[過去ログ] 【負けの大地】北海道新幹線300【バカ道民】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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315: 2016/10/27(木) 20:16:54.25 ID:xD+aBuaS(3/4)調 AAS
(今日も親の自宅に引きこもって無職生活を満喫しながら)
「北海道の不幸な現実と北海道民叩きでメシがうまいwww」

HAT

「いやあ〜親のスネかじって現実世界を無視して自宅に引きこもって北海道叩きしている時が最高だな〜
な〜 え!なぜかって?そらりゃこの2chの掲示板で自分の世界に引きこもり自分勝手な妄想をネタにした
荒らしをすることしか生きがいがないからねwww
え!働いた方がいい?そんなこと考えていないよ、現実世界ではつらくて生きれないからねwww
316: 2016/10/27(木) 20:17:13.13 ID:xD+aBuaS(4/4)調 AAS
(今日も親の自宅に引きこもって無職生活を満喫しながら)
「北海道の不幸な現実と北海道民叩きでメシがうまいwww」

HAT

「いやあ〜親のスネかじって現実世界を無視して自宅に引きこもって北海道叩きしている時が最高だな〜
な〜 え!なぜかって?そらりゃこの2chの掲示板で自分の世界に引きこもり自分勝手な妄想をネタにした
荒らしをすることしか生きがいがないからねwww
え!働いた方がいい?そんなこと考えていないよ、現実世界ではつらくて生きれないからねwww
317: 2016/10/27(木) 21:01:23.59 ID:PYzPoQ0C(1)調 AAS
すげえ!
1日で300スレ以上進んでいやがる。
若月栄作フルブーストだな。
318: 2016/10/27(木) 21:27:09.52 ID:FGokhIjB(56/57)調 AAS
歓喜
画像リンク


絶望
画像リンク

319: 2016/10/27(木) 21:43:48.62 ID:lvULXXeN(1)調 AAS
グッド・ナイト・ジジー (GOOD NIGHT, JIGY)

作詞:KC 作曲:とみん 編曲:全角

捨てられた若月栄作76のように (LIKE CASTOFF EISAKU WAKATUKI)

作詞・作曲・編曲:オレ
320: 2016/10/27(木) 21:54:29.86 ID:FGokhIjB(57/57)調 AAS
.
新幹線の開業は1964年
画像リンク


それから遅れること52年、初めて見る新幹線に喜ぶ函館の土人たち
画像リンク


雪像の新幹線で満足する僻地札幌の人々 
画像リンク


札幌エレジーwww  画像リンク
(単線非電化)

  名ばかりの政令市 札ボロwwww
321: 2016/10/28(金) 00:19:47.32 ID:EQpc1n05(1/10)調 AAS
道民はもっと他のスレで全国からどう思われてるか観察したほうがいい。

2chスレ:bizplus
322: 2016/10/28(金) 01:13:31.17 ID:WyvZptLl(1/54)調 AAS
天塩川温泉駅
天塩川温泉駅
駅全体(2004年8月)
駅全体(2004年8月)
てしおがわおんせん - Teshiogawa-Onsen
◄W58 豊清水 (3.6km)(3.2km) 咲来 W60►
所在地 北海道中川郡音威子府村字咲来
北緯44度39分53.5秒
東経142度15分30.8秒座標: 北緯44度39分53.5秒 東経142度15分30.8秒
駅番号 ○W59
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 121.5km(旭川起点)
電報略号 テオ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1956年(昭和31年)7月1日
備考 無人駅
テンプレートを表示
323: 2016/10/28(金) 01:13:50.87 ID:WyvZptLl(2/54)調 AAS
1977年の南咲来仮乗降場(天塩川温泉に改名する以前)と周囲約500m範囲。上が稚内方面。
名寄側に踏切があり、左横に待合室の屋根が白く見える。ホームは待合室と線路の間に小さく白く見えるが、残りの部分は待合室の影で判別できない。
左側の道を下に向かえば、800m程で天塩川対岸の温泉に至る。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
天塩川温泉駅(てしおがわおんせんえき)は、北海道中川郡音威子府村字咲来にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW59。
324: 2016/10/28(金) 01:14:11.72 ID:WyvZptLl(3/54)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅周辺
4 隣の駅
5 関連項目
6 外部リンク
歴史[編集]
1956年(昭和31年)7月1日 - 日本国有鉄道の南咲来仮乗降場(みなみさっくるかりじょうこうじょう)として開業。旅客のみ取扱い。
1981年(昭和56年)7月 - 天塩川温泉仮乗降場へと改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道旅客鉄道に継承。同時に仮乗降場から駅へ昇格。
1990年(平成2年)3月10日 - 営業キロ設定。
325: 2016/10/28(金) 01:14:35.43 ID:WyvZptLl(4/54)調 AAS
駅構造[編集]
稚内方面に向かって左側に、簡易型の単式ホーム1面1線を有する地上駅。側に小さい待合室がある。無人駅。
326: 2016/10/28(金) 01:15:02.46 ID:WyvZptLl(5/54)調 AAS
駅周辺[編集]
酪農地帯である。農家1軒、廃屋数軒。牧草地が広がり、天塩川の堤防が見える。駅から天塩川を渡り、およそ700mの所に天塩川温泉がある。
国道40号
天塩川
天塩川温泉
327: 2016/10/28(金) 01:17:59.63 ID:WyvZptLl(6/54)調 AAS
恩根内駅
Question book-4.svg
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2014年4月)
恩根内駅
駅舎・『スーパー宗谷』が通過中(2004年8月)
駅舎・『スーパー宗谷』が通過中(2004年8月)
おんねない - Onnenai
◄W56 紋穂内 (7.1km)(5.8km) 豊清水 W58►
所在地 北海道中川郡美深町字恩根内
北緯44度35分55秒
東経142度18分33.3秒
駅番号 ○W57
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 112.1km(旭川起点)
電報略号 ネイ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1911年(明治44年)11月3日
備考 無人駅
テンプレートを表示
328: 2016/10/28(金) 01:18:19.15 ID:WyvZptLl(7/54)調 AAS
1977年の恩根内駅と周囲約500m範囲の状況。上が稚内方面。千鳥式ホーム2面2線と副本線。駅舎横の稚内側に貨物積卸場と引込み線。
駅裏にストックヤード。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
恩根内駅(おんねないえき)は、北海道中川郡美深町字恩根内にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。
駅番号はW57。電報略号はネイ。
329: 2016/10/28(金) 01:18:36.32 ID:WyvZptLl(8/54)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 隣の駅
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
歴史[ソースを編集]
1911年(明治44年)11月3日 - 鉄道院名寄駅 - 当駅間開業にともない開設[1]。一般駅。
1912年(大正元年)11月5日 - 当駅 - 音威子府駅間延伸開業[1]。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物扱い廃止。
1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物扱い廃止[1]。
1984年11月10日 - 出改札業務廃止(連査閉塞運転要員はそのまま配置)。
1986年(昭和61年)11月1日 - 電子閉塞化の際、無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
1993年(平成5年)12月 - 簡易駅舎に改築。
330: 2016/10/28(金) 01:19:14.54 ID:WyvZptLl(9/54)調 AAS
駅構造[ソースを編集]
1面1線の単式ホームを持つ地上駅。無人駅。かつて国鉄規格の木造駅舎と相対式のホームであったが、1線が撤去された。
分割民営化後当初は車掌車を駅舎として使用していたが、現在はモダンな簡易駅舎に建て替わった。
かつて林業が盛んだった頃は、近隣の駅と同様に周辺の山林から切り出された木材の出荷駅として、稚内方面に向かって左側に木造駅舎とその横の稚内側に荷物積卸場、
駅と反対側の名寄寄りに貨物積卸場が設けられ、客扱い用に千鳥式ホーム2面2線、荷物積卸場へは稚内側から引込み線、ホーム外側には貨物積卸用の副本線を有する、
隣の紋穂内駅と良く似た構造の一般駅であった。
貨物及び荷物取扱い廃止後は貨物線が撤去され、さらに無人化に伴って駅舎ホーム側への棒線化と旧木造駅舎の撤去及び車掌車を改造した待合室の設置が行われて、
単式ホーム1面1線を有する無人駅となった。その後、待合室が撤去されて簡易駅舎が新設された。
331: 2016/10/28(金) 01:19:43.79 ID:WyvZptLl(10/54)調 AAS
駅名の由来[ソースを編集]
駅名は、アイヌ語の「オンネ・ナイ(親である川)」に由来する。
駅周辺[ソースを編集]
恩根内集落
天塩川と駅の間に恩根内の集落がある。駅裏に国道40号線が通り、駅と国道の間には木工場があった。
畑作農家と酪農家が点在している農村。駅の前方約600メートル先に唯一の清涼飲料自販機あり。消防署分遣署まで約300メートル。(旧)恩根内小学校まで約1キロ。
国道40号
美深町役場恩根内出張所
美深警察署恩根内駐在所
恩根内郵便局
天塩川
名士バス「恩根内」停留所
332: 2016/10/28(金) 01:22:01.95 ID:WyvZptLl(11/54)調 AAS
初野駅
初野駅
待合室(2012年7月)
待合室(2012年7月)
はつの - Hatsuno
◄W54 美深 (3.6km)(3.1km) 紋穂内 W56►
所在地 北海道中川郡美深町字富岡
北緯44度30分47.7秒
東経142度20分8.7秒座標: 北緯44度30分47.7秒 東経142度20分8.7秒
駅番号 ○W55
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 101.9km(旭川起点)
電報略号 ハノ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1948年(昭和23年)6月
備考 無人駅
テンプレートを表示

駅全体(2004年8月)
333: 2016/10/28(金) 01:22:18.71 ID:WyvZptLl(12/54)調 AAS
1977年の初野駅と周囲約500m範囲の状況。上が稚内方面。稚内側に十四線道の踏切。待合室は確認できない。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
初野駅(はつのえき)は、北海道中川郡美深町字富岡にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW55。
334: 2016/10/28(金) 01:22:40.63 ID:WyvZptLl(13/54)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅周辺
4 隣の駅
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
歴史[編集]
1948年(昭和23年)6月 - 運輸省の初野仮乗降場(局設定)として設置[1]。旅客のみ取扱い。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1959年(昭和34年)11月1日 - 駅に昇格[1]。旅客のみ取扱い。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承[1]。
335: 2016/10/28(金) 01:23:03.37 ID:WyvZptLl(14/54)調 AAS
駅構造[編集]
稚内方面に向かって左側に、木造板張りの簡易型単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅。
稚内側に美深十四線道の踏切があり、側にプレハブの待合室を持つ。
駅周辺[編集]
民家の点在する田園地帯。約300m西方に並行して走る国道を望む。
国道40号
名士バス「美深14線」停留所
336: 2016/10/28(金) 01:25:27.17 ID:WyvZptLl(15/54)調 AAS
東美深駅
東美深駅

ひがしびふか - Higashi-Bifuka
◄美深 (4.3km)(2.0km) 辺渓►
所在地 北海道中川郡美深町字美深
北緯44度29分05.48秒
東経142度23分49.58秒
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 美幸線
キロ程 4.3km(美深起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1964年(昭和39年)10月5日
廃止年月日 1985年(昭和60年)9月17日
備考 美幸線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示

駅周辺を写した航空写真。画像中央が東美深駅、左方向が美深駅方面、右方向が仁宇布駅方面。
1977年度撮影。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
東美深駅(ひがしびふかえき)は、北海道中川郡美深町字美深にあった日本国有鉄道(国鉄)美幸線の駅(廃駅)である。
美幸線の廃線に伴い1985年(昭和60年)9月17日に廃駅となった。
337: 2016/10/28(金) 01:25:58.95 ID:WyvZptLl(16/54)調 AAS
目次 [非表示]
1 駅構造
2 駅名の由来
3 駅周辺
4 歴史
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(仁宇布方面に向かって右手側)に存在した。
開業時からの無人駅で駅舎はないが、ホーム西側に待合室を有した[1]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地の「東」に位置することから付けられた。
338: 2016/10/28(金) 01:26:17.06 ID:WyvZptLl(17/54)調 AAS
駅周辺[編集]
名士バス「5線東5号」停留所
歴史[編集]
1964年(昭和39年)10月5日 - 日本国有鉄道美幸線美深駅 - 仁宇布駅間開通に伴い開業。旅客のみ取扱い。
1985年(昭和60年)9月17日 - 美幸線の廃線に伴い廃止となる。
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点で河川改修の工事現場となっており[2]2011年(平成23年)時点で遺構は全く残っていない[3]
339: 2016/10/28(金) 01:28:01.16 ID:WyvZptLl(18/54)調 AAS
仁宇布駅
仁宇布駅跡(2004年撮影)
にうぷ - Niupu
◄辺渓 (14.9km)
所在地 北海道中川郡美深町字仁宇布
北緯44度32分50.61秒
東経142度34分08.89秒
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 美幸線
キロ程 21.2km(美深起点)
電報略号 ウフ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 20人/日
-1981年(昭和56年)-
開業年月日 1964年(昭和39年)10月5日
廃止年月日 1985年(昭和60年)9月17日
備考 美幸線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示

駅周辺を写した航空写真。画像中央が仁宇布駅、左下方向が美深駅方面、右上方向が北見枝幸駅方面。
1977年度撮影。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
仁宇布駅(にうぷえき)は、北海道中川郡美深町字仁宇布にあった日本国有鉄道(国鉄)美幸線の駅(廃駅)である。
美幸線の廃線に伴い1985年(昭和60年)9月17日に廃駅となった。
340: 2016/10/28(金) 01:28:22.69 ID:WyvZptLl(19/54)調 AAS
目次 [非表示]
1 駅構造
2 駅名の由来
3 利用状況
4 駅周辺
5 歴史
6 駅跡
7 隣の駅
8 関連項目
9 脚注
10 外部リンク
341: 2016/10/28(金) 01:28:53.35 ID:WyvZptLl(20/54)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北東側(仁宇布方面に向かって左手側)に存在した。
列車の発着に使用する駅舎側の1番線だけではなく、駅舎と反対側の乗り場(2番線)の線路も敷設され側線扱いとなっていた[1]。2線はホームの先で収束し、路線延長時には列車交換が可能な構造となっていた。
ほかに2番線の外側に貨物用の側線(3番線)を1本有した[2]。
職員配置駅となっており、木造プレハブ造りの駅舎が存在した。駅舎は構内の南東側に位置し、ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[1]。1981年(昭和56年)時点で職員は合計6人が配置されていた[1]。
また、1980年(昭和55年)時点では、駅裏に日本鉄道建設公団の線路敷設基地が置かれており[3]、構内にはレールや枕木が積まれていた[1]。
342: 2016/10/28(金) 01:29:13.78 ID:WyvZptLl(21/54)調 AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「ニ・ウプ」(木があるもの)に由来する。
利用状況[編集]
1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は20人[1]。
駅周辺[編集]
仁宇布簡易郵便局
松山湿原 - 駅から南に約5km[1]。
トロッコ王国美深
スバル耐寒テストコース 日本最北の自動車テストコース
付近の農場は村上春樹の羊をめぐる冒険のモデルのひとつではないかといわれている[1][2]。
名士バス「仁宇布待合室」停留所
343: 2016/10/28(金) 01:30:13.60 ID:WyvZptLl(22/54)調 AAS
歴史[編集]
1964年(昭和39年)10月5日 - 日本国有鉄道美幸線美深駅 - 当駅間開通に伴い開業。一般駅。
1966年(昭和41年)12月21日 - 駅舎全焼。
1967年(昭和42年)11月6日 - 新駅舎落成。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。
1985年(昭和60年)9月17日 - 美幸線の廃線に伴い廃止となる。
344: 2016/10/28(金) 01:31:06.65 ID:WyvZptLl(23/54)調 AAS
駅跡[編集]
1998年(平成10年)より美深町のNPO法人トロッコ王国美深の施設として使われている。2000年(平成12年)時点で駅舎は既に撤去されているが[4]、2010年(平成22年)時点でホームや線路は残存している。駅舎跡にログハウス風の事務所が置かれ、
当駅跡から辺渓駅方、高広の滝附近へ約5kmの線路が再利用され、エンジン付き保線用軌道自転車の運転体験ができる[5]。
施設内には国鉄583系電車の中間車両が置かれている(但し、状態は良くない)。また、廃駅となった智東駅の貨車駅舎(ヨ3500形車掌車を改造)が2006年(平成18年)7月3日に移動されて設置されている[6]。
沿線に残存している保線小屋が資材置き場に転用されている[7]。
345: 2016/10/28(金) 01:31:24.74 ID:WyvZptLl(24/54)調 AAS
また、旧駅前広場部分には蒸気機関車の車輪[7]のモニュメント付きの石碑、「美幸線記念碑」が建立されている[4]。2000年(平成12年)時点では北見枝幸方へも、北へ0.1kmほどの線路が残存していたが[4]、
2010年(平成22年)時点では駅跡の北側までで終わっていた。路盤は2010年時点でもさらに北に続いている[5]。
346: 2016/10/28(金) 01:32:36.76 ID:WyvZptLl(25/54)調 AAS
美幸線
Japanese National Railway logo.svg美幸線
概要
現況 廃止
起終点 起点:美深駅
終点:仁宇布駅
駅数 4駅
運営
開業 1964年10月5日
廃止 1985年9月17日
所有者 Japanese National Railway logo.svg 日本国有鉄道
路線諸元
路線総延長 21.2 km (13.2 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 300
電化 全線非電化
最急勾配 16パーミル
テンプレートを表示
[隠す]停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
宗谷本線
eABZq+l BHFq
0.0 美深
exBHF
4.3 東美深
exBHF
6.3 辺渓
exBHF
21.2 仁宇布
exLSTR
↓未成区間
exBHF
北見大曲
exBHF
上徳志別
exBHF
志美宇丹
exBHF
辺毛内
exBHF
歌登
exBHF
下幌別
exDST
南枝幸(信)
exLSTR
↑未成区間
exBHF
北見枝幸
exSTR
興浜北線
347: 2016/10/28(金) 01:33:04.22 ID:WyvZptLl(26/54)調 AAS
美幸線(びこうせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道中川郡美深町の宗谷本線美深駅を起点とし、同町内の仁宇布駅に至る路線であった[1]。
計画では、美深より仁宇布を経てオホーツク海沿岸枝幸町の興浜北線北見枝幸駅に至る予定で、仁宇布から枝幸方にかけて一部工事が行われたものの、
1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)9月17日に全線廃止された[2]。
線名は予定線の起終点から採られており、「美」は起点の美深、「幸」は終点の北見枝幸(枝幸郡枝幸町)である。
警報機のある踏切は宗谷本線と共用のものを除けば1箇所(道道)のみで、人跡のまれな地帯をゆく路線であった。
348: 2016/10/28(金) 01:33:27.69 ID:WyvZptLl(27/54)調 AAS
目次 [非表示]
1 路線データ
2 歴史
2.1 年表
3 駅一覧
3.1 未成区間
4 予定地・廃線跡の活用
5 代替バスの状況
6 脚注
7 参考文献
路線データ[ソースを編集]
区間(営業キロ):美深 - 仁宇布 (21.2km)
未成区間の仁宇布 - 北見枝幸間は57.5km
駅数:4駅(起終点駅含む、未成区間7駅除く)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式(全線1閉塞)
349: 2016/10/28(金) 01:33:57.15 ID:WyvZptLl(28/54)調 AAS
歴史[ソースを編集]
北海道北部開発の拠点であった枝幸と宗谷本線を短絡する目的で計画された鉄道路線で、1953年(昭和28年)に鉄道敷設法別表第144号の2「天塩国美深ヨリ北見国枝幸ニ至ル鉄道」として追加された。
枝幸へは興浜北線が浜頓別で天北線に接続、予定線の興浜線が雄武で興浜南線に接続し、興部で名寄本線に連絡する予定であったが、大消費地である旭川、札幌に出るには遠回りとなることから長年にわたって請願が続けられていたものである。
350: 2016/10/28(金) 01:34:32.98 ID:WyvZptLl(29/54)調 AAS
1964年(昭和39年)に第1期線である美深 - 仁宇布間が部分開業し[1]、以遠も日本鉄道建設公団によって建設が進められた。
美深 - 仁宇布間には1935年(昭和10年)から殖民軌道の美深町営軌道があったが、美幸線開業に先立ち1962年(昭和37年)に廃止された。
予定線が計画された歌登町(現・枝幸町)内では、同町が経営し中頓別町の天北線小頓別に通じていた歌登町営軌道が美幸線建設促進のため1970年(昭和45年)に廃止されるなどして、
1976年(昭和51年)に全線開通予定であったが、1979年(昭和54年)に完成間近で工事は凍結され、結局開業することができなかった。
支線として北見大曲駅 - 興浜線北見音標駅間の建設が予定されていたが、美幸線自体が廃止されたためこの支線は計画だけに終わった。
351: 2016/10/28(金) 01:34:59.97 ID:WyvZptLl(30/54)調 AAS
ほぼ路盤が完成していた北見枝幸 - 歌登間を先行開業させるという話もあったが、興浜線や越美南線(現長良川鉄道)と越美北線のように、分断されたままになってしまうことを危惧した地元住民により、一括開業にこだわって開業は見送られた。
既開業区間自体の輸送量はきわめて少なく、同じ北海道の深名線や白糠線、そして九州の添田線などとともに、国鉄全路線中最悪レベルの赤字線であった。1974年度(昭和49年度)の営業係数は3,859、すなわち100円の収入を得るのに3,859円の費用を要する状態であった。
「日本一の赤字線」を逆手に取って美深町の長谷部秀見町長が美幸線の宣伝活動を東京銀座で行ったこともあるが、経営環境に改善は見られなかった。
352: 2016/10/28(金) 01:36:12.19 ID:WyvZptLl(31/54)調 AAS
1981年(昭和56年)に第1次特定地方交通線として指定された後も、同じく特定地方交通線となった興浜線と合わせて第三セクター化した「オホーツク縦貫鉄道構想」と関連付けて全線開業による存続を目指したが、
コンサルタントによる収支見込みで黒字に転換する可能性はないとされ、また対策協議会開始から2年以内に調わない際に認められる廃止申請とバス転換の強行を国鉄により示唆され、結局全線開通と鉄道による存続は断念、バスに転換された。
このときの転換交付金は開業区間の21.2km分6億3,600万円(1kmあたり3,000万円)とされ、美深町、歌登町、枝幸町に交付された[3]。
美幸線の廃止直後の1985年(昭和60年)10月、鉄道建設公団は、歌登駅の建設予定地に積み上げられていたレール1,300本(単線16km分)と2万本以上のPC枕木を、青函トンネル関連工事(木古内駅から青函トンネルまでの区間用)に転用するべく移動しようとしたが、
353: 2016/10/28(金) 01:36:38.54 ID:WyvZptLl(32/54)調 AAS
事前の照会が公団から無かったため歌登町が反発し、駅予定地への取り付け道路が除雪車などをバリケード代わりに封鎖し、トレーラーでの搬出が阻止されるなどの衝突が起きた。これは翌1986年(昭和61年)2月まで続いた。
美幸線の建設費は中止されるまでに、当時の額で133.4億円が投じられていた[4]。
354: 2016/10/28(金) 01:36:58.25 ID:WyvZptLl(33/54)調 AAS
年表[ソースを編集]
1964年(昭和39年)10月5日 美深 - 仁宇布間 (21.2km) が美幸線として開業[1]。東美深駅・辺渓駅・仁宇布駅を新設。
1981年(昭和56年)9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認。
1984年(昭和59年)2月1日 貨物営業廃止。
1985年(昭和60年)9月17日 全線廃止[2]。名士バスに転換[5]。
駅一覧[ソースを編集]
営業していた区間は全駅北海道中川郡美深町に所在。事業者名は廃止時点のもの。
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線
美深駅 - 0.0 日本国有鉄道:宗谷本線
東美深駅 4.3 4.3
辺渓駅 2.0 6.3
仁宇布駅 14.9 21.2
未成区間[ソースを編集]
仁宇布駅- 北見大曲駅 - 上徳志別駅 - 志美宇丹駅 - 辺毛内駅 - 歌登駅 - 下幌別駅 - (南枝幸信号場) - 北見枝幸駅
仁宇布駅以外のこの区間の各駅は北海道枝幸郡枝幸町に設置が予定されていた。
355: 2016/10/28(金) 01:37:27.36 ID:WyvZptLl(34/54)調 AAS
予定地・廃線跡の活用[ソースを編集]
仁宇布付近の一部の廃線跡は美深町のNPO法人「トロッコ王国美深」によって、1998年(平成10年)からエンジン付きの保線用軌道自転車の運転体験ができる「トロッコ王国」に転用されている。
未成区間にある第二大曲トンネルは北海道道120号美深中頓別線の「天の川トンネル」として転用された。
未成区間のうち約7キロメートルは観光用の鉄道線として転用する計画も挙がっているが、実現には至っていない。
代替バスの状況[ソースを編集]
1985年 名士バスが美深町からの委託で1日5往復の代替バス運行開始。
1990年 仁宇布地区の終点を仁宇布待合所から仁宇布30線に延伸[6]。
2003年 仁宇布30線 - 仁宇布待合所間廃止[6]。
2006年4月 日曜日の運行を中止[6]。
2007年の年間輸送人員は7万7000人まで減少している[7]。
2012年4月1日 路線バス方式からデマンドバス(予約方式)に変更。車両を中型バス車両から、ワゴン車両での運行に変更[8]。
356: 2016/10/28(金) 01:38:17.57 ID:WyvZptLl(35/54)調 AAS
南美深駅
南美深駅
待合所(2004年8月)
待合所(2004年8月)
みなみびふか - Minami-Bifuka
◄W52 智北 (2.3km)(2.7km) 美深 W54►
所在地 北海道中川郡美深町字美深
北緯44度27分46秒
東経142度22分2.2秒座標: 北緯44度27分46秒 東経142度22分2.2秒
駅番号 ○W53
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 95.6km(旭川起点)
電報略号 ミカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1956年(昭和31年)7月1日
備考 無人駅
テンプレートを表示

ホーム(2004年8月)
357: 2016/10/28(金) 01:38:35.67 ID:WyvZptLl(36/54)調 AAS
1977年の南美深駅と周囲約500m範囲の状況。左上稚内方面。稚内側に踏切。見にくいが踏切脇に待合室がある。右下名寄側にペンケニウプ川。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
南美深駅(みなみびふかえき)は、北海道(上川総合振興局)中川郡美深町字美深にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW53。電報略号はミカ。
358: 2016/10/28(金) 01:39:04.39 ID:WyvZptLl(37/54)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
歴史[編集]
1956年(昭和31年)7月1日:日本国有鉄道(国鉄)宗谷本線の智恵文駅 - 美深駅間に南美深仮乗降場(局設定)として新設開業[1]。旅客のみ取り扱い。
1959年(昭和34年)11月1日:旅客駅に昇格。南美深駅となる[1]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継。
2016年(平成28年)7月上旬:JR北海道が当駅と筬島駅(音威子府村)、歌内駅(中川町)を2017年(平成29年)3月のダイヤ改正に合わせて廃止する意向を地元に伝える[2]。
これに対して、美深町は町が駅の維持管理費を負担する形で存続させる意向を伝えた[3]。
359: 2016/10/28(金) 01:39:32.31 ID:WyvZptLl(38/54)調 AAS
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側(稚内方面に向かって右手側)に存在する[4]。分岐器を持たない棒線駅となっている[4]。
開業時からの無人駅[5]で、ホーム北側の出入口から少し離れた位置に待合所を有する[6]。鉄板張りの窓の無い建物である[6]。
出入口上部に「南美深待合所」と記載された駅銘板を掲示する[6]。ホームは木製デッキ式で[6]、稚内方にスロープを有し[7]駅施設外に連絡している。トイレは無い[6]。
駅名の由来[編集]
美深駅の南側に位置したため[8]「南」を冠する。
360: 2016/10/28(金) 01:40:03.35 ID:WyvZptLl(39/54)調 AAS
利用状況[編集]
1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は26人[4]。
1日平均乗車数(2011年 - 2015年の11月調査日の平均)は1人以下となっている[2]。
駅周辺[編集]
数軒の農家があり、田畑となっている。
国道40号
名寄バイパス美深IC
名士バス「美深3線」停留所 - 徒歩10分。
361: 2016/10/28(金) 01:40:31.76 ID:WyvZptLl(40/54)調 AAS
智北駅
智北駅
駅全景(2004年8月)
駅全景(2004年8月)
ちほく - Chihoku
◄W51 智恵文 (2.1km)(2.3km) 南美深 W53►
所在地 北海道名寄市字智恵文
北緯44度27分40.8秒
東経142度23分43.3秒座標: 北緯44度27分40.8秒 東経142度23分43.3秒
駅番号 ○W52
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 93.3km(旭川起点)
電報略号 チホ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1959年(昭和34年)11月1日
備考 無人駅
テンプレートを表示
362: 2016/10/28(金) 01:40:54.34 ID:WyvZptLl(41/54)調 AAS
1977年の智北仮乗降場と周囲約500m範囲の状況。左稚内方面。道路整備前で、駅と踏切の位置が現在と異なる。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
智北駅(ちほくえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市字智恵文にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW52。電報略号はチホ。
363: 2016/10/28(金) 01:41:13.16 ID:WyvZptLl(42/54)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
歴史[編集]
1959年(昭和34年)11月1日 - 日本国有鉄道宗谷本線の智恵文駅 - 南美深駅(当時は仮乗降場)間に智北仮乗降場(局設定)として新設開業[1]。旅客のみ取扱い。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に駅に昇格。智北駅となる[1]。
1990年(平成2年)3月10日 - 営業キロ設定。
1991年(平成3年)11月1日 - 智恵文駅寄りに100m移転[2]。改キロ。
364: 2016/10/28(金) 01:41:39.26 ID:WyvZptLl(43/54)調 AAS
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北側(稚内方面に向かって右手側)に存在する[3]。分岐器を持たない棒線駅となっている[3]。
仮乗降場に出自を持つ開業時からの無人駅[4]で、ホーム東側の出入口附近のホーム上に待合所を有する[5]。軽量鉄骨のプレハブの建物である[5]。ホームは旭川方に階段を有し[5]駅施設外に連絡している。
移設時に有効長を長くした[3]。鉄骨製コンクリート床である。トイレは無い[5]。
いわゆる秘境駅のひとつに数えられる[6]。
ホーム名寄方の手前に北海道道252号美深名寄線の踏切がある。この252号線が整備される以前は、旧道踏切が現在の位置より150m程稚内方に寄った位置にあったため、ホームの位置も100m程稚内方にずれていた。
365: 2016/10/28(金) 01:41:58.94 ID:WyvZptLl(44/54)調 AAS
駅名の由来[編集]
智恵文駅の北側に位置したため「智北」とした[7]。
利用状況[編集]
1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は2人[3]。
駅周辺[編集]
周囲は沼や湿地が多い[5]。田畑が広がる。
北海道道252号美深名寄線
ひぶなの里 ちえぶんパーク[5]
天塩川
智恵文沼 - 駅の目の前にある[5]。
366: 2016/10/28(金) 01:42:42.78 ID:WyvZptLl(45/54)調 AAS
智恵文駅
智恵文駅
駅舎(2011年8月)
駅舎(2011年8月)
ちえぶん - Chiebun
◄W50 北星 (1.9km)(2.1km) 智北 W52►
所在地 北海道名寄市智恵文十一線
北緯44度27分19秒
東経142度24分53秒
駅番号 ○W51
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 91.2km(旭川起点)
電報略号 チフ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1911年(明治44年)11月3日
備考 無人駅
テンプレートを表示

駅舎(2004年8月)

駅の中(2004年8月)
367: 2016/10/28(金) 01:42:59.53 ID:WyvZptLl(46/54)調 AAS
1977年の智恵文駅と周囲約500m範囲の状況。上が稚内方面。千鳥式ホーム2面2線とその外側に貨物積卸用の副本線。駅舎横の名寄側に貨物積卸場と引込み線及びストックヤード。
駅裏のストックヤードは既に使用されていない。また島状のホームの副本線側が植栽され、単式ホームとして使用されているのが確認できる。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
智恵文駅(ちえぶんえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市智恵文十一線にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW51。電報略号はチフ。
368: 2016/10/28(金) 01:43:18.50 ID:WyvZptLl(47/54)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
369: 2016/10/28(金) 01:43:39.26 ID:WyvZptLl(48/54)調 AAS
歴史[編集]
1911年(明治44年)11月3日 - 鉄道院天塩線名寄駅 - 恩根内駅間延伸開通に伴い開業[1][2]。一般駅。
1912年(大正元年)9月21日 - 線路名を宗谷線に改称、それに伴い同線の駅となる[1]。
1919年(大正8年)10月20日 - 線路名を宗谷本線に改称、それに伴い同線の駅となる[1]。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物取扱い廃止。
1984年(昭和59年)
2月1日 - 荷物取扱い廃止。
11月10日 - 出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し連査閉塞扱いの運転要員は継続配置。
1986年(昭和61年)
11月1日 - CTC導入に伴う合理化により交換設備廃止。同時に完全無人化[3]。
- 駅舎改築、貨車駅舎となる[4]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
時期不詳 - 貨車駅舎を改修[5]。
370: 2016/10/28(金) 01:44:18.07 ID:WyvZptLl(49/54)調 AAS
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の西側(稚内方面に向かって左手側、旧1番線)に存在する[4]。
分岐器を持たない棒線駅となっている[4]。かつてはホームが千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[6]。
当時は互いのホームは駅舎側ホーム北側と対向側ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[6]。駅舎側(西側)が下り1番線、対向側ホームが上り2番線となっていた[6]。
そのほか対向側ホーム外側への、主に貨物の留置用もしくは山側からの貨物積卸用として副本線を1線[6]、1番線の旭川方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[6]。
交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲している[4]。
371: 2016/10/28(金) 01:44:49.76 ID:WyvZptLl(50/54)調 AAS
無人駅となっている。駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接している[4]。有人駅時代からの駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[5]を改造した貨車駅舎となっている[4]。
旧駅舎の基礎の上に設置されている[7]。宗谷本線のほかの貨車駅舎と違い、外壁に華やかな藤色の鋼板が張られている[7]。塗色によるものではなく、完全に新調された外壁で、間隔が細かい波板を使用している[5]。
同時に内部も再整備されている模様である[5]。改築当初は他の貨車駅舎と同様の塗色であったが(1993年(平成5年)3月時点ではこの塗色[4])その後外壁にひまわりの絵が描かれた時期[7]を経て現在の外壁となった[7]。
駅舎内にトイレを有する[7]。かつての2番線ホームは1番線ホームに比べ有効長が短かった[6]。
かつて林業が盛んであった頃は、近隣の山林から切り出した木材の積み出し駅であった。
372: 2016/10/28(金) 01:45:12.01 ID:WyvZptLl(51/54)調 AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「チエプ・ウン・トウ」(魚の沼[7][8]。或いは鮭の入る沼[6][9])に由来する。附近にある、昔からフナ、コイ、ワカサギが豊富に獲れる半月湖の智恵文沼を指す[8]。
また、智恵文沼ではなく、智恵文川沿いにあった別の沼という説もある[4]。
373: 2016/10/28(金) 01:45:37.05 ID:WyvZptLl(52/54)調 AAS
駅周辺[編集]
駅前にレンタサイクルがある[7]。周辺には小さな集落がある。
北海道道252号美深名寄線
天智橋
智恵文郵便局
ピヤシリ牧場[4]
ひまわり畑 - 東京ドーム2個分の広さである[7]。
ひぶなの里 ちえぶんパーク[7]
智恵文沼 - 駅から北西に約1.0km[6]。地名由来の元となった沼とされている[6]。
天塩川
智恵文市街地(旧・中川郡智恵文村中心部) - 国道40号沿い。
名寄市役所智恵文支所
名寄警察署智恵文駐在所
上智恵文郵便局
道北なよろ農業協同組合(JA道北なよろ)智恵文支所
名士バス「智恵文11線」停留所
374: 2016/10/28(金) 01:48:42.29 ID:WyvZptLl(53/54)調 AAS
おーい、協力するぞー
数駅飛んでいるけど、それは別スレでレス済みだ

宗谷本線智恵文駅以北、美深線完了

一応目的は
このスレは、以下の類似荒らしスレを1000レスさせない状態で建て続けた銃刀法違反逮捕者を矯正する目的で埋めています
375
(2): 2016/10/28(金) 01:51:56.02 ID:EQpc1n05(2/10)調 AAS
調子こいでると突然アク禁になるぞ
376
(1): 2016/10/28(金) 01:58:49.52 ID:WyvZptLl(54/54)調 AAS
>>375
アク禁になるときは北海道新幹線荒らしもそうなる
運営は無駄スレを潰すのは黙認しているようなので、問題なし
377: 2016/10/28(金) 02:05:16.15 ID:FHz6Xp55(1)調 AAS
>>375
おまえが言うなw
378: 2016/10/28(金) 02:13:51.60 ID:EQpc1n05(3/10)調 AAS
>>376

へぇ〜〜 荒らしと運命共同体で頑張るってかwww
こりゃ見上げた北海郷土愛だ。
379
(1): 2016/10/28(金) 02:18:35.28 ID:EQpc1n05(4/10)調 AAS
「北海道は全国から好かれている♪」な〜んて勘違いしてる道民がいたらショックかもしれないがなwwww

2chスレ:bizplus

これが好かれてる?北海道へのレスだよ。
380: 2016/10/28(金) 02:26:15.71 ID:EQpc1n05(5/10)調 AAS
今やJR北海道と聞けばロクな評価はない。併せて新幹線も低迷。
お前らは北海道を税金泥棒呼ばわりしてるのはたった約一名だと信じ込みたいだろうがなwww
381: 2016/10/28(金) 02:27:49.19 ID:EQpc1n05(6/10)調 AAS
おまえらd民は全国から見下されてる存在だってことを再認識すべきだ。
382: 2016/10/28(金) 02:57:18.75 ID:4K6QIrEs(1)調 AAS
>>379
かなりの割合でその約1名が奇声をあげてますね
383: 効いてる効いてるww 2016/10/28(金) 03:23:06.44 ID:EQpc1n05(7/10)調 AAS
2chスレ:bizplus

30 : 名刺は切らしておりまして2016/10/28(金) 00:43:06.36 ID:hiQ/3l33
>>19
朝鮮人乙
384: 2016/10/28(金) 08:21:55.43 ID:JQnYsXGs(1/50)調 AAS
北星駅
北星駅
ホーム(2004年8月)
ホーム(2004年8月)
ほくせい - Hokusei
◄W49 日進 (9.1km)(1.9km) 智恵文 W51►
所在地 北海道名寄市智恵文北星
北緯44度26分29.6秒
東経142度25分41.5秒
駅番号 ○W50
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 89.3km(旭川起点)
電報略号 ホク
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1959年(昭和34年)11月1日
備考 無人駅
テンプレートを表示

駅舎(2004年8月)
385: 2016/10/28(金) 08:22:13.08 ID:JQnYsXGs(2/50)調 AAS
1977年の北星駅と周囲約500m範囲の状況。左上稚内方面。ホームが小さく、草に覆われているためか分かり難い。
真ん中が丸くなったアルファベットのWの形の道路の中心を、右上から細道が一直線に貫いていて、それが線路に到達した処の右に、ぼんやり白く3mm程度の長さで見えるのがホームの一部。
細道の道路と駅の中間にある建物が待合室。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
北星駅(ほくせいえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市智恵文北星にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW50。電報略号はホク。
一部の普通列車は通過する。
386: 2016/10/28(金) 08:22:32.87 ID:JQnYsXGs(3/50)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
387: 2016/10/28(金) 08:22:49.00 ID:JQnYsXGs(4/50)調 AAS
歴史[編集]
1959年(昭和34年)11月1日:日本国有鉄道(国鉄)宗谷本線の智東駅 - 智恵文駅間に新設開業[1]。旅客のみ取扱い。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継。
2016年(平成28年)10月2日:JR北海道が名寄市に対して、当駅を2017年(平成29年)3月実施予定のダイヤ改正で廃止する意向を伝えたと報道される[2]。
388: 2016/10/28(金) 08:23:20.87 ID:JQnYsXGs(5/50)調 AAS
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北東側(稚内方面に向かって右手側)に存在する[3]。分岐器を持たない棒線駅となっている[3]。
開業時からの無人駅[4]で、ホーム北側の出入口から少し離れた位置に待合所を有する[5]。農機具置き場を思わせる[5][6]老朽化した、下見板張りの木造[5]の建物で、舎内も木目がむき出し、窓枠も木枠のままとなっている[7]。
外側の窓の上部には「毛織の北紡」と記載された年代物の赤い看板が掲示されており、目立っている[5]。かつてはホーム側から見て待合所の左手側[7]に、便器が取り外されていた[6]木造の小さなトイレがあったが、2010年(平成22年)までに撤去された[7]。
ホームは木製デッキ式で[5]、稚内方にスロープを有し[3]駅施設外に連絡している。ホームへのアクセスは畑の中の小道を利用し、その中間に待合室があるが、ホームから15m程も離れた位置にある。
389: 2016/10/28(金) 08:23:55.87 ID:JQnYsXGs(6/50)調 AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、当所名寄の北側に位置したため集落名を「北山」としたが[8]、
後に地名を変更し[3]「北」の字と輝く「星」の字を合わせて「北星」とした[8]。

駅周辺[編集]
周囲の人家は農家が4〜5軒のみである[7]。
天塩川
390: 2016/10/28(金) 08:24:37.54 ID:JQnYsXGs(7/50)調 AAS
智東駅
智東駅
智東駅(2004年6月)
智東駅(2004年6月)
ちとう - Chitō
◄日進 (4.7km)(4.4km) 北星►
所在地 北海道名寄市智恵文
北緯44度25分0秒
東経142度27分51.8秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 84.9km(旭川起点)
電報略号 チト
ホーム 1面1線(廃止時)
開業年月日 1924年(大正13年)6月1日
廃止年月日 2006年(平成18年)3月18日
テンプレートを表示
391: 2016/10/28(金) 08:24:57.23 ID:JQnYsXGs(8/50)調 AAS
1977年の智東駅と周囲約600m範囲の状況。左上が稚内方面。相対ホームに駅舎と貨物積卸場及び引込線の一般駅で、特に名寄側に木材貨物のストックヤードが細長く伸びている。
かつてここに木材が沢山積まれていたが、この写真の時点では使われなくなって久しい様である。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
智東駅(ちとうえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市字智恵文智東にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅(廃駅)である。
電報略号はチト。利用者僅少に伴い2006年(平成18年)3月18日に廃駅となった。晩年は冬期休業の臨時駅に降格されていた。
392: 2016/10/28(金) 08:25:23.45 ID:JQnYsXGs(9/50)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
393: 2016/10/28(金) 08:26:28.39 ID:JQnYsXGs(10/50)調 AAS
歴史[編集]
付近には民家が無く駅周辺の道路が除雪されないため、1987年(昭和62年)から冬季は全列車が通過し閉鎖される臨時駅となっていた。
廃止時は冬季閉鎖中であったので、実質的な最終営業日は2005年(平成17年)11月30日となっている。
廃止直前には、営業期間中でも普通列車が2往復(下りは午後の2本、上りは朝夕1本ずつ)しか停車しなかった(停車時刻は通年時刻表に記載されていた)。
1924年(大正13年)6月1日 - 鉄道省宗谷本線名寄駅 - 智恵文駅間に新設開業[1]。一般駅。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1984年(昭和59年)11月10日 - 出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
394: 2016/10/28(金) 08:26:58.98 ID:JQnYsXGs(11/50)調 AAS
1986年(昭和61年)
11月1日 - CTC導入に伴う合理化により交換設備廃止。同時に完全無人化。
駅舎改築、貨車駅舎となる[2]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に臨時駅に格下げされ、冬季は全列車が通過するようになる。
2006年(平成18年)
2月16日 - 貨車駅舎が旧・仁宇布駅へ移設されるため封鎖される。同時に駅入口が早期に立入禁止となる。
3月18日 - 利用者僅少に伴い廃止となる。
7月3日 - 貨車駅舎が旧・仁宇布駅構内のトロッコ王国美深に移設され再利用開始。
7月中旬 - 中継機器室以外の構内設備が完全に撤去される。
395: 2016/10/28(金) 08:27:40.53 ID:JQnYsXGs(12/50)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南西側(稚内方面に向かって左手側、旧2番線)に存在した[2]。
分岐器を持たない棒線駅となっていた[2]。かつてはホームが千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[3]。
互いのホームは駅舎側ホーム南東側と対向ホーム北西側を結んだ構内踏切で連絡した[3]。駅舎側(北側)が上りの1番線、対向側(南側)が下りの2番線となっていた[3]。
そのほか1983年(昭和58年)4月時点では1番線の旭川方から分岐し駅舎南側の貨物ホームへ至る貨物積卸し用の側線を1線と、2番線稚内方から2番線ホーム手前への側線を1線有していた[3]。
また安全側線を上下各1線有していた[3]。
交換設備運用廃止後は線路は側線を含め1993年(平成5年)3月までには撤去された[2]。
396: 2016/10/28(金) 08:28:10.18 ID:JQnYsXGs(13/50)調 AAS
無人駅となっていた。駅舎は構内の北西側に位置しホーム北側に接していた[2]。
有人駅時代からの駅舎は改築され、ヨ3500形車掌車[4]を改造した貨車駅舎となっていた[2]。旧駅舎の基礎の上への設置ではなく、利用されるホームである旧2番線側に位置変更となった[2]。
当時は宗谷本線の貨車駅としては最も南に位置していた駅であった[2]。
いわゆる秘境駅のひとつに数えられていた[5]。
かつて、林業が盛んであった頃には近隣山林から切り出した木材の積み出し駅であった。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、「智恵文村」(当時)の東端に位置することから「智東」と名付けたことに由来する[2][3][6]。
397: 2016/10/28(金) 08:28:37.46 ID:JQnYsXGs(14/50)調 AAS
駅周辺[編集]
晩年の利用者はピヤシリ山、九度山への登山客が主であった[2]。駅前や裏山の周辺には、舗装された細い道と草樹しかない。
金毘羅大権現の碑
スーポロの碑
比翼の滝・辰光の滝
住友ゴム・ダンロップ名寄テストコース
天塩川
駅跡[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
廃駅後、貨車駅舎はトロッコ王国美深にて再利用されることとなり、2006年(平成18年)7月3日に旧・仁宇布駅構内である敷地内に移設された[4]。
398: 2016/10/28(金) 08:29:18.03 ID:JQnYsXGs(15/50)調 AAS
日進駅 (北海道)
日進駅
駅舎(2011年8月)
駅舎(2011年8月)
にっしん - Nisshin
◄W48 名寄 (4.0km)(9.1km) 北星 W50►
所在地 北海道名寄市日進
北緯44度22分54秒
東経142度28分2.8秒
駅番号 ○W49
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 80.2km(旭川起点)
電報略号 ニン
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1959年(昭和34年)11月1日
備考 無人駅
テンプレートを表示
399: 2016/10/28(金) 08:29:54.44 ID:JQnYsXGs(16/50)調 AAS
1977年の日進駅と周囲約500m範囲の状況。上が稚内方面。名寄側に道道939号の踏切があり、待合室はホームから少し離れた道路脇にある。
道路右へは、なよろ健康の森、左へは天塩川を渡って陸上自衛隊名寄駐屯地に至る。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

ホーム(2011年8月)
日進駅(にっしんえき)は、北海道(上川総合振興局)名寄市日進にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW49。電報略号はニン。

目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
400: 2016/10/28(金) 08:30:44.96 ID:JQnYsXGs(17/50)調 AAS
歴史[編集]
1955年(昭和30年)12月1日 - 日進乗降場設置[1]。
1956年(昭和31年)4月 - 待合室設置[1]。
1959年(昭和34年)11月1日 - 日本国有鉄道宗谷本線名寄駅 - 智東駅間に新設開業[2]。旅客のみ取扱い。
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北東側(稚内方面に向かって右手側)に存在する[3]。分岐器を持たない棒線駅となっている[3]。
開業時からの無人駅[4]で、ホーム南側の出入口から少し離れた位置に[3]待合所機能のみの駅舎を有する[5]。小波鉄板張りで、中央出入口部分に小さな合掌を有する駅舎となっている[5]。
駅舎に掲げられている「日進」の駅銘板記載のマークは、名寄市の旧市章である。
ホームは木製デッキ式で[5]、旭川方にスロープを有し駅施設外に連絡している[3]。駅舎とは別棟でトイレ棟を有する[5]。
401: 2016/10/28(金) 08:31:18.42 ID:JQnYsXGs(18/50)調 AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、当地に入植した岐阜県人が、「日進月歩」の意味を込めて「日進」と名付けたことに由来する[6][7]。

駅周辺[編集]
上川盆地が終わり北見山地が近づいてくる位置にある[7]。ホームからはピヤシリ山が望める[5]。畑作地帯である。
北海道道939号日進名寄線
国立薬用植物栽培試験場[5] - 駅から西に約1.0km[7]。
なよろ健康の森
名寄ピヤシリスキー場
なよろサンピラーユースホステル
日進山 - 標高190m。
名寄川 - 駅の西。
天塩川 - 名寄川の西。
名士バス「健康の森」停留所
402: 2016/10/28(金) 08:33:16.31 ID:JQnYsXGs(19/50)調 AAS
名寄駅
名寄駅駅舎(2011年8月)
なよろ - Nayoro
◄W47 東風連 (3.6km)(4.0km) 日進 W49►
所在地 北海道名寄市東1条南6丁目
北緯44度20分58秒
東経142度27分55秒
駅番号 ○W48
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
JR logo (freight).svg日本貨物鉄道(JR貨物)*
所属路線 ■宗谷本線
キロ程 76.2km(旭川起点)
電報略号 ナロ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 441人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1903年(明治36年)9月3日
備考 社員配置駅
みどりの窓口 有
*貨物列車の発着はなし。オフレールステーションを併設。
テンプレートを表示
名寄駅
403: 2016/10/28(金) 08:33:57.41 ID:JQnYsXGs(20/50)調 AAS
なよろ - Nayoro
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
駅構造 地上駅
開業年月日 1919年(大正8年)10月20日(名寄本線)
1937年(昭和12年)11月10日(深名線)
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日(名寄本線)
1995年(平成7年)9月4日(深名線)
乗入路線
所属路線 名寄本線
キロ程 0.0km(名寄起点)
(5.8km) 中名寄?
所属路線 深名線
キロ程 121.8km(深川起点)
?西名寄 (4.0km)
テンプレートを表示
404: 2016/10/28(金) 08:34:30.95 ID:JQnYsXGs(21/50)調 AAS
ホーム(2011年8月)

駅構内(2004年6月)
名寄駅(なよろえき)は、北海道名寄市東1条南6丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)・
日本貨物鉄道(JR貨物)宗谷本線の駅。駅番号はW48。

目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 駅構造
4 貨物駅(名寄オフレールステーション)
5 利用状況
6 駅名の由来
7 かつて販売されていた駅弁
8 駅周辺
9 バス路線
10 隣の駅
10.1 かつて存在した路線
11 脚注
12 参考文献
13 関連項目
14 外部リンク
405: 2016/10/28(金) 08:35:45.06 ID:JQnYsXGs(22/50)調 AAS
概要[編集]
名寄市の中心駅であり、普通列車に加え特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」や快速「なよろ」が停車する宗谷本線の主要駅である。また、運転士の乗務はこの駅を境に稚内方面が宗谷北線運輸営業所、旭川方面が旭川運転所と担当区域が分かれている。
普通列車の運転系統も当駅で同じように分かれるが、1日3往復列車番号を変えて相互に直通する列車もあり、そのうち1往復は旭川 - 稚内間の全線を走破する。
当駅は、1903年(明治36年)9月に開業した。当時は旭川方面から伸びる天塩線(宗谷本線の前身)の終着駅だった。その8年後の1911年(明治44年)11月に路線が恩根内駅まで延伸し、名寄駅は途中駅となった。
406: 2016/10/28(金) 08:36:14.38 ID:JQnYsXGs(23/50)調 AAS
1919年(大正8年)10月には下川町方面へ向かう名寄線(後の名寄本線)が開業し、同線と宗谷本線の乗換駅となった。また1937年(昭和12年)11月には名雨線が開業した。
名雨線は部分開業であったが、5年後の1941年(昭和16年)に深川 - 名寄間が開業し、深名線となった。

1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化により、名寄駅は北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)に継承された。名寄本線・深名線もJR北海道が継承したが、
名寄本線は1989年(平成元年)5月に、深名線は1995年(平成7年)9月に廃止され、名寄駅は開業時と同様に宗谷本線のみの駅となった。
407: 2016/10/28(金) 08:37:07.17 ID:JQnYsXGs(24/50)調 AAS
1977年の名寄駅と周囲約1.8km範囲の状況。上が稚内方面。下中央が宗谷本線、下左が深名線、下右が名寄本線。
深名線と並行して南の天塩川製紙工場(現王子マテリア名寄工場)へ専用線が分岐している。駅の構内には多くの副本線と共に、転車台を持つ大きな機関区が残されている。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
408: 2016/10/28(金) 08:38:14.07 ID:JQnYsXGs(25/50)調 AAS
歴史[編集]
1903年(明治36年)9月3日 - 北海道官設鉄道天塩線士別 - 当駅間の開業時に開設[1]。一般駅。名寄機関庫設置。
1905年(明治38年)4月1日 - 逓信省鉄道作業局に移管[1]。
1911年(明治44年)11月3日 - 天塩線名寄 - 恩根内間延伸開業[1]。
1913年(大正2年)6月2日 - 名寄機関庫設置(北海道鉄道管理局の事務上制定)。
1919年(大正8年)10月20日 - 名寄線(後の名寄本線)開業。
1925年(大正14年) - 扇型機関庫新築[2]。
1927年(昭和2年)6月 - 2代目の現駅舎に改築。
1937年(昭和12年)11月10日 - 名雨線(後の深名線)開業。
409: 2016/10/28(金) 08:38:35.11 ID:JQnYsXGs(26/50)調 AAS
1949年(昭和24年)
2月 - 構内増改築[3]。
6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1950年(昭和25年)2月1日 - 名寄客貨車区設置。
1961年(昭和36年)1月 - 天塩川製紙名寄工場操業開始に伴い専用線使用開始。
1966年(昭和41年)9月 - 天塩川製紙名寄工場第3期増設工事竣工。専用線2km増設。
1967年(昭和42年)6月1日 - コンテナ基地設置[1]。
1968年(昭和43年)10月1日 - みどりの窓口設置。
410: 2016/10/28(金) 08:38:59.52 ID:JQnYsXGs(27/50)調 AAS
1986年(昭和61年)
11月1日 - 荷物取扱い廃止。
11月 - 名寄機関区が旭川機関区名寄支区となる[3]。
1987年(昭和62年)
2月 - 扇型機関庫解体撤去[3]。
4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)に継承[1]。
1988年(昭和63年) - 名寄駅旅行センター開店。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線廃止。
1990年(平成2年) - 名寄駅旅行センターを駅から分離し、旅行センター名寄支店発足。
1991年(平成3年)11月13日 - 宗谷北線運輸営業所発足。
411: 2016/10/28(金) 08:39:19.23 ID:JQnYsXGs(28/50)調 AAS
1995年(平成7年)9月4日 - 深名線廃止。
1996年(平成8年)9月1日 - 貨物列車設定廃止、自動車代行駅となる。
1998年(平成10年) - 「旅行センター名寄支店」の営業を名寄駅に統合。
2006年(平成18年)4月1日 - JR貨物の名寄オフレールステーションを開設。
2009年(平成21年)6月30日 - 駅弁製造・販売元廃業のため同日付で駅弁販売終了。
2016年(平成28年)3月31日 - 旅行センターが営業終了[4]。
412: 2016/10/28(金) 08:39:41.26 ID:JQnYsXGs(29/50)調 AAS
駅構造[編集]
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。駅舎(改札口)は西側1箇所にあり、日本最北のLED発車標導入駅である[5]。
以前は駅舎脇直結の島式ホームがあり2面4線であったが、0番のりばが廃止された後、単式ホームになった[6]。1 - 3番のりばはいずれも折り返しが可能。ホーム間の移動は跨線橋を使う。
留置線が敷設され、夜間滞泊の運用もある。このうち1本は音威子府駅発着で、当駅まで回送して滞泊している。
終日社員配置駅。駅構内にはみどりの窓口(営業時間:7時40分 - 20時50分)・自動券売機・キヨスク[7]がある。
1990年代まで構内にきょくてつストア(物資部)という名称の小型のスーパーマーケットがあった。現在は駐輪場となっている。
413: 2016/10/28(金) 08:41:05.62 ID:JQnYsXGs(30/50)調 AAS
貨物駅(名寄オフレールステーション)[編集]
JR貨物の名寄駅は、コンテナ貨物(JR規格12フィートコンテナのみ)の取扱駅となっている。
コンテナ集配基地の名寄オフレールステーション(略称:名寄ORS)が駅舎北側に併設されており、貨物列車の代行のトラック便が北旭川駅との間に1日5往復運行されている[8]。JR貨物の駅としては最北端に位置している。
かつては1面2線のコンテナホームがあったが、貨物列車の発着が廃止された1996年(平成8年)9月以降、荷役線は使用されずホームのみコンテナ基地として使用されている。
貨物列車の発着がない自動車代行駅となった後、2006年(平成18年)4月の貨物駅の名称整理の際に、名寄オフレールステーションとなっている。
414: 2016/10/28(金) 08:41:30.52 ID:JQnYsXGs(31/50)調 AAS
また1993年(平成5年)ごろまでは岩谷産業名寄LPGセンターへの専用線があり、本輪西駅発送の液化石油ガス (LPG) 輸送用のタキ25000形貨車が到着していた。
また、それより前には王子マテリア名寄工場への専用線もあり、同工場向けの石油輸送用タンク車も到着していた。

駅名の由来[編集]
アイヌ語の「ナイ、オロ、プツ」(川の傍なる河口)が転訛したもの。名寄川が天塩川に注いでいることから。
415: 2016/10/28(金) 08:41:50.80 ID:JQnYsXGs(32/50)調 AAS
かつて販売されていた駅弁[編集]
角舘商会
蝦夷っ子ちらし寿し(1050円) - スーパー宗谷へ積み込み
牡蠣帆立弁当(940円)
北の味きのこごはん(940円)
ニシンカズノコ弁当(840円) - スーパー宗谷へ積み込み
みそ豚丼(750円)
たこ寿し(730円)
駅売店のほか、ワゴン販売のある特急「スーパー宗谷」の車内でも販売されていた。なお、角舘商会は2009年(平成21年)6月30日限りで廃業した[9]。
416: 2016/10/28(金) 08:42:19.52 ID:JQnYsXGs(33/50)調 AAS
駅周辺[編集]

SLキマロキ編成(2004年6月)
北海道道540号名寄停車場線
名寄市役所
名寄警察署
名寄警察署駅前交番
名寄郵便局
名寄駅前郵便局
北海道労働金庫名寄支店
北星信用金庫本店
北見信用金庫名寄支店
北洋銀行名寄支店
北海道銀行名寄支店
道北なよろ農業協同組合(JA道北なよろ)名寄支所
日本通運旭川支店名寄営業支店
グランドホテル藤花
名寄せ(なよせ)商店街
名寄6丁目商店街
西條百貨店名寄店
山田デパート
北国博物館
SLキマロキ編成
吉田病院
名寄中央整形病院
親林館
プラザよろーな
名寄簡易裁判所
ハローワーク名寄
名寄労働基準監督署
上川総合振興局名寄庁舎
国道40号・国道239号
417: 2016/10/28(金) 08:42:48.29 ID:JQnYsXGs(34/50)調 AAS
バス路線[編集]
2013年(平成25年)4月1日に「駅前交流プラザ『よろーな』」がオープンし、同日より併設されたバス乗り場に発着する[10][11]。
名士バス
名寄市内路線、下川町・興部町方面(JR名寄本線廃止代替)など郊外路線を運行。路線詳細はバス事業者記事を参照。
ジェイ・アール北海道バス
幌加内町方面(JR深名線廃止代替)へ運行。路線詳細は深名線 (ジェイ・アール北海道バス)を参照。
道北バス(案内所を設置)
士別市・旭川市方面への郊外路線、札幌市方面(北海道中央バス共同運行)および音威子府村・枝幸町・猿払村方面(宗谷バス共同運行または宗谷バス単独運行)への都市間バスを運行。
路線詳細はバス事業者記事を参照。
418: 2016/10/28(金) 08:45:30.10 ID:JQnYsXGs(35/50)調 AAS
中名寄駅
中名寄駅

なかなよろ - Naka-Nayoro
◄名寄 (5.8km)(3.9km) 上名寄►
所在地 北海道名寄市字朝日
北緯44度19分51.8秒
東経142度30分45.6秒座標: 北緯44度19分51.8秒 東経142度30分45.6秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 5.8km(名寄起点)
電報略号 ナヨ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1947年(昭和22年)9月21日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
419: 2016/10/28(金) 08:46:00.88 ID:JQnYsXGs(36/50)調 AAS
1977年の中名寄駅と周囲約500m範囲。右が紋別方面。石積み土盛のしっかりとした作りの単式ホームを持つ。無人化される直前で、駅舎はプレハブの待合室に変わる前の木造のもの。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
中名寄駅(なかなよろえき)は、北海道(上川支庁)名寄市字朝日にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はナヨ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。

目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 利用状況
5 駅周辺
6 駅跡
7 隣の駅
8 脚注
9 関連項目
420: 2016/10/28(金) 08:46:19.73 ID:JQnYsXGs(37/50)調 AAS
歴史[編集]
1947年(昭和22年)9月21日 - 運輸省名寄本線の中名寄仮乗降場(局設定)として開業。旅客のみ取扱い。[1]
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1950年(昭和25年)1月15日 - 駅に昇格。中名寄駅となる[2]。荷物取扱い開始[1]。
1963年(昭和38年)4月1日 - 業務委託化[2]。
1978年(昭和53年)12月1日 - 荷物取扱い廃止[1]。同時に無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
421: 2016/10/28(金) 08:46:38.18 ID:JQnYsXGs(38/50)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[3]。
無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、興浜北線豊牛駅や斜内駅と同型[4]のプレハブ駅舎[5]となっていた。駅舎は構内の北側に位置しホームに接していた。[3]。
422: 2016/10/28(金) 08:47:06.75 ID:JQnYsXGs(39/50)調 AAS
駅名の由来[編集]
名寄川沿いにあり、上名寄と名寄の中間に位置したため[6]、「名寄」に「中」を冠する。

駅周辺[編集]
国道239号(下川国道)[7]
名寄市立中名寄小学校
名寄川[7]
名士バス「中名寄5線」停留所
423: 2016/10/28(金) 08:47:32.97 ID:JQnYsXGs(40/50)調 AAS
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では駅舎が残存しており、舎内には現役時代の看板やポスターが保存されていた[5]。2010年(平成22年)時点でも駅舎は残っており、旧構内裏手にはブロック造りの鉄道官舎も残存していた[8]。
2011年(平成23年)時点では駅銘板も設置されたままで、名寄本線のほかに深名線の遺物の一部も集められていた[4]。駅舎はバス停として利用されている。
424: 2016/10/28(金) 08:48:23.19 ID:JQnYsXGs(41/50)調 AAS
上名寄駅
上名寄駅

かみなよろ - Kami-Nayoro
◄中名寄 (3.9km)(2.4km) 矢文►
所在地 北海道上川郡下川町上名寄
北緯44度18分59秒
東経142度33分25秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 9.7km(名寄起点)
電報略号 カヨ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1919年(大正8年)10月20日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
425: 2016/10/28(金) 08:48:39.94 ID:JQnYsXGs(42/50)調 AAS
1977年の上名寄駅と周囲約500m範囲。無人化直前の姿。右下が紋別方面。千鳥式ホーム2面2線と、駅横名寄側、駅裏紋別側にそれぞれ引込み線を有するが、引込み線やストックヤードは使用されなくなって久しいようである。
無人化後は駅舎ホーム側に棒線化された。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
上名寄駅(かみなよろえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町上名寄にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はカヨ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
426: 2016/10/28(金) 08:48:58.81 ID:JQnYsXGs(43/50)調 AAS
目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
427: 2016/10/28(金) 08:49:33.34 ID:JQnYsXGs(44/50)調 AAS
歴史[編集]
1919年(大正8年)10月20日 - 鉄道院名寄線名寄駅 - 下川駅間開通に伴い開業。一般駅[1]。
1921年(大正10年)
3月25日 - 線路名を名寄西線に改称、それに伴い同線の駅となる。
10月5日 - 線路全通に伴い線路名を名寄線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1960年(昭和35年)9月15日 - 貨物取扱い廃止[1]。
1978年(昭和53年)12月1日 - 荷物取扱い廃止[1]。同時に出札・改札業務を停止し旅客業務について無人化。但し閉塞扱いの運転要員は継続配置。
1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備廃止、完全無人化。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
428: 2016/10/28(金) 08:50:42.35 ID:JQnYsXGs(45/50)調 AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。
国鉄時代末期に無人化されるまでは、相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。
互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム東側を結んだ構内踏切で連絡していた[2]。駅舎側(南側)ホームが上り線、対向側ホームが下り線となっていた[2]。
そのほか下り線の遠軽方から北側に分岐し対向側ホーム手前附近で行き止まりとなっていた側線を1線有していた[2]。
無人駅扱いの運転取扱い要員のみが配置されていた時期を経て完全無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。
429: 2016/10/28(金) 08:51:08.60 ID:JQnYsXGs(46/50)調 AAS
駅舎は構内の南側(遠軽方面に向かって右側)に位置し上り線ホーム中央部分に接していた。ホームの長さは50mで2輌編成の列車がやっと停車出来る長さであった[2]。

駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、名寄川の上流に位置したため[3]、「名寄」に「上」を冠する。
駅周辺[編集]
国道239号(下川国道)[4]
上名寄郵便局
名寄川[4]
名士バス「上名寄12線」停留所 - 駅名標が現存する
430: 2016/10/28(金) 08:51:43.30 ID:JQnYsXGs(47/50)調 AAS
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では貯木場となっており跡形も無くなっていた[5]。
2010年(平成22年)時点では駅跡付近の国道沿いのバス停留所に駅名標が設置されているのみであった[6]。2011年(平成23年)時点でも同様であるが、この駅名標は新しく設置されたレプリカで、上部に「上名寄駅跡」と記載されていた[7]。
また駅跡地は仮囲いで囲われており、建築資材などが保管されている模様であった[7]。
431: 2016/10/28(金) 08:55:43.97 ID:JQnYsXGs(48/50)調 AAS
わいも協力したるわ

名寄から名寄本線に入ったわい

え、宗谷本線名寄駅以北、名寄本線名寄駅〜上名寄駅はレス済

これを書かなければならないんか
目的は
このスレは、以下の類似荒らしスレを1000レスさせない状態で建て続けた銃刀法違反逮捕者を矯正する目的で埋めています
432: 2016/10/28(金) 08:59:10.05 ID:JQnYsXGs(49/50)調 AAS
ネットでも「延伸すれば黒字だから問題ない」との意見が多くなってきている
なのに、日本語らしい文字の羅列を2chだけ荒らししても無駄やろ
道庁行って抗議しろやボケ
433: 2016/10/28(金) 09:00:16.55 ID:JQnYsXGs(50/50)調 AAS
札幌駅まで歩いて行けたのだから、道庁にも歩いて行けるだろ
434: 2016/10/28(金) 12:25:10.87 ID:EQpc1n05(8/10)調 AAS
遅れたd民のお仲間同士で、Noと言えない肯定的ぬくぬく議論してるより、
d民はもっと他のスレで全国からどう思われてるか観察したほうがいい。

2chスレ:bizplus
435: 2016/10/28(金) 13:11:17.57 ID:EiAoAzuH(1/2)調 AAS
負けたのはアクバル
436: 2016/10/28(金) 15:36:24.35 ID:EQpc1n05(9/10)調 AAS
これ分かりやすいわ

北海道・東北新幹線 通過速度の比較
動画リンク[YouTube]


コメント欄

>北海道新幹線は東京ー大宮、青函と2度減速区間を通る。
>4時間超えの長距離路線にとっては痛い減速ですね。

>こんな遅いのに、バカ高な割増料金徴収するとは、もはや犯罪レベル!
437: 2016/10/28(金) 15:36:42.33 ID:EQpc1n05(10/10)調 AAS
●東京ー新函館 820km 22690円
●東京ー博多  1170km 22950円

失敗作でも料金は博多並みを頂戴します
438: 2016/10/28(金) 18:41:27.19 ID:CGOBSFG5(1/70)調 AAS
矢文駅
矢文駅

やぶみ - Yabumi
◄上名寄 (2.4km)(1.7km) 岐阜橋►
所在地 北海道上川郡下川町上名寄
北緯44度18分34秒
東経142度35分3秒座標: 北緯44度18分34秒 東経142度35分3秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 12.1km(名寄起点)
電報略号 ヤフ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1956年(昭和31年)10月30日
廃止年月日 1989年(平成元年)5月1日
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
439: 2016/10/28(金) 18:41:55.02 ID:CGOBSFG5(2/70)調 AAS
1977年の矢文駅と周囲約500m範囲。右が紋別方面。紋別側に十六線道の踏切がある。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
矢文駅(やぶみえき)は、北海道(上川支庁)上川郡下川町上名寄にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。
電報略号はヤフ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。
一部の普通列車は通過した(1989年(平成元年)4月30日時点(廃止時の時刻表)で下り1本上り2本(快速運転列車)[1])。

目次 [非表示]
1 歴史
2 駅構造
3 駅名の由来
4 駅周辺
5 駅跡
6 隣の駅
7 脚注
8 関連項目
440: 2016/10/28(金) 18:42:22.07 ID:CGOBSFG5(3/70)調 AAS
歴史[編集]
1956年(昭和31年)10月30日 - 日本国有鉄道名寄本線の矢文仮乗降場(局設定)として開業[2]。
1959年(昭和34年)11月1日 - 駅に昇格。矢文駅となる。旅客のみ取扱い[2]。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。
転轍機を持たない棒線駅となっていた[3]。
仮乗降場に出自を持つ開業時からの無人駅で[3]駅舎および待合所は存在しなかった。ホームは遠軽方にスロープを有し[3]駅施設外に連絡していた。
441: 2016/10/28(金) 18:42:49.28 ID:CGOBSFG5(4/70)調 AAS
駅名の由来[編集]
駅の北方に存在する矢文山に由来する。
駅周辺[編集]
下川町の盆地に入った所に位置した[3]。
国道239号(下川国道)[4]
名寄川[4]
矢文山 - 駅の北。標高422m[4]。
名士バス「上名寄16線」停留所
駅跡[編集]
2000年(平成12年)時点では跡形も無くなっていた[5]。2010年(平成22年)時点[6]、2011年(平成23年)時点でも同様で、遺構は全く残されていなかった[7]。
民間へ売却され農地となっている。
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