[過去ログ] ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ11 (1002レス)
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332
(1): 2024/09/19(木)11:05 ID:And7A3mC(1/12) AAS
>>328
>何が彼らを狂わせたかは難しい問題

これは 御大か。巡回ご苦労様です
オウム真理教ですね

私見ですが、ポイントは3つ
・『ノストラダムスの大予言』とマスコミのあおり
・雑誌ムー
省15
333: 2024/09/19(木)11:06 ID:And7A3mC(2/12) AAS
つづき

出版ニュース社の調査では、1974年のノンフィクション部門ベストセラー1位、総合部門2位(1位は五木寛之訳『かもめのジョナサン』)となった。1998年8月時点で発行部数は209万部、450版となった

ノストラダムスがカトリーヌ・ド・メディシスに対し、「恐怖の大王」の正体は目に見えないものだと語り、「恐怖の大王」の出現の前に「別のもの」が現れれば人類は救われると語ったとするエピソードだが、裏付けとなる史料が確認できておらず、五島の創作と指摘されている[13]。

宮崎哲弥や山本弘は、ベストセラーになったこの本が1980年代以降の新宗教に少なからぬ影響を与えたと指摘している。実際、この時期の新宗教には、自分の教団(もしくは教祖)こそが、上記の世界を救う「別のもの」[14]であると主張するものも見られた。さらにこうした影響がその後のオウム真理教事件の遠因になったとも指摘される[15][16]。キリスト教やユダヤ教における本来の終末論とはかけ離れた終末思想を生み出した。

外部リンク:ja.wikipedia.org
ムー (雑誌)
『ムー』 (MU) は、ワン・パブリッシングが発行する日本の月刊オカルト情報誌である。1979年(昭和54年)に学習研究社(現・学研ホールディングス)から創刊。学研のグループ再編に伴い、2009年10月から2015年9月までは学研パブリッシング、2020年6月まで学研プラス(現・Gakken)の発行となっていた。
省6
334
(2): 2024/09/19(木)11:31 ID:And7A3mC(3/12) AAS
>>327
(引用開始)
>ドアに鍵がかかっていない国家は、悪党に侵略される
 そもそも国家が悪党なわけだが
 知恵と力が人類を狂わせ滅ぼす
 際限ない欲望
 他人を蔑む自己中心性
省27
338: 2024/09/19(木)13:30 ID:And7A3mC(4/12) AAS
>>335
>これ気になる
>オウム真理教事件と解離性障害
>中川智正伝

ご苦労様です
検索すると、下記など

(参考)
省11
339: 2024/09/19(木)14:56 ID:And7A3mC(5/12) AAS
>>336-337
岡先生が、ご自身を『水滸伝』か水滸伝百八星の一に擬していたのかも
『幻魔大戦』は、難しい話でしたね。”ドクロ模様の月”で突如終了して。その後、シリーズ化された。ベストセラーになり、ハルマゲドン(最終戦争)ものの代表作とも評されるか
平井和正さんは、人狼ものも書いていましたね。 2015年没か、知らなかったな
(実は、三四郎より こっちの方が詳しい ;p)

(参考)
外部リンク:ja.wikipedia.org
省20
340
(2): 2024/09/19(木)15:18 ID:And7A3mC(6/12) AAS
力が無ければ、10歳の男児は守れない
当然でしょ?
アナーキストは、無力です

1)犯人を逮捕して、罰せられなければならない。そうでなければ、再発するだろう
2)と同時に、自衛の対策が必要だ。再発防止は、中国任せではいけない。自分たちで自衛すべき

国家の安全保障に同じ

(参考)
省9
344
(1): 2024/09/19(木)16:44 ID:And7A3mC(7/12) AAS
>>340 補足
>力が無ければ、10歳の男児は守れない
>当然でしょ?

少林寺拳法
「力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり」
これは、空手バカ一代 でも出てきます(下記)

日本国の安全保障も同じ
省16
345
(1): 2024/09/19(木)16:55 ID:And7A3mC(8/12) AAS
>>343
> そもそも戦争が無ければ
> 憎しみが発生することもない
> 登戸の通り魔事件も
> そもそも貧富の格差が無ければ
> 起きるはずもない

現実は、”浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ”(下記)だよ
省11
348
(2): 2024/09/19(木)17:36 ID:And7A3mC(9/12) AAS
>>346-347
> 正義とは力の否定である
> 一度力が発生したら
> それが衰弱し消失するまで
> 待つのが一番
> 力に力で対抗するのは愚劣であり悪である

ふっふ、ほっほ
省18
349: 2024/09/19(木)17:36 ID:And7A3mC(10/12) AAS
つづき

1493年
周辺諸島ではアラワク族、タイノ族、ルカヤン族、カリブ族などのインディアンの間で白人の行為に対して怒りが重積していた。
最終的に、コロンブスの率いるスペイン軍はインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。

1495年
1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。再び船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れたインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は以後10年間、欧州人が繰り返した殺戮モデルとなった[30]。

晩年
省6
350: 2024/09/19(木)17:57 ID:And7A3mC(11/12) AAS
>>348
・戦国時代 織田・豊臣 スペインに日本征服を断念させた武力と知性 世界トップの鉄砲保有国 だった
・明治維新前、薩英戦争と下関戦争
 負けたが、一方で イギリス・フランス・オランダ・アメリカは、彼らの艦隊だけの軍事力では、とても日本に上陸して制服など出来ないことを知った
・いずれも、日本は植民地化をまぬがれた。当時の日本の軍事力。それが、アメリカ大陸の原住民との違いなのです

(参考)
外部リンク:www.zakzak.co.jp
省14
351: 2024/09/19(木)17:59 ID:And7A3mC(12/12) AAS
つづき

ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%88%A6%E4%BA%89
下関戦争は、幕末の文久3年(1863年)と元治元年(1864年)に、長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた、前後二回にわたる攘夷思想に基づく武力衝突事件。
敗れた長州藩は幕政下での攘夷が不可能であることを知り、以後はイギリスに接近して軍備の増強に努め、倒幕運動を推し進めることになる。
後段: 元治元年(1864年)7月、前年からの海峡封鎖で多大な経済的損失を受けていたイギリスは長州に対して懲戒的報復措置をとることを決定。フランス・オランダ・アメリカの三国に参加を呼びかけ、都合艦船17隻で連合艦隊を編成した。同艦隊は、8月5日から8月7日にかけて馬関(現下関市中心部)と彦島の砲台を徹底的に砲撃、各国の陸戦隊がこれらを占拠・破壊した。
戦後、長州藩は幕命に従ったのみと主張したため、アメリカ・イギリス・フランス・オランダに対する損害賠償責任は徳川幕府のみが負うこととなった。
オールコックは本国に下関を攻撃する旨の書簡を送る。だが、本国外務省は依然として日本との全面戦争につながりかねない武力行使には否定的でこれを否認する旨の訓示を日本へ送る。この当時はイギリスと日本との連絡には二カ月から半年かかり、訓示が到着したのは攻撃実行後となり、結局、現地公使の裁量で戦争が進められることになった。
省5
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