無差別級 (157レス)
1-

129: 闇夜の鮟鱇★ 2015/01/13(火)11:52 ID:???0 AAS
  ●●●芭蕉句を添削する●●●(2/9)

次に触れなければならない問題として、捨て子の件がありますね。
『野ざらしを 心に風の しむ身かな』という秀句で始まるのが、
有名な『野ざらし紀行』の旅なんですが、その中に次の句がある、
ということを今回の放送で知りました。
  猿を聞く人 捨子に秋の 風いかに

富士川のほとりで芭蕉が三歳位の捨て子に出会った時、
手持ちの少しの食い物を投げ与えて、その場を立ち去り、
この句を作ったということのようです。
  富士川のほとりの捨て子
  http://www.bashouan.com/Database/Kikou/Nozarashikikou_02.htm

でも……果たして、この捨て子を見殺しにしてよかったのか、
俳句など作っている場合じゃなかったんじゃないかと、
後世の人々からは様々な疑問が投げかけられているようです。
その点で私がひとつ気になっているのは、果たして、
同時代人の批判があったのかどうかという点なんですね。

というのも一方には、現代と比べた場合の当時の圧倒的な貧しさがあり、
それと並行して、命の重さも時代によって大差がある分けですからね。
現代的な感傷から安易に芭蕉を批判するとしたら、
余りに無責任で一方的という気がします。
その意味で大切な事は、当時の社会状況についての深い洞察であり、
当時の貧しさに、どれだけの想像力を働かすことができるかですね。

例えば、奥の細道の旅では、石巻付近で芭蕉がお湯を貰おうとして、
農民たちに断られたという話が出ていましたよね。
芭蕉がこの旅を計画した時、夏に向かう時期を選んだのは、
当然、北国の寒さを計算した結果でしょうが、その夏ですら、
寒くてお湯を欲しくなることがあった、という分けでしょうかね。
でも、水飲み百姓の異名もある当時の農民からすると、
ふらふら出歩いて俳句なんか作っている芭蕉みたいな存在は、
けしからぬ有閑階級としか見えなかったかもしれませんね。

だって、現代のガス・水道のある生活と根本的に違って、
当時は一杯のお湯を作るのにも、大変な労力を必要としたわけでしょ!?
何しろ、どこかから水を汲んで来て器に入れてかまどにかけたら、
次は山で薪を集めてきて火を付けて……という手順な分けですからね。
仮に水や薪のストックがあったにせよ、それらは貴重品だったわけで、
どこの馬の骨か分からない芭蕉に恵むなんて論外だったんでしょうね。

こういう時代には、旅の途中で行き倒れになることも珍しくない分けで、
芭蕉自身、旅先で野ざらしの骸骨を見ることがあったのではないでしょうか。
場合によっては、まだ息がある行き倒れ人を、
見殺しにして行くしかないケースもあったかもしれませんね。
ですから、旅立ち前の句も決して大げさではないわけで、そうした状況から、
『野ざらしを心に』という悲愴な覚悟も生まれたのだろうと思います。

つまり、これから冬に向かうという季節に、紙子一枚で旅に出る事は、
半ば、死ぬ覚悟が必要だったと言えるのではないでしょうか。
現代のようにダウンのジャンパーでも何でもある時代と違って、
当時、幾ら軽いとは言え、紙子という紙で作った衣一つで、
冬の旅に出るというのは無謀と言うしかないですよね。

まあ、あまり立派な身なりだと逆に追剥が心配かもしれませんが。(^^;)
ともかく、そういう状況では、手持ちの食料を投げ与えると言っても、
我々がポケットのスナック菓子を投げ与えるのとは分けが違いますよね。
それは元々、空腹を満たし旅の疲労を回復する為には不可欠なものであって、
それを投げ与えたのは、ギリギリの決断だったかもしれません。
1-
あと 28 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.003s