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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ11 (1002レス)
ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ11 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1724969804/
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232: 132人目の素数さん [] 2024/09/14(土) 12:55:53.32 ID:sFd+TmI6 21世紀の天皇制 (参考) https://tokyo-office.doshisha.ac.jp/to/course/nihon_aut.html 同志社大 2023 日本近現代史に学ぶ 「21世紀の天皇制と皇室」 講師 保阪 正康 (ほさか まさやす) ノンフィクション作家・評論家 日本近現代史研究者 第1回 10月20日(金)「天皇制とはどういう意味か」 日本の天皇制は、ヨーロッパなどの皇帝などとは多くの点で異なっている。つまり権力は武家政治が担うにしても、権威をもってこの国の文化、伝統を守るという役割を果たしてきた。むろんそのバランスが歪んだ時もあったが、本質的にはこの分立が日本の知恵ともいうべき遺産であった。それがどのように崩れたのか、そのプロセスを改めて整理した上で天皇制のあり得べき姿を見つめてみたい。 第2回 11月17日(金)「明治維新と天皇制の関係」 日本の明治維新は極めて曖昧な形で始まった。権力と権威の分立を壊し、権力のもとに権威を引き込んだ。そうしなければ政権の掌握が行えないという政府の要人たちは、新しい組み立てに各種の見方を抑える形で、大日本帝国憲法を作り、国家の行く末を決めていった。天皇を統治権、統帥権の総覧者として存在させることで、実際には臣下のものがその権力を振るうことになった。そこに矛盾が生まれた。 第3回 12月8日(金)「近代史の中の天皇制を考える」 大日本帝国が目指したのは軍事を主導とする軍事大国であった。そのために軍人が極端なまでに支配の中心に立ち、軍事で一切を動かしていくという、極めて危うい国家になった。天皇はその意思がいかなるものであったにせよ、ピエロのような役割を演じられていかなければならなかった。こういう天皇を分析することは、明治天皇と睦仁という二つの側面で見ていく必要がある。皇室を見つつ、神権化天皇の実態を探ってみる。 第4回 1月19日(金)「現代史と新感覚の人天皇制」 平成の天皇は、それまでの天皇の行動指針を大きく変えた。「国民とともにある」を自らの人間天皇の第一要件とした。その意味では、新時代の天皇像を自らも作り上げていく意思を示したとも言えるように思う。加えて大日本帝国憲法下のルール(終身在位)をあっさりと変更したものになった。そういう試みは天皇の主体的な判断とされるのだが、ここにきて天皇も明確に意思を表すことが、当然の世論作りが進められた。 第5回 2月16日(金)「21世紀の天皇、そのあり得べき姿と皇室」 21世紀の天皇の姿はむろん19、20世紀の姿とは異なっていく。最も大きな変化は、天皇も皇室も大いに発言するようになったことである。三笠宮皇女の結婚に見られるように結婚という式も庶民と変わらなくなり、その生活感覚は庶民と同じレベルになっている。このことは良いことであると同時に、皇室の大衆化の始まりでもあり、その行く末を案じる声も当然起こっている。これからの天皇制は全く新しい形が生まれるのかもしれない。 より理解を深めるための -保阪先生推奨書籍- 『秩父宮−昭和天皇弟宮の生涯』 保阪正康(中央公論新社/2000) 『昭和天皇』 原武史(岩波書店/2008) 『「昭和天皇実録」の謎を解く』 半藤一利、御厨貴、磯田道史、保阪正康( 文藝春秋/2015) つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1724969804/232
238: 132人目の素数さん [] 2024/09/14(土) 16:26:35.34 ID:+Eau11a7 >>232 >21世紀の天皇制 保阪正康って名前を見た瞬間、読む気が完全に失せた・・・ 明治維新以後デッチ上げられた「国家神道」とかいうカルト宗教体制はもう賞味期限切れ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1724969804/238
247: 132人目の素数さん [] 2024/09/15(日) 14:39:34.25 ID:8VnUw5mp >>238 >保阪正康って名前を見た瞬間、読む気が完全に失せた・・・ では、いましばしw ;p) 保阪正康は、下記か 同志社大 2023 (>>232) の講師役は、「同志社大学文学部社会学科卒業」だからだね ”京都の私大に通っていた時は60年安保に反対する学生運動に参加する左翼系の学生” だったかw ;p) (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7 保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月14日 - )は、日本の作家・評論家[1]。 北海道札幌市生まれ、二海郡八雲町育ち[2](なお、自著のプロフィールでは「北海道生まれ」のみと表記し、出身市町村については明記していない[3][4][5])。 経歴 北海道札幌市で教員の父親のもとに生まれる[6]。父親は群馬県、母親は江別市出身[6]。父親の勤務の関係で、生後間もなく江別市に移り、3歳で福島県二本松市、5歳で北海道二海郡八雲町に移る[6]。そのまま八雲町で終戦を迎え、小学校6年まで同町で育った後、根室市を経て札幌市白石町(現・札幌市白石区)に移った[7]。札幌市立柏中学校、北海道札幌東高等学校を卒業。阿部典英は中学高校の同級生[8]、西部邁は中学校の1年先輩に当たる[9]。同志社大学文学部社会学科卒業。在学中は演劇研究会で特攻隊員を描いた創作劇を執筆。 人物 札幌の高校生時代、北海道大学のシナリオ研究会に入会し、先輩に唐牛健太郎がいた。京都の私大に通っていた時は60年安保に反対する学生運動に参加する左翼系の学生であり、1960年6月の運動最盛期にはそれまでの地元の商店主やタクシー運転手から『迷惑だ』との怒声がなかったこと、反対デモ参加者の多くは安保条約改定の中身を知らなかったことを明かしている[12]。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1724969804/247
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