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ガロア第一論文及びその関連の資料スレ (1002レス)
ガロア第一論文及びその関連の資料スレ http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1615510393/
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126: 132人目の素数さん [] 2023/02/01(水) 11:45:56.27 ID:sQMfVFbD >>122 >Auguste Chevallierがガロアからの手紙を棄てたり焼いたりしていたら >どうなっただろうか?あるいは自分にはちんぷんかんぷんで誰か >高名な数学者に判読を頼んだら、その人が自分の業績としてパクって >ガロアの名前には一切言及しなかったら、歴史は変わっていたか? そうですね 考えたことなかったけど 1)Chevallier氏も苦労したみたい 下記、”シュヴァリエは遺書に従って1832年に『百科評論雑誌』(Revue encyclopedique)に「死者小伝」(Necrologie)と題したガロアの論文等を掲載した。また、ガロアの弟アルフレッドと共に、複数の著名な数学者へ論文の写しを送ったものの、当初は誰も理解できるものはいなかったようである。” ”リウヴィルはこの論文を理解しようと努め、ついに1846年に自身が編集する『純粋・応用数学雑誌』(Journal de mathematique pures et appliquees)に掲載された。” 1846年まで、14年。 (なお、「複数の著名な数学者へ論文の写しを送った」も結構苦労したのでは? そもそもコピー機ないよ、この時代w 『百科評論雑誌』(Revue encyclopedique)の別刷を、何部か分けてもらったかも。国際、郵便制度もあやしいか。 その上、”You make a public request to Jacobi and Gauss to give their opinion, not as to the truth but as to the importance of these theorems. ”(>>110) って、フランス語では通じないから、ドイツ語かラテン語の手紙がいるよね。簡単じゃない) 2)下記”デーデキントは1855年から1857年にかけてゲッティンゲン大学でガロア理論に関する最初の講義をおこなった[13]。” 1832年から23年だね。デーデキントは、体の拡大という視点を導入したという (ガロア第一論文では、体の代わりにガロア分解式を使う) 3)お説の「高名な数学者に判読を頼んだら」は、「複数の著名な数学者へ論文の写しを送ったものの」とあるから、あり得たかも 但し、1832年に『百科評論雑誌』(Revue encyclopedique)に「ガロアの論文等を掲載」とあるから、「自分の業績としてパクって」は不成立か (なお、この時代は、いまのように参考文献を調査してしっかりつける習慣は確立されていなかったみたい。文献検索システムないしw。だから、パクリの意識が希薄かも) つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1615510393/126
127: 132人目の素数さん [] 2023/02/01(水) 11:46:44.33 ID:sQMfVFbD >>126 つづき (参考) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AD%E3%82%A2 エヴァリスト・ガロア エヴァリスト・ガロア(Evariste Galois, 1811年10月25日 - 1832年5月31日) 死後の動き ガロアの死後、シュヴァリエは遺書に従って1832年に『百科評論雑誌』(Revue encyclopedique)に「死者小伝」(Necrologie)と題したガロアの論文等を掲載した。 また、ガロアの弟アルフレッドと共に、複数の著名な数学者へ論文の写しを送ったものの、当初は誰も理解できるものはいなかったようである。 しかし、何らかのきっかけで、その写しがジョゼフ・リウヴィルの手元に渡った。 リウヴィルはこの論文を理解しようと努め、ついに1846年に自身が編集する『純粋・応用数学雑誌』(Journal de mathematique pures et appliquees)に掲載された。 その際、ガロアが生前認められなかった理由を、簡潔にまとめようという意識が過剰であり、明快さに欠けたためと分析している。 リヒャルト・デーデキントは1855年から1857年にかけてゲッティンゲン大学でガロア理論に関する最初の講義をおこなった[13]。 カミーユ・ジョルダンによって1870年に発表された667ページに及ぶ著書『置換と代数方程式論』 (Traite des substitutions et des equations algebraique) はガロア理論に関する包括的な解説として最も古いものである。 ジョルダンはその序文において、「本書はガロアの諸論文の注釈に過ぎない」と述べている。 1848年には『ル・マガザン・ピトレスク』(Magasin Pittoresque、挿絵付雑誌の意)に、ガロアに関する匿名[14]の短い伝記が、弟のアルフレッドが記憶をたどって描いた肖像画と共に掲載されている。 1872年には、ガロアの母が84歳で亡くなっている[15]。 1897年には、エミール・ピカールの序文付きでリウヴィルの編集した『ガロア全集』が刊行されている。 (引用終り) 以上 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1615510393/127
130: 132人目の素数さん [sage] 2023/02/01(水) 12:38:11.40 ID:MUCkhyke >>125-129 承認欲求? http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1615510393/130
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