[過去ログ] 【負けの大地】北海道新幹線300【バカ道民】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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384: 2016/10/28(金) 08:21:55.43 ID:JQnYsXGs(1/50)調 AAS
北星駅
北星駅
ホーム(2004年8月)
ホーム(2004年8月)
ほくせい - Hokusei
◄W49 日進 (9.1km)(1.9km) 智恵文 W51►
所在地 北海道名寄市智恵文北星
北緯44度26分29.6秒
東経142度25分41.5秒
駅番号 ○W50
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 89.3km(旭川起点)
電報略号 ホク
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1959年(昭和34年)11月1日
備考 無人駅
テンプレートを表示

駅舎(2004年8月)
385: 2016/10/28(金) 08:22:13.08 ID:JQnYsXGs(2/50)調 AAS
1977年の北星駅と周囲約500m範囲の状況。左上稚内方面。ホームが小さく、草に覆われているためか分かり難い。
真ん中が丸くなったアルファベットのWの形の道路の中心を、右上から細道が一直線に貫いていて、それが線路に到達した処の右に、ぼんやり白く3mm程度の長さで見えるのがホームの一部。
細道の道路と駅の中間にある建物が待合室。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
北星駅(ほくせいえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市智恵文北星にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW50。電報略号はホク。
一部の普通列車は通過する。
386: 2016/10/28(金) 08:22:32.87 ID:JQnYsXGs(3/50)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
387: 2016/10/28(金) 08:22:49.00 ID:JQnYsXGs(4/50)調 AAS
歴史[編集]
1959年(昭和34年)11月1日:日本国有鉄道(国鉄)宗谷本線の智東駅 - 智恵文駅間に新設開業[1]。旅客のみ取扱い。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継。
2016年(平成28年)10月2日:JR北海道が名寄市に対して、当駅を2017年(平成29年)3月実施予定のダイヤ改正で廃止する意向を伝えたと報道される[2]。
388: 2016/10/28(金) 08:23:20.87 ID:JQnYsXGs(5/50)調 AAS
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北東側(稚内方面に向かって右手側)に存在する[3]。分岐器を持たない棒線駅となっている[3]。
開業時からの無人駅[4]で、ホーム北側の出入口から少し離れた位置に待合所を有する[5]。農機具置き場を思わせる[5][6]老朽化した、下見板張りの木造[5]の建物で、舎内も木目がむき出し、窓枠も木枠のままとなっている[7]。
外側の窓の上部には「毛織の北紡」と記載された年代物の赤い看板が掲示されており、目立っている[5]。かつてはホーム側から見て待合所の左手側[7]に、便器が取り外されていた[6]木造の小さなトイレがあったが、2010年(平成22年)までに撤去された[7]。
ホームは木製デッキ式で[5]、稚内方にスロープを有し[3]駅施設外に連絡している。ホームへのアクセスは畑の中の小道を利用し、その中間に待合室があるが、ホームから15m程も離れた位置にある。
389: 2016/10/28(金) 08:23:55.87 ID:JQnYsXGs(6/50)調 AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、当所名寄の北側に位置したため集落名を「北山」としたが[8]、
後に地名を変更し[3]「北」の字と輝く「星」の字を合わせて「北星」とした[8]。

駅周辺[編集]
周囲の人家は農家が4〜5軒のみである[7]。
天塩川
390: 2016/10/28(金) 08:24:37.54 ID:JQnYsXGs(7/50)調 AAS
智東駅
智東駅
智東駅(2004年6月)
智東駅(2004年6月)
ちとう - Chitō
◄日進 (4.7km)(4.4km) 北星►
所在地 北海道名寄市智恵文
北緯44度25分0秒
東経142度27分51.8秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 84.9km(旭川起点)
電報略号 チト
ホーム 1面1線(廃止時)
開業年月日 1924年(大正13年)6月1日
廃止年月日 2006年(平成18年)3月18日
テンプレートを表示
391: 2016/10/28(金) 08:24:57.23 ID:JQnYsXGs(8/50)調 AAS
1977年の智東駅と周囲約600m範囲の状況。左上が稚内方面。相対ホームに駅舎と貨物積卸場及び引込線の一般駅で、特に名寄側に木材貨物のストックヤードが細長く伸びている。
かつてここに木材が沢山積まれていたが、この写真の時点では使われなくなって久しい様である。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
智東駅(ちとうえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市字智恵文智東にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅(廃駅)である。
電報略号はチト。利用者僅少に伴い2006年(平成18年)3月18日に廃駅となった。晩年は冬期休業の臨時駅に降格されていた。
392: 2016/10/28(金) 08:25:23.45 ID:JQnYsXGs(9/50)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
393: 2016/10/28(金) 08:26:28.39 ID:JQnYsXGs(10/50)調 AAS
歴史[編集]
付近には民家が無く駅周辺の道路が除雪されないため、1987年(昭和62年)から冬季は全列車が通過し閉鎖される臨時駅となっていた。
廃止時は冬季閉鎖中であったので、実質的な最終営業日は2005年(平成17年)11月30日となっている。
廃止直前には、営業期間中でも普通列車が2往復(下りは午後の2本、上りは朝夕1本ずつ)しか停車しなかった(停車時刻は通年時刻表に記載されていた)。
1924年(大正13年)6月1日 - 鉄道省宗谷本線名寄駅 - 智恵文駅間に新設開業[1]。一般駅。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1984年(昭和59年)11月10日 - 出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
394: 2016/10/28(金) 08:26:58.98 ID:JQnYsXGs(11/50)調 AAS
1986年(昭和61年)
11月1日 - CTC導入に伴う合理化により交換設備廃止。同時に完全無人化。
駅舎改築、貨車駅舎となる[2]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に臨時駅に格下げされ、冬季は全列車が通過するようになる。
2006年(平成18年)
2月16日 - 貨車駅舎が旧・仁宇布駅へ移設されるため封鎖される。同時に駅入口が早期に立入禁止となる。
3月18日 - 利用者僅少に伴い廃止となる。
7月3日 - 貨車駅舎が旧・仁宇布駅構内のトロッコ王国美深に移設され再利用開始。
7月中旬 - 中継機器室以外の構内設備が完全に撤去される。
395: 2016/10/28(金) 08:27:40.53 ID:JQnYsXGs(12/50)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(稚内方面に向かって左手側、旧2番線)に存在した[2]。
分岐器を持たない棒線駅となっていた[2]。かつてはホームが千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[3]。
互いのホームは駅舎側ホーム南東側と対向ホーム北西側を結んだ構内踏切で連絡した[3]。駅舎側(北側)が上りの1番線、対向側(南側)が下りの2番線となっていた[3]。
そのほか1983年(昭和58年)4月時点では1番線の旭川方から分岐し駅舎南側の貨物ホームへ至る貨物積卸し用の側線を1線と、2番線稚内方から2番線ホーム手前への側線を1線有していた[3]。
また安全側線を上下各1線有していた[3]。
交換設備運用廃止後は線路は側線を含め1993年(平成5年)3月までには撤去された[2]。
396: 2016/10/28(金) 08:28:10.18 ID:JQnYsXGs(13/50)調 AAS
無人駅となっていた。駅舎は構内の北西側に位置しホーム北側に接していた[2]。
有人駅時代からの駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[4]を改造した貨車駅舎となっていた[2]。旧駅舎の基礎の上への設置ではなく、利用されるホームである旧2番線側に位置変更となった[2]。
当時は宗谷本線の貨車駅としては最も南に位置していた駅であった[2]。
いわゆる秘境駅のひとつに数えられていた[5]。
かつて、林業が盛んであった頃には近隣山林から切り出した木材の積み出し駅であった。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、「智恵文村」(当時)の東端に位置することから「智東」と名付けたことに由来する[2][3][6]。
397: 2016/10/28(金) 08:28:37.46 ID:JQnYsXGs(14/50)調 AAS
駅周辺[編集]
晩年の利用者はピヤシリ山、九度山への登山客が主であった[2]。駅前や裏山の周辺には、舗装された細い道と草樹しかない。
金毘羅大権現の碑
スーポロの碑
比翼の滝・辰光の滝
住友ゴム・ダンロップ名寄テストコース
天塩川
駅跡[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
廃駅後、貨車駅舎はトロッコ王国美深にて再利用されることとなり、2006年(平成18年)7月3日に旧・仁宇布駅構内である敷地内に移設された[4]。
398: 2016/10/28(金) 08:29:18.03 ID:JQnYsXGs(15/50)調 AAS
日進駅 (北海道)
日進駅
駅舎(2011年8月)
駅舎(2011年8月)
にっしん - Nisshin
◄W48 名寄 (4.0km)(9.1km) 北星 W50►
所在地 北海道名寄市日進
北緯44度22分54秒
東経142度28分2.8秒
駅番号 ○W49
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 80.2km(旭川起点)
電報略号 ニン
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1959年(昭和34年)11月1日
備考 無人駅
テンプレートを表示
399: 2016/10/28(金) 08:29:54.44 ID:JQnYsXGs(16/50)調 AAS
1977年の日進駅と周囲約500m範囲の状況。上が稚内方面。名寄側に道道939号の踏切があり、待合室はホームから少し離れた道路脇にある。
道路右へは、なよろ健康の森、左へは天塩川を渡って陸上自衛隊名寄駐屯地に至る。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

ホーム(2011年8月)
日進駅(にっしんえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市日進にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW49。電報略号はニン。

目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
400: 2016/10/28(金) 08:30:44.96 ID:JQnYsXGs(17/50)調 AAS
歴史[編集]
1955年(昭和30年)12月1日 - 日進乗降場設置[1]。
1956年(昭和31年)4月 - 待合室設置[1]。
1959年(昭和34年)11月1日 - 日本国有鉄道宗谷本線名寄駅 - 智東駅間に新設開業[2]。旅客のみ取扱い。
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北東側(稚内方面に向かって右手側)に存在する[3]。分岐器を持たない棒線駅となっている[3]。
開業時からの無人駅[4]で、ホーム南側の出入口から少し離れた位置に[3]待合所機能のみの駅舎を有する[5]。小波鉄板張りで、中央出入口部分に小さな合掌を有する駅舎となっている[5]。
駅舎に掲げられている「日進」の駅銘板記載のマークは、名寄市の旧市章である。
ホームは木製デッキ式で[5]、旭川方にスロープを有し駅施設外に連絡している[3]。駅舎とは別棟でトイレ棟を有する[5]。
401: 2016/10/28(金) 08:31:18.42 ID:JQnYsXGs(18/50)調 AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、当地に入植した岐阜県人が、「日進月歩」の意味を込めて「日進」と名付けたことに由来する[6][7]。

駅周辺[編集]
上川盆地が終わり北見山地が近づいてくる位置にある[7]。ホームからはピヤシリ山が望める[5]。畑作地帯である。
北海道道939号日進名寄線
国立薬用植物栽培試験場[5] - 駅から西に約1.0km[7]。
なよろ健康の森
名寄ピヤシリスキー場
なよろサンピラーユースホステル
日進山 - 標高190m。
名寄川 - 駅の西。
天塩川 - 名寄川の西。
名士バス「健康の森」停留所
402: 2016/10/28(金) 08:33:16.31 ID:JQnYsXGs(19/50)調 AAS
名寄駅
名寄駅駅舎(2011年8月)
なよろ - Nayoro
◄W47 東風連 (3.6km)(4.0km) 日進 W49►
所在地 北海道名寄市東1条南6丁目
北緯44度20分58秒
東経142度27分55秒
駅番号 ○W48
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
JR logo (freight).svg日本貨物鉄道(JR貨物)*
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 76.2km(旭川起点)
電報略号 ナロ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 441人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1903年(明治36年)9月3日
備考 社員配置駅
みどりの窓口 有
*貨物列車の発着はなし。オフレールステーションを併設。
テンプレートを表示
名寄駅
403: 2016/10/28(金) 08:33:57.41 ID:JQnYsXGs(20/50)調 AAS
なよろ - Nayoro
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
駅構造 地上駅
開業年月日 1919年(大正8年)10月20日(名寄本線)
1937年(昭和12年)11月10日(深名線)
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日(名寄本線)
1995年(平成7年)9月4日(深名線)
乗入路線
所属路線 名寄本線
キロ程 0.0km(名寄起点)
(5.8km) 中名寄?
所属路線 深名線
キロ程 121.8km(深川起点)
?西名寄 (4.0km)
テンプレートを表示
404: 2016/10/28(金) 08:34:30.95 ID:JQnYsXGs(21/50)調 AAS
ホーム(2011年8月)

駅構内(2004年6月)
名寄駅(なよろえき)は、北海道名寄市東1条南6丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)・
日本貨物鉄道(JR貨物)宗谷本線の駅。駅番号はW48。

目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 駅構造
4 貨物駅(名寄オフレールステーション)
5 利用状況
6 駅名の由来
7 かつて販売されていた駅弁
8 駅周辺
9 バス路線
10 隣の駅
10.1 かつて存在した路線
11 脚注
12 参考文献
13 関連項目
14 外部リンク
405: 2016/10/28(金) 08:35:45.06 ID:JQnYsXGs(22/50)調 AAS
概要[編集]
名寄市の中心駅であり、普通列車に加え特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」や快速「なよろ」が停車する宗谷本線の主要駅である。また、運転士の乗務はこの駅を境に稚内方面が宗谷北線運輸営業所、旭川方面が旭川運転所と担当区域が分かれている。
普通列車の運転系統も当駅で同じように分かれるが、1日3往復列車番号を変えて相互に直通する列車もあり、そのうち1往復は旭川 - 稚内間の全線を走破する。
当駅は、1903年(明治36年)9月に開業した。当時は旭川方面から伸びる天塩線(宗谷本線の前身)の終着駅だった。その8年後の1911年(明治44年)11月に路線が恩根内駅まで延伸し、名寄駅は途中駅となった。
406: 2016/10/28(金) 08:36:14.38 ID:JQnYsXGs(23/50)調 AAS
1919年(大正8年)10月には下川町方面へ向かう名寄線(後の名寄本線)が開業し、同線と宗谷本線の乗換駅となった。また1937年(昭和12年)11月には名雨線が開業した。
名雨線は部分開業であったが、5年後の1941年(昭和16年)に深川 - 名寄間が開業し、深名線となった。

1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化により、名寄駅は北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。名寄本線・深名線もJR北海道が継承したが、
名寄本線は1989年(平成元年)5月に、深名線は1995年(平成7年)9月に廃止され、名寄駅は開業時と同様に宗谷本線のみの駅となった。
407: 2016/10/28(金) 08:37:07.17 ID:JQnYsXGs(24/50)調 AAS
1977年の名寄駅と周囲約1.8km範囲の状況。上が稚内方面。下中央が宗谷本線、下左が深名線、下右が名寄本線。
深名線と並行して南の天塩川製紙工場(現王子マテリア名寄工場)へ専用線が分岐している。駅の構内には多くの副本線と共に、転車台を持つ大きな機関区が残されている。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
408: 2016/10/28(金) 08:38:14.07 ID:JQnYsXGs(25/50)調 AAS
歴史[編集]
1903年(明治36年)9月3日 - 北海道官設鉄道天塩線士別 - 当駅間の開業時に開設[1]。一般駅。名寄機関庫設置。
1905年(明治38年)4月1日 - 逓信省鉄道作業局に移管[1]。
1911年(明治44年)11月3日 - 天塩線名寄 - 恩根内間延伸開業[1]。
1913年(大正2年)6月2日 - 名寄機関庫設置(北海道鉄道管理局の事務上制定)。
1919年(大正8年)10月20日 - 名寄線(後の名寄本線)開業。
1925年(大正14年) - 扇型機関庫新築[2]。
1927年(昭和2年)6月 - 2代目の現駅舎に改築。
1937年(昭和12年)11月10日 - 名雨線(後の深名線)開業。
409: 2016/10/28(金) 08:38:35.11 ID:JQnYsXGs(26/50)調 AAS
1949年(昭和24年)
2月 - 構内増改築[3]。
6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1950年(昭和25年)2月1日 - 名寄客貨車区設置。
1961年(昭和36年)1月 - 天塩川製紙名寄工場操業開始に伴い専用線使用開始。
1966年(昭和41年)9月 - 天塩川製紙名寄工場第3期増設工事竣工。専用線2km増設。
1967年(昭和42年)6月1日 - コンテナ基地設置[1]。
1968年(昭和43年)10月1日 - みどりの窓口設置。
410: 2016/10/28(金) 08:38:59.52 ID:JQnYsXGs(27/50)調 AAS
1986年(昭和61年)
11月1日 - 荷物取扱い廃止。
11月 - 名寄機関区が旭川機関区名寄支区となる[3]。
1987年(昭和62年)
2月 - 扇型機関庫解体撤去[3]。
4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)に継承[1]。
1988年(昭和63年) - 名寄駅旅行センター開店。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線廃止。
1990年(平成2年) - 名寄駅旅行センターを駅から分離し、旅行センター名寄支店発足。
1991年(平成3年)11月13日 - 宗谷北線運輸営業所発足。
411: 2016/10/28(金) 08:39:19.23 ID:JQnYsXGs(28/50)調 AAS
1995年(平成7年)9月4日 - 深名線廃止。
1996年(平成8年)9月1日 - 貨物列車設定廃止、自動車代行駅となる。
1998年(平成10年) - 「旅行センター名寄支店」の営業を名寄駅に統合。
2006年(平成18年)4月1日 - JR貨物の名寄オフレールステーションを開設。
2009年(平成21年)6月30日 - 駅弁製造・販売元廃業のため同日付で駅弁販売終了。
2016年(平成28年)3月31日 - 旅行センターが営業終了[4]。
412: 2016/10/28(金) 08:39:41.26 ID:JQnYsXGs(29/50)調 AAS
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。駅舎(改札口)は西側1箇所にあり、日本最北のLED発車標導入駅である[5]。
以前は駅舎脇直結の島式ホームがあり2面4線であったが、0番のりばが廃止された後、単式ホームになった[6]。1 - 3番のりばはいずれも折り返しが可能。ホーム間の移動は跨線橋を使う。
留置線が敷設され、夜間滞泊の運用もある。このうち1本は音威子府駅発着で、当駅まで回送して滞泊している。
終日社員配置駅。駅構内にはみどりの窓口(営業時間:7時40分 - 20時50分)・自動券売機・キヨスク[7]がある。
1990年代まで構内にきょくてつストア(物資部)という名称の小型のスーパーマーケットがあった。現在は駐輪場となっている。
413: 2016/10/28(金) 08:41:05.62 ID:JQnYsXGs(30/50)調 AAS
貨物駅(名寄オフレールステーション)[編集]
JR貨物の名寄駅は、コンテナ貨物(JR規格12フィートコンテナのみ)の取扱駅となっている。
コンテナ集配基地の名寄オフレールステーション(略称:名寄ORS)が駅舎北側に併設されており、貨物列車の代行のトラック便が北旭川駅との間に1日5往復運行されている[8]。JR貨物の駅としては最北端に位置している。
かつては1面2線のコンテナホームがあったが、貨物列車の発着が廃止された1996年(平成8年)9月以降、荷役線は使用されずホームのみコンテナ基地として使用されている。
貨物列車の発着がない自動車代行駅となった後、2006年(平成18年)4月の貨物駅の名称整理の際に、名寄オフレールステーションとなっている。
414: 2016/10/28(金) 08:41:30.52 ID:JQnYsXGs(31/50)調 AAS
また1993年(平成5年)ごろまでは岩谷産業名寄LPGセンターへの専用線があり、本輪西駅発送の液化石油ガス (LPG) 輸送用のタキ25000形貨車が到着していた。
また、それより前には王子マテリア名寄工場への専用線もあり、同工場向けの石油輸送用タンク車も到着していた。

駅名の由来[編集]
アイヌ語の「ナイ、オロ、プツ」(川の傍なる河口)が転訛したもの。名寄川が天塩川に注いでいることから。
415: 2016/10/28(金) 08:41:50.80 ID:JQnYsXGs(32/50)調 AAS
かつて販売されていた駅弁[編集]
角舘商会
蝦夷っ子ちらし寿し(1050円) - スーパー宗谷へ積み込み
牡蠣帆立弁当(940円)
北の味きのこごはん(940円)
ニシンカズノコ弁当(840円) - スーパー宗谷へ積み込み
みそ豚丼(750円)
たこ寿し(730円)
駅売店のほか、ワゴン販売のある特急「スーパー宗谷」の車内でも販売されていた。なお、角舘商会は2009年(平成21年)6月30日限りで廃業した[9]。
416: 2016/10/28(金) 08:42:19.52 ID:JQnYsXGs(33/50)調 AAS
駅周辺[編集]

SLキマロキ編成(2004年6月)
北海道道540号名寄停車場線
名寄市役所
名寄警察署
名寄警察署駅前交番
名寄郵便局
名寄駅前郵便局
北海道労働金庫名寄支店
北星信用金庫本店
北見信用金庫名寄支店
北洋銀行名寄支店
北海道銀行名寄支店
道北なよろ農業協同組合(JA道北なよろ)名寄支所
日本通運旭川支店名寄営業支店
グランドホテル藤花
名寄せ(なよせ)商店街
名寄6丁目商店街
西條百貨店名寄店
山田デパート
北国博物館
SLキマロキ編成
吉田病院
名寄中央整形病院
親林館
プラザよろーな
名寄簡易裁判所
ハローワーク名寄
名寄労働基準監督署
上川総合振興局名寄庁舎
国道40号・国道239号
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バス路線[編集]
2013年(平成25年)4月1日に「駅前交流プラザ『よろーな』」がオープンし、同日より併設されたバス乗り場に発着する[10][11]。
名士バス
名寄市内路線、下川町・興部町方面(JR名寄本線廃止代替)など郊外路線を運行。路線詳細はバス事業者記事を参照。
ジェイ・アール北海道バス
幌加内町方面(JR深名線廃止代替)へ運行。路線詳細は深名線 (ジェイ・アール北海道バス)を参照。
道北バス(案内所を設置)
士別市・旭川市方面への郊外路線、札幌市方面(北海道中央バス共同運行)および音威子府村・枝幸町・猿払村方面(宗谷バス共同運行または宗谷バス単独運行)への都市間バスを運行。
路線詳細はバス事業者記事を参照。
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中名寄駅
中名寄駅

なかなよろ - Naka-Nayoro
◄名寄 (5.8km)(3.9km) 上名寄►
所在地 北海道名寄市字朝日
北緯44度19分51.8秒
東経142度30分45.6秒座標: 北緯44度19分51.8秒 東経142度30分45.6秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 5.8km(名寄起点)
電報略号 ナヨ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1947年(昭和22年)9月21日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
419: 2016/10/28(金) 08:46:00.88 ID:JQnYsXGs(36/50)調 AAS
1977年の中名寄駅と周囲約500m範囲。右が紋別方面。石積み土盛のしっかりとした作りの単式ホームを持つ。無人化される直前で、駅舎はプレハブの待合室に変わる前の木造のもの。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
中名寄駅(なかなよろえき)は、北海道(上川支庁)名寄市字朝日にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はナヨ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。

目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
420: 2016/10/28(金) 08:46:19.73 ID:JQnYsXGs(37/50)調 AAS
歴史[編集]
1947年(昭和22年)9月21日 - 運輸省名寄本線の中名寄仮乗降場(局設定)として開業。旅客のみ取扱い。[1]
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1950年(昭和25年)1月15日 - 駅に昇格。中名寄駅となる[2]。荷物取扱い開始[1]。
1963年(昭和38年)4月1日 - 業務委託化[2]。
1978年(昭和53年)12月1日 - 荷物取扱い廃止[1]。同時に無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
421: 2016/10/28(金) 08:46:38.18 ID:JQnYsXGs(38/50)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[3]。
無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、興浜北線豊牛駅や斜内駅と同型[4]のプレハブ駅舎[5]となっていた。駅舎は構内の北側に位置しホームに接していた。[3]。
422: 2016/10/28(金) 08:47:06.75 ID:JQnYsXGs(39/50)調 AAS
駅名の由来[編集]
名寄川沿いにあり、上名寄と名寄の中間に位置したため[6]、「名寄」に「中」を冠する。

駅周辺[編集]
国道239号(下川国道)[7]
名寄市立中名寄小学校
名寄川[7]
名士バス「中名寄5線」停留所
423: 2016/10/28(金) 08:47:32.97 ID:JQnYsXGs(40/50)調 AAS
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では駅舎が残存しており、舎内には現役時代の看板やポスターが保存されていた[5]。2010年(平成22年)時点でも駅舎は残っており、旧構内裏手にはブロック造りの鉄道官舎も残存していた[8]。
2011年(平成23年)時点では駅銘板も設置されたままで、名寄本線のほかに深名線の遺物の一部も集められていた[4]。駅舎はバス停として利用されている。
424: 2016/10/28(金) 08:48:23.19 ID:JQnYsXGs(41/50)調 AAS
上名寄駅
上名寄駅

かみなよろ - Kami-Nayoro
◄中名寄 (3.9km)(2.4km) 矢文►
所在地 北海道上川郡下川町上名寄
北緯44度18分59秒
東経142度33分25秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 9.7km(名寄起点)
電報略号 カヨ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1919年(大正8年)10月20日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
425: 2016/10/28(金) 08:48:39.94 ID:JQnYsXGs(42/50)調 AAS
1977年の上名寄駅と周囲約500m範囲。無人化直前の姿。右下が紋別方面。千鳥式ホーム2面2線と、駅横名寄側、駅裏紋別側にそれぞれ引込み線を有するが、引込み線やストックヤードは使用されなくなって久しいようである。
無人化後は駅舎ホーム側に棒線化された。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
上名寄駅(かみなよろえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町上名寄にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はカヨ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
426: 2016/10/28(金) 08:48:58.81 ID:JQnYsXGs(43/50)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
427: 2016/10/28(金) 08:49:33.34 ID:JQnYsXGs(44/50)調 AAS
歴史[編集]
1919年(大正8年)10月20日 - 鉄道院名寄線名寄駅 - 下川駅間開通に伴い開業。一般駅[1]。
1921年(大正10年)
3月25日 - 線路名を名寄西線に改称、それに伴い同線の駅となる。
10月5日 - 線路全通に伴い線路名を名寄線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1960年(昭和35年)9月15日 - 貨物取扱い廃止[1]。
1978年(昭和53年)12月1日 - 荷物取扱い廃止[1]。同時に出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備廃止、完全無人化。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
428: 2016/10/28(金) 08:50:42.35 ID:JQnYsXGs(45/50)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。
国鉄時代末期に無人化されるまでは、相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。
互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた[2]。駅舎側(南側)ホームが上り線、対向側ホームが下り線となっていた[2]。
そのほか下り線の遠軽方から北側に分岐し対向側ホーム手前附近で行き止まりとなっていた側線を1線有していた[2]。
無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた時期を経て完全無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。
429: 2016/10/28(金) 08:51:08.60 ID:JQnYsXGs(46/50)調 AAS
駅舎は構内の南側(遠軽方面に向かって右側)に位置し上り線ホーム中央部分に接していた。ホームの長さは50mで2輌編成の列車がやっと停車出来る長さであった[2]。

駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、名寄川の上流に位置したため[3]、「名寄」に「上」を冠する。
駅周辺[編集]
国道239号(下川国道)[4]
上名寄郵便局
名寄川[4]
名士バス「上名寄12線」停留所 - 駅名標が現存する
430: 2016/10/28(金) 08:51:43.30 ID:JQnYsXGs(47/50)調 AAS
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では貯木場となっており跡形も無くなっていた[5]。
2010年(平成22年)時点では駅跡付近の国道沿いのバス停留所に駅名標が設置されているのみであった[6]。2011年(平成23年)時点でも同様であるが、この駅名標は新しく設置されたレプリカで、上部に「上名寄駅跡」と記載されていた[7]。
また駅跡地は仮囲いで囲われており、建築資材などが保管されている模様であった[7]。
431: 2016/10/28(金) 08:55:43.97 ID:JQnYsXGs(48/50)調 AAS
わいも協力したるわ

名寄から名寄本線に入ったわい

え、宗谷本線名寄駅以北、名寄本線名寄駅〜上名寄駅はレス済

これを書かなければならないんか
目的は
このスレは、以下の類似荒らしスレを1000レスさせない状態で建て続けた銃刀法違反逮捕者を矯正する目的で埋めています
432: 2016/10/28(金) 08:59:10.05 ID:JQnYsXGs(49/50)調 AAS
ネットでも「延伸すれば黒字だから問題ない」との意見が多くなってきている
なのに、日本語らしい文字の羅列を2chだけ荒らししても無駄やろ
道庁行って抗議しろやボケ
433: 2016/10/28(金) 09:00:16.55 ID:JQnYsXGs(50/50)調 AAS
札幌駅まで歩いて行けたのだから、道庁にも歩いて行けるだろ
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