鬼和尚に聞いてみるスレ part12 (1004レス)
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52(1): 2018/09/04(火)09:32 ID:XDgmgXMk0(1) AAS
鬼和尚の先日の記事読みました。一応、下にリンク貼らせてもらいます。↓
外部リンク[html]:onioshyou.blog122.fc2.com
この記事の中で
「この教えによってバーヒヤは即座に悟りを得たのじゃ。
バーヒヤも外道ではあるが、それなりに集中の修行をしていたのじゃろう。
見たものに意味が投射されない境地であった故に、自我もそこに無いことに気付けたのじゃ。」
とありますが、見たものに意味が投影されない境地というのは、例えば
目の前のリンゴをみて「これはリンゴだ」「これは赤い」といった観念がないから何の意味も投影されない、ということですか?
そうであれば、バーヒヤがすでに「見たものに意味が投影されない境地」だったというのは
すでに無認識に至っていた、ということでしょうか?
そうでないなら、「見たものに意味が投影されない(境地)」というのと「無認識」
の違いを教えてください。
私は認識を厭離してようやく「りんごは赤い」とか「りんごは食べ物だ」とかの観念がまとめて消える、
と思っていたので上記の記事を読んだ際、何が何だか混乱してしまいました。
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