おっさんのやり直し日本史を生暖かく見守るスレ (301レス)
1-

122: 2015/12/23(水)14:10 ID:bmk(7/7) AAS
とここで、買い物に行かなきゃいけなくなったので、いったん中断します。
続きはまた後程。

本日中にできれば幸いです。
123: 2015/12/23(水)20:10 ID:qJz(1/5) AAS
まいど。おっさんです。

買い物行ってきました。夕飯も食べました。ついでに酒飲んじゃいました。
少し地球が回っているのを体で感じています。皆さんお元気ですか。僕は元気です。

今、たまたまNHKのためしてガッテンを見てたんだけど、「あっ!」ということをやってましたね。
ケニヤ(だったかな)のマサイ族(だったと思うが詳細不明)の、健康法として抜歯が紹介されてたんです。
抜歯場所は、真正面の下あごの歯。

ええと、解説によると、自然と相対するために、命の危険なことに多く遭遇するため、気絶することもある。
気絶するときに歯を食いしばった状態になることが多い。ところが抜歯をやっておくと、歯並びに穴ができる。
その穴から水などを流し込むことで救助することができる場合があるんだとか。

つまり、縄文時代の抜歯も、「青年期になった証明」のためではなく、日常の安全のために抜歯がされていたのではないか
省2
124: 2015/12/23(水)20:21 ID:qJz(2/5) AAS
それはさておき、続きです。

●6) 239年。卑弥呼が朝貢。「親魏倭王」と認定される。その3

>卑弥呼は、それを権威として、じわじわ攻め寄せてくる本当のヤマト政権をけん制するんですね。
まででしたね。

ではその続きから。

で、けん制できていたのはいいんですが、天文がいたずらをします。
省24
125: 2015/12/23(水)20:26 ID:qJz(3/5) AAS
●7) 247年。邪馬台国の卑弥呼、狗奴国と交戦中。その後死亡。
●8) 邪馬台国乱れる。男が跡を継いだが混乱した。
●9) 卑弥呼一族の女児(13歳。名前は通説イヨ。だがおそらく真実はトヨ)が邪馬台国の頂点に立ったらみんなが落ち着いた。

ということで再掲載。
日本列島で皆既日食。(248年9月5日日出)

おそらくこの男も、「太陽に嫌われた」として殺されちまったんでしょうね。
ちなみに実際当時の様子は。。。。
>男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ。
だったそうです。

ところで
省11
126: 2015/12/23(水)20:34 ID:qJz(4/5) AAS
●卑弥呼の死因 2

卑弥呼の死因。
水銀中毒で死んだ可能性。これが捨て置けない。

実は、硫化水銀というのがあって(ご注意:おっさんは化学はぜんぜんわからないので、単語がでたらめの可能性があります)
硫化水銀は、赤茶けた色をしているんだとか。

卑弥呼が現役だった当時の、魔法の金属といえば、「鉄」。
鉄は最強の農具になる。鉄は最強の武器になる。鉄を手にするものがこの世の勝利者。
しかし「鉄」には弱点もある。それはさびること。

しかし、硫化水銀があれば大丈夫。
メッキをするとさびないから半永久的に、鉄として使える。
省10
127: 2015/12/23(水)20:45 ID:qJz(5/5) AAS
●10) 266年。トヨが普に朝貢

さて、魏をだまして「親魏倭王」の称号を得た卑弥呼。
彼女の死後、国が乱れます。

関雄二説では、このとき、出雲も制覇した近畿軍団がトヨを先頭に邪馬台国を平らげる。
それはいいんだが、北九州のもと邪馬台国があったところをどうするか。

なにしろ魏から「親魏倭王」ってご指名された国なんで、あだやおろそかにすることはできない。
なもんで、魏に顔向けするために、近畿軍団の北九州出張所に様変わりしたなんちゃって邪馬台国ではあるんだけど、
トヨが出張所長として、引き続き卑弥呼の二代目のような顔をするわけです。

ところが今度は肝心の魏が崩壊してしまうw
崩壊後、できた「晋」に対してトヨは朝貢するんですが、ここで発信が途切れます。
省15
128: 2015/12/26(土)23:09 ID:wMJ(1/2) AAS
みんなもニュースはソースを見てから論じる癖をつけようぜ
129: 2015/12/26(土)23:09 ID:wMJ(2/2) AAS
ゲ、誤爆。スマソ。
130: 2015/12/31(木)16:14 ID:FUK(1/5) AAS
おっさんです。

年末は、時間があっという間に流れていきますね。
日頃のものぐさがたたって、この土日は大掃除だらけでした。

今小休止で一息ついています。

今年はこれで終わりますが、また来年続けます。
今年の続きをやりますが、その前に、せっかくの年頭なんで、日本史を俯瞰した話を年の初めにやりたいと思います。
その後、今日までの続きをやるということで。

ちなみに今日は、今までメモ書きしていた卑弥呼関係のメモをコピペします。
省2
131: 2015/12/31(木)16:15 ID:FUK(2/5) AAS
●魏志倭人伝 翻訳全文
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/wazinnden.htm

詳細は上記を見てもらうとして、印象的だったところをいくつか抽出してみました。

・風習
役人は4〜5人、庶民でも2〜3人の奥さんがいる。
犯罪を犯したら、軽い犯罪ならその妻子を没収して奴隷にする。重い犯罪なら、家族はもとより、親族を含めて全員死罪。

・卑弥呼と後継者
247年、狗奴国の卑弥弓呼と戦う。現在死亡。葬儀では奴隷百人を生き埋めして卑弥呼の死体に献上した。
その後男王を擁立したがうまくいかなかった。その後、卑弥呼一族の娘「トヨ」13歳)を代表にしたら国が治まった。

●魏志倭人伝からわかること
省20
132: 2015/12/31(木)16:16 ID:FUK(3/5) AAS
●現在の日本地図から推測できる当時の状況(クニ同士の力関係)

まず山口県と北九州地方が大きく描かれている日本地図と、
朝鮮半島と日本を含むアジア地図の2枚をご用意ください。

アジア地図の上下をひっくり返して眺めると、大陸側から把握していた形の日本が見えてきます。
すると、対馬を飛び石にして、北九州が玄関、出雲地方も玄関グループに属していることが分かります。
大阪や京都、奈良のあたりは奥座敷です。

で、当時貴重なレアメタルである「鉄」の産出地は南朝鮮の最南端にあった。
ここで北九州地図をご覧ください。

狭い狭い関門海峡を押さえると、大陸と大阪・京都・奈良の交通はだめになっちゃいます。
この狭さなら当時の軍事力でもにらみを利かせることが可能。
省15
133: 2015/12/31(木)16:16 ID:FUK(4/5) AAS
●卑弥呼の死因2 日食原因による暗殺説:

実は天文学の研究から、太陽の日食が卑弥呼の死亡時期と重なっていたことが分かっている。
卑弥呼は、「日の巫女」であり、太陽神をつかさどる巫女。それが日食と出会ってしまったということは、
周囲の者からみると、「太陽神に嫌われてしまった卑弥呼」とみられてもしょうがない。
日食のあった日の夜に殺された可能性もある。

また、日本の神話の天岩戸の話もこのころの記憶が織り込まれているものと思われる。(これは余談)

・参考
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-4.htm
>最近の、斎藤国治氏、加藤真司氏、橘高章氏などの研究によれば、
> 西暦247年と西暦248年と、2年つづけて、皆既日食といえる日食があった。
省11
134: 2015/12/31(木)16:17 ID:FUK(5/5) AAS
●三角縁神獣鏡

邪馬台国の卑弥呼の物かどうかは別として、当時の「日巫女」たちの必須アイテムである三角縁神獣鏡。
これは三種の神器の一つでもある「鏡」のルーツの可能性があるんだけど、これについて、最近大発見があった。

発見があったのは2014年1月。
最近発明された3Dプリンターの力を借りて、さび付いて出土した三角縁神獣鏡のレプリカを製造することに
成功した。そしてわかったこと。この鏡は魔鏡だったということ。

この鏡の裏には立体的な文様がつけられている。
しかも鏡は薄い。

そのため、この鏡で太陽光を反射させると、その反射光に、鏡の裏の立体的な文様が影響を与える。
なのでそれを見た当時の人たちは、太陽光を操る神の力を感じていた可能性がある。
省6
135: 2016/01/02(土)13:04 ID:EJm(1/3) AAS
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

●日本史の俯瞰 5つの事件とともに。

昨年の続きを始めるわけですが、その前に、せっかくの正月なんで、本日は、日本史をざっくりと俯瞰してみたいと思います。

日本史では、その政体を変えるほどの衝撃を受ける大事件、あるいは単発としては弱いかもしれないけど
前後の分岐点になっていたような事件など、時代の曲がり角になる大きな出来事がいくつかあります。

おっさんはその曲がり角の事件として、ざっくりと5つ取り上げることにしました。
その5つの事件とその周辺を俯瞰することで、日本史全体を見つめてみたいと思うわけでです。
ではよろしくお願いします。
省21
136: 2016/01/02(土)13:15 ID:EJm(2/3) AAS
○承久の乱前後

中央集権化に成功した天皇。
その右腕となるべき人物は誰か。その地位をめぐって暗闘が繰り広げられる。

奈良時代の80年間は、藤原氏と、その他の氏による。
この地位の奪い合いだった。

平安時代には藤原全盛となる。
平安時代は約400年。そのうち半分の期間を摂関政治として藤原氏が独占する。
日本中の土地が藤原氏のものになってしまったといわれたものこのころの話。

しかし、政治はおろそかになり、民の世界は混乱が始まり、やがて、武士が力をつけてくる。
省10
137: 2016/01/02(土)13:50 ID:EJm(3/3) AAS
○関ヶ原の戦いの前後

鎌倉幕府は、元寇などにより弱体化。機を見て後醍醐天皇が討幕の命令。
鎌倉幕府にがっかりしていた連中が手を貸して、鎌倉幕府は滅亡。

天皇が新政を始めたのはいいけれど、これが恐るべき無能。

天皇「裁判は全部俺がやる」
御家人「やってくれ」
天皇「容量オーバーのためゲームオーバー」
御家人「だめだこりゃ」
 
省18
138: 2016/01/02(土)18:56 ID:K7n(1) AAS
酒飲んで寝ちゃいましたw

目覚めたらなんか勢いがなくなっちまったんで、あと(=明治維新以後)は省略してw
まとめますね。

ポイントは「壬申の乱」が一番重要。
ちょうど内憂外患状態で激烈な体質改善が求められる時代の真っただ中にあって、その要求に見事答えたっていう点。

次に重要なのが、「大政奉還」。
大政奉還そのものが重要というのではなく、時代の流れをみると壬申の乱をなぞっているという点。
重大さからいうと甲乙をつけがたいんだけど、壬申の乱は最初だし、大政奉還(というか明治維新)は
壬申の乱(というかそれ以降の改革の一連)の模倣の部分が結構あるんで大政奉還は、壬申の乱の下位に付けます。

この2つが、太い線で引かれる時代の分岐点。
省19
139: [:] 2016/01/03(日)02:16 ID:kJz(1/2) AAS
見てます
140: 2016/01/03(日)16:06 ID:MgY(1/4) AAS
ありがとうございます。
ギャラリーが一人でもいると励みになります。

さて、本日からは、昨年の続き。
古墳時代にはいります。
古墳時代は、ざっくりと4世紀〜6世紀の約3百年間。

このうち、4世紀は大和政権が形作られた、つまり現在につながる日本の原型が形成されたという、非常に重要時期。
にもかかわらず、文章がこのされていない。なのでどのようにどうなってきたのかよくわかっていない。
この辺りは辛いですね。「謎の4世紀」と言われているくらいですから。

この辺りは、海外の石碑や古文書、国内の遺跡、
記紀や各地の風土記、神社仏閣の口伝書などに記載されている各種神話
省9
141: 2016/01/03(日)16:12 ID:MgY(2/4) AAS
○古墳の形から、ヤマト政権の勢力の推移が見える

まず、古墳時代に入る直前、弥生時代の終わりのころ(3世紀)。

方形周溝墓、円墳、方墳など、地域によっていろいろな形が作られていました。
言い換えると、地方色が豊かだったわけです。

それが古墳時代になると、その大半が「前方後円墳」となり、一律なものになっていく。
これは、その地域の文化が統一されていったた過程であると考えられます。

もっとはっきり言います。
前方後円墳は、ヤマト政権のランドマーク、社章みたいなものです。
省4
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