ。 依存するから苦が起こるのじゃ。 ただありのままに観察して厭離するとよいのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>65 無我になり、直ぐに大悟したのじゃろう。 わしもそうであったのじゃ。 よくあることじゃ。 無我になってもその状態を観るものがあるのじゃ。 それが阿頼耶識なのじゃ。 阿頼耶識が観られて厭離されれば大悟徹底なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/66
71: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>67 書いた気がするのじゃ。 それ以上には言葉がないのじゃ。 言葉にすればするほどそれを読んだ者の観念は激しくなるからのう。 自ら目覚めて確かめるしかないのじゃ。 >>68 邪淫といえるのじゃ。 懺悔告白したら許されるのじゃ。 実践すれば悟りもえられるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>69 意識とは意志と認識なのじゃ。 自らの意によって選択し、認識できるならば意識なのじゃ。 思考や自我ではないのじゃ。 アートマンは無いのじゃ。 意志と認識があるものなのじゃ。 他人がしたことは他人に還るじゃろう。 及ばないのじゃ。 自他が一つとは思っていないからなのじゃ。 自己がある時自分のしたことが自分に返るといえるじゃろう。 個我がある時輪廻は在るのじゃ。 個我がなければ輪廻は無いのじゃ。 輪廻とは個我が生まれかわるという観念であるからのう。 意識は常に在るものじゃ。 死んでもなくならないのじゃ。 >>70 全ては認識されたとおりに在るじゃろう。 その通りに認識されるじゃろう。 何も投射しなければ無いじゃろう。 無為と言えるじゃろう。 実践によって確かめるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/71
78: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>72 そうじゃ、実践にょって探求していくのじゃ。 またおいでなさぃ。 >>75 どういたしまして、またおいでなさぃ。 >>76 そうじゃ、繰り返し行った方が報いも酷いのじゃ。 自らの行いを正しく観察して離れるのじゃ。 自分の行いがわからなければ止めることも離れることもできないのじゃ。 止まらないのならば何が原因なのか、心の中に探すのじゃ。 原因から行為も起こると観察できれば止まるのじゃ。 >>77 そうじゃろう。 実際に自分の肉体で素早く移動する訓練をするのじゃ。 既に目的地に自分が居ると思って短い範囲から移動を繰り返すのじゃ。 何度も繰り返して無心の境地で移動できたならば不可思議なこともおこるかもしれん。 根気が要る修練であるがのう。 大きな鏡などを使って自分の体を写してみるとよいのじゃ。 根気よく繰り返せば他人も驚くようなこともできるようになるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/78
85: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>79 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>80 それもあるじゃろう。 遊んでいる女子なのじゃ。 あまり付き合わないほうが善いのじゃ。 精神に以上が在るものとか、悪事を平気でする者とかなのじゃ。 性質の善い善事をする者を選ぶのじゃ。 そのような女子は動物とか子供のような弱いものにも優しいのじゃ。 顔や体ではなく行いを見るようにするのじゃ。 >>81 それはまだ感情が想起されるのを見ているだけなのじゃ。 阿頼耶識まではみていないのじゃ。 それも心の中の原因から起こることを観察できれば消えるじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/85
86: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>82 それもまた原因があるから起こる執着なのじゃ。 なぜ夢のような世界が在ると思うのか、心の中に原因を探してみるのじゃ。 それはただ不安や恐れから逃れたいための願望かもしれん。 あるいは誰かに条件付けされたからかもしれん。 そのような原因から執着が起こることを観察するのじゃ。 そうすればなくなるじゃろう。 >>83 善いことじゃ。 玄米が古いのかもしれん。 古いとあくがでるというのじゃ。 洗米を何度もしっかり繰り返して煮る時に塩を入れるとよいというのじゃ。 試して見るのじゃ。 わしはふつうの白米なのじゃ。 一日水に浸して芽が出たら調理すると善いというのじゃ。 >>84 そうじゃ、感情や思考はただ起こるだけのものじゃ。 自分が生んでいるのではないのじゃ。 それが観察できたならば忘我も近いのじゃ。 更に精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/86
93: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>87 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>88 いろいろやってみるとよいのじゃ。 またおいでなさぃ。 >>89 本人同士が結婚していなくて了解しているならばよいかもしれん。 病はやはりうつりやすいがのう。 どちらかが複数の者と契約していれば病もかかりやすくなるのじゃ。 >>90 消えるじゃろう。 実践によって確かめるのじゃ。 ブラフマン、梵天の世界なのじゃ。 そこに産まれて悟りを目指すのじゃ。 >>91 少し休んだらよいのじゃ。 それも自由なのじゃ。 >>92 少しノイローゼ気味のようじゃ。 それらの殆どは何の不調でもないものじゃ。 誰にでもよくあることなのじゃ。 それらを気にすることが心の不調なのじゃ。 その原因は心の中にあるじゃろう。 心の中の原因が観られればそこから起こる不安であると気づくのじゃ。 机に向かって長く仕事や勉強をすると首や目が疲れるのじゃ。 マッサージとか動かしたりすると善いのじゃ。 ちゃんとした気功法をするとよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/93
100: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>94 そのえほばの神とはどこにいるのじゃとか、どんな顔かたちをしているのじゃとか、あったことがあめのかとか聞いて見るのじゃ。 どこから産まれたのかとか、どこの学校を出たのかとか、どこで育ったのかとか、えんえんと聞くと善いのじゃ。 それらを知らないのに信じ、他人に説く人間をどのように思うのか聞いて見るのじゃ。 最低の人間とか、詐欺師と同じとか、人間の屑と思わないのかと聞いて見るのじゃ。 保険の勧誘でさえさまざまな情報を正しく伝えて勧誘するのに、何も知識が無いことを他人に説くのは詐欺同然とか思わないのか聞いて見るのじゃ。 なぜか消えていくじゃろう。 >>95 言葉より前にイメージがあるものじゃ。 イメージの一つとして言葉もあるのじゃ。 言葉の一つ一つが小さなイメージであり、それを組み合わせて意思を伝えているのじゅゃ。 それもまた記憶に拠っているものじゃ。 観察はそのような働きを厭離するものなのじゃ。 実践によって確かめるのじゃ。 >>96 そうじゃ、いつでも基本に戻って実践するとよいのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 >>97 そうじゃ、苦にならなければ問題は無いのじゃ。 それらは原因を追究することでわかるじゃろう。 自ら真摯に原因を追究していくのじゃ。 心の原因が無いときにも不調があるならば肉体の原因かもしれん。 肉体の原因がないときにも不調があれば心に原因があるのかもしれん。 そのように追求していくのじゃ。 それもまた修業の一つとなるのじゃ。 子供の頃を思い出して同じように楽しむのじゃ。 大人であるから恥ずかしいとかの観念を捨てて楽しむのじゃ。 わしは合わせている振りをしているだけなのじゃ。 他人の顔を見るのじゃ。 感情は顔に表れるのじゃ。 特に眼に現われるからそれを見て感じ取るのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/100
101: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>98 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 苦を滅するのも本心を観察したからなのじゃ。 本心とは偽らない心なのじゃ。 偽らない苦を生む心の働きを観れば苦も滅するのじゃ。 ブラフマンの法を行えばブラフマンの世界にいけるじゃろう。 ブラフマンと共に住む法なのじゃ。 >>99 そのような理解で善いのじゃ。 同じなのじゃ。 既婚者を紹介したら悪なのじゃ。 そうじゃ、執着を離れれば最善なのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/101
106: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>102 懺悔告白したから許されたのじゃ。 これからは善事を積むと善いのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>103 報いが在るじゃろう。 そのように避けられない真理なのじゃ。 懺悔告白すれば報いも軽くなるのじゃ。 善事を積めば福楽も来るものじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>104 炭水化物とか脳の在る世界をおぬしの心が創っているのじゃ。 炭水化物が脳に善いというのもおぬしの思い込みなのじゃ。 炭水化物が脳に特に善いと言う事は無いのじゃ。 しかし、おぬしの頭の中ではそのように炭水化物が脳に善いという世界があるのじゃ。 それがおぬしの創った世界なのじゃ。 >>105 よい気付きなのじゃ。 そのように実践していけば苦も次々に消えていくじゃろう。 更に精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/106
115: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>107>>108>>109>>110>>111 わしは炭水化物が脳に良いとは書かないのじゃ。 なぜならばそれは真実ではないからのう。 しかし、おぬしの世界ではわしがそう書いたという観念があるのじゃ。 そのように誤った観念が在るのがおぬしの世界なのじゃ。 真実とは別におぬしの思い込みで出来た世界なのじゃ。 野菜が有り、脳が有り、自分があるという観念がおぬしの世界なのじゃ。 おぬしの書くことが観念の世界でしかないことを証明しているのじゃ。 わしは観念の在る者には観念によって説くのじゃ。 観念によって説かなければ理解できないからなのじゃ。 わしがそれらを実在としているという事ではないのじゃ。 お釈迦さまも因果の報いが実在とか語ったことは無いのじゃ。 それらは非実在の法であるからのう。 おぬしの脳内世界でのみ語ったことになっているのじゃ。 >>112 そういえるじゃろう。 恐れを超えてそのようにどんどん実践し続けると善いのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>113 それらは役に立たないじゃろう。 記憶による観念を増やすことになるからのう。 自らの本心を真摯に観察していく以外に最も善い法はないのじゃ。 >>114 そうじゃ、それでよいのじゃ。 どんどん進むと善いのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/115
121: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>116 そうかもしれん。 やってみるとよいのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>117 書いてないことをも書いてあるように思えるのがおぬしの創作した世界なのじゃ。 自らの間違いを認められないのもおぬしの創作した世界なのじゃ。 自分の間違いが認められず他人の詭弁と思うのもおぬしの創作した世界なのじゃ。 本当に書いて在るならば検索すれば出る筈であるが文証も出せずに自らの間違いを認められないおぬしの言動が、世界は全て間違った観念も含んで心が成立させているものと証明しているのじゃ。 他人が存在しているという観念から、その観念による法則も生まれるのじゃ。 それも他人が認証したとおぬしが思うことから起こる妄想のみなのじゃ。 例えば金は観念で在るが、それを認める者の間にはそれを産む法則もできるようなものじゃ。 金という観念が無くなればそれらの法則もなくなるのは観念により存在していただけであるからなのじゃ。 肉体が在るという観念からそれを健在させる法則も起こるが、肉体が無くなればその法則もなくなるのじゃ。 >>118 覚醒ではなく変性意識状態なのじゃ。 覚醒していては思考とか感情も起こるのじゃ。 変性意識状態ではそれも起こらないのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/121
129: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>119 そう言えるじゃろう。 道具として観ると善いじゃろう。 肉体は借り物とか、仮の宿と昔の人も言ったりしていたのじゃ。 ただの物として扱うことでそのようなことも起こるじゃろぅ。 ブラフマンとか天に借りた物として扱えば大事にするじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 >>120 よい気づきなのじゃ。 そのように記憶を自分とか、自分の実体と思う者は多いのじゃ。 記憶を移し変えれば自分が死なないとか思うのじゃ。 そのような観察で善いのじゃ。 実践あるねのみなのじゃ。 >>122 それを詭弁と思うのがおぬしの心が作った世界なのじゃ。 消しゴムが体に善いと信じて食べると七割の者が治るのじゃ。 それも心によって作られているからなのじゃ。 >>123 石や排泄物も信じて食べれば体によいのじゃ。 昔は本当にキリスト教の法王の排泄物が薬として売られていたのじゃ。 それで多くの者が治ったりしていたのじゃ。 >>126 そのように多くの者に有用であるから実在とか固有の性質が在ると思うのがおぬしの創った世界なのじゃ。 例えば木の塊を椅子として用いれば誰でもバランスを取って座らなければならなくなるのじゃ。 全人に固有の法則や性質のいすが在ると想う者もいるかもしれん。 しかしそれは本来椅子ではなく、椅子としての性質や法則をもっているわけではないのじゃ。 そのように万人に有用であるから固有の性質を持つものがあったり、実在が在るのではないのじゃ。 >>127 誰でも自分の手が痛めば撫でたり摩ったりするじゃろう。 自他の区別が無いわしには他人の苦や痛みも感じるのじゃ。 苦や痛みを取り除くには飽きることもうんざりすることもないのじゃ。 わしは目覚めた者であるだけなのじゃ。 >>128 今答えたのじゃ。 それでも悟ることは可能じゃろう。 そうじゃ、自らの本心をひたすら観察していれば経典などを見なくても悟れるじゃろぅ。 精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/129
137: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>130 おぬしが食べようと思えば食べて生活できるのじゃ。 空を飛んで配達も出来るのじゃ。 わしに話を聞くはずのスレでわしの話しを聞かないという芸当も出来るおぬしであるからのう。 それで正気のつもりならばカレーが消しゴムとか、歩くことが空を飛ぶとか観念を変えることも平気で出来るのじゃ。 対象に固有の性質が残り、それが思い込みではないというのが、おぬしの思い込みなのじゃ。 自分が詭弁を使っていれば他人も詭弁を使っているという観念も起こるのじゃ。 それがおぬしの作り上げた頭の中の世界なのじゃ。 そこが理解できていないのじゃ。 わしに話を聞くはずのスレで自分の意見を語ることしか出来ないのも日本語が理解できていないからなのじゃ。 何が何でも自分だけが正しいという観念から他人の話を理解できないで居るのじゃ。 おぬしが何を語ろうとそれ自体が観念の範疇の世界であり、そこから抜け出していないのじゃ。 一切が観念であるからその範疇の固有の性質も観念でしかないと理解できないのじゃ。 論理的な反論さえ出来ずにただ固有の性質が在る在ると語っても誰も賛同しないのじゃ。 詭弁を弄しているのはおぬしだけであるから仏教の評価は決して落ちることはないのじゃ。 おぬしが詭弁を弄するから他人も詭弁を弄するように見え、それで仏教の評価が落ちるという妄想をもっているだけなのじゃ。 おぬしが詭弁を弄することがなければ他人も詭弁を弄すると見えなくなり、仏教の評価が落ちるという妄想もなくなるのじゃ。 >>131 悟っていない者の認識はそうなのじゃ。 阿頼耶識の働きによるものなのじゃ。 そうじゃ、阿頼耶識の働きが厭離されれば記憶による認識が無くなるのじゃ。 それが大悟徹底の境地なのじゃ。 本来の認識が現われるのじゃ。 実践によって証明するのじゃ。 >>132 おぬしも精進して不死の境地にくるとよいのじゃ。 またおいでなさい。 >>133 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/137
138: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>134 その自分を集中して観察してみるのじゃ。 毎日続ければもっと詳しく観察する事ができるようになってくるのじゃ。 自分をどこまでも観察すれば悟りも向こうからやってくるものじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>135 それでよいのじゃ。 ただひたすらにその働きを心の中に観察して見るのじゃ。 実践によって確かめることが出来なければ知識も無意味なのじゃ。 実践がすべてなのじゃ。 >>136 今この地域では天に行く者が多いようじゃ。 地獄へ行くものは二番ぐらいなのじゃ。 解脱する者はいつでも少ないものじゃ。 おぬしがその一人になると善いのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/138
150: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>139 携帯は道とかどぶとかに良く落ちているのじゃ。 おちていると言う事はそれを落とす者も多くいるということなのじゃ。 おぬしの会社にも何人か居るじゃろう。 遅刻などと同じように会社にとって困ることでは在るが、よくあることなのじゃ。 それを気にし過ぎることが気の病に陥ることなのじゃ。 おぬし以外の者はよくあることじゃ、おぬしもやったのじゃな、という位に思っているかもしれん。 その分会社を儲けさせる仕事に頑張ればよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/150
151: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>140 おぬしのその見ている人にはわかると思っているのが妄想なのじゃ。 不完全な部分も在ると思うのが妄想なのじゃ。 対象に固有の性質が在ると認められないのが弱点と思うのが妄想なのじゃ。 自分に嘘をつけないというのが妄想なのじゃ。 おぬしの本心が言っているというのも妄想なのじゃ。 わしの教えに従っていないのに従っていると思うのも妄想なのじゃ。 矛盾点が見えて皮肉と思うのも妄想なのじゃ。 それらは我見に執着している状態なのじゃ。 そもそも固有の性質が在るから実在も在ると思うのも妄想なのじゃ。 アニメの者は固有の性質が設定されるがそれで実在することは無いようにのう。 自分の意見に反対するのは全て詭弁とするのは妄想を通り越して狂気に近いのじゃ。 他の者はスレタイどおりわしの話しを聞くことが出来るが、おぬしだけはそれが出来ないのは何故であろうとか気づかなければならんのじゃ。 おぬしは今我見に執着して頑迷と狂気に陥ろうとしているのじゃ。 わしはそのようなことは教えていないのじゃ。 おぬしはわしの教えの通りにしたとか、わしの教えを理解したとか語ったり書いたりしてはいかんのじゃ。 それは嘘になるのじゃ。 他の者はわしの教えを理解して従っているが、おぬしはわしの教えを理解できず、従っても居ないのであるからのう。 >>141 自由意志は少しは在るのじゃ。 自ら思考して選択することもできるのじゃ。 だいたい2%ぐらいはあるのじゃ。 その他は感情によって選ばされてしまうのじゃ。 >>142 たまたまじゃろう。 そのように小さなことにまで報いは及ばないのじゃ。 親を憎んでいるのかどうか、夜に寝付けないのはその記憶と関連しているのか、わかるのはおぬしだけなのじゃ。 自らの本心をどこまでも深く追求してそれを確かめるのじゃ。 それが修業の実践なのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 >>144 記憶違いじゃろう。 全てが阿頼耶識の所為といえばそうじゃろう。 認識が全ての心の働きの根源であるからのう。 >>145 お迎えは来ないのじゃ。 今まで行ってきたことの報いと共にただ独りで逝くのみなのじゃ。 おぬし自身が否定されても聞く耳をもたなければ他人もそう見えるのじゃ。 生きているうちに実践していなければ今困難に出会っているように苦にあうことになるのじゃ。 全てを捨てて実践あるのみなのじゃ。 >>149 もはや世間に執着が無ければ修業したほうがよいのじゃ。 宿坊とかに止まると善いのじゃ。 無理をせずに小さな庵に住むと善いのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/151
160: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>152 どういたしまして、またおいでなさい。 >>153 欲を捨てるのじゃ。 物欲とか私欲とか攻撃欲とか全ての欲を捨てるのじゃ。 そのためには自分の好悪とか感情も捨てなければいかんのじゃ。 好悪の感情がある限りよくは起こってくるからのう。 好悪の感情を捨てるためには自分という観念も捨てなければならんのじゃ。 自分という観念は認識する全ての世界と等しいから全てを捨てることになるのじゃ。 >>154 なくてよいのじゃ。 ただひたすらに観察し続けたら善いのじゃ。 そのように思っていると観察するのじゃ。 ただそれだけの実践を続けると善いのじゃ。 >>155 誰のものでもないのじゃ。 誰のものでもない自由意志が起こるのじゃ。 それを観察して確かめるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/160
161: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>158 思うのは感情とかの働きなのじゃ。 その根本には阿頼耶識の働きもあるのじゃ。 それを観察して確かめるのじゃ。 >>159 そうじゃ、移動しているといろいろ面倒なことも起こるじゃろう。 修業も出来ない事態も起こるかもしれん。 独りで住めば修業もしやすいのじゃ。 離婚とか別居とか共に修業するとかするとよいのじゃ。 自ら自由に選ぶのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/161
168: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>162 違うじゃろう。 人を安楽に導く真理を教える故に尊い者と宣言したのじゃ。 そうでなければ誰も尊いとは思わないのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>163 自我は存在しないから選択権が無いということはなく、選択権があるということもないのじゃ。 主体無く自由な意思が在るのじゃ。 今はそれが考えられ似なければ保留しておけば善いのじゃ。 >>164 あったのじゃ。 いろいろあったのじゃ。 前世から重ねてきた全ての罪を懺悔したのじゃ。 >>165 思考が起きたら思考が起きたことを観察するのじゃ。 ただ思っているならばただ思っていると観察するのじゃ。 すべてをありのままに観察するのじゃ。 >>166 主体を妄想していると気づくためなのじゃ。 自我に気づくためなのじゃ。 そのために思考や感情が自然に起きていることも観察するのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/168
177: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>169 そうじゃ、実践によって確かめるのじゃ。 またおいでなさぃ。 >>170 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>171 そうじゃ、実践によって使うとよいのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>173 その仕事はおぬしに向いていないのかもしれん。 一度能力試験を受けてみると善いのじゃ。 地方自治体などで無料でやっているのじゃ。 筋肉の無い者に激しい肉体労働が向いていないように、人には体質や能力によって向き不向きがあるものじゃ。 一つの仕事が出来ないから全ての仕事が出来ないということはないのじゃ。 能力試験を受けて自分を知るとよいのじゃ。 肉体の病には西式健康法などを実践するとよいのじゃ。 ヨーガとかでもよいのじゃ。 >>174 そのような理解でも善いのじゃ。 実践によって確かめるのじゃ。 認識が記憶に依存しているから苦が起こるのじゃ。 それがなければ苦は無いのじゃ。 実践在るのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/177
178: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>175 物理的な存在というのも概念なのじゃ。 それもまた人が観念によって作ったものじゃ。 全ての概念が無いとき、あると言えるのは意識だけなのじゃ。 意識が全ての存在そのものなのじゃ。 それが全てなのじゃ。 実践によって確かめるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/178
186: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>179>>181 唯識で言えば第九識なのじゃ。 阿頼耶識がなくなれば自覚できるものなのじゃ。 全ての意識はそれであると言う事もできるがのう。 >>180 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>182 そういえるじゃろう。 もはや苦が厭離された状態なのじゃ。 苦がなくなれば観察も成功したといえるのじゃ。 >>183 どういたしまして、またおいでなさい。 >>184 そうじゃ、一つなのじゃ。 実践で確かめるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>185 それがわかることもあるじゃろう。 逃避しなければ見やすくなるのじゃ。 他の原因で観られないこともあるのじゃ。 更に恐れや不安が在るから逃避も複数していたという状況ならばまだわからなかったりするのじゃ。 ただひたすらに心を探求し続けるのじゃ。 苦がなくなれば観察は正しく出来たと判断してよいのじゃ。 そうでなければまだ正しくできていないのじゃ。 苦が少し軽くなったら正しい方向に向かっていると思ってよいのじゃ。 そのようにして進んでいくのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/186
191: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>187 そのようなこともあるじゃろう。 本心とは思考だけではないのじゃ。 怒りがあれば怒りが在ると観察するのも本心を観たことになるのじゃ。 ありのままの心の働きを認め、受け容れるのじゃ。 観察が完全になれば苦もなくなるのじゃ。 更に精進あるのみなのじゃ。 >>188 心が清いままならば次も天に産まれたりするのじゃ。 悪いことばかりしていたら地獄行きなのじゃ。 善い事をして善い所にいくのも一時的なものじゃ。 そうじゃ、天の世界も限りがあるものじゃ。 悟りを得れば永遠に安楽が在るのじゃ。 >>189 先ずは自我を観て無我になると良いのじゃ。 そうすれば認識の働きも観えるようになるものじゃ。 もはや障害はそれしかないからのう。 精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/191
196: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>192 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>193 それが本当に自分ならば観照が起きているじゃろう。 そうでないのならば知識としての観念を観ているだけなのじゃ。 自分が自分であると感じる原因から観察するのじゃ。 原因がある時、自分があるという感じが起こり、原因がない時には自分が無いと観察するのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>194 それもまだ自我が見えていないのじゃ。 無我にまで到達できなければ認識は観られないのじゃ。 空間は見なくてよいのじゃ。 自分を観るのじゃ。 何を以って自分を自分と認識しているのか、 何がある時に自分が起こり、何が無いと自分は起こらないのか心を探求してみるのじゃ。 真摯に探求し続ければ自我も見られるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>195 それも有効じゃろう。 執着を減らすことができるじゃろう。 そうじゃ、全ては意識であり、分別したものは夢のようなものじゃ。 そのように実践すると善いのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/196
200: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>197 そうじゃ、自分をどこまでも追求して行くのじゃ。 悟りはその果てに在るじゃろう。 またおいでなさい。 >>198 >>190 あるようじゃ。 わしはやっていないのじゃ。 ヨーガはときどきやっているのじゃ。 不幸ではないのじゃ。 幸せではないのじゃ。 そうじゃ、欲によるものじゃ。 必要ではないのじゃ。 逃避であり、執着にもなるじゃろう。 ただ独り悟りの道を行けば真の幸福も得られるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>199 それは苦に自分を投射しているからじゃろう。 苦がなくなれば自分が居るという感覚も無くなるから、苦に執着するということもあるじゃろう。 それをありのままに観察すれば善いのじゃ。 人の心のありようは千差万別であるから知識の通りでなくてもよいのじゃ。 知識と反していても自らの心の働きをそのままに認め、受け容れるのじゃ。 それが真の観察なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/200
203: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>201 職場は分煙されていないと厚生労働省に通報すると善いのじゃ。 指導が入るじゃろう。 それを気にして数えていると余計に眼に入るのじゃ。 実際はそれほど多くは無いのじゃ。 思うことに引き寄せられるのじゃ。 そうなると無意識のうちに喫煙コーナーに近づいたりするのじゃ。 気にしないようにするのじゃ。 善い空気が周りに在るとイメージすると善いのじゃ。 >>202 不安をなくさないでよいのじゃ。 ありのままに観察するだけで善いのじゃ。 観察すれば不安もなくなるのじゃ。 不安が無ければ自分も無いと感じるならばその通りに観察すれば善いのじゃ。 全てを有りままに受け容れて観察するのじゃ。 更に精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/203
207: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>204 そうじゃ、原因がないからなのじゃ。 原因から不安や恐れも起こるのじゃ。 何が原因で不安や恐れが起こるのかを探求し、それがわかれば原因を思い浮かべるのじゃ。 そうすれば不安や恐れも起こるのじゃ。 原因が正しければ不安や恐れも確実に起こるのじゃ。 その過程を観察するのじゃ。 それが正しい観察なのじゃ。 >>205 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>206 そうじゃ、そう思うと善いのじゃ。 観察の結果にも囚われなくなるじゃろう。 止める努力はしないで善いのじゃ。 ただひたすらに観察し続けるのじゃ。 観察への努力が進歩に繋がるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/207
211: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>208 どういたしまして、またおいでなさい。 >>209 そうじゃ、ありのままに見ていないのじゃ。 歪んでいるじゃろう。 認識が記憶に依存しているからなのじゃ。 例えば海で楽しいく遊んだ記憶があれば海は楽しいものとして認識されるのじゃ。 海でおぼれた経験があるものには海は恐ろしいものと認識されるのじゃ。 そのように各人が自らの記憶に拠って全てのものごとを認識する故にそれぞれゆがみの在る別の世界を観ることになるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/211
216: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>212 悟りは同じでも意欲によって説法に違いが出るからじゃろう。 悟りを得ても何も語らず涅槃に行ったものも多いのじゃ。 お釈迦様も梵天勧請がなければ何も語らず涅槃に行くところだったのじゃ。 悟った者もいるようじゃ。 自分から語らなければ知らなくて善いのじゃ。 >>213 そうじゃ、それだけでも毎日やれば進歩していくじゃろう。 朝起きたときとか、寝る前にやるとよいのじゃ。 習慣になれば自然に負担にならずにできるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>214 朝おきて三十分位の数息観じゃな。 西式健康法をやるとよいのじゃ。 昼まで又瞑想なのじゃ。 昼飯を食べて好きな瞑想を試してみたりするのじゃ。 外を歩いて自然を観察してみたりするのじゃ。 帰ってきてからまた瞑想に励むのじゃ。 夕食を食べて又瞑想に励むのじゃ。 寝るのじゃ。 >>215 そのようなこともあるじゃろう。 だまされやすくもなるからのう。 よく学んで正しい知識を身に付けてからそのようなことを追求するとよいのじゃ。 それは自由なのじゃ。 それが嘘をついたり、人を傷つける動機になれば悪いことなのじゃ。 嘘をつかず゜人をキズつけず、慈悲によるものならば善なのじゃ。 自他の利益を追求するならば仏道にもかなうのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/216
222: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>217 そのような事は言っていないのじゃ。 ほどこされたものはありがたく食べるようにと言っているのじゃ。 中には肉も貰ったりするが、自分の為に殺したとか、殺す声が聞こえたとか言うものでなければ食べていいといっているのじゃ。 乞食で生きる僧は食べるものを選んだりできないのじゃ。 >>218 その程度では戻らないのじゃ。 時間が経って自我の観念が又習慣にょって身につくと戻るのじゃ。 実践にょって確かめるのじゃ。 >>219 そうじゃ、分からなくて善いのじゃ。 自分の心について分かればよいのじゃ。 それが真の役立つ知識なのじゃ。 自分について知るとよいのじゃ。 >>220 それは観察する者は観察により、その修行をしている者を知り、していない者も知ることが出来るということなのじゃ。 それによって自ら他者に教えを乞うことや、実践していない者にも注意することが出来るのじゃ。 観察していない者は、何も知ることが出来ないから進歩することも無く、他人を教えることも出来ないということなのじゃ。 実践が大事なのじゃ。 >>221 何かの欲を貪っている者は現実に目を背けて逃避しているからなのじゃ。 誰にでも死という現実が在るものじゃ。 金とか名声とか権力に囚われた者はそれが死には対抗できないことを知りながら、逃避しているだけなのじゃ。 それが自分を欺いていることなのじゃ。 それが病ならば貪欲の在る大多数の者は病気ということにもなるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/222
227: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>223 どういたしまして、またおいでなさい。 >>224 悟りを得ていない者は間違って自我を認識していると言えるじゃろぅ。 観念や観念を投射された肉体とか、感情とか、記憶とかを自分と認識しているのじゃ。 悟りを得たものはそれら全ては自分ではないと、正しく自我を認識していると言えるのじゃ。 自我を認識していても両者にはそのような違いが在るのじゃ。 >>225 それでよいのじゃ。 逃避による興奮の楽しみよりも静かな喜びを瞑想によって味わうのじゃ。 そのほうが健康にもよいのじゃ。 智慧も身につくじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 >>226 起こらないじゃろう。 人間の認識により、時空が歪んだとか歪まなかったということが確認されるのじゃ。 できるじゃろう。 それも観念であるからのう。 存在しないのじゃ。 刹那が在るばかりなのじゃ。 全て空想の産物なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/227
231: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>228 どういたしまして、またおいでなさい。 >>229 どういたしまして、またおいでなさい。 >>230 そうじゃ、減らしたほうが善いじゃろう。 脳も疲労するからのう。 つけっぱなしは控えたほうが善いじゃろう。 そのような逃避の習慣もついてしまうじゃろう。 それがないと不安とか感じてしまうのじゃ。 区切りをつけると善いのじゃ。 そのような心構えが在ると執着もしないですむかもしれん。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/231
235: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>232 いずれ止まるようなるじゃろう。 思考も自らの意志でとめられるようになるのじゃ。 その前に気にならなくなるじゃろう。 どんどん流していけば善いのじゃ。 それでよいのじゃ。 他人には関わらなくて善いのじゃ。 自分の修業を優先すると善いのじゃ。 日常では何も期待せずにありのままを流していけば善いのじゃ。 そうすれば疲れることも無いのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>233 善い気付きなのじゃ。 それにも囚われずに更に実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>234 そうじゃ、先ずは自分の苦を減らすと善いのじゃ。 人の力になりたいと思うことも逃避であるかもしれんからのう。 自らの苦があれば他人にも大したことはできないじゃろう。 苦が未だ行いを制限するからのう。 自ら苦を滅することができるだけなのじゃ。 悟りを得てから衆生を救うと誓願するとよいのじゃ。 そうすれば本当に人の為に役立つこともできるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/235
239: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>236 良かったのじゃ。 またおいでなさい。 >>237 観察しているときはこう考えていると観察して流すのじゃ。 集中しているときは何もせずに流すのじゃ。 実践によって使い分けるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>238 無いのじゃ。 何も判明しないのじゃ。 おぬしが宇宙を創っているというのが真実なのじゃ。 おぬしの心が刹那に作っているのが宇宙なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/239
242: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>240 良かったのじゃ。 またおいでなさい。 >>241 そのようなこともあるじゃろう。 それが逃避でしかなかったと気付けば捨てられるのじゃ。 例えば不安からの逃避として金や地位などを求めていたが、それが不安の解消にはつながらないと気付けば捨ててしまうじゃろう。 もはや虚しいものと知るのじゃ。 観察によって気付くのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/242
246: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>243 それは自我があるからなのじゃ。 自我があれば不安や孤独が有り、さまざまな逃避をしてしまうのじゃ。 感覚の快楽を求めて、さまざまなことに反応するのじゃ。 自我が無ければ不安や孤独は無く、逃避することも無いのじゃ。 >>244 そうじゃ、安楽なのじゃ。 もはや苦は無いのじゃ。 永遠に安楽であるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/246
247: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>245 教えるが善いのじゃ。 共に学ぶ姿勢であれば善いのじゃ。 心の働きは物の働きとも同じなのじゃ。 原因によって結果も起こるのじゃ。 そのように教え、共に学ぶがよいのじゃ。 断ったら教えなくて善いのじゃ。 期待せずに教えるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/247
258: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>248 その苦を観るがよいのじゃ。 心の中に苦の原因を追求するのじゃ。 苦が原因から起こることが観察できれば消えるのじゃ。 苦が自分ではなく、自分のものでもないと気付くからのう。 >>249 死ぬのは寝るのと同じだと言えば善いのじゃ。 寝れば翌日には元気になるのじゃ。 元気になるために死も在るのじゃ。 善い事をすれば善いところに元気に産まれるのじゃ。 善い事をしていればよいと教えると善いのじゃ。 >>250 そのような者とは付き合わなくて善いのじゃ。 お釈迦様も悪い友とは付き合わず、善い友とだけ付き合うようにと言っているのじゃ。 善い友とだけ付き合うのじゃ。 >>251 ヴェーダに述べられていたからなのじゃ。 女子は悟りを得られないとかのう。 正しい事は現実に試してわかるものじゃ。 悟っただけでは観念を超えられるだけなのじゃ。 いろいろ試して何が正しいかわかるのじゃ。 >>252 そのようなこともあったのじゃ。 悟る前には集中もうまくできないからのう。 無意識に行えるから早くなるのじゃ。 >>253 瞑想できれば安心して自由になれるじゃろう。 実践によって確かめるのじゃ。 常に冷静に観られるようになるじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/258
260: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>254 1 そうじゃ、習慣なのじゃ。 そうしなければならないということもないのじゃ。 2 それを観察すれば善いのじゃ。 苦が在るならばそこに何か原因があるからなのじゃ。 それを観察して追及するのじゃ。 3 自らの心を観察し、自他共に苦を滅する道を追求するのじゃ。 それが真の慈悲と言えるのじゃ。 ただ同情するだけならば何の利益にもならないのじゃ。 苦は自他共に続くじゃろぅ。 苦の滅を目指すことが真の慈悲と言えるのじゃ。 >>255 常に試練なのじゃ。 それが死にながら生きることなのじゃ。 >>257 破滅する可能性が高いじゃろう。 必要は無いのじゃ。 滅んでいくじゃろう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/260
268: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>259 どういたしまして、またおいでなさい。 >>261 そうじゃ、自分を自分の主とするのじゃ。 またおいでなさい。 >>262 それは疲労がたまったいるとか、肝臓とか腎臓が悪いのかもしれん。 西式健康法とか気功法とかヨーガをやってみるのじゃ。 悟っても肉体が病ならばだるいじゃろう。 それが苦にならないだけなのじゃ。 ソの虚しさをよく観察すると善いのじゃ。 そうすれば虚しさも消えていくのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>263 そうじゃ、自由なのじゃ。 よい気付きなのじゃ。 それでまた進歩したのじゃ。 そうじゃ、金の無い者が金を施せないのと同じなのじゃ。 偽善と気付いたならばやらなくてよいのじゃ。 ただひたすらに観察を実践するとよいのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 >>264 集中が強くなれば思考も止まるじゃろう。 自分の限界を自分で決めてはいかんのじゃ。 日々の実践によって出来なかったことも出来るようになるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/268
269: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>265 観念は記憶に依存した認識に依って作られるのじゃ。 認識が記憶への依存から脱却すれば観念を作らないようになるのじゃ。 それが観念を超えることなのじゃ。 1 自我が在るからなのじゃ。 自我があれば好悪が有り、執着もするから苦になるのじゃ。 2 懺悔告白して二度としないと誓うと善いのじゃ。 そうすれば許されるのじゃ。 自分で自分を許すのじゃ。 >>266 自分という観念なのじゃ。 観念とは名前とイメージなのじゃ。 観念が在るからなのじゃ。 苦がもたらされるのじゃ。 自我が完全に観察されればなくなるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>267 おぬしの作り上げた観念なのじゃ。 親から教わったり、友人や学校で教わった知識や経験による知識全てがおぬしの世界なのじゃ。 そうであるから他人の世界とは違うのじゃ。 観察して確かめるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/269
279: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>270 1 ここにでも自らの罪を書いて告白し、二度としないと誓うのじゃ。 そうすれば許されるのじゃ。 2 そうじゃ、そのようなことでよいのじゃ。 ありのままに自らの行いを観ればよいのじゃ。 >>271 それは本当に悟りを求めたり、善事をしてきたかどうかの違いなのじゃ。 わしに会っても気付かない者は会えていないとも言えるのじゃ。 善事を重ねたり、真摯に悟りを求めてきた者達だけが目覚めた者にも会えるのじゃ。 >>272 どういたしまして、またおいでなさぃ。 >>273 そうじゃ、続けるとよいのじゃ。 初心のうち皆そのようなものじゃ。 続ければ集中もわかってくるのじゃ。 脳が悪いのは腸が悪いからかもしれんのじゃ。 下剤とかを飲んで腸の大掃除をするとよいのじゃ。 ヨーグルトとか果物を食べるのもよいのじゃ。 >>274 悟っていないのじゃ。 神を信じている段階では悟れないのじゃ。 神を捨てることで悟りも訪れるのじゃ。 なれるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/279
281: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>275 それはそこに集中しているからなのじゃ。 観察していないのじゃ。 集中によって却って自己同一化しているのじゃ。 観察には対象との距離が必要なのじゃ。 離れて観るのじゃ。 手を観察する時にも離れて見るじゃろう。 そのように距離をもって観るのじゃ。 そこに集中すると自分という感覚が起こり、集中していないと自分という感覚が起こらないとを観察するのじゃ。 何度も繰り返せば厭離は起こるじゃろう。 実践あるのみなのじゃ。 >>276 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさぃ。 >>277 感情も思考も止められるじゃろう。 集中すればそれがわかるのじゃ。 思考も感情もなく意識が在ると気付くのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>278 気をつけたほうがよいじゃろう。 天然の物がよいじゃろう。 健康が一番であるからのう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/281
291: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>282 1 読まないでよいのじゃ。 暇なら読んでよいのじゃ。 ダンマパダを読むとよいのじゃ。 2 悟っていないのじゃ。 3 慈悲による行いなのじゃ。 それが善事であり、清らかな行いなのじゃ。 >>285 そうかもしれん。 そうなるじゃろう。 意志があれば次の世でも続くのじゃ。 >>286 それも慈悲かも知れん。 兄であれば厳しい出家の修業させるよりむしろ世間で弟を楽に生きさせたほうが良いとか思うじゃろう。 お釈迦様にはそのような者を導く智慧もあったのじゃ。 迷惑ではないのじゃ。 もはや死んで生きているのであるからのう。 >>287 見えるのじゃ。 しかしそれも観念であるから観なくてよいのじゃ。 今善事を行えば今の世で福楽も訪れるのじゃ。 過去に囚われず善事を積むとよいのじゃ。 >>288 懺悔告白したから許されたのじゃ。 これからは慈悲の心で善事を積むとよいのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/291
292: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>289 直ぐに戻ったならばまだ滅んではいないのじゃ。 恐れずに何度も何度も観察するのじゃ。 完全に身体がイメージできなくなったら形態が滅んだといってよいのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>290 多くの者が欲しがるかどうかで決まるのじゃ。 生きている間は欲しくない作もあるのじゃ。 無意味な観念遊戯と言えるじゃろう。 いけてもいないのじゃ。 囚われずに進むのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/292
303: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>293 それはまだ集中が足りないのじゃ。 集中力が十分にあれば嫌なことを思い出しても動揺しないのじゃ。 心を不動にして観察できるのじゃ。 思考も観察とは違うとわかるのじゃ。 観察によって思考が起こることもあるがそれは観察ではないのじゃ。 集中していれば思考の無い意識の状態がわかるのじゃ。 そこまで集中力が身につけば観察と違うことも分かるのじゃ。 集中の瞑想をどんどんやるとよいのじゃ。 >>294 それも慈悲というるじゃろう。 他人をも自分や自分の愛する身内のように接するのじゃ。 自他の利益を求めるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>295 しなくてよいのじゃ。 まだじゃろう。 あえることもあるじゃろう。 夢の中では会えるのじゃ。 >>296 善い気付きなのじゃ。 その苦も原因から起こるものじゃ。 原因から起こることが観察できれば消えるのじゃ。 ストレスで胃が痛くなるのじゃろう。 すこしやすんだらよいのじゃ。 ヨーガとか西式健康法などをしてみるとよいのじゃ。 直ったら又実践するとよいのじゃ。 >>297 悟っていないのじゃ。 >>298 どうにもならないのじゃ。 全てであるだけなのじゃ。 それだけが在るものなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/303
304: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>299 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>300 そうじゃ、感じるじゃろう。 それが平等心なのじゃ。 観念の無い状態なのじゃ。 >>301 悟っていないのじゃ。 妄想に囚われているのじゃ。 >>302 きらいではないのじゃ。 当時のヴェーダに囚われていただけなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/304
315: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>305 そうじゃ、天の者が悟ろうとしたら人よりも早く悟れるじゃろう。 しかし、天はあまりにも安楽である故に、あえて悟りを求める者が少ないのじゃ。 老病の苦がないからのう。 必死になって悟りを求めないから人として悟りを得たものを羨むことになるのじゃ。 >>306 悟っていないのじゃ。 しかし、よく勉強しているのじゃ。 気付いたことも多いようじゃ。 本を読めば役に立つじゃろう。 >>307 この世に居るために慈悲とかに囚われるのじゃ。 それがなくなればもはや涅槃に行ってしまうのじゃ。 >>308 そうじゃろう。 延々と嘘をつくことになるからのう。 僅かなうそでも地獄にいくのに長く嘘をつき続ければ報いも大きいのじゃ。 善事を積むとよいのじゃ。 >>309 できるのじゃ。 悟りを得ればもはや苦もなくなるのじゃ。 二度と苦を受けることも無く根絶されるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/315
316: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>310 善かったのじゃ。 構わなくてよいものだったのじゃ。 むしろ構わないことでよく働くようになるものじゃ。 更に精進あるのみなのじゃ。 >>311 十時間ぐらいじゃな。 大体一万時間やればどんな道も達人になれるというのじゃ。 三年でなろうとするならば十時間必要なのじゃ。 六年ならば五時間なのじゃ。 十年ならば二時間なのじゃ。 >>312 そうじゃ、避けられないのじゃ。 避けられないから修業するとよいのじゃ。 そこにしか道はないのじや。 >>313 意識は普通の者と同じなのじゃ。 言葉が使えないだけなのじゃ。 いろいろ話すとよいのじゃ。 手を上に持って揺らしたりするのもよいのじゃ。 マッサージしてやるのもよいのじゃ。 >>314 それは記憶が起こっているのじゃ。 それにつれて思考とか、感情も起こっているのじゃ。 それらが自分という主体無く起こることに気付くのじゃ。 下腹に力を入れるとよいのじゃ。 頭に気が上って目が覚めるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/316
326: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>317 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>318 思わなかったのじゃ。 全て諦めたのじゃ。 >>319 思わないのじゃ。 何も知らないのじゃ。 >>320 何も飲まず食わないから死ぬのじゃ。 もはや肉体がいらなければそれでよいのじゃ。 >>321 女子の修行者を男子の下位にしたしたことなのじゃ。 行いによって差別されるべきなのじゃ。 >>322 悟っていないのじゃ。 まだ金が欲しいのじゃろう。 >>323 どういたしまして、またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/326
327: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>324 そうじゃ、自我がなければ不安は無いのじゃ。 それでも状況に合わせて適切な智慧や行いが起こるのじゃ。 不安は本来必要無いものなのじゃ。 >>325 両方地獄いきなのじゃ。 地獄の底でどちらがより悪いのか競っても無意味なのじゃ。 状況ではなく本人の心が悪を作り出すのじゃ。 他人を傷つけるとわかって行うことが悪なのじゃ。・ http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/327
337: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>328 そのようなこともあるじゃろう。 うまくいかせようとも思わないからのう。 うまくいかせようと思えばそうできるのじゃ。 >>329 自分という観念もなくなった状態なのじゃ。 肉体は自分ではないと感じても、感情とか思考が自分と思っていたら無我で゛はないのじゃ。 自分という観念が無く、なにものも自分であるという認識が無い時、無我であると言えるのじゃ。・ 無我の状態では平等性智があるから認識の観察も可能になるのじゃ。 自我による好悪の判断が無いから、認識もありのままに見えるのじゃ。 自我による好悪の判断があれば、それに囚われて何も見えないのじゃ。 >>331 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさぃ。 >>332 できるじゃろう。 気を送っているイメージをすればよいのじゃ。 自分が気功法を毎日やって本当に気を送れるようでないと効果はないのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>333 悟っていたのじゃ。 お釈迦様も女が孕まされたとか言ってネガキャンされたりしたのじゃ。 それもうそであったがのう。 そのような嘘を言うものは常に居るのじゃ。 だまされないようにするのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/337
338: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>334 自他の利益になるから善事と言えるじゃろう。 掃除洗濯料理等全て自分にも他人にも利益になることばかりじゃ。 日々善事を積むとよいのじゃ。 >>335 離婚は悪ではないのじゃ。 ちゃんと離婚して結婚するならばよいのじゃ。 それは自分の心に原因があるのじゃ。 孤独とか不安とか恐れなどから愛されたいと思うのかもしれん。 あるいは親と疎遠であったとか、兄弟が多くて自分は疎外されたとか思うからかもしれん。 そのような原因を追究して、原因から愛されたいという想いが起こることを観察できれば消えるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/338
347: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>336 そうじゃ、報いなのじゃ。 他にもうつになったりするというのじゃ。 無意識のうちに自分で自分を苦しめるのじゃ。 自分の心が報いるのじゃ。 心は誤魔化せないからのう。 懺悔告白して善事を積むとよいのじゃ。 >>339 どういたしまして、またおいでなさい。 >>340 そうじゃ、出来ないのじゃ。 無我になればそれがなくなるからできるようになるのじゃ。 ただひたすらに観察して自分を探求するのじゃ。 そうすれば無我になり、認識も見えるようになるのじゃ。 実践あるのみなのじや。 >>341 それは今までの罪を懺悔告白して二度としないと誓えばよいのじゃ。 そうすれば許されるのじゃ。 これからは善事を積むとよいのじゃ。 以前には罪を犯した者でも懺悔告白して善事を積めば福楽も訪れるとお釈迦様も言っているのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/347
348: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>342 本人が拒絶しているならば放っておくとよいのじゃ。 うつの直し方とかを教えるだけになするのじゃ。 おぬし自身が囚われてはいかんのじゃ。 それもまた自他の害になるものじゃ。 そのように干渉する事が追い込むことになるかもしれんからのう。 うつの人には頑張れとか言ってはいかんとか、いろいろ禁忌もあるからのう。 囚われずに自らの心を観ることに専念するのじゃ。 >>343 心を観るとよいのじゃ。 目が見えなくても自分の心は見えるのじゃ。 実践在るのみなのじゃ。 >>344 台本が無くとも心は見えるのじゃ。 自分の心を観るのじゃ。 実践在るのみなのじゃ。 >>345 認識が在るならば未だ観念は在るのじゃ。 自分が自分と思っているものを観るのじゃ。 それが観られれば無我になるのじゃ。 無我になれば認識も観られるのじゃ。 無認識になれば大悟徹底なのじゃ。 それまで精進あるのみなのじや。 >>346 今書いたのじゃ。 そうじゃ、どんどん家事をするとよいのじゃ。 死を恐れ、死を知りたいと感じるからなのじゃ。 恐れるものに惹きつけられるのじゃ。 増すこともあり、増さないことも在るじゃろう。 人によって違うのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/348
364: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>349 どういたしまして、またおいでなさい。 >>350 どういたしまして、またおいでなさい。 >>351 自我の観念が無くなれば好悪の観念も全て無くなるのじ。 それは自分にとっての好悪であるからのう。 自我が無くなれば全て消えるのじゃ。 そうであるから先に自我を観察して厭離することを目指すがよいのじゃ。 >>352 そういえるじゃろう。 自ら慈しみ他の為に執着を作り出すのじゃ。 そうでなければ早く悟れたのじゃ。 >>353 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>354 おぬしが肉体に強く執着しているならば必要なのじゃ。 そうでなければ必要ではないのじゃ。 おぬしが執着している分の観念が落ちるじゃろう。 実践によって確かめるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/364
365: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>355 悟っていないのじゃ。 かなりの妄想に陥っているのじゃ。 >>356 それはおぬし次第なのじゃ。 出家でも在家でも十時間修業できるようにすればいいのじゃ。 そうでなければよくないのじゃ。 全ておぬし次第なのじゃ。 >>357>>358 ないのじゃ。 感じないじゃろう。 >>359 そうじゃろう。 見ることも聞くことも本来自分無しで起こるものじゃ。 起こるだけのものであることを気付くのじゃ。 更に精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/365
366: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>360 そうじゃろう。 長く生きようと思えばそうできるのじゃ。 わしも長生きする予定なのじゃ。 >>362 そうじゃ、一切皆苦なのじゃ。 どちらにしても苦しんだじゃろう。 おぬしにあってよかったのじゃ。 できる限り慈悲を施したらよいのじゃ。 囚われずに施すのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/366
376: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>367 そうじゃ、実践によって確かめるのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 >>368 ハタヨガをやってみるとよいのじゃ。 健康になるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>369 必要ならば寝すぎではないのじゃ。 ヨーガとか西式健康法を実践して健康になるのじゃ。 薬は徐々に減らしていくがよいのじゃ。 >>370 思考や感情は無いが観念による苦は在るじゃろう。 観察は出来ないじゃろう。 寝ているときと同じなのじゃ。 生きているときに修業するとよいのじゃ。 >>371 わしもうまれたことがあるのじゃ。 それからここにきたのじゃ。 >>372 読まないでよいのじゃ。 ダンマパダとかを読むのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/376
377: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>373 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 実践が全てなのじゃ。 >>374 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>375 そうじゃ、主体無く起こるものじゃ。 主体などは本来無いからなのじゃ。 無いものが何かを起こすことも無いのじゃ。 無い主体を在ると人は認識しているだけなのじゃ。 その仕組みを観察してみるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/377
391: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>378 どういたしまして、またおいでなさぃ。 >>379 懺悔告白したから許されたのじゃ。 今後は善事を積むようにするのじゃ。 そうすれば福楽もまたやってくるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>380 実在しないのじゃ。 観念によって在ると思えば心の中に創れるのじゃ。 子供はよくやっているのじゃ。 神を感得するのも同じなのじゃ。 >>381 そうじゃ、死後も心によって作り出された世界に居るじゃろう。 そして心に相応しい世界に産まれるのじゃ。 全てこころによって作り出されるのじゃ。 >>382 史実ではないのじゃ。 四禅が大事ということじゃな。 そこで悟ることもできるのじゃ。 それを示したのじゃ。 >>383 そうじゃ、悟れば落ち着くじゃろう。 もはや心は止まっているのじゃ。 そのようになるまで精進あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/391
392: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>384 嘘なのじゃ。 悪い事をすれば悪い報いが生きている間にもやってくるのじゃ。 善い事をすれば福楽もどんどんやってくるのじゃ。 善事をどんどん実践して確かめてみるのじゃ。 >>385 そうじゃ、自我が観られれば全ての執着心は消えるのじゃ。 それらは自分という観念によって在るものであるからのう。 自我を観察して滅することを実践するとよいのじゃ。 >>386 可能なのじゃ。 それが正しい道なのじゃ。 無我になれば全ての執着も消えるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>387 悪意によるものでなければ悪ではないのじゃ。 自らの欲の為に嘘をついて他人を傷つけるとかが悪なのじゃ。 悪意による嘘でなければ悪ではないのじゃ。 世間的な嘘は悪ではないのじゃ。 挨拶で昼におはようといったら嘘になるからのう。 それで地獄へは行かないのじゃ。 >>388 それは悪ではないのじゃ。 慈悲を施せなかったから悪とはならないのじゃ。 善をできなかっただけなのじゃ。 嫌なことをする者とは付き合わなくて善いのじゃ。 お釈迦様も悪い友とは付き合わなくて善いと言っているのじゃ。 善い友とだけつきあうのじゃ。 >>389 気が頭に上ったのじゃ。 クンダリニーが上昇したというのじゃ。 正しい姿勢で長く座ればおこることなのじゃ。 囚われずに進むのじゃ。 >>390 強く信じればそのようなことも起こるのじゃ。 しかし、だんだん効き目が薄れるのじゃ。 自分で修業すればそのようなこともないのじゃ。 いつでもどごても心を自分で鎮められるようになるのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/392
402: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>393 それは識が智慧に転換するということなのじゃ。 智慧は識が転換したものではないのじゃ。 むしろ識は智慧の邪魔をしていたものなのじゃ。 その識がなくなることで智慧は正しい能力を取り戻して発現するのじゃ。 >>394 それは人によって違うものじゃ。 善事を行う機会が増えたり、悪事を行う誘惑がでたりするのじゃ。 善事を行う時には行い、悪事を誘われてもしないようにするのじゃ。 そのようにすれば福楽も次第に近づいてくるものじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>395 観られるものじゃ。 潜在意識とは今まで観られなかった心の働きなのじゃ。 苦の原因から起こる苦の連鎖反応も潜在意識の働きといえるのじゃ。 今まで観られなかったものであるからのう。 >>396 四禅にまで達すれば心はみられるのじゃ。 それによって悟りを得ることもできるのじゃ。 更に深い禅でもできるがのう。 悟れば全ての禅にも入れるのじゃ。 >>397 どういたしまして、またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/402
403: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>398 よかったのじゃ。 またおいでなさい。 >>399 そうじゃ、小さなことから始めてよいのじゃ。 毎日続けることが大事なのじゃ。 日々の精進でできないこともできるようになるのじゃ。 精進あるのみなのじゃ。 >>400 心と自我は同じではないのじゃ。 自我も心で作り出された観念なのじゃ。 自我が自分と思っている者は自我が心を作っていると思うのであるがのう。 自我は心によって作り出されたものであり、主体ではないのじゃ。 >>401 そのようなこともあるじゃろう。 夢で死人にも会えるのじゃ。 眠りの意識で繋がっているからなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/403
415: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>404 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>405 つくってくれるそうじゃ。 気長に待つとよいのじゃ。 >>406 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>407 それでよいのじゃ。 気付くことで変容も訪れるのじゃ。 それが進歩なのじゃ。 恐れずに進むのじゃ。 >>408 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>411 なるじゃろう。 自分のお金で買ったものであるからのう。 正当な収入なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/415
416: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>412 他人に危害を加えるならば注意するとよいのじゃ。 そうでなければ放っておくとよいのじゃ。 慈悲喜捨の捨なのじゃ。 悪しき者とその行ないに対して関わらずに思うことも捨てるのじゃ。 そうすれば自分もそのような者に影響されなくてすむのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>413 不可能なのじゃ。 言葉は心の全てを表すことはできないからのう。 その言葉を受け取る相手も全て理解できる訳ではないのじゃ。 半分もわかりあうことはないじゃろう。 悟れば全てひとつで在ると気付くのじゃ。 そこに完全な理解もあるのじゃ。 >>414 それもよいじゃろぅ。 健康になるのじゃ。 豆とか芋等を食べて植物性のたんぱく質をとるとよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/416
424: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>417 貯金もすると善いのじゃ。 またおいでなさい。 >>418 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>419 おぬしがそのように気付いたならばそれでよいのじゃ。 他人が何を言おうと自分で気付いたことが正しいのじゃ。 そうじゃ、自我がなくなると思う恐れなのじゃ。 抵抗はその恐れから起こるものじゃ。 恐れずに進むのじゃ。 >>420 そうじゃ、恐れずに進むのじゃ。 1 それは普段は気付かない本心なのじゃ。 思考も常識や良識の判断を受けて隠すようになると気付かなくなるのじゃ。 2 それもあるじゃろう。 解剖学ではわからないエネルギーも在るのじゃ。 ブラフマランドラは何も無いはずの頭頂で感じるのじゃ。 囚われずに進むのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/424
425: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>422 できるじゃろう。 不浄観なのじゃ。 実践あるのみなのじゃ。 >>423 維摩経には別世界の如来が香りで説法するとか記されているのじゃ。 他にもいろいろできるじゃろう。 手足の動きとか自ら心の止まった状態を見せるとかのう。 不可思議の働きを見せるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/425
432: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>426 どういたしまして、またおいでなさい。 >>427 五分でも集中できればよいのじゃ。 日々続けるとよいのじゃ。 薬は飲まないほうが善いのじゃ。 肝臓が痛むからのう。 毎日五分でも続けるとよいのじゃ。 >>428 悟っていないのじゃ。 記憶への依存がまだ少ないから感じることが出来るのじゃ。 いずれは忘れてしまうのじゃ。 >>429 そうじゃ、道具なのじゃ。 コントロールできるようにするのじゃ。 そしていずれは捨てるものなのじゃ。 囚われずに進むのじゃ。 >>430 そうじゃ、生死一如の幻想なのじゃ。 それも与えられた観念なのじゃ。 真実ではありえないのじゃ。 1 それらは観念であるから惨めも何も無いのじゃ。 嫌な思いをするというマイナスの得点で惨めであるという評価を得る観念遊戯なのじゃ。 それに気付くのじゃ。 2 その観念そのものを観察するのじゃ。 その原因は何であるか、誰かに教わったのかとか、心の中を探求するのじゃ。 原因から起こることが観察できれば消えるのじゃ。 >>431 そうじゃ、無いのじゃ。 無なのじゃ。 それも観念があっての見方なのじゃ。 縁起はその観念を破壊するための観念なのじゃ。 観念を持つものにそれは観念じゃ、と言っても何も分からないのじゃ。 原因から観察させることにより、観念は自然に厭離されて落ちるのじゃ。 そのための方法なのじゃ。 そのように理解するのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/432
439: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>433 どういたしまして、またおいでなさい。 >>434 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。 またおいでなさい。 >>435 そうじゃろう。 それが無ければ他人とは話も出来ないのであるからのう。 言葉には主語が必要であるからなのじゃ。 全てが無では話も出来ないのじゃ。 >>436 時間も空間も本来無いものじゃ。 物と物の変化を解釈するために作られた観念なのじゃ。 初めからないものを悟れば無かったと気付くだけなのじゃ。 >>437 そのようなことはないのじゃ。 行いや心構えによって違うのじゃ。 普通の者と同じなのじゃ。 >>438 強く求めなくても生きていけるじゃろう。 自分が必要と思える以上のものを求めるのは貪欲なのじゃ。 それもまた経験から起こった不要な観念の一つなのじゃ。 そのように原因が分かっているならば原因から起こる観念を観察すると善いのじゃ。 そうすればそれも消えるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1535547716/439
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