[過去ログ]
現代数学の系譜 カントル 超限集合論 (1002レス)
現代数学の系譜 カントル 超限集合論 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1570237031/
上
下
前次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
抽出解除
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
リロード規制
です。10分ほどで解除するので、
他のブラウザ
へ避難してください。
491: 現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE [] 2019/11/27(水) 20:58:14.64 ID:qnEhNItW >>485 どこかで読んだのだが、厳密性とは、所詮その時代の水準のものでしかないとか言われていた 昔(20世紀前半)は、一階述語論理が重視されたが 20世紀後半からは、一階述語論理偏重を見直す動きがある https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%99%90%E9%9B%86%E5%90%88 有限集合 (抜粋) 基礎付け問題 無限集合を擁護する数学者にとっても、ある重要な文脈では、有限集合と無限集合の形式的区別は微妙な問題として残った。 これはゲーデルの不完全性定理に端を発している。遺伝的有限集合はペアノ算術で解釈でき(逆もまた同様)、従ってペアノの理論体系の不完全性は遺伝的有限集合の理論にも存在することが暗に示されている。 特に、どちらの理論にもいわゆる非標準モデルの過剰が存在する。見かけ上のパラドックスとして、遺伝的有限集合の非標準モデルは無限集合を含んでいるが、それら無限集合はそのモデル内では有限に見える(これは、それら集合の無限性を証明するのに必要な集合や関数をモデルが持たない場合に生じる)。 不完全性定理があるため、一階述語論理やその再帰的適用では、そのようなモデルすべての標準部分を特徴付けることができない。 従って、一階述語論理の観点からは、有限性をおおよそ特徴付けることしか望めない。 興味深いことに、ZFCにおいて有限集合を集合全般から区別する様々な特性は、より弱い体系であるZFや直観主義的集合論の場合とは論理的に等価ではないことが判っている。 よく知られている有限性の定義として、リヒャルト・デーデキントの定義とカジミェシュ・クラトフスキの定義がある。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1570237031/491
492: 現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE [] 2019/11/27(水) 20:59:01.86 ID:qnEhNItW >>491 つづき 単射だが全射ではない関数 f: S → S が存在するとき、集合 S をデデキント無限集合と呼ぶ。そのような関数は S と S の真部分集合(f の像)との間の全単射を表している。 デデキント無限集合 S の元 x が f の像に属さないとき、x, f(x), f(f(x)), ... のようにして S の異なる元の無限の列を得ることができる。逆に S の元の列 x1, x2, x3, ... があるとき、この列上の元に対しては {\displaystyle f(x_{i})=x_{i+1}}f(x_{i})=x_{{i+1}} となり、それ以外の元については恒等関数として振舞う関数 f を定義できる。 従って、デデキント無限集合には自然数と全単射的に対応する部分集合が含まれる。デデキント有限集合とは、全ての単射自己写像が全射でもある場合を指す。 クラトフスキの有限性の定義は次の通りである。任意の集合 S について、和集合の二項演算は冪集合 P(S) に半束構造を与える。 空集合と単集合から生成した半束を K(S) と記し、S が K(S) に属する場合、S をクラトフスキ有限集合と呼ぶ。直観的に K(S) には S の有限な部分集合が含まれる。 重要なのは、この定義では自然数による帰納も再帰も必要とせず、K(S) は単に空集合と単集合を含む全ての半束構造の積集合として得られる点である。 ZFでは、クラトフスキ有限はデデキント有限を包含するが、逆は真ではない。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1570237031/492
501: 現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE [] 2019/11/27(水) 21:17:52.61 ID:qnEhNItW >>491 補足 すでに、このスレの>>91に示したように、 天才Zermeloが、シングルトンによる自然数の構成を与えた(1908年) (”The natural numbers are represented by Zermelo as by Φ, {Φ}, {{Φ}}, …, and the Axiom of Infinity gives us a set of these.”) そして、確かに、Zermeloの構成は批判され、その後ノイマン構成が採用された だが、天才Zermeloのシングルトンによる自然数の構成が決して間違っていた訳では無い 無数の超準モデルの1つだよ。(レーヴェンハイム=スコーレムの定理) そのことに無知な、落ちこぼれたちww(^^; (>>91より再録) https://plato.stanford.edu/entries/zermelo-set-theory/ Stanford Encyclopedia of Philosophy Zermelo’s Axiomatization of Set Theory First published Tue Jul 2, 2013 (抜粋) 3.2.1 Representing Ordinary Mathematics The first obvious question concerns the representation of the ordinary number systems. The natural numbers are represented by Zermelo as by Φ, {Φ}, {{Φ}}, …, and the Axiom of Infinity gives us a set of these. つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1570237031/501
503: 現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE [] 2019/11/27(水) 22:01:11.46 ID:qnEhNItW >>491 補足 (引用開始) 無限集合を擁護する数学者にとっても、ある重要な文脈では、有限集合と無限集合の形式的区別は微妙な問題として残った。 これはゲーデルの不完全性定理に端を発している。 遺伝的有限集合はペアノ算術で解釈でき(逆もまた同様)、従ってペアノの理論体系の不完全性は遺伝的有限集合の理論にも存在することが暗に示されている。 特に、どちらの理論にもいわゆる非標準モデルの過剰が存在する。 見かけ上のパラドックスとして、遺伝的有限集合の非標準モデルは無限集合を含んでいるが、 それら無限集合はそのモデル内では有限に見える(これは、それら集合の無限性を証明するのに必要な集合や関数をモデルが持たない場合に生じる)。 不完全性定理があるため、一階述語論理やその再帰的適用では、そのようなモデルすべての標準部分を特徴付けることができない。 従って、一階述語論理の観点からは、有限性をおおよそ特徴付けることしか望めない。 (引用終り) てこと 一階述語論理か それ以上の高階述語論理なのかに無自覚ならば 所詮、有限と無限とをきちんと区別できない それを知らずに議論するあわれな落ちこぼれたち あわれな”なんとかさん”と同類じゃね!?w(^^; http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1570237031/503
504: 現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE [] 2019/11/27(水) 22:09:56.09 ID:qnEhNItW >>491 >基礎付け問題 これは、下記が、元記事だな(^^ https://en.wikipedia.org/wiki/Finite_set Finite set (抜粋) Contents 1 Definition and terminology 2 Basic properties 3 Necessary and sufficient conditions for finiteness 4 Foundational issues 5 Set-theoretic definitions of finiteness 5.1 Other concepts of finiteness Foundational issues Georg Cantor initiated his theory of sets in order to provide a mathematical treatment of infinite sets. Thus the distinction between the finite and the infinite lies at the core of set theory. Certain foundationalists, the strict finitists, reject the existence of infinite sets and thus recommend a mathematics based solely on finite sets. Mainstream mathematicians consider strict finitism too confining, but acknowledge its relative consistency: the universe of hereditarily finite sets constitutes a model of Zermelo?Fraenkel set theory with the axiom of infinity replaced by its negation. Even for those mathematicians who embrace infinite sets, in certain important contexts, the formal distinction between the finite and the infinite can remain a delicate matter. The difficulty stems from Godel's incompleteness theorems. One can interpret the theory of hereditarily finite sets within Peano arithmetic (and certainly also vice versa), so the incompleteness of the theory of Peano arithmetic implies that of the theory of hereditarily finite sets. In particular, there exists a plethora of so-called non-standard models of both theories. A seeming paradox is that there are non-standard models of the theory of hereditarily finite sets which contain infinite sets, but these infinite sets look finite from within the model. つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1570237031/504
554: 現代数学の系譜 雑談 ◆e.a0E5TtKE [] 2019/12/01(日) 07:53:15.16 ID:id6ENHqe >>503 補足 >一階述語論理か >それ以上の高階述語論理なのかに無自覚ならば >所詮、有限と無限とをきちんと区別できない >それを知らずに議論するあわれな落ちこぼれたち >あわれな”なんとかさん”と同類じゃね!?w(^^; (まとめ引用)w(^^ >>251より https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%A0%E2%80%93%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86 レーヴェンハイム-スコーレムの定理 (抜粋) レーヴェンハイム-スコーレムの定理(英: Lowenheim-Skolem theorem)とは、可算な一階の理論が無限モデルを持つとき、全ての無限濃度 κ について大きさ κ のモデルを持つ、という数理論理学の定理である。 そこから、一階の理論はその無限モデルの濃度を制御できない、そして無限モデルを持つ一階の理論は同型の違いを除いてちょうど1つのモデルを持つようなことはない、という結論が得られる。 定理の上方部分の証明は、いくらでも大きな有限のモデルを持つ理論は無限のモデルを持たねばならないことをも示す。 もちろん同型の違いを除いて、(N, +, ×, 0, 1) と (R, +, ×, 0, 1) を特徴付ける公理化が存在する。 レーヴェンハイム-スコーレムの定理は、それらの公理化が一階ではあり得ないことを示している。 例えば、線型順序の完備性は実数が完備な順序体であることを特徴付けるのに使われるが、その線型順序の完備性は一階の性質ではない。 >>491より https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%99%90%E9%9B%86%E5%90%88 有限集合 (抜粋) 基礎付け問題 無限集合を擁護する数学者にとっても、ある重要な文脈では、有限集合と無限集合の形式的区別は微妙な問題として残った。 これはゲーデルの不完全性定理に端を発している。遺伝的有限集合はペアノ算術で解釈でき(逆もまた同様)、従ってペアノの理論体系の不完全性は遺伝的有限集合の理論にも存在することが暗に示されている。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1570237031/554
メモ帳
(0/65535文字)
上
下
前次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.033s