鬼和尚に聞いてみるスレ part8 (1001レス)
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(1): 2016/12/10(土)09:18 ID:Dp/qMVVc0(2/8) AAS
>>29
ありがとうございます。
ブログも読ませていただきました。

鬼和尚、オショー、お釈迦様が言わんとしていることは同じであり、ただ「愛」の定義が時代により異なっているということですね。
ということで、ダンマパダやスッタニパータなどを今の日本人が読むときには「愛」を 「愛執・愛着」と読み替えればよいということでしょうか。

自分の心を見てみますと、慈悲と愛執が状況により色々な配合で現れ、それらを総称して愛と名付けていることがわかりました。

今回のブログを読んでもう一つ質問がございます。
 愛や慈悲とは相手をありのままに認め、今ここにある状態に満足する事なのじゃ。
 執着とはありのままの状態を認めず、今ここには無いことを願うことなのじゃ。

とありますが、以前知人が交通事故に遭い、首が痛いというのを聞いたとき、「かわいそうだな、後遺症が残りませんように」という心の動きがありました。苦はなかったのですが、心が沈むような感覚はありました。
これは「相手をありのままに認めつつも、今ここには無いことを願うこと」に該当するように思うのですが、これは100%慈悲なのでしょうか?それとも愛執が混じっていますか? 
あと、例えば慈悲の瞑想も、今ここにはないことを願っているように思えますが、前述の定義からどのように解釈すればよいでしょうか。
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