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ガロア第一論文及びその関連の資料スレ (1002レス)
ガロア第一論文及びその関連の資料スレ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1615510393/
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729: 132人目の素数さん [] 2023/02/23(木) 13:43:26.44 ID:03KDcN8J >>710 そういえば、猪瀬博司氏と1969年入学同学年で 森重文氏が居たのを思い出した https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E9%87%8D%E6%96%87 森重文(1951年〈昭和26年〉2月23日[1] - )は、日本の数学者(代数幾何学)。勲等は文化勲章。学位は、理学博士(京都大学・1978年)(学位論文『The endomorphism rings of some abelian varieties〈幾つかのアーベル多様体の自己準同型環〉』)。 概要 愛知県名古屋市出身の数学者である。代数幾何学における双有理幾何学を専攻する。代数幾何学での業績により、1990年にフィールズ賞を受賞した。 研究 「接束が豊富なら射影空間である」というハーツホーンの予想を解決した論文[5]は、代数多様体の構造論における最初の一般的な定理として歴史に刻まれるものであり、 極小モデルの存在を3次元の場合に示すことに成功し、1990年に京都で開かれた国際数学者会議でフィールズ賞を受けた。 人物 日本を震撼させた東大安田講堂攻防戦の直後となった1969年の東京大学入学試験は、当時の佐藤内閣政治的判断と行政指導により中止されてしまった。このため森は仕方なく京都大学に進んだ[1]。フィールズ賞を受賞した時、『科学朝日』誌は「あのとき東大に進んでいたらフィールズ賞受賞はなかっただろう」とこれを報じている。 高校の時に大学の内容を進んで学んでいたりはしていなかった。大学での数学に触れたのは大学に入ってからである[1]。 広中平祐は「自分は鈍才だが、森君は天才」という[8]。 学生時代、指導教授からある数学書を薦められると1~2ヶ月ほどで「読みました」と戻って来てしまい、次の数学書を薦められてはまた同じことを繰り返した。「数学書を読むのが異常に速い」学生として強烈な印象を与えていたという。 http://mathsoc.jp/pamph/history/ICM90/sugaku4301040-047.pdf 向井茂「森重文氏の業績」『数学』第43巻第1号、1991年、40-47頁 http://mathsoc.jp/pamph/history/ICM90/sugaku4301047-050.pdf 隅広秀康「森重文氏」『数学』第43巻第1号、1991年、47-50頁 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1615510393/729
782: 132人目の素数さん [] 2023/02/25(土) 15:07:29.59 ID:ZowC59iz >>729 追加 森重文氏の”極小モデルの存在を3次元の場合に示すことに成功し、1990年に京都で開かれた国際数学者会議でフィールズ賞を受けた” では、下記 1988年 日本数学会秋季賞 - 代数多様体の極小モデル理論(川又雄二郎との共同受賞)とある >>702より ”数学にかけし若き命 数学者・猪瀬博司 遺稿集発行有志会編集(飯高茂)” で、猪瀬博司氏と飯高茂氏とが同じ研究室だとしたら、彼も代数多様体の研究をしていたかも https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E9%87%8D%E6%96%87 森重文 1988年 日本数学会秋季賞 - 代数多様体の極小モデル理論(川又雄二郎との共同受賞)[20] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%88%E9%9B%84%E4%BA%8C%E9%83%8E 川又 雄二郎(1952年9月29日 -)は、日本の数学者、東京大学大学院数理科学研究科名誉教授 専門は代数幾何学、特に高次元代数多様体。対数的代数多様体の研究、代数的ファイバー空間の半正値性(アーベル多様体の双有理的特徴づけ)、消滅定理とその応用、極小モデルの存在と性質、双有理変換(3次元での存在と有界性)、多重微分形式の延長、連接層の導来圏との関係などを研究。 人物 東京都生まれ。1971年、東京教育大学附属高等学校(現:筑波大学附属高等学校)卒業 1977年、東京大学大学院修士課程修了。理学博士 ICM招待講演 (1990)、日本学士院賞 (1990)、日本数学会秋季賞 (1988) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E9%AB%98%E8%8C%82 飯高茂 飯高 茂(1942年5月29日 -) 1967年東京大学理学部数学教室助手、専任講師、助教授を経る。 1971年から72年まで米国プリンストン高等研究所(I.A.S.)研究員。1985年から学習院大学理学部数学科教授。2013年名誉教授[2]。 代数幾何学のリーダーとして世界的に知られるフィールズ賞受賞者小平邦彦の正統な後継者の一人であり、代数多様体の研究で重要となる双有理変換に着目し、その性質を研究するために『小平次元』の理論を構築して、代数幾何学研究の一つのパラダイムを提唱し、研究を牽引してきた。1970年頃、飯高予想と呼ばれる予想を提起した。現在も未解決である[3][4]。なお、飯高予想の6次元以下については、2018年度フィールズ賞受賞者のコーチェル・ビルカー (Caucher Birkar) が証明している http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1615510393/782
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