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現代数学の系譜11 ガロア理論を読む25 [無断転載禁止]©2ch.net (716レス)
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329: 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む [sage] 2016/11/19(土) 14:07:10.71 ID:0Q0Vh9CE >>328 http://www.shayashi.jp/ 林晋, 京都大学大学院文学研究科 現代文化学専攻 情報・史料学教授 http://www.shayashi.jp/vitae-jp.html#papers http://www.shayashi.jp/gendaishiso.html ヒルベルトと20世紀数学 -公理主義とはなんだったか?- 雑誌「現代思想」、2000年10月臨時増刊 (林晋 はやしすすむ・数理論理学) (抜粋) 現代思想2000年10月臨時増刊「数学の思考」掲載の「ヒルベルトと20世紀数学」の完全版です。OCRで読み込んだので、おかしなところがあるかもしれません。気づかれましたら、お教えください。BBSの方で結構です。(これについては、匿名でもかまいません。) 1 はじめに 二〇世紀最後の今年はヒルベルトの「数学の問題」一〇〇周年にあたる。それはまた「公理主義」一〇〇周年でもある。この機会に二〇世紀数学の方向を決定づけたといわれるヒルベルトの数学とは何だったのか、「公理主義」とはなんだったのか、それは二〇世紀数学にとって何をもたらしたかを考えてみたい。 現代の我々が「構造」として捉えるものをヒルベルトは「証明・論理」により捉えようとしたらしい。現代の我々にとって公理とは、集合論や圏論などの言語により、ブルバキ的な「集団としての構造」を記述する条件であるが、ヒルベルトにとっては公理はよりシンククティカルなものであった。 なぜだろうか? 公理論を数学の存在論として捉えるヒルベルトにとっては、「言語のもつ有限性」こそが重要だったからである。「幾何学基礎論」や「数の概念について」の公理系はある種の極大構造を定義している。たとえば「数の概念について」の実数論の公理系が記述しているものは極大アルキメデス順序体である。 我々は当然集合論を前提としてこれを理解する。特に実数の完備性を保証する極大という条件は非常に集合論的である。しかし、奇妙なことに一九〇〇年のヒルベルトは、極めて集合論的なこの極大性条件さえ「有限性」を実現するものとして捉えている。 ヒルベルトは、実数の有限個の公理から・有限ステップの証明だけで考えることにより、カントールのように任意の基本列を考える必要がなくなり、この極大性の公理により一無限の世界が排除されクロネッカーの批判から免れると主張した。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1477804000/329
330: 現代数学の系譜11 ガロア理論を読む [sage] 2016/11/19(土) 14:08:36.24 ID:0Q0Vh9CE >>329 つづき 現代の数学者ならば、この公理が、他の公理をみたすシステム全体の無限集合の極大元の存在を主張する、極めて無限的な冶だと理解することができる。しかし、公理をブルバキ的な「モデルの集団を記述する条件」として捉えず、「有限的な言葉」としてとらえるヒルベルトには、これはカントールの完備性より、より有限的に見えたのだろう。 4 ヒルベルトの公理論とはなんだったか? では、ヒルベルトの公理論はなぜ、シンククティカルでなくては ならなかったのか?ヒルベルトが生涯、その影に悩まされたのは クロネッカーであった。そのクロネッカーは彼の代数理論を使うことにより解析学までも代数化・「算術化」することを企てた。 スキーム理論のようなイメージを持っていた可能性もある。そのように して実数論を構築しようとすれば、クロネッカーの意図に反し無限集合が必要となる。クロネッカーはそれを許さないので、逆に無理数を捨てたのである。 集合論を新時代の数学の強力な武器とみなすヒルベルトにとって はクロネッカーの無理数の否認など論外であった。後で説明するように、ヒルベルトは極めてクロネッカー的な世界である不変式論の おいて一集合論的方法がクロネッカー的な有限的方法を越える瞬間 を目撃したからである。 しかし、この不変式論という膨大な手計算 を必要とした極めてアルゴリズミックな代数理論において、そのキャリアを開始したヒルベルトは同時にクロネッカー的精神を自らの 手による計算を通して理解していた人物でもあったはずなのでける。 クロネッカーが対象を有限に限ったところを、ヒルベルトは「無限の対象の有限的記述形式」としての公理系を考えることにより、 「無限の有限化」を成し遂げようとした。彼の公理論実数論はクロネッカーと同じ精神で、しかし、方法を代数に限らず、「言語、論理、 証明」による有限的公理化という別な方法によって有限的実数論を 構築する試みだったのである。 つづく http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/math/1477804000/330
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