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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ11 (1002レス)
ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ11 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1724969804/
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661: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2024/11/20(水) 11:36:35.84 ID:dQKCe6W8 >>657 >数学科以外の奴はもちろん知らない 違うんじゃないの? おれらの大学でさえw 「大学は自ら進んで学ぶべし!」と言われたものよ 東大生は 教えられられること << 知っていること だと思うけどね 話はとぶが リーマンの多様体に関する講演は、物理学への応用を念頭においたものだと言われる 物理学をやると、我々の時空連続体がどんなものかの理解が、絶対必要になる そして、”時空の連続とは何か?”となってくる(古くは、湯川先生が素領域理論を考えたごとし) いまどき、名大では 物理学で 圏論や群の表現論を教えるという(下記) ”数学科以外の奴はもちろん知らない”とか・・w ;p) 東大生でもないのに、それ言える? それ、反例一つで潰れる主張だよ wwwww (参考) ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%A7%98%E4%BD%93 多様体 歴史 多様体の歴史はゲッティンゲンで行われたリーマンの講演に始まる。 多様体論は、ロバチェフスキーの双曲幾何学によって始まった非ユークリッド幾何学やガウスの曲面論を背景として様々な幾何学を統一し、 n 次元の幾何学へと飛躍させた。発見当初はカント哲学に打撃を与えた非ユークリッド幾何学も多様体論の一例でしかなくなってしまった。 リーマンがゲッティンゲン大学の私講師に就任するために行った講演『幾何学の基礎に関する仮説について』の中で「何重にも拡がったもの」と表現した概念が n 次元多様体のもとになり n 次元の幾何学に関する研究が始まった。この講演を聴いていたガウスがその着想に夢中になり、(ガウスは普段はあまり表立って他人を褒めることはなかったが、)リーマンの着想がいかに素晴らしいかを同僚に語り続けたり、帰り道にうわの空で道端の溝に落ちたりしたと言われている。 物理学者のための圏論入門 - 名古屋大学学術機関リポジトリ 名古屋大学学術機関リポジトリ nagoya.repo.nii.ac.jp › ... PDF 2017/03/28 — 圏論は,おそらく集合論よりも,物理学者のものの見方・考え方にフィットするのではな. いか,物理学者が暗黙のうちに使っている物理観・方法論みたいなもの ... 圏論と群の表現論と量子力学1 多自由度システム情報論講座 www.phys.cs.i.nagoya-u.ac.jp › lectures PDF 2011/09/05 — 圏論の視点・表記法を使って群の表現論を構築し,表現論の物理への応用, ... 群論・表現論・圏論の考え方を概観する.それらが物理とどう関わるのか ... 27 ページ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1724969804/661
662: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [sage] 2024/11/21(木) 11:12:33.53 ID:WEerohY5 >>661 タイポ訂正 教えられられること << 知っていること ↓ 教えられること << 知っていること <訂正ついでに>w ・”数学科以外の奴はもちろん知らない”発言ね 笑える ・昔 下記イタリアでは、数学は”秘儀”で 『当時盛んに行われていた、金銭を賭けた計算勝負』(下記)というのがあったらしい ;p) その流れで、三次方程式の解法は カルダノの方法と呼ばれるようになったw ・21世紀の日本で、時代錯誤のおサルさん その実、おサルさんは 某私大の数学科 落ちコボレさんだが ・自分は、数学科で”秘儀”を習得した だから、”数学科以外の奴はもちろん知らない”などと 数学を秘儀扱いする 自分は、落ちコボレだが 数学科以外の奴 とは違うのだぁ〜! 数学科で”秘儀”を習得したのだぁ〜! ですかw いまどき 数学は秘儀でもなんでもないぞ!!w ;p) あわれなやつw ;p) (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AC%A1%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F 三次方程式 歴史 三次方程式の代数的解法は、16世紀頃にボローニャ大学のシピオーネ・デル・フェッロによって発見されたとされる。 デル・フェロは、この解法を公開せず、何人かの弟子に託して1526年に死んだ。そのうちの一人、アントニオ・マリア・デル・フィオーレ(イタリア語版) (Antonio Maria del Fiore) は、この方法を、当時盛んに行われていた、金銭を賭けた計算勝負に使い、勝ち続けた。 タルタリアが三次方程式を解いたとの噂を聞いたフィオーレは噂を信用せずタルタリアに計算勝負を挑み、打ち負かして名声を上げようとしたものの、デル・フェロの三次方程式の解法しか知らなかったため、計算勝負に負けた。 タルタリアが三次方程式の代数的解法を知っていると聞いたカルダノはタルタリアに頼み込み、三次方程式の代数的解法を聞き出すことに成功した。カルダノは、弟子のルドヴィコ・フェラーリが得た、一般的な四次方程式の代数的解法と併せて、三次方程式の代数的解法を出版したいと考えるようになったが、タルタリアとの約束で秘密にすると誓ったために、出版することはできなかった。そこで、かつてデル・フェロが、三次方程式の代数的解法を得たという噂を頼りに、フェラーリとボローニャに行き、デル・フェロの養子のアンニバレ・デラ・ナーヴェ (Annibale della Nave) に会い、デル・フェロの遺稿を見せてもらった。それによってカルダノは、タルタリアが三次方程式を解いた最初の人ではないことを知ったので、タルタリアとの約束は無効とし1545年に『アルス・マグナ』(Ars Magna) を出版し、様々な形の三次方程式の解法を公表した。以来、三次方程式の解法はカルダノの方法と呼ばれるようになった。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1724969804/662
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