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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ11 (1002レス)
ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ11 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1724969804/
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205: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2024/09/13(金) 07:37:22.35 ID:orDXISBu >>204 これはこれは 御大か 朝早くから、巡回ご苦労さまです 十七条憲法ですね (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%9D%A1%E6%86%B2%E6%B3%95 十七条憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)とは、推古天皇12年(西暦604年)5月6日に皇太子である聖徳太子が制定した全17条からなる日本最初の成文法。『日本書紀』には、同年4月3日(旧暦)の項に「皇太子親(みずか)ら肇(はじ)めて憲法十七条憲法を作りたもう」と、太子自らが起草したことが記述されている。(聖徳太子31歳の時。) 概要 冒頭(第一条)と末尾(第十七条)で、「独断の排除」と「議論の重要性」について、繰り返し説かれているのも大きな特徴で、その「議論重視」の精神が、五箇条の御誓文の第一条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」にも(ひいては近代日本の議会制民主政治にも)受け継がれているとする意見が、保守層の間で出ている[1]。 創作説と反論 後世の創作とする説が古くからあり、真偽については現在でも問題となっている。 津田左右吉は、1930年(昭和5年)の『日本上代史研究』において、十七条憲法に登場する「国司国造」という言葉や書かれている内容は、推古朝当時の国制と合わず、後世、すなわち『日本書紀』編纂頃に作成されたものであろうとした。 この津田説に対し、坂本太郎は、1979年(昭和54年)の『聖徳太子』において、「国司」は推古朝当時に存在したと見てもよく、律令制以前であっても官制的なものはある程度存在したから、『日本書紀』の記述を肯定できるとした。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1724969804/205
206: 132人目の素数さん [] 2024/09/13(金) 08:03:19.71 ID:orDXISBu >>204-205 補足 https://kotobank.jp/word/%E5%92%8C%E3%82%92%E4%BB%A5%E3%81%A6%E8%B2%B4%E3%81%97%E3%81%A8%E7%82%BA%E3%81%99-2236499 和を以て貴しと為す(読み)わをもってとうとしとなす ことわざを知る辞典 「和を以て貴しと為す」の解説 和を以て貴しと為す 人と人とがむつまじく親しくすることを貴いものとする。 [使用例] 和を以て貴しと為すとかいうお言葉にはじまる十七箇条の御憲法など、まことに万代不易の赫奕たるおさとしで[太宰治*右大臣実朝|1943] [解説] 一般には、「日本書紀」が伝える聖徳太子の定めた十七条憲法の第一条としてよく知られています。しかし、これに先立って「礼記―儒行」に「礼は之これ和を以て貴しと為す」、「論語―学而」には「礼は之和を用って貴しと為す」とあります。なお、儒学の「和」は、名分を守り秩序を重んじる「礼」を行うにあたって、やわらぎ睦み合うことの重要性を説いたものですが、十七条憲法の「和」は、そうした儒学の「和」の概念を超えて仏教の和合の精神の大切さを説いたものとされています。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1724969804/206
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