無差別級 (157レス)
1-

117: 闇夜の鮟鱇★ 2012/10/25(木)12:01 ID:???0 AAS
  ●●●続・放射線ホルミシス効果は天才を産むか?●●●(5/5)
  〜〜〜原発反対で大騒ぎする残念な人々について〜〜〜

その点、例のネズミの長寿化実験が重要なのは、
それが全ての死因を総合した話だからです。
毎日1.1mSv(年間402mSv)を浴びたネズミが、
最も長生きしたという分けですね。
  したらばスレ:study_3729

この話が示唆するのは、微弱な放射線を浴びた場合、
仮に、癌で死ぬ可能性がほんの少し増えるとしても、
それ以上に、他の病気で死ぬ確率が減るということですよね。
省35
118: あぼーん [あぼーん] あぼーん AAS
あぼーん
119: あぼーん [あぼーん] あぼーん AAS
あぼーん
120: 闇夜の鮟鱇★ 2013/07/29(月)11:56 ID:???0 AAS
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(1/7)

例の古典講読ですが、去年は平家物語をずっとやっていましたね。
以前には『断絶本』という系統の本を全文講読したことがありますが、
その点、今回の『覚一本』講読は残念ながら抜粋で、
しかもその上に、史実との関連性に重点を置いた内容でしたからね。
文学的な味わいの方は相当、犠牲になっていたように思います。

それで、今年の古典講読もまた平家物語なんですが、
今度は魅力的な人物を中心に取り上げているようですね。
ただ、講師が女性のせいか、武将の華々しい活躍よりも、
女性中心の地味な話になっているのが、少し物足りない気がします。
省39
121: 闇夜の鮟鱇★ 2013/07/29(月)12:02 ID:???0 AAS
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(2/7)

二つ目の問題として、芭蕉と義仲の関係があります。
松尾芭蕉が、義仲の墓に自分を葬るように遺言したという話は有名ですが、
その結果、芭蕉は実際に大津の義仲寺に葬られて、今も塚が残る分けですね。
しかし、平家物語に登場する多くの人物の中で、芭蕉が最も入れ込んだのが、
木曽義仲だったというのが、私には少し引っかかっていたのでした。
つまり、自分が一緒に葬られたいとまで望んだ相手が、
巷では人気の高い義経ではなくて、むしろ義仲だったということですね。

その点では、去年の講読を聞いていて、少し理由が分かった気がしました。
先ず一つ目に、義仲という人はかなり人情に厚い印象を受けます。
省42
122: 闇夜の鮟鱇★ 2013/07/29(月)12:06 ID:???0 AAS
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(3/7)

そして三つ目のテーマですが……昔から気になっていたのは、
能の『藤戸』でも有名な、例の藤戸の戦いの話なんですね。
一ノ谷で敗れた平家軍がちりぢりに逃れ去った後、
平行盛は改めて、備前児島に陣を構えたようですね。
範頼軍はそれを対岸から攻め落そうとしたのですが、
その時、武将の一人だった佐々木盛綱は地元の漁師から、
『馬で渡れる浅瀬がある』とこっそり教わる分けですね。

しかし、なんとしても先陣の手柄を立てたいと思った盛綱は、
『その男が他の者にも同じことを話すかもしれない』と心配になり、
省43
123: 闇夜の鮟鱇★ 2013/07/29(月)12:16 ID:???0 AAS
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(4/7)

似た話としては、義経軍が勝浦から屋島に徹夜の行軍をする途中、
敵将の宗盛の所に書状を運ぶ男と出会った、という話がありましたね。
義経は、その男を騙して道順を聞いたりした後で、その書状を奪うと、
男を殺す代りに、山中の木に縛りつけて去ったんだそうです。

ここでも下手をすれば、自軍の動きを敵に察知される危険がありますが、
『木に縛りつけておけば、男がそこから脱出する頃には、
屋島での奇襲は終わっている』と計算したんでしょうね。
でも、無用な殺生はできるだけ避けようとする点において、
この辺も、やはり義経軍は文明的な感じを受けます。
省32
124: 闇夜の鮟鱇★ 2013/07/29(月)12:19 ID:???0 AAS
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(5/7)

もう一つ、例の一ノ谷の合戦に関して、平家物語では、
『源平両軍がそれぞれ数万の大軍を擁して対峙した』とありますね。
ところが、当時のある貴族の日記には、
『源氏軍は数千騎に過ぎなかった』という記述があるそうです。

この辺の問題は未だ、未決着らしいのですが、
どうも私には、頼朝軍は一桁少ない数千騎だったとする方が、
信憑性があるように思われたのでした。
というのも、京都で頼朝軍を迎え撃った時の義仲の軍勢は、
既に、実質的には数百騎にまで減っていたという話があるからです。
省36
125: 闇夜の鮟鱇★ 2013/07/29(月)12:25 ID:???0 AAS
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(6/7)

それから、以下は今年度の講読に関して思ったことですが、
例の殿下の乗合事件に関して気になることがありました。
平家物語では、この事件は『祖父の清盛が主導して、
孫の資盛の為に復讐した』ということになっている分けですね。

ところが、歴史の様々な資料からして『実際は、
父親の重盛が息子の為にやったというのが真相である』
という風に考えるのが現代では主流のようです。
つまり、平家物語の中で清盛を悪人として描く上で、
全体の構図を作り変えたのだろう、という話なんですね。
省35
126: 闇夜の鮟鱇★ 2013/07/29(月)12:32 ID:???0 AAS
  ●●●平家物語で気になった幾つかの問題●●●(7/7)

それから、これは直近の話ですが、祇王の話を詳しく取り上げていましたね。
講師としては『ここに描かれる清盛のような男は顔も見たくない』
とか言ってましたが、男と女の感じ方の差なのか、
私には、それほどの悪人とは思えませんでした。(^^;)
というのも、白拍子というのは基本的に、
その芸と体を売ることを生業(なりわい)にしていた分けですからね。

たとえ一晩で追い出されても文句は言えないわけで、
たまたま清盛が気に入って、三年も囲っていたというのが、
ある意味では異常な例外的状態だった、とも言える分けですよね。
省44
127: あぼーん [あぼーん] あぼーん AAS
あぼーん
128: 闇夜の鮟鱇★ 2015/01/13(火)11:48 ID:???0 AAS
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(1/9)

既に音楽総評でも少し触れましたけど、今年の古典講読では、
『奥の細道』を中心に、松尾芭蕉の話をやっていますね。
で、書きたいことが沢山たまっている分けですが、
先ず最初は、芭蕉の内妻の駆け落ち説から触れてみたいと思います。

伊賀上野から上京した芭蕉は暫くの間、日本橋に住んでいたそうですが、
ある時、突然深川に転居してしまい、句風も大きく変わったらしいですね。
で、日本橋時代には既に宗匠の地位を得て、名声を確立していたのに何故、
わざわざ深川みたいな辺鄙な所に引っ越したのかが不可解な分けですね。
そこで色々な人がその転居の謎を探っているそうですが、
省39
129: 闇夜の鮟鱇★ 2015/01/13(火)11:52 ID:???0 AAS
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(2/9)

次に触れなければならない問題として、捨て子の件がありますね。
『野ざらしを 心に風の しむ身かな』という秀句で始まるのが、
有名な『野ざらし紀行』の旅なんですが、その中に次の句がある、
ということを今回の放送で知りました。
  猿を聞く人 捨子に秋の 風いかに

富士川のほとりで芭蕉が三歳位の捨て子に出会った時、
手持ちの少しの食い物を投げ与えて、その場を立ち去り、
この句を作ったということのようです。
  富士川のほとりの捨て子
省42
130: 闇夜の鮟鱇★ 2015/01/13(火)11:55 ID:???0 AAS
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(3/9)

その点で、ちょっと引っかかるのが、芭蕉の回りの風狂人たちなんですね。
例えば、この句を作った後に立ち寄った名古屋でも俳諧興行があって、
そこには裕福な町人階級も在席していたみたいですね。
江戸でも当然、同様の階層の人々が周囲にはいたわけです。
でも、その裕福な町人という概念がもうひとつ、しっくり来ない分けですね。

芭蕉が半ば死ぬ覚悟で紙子一枚の旅をするというのに、
彼が出発する時、彼を宗匠と仰ぐような裕福な町人たちは、
もう少しましな着物を恵んでやろうとは思わなかったんでしょうかね。
実際の所は、芭蕉が衣類を貰って作ったという俳句も散見しますが、
省39
131: 闇夜の鮟鱇★ 2015/01/13(火)11:59 ID:???0 AAS
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(4/9)

で結局、気づいたのは捨て子が社会現象になる為には、
一定の社会的条件が必要だったのではないかということですね。
先ず、第一には十分に温暖な気候でないと、
捨て子はすぐに凍え死んでしまうような気がします。
その点では、中国の華北地方のような寒冷地では、
捨て子は起りにくかったのではないでしょうか。

そして、第二には捨て子を拾って育てられるだけの状況、
つまり、社会的な余裕が不可欠だったかもしれませんね。
例えば、戦乱続きで庶民が食うや食わずの状態の場合、
省40
132: 闇夜の鮟鱇★ 2015/01/13(火)12:02 ID:???0 AAS
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(5/9)

さて、その先の名古屋で開いた句会で芭蕉が披露したのが次の発句でした。
  狂句こがらしの 身は竹斎に 似たる哉
  (きゃうくこがらしの みはちくさいに にたるかな)
『狂句こがらし』という所は『狂句(俳諧)に焦がれる私』の意味に、
『木枯らしに吹かれてきた私』を掛けているのだと放送で言ってましたね。

始めは、ちょっと無理な解釈のような気もしたんですが、
突きつめて考えてみると、これは大正解かもしれませんね。
だって、ここでわざわざ『狂句こがらし』と直接、続けている以上、
そう取る以外に、道はなさそうですからね。
省41
133: 闇夜の鮟鱇★ 2015/01/13(火)12:06 ID:???0 AAS
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(6/9)

他方、古池やの句は『蛙合』(かわずあわせ)という句集にあるそうですが、
芭蕉さんも、ある意味では商売上手だったと言うべきでしょうか。
この句がここまで有名になったのも、その句合(くあわせ)に参加した、
大衆が広めた結果に違いないでしょうからね。

その点では、芭蕉が杉山杉風に与えたという『あつめ句』にしても、
自薦句とか言われていますけど、何やら大衆迎合の臭いがします。
全体に選句が甘いですし、その名前にしてもぞんざいですから、
これは多分、杉風が好む句を選んで書き与えたものではないでしょうか。

結局、現代のシンガーソングライターにしてもそうですが、
省38
134: 闇夜の鮟鱇★ 2015/01/13(火)12:08 ID:???0 AAS
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(7/9)

さて、次に気になったのがこの句の読み方の話でした。
  蚤虱 馬の尿する 枕もと
  (のみしらみ うまのしとする まくらもと)
最近の研究の成果で、ここの尿はシトではなくバリと読むべきだ、
とか言っていたんですが、私にはちょっと信じがたい話でした。

古い書き物を調べる内に、そこをバリと表記したものがあった、
だから芭蕉はバリと読んでいたのに違いない、というんですけどね。
そもそも、そんなことを言いだした奴は、
俳句のハの字も知らないんじゃないか、とさえ思いましたね。
省34
135: 闇夜の鮟鱇★ 2015/01/13(火)12:11 ID:???0 AAS
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(8/9)

他方では、俳句の鑑賞でひとつのポイントとなる問題として、
いわゆる字余りの句をどう味わうべきかということがあります。
例えば、野ざらし紀行の芭蕉の句では、
  牡丹蘂深く 分け出づる蜂の 名残かな
  (ぼたんしべふかく わけいづるはちの なごりかな)
も名句だと思いますが、これも随分な字余りなわけですね。

で、この手の字余り句を鑑賞する為の方便として、
私としては俳句を 5・7・5 の字数で理解する代りに、
3・4・3 のリズムで理解することを推奨したいと思います。
省24
136: 闇夜の鮟鱇★ 2015/01/13(火)12:13 ID:???0 AAS
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(9/9)

それから、この講読では以前から『芭蕉の紀行文では何故か、
後半になると発句ばかりで文章が減る』という話が出ていましたね。
当初の私は『当時の旅の大変さを考えるなら、後半はバテて来て、
文章を残すのもおっくうになるのではないか』と考えていました。
しかし、放送ではその後の種明かしとして、
『芭蕉は序破急に従ったのだ』とか言っていましたね。

能を始め、日本の芸能を貫く精神として、この序破急は有名ですが、
芭蕉が紀行文を書く時も、そうした美学を意識して、
後半はさっと切り上げようとしたんでしょうか。
省26
1-
あと 21 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.015s