[過去ログ]
純粋・応用数学(含むガロア理論)5 (1002レス)
純粋・応用数学(含むガロア理論)5 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1602034234/
上
下
前次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
抽出解除
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
20: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2020/10/10(土) 08:00:26 ID:9Sqq12HI >>19 つづき ロビンソンの超実数 (hyper-reals) は無限小で豊饒化された連続体の厳密な定式化であり、移行原理(英語版)がライプニッツの連続の法則の厳密な定式化である。また、標準部(英語版)はフェルマーの擬等式の方法(英語版) (ad-equality, pseudo-equality) の定式化である。 ウラジーミル・アーノルドは1990年に以下のように書いている: Nowadays, when teaching analysis, it is not very popular to talk about infinitesimal quantities. Consequently present-day students are not fully in command of this language. Nevertheless, it is still necessary to have command of it.[4](訳: 今日では、解析学の授業において無限小量について述べることはあまり一般的ではない。その結果、当世の学生はこの言葉づかいに全く習熟していない。にも拘らず、未だにそれを扱うことが必要である) 目次 1 一階の性質 2 無限小を含む数体系 2.1 形式級数体 2.1.1 ローラン級数体 2.1.2 レヴィ-チヴィタ体 2.1.3 超越級数体 2.2 超現実数体 2.3 超実数体 2.4 準超実数体 2.5 二重数環 2.6 滑らかな無限小解析 滑らかな無限小解析 詳細は「滑らかな無限小解析」を参照 綜合微分幾何学(英語版)あるいは滑らかな無限小解析は圏論に起源を持つ。このやり方では、従来の数学において古典論理が用いられることから外れて、排中律 (l.e.m) の一般適用を排除する(つまり、"¬(a ≠ b)" が "a = b" を意味しない)。それにより、複零 (nilsquare) あるいは冪零無限小が定義可能になる(つまり、x2 = 0 および x ≠ 0 が同時に成立する数 x が存在しないことはない)。背景となる論理が直観主義論理であるため、このような数体系に前掲の分類 1, 2, 3 をどう当てはめることができるかは直ちには明らかでない(まずはこの分類の直観主義論理版を知らねばならない)。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1602034234/20
21: 現代数学の系譜 雑談 ◆yH25M02vWFhP [] 2020/10/10(土) 08:01:37 ID:9Sqq12HI >>20 つづき https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%91%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AA%E7%84%A1%E9%99%90%E5%B0%8F%E8%A7%A3%E6%9E%90 滑らかな無限小解析 滑らかな無限小解析(英: Smooth infinitesimal analysis、SIA)は無限小の言葉を用いた微分積分学の現代的な再定式化(のひとつ)である。ウィリアム・ローヴェアのアイデアに基づき、また圏論の手法を用いることで、SIAは全ての関数は連続であって、離散的実体を用いて表現することができないものと見做す。SIAは理論としては総合微分幾何(英語版)の一部である。 複零(nilsquare)あるいは冪零(nilpotent)無限小とは、ε2 = 0 なる数 ε のことである(ε = 0 は真である必要がない)。 概要 このアプローチは排中律を拒否することによって従来の数学に用いられている古典論理から離れる。例えば NOT (a ≠ b) は a = b を含意しない。とくに、滑らかな無限小解析の理論においては、全ての無限小 ε に対し、NOT (ε ≠ 0) を証明することができるが、それにもかかわらず、全ての無限小がゼロに等しいということは偽であると証明される。[1]次の基本定理によって、排中律は成り立ちえないことが分かる(再び滑らかな無限小解析の文脈の中で理解するものとする): 定理 実数全体 ? を定義域とする任意の関数は連続かつ無限回微分可能である。 この事実にもかかわらず、不連続関数 f(x) を f(x) = 1 (x = 0 のとき) かつ f(x) = 0 (x ≠ 0 のとき) とすることによって定義しようと試みることができる。もし排中律が成立するならば、この関数は全域で定義された不連続関数となる。しかしながら、x = 0 も x ≠ 0 も成立しないような、非常にたくさんの x (つまり無限小)が存在する。それゆえ、この関数は全ての実数に対しては定義されない。(訳注:より正確には「全ての実数に対して定義される」の否定が証明できる。だからといって「ある x が存在して f(x) が定義されない」ことは証明できない。もしそれが証明できたとしよう。すると、その x について、NOT (x = 0 OR x ≠0) が証明できる。ところが、グリベンコの定理により、直観主義論理では排中律の二重否定 NOT NOT (x = 0 OR x ≠ 0) は証明できる。こうして矛盾に至る。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1602034234/21
メモ帳
(0/65535文字)
上
下
前次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.032s