鬼和尚に聞いてみるスレ【1】 (1005レス)
鬼和尚に聞いてみるスレ【1】 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/
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27: 避難民のマジレスさん [sage] >>24 それは出来ません。それに対して耽溺し尽くし、凄い喜びと凄い苦を味わい 自ら執着を捨てざるを得なくなったからです。でも完全に無意味だとは思えて いなかったし過去や自分をそれで確認していたような部分がありました。 その喜びが自我のものだったからこそ苦に変ったので、それに対して心は動いても 戻る気はありませんが、その喜びの中に純粋な喜び、人との関わりがあったようにも 感じていてそこに未練があるのかもしれません。 エゴの依存するものを捨てていくとき、寄りかかるものや確認するものもないとき、穴埋め 作業や過去の確認に精を出してしまえば、エゴは存続してしまうでしょう。 そんな時、それにまつわる煩悩の世界で楽しみ喜び確認しあい、分かち合っている人たちを見て 自分が孤独で損をしているような気になってしまったのです。 その虚しさはじっと耐えるしかないのでしょうかね? http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/27
190: 避難民のマジレスさん [sage] 鬼和尚って基本的に何でもしっかり答えちゃうし尊敬してたけど、 ちょっと相手が煽りっぽいレスすると、微妙に煽りっぽいレス返すよね。 哀れなことじゃ、とか他の礼儀正しい相手には言わないもんね。 感情が入っちゃってる証拠。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/190
196: 避難民のマジレスさん [sage] >>183 >すでに論理的に説明したがおぬしにはわからなかったようじゃのう。 >哀れな事じゃ。 ほう、相手に分からないような説明しか出来ない己の力量は無視するんだ。 本当に慈悲の心を持ってる人なら「哀れな事じゃ。」なんて言葉を吐くんじゃ無くて 理解できなかった相手にも次は分かるように説明の仕方変えたりするんじゃ無いの? http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/196
218: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>209 そうじゃろう。 お釈迦様の言葉も当時の習慣や信仰に合わせて語られているのじゃ。 今ならば認識とか心の働きを見て説法をするじゃろう。 時間空間も観念に過ぎないのじゃ。 >>213 フロイトはそのような間違いにこそ人の本音が表れていると言っていたのじゃ。 おぬしも本当は自分に語りたいのじゃろう。 好きなだけ自分に語るが良いのじゃ。 >>214 自我が起こる瞬間が観えたのじゃな。 それ以前の状態で暮らすことは出来るじゃろう。 目覚めた者は常にその状態なのじゃ。 それは執着ではなく探究心なのじゃ。 しかし、その状態を維持する事を目指すのが修行ではないのじゃ。 自我がそのようにして完全に観察されたならば、その瞬間に自己同一性を失い、厭離が起こるのじゃ。 つまりそれ以前の状態を維持しようと目指したりするのではなく、そのように起こる自我を観察しようと努めるのじゃ。 その観察が大事なのじゃ。 >>215 駄目だとか言われた回数の何倍も自分は出来る出来ると、自分に言うと良かろう。 ついでに毎日楽しい楽しいと自分に言うと良かろう。 朝目覚めたときと夜寝る前に言ったりするのじゃ。 その言葉のとおりになるじゃろう。 >>216 そうじゃ。 人が夜寝る前に睡眠を恐れないように、死もまた肉体を休めるだけであり、恐れる必要は無いのじゃ。 悟っていても、悟っていなくとも意識は死によって消えることは無いのじゃ。 悟っていればそれを感じ、知る事が出来て、苦が無いのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/218
229: 避難民のマジレスさん [sage] >>227 このスレでそういうの要らないから。 このスレは「鬼和尚に聞いてみるスレ」なんだから、あんたもそういう姑息な事しないで 鬼と直接やりあえば良いじゃん。 ここは今のところはスレの主旨を理解してる人しか居ないので、横レスも入らないんだから 思う存分やりなよ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/229
230: 避難民のマジレスさん [] 本スレにもまともな人間なんて居なかったと思うぞ 一言で言えば屑の集まりであった。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/230
251: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] また規制じゃな。 >>220 そうじゃ、王や天の神さえ羨む境地なのじゃ。 またおいでなさい。 >>224 おぬしには論理的な説明が理解できなかったという事じゃな。 わしがどれほど説明しても、おぬしがいつまでも自分には理解できなかったという事が出来るのじゃ。 それ故におぬしの言葉は自分自身に向けた言葉になるのじゃ。 わしは何でも全部説明するとは言わず、ここも鬼和尚が何でも説明するスレではないのじゃ。 人々が気づきを得たり、自ら知る事を促すのがわしの役目なのじゃ。 おぬしへのヒントは、理外の理も理の内と言う事じゃ。 >>235 五感や心の働きが全て止まったら、そこに意識が在ると気づくじゃろう。 もし肉体や心の働きが自分であると思っているならば、完全に気を失った無意識の状態に思えるじゃろう。 目覚めた者と深い瞑想に達した者だけが、全ての心の働きが止まっても、そこに意識を感じる事が出来るのじゃ。 思考や感情や分別などの心の働きも、肉体の能力として在るものじゃ。 それは肉体と共に消えるじゃろう。 しかし、肉体の中にあり、肉体の外にもあり、一切に普遍にある意識は消えることが無いのじゃ。 平等にして普遍の意識は時間や空間と言う観念に縛られる事も無く、唯一存在すると言えるものなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/251
266: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>252 それに名を与えれば、他の者はそれを自分の知る神とか実在のイメージに結びつけるじゃろう。 そして瞑想中に幻想を見て自分は神になったとか、実在に達したとか思ったりする者も居るじゃろう。 それ故に古来、無によってのみ定義されるものとして言及されるのじゃ。 古ヴェーダでは無によってのみ現されるアートマンとかブラフマンであると言い、お釈迦様は何ものも無いニルヴァーナであると行ったりするのじゃ。 それも人の言葉による意味付けを絶つためなのじゃ。 >>254 自分で探すのじゃ。 それがおぬしの修行なのじゃ。 >>255 それがわしの導きなのじゃ。 詩情もテンポも廃して可能な限り正確な言葉にするのじゃ。 >>256 悟りを得なくとも、サマーディに達した者もその意識を垣間見る事が出来るのじゃ。 手を見るのと同じように、自分の心の中に浮かぶ感情や思考の働きを眺めるのじゃ。 普段から観察していると、やり易くなるのじゃ。 怒りが湧いたならば怒りが湧いたと観察し、思考が起きたならば思考が起きたと観察するのじゃ。 そのために集中の行が役に立つのじゃ。 >>257 そうじゃ、ただ実践あるのみじゃ。 >>260 そうじゃ、それが忘我による安らぎなのじゃ。 自我があれば不安や恐怖や孤独が常に付き纏うものじゃ。 自我が無ければそれらも無く、寂静と安らぎがあるのみなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/266
286: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>269 そうじゃ、自分に合ったやり方を続けるのじゃ。 それが本当に役に立つ修行になるのじゃ。 育たないのじゃ。 無理にやっても習慣になるだけなのじゃ。 自他を超えれば慈悲は自然に生じる故に育てなくとも良いのじゃ。 >>272 わしは不変の意識とか書いていないのじゃ。 そのように本当は言葉の持つ意味さえわからないのに、他人の言葉を勝手に変え、解釈や説明を加え、己だけは何でも知っているつもりになる者が出る故に、正確でなければならんのじゃ。 わしが可能な限り正確に記してさえも、そのように自分の脳内で勝手に変換し、解釈する者が居る。 まして詩や歌やあいまいな記述を使えば、更に出鱈目な解釈が広まるじゃろう。 おぬしが自我をそのまま肥大させたいならば、神や実在があり、自分がそれだとか言うと良かろう。 ただわしはそれを認めたりはしないのじゃ。 >>273 続けてやってみたらよいのじゃ。 何でも試してみるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/286
287: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>274 ようするにおぬしは自分で探す事もできない、しないと言う事じゃな。 自分で探す事も出来ない、しない者が、理解する気だけはあるじゃろうか? 本当に知りたくて理解したいならば、先ず探すじゃろう。 本当は理解する気も無いのに嘘を書いたのならば、もはやレスはしないのじゃ。 >>278 厭離とは気づきによって、観察の対象との自己同一化が滅する事なのじゃ。 例えば人は怒りを発すれば、怒りと己が同一であると認識しておる。 怒っている己があり、己の怒りが怒っていると認識しておるのじゃ。 冷静に集中して観察すれば、怒りはただ原因から自動的に連鎖して起こっているだけであり、己とは無関係である事に気づくのじゃ。 そして怒りは己ではなく、己のものではないと厭離され滅していくのじゃ。 怒りなどの感情が原因から連鎖的に起こるように、観察して気づきがあれば、。厭離も連鎖的に起こるのじゃ。 >>279 悟っていないのじや。 お調子者じゃな。 >>280 未だ怒りに囚われる者ならば、怒りが起こっては消えていく過程を観察しつづけるが良かろう。 初心のうちに深く観察しようとすると、怒りに巻き込まれてしまい、冷静な観察が出来なくなるのじゃ。 集中に熟達し、どれほど観察しても怒りによって支配されなくなったら、原因などを深く観察していけば良いのじゃ。 原因から観察が出来れば、同じ原因から怒りは起こらなくなるじゃろう。 >>281 修行のために観察力をつけようとするならば、日常でも観察するがよいのじゃ。 それはただ修行の為の補助なのじゃ。 観察していれば、日常でなにをしても良いと言う事ではないのじゃ。 特に酒を飲むと集中力が弱るのじゃ。 >>282 悟った後、さらに多くのことを学んでからなのじゃ。 智慧も土台となる知識が無ければいかんのじゃ。 ここで人々の性質を知り、答える事も学びなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/287
291: 避難民のマジレスさん [sage] >>286 >>272 わしは不変の意識とか書いていないのじゃ。 といいますが、 >>251で 平等にして普遍の意識は時間や空間と言う観念に縛られる事も無く、唯一存在すると言えるものなのじゃ。 と君はしっかり言っていますよ。 その後に266でそれに名を与えればどうのと言ってますが、神でも、不変の意識でも名前です。 むしろ、日本人は無心論者が多いので、神という単語の方が幻想を膨らまさない可能性すらあります。 ≫そのように本当は言葉の持つ意味さえわからないのに、他人の言葉を勝手に変え、解釈や説明を加え、己だけは何でも知っているつもりになる者が出る故に、正確でなければならんのじゃ。 基本的に人には自我があり、解釈があります。 どんな言葉も自分なりに解釈するのです。 何かを解釈する自我が消滅することで真理は開示されます。 解釈する自我が消えてしまうような、店舗、詩情、そして理解不能なナンセンスさ、それが宗教です。 だから言葉によって何も伝えることはできません。 君の伝達のスタイルは哲学なんですよ。 誰もがそれを自我によよって理解しようとしてしまう文体で、自我を太らせる。 そんなこともわかってない君は、自分の自我で解釈した物事を言葉にしているのでしょう。 君の思うとおりに理解する人がいても、それは自我が文字を通して幻想を見ているだけで、その幻想の波長が合ってるに過ぎない。 言葉を解釈して幻想を見る自我の消滅が真理であるがゆえに、正確な言葉というものは宗教にはない。 相手を執着から解き放つための方便がるだけだ。 正確な表現とやらは自我がそれにしがみつくだけで自我を太らす。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/291
292: 避難民のマジレスさん [sage] >>286 普遍の意識でしたね。 まあ、どちらにしろ言葉です。 人は、普遍の意識という幻想を見て、神という幻想を否定して、両方幻想なのに意識の方が真実などと思って一人遊びするものです。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/292
309: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>289 何度も説明したとは書いていないのじゃ。妄想を止めるのじゃ。 愚者は匙が汁の味をわからないように、何度説明しても分からないが、賢者は舌が汁の味を直ぐにわかるように一言の説明でもわかるのじゃ。 例えば数学の問題でこの公式を使って証明せよと書かれていたら、その公式を使わなければ間違いになるのじゃ。 しかし、言語で論理的なる説明をせよというのならば、論理を使うだけでなく、論理が対象とどのような関係であるか説いても論理的な説明と言えるじゃろう。 このヒントで速やかに探してみるのじゃ。 賢い者ならば判るじゃろう。 >>290 どういたしまして、またおいでなさい。 >>291 釣りじゃな。 >>292 やっと判ったようじゃな。 >>293 おぬしがそのように聞くからじゃ。 神と言う言葉に囚われ、何故普遍の意識が良くてなんで神や実在が駄目なのかと、聞くものが居る限り神や実在があるという幻想を否定するべきなのじゃ。 >>294 そうじゃ、気づきじゃ。 思考や感情に意識が向けられていると、それだけが己と思うのじゃ。 深い意識に周波数を合わせるとそれに気づくのじゃ。 >>295 おぬしが言葉に頼る奴隷のような自我をたくさん育成したいという妄想をしなければ、どこにも問題は無いのじゃ。 人は自らの心にある妄想を他に投射するものであるからのう。 >>296 叡智もまた学ぶ事からやってくるのじゃ。 全知全能とはありえない観念なのじゃ。 叡智もまた言葉とイメージによる観念の中にあるものじゃ。 自我や観念に囚われているからなのじゃ。 悟っていない人でも己と言う観念や思想信条などの囚われが無ければ叡智がある者と成れるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/309
327: 避難民のマジレスさん [sage] >>318 >質問者の皆さんも、この反応で鬼和尚さんの中身を判断されるといいですよ。 あんた何度注意してもこういう事しちゃうんだな。 ここではそれぞれの人が自分の疑問を鬼に質問としてぶつけるが、 その真偽はそれぞれが判断すれば良いってスタンスだってみんな知ってるの。 だからあんたが来るまで横レスする人は居なかったんだよ。 で、その判断を下すのはあんたじゃ無いって事にも気づかない自我の塊みたいなあんたが 自我の講釈垂れてるのって、ものすごく滑稽だって事に早く気づけよ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/327
330: 避難民のマジレスさん [sage] >>303です。お答えありがとうございます。 鬼和尚はときどき「無認識」という言葉を使われています。 >>310に >それに己であると言う観念を投射するのが、認識の働きなのじゃ。 とありますが、この引用に関連して言うと、 己であるという観念の投射のない認識が無認識である、という理解でいいのでしょうか。 別の言葉で言うと、ただ在る、あるいは、ただ起こる、それらをたただ受け取る、 そのとき、在る、あるいは、起こる、のような認識する対象もなく、受け取る(認識する)主体もない、ということでしょうか。 >>313 観察する主体もなくその対象もないのであれば、観察した時点で既に無為、無我ということではないでしょうか。 また、無為、無我であるならば、そもそも観察とさえ言えない(認識できない)のではないでしょうか。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/330
343: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>319 そうじゃ。 何ものにも囚われることなく、ただ集中し続けるのじゃ。 そのように毎日続けていると、今まで出来なかった事も出来るようになり、無我にまで至るのじゃ。 >>320 常に意識は在るのじゃ。 脳とか肉体にも関係なく意識は在り続けるのじゃ。 肉体も脳もただこの物理的な世界に働きかける道具としてのみ在るのじゃ。 人がペンチやスパナなどの道具を箱に仕舞うようなものじゃ。 脳や肉体などの道具が休んでも意識は常に在り続けるのじゃ。 >>324 本当に悟りを得るために全てを捨てても良い位の情熱があれば、無師独悟も可能なのじゃ。 お釈迦様やマハリシも無師独悟であったのじゃ。 時に自我の消滅を恐れ、迷う者のために師匠はあるのじゃ。 しかし、お釈迦様も自分は道標に過ぎないと言われたように、どんなに優れた師匠も道を示すだけなのじゃ。 >>326 いやわかる。 おぬしは賢い子じゃ。 やればできるの子じゃ。 ここはわしに聞くスレであるから、このレスであるかとか、こっちのレスじゃろうとか、何度も聞けば良いのじゃ。 >>330 自我の観念だけでなく、一切の観念の投射のない認識が無認識と言えるのじゃ。 自我の観念の投射が無いだけでは、未だ無我なのじゃ。 一切の観念の投射が無いから、一切の対象も主体も無く、行為も無いのじゃ。 本来は観察する主体無く、無為無我であるが、そこに主体が在り、対象が在ると認識しているのが通常の者の認識なのじゃ。 主体が無く、観察と言う行為も無いが、誤ってそこに主体や対象や観察の行為があると衆生は認識してしまうのじゃ。 一切衆生は本来仏陀であるが、無明によって迷いの世に陥っているとはそのような事なのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/343
353: 避難民のマジレスさん [] 辛い日が続く。なんで辛いのかっていうと、 たとえばなにか食べて「おいしい〜〜」ってなっても死のことを思い出すから 終わりのために生きているような感じが抜けない。 僕の人生なにかを発展というより収束させるような気がして辛い。 ほんとうはもっとビッグに生きてリア充になりたいのに http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/353
366: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>358 それはまだ八正道の途中なのじゃ。 正しい観察から始まり、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正定、正念にまで至って悟りは得られるのじゃ。 正しい念とは気づく事なのじゃ。 個体も個我も己も無く、認識さえも無であると気づいて悟りは徹底されるのじゃ。 観察によって正しい思惟から、正しい気づきまで到達できるのじゃ。 >>359 それは観察ではなく意識の拡大に気づいたのじゃ。 肉体にも活動している意識は在ったのじゃ。 肉体だけが己の全てであると言う観念から自由になったのじゃ。 瞑想に熟達すればいつでも感じられるじゃろう。 >>361 昔、そのような体験をしたり、何かを見たりして恐れが残っているのじゃろう。 その原因から恐れが起こり、原因が無ければ恐れが無いと観察すれば消えるじゃろう。 わしはもはや何も思わないのじゃ。 >>362 神も人より長く生きたり、人には無い力を持っていたりするがやはり死に行くものなのじゃ。 悟りを得て不死の境地に達したら、死に行く神も羨むのじゃ。 神の世界は安楽であるから良く修行しようとする者も少ないのじゃ。 苦の多い人の世で修行して悟りを得れば、神以上のものとなるのじゃ。 >>363 助けないのじゃ。 おぬしを救う事が出来るのはおぬしだけなのじゃ。 お釈迦様でさえ道標になるだけと言ったのじゃ。 おぬしには己を救うために、神仏よりも大きな力と智慧を出せるのじゃ。 慈悲と善事を心掛ける清らかな心で世を行けば、福楽は向こうからやって来るのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/366
421: 避難民のマジレスさん [] これだけやってれば悟りが開けるという瞑想を教えてください。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/421
430: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>424 姿勢が正確で、下腹に力が掛かると自然に熱が発生するのじゃ。 その熱が背骨を上昇してサマーディに入るのじゃ。 しかし、集中力が無いと意識が無く寝たのと同じになってしまうのじゃ。 集中力も必要なのじゃ。 >>425 ならないのじゃ。 寝ているのと同じなのじゃ。 集中するか観察するかどっちかをしてみるのじゃ。 全く何もしないという行もあるが普通の人間には困難なのじゃ。 >>426 嘆く事は出来たじゃろう。 人に説法をするために仮に自我を保っていたであろうからのう。 そのような時には自然に感情も出るものじゃ。 それをあえて止める必要も無いから止めなかったのじゃろう。 >>427 不安が消え、恐れも消えるじゃろう。 それらは記憶から自我に投射されていたものであるからのう。 過去に孤独や恐怖があると、それが自我に起こりはしないかと不安や恐れになるのじゃ。 不安や恐れが無ければ、自然に心は安らぎ、静まるのじゃ。 そして真の悟りへの道も開かれるのじゃ。 >>429 今生きている人が見えるのも観念であるように、霊も観念なのじゃ。 生死に関わらず人は観念の中に生きているものじゃ。 霊も生きている人も同じなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/430
473: ・:.,;*(ΦwΦ;)Ψ [] .【FULL】観音経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 日蓮宗法華経 お経 - 15:01 http://www.youtube.com/watch?v=eHnudlLg1F8 .真言宗智山派 護摩修行 - 10:00 http://www.youtube.com/watch?v=WNP23chNClk Okyou Bukkyou Hotokesama ; お経 ご詠歌 仏教 - 35本の動画 http://www.youtube.com/watch?v=AhYBSqeyj4s&list=PL06C0ACC46677C002 酒井雄哉二千日回峰(道遙かなり)_ ^ 10件の動画 http://www.youtube.com/watch?v=SKcie3yOZ0I&list=PL7D66E240708B27F0 .大峰千日回峰・塩沼亮潤大阿闍梨 - 58:36 http://www.youtube.com/watch?v=ppiFT0wYbNw 日本宗教の映像資料 - 103件の動画 http://www.youtube.com/watch?v=twiBbKx2INQ&list=PL096EA9AF2F4A8392 ぶつ - 119件の動画 http://www.youtube.com/watch?v=IdinNrWFUME&list=PL82149F8D5C6483BD .曹洞宗大本山總持寺 朝課 - 48:13 http://www.youtube.com/watch?v=BBF2q0p9pdg .チベット僧侶によるチベット般若心経(Tibetan The Heart Sutra) - 9:34 http://www.youtube.com/watch?v=xXgvRvHoqAI サンスクリット般若心経 - 6件の動画 http://www.youtube.com/watch?v=8kZc9ne6v2s&list=PL3849492C301B5E17 .雅楽への誘い 1300年続く宮廷楽団 宮内庁楽部 Invitation to GAGAKU(Japanese) - 20:00 http://www.youtube.com/watch?v=blm9BrnEl9U 雅楽 - 26件の動画 http://www.youtube.com/watch?v=blm9BrnEl9U&list=RD02blm9BrnEl9U http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/473
525: 避難民のマジレスさん [] 何度も言うけど、ここは「鬼和尚に聞いてみるスレ」だから、解答をしたければ元スレでやって下さい。 >>522 ていうか君の存在がスレチ。 態々避難所まで来てコメントするほど鬼和尚が気になるんかな http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/525
527: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>510 特にお気に入りは無いのじゃ。 腹式呼吸をしているのじゃ。 >>511 先ずは自我を滅しないとそこまでは行けないのじゃ。 自我を滅してもその状態を見ている認識があるのじゃ。 それを滅するのが真の悟りなのじゃ。 無我にまで行かなければそれは感じることも出来ないのじゃ。 >>512 まだなのじゃ。 死んでも私があれば悟りではないのじゃ。 >>514 ここに書き込む他の者はちゃんと他人の言葉を理解し、意味を知って返事を書くことが出来ておる。 おぬしだけが未だそこまで達していないのじゃ。 おぬしは他人の言葉がちゃんと理解できるように先ずはカウンセリングにでも行くとよいのじゃ。 おぬしに与える言葉はそれだけなのじゃ。 >>515 ① それは自分が行う事ではないのじゃ。 縁起の連鎖が全体として観察されたならば、自然に苦は滅し、永遠に起こらなくなるのじゃ。 観察によって自己同一化が無くなる故に、それはもはや苦ではなくなるのじゃ。 実践する事によってその微妙なる働きを感得するのじゃ。 ② 自我も叉縁によって起こる事が観察できれば、他の苦と同じように自我も厭離されるのじゃ。 苦を滅する四諦も因縁も全て自我を観察し、無我に至る法として繋がっているのじゃ。 >>516>>517 そうじゃ、夢の中でも自我はあるじゃろう。 他人や環境との縁によっても起こるじゃろう。 そのように変転する自我のありようを観るのじゃ。 夢の中にあり、環境や他人との関係によっても変化するそれはなにものであるのか、追求してみるのじゃ。 >>518 来たのじゃ。昨日はなぜか書けなかったのじゃ。 >>519 クンダリニーとかが目覚めているのかもしれん。 気にせず修行してみるのじゃ。 またおいでなさい。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/527
549: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>530 そうじゃ、自我が見えているならばそれを観察する事も出来るじゃろう。 ただひたすら集中し、観察すれば悟りは向こうからやって来るのじゃ。 日々倦まずに修行する者こそ驚くべき境地に至るのじゃ。 >>531 体を動かしているときも出来るのじゃ。 武道とか茶道などはそのためにあるのじゃ。 あまり集中しすぎるとよその事が見えなくなるから気をつけるのじゃ。 >>532 それがおかしいのじゃ。 なぜわしに聞くスレに来て、わしに聞き、わしの言いたい事につきあわないのじゃ? おぬしは何故それが正常だと思っておるのじゃ? それとも異常と知りながら行なっているのかのう。 どちらにしてもそのような言動しか出来ないならば、ちゃんと精神科やカウンセリングに行くべきなのじゃ。 カルト宗教にはまってまともな言動が出来なくなるのも精神病の一種なのじゃ。 >>533 生存欲求があっても苦はなくなるのじゃ。 それは正常な本能であるからのう。 イメージでしかない自我を己と思い、それが存続するようにと謬見による生存欲求があれば苦も起こるのじゃ。 おぬしは過去に誰かに怒鳴られて恐い眼にあった記憶があるのかもしれん。 それが原因で今も恐れているのかもしれん。 それもまた原因から観察すれば消えるじゃろう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/549
557: 避難民のマジレスさん [sage] 鬼和尚 目を閉じて数息観をしている時、聞こえる音に自分が意味付けや解釈をしながら聞いていることに気付きました。 例えば、人の話し声で「tsugiwa」という音が耳に入ってきたとき「次は」という言葉とその意味を受け取り、さらに文脈から話の内容を受け取っています。 物音であれば、それが何の音なのか理解出来ます。 目を開けて数息観をしている時、目に入ってくる色や陰影や質感あるいはそれらの変化からそれが何であるのかを理解していることに気付きました。 例えば、人の肌であったり、靴であったり、服であったり、椅子であったり、電車の窓の外の景色が動いていることだったりします。 これらはすべて名付けられたものです。 これが鬼和尚の言う認識なのかもしれないと思いました。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/557
570: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>551 サマーディにまで到達しただけでも真実の世界が垣間見えるのじゃ。 無我による安らぎも体感するじゃろう。 もはや自分のイメージを守ろうとは竹刀から緊張が無いのじゃ。 我が無いから平等性智もあるじゃろう。 それだけでも普通のものからすれば優れて見えるのじゃ。 >>553 どういたしまして、またおいでなさい。 >>554>>555 それはおぬしがそう思い込んでいるだけなのじゃ。 何故ならばおぬし自身が自我という観念に囚われている故に。 わしは正確に無我を知り、それを話しておるのじゃ。 おぬしがもし一度でも無我を経験し、それを知ってわしの言葉を聞いたならば、わしが可能な限り正確に話していると判るのじゃ。 しかし、おぬしにはそれが出来ない。 他人の言葉を正確に理解する事も出来ていないのじゃ。 ここに来る他の者は全て出来る事が、おぬしには出来ない故に、先ずは現実の場でカウンセリングなどを受ける必要があるのじゃ。 最低限、他人と言葉でちゃんとコミュニケーションが出来なければ、掲示板に来る意味も無いのじゃ。 おぬしは先ず他人と言葉でちゃんとコミュニケーションが出来るようになるという目標を達成するのじゃ。 >>556 本来は肉体に対するものなのじゃ。 しかし、認識能力が記憶に依存している普通の人間は、観念でしかない自分のイメージにその欲求を投射してしまっているのじゃ。 例えば車に轢かれた者が車の音を聞いただけでも恐れが起こるように、今ここで起きているわけでもない事に反応し、苦が起きてしまうのじゃ。 自我は認識していないのじゃ。 それが謬見なのじゃ。 認識に自我のイメージをあてはめているだけなのじゃ。 自我もまた他の観念や概念と同じく認識されたものの一つでしかない故に、一つ一つの苦は自我があっても滅するのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/570
578: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>572 到達できるのじゃ。 正しい姿勢ならば相当に早くできるのじゃ。 早すぎると何も覚えていない事すらあるのじゃ。 ほどほどにするのじゃ。 >>573 個我の観念がある限り全ての苦は滅しないのじゃ。 本能的な生存欲求ならば自我が無くとも作動するのじゃ。 肉体は危険に反応するからのう。 >>574 そうじゃ、毎日続けるが良いのじゃ。 そうすれば大きな力が身につくのじゃ。 またおいでなさい。 >>575 あるのじゃ。 マハリシがそうであったのじゃ。 死に行く肉体と精神を観察して一晩で悟ったのじゃ。 それ以前から死は何かと考えつづけてはいたようであるがのう。 お釈迦様も瞑想をはじめて七日で悟ったように、本気で意志を奮い起こせば短期間でも可能なのじゃ。 そこまで本気になれない者のために修行はあるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/578
589: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>579 どういたしまして、またおいでなさい。 >>580 すまんのう、見落としていたのじゃ。 >>557 そうじゃ、それが阿頼耶識による認識なのじゃ。 外からの刺激に記憶にある意味付けがなされたのを観たのじゃ。 自分と言う認識もそのようにして起こっている事を観察してみるのじゃ。 >>581 肉体は自我があっても無くても、その保存本能に従って勝手に動くのじゃ。 悟っても肉体は危険があると知ればその排除に動くのじゃ。 精神とは別に肉体は肉体を保つ為の動きをするのじゃ。 >>583 普通にしたら良いのじゃ。 ついでにごまをすってみたらよいのじゃ。 >>586 良い事じゃ。 環境は変わらなくとも心が変われば世界は変わるのじゃ。 またおいでなさい。 >>587 それもおぬしの思い込みなのじゃ。 精神異常者の特徴の一つは自分の思い込みが真実であると疑わない事なのじゃ。 おぬしがわしの言葉は自我の範疇であり、思考であると想ったから、それが真実であると思い込む。 それがもはや異常なのじゃ。 まともな人間ならば本当に自分の考えが正しいのか、検証するプロセスがあるが、おぬしには明らかにそれが欠けて居る。 それは自分自身を厳正に見つめ、本心を冷徹に暴く真のお釈迦様の教えとは真逆の狂気への道なのじゃ。 他人の言葉を自分勝手に解釈し、別の意味を付け加えてよいならば、おぬしの師とは元オウム真理教の麻原しょうこうであり、実践的宗教とはオウム真理教とかアレフとかひかりのわであるという事も出来るのじゃ。 おぬしの修行とは人をコロしたりサリンを撒く事という事も出来る。 おぬしがそれでよいと思うならばそれでよいがのう。 >>588 わし正におぬしが想い名づけ判断する主体について語って居るのじゃ。 おぬしの今の境地ではそれは想い名づけ判断する主体であると思えるじゃろう。 しかし、わしはそれが主体などではなく、実は観念であり、おぬしが思い名づけ判断する働きに、観念が投射されたものであると既に知っているのじゃ。 今のおぬしには理解できないであろうがのう。 おぬしは自分以上に知識や境地がある者はいないであろうと、傲慢になっている故に他人の言葉を理解できないのじゃ。 本当に真摯に悟りへの道を求めているならば知ったかぶりは止め謙虚に他人の言葉を聞き、理解しようと努力するのじゃ。 本当に学ぼうとする者は決して知ったかぶりなどはしないのじゃ。 学ぶ機会がなくなるからのう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/589
604: 避難民のマジレスさん [sage] 鬼和尚 私は、他人にとってのよい知恵はよく浮かびますが、 それは自分にとっての利にはなりません。 自分にとって(もちろん他人にも)利となる知恵は浮かびません。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/604
616: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>604 他人にとってのよい知恵を教えてやると良いのじゃ。 それが自分にとっての良い智慧となるのじゃ。 自他不ニである智慧が働くようになるじゃろう。 >>605 よく学び、観察すれば出来るようになるじゃろう。 しかし、学んだ事に囚われてはいかんのじゃ。 知識を集め、使いながら囚われないのが賢者なのじゃ。 >>606>>607 おぬしが悟りを得て誰かに脅かしてもらうと良いのじゃ。 修行に励むのじゃ。 >>608 映像を見たのじゃ。 完全に心が沈静していたのじゃ。 youtubeで見たのじゃ。 オショーは常に適当な事を言うのじゃ。 弟子に依存させないためというがのう。 そうかもしれん。 >>613 悟れるじゃろう。 己を観る修行は世間の道徳とはあまり関係無いのじゃ。 憎しみがあれば憎しみがあると、誤魔化さずに観察すればよいだけなのじゃ。 無理に許そうとか、許さなくてはいけないとか思わなくて良いのじゃ。 心を歪めたり、誤魔化したりしている事になるからのう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/616
618: 避難民のマジレスさん [sage] >>616 以前鬼和尚に、 「何度でも善事を行い自他供に利益を増すが良いのじゃ。」 と教えていただきました。 また「後悔するならば、やらないほうがよいのじゃ。」とも教えていただきました。 それ以来、他人の利益にはなっても、自分の利益にならないことはやらないように心がけています。 しかし、>>604に書いたような状況です。 「自他不二」というより「利他不自」といったところです。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/618
632: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>618 情は人のためにならずという格言があるのじゃ。 この言葉の本当の意味は、他人に情をかければ他人のためになるだけでなく、良い報いが返って自分のためにもなると言う事なのじゃ。 その通りなのじゃ。 他人の為になることをすれば、それが自然に自分のためにもなるのじゃ。 その行いによって慈悲を行なう清い心の者となるからのう。 清い心の者に福楽は付き従うのじゃ。 >>619 わしを信じてはいかんのじゃ。 もっと疑うのじゃ。 >>620 どういたしまして、またおいでなさい。 >>621 日の光を吸収していると言う。 元々食物をとるのも植物の光合成などにより、物質に宿った日光のエネルギーを吸収するためとか言うのう。 人の肉体にはまだまだ秘密が隠されているのじゃ。 >>623 そうじゃ、目覚めれば心が不動になり、映像のように肉体も全く動かさない事ができるのじゃ。 時々座ったまま涅槃に行く者さえいるのじゃ。 お釈迦様も梵天が教えを乞わなければそのまま涅槃に行く所だったのじゃ。 おぬしも誰もしない事をやると良いのじゃ。 おぬし自身の本心を観る事は他の誰にもやれないことなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/632
633: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>624-631 わしはおぬしと違い、自分の書いた事がただの思い込みではないか、検証するのじゃ。 その結果、やはりおぬしはまともな常識から逸脱していると確認できたのじゃ。 わしのただ一つのレスに7回もレスを返しているのは明らかにまともではないのじゃ。 他にそのような事をしている者はいないのじゃ。 おぬしだけがそのような異常な行動を続けておる。 そしてそれを異常だとも想わないおぬしはやはりまともとはいえないのじゃ。 わしはおぬしの師匠は元オウムの麻原しょうこうであり、おぬしの宗教はアレフやひかりのわとしていいのかと聞いたが、返事がないということはそれでよいという事かのう。 それならばわしが与える言葉はそのようなカルトから脱却し、カウンセリングを受けるが良いと勧めるのみじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/633
636: 避難民のマジレスさん [sage] >>632 「後悔するならば、やらないほうがよいのじゃ。」 と、 「他人の為になることをすれば、それが自然に自分のためにもなるのじゃ。」 が相反するので、私は混乱しています。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/636
650: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>634 もっと疑うのじゃ。 >>635 そうじゃ、観察してみるのじゃ。 実際に観察すると、どのように美しい男女でも、人として生きる以上は排泄物を垂れ流し、体毛や肌の荒れがあったりするものじゃ。 観念があるとそれらを見ないようにするが、観察力があれば気付くのじゃ。 観念に因って美女となされている者も観察によって真実の姿が見えるのじゃ。 >>636 他人の為になる事をすると、おぬしは後悔するという事かのう。 普通は自分が善事をして他人が喜べば、自分も良かったと思うのであるがのう。 特殊な心境か特殊な状況のようじゃ。 更に詳しく書いてみるのじゃ。 >>639 おぬしは他人の一つのレスに、七回もレスをつけた者を2ちゃんねるでも、ここでも見たことがあるのかのう。 わしは5、6年ぐらい書いているがおぬし以外にそこまでした者は知らないのじゃ。 カルトに洗脳された者や、かなり錯乱した者も居たが、そこまでおかしな事はしなかったのじゃ。 おぬしが客観的に知りたいというならば、今からでも2ちゃんねるでそのような事をしたものがいるかどうか調べてみるが良い。 純粋かつ客観的にそのような行動を他の誰もやらないと、データとして見られればおぬしもそれが異常とわかるじゃろう。 おぬしは>>631で「私の欠点を指摘してごらん。普通に感謝するでしょうから。」などと書いているが、そのような欠点を指摘しても、「そういう判断をしてるのはあなたの自我でしょう。 別に、おかしくないし、おかしくなくもない。」などと書いて認めないだけなのじゃ。 少なくとも嘘をつくのは止めたほうが良かろう。 欠点を指摘しても、それは全部自我のせいにして認めないと、正直に書いたほうがまだましなのじゃ。 おぬしは他人の言葉は勝手に解釈して、別の意味を付け加えてよいと書いたから、おぬしの師匠は元オウムの麻原しょうこうとも言えるのじゃ。 前提を撤回しない限り続くのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/650
651: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>640 それを要約すればおぬしはわしの言葉を「祖師が自我だというものと、あなたが無我だというものは同じ」などと勝手に解釈し、別の意味を付け加えてよいが、わしはしてはいけないという事じゃな。 まともな人間はそれを詭弁であり、二重規律と呼んで行なわないようにするが、おぬしにはそのような判断能力もないという事かのう。 これもおぬしの欠点の一つじゃな。 おぬしは>>631で「私の欠点を指摘してごらん。普通に感謝するでしょうから。」などと書いているが、やはりこれも「そういう判断をしてるのはあなたの自我でしょう。 別に、おかしくないし、おかしくなくもない。」などと書いて認めないのであろうかのう。 >>641 そうじゃ、美人が偉いとか、美人と恋人になると偉いとかの価値観は、社会的に刷り込まれたものじゃ。 顔面の配置とかが多少違うだけであるのにのう。 おぬしが猿を見て、美猿だとか不細工猿だとか見分けがつかないように、悟れば美人も不細工も同じくなるのじゃ。 人がいるとは想うであろうがのう。 >>642 そうじゃ、良い事じゃ。 悟っても恩愛が無くなる訳ではないのじゃ。 マハリシも母親の墓から動かなくなったというしのう。 >>643 それもまた逆の意味での執着と言えるじゃろう。 そのように強く思えば肉体のない無色界には生まれるかも知れんが、時が経てば叉戻ってきてしまうじゃろう。 個我の意識がなくなれば、永遠に肉体はもたなくなるのじゃ。 それまで修行あるのみじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/651
652: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>646 おぬしはもう自分の書いたことも、他人が書いたこともわからなくなっているようじゃのう。 判り易いように箇条書にしてみるのじゃ。 ① おぬしはわしの言葉を勝手に解釈し、別の意味を付け加えておる。 ② おぬしがそれをやってよいと想うならば、他人もまたおぬしの言葉を勝手に解釈し、別の意味を付け加えるであろう。 ③ おぬしはそれをやってよいが、他人はそれをするなというのは二重規律である。 大抵の地方自治体には精神に問題を抱えている者のために、無料でカウンセリングなどをしておる。 おぬしはまずそれに行ってみると良かろう。 日常生活も出来ない重症ならば病院の手配などもしてくれるじゃろう。 >>648 まだ首が曲がっているようじゃ。 首から上が真っ直ぐならば頭まで気が抜けるのじゃ。 頭の天辺が天の真上まで1本のひもで引っ張られているようなイメージで真っ直ぐにして見るのじゃ。 頭まで抜けたら、今度は下に降ろせるように集中や呼吸で気をコントロールするのじゃ。 胸とか鳩尾などに集中して気を下ろす行をしてみるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/652
666: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>653 そこからさらに疑うのじゃ。 >>654 それでも他人のために良い事をしたのであるから喜べばよかったのじゃ。 おぬしに智慧があれば、おぬしのアドバイスで改善した上司に、更に忠告して行動を改めさせる事も出来たじゃろう。 一度おぬしの言葉で改善したのであるから、もう一度おぬしの言葉を聞く可能性は高かったのじゃ。 一度の特殊な状況で後悔はせず、これからも多くの良い事をして、ついでに忠告もすれば良いのじゃ。 そうすればその過去も役に立った事になるのじゃ。 >>655 どういたしまして、またおいでなさい。 >>656 そうじゃ、調整をして見るのじゃ。 またおいでなさい。 >>657 悟っていないのじゃ。 勉強しているが実際の法を知らないから的外れな事ばかりなのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/666
674: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>668 更に疑うのじゃ。 >>669 一度だけでなく、その同じような事が続くのが一つの試しなのじゃろう。 他人に善事を行なうと同時に、影響力を行使して人を変え、周囲の者も楽にする事を学ぶのじゃ。 人を操るのは悪ではないかと思うかもしれんが、一人を変える事で多くの者が楽になるならば、帰るのは善と言えるのじゃ。 人は年を取るに従い責任を取る立場になったり、人を使える智慧もつくものじゃ。 力や智慧をもてばそれを行使して周囲の者を楽にする事も出来るのじゃ。 智慧を身につけて周囲の者を楽にする大きな善を目指すのじゃ。 >>670 良い事じゃ。 実践する事こそ真の学びなのじゃ。 体験すれば書物では判らないことも知る事が出来るからのう。 またおいでなさい。 >>672 そのように他人がやっているから自分もやって良いと思うのは、正しい事なのかカウンセラーに聞いてみるのじゃ。 カウンセリングというとこの国では精神病者がかかるものと思われているが、欧米ではセレブも困った事があれば気軽にきいたりするのじゃ。 おぬしもセレブの仲間入りじゃな。良かったのう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/674
688: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>679 その証明とか理由があると思う心を疑うのじゃ。 >>684 わしのいうようなことをすれば世の中が発言者の許可なくわしの発言者の真意を翻訳し始める。かどうか、カウンセラーに聞いてみるのじゃ。 先ずはおぬしがカウンセリングにかかり、カウンセラーの意見を聞いてから、わしに話すのじゃ。 それが出来なければ何も始まらないのじゃ。 >>685 それで修行が捗るならばそう考えても良かろう。 観念がある限り何を考えても観念に成り、真実とは遠くなるものじゃ。 観念の無い真実に辿り着くのは実践だけなのじゃ。 >>687 呼吸法を行なって大の字で寝ると良かろう。 軽い風邪なら直ぐ治るのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/688
708: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>701 わしの本心が逃げているとか言う観念を疑うのじゃ。 >>702 呼吸法には気を取り入れる効果があるのじゃ。 生命力を増し、治癒力も上がるのじゃ。 気のせいではないのじゃ。 >>704 おぬしには仏陀が必要だと思うのじゃな。 それでわしに話し掛けるのは何故じゃろうかのう。 わしの言葉が必要ではないと思うならばもはや永遠に言葉を返す事は無いじゃろう。 今後わしに何をレスしても無駄なのじゃ。 仏陀を認めない限り永遠に道は閉ざされるのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/708
726: 避難民のマジレスさん [sage] あと私は今心が凄く病んでて苦しんでいます、瞑想も自我意識が強すぎてできませんでした だから苦を受けることによって自我意識を減らせるかと思ったのです どうすれば心の病を治せますか? http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/726
727: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>720 やめなとか言ってる自分を疑うのじゃ。 >>723 苦行には一時的に心を高揚させる効果があるじゃろう。 しかしそれだけなのじゃ。 特に心の器が広がる事も無いのじゃ。 無理に続ければ体を壊したりするのじゃ。 瞑想によって心を止め、心を観察する方が良いのじゃ。 それが中道なのじゃ。 >>724 そうじゃ、意志のあるところに道はあるのじゃ。 またおいでなさい。 >>726 その原因を探すのじゃ。 そして原因からその苦が起こり、原因が無ければ苦も無いと観察するのじゃ。 原因から起こる苦が全体的に観察できれば、苦は滅するのじゃ。 詳しくはわしのブログを参考にすると良いのじゃ。 苦を滅する法が書かれているのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/727
752: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>750 復讐心や怒りを(思うとおりにさせてしまうことは必要ではないのじゃ。 それは一時的な感情に過ぎないものであるからのう。 テレビや映画のような幻影のようなものじゃ。 悪役が悪い事をしたから怒り、テレビを壊したりしたら後で後悔するじゃろう。 そのように一時的感情は生じては消えていく性質のものであり、一々行なえば後で後悔するものじゃ。 それを観察するだけで、消えていくのが判るじゃろう。 怒りや殺意が観察されたならば、それがただの自動的な反応によって起こるものと気付くじゃろう。 怒りや殺意は自分ではなく、自分のものでも無いと気付き、消えて行くのじゃ。 例えば人は悪口を言われると怒る。 悪口を言われた事を思い出しても今怒りが起こるじゃろう。 悪口を言われると怒るその反応を何度も観察してみるのじゃ。 その反応は自分がなにをしてもしなくても同じく起こる事が判るじゃろう。 その反応は自分とは関係の無い自動的な感情の反応なのじゃ。 そのように観察して行くのじゃ。 そうすれば怒りも殺意も一時的なものとして消えていくのが判るじゃろう。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/752
762: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] >>754 ① なるじゃろう。 特に肉体に投射される瞬間の自我の観察に向いているじゃろう。 実際に意識は深い瞑想やねむっている時等は肉体よりも拡大しているものであるかんらのう。 ② 自他の不幸になる事や不幸を喜ぶような事は冗談でも言わないようにする事じゃ。 聖者や行者の言葉とか真実に掛けて誓った言葉は実現するという信仰もあるのじゃ。 冗談もいえないでは苦しいかもしれんが、口は慎むのが修行者の務めなのじゃ。 >>759 人の心には善や美に惹かれると共に、悪や醜さに惹かれる所も在るのじゃ。 それはその対象の不安や恐怖を緩和しようとする心理なのじゃ。 そうじゃ、やはり観察によって厭離させるか、意志によって肯定的なものに注意を向けるしかないじゃろう。 >>760 肉体の熱は姿勢が正しく、下腹に重心が集まっていれば自然に出るものじゃ。 それを願うならば下丹田に意識を集中すると良かろう。 それもまた一つの集中の修行法なのじゃ。 呼吸に集中するならば肉体の熱にはかまわないほうがよいのじゃ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/762
902: 避難民のマジレスさん [sage] 職場で飲み会がある時、行きたい気持ちと、行きたくない気持ちの両方があります。 これまでは、参加することもありましたし、しないこともありました。 最近は参加しないことの方が多いです。 行きたい理由は、人と接することが楽しいということ、おいしい酒や料理を断るまでもないこと、行きたくない気持ちが本当かどうかわからないということです。 行きたくない理由は、行って人と接すると、参加した人達の内面的なものがもの凄くよくわかってしまい、それについての思考が止まらなくなり、夜なかなか寝付けなくこともあるからです。 その夜だけではなく、後日でも思い出して思考が止まらなくなって寝付けなくなることがあります。 その内容がどういうものかというと、例えば>>604(私です)のように、鬼和尚から「教えてやるとよいのじゃ」と言われそうな内容です。 また、参加人数が2人だけのときや3〜4人程度でしたら許容範囲ですが、もっと増えると、パソコンのメモリ不足のように処理しきれず、楽しむどころではなくなります。 パソコンであればフリーズしますが、私はキレてしまうかもしれないと恐れています。 それと、行きたい気持ちが本当かどうかわからないということです。 どちらが本当の気持ちなのかわかりません。 どちらも本当の気持ちかも知れません。 人に接すること自体は苦ではありませんが、それに関連して起こることは苦であるように思います。 そこにジレンマがあります。 観察によって何かわかるかと思いましたが、今のところわかりません。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/902
958: 避難民のマジレスさん [sage] 鬼和尚 もしも悟ったならば、その後どうなるのかわからない、という恐さがあります。 死に対する恐れよりも、悟ることに対する恐れの方が大きいような気がします。 死は誰にでも訪れますが、悟りは誰にでも訪れるわけではないようですし。 仮に今晩悟ったならば、明日から仕事はどうしたらいいのだろうか、という疑問があります。 悟ってしまったら、現世つまり衆生の世界に二度と戻っては来られないのではないか、という恐れがあります。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1374882757/958
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