鬼和尚に聞いてみるスレ【1】 (1005レス)
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27(3): 2013/08/01(木)22:09 ID:OWFkcfvg0(2/27) AAS
>>24
それは出来ません。それに対して耽溺し尽くし、凄い喜びと凄い苦を味わい
自ら執着を捨てざるを得なくなったからです。でも完全に無意味だとは思えて
いなかったし過去や自分をそれで確認していたような部分がありました。
その喜びが自我のものだったからこそ苦に変ったので、それに対して心は動いても
戻る気はありませんが、その喜びの中に純粋な喜び、人との関わりがあったようにも
感じていてそこに未練があるのかもしれません。
省5
190(3): 2013/08/18(日)22:25 ID:QxXz3qpI0(3/4) AAS
鬼和尚って基本的に何でもしっかり答えちゃうし尊敬してたけど、
ちょっと相手が煽りっぽいレスすると、微妙に煽りっぽいレス返すよね。
哀れなことじゃ、とか他の礼儀正しい相手には言わないもんね。
感情が入っちゃってる証拠。
196(3): 2013/08/19(月)14:34 ID:IQSEMtG60(11/27) AAS
>>183
>すでに論理的に説明したがおぬしにはわからなかったようじゃのう。
>哀れな事じゃ。
ほう、相手に分からないような説明しか出来ない己の力量は無視するんだ。
本当に慈悲の心を持ってる人なら「哀れな事じゃ。」なんて言葉を吐くんじゃ無くて
理解できなかった相手にも次は分かるように説明の仕方変えたりするんじゃ無いの?
218(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/08/20(火)20:29 ID:kaXJvxhM0(45/157) AAS
>>209 そうじゃろう。
お釈迦様の言葉も当時の習慣や信仰に合わせて語られているのじゃ。
今ならば認識とか心の働きを見て説法をするじゃろう。
時間空間も観念に過ぎないのじゃ。
>>213 フロイトはそのような間違いにこそ人の本音が表れていると言っていたのじゃ。
おぬしも本当は自分に語りたいのじゃろう。
省18
229(3): 2013/08/20(火)22:45 ID:IQSEMtG60(16/27) AAS
>>227
このスレでそういうの要らないから。
このスレは「鬼和尚に聞いてみるスレ」なんだから、あんたもそういう姑息な事しないで
鬼と直接やりあえば良いじゃん。
ここは今のところはスレの主旨を理解してる人しか居ないので、横レスも入らないんだから
思う存分やりなよ。
230(3): 2013/08/20(火)22:46 ID:WL2yRwjAO携(58/254) AAS
本スレにもまともな人間なんて居なかったと思うぞ
一言で言えば屑の集まりであった。
251(5): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/08/21(水)20:07 ID:kaXJvxhM0(46/157) AAS
また規制じゃな。
>>220 そうじゃ、王や天の神さえ羨む境地なのじゃ。
またおいでなさい。
>>224 おぬしには論理的な説明が理解できなかったという事じゃな。
わしがどれほど説明しても、おぬしがいつまでも自分には理解できなかったという事が出来るのじゃ。
それ故におぬしの言葉は自分自身に向けた言葉になるのじゃ。
わしは何でも全部説明するとは言わず、ここも鬼和尚が何でも説明するスレではないのじゃ。
省10
266(5): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/08/22(木)19:58 ID:kaXJvxhM0(47/157) AAS
>>252 それに名を与えれば、他の者はそれを自分の知る神とか実在のイメージに結びつけるじゃろう。
そして瞑想中に幻想を見て自分は神になったとか、実在に達したとか思ったりする者も居るじゃろう。
それ故に古来、無によってのみ定義されるものとして言及されるのじゃ。
古ヴェーダでは無によってのみ現されるアートマンとかブラフマンであると言い、お釈迦様は何ものも無いニルヴァーナであると行ったりするのじゃ。
それも人の言葉による意味付けを絶つためなのじゃ。
>>254 自分で探すのじゃ。
それがおぬしの修行なのじゃ。
省12
286(6): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/08/23(金)20:09 ID:kaXJvxhM0(49/157) AAS
>>269 そうじゃ、自分に合ったやり方を続けるのじゃ。
それが本当に役に立つ修行になるのじゃ。
育たないのじゃ。
無理にやっても習慣になるだけなのじゃ。
自他を超えれば慈悲は自然に生じる故に育てなくとも良いのじゃ。
>>272 わしは不変の意識とか書いていないのじゃ。
そのように本当は言葉の持つ意味さえわからないのに、他人の言葉を勝手に変え、解釈や説明を加え、己だけは何でも知っているつもりになる者が出る故に、正確でなければならんのじゃ。
省6
287(5): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/08/23(金)20:26 ID:kaXJvxhM0(50/157) AAS
>>274 ようするにおぬしは自分で探す事もできない、しないと言う事じゃな。
自分で探す事も出来ない、しない者が、理解する気だけはあるじゃろうか?
本当に知りたくて理解したいならば、先ず探すじゃろう。
本当は理解する気も無いのに嘘を書いたのならば、もはやレスはしないのじゃ。
>>278 厭離とは気づきによって、観察の対象との自己同一化が滅する事なのじゃ。
例えば人は怒りを発すれば、怒りと己が同一であると認識しておる。
怒っている己があり、己の怒りが怒っていると認識しておるのじゃ。
省17
291(3): 2013/08/23(金)22:00 ID:rv7HtzzQ0(23/85) AAS
>>286
>>272 わしは不変の意識とか書いていないのじゃ。
といいますが、
>>251で 平等にして普遍の意識は時間や空間と言う観念に縛られる事も無く、唯一存在すると言えるものなのじゃ。
と君はしっかり言っていますよ。
その後に266でそれに名を与えればどうのと言ってますが、神でも、不変の意識でも名前です。
むしろ、日本人は無心論者が多いので、神という単語の方が幻想を膨らまさない可能性すらあります。
省13
292(3): 2013/08/23(金)22:01 ID:rv7HtzzQ0(24/85) AAS
>>286
普遍の意識でしたね。
まあ、どちらにしろ言葉です。
人は、普遍の意識という幻想を見て、神という幻想を否定して、両方幻想なのに意識の方が真実などと思って一人遊びするものです。
309(4): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/08/24(土)20:02 ID:kaXJvxhM0(52/157) AAS
>>289 何度も説明したとは書いていないのじゃ。妄想を止めるのじゃ。
愚者は匙が汁の味をわからないように、何度説明しても分からないが、賢者は舌が汁の味を直ぐにわかるように一言の説明でもわかるのじゃ。
例えば数学の問題でこの公式を使って証明せよと書かれていたら、その公式を使わなければ間違いになるのじゃ。
しかし、言語で論理的なる説明をせよというのならば、論理を使うだけでなく、論理が対象とどのような関係であるか説いても論理的な説明と言えるじゃろう。
このヒントで速やかに探してみるのじゃ。
賢い者ならば判るじゃろう。
>>290 どういたしまして、またおいでなさい。
省17
327(3): 2013/08/25(日)09:26 ID:IQSEMtG60(24/27) AAS
>>318
>質問者の皆さんも、この反応で鬼和尚さんの中身を判断されるといいですよ。
あんた何度注意してもこういう事しちゃうんだな。
ここではそれぞれの人が自分の疑問を鬼に質問としてぶつけるが、
その真偽はそれぞれが判断すれば良いってスタンスだってみんな知ってるの。
だからあんたが来るまで横レスする人は居なかったんだよ。
で、その判断を下すのはあんたじゃ無いって事にも気づかない自我の塊みたいなあんたが
省1
330(3): 2013/08/25(日)13:43 ID:p4aWaNt.0(2/4) AAS
>>303です。お答えありがとうございます。
鬼和尚はときどき「無認識」という言葉を使われています。
>>310に
>それに己であると言う観念を投射するのが、認識の働きなのじゃ。
とありますが、この引用に関連して言うと、
己であるという観念の投射のない認識が無認識である、という理解でいいのでしょうか。
別の言葉で言うと、ただ在る、あるいは、ただ起こる、それらをたただ受け取る、
省4
343(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/08/25(日)20:18 ID:kaXJvxhM0(58/157) AAS
>>319 そうじゃ。
何ものにも囚われることなく、ただ集中し続けるのじゃ。
そのように毎日続けていると、今まで出来なかった事も出来るようになり、無我にまで至るのじゃ。
>>320 常に意識は在るのじゃ。
脳とか肉体にも関係なく意識は在り続けるのじゃ。
肉体も脳もただこの物理的な世界に働きかける道具としてのみ在るのじゃ。
省17
353(3): 2013/08/26(月)05:22 ID:FolTiOC.0(1/5) AAS
辛い日が続く。なんで辛いのかっていうと、
たとえばなにか食べて「おいしい〜〜」ってなっても死のことを思い出すから
終わりのために生きているような感じが抜けない。
僕の人生なにかを発展というより収束させるような気がして辛い。
ほんとうはもっとビッグに生きてリア充になりたいのに
366(4): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/08/26(月)20:31 ID:kaXJvxhM0(62/157) AAS
>>358 それはまだ八正道の途中なのじゃ。
正しい観察から始まり、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正定、正念にまで至って悟りは得られるのじゃ。
正しい念とは気づく事なのじゃ。
個体も個我も己も無く、認識さえも無であると気づいて悟りは徹底されるのじゃ。
観察によって正しい思惟から、正しい気づきまで到達できるのじゃ。
>>359 それは観察ではなく意識の拡大に気づいたのじゃ。
肉体にも活動している意識は在ったのじゃ。
省16
421(3): 2013/08/30(金)21:03 ID:NpBkhqbI0(4/14) AAS
これだけやってれば悟りが開けるという瞑想を教えてください。
430(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/08/31(土)20:28 ID:kaXJvxhM0(72/157) AAS
>>424 姿勢が正確で、下腹に力が掛かると自然に熱が発生するのじゃ。
その熱が背骨を上昇してサマーディに入るのじゃ。
しかし、集中力が無いと意識が無く寝たのと同じになってしまうのじゃ。
集中力も必要なのじゃ。
>>425 ならないのじゃ。
寝ているのと同じなのじゃ。
集中するか観察するかどっちかをしてみるのじゃ。
省13
473(6): ・:.,;*(ΦwΦ;)Ψ 2013/09/04(水)01:22 ID:8KwfB2fY0(1) AAS
.【FULL】観音経 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 日蓮宗法華経 お経 - 15:01
動画リンク[YouTube]
.真言宗智山派 護摩修行 - 10:00
動画リンク[YouTube]
Okyou Bukkyou Hotokesama ; お経 ご詠歌 仏教 - 35本の動画
動画リンク[YouTube]
酒井雄哉二千日回峰(道遙かなり)_ ^ 10件の動画
省17
525(3): 2013/09/08(日)17:19 ID:WL2yRwjAO携(127/254) AAS
何度も言うけど、ここは「鬼和尚に聞いてみるスレ」だから、解答をしたければ元スレでやって下さい。
>>522
ていうか君の存在がスレチ。
態々避難所まで来てコメントするほど鬼和尚が気になるんかな
527(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/08(日)21:46 ID:kaXJvxhM0(89/157) AAS
>>510 特にお気に入りは無いのじゃ。
腹式呼吸をしているのじゃ。
>>511 先ずは自我を滅しないとそこまでは行けないのじゃ。
自我を滅してもその状態を見ている認識があるのじゃ。
それを滅するのが真の悟りなのじゃ。
無我にまで行かなければそれは感じることも出来ないのじゃ。
>>512 まだなのじゃ。
省19
549(4): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/09(月)20:13 ID:kaXJvxhM0(92/157) AAS
>>530 そうじゃ、自我が見えているならばそれを観察する事も出来るじゃろう。
ただひたすら集中し、観察すれば悟りは向こうからやって来るのじゃ。
日々倦まずに修行する者こそ驚くべき境地に至るのじゃ。
>>531 体を動かしているときも出来るのじゃ。
武道とか茶道などはそのためにあるのじゃ。
あまり集中しすぎるとよその事が見えなくなるから気をつけるのじゃ。
>>532 それがおかしいのじゃ。
省12
557(3): 2013/09/09(月)20:59 ID:mYlMtfIo0(2/5) AAS
鬼和尚
目を閉じて数息観をしている時、聞こえる音に自分が意味付けや解釈をしながら聞いていることに気付きました。
例えば、人の話し声で「tsugiwa」という音が耳に入ってきたとき「次は」という言葉とその意味を受け取り、さらに文脈から話の内容を受け取っています。
物音であれば、それが何の音なのか理解出来ます。
目を開けて数息観をしている時、目に入ってくる色や陰影や質感あるいはそれらの変化からそれが何であるのかを理解していることに気付きました。
例えば、人の肌であったり、靴であったり、服であったり、椅子であったり、電車の窓の外の景色が動いていることだったりします。
これらはすべて名付けられたものです。
省1
570(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/10(火)21:00 ID:kaXJvxhM0(95/157) AAS
>>551 サマーディにまで到達しただけでも真実の世界が垣間見えるのじゃ。
無我による安らぎも体感するじゃろう。
もはや自分のイメージを守ろうとは竹刀から緊張が無いのじゃ。
我が無いから平等性智もあるじゃろう。
それだけでも普通のものからすれば優れて見えるのじゃ。
>>553 どういたしまして、またおいでなさい。
>>554>>555 それはおぬしがそう思い込んでいるだけなのじゃ。
省16
578(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/10(火)22:16 ID:kaXJvxhM0(98/157) AAS
>>572 到達できるのじゃ。
正しい姿勢ならば相当に早くできるのじゃ。
早すぎると何も覚えていない事すらあるのじゃ。
ほどほどにするのじゃ。
>>573 個我の観念がある限り全ての苦は滅しないのじゃ。
本能的な生存欲求ならば自我が無くとも作動するのじゃ。
肉体は危険に反応するからのう。
省9
589(8): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/11(水)21:30 ID:kaXJvxhM0(99/157) AAS
>>579 どういたしまして、またおいでなさい。
>>580 すまんのう、見落としていたのじゃ。
>>557 そうじゃ、それが阿頼耶識による認識なのじゃ。
外からの刺激に記憶にある意味付けがなされたのを観たのじゃ。
自分と言う認識もそのようにして起こっている事を観察してみるのじゃ。
>>581 肉体は自我があっても無くても、その保存本能に従って勝手に動くのじゃ。
悟っても肉体は危険があると知ればその排除に動くのじゃ。
省25
604(3): 2013/09/13(金)00:04 ID:mYlMtfIo0(5/5) AAS
鬼和尚
私は、他人にとってのよい知恵はよく浮かびますが、
それは自分にとっての利にはなりません。
自分にとって(もちろん他人にも)利となる知恵は浮かびません。
616(4): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/13(金)21:29 ID:kaXJvxhM0(103/157) AAS
>>604 他人にとってのよい知恵を教えてやると良いのじゃ。
それが自分にとっての良い智慧となるのじゃ。
自他不ニである智慧が働くようになるじゃろう。
>>605 よく学び、観察すれば出来るようになるじゃろう。
しかし、学んだ事に囚われてはいかんのじゃ。
知識を集め、使いながら囚われないのが賢者なのじゃ。
>>606>>607 おぬしが悟りを得て誰かに脅かしてもらうと良いのじゃ。
省12
618(3): 2013/09/13(金)22:03 ID:Dh.ZHHno0(1) AAS
>>616
以前鬼和尚に、
「何度でも善事を行い自他供に利益を増すが良いのじゃ。」
と教えていただきました。
また「後悔するならば、やらないほうがよいのじゃ。」とも教えていただきました。
それ以来、他人の利益にはなっても、自分の利益にならないことはやらないように心がけています。
しかし、>>604に書いたような状況です。
省1
632(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/14(土)20:18 ID:kaXJvxhM0(105/157) AAS
>>618 情は人のためにならずという格言があるのじゃ。
この言葉の本当の意味は、他人に情をかければ他人のためになるだけでなく、良い報いが返って自分のためにもなると言う事なのじゃ。
その通りなのじゃ。
他人の為になることをすれば、それが自然に自分のためにもなるのじゃ。
その行いによって慈悲を行なう清い心の者となるからのう。
清い心の者に福楽は付き従うのじゃ。
>>619 わしを信じてはいかんのじゃ。
省10
633(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/14(土)20:28 ID:kaXJvxhM0(106/157) AAS
>>624-631 わしはおぬしと違い、自分の書いた事がただの思い込みではないか、検証するのじゃ。
その結果、やはりおぬしはまともな常識から逸脱していると確認できたのじゃ。
わしのただ一つのレスに7回もレスを返しているのは明らかにまともではないのじゃ。
他にそのような事をしている者はいないのじゃ。
おぬしだけがそのような異常な行動を続けておる。
そしてそれを異常だとも想わないおぬしはやはりまともとはいえないのじゃ。
わしはおぬしの師匠は元オウムの麻原しょうこうであり、おぬしの宗教はアレフやひかりのわとしていいのかと聞いたが、返事がないということはそれでよいという事かのう。
省1
636(3): 2013/09/14(土)22:39 ID:/ZVJcxoI0(1/5) AAS
>>632
「後悔するならば、やらないほうがよいのじゃ。」
と、
「他人の為になることをすれば、それが自然に自分のためにもなるのじゃ。」
が相反するので、私は混乱しています。
650(5): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/15(日)20:23 ID:kaXJvxhM0(107/157) AAS
>>634 もっと疑うのじゃ。
>>635 そうじゃ、観察してみるのじゃ。
実際に観察すると、どのように美しい男女でも、人として生きる以上は排泄物を垂れ流し、体毛や肌の荒れがあったりするものじゃ。
観念があるとそれらを見ないようにするが、観察力があれば気付くのじゃ。
観念に因って美女となされている者も観察によって真実の姿が見えるのじゃ。
>>636 他人の為になる事をすると、おぬしは後悔するという事かのう。
普通は自分が善事をして他人が喜べば、自分も良かったと思うのであるがのう。
省15
651(4): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/15(日)20:45 ID:kaXJvxhM0(108/157) AAS
>>640 それを要約すればおぬしはわしの言葉を「祖師が自我だというものと、あなたが無我だというものは同じ」などと勝手に解釈し、別の意味を付け加えてよいが、わしはしてはいけないという事じゃな。
まともな人間はそれを詭弁であり、二重規律と呼んで行なわないようにするが、おぬしにはそのような判断能力もないという事かのう。
これもおぬしの欠点の一つじゃな。
おぬしは>>631で「私の欠点を指摘してごらん。普通に感謝するでしょうから。」などと書いているが、やはりこれも「そういう判断をしてるのはあなたの自我でしょう。
別に、おかしくないし、おかしくなくもない。」などと書いて認めないのであろうかのう。
>>641 そうじゃ、美人が偉いとか、美人と恋人になると偉いとかの価値観は、社会的に刷り込まれたものじゃ。
省11
652(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/15(日)20:57 ID:kaXJvxhM0(109/157) AAS
>>646 おぬしはもう自分の書いたことも、他人が書いたこともわからなくなっているようじゃのう。
判り易いように箇条書にしてみるのじゃ。
① おぬしはわしの言葉を勝手に解釈し、別の意味を付け加えておる。
② おぬしがそれをやってよいと想うならば、他人もまたおぬしの言葉を勝手に解釈し、別の意味を付け加えるであろう。
③ おぬしはそれをやってよいが、他人はそれをするなというのは二重規律である。
大抵の地方自治体には精神に問題を抱えている者のために、無料でカウンセリングなどをしておる。
おぬしはまずそれに行ってみると良かろう。
省6
666(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/16(月)21:33 ID:kaXJvxhM0(111/157) AAS
>>653 そこからさらに疑うのじゃ。
>>654 それでも他人のために良い事をしたのであるから喜べばよかったのじゃ。
おぬしに智慧があれば、おぬしのアドバイスで改善した上司に、更に忠告して行動を改めさせる事も出来たじゃろう。
一度おぬしの言葉で改善したのであるから、もう一度おぬしの言葉を聞く可能性は高かったのじゃ。
一度の特殊な状況で後悔はせず、これからも多くの良い事をして、ついでに忠告もすれば良いのじゃ。
そうすればその過去も役に立った事になるのじゃ。
>>655 どういたしまして、またおいでなさい。
省4
674(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/17(火)20:18 ID:kaXJvxhM0(113/157) AAS
>>668 更に疑うのじゃ。
>>669 一度だけでなく、その同じような事が続くのが一つの試しなのじゃろう。
他人に善事を行なうと同時に、影響力を行使して人を変え、周囲の者も楽にする事を学ぶのじゃ。
人を操るのは悪ではないかと思うかもしれんが、一人を変える事で多くの者が楽になるならば、帰るのは善と言えるのじゃ。
人は年を取るに従い責任を取る立場になったり、人を使える智慧もつくものじゃ。
力や智慧をもてばそれを行使して周囲の者を楽にする事も出来るのじゃ。
智慧を身につけて周囲の者を楽にする大きな善を目指すのじゃ。
省7
688(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/18(水)21:47 ID:kaXJvxhM0(116/157) AAS
>>679 その証明とか理由があると思う心を疑うのじゃ。
>>684 わしのいうようなことをすれば世の中が発言者の許可なくわしの発言者の真意を翻訳し始める。かどうか、カウンセラーに聞いてみるのじゃ。
先ずはおぬしがカウンセリングにかかり、カウンセラーの意見を聞いてから、わしに話すのじゃ。
それが出来なければ何も始まらないのじゃ。
>>685 それで修行が捗るならばそう考えても良かろう。
観念がある限り何を考えても観念に成り、真実とは遠くなるものじゃ。
観念の無い真実に辿り着くのは実践だけなのじゃ。
省2
708(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/20(金)21:07 ID:PAHPUIz60(3/3) AAS
>>701 わしの本心が逃げているとか言う観念を疑うのじゃ。
>>702 呼吸法には気を取り入れる効果があるのじゃ。
生命力を増し、治癒力も上がるのじゃ。
気のせいではないのじゃ。
>>704 おぬしには仏陀が必要だと思うのじゃな。
それでわしに話し掛けるのは何故じゃろうかのう。
わしの言葉が必要ではないと思うならばもはや永遠に言葉を返す事は無いじゃろう。
省2
726(4): 2013/09/22(日)03:49 ID:3qg6l7MU0(9/15) AAS
あと私は今心が凄く病んでて苦しんでいます、瞑想も自我意識が強すぎてできませんでした
だから苦を受けることによって自我意識を減らせるかと思ったのです
どうすれば心の病を治せますか?
727(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/22(日)20:53 ID:kaXJvxhM0(121/157) AAS
>>720 やめなとか言ってる自分を疑うのじゃ。
>>723 苦行には一時的に心を高揚させる効果があるじゃろう。
しかしそれだけなのじゃ。
特に心の器が広がる事も無いのじゃ。
無理に続ければ体を壊したりするのじゃ。
瞑想によって心を止め、心を観察する方が良いのじゃ。
それが中道なのじゃ。
省7
752(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/24(火)20:05 ID:kaXJvxhM0(125/157) AAS
>>750 復讐心や怒りを(思うとおりにさせてしまうことは必要ではないのじゃ。
それは一時的な感情に過ぎないものであるからのう。
テレビや映画のような幻影のようなものじゃ。
悪役が悪い事をしたから怒り、テレビを壊したりしたら後で後悔するじゃろう。
そのように一時的感情は生じては消えていく性質のものであり、一々行なえば後で後悔するものじゃ。
それを観察するだけで、消えていくのが判るじゃろう。
怒りや殺意が観察されたならば、それがただの自動的な反応によって起こるものと気付くじゃろう。
省9
762(3): 鬼和尚◆GBl7rog7bM 2013/09/25(水)20:49 ID:kaXJvxhM0(126/157) AAS
>>754 ① なるじゃろう。
特に肉体に投射される瞬間の自我の観察に向いているじゃろう。
実際に意識は深い瞑想やねむっている時等は肉体よりも拡大しているものであるかんらのう。
② 自他の不幸になる事や不幸を喜ぶような事は冗談でも言わないようにする事じゃ。
聖者や行者の言葉とか真実に掛けて誓った言葉は実現するという信仰もあるのじゃ。
冗談もいえないでは苦しいかもしれんが、口は慎むのが修行者の務めなのじゃ。
省8
902(3): 2013/10/02(水)23:54 ID:uFnex/ew0(6/7) AAS
職場で飲み会がある時、行きたい気持ちと、行きたくない気持ちの両方があります。
これまでは、参加することもありましたし、しないこともありました。
最近は参加しないことの方が多いです。
行きたい理由は、人と接することが楽しいということ、おいしい酒や料理を断るまでもないこと、行きたくない気持ちが本当かどうかわからないということです。
行きたくない理由は、行って人と接すると、参加した人達の内面的なものがもの凄くよくわかってしまい、それについての思考が止まらなくなり、夜なかなか寝付けなくこともあるからです。
その夜だけではなく、後日でも思い出して思考が止まらなくなって寝付けなくなることがあります。
その内容がどういうものかというと、例えば>>604(私です)のように、鬼和尚から「教えてやるとよいのじゃ」と言われそうな内容です。
省8
958(3): 2013/10/08(火)00:42 ID:k8hVDWuY0(4/5) AAS
鬼和尚
もしも悟ったならば、その後どうなるのかわからない、という恐さがあります。
死に対する恐れよりも、悟ることに対する恐れの方が大きいような気がします。
死は誰にでも訪れますが、悟りは誰にでも訪れるわけではないようですし。
仮に今晩悟ったならば、明日から仕事はどうしたらいいのだろうか、という疑問があります。
悟ってしまったら、現世つまり衆生の世界に二度と戻っては来られないのではないか、という恐れがあります。
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