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高天原にある卑弥呼の墓 ◆4 (1002レス)
高天原にある卑弥呼の墓 ◆4 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/
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19: 日本@名無史さん [] 2019/08/31(土) 10:07:20 国土地理院HP より http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/114_23.jpg 見事な塚ですねwww http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/19
21: 日本@名無史さん [] 2019/08/31(土) 15:21:12 http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/114_29.png 152m 径百余歩 隣に蜘蛛塚もある。 文句あるまい。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/21
68: 日本@名無史さん [] 2019/09/12(木) 14:41:06 飛鳥博物館の須弥山石 https://www.asukanet.gr.jp/JPEGs/suminoyama.JPEG 銅鐸と似ている。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/68
75: 日本@名無史さん [] 2019/09/16(月) 00:02:26 国土地理院の地図 https://9327.teacup.com/zenyamaren/img/bbs/0002467M.jpg 見よ、径百余歩 https://9327.teacup.com/zenyamaren/img/bbs/0002467_2M.png 卑弥呼の墓、高天原にあった。 神話の世界などありはしないという自惚れた現代人に対して強烈なしっぺ返し。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/75
101: 日本@名無史さん [] 2019/09/18(水) 09:03:49 諸葛亮伝「山に因りて墳を為し、冢は棺を容るるに足る」 高天原(御所市高天)は諸葛亮伝そのままではないか。 http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/114_0.png http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/101
241: 日本@名無史さん [] 2019/10/23(水) 23:49:22 後の天皇家の出自について それはやはり筑後の山門だろうね 物部氏ゆかりの土地でもあるし > 331 :名無しさん@1周年 :2019/09/10(火) 18:19:03.66 ID:yjDSp0sY0 >>>300補足 > のちの大連・物部氏の故地が福岡県みやま市瀬高町太神にある「こうやの宮」と呼ばれる場所 > 正式名称は磯上物部神社 > 久留米の高良大社にある高良記天慶神名帳に「礒上物部神(いそのかみもののべしん)」と書かれている > > そこには5体の神像が祀られていてそのうちの一つが手に七支刀を持っている > 明治7年に奈良県天理市の石上神宮で七支刀が発掘されるよりも古くからこの地に祀られていた > 物部氏の像と考えられており、物部氏が九州出自の氏族であることを示している > カバネが臣ではなく連なのもこのためだろう > https://stat.ameba.jp/user_images/20190526/11/kenbuncho2017/1b/e2/j/o1475087514416523027.jpg > > そしてこの磯上物部神社のある場所こそまさに筑後国山門郡にあたり、邪馬台国があった場所と考えられる > 地名の太神(オオガ)は古代にはオオミワと読まれていた > 明らかに畿内大和の祖型となった地である > https://lunabura.exblog.jp/25416518/ > >この地の旧名は筑後国山門郡太神村で、『倭妙類聚抄』には「太神郷」と出てきます。 > >「山門」には「夜万止」(やまと)、 > >「太神」には「於保美和」(おほみわ)と読み仮名がついています http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/241
304: 日本@名無史さん [] 2019/11/04(月) 03:14:15 >>300 >それ以外の範囲に倭王がいたらおかしいだろ。 いるよ。 http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/87_65.jpg 弥生時代の青銅器分布図。 畿内から中部に展開してる銅鐸という呪力を、 九州から瀬戸内に展開している銅剣などの武力が護ってる構図。 この大きな青銅器文明の主こそ大国主。 大国主というのはスサノオの子という個人名ではない、今の天皇と同じく役職名である。 この時点で大きな国の主=倭国王は畿内にいた事が分かる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/304
421: 日本@名無史さん [] 2019/11/24(日) 20:10:28 後漢書における邪馬台国までの里程 大倭王は邪馬台国にいる。 楽浪郡の国境は、その国(倭国のことだが、ここではその王都がある邪馬台国を指すと考えられる)から一万二千里である。 その西北界(倭国の西北の国境)である狗邪韓國からは七千里である。 倭奴国は倭国の南界を極める。 魏略逸文における里程 帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。 魏志倭人伝の邪馬台国までの里程 帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。 対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。 魏志倭人伝の邪馬台国までの日程 帯方郡から邪馬台国(福岡県)まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか) また、帯方郡から投馬国(宮崎県)までは水行20日 邪馬台国時代の遺物の出土状況 http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/421
498: 日本@名無史さん [] 2019/12/04(水) 02:16:39 >>492 >奈良が高天原と言い張るなら、筑紫産まれのアマテラスが奈良高天原に住んでいた理由をアクロバチックに説明してもらわないとね。 平安以前、高天原は金剛山以外に認識されてない。 その高天原と筑紫の関係でいえば、 筑紫に多い多紐細文鏡が流水文銅鐸と一緒に高天原(金剛山)のふもとの名柄から出ている。 http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/142_119_2.png 国宝だ。 その名柄遺跡のある長柄神社の祭神はシタテルヒメ。 下照は天照と対比、古事記の高姫の別名であろう。 そのシタテルヒメは、 父 大国主神 母 多紀理毘売命 この多紀理毘売命が宗像三女神の一人だから、 当時は家制度がなく、女性が嫁に行かないことから考えても、 高姫=天照・下照が多紐細文鏡の【筑紫産まれ】とも符合する。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/498
508: 日本@名無史さん [] 2019/12/04(水) 12:23:30 >>507 >ヤマト朝廷のヤマトは、三輪山の麓にあった王都のことをヤマトといったことに始まる。 三輪山の麓にあった王都は10代崇神以降、景行まで。 それ以前、6代孝安以前、宮は葛城。 適当な事を言わないように。 大和とはおそらく山の門、 金剛山(高天原)と葛城山(鴨=神山)が二柱のように鎮座する葛城、 そしてその二柱とは造化の三神のうちアメノミナカヌシがお隠れになった姿とも重なり、 そして原初の鳥居の姿とも重なる。 https://img-cdn.guide.travel.co.jp/article/911/40966/04284CCAFC2641E5AD2A5D7E6BBCCB8E_LL.jpg http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/508
637: 日本@名無史さん [] 2019/12/20(金) 00:40:49 【筑紫の日向】 筑紫の日向は、しばしば宮崎県のことだと誤解されるが、福岡県のことである。 筑紫の日向の小戸の阿波木原はイザナギが禊をしたところとされており、福岡市西区小戸に比定されている。 この禊で生まれたのが博多に祭られる住吉三神や志賀島に祭られる綿津見三神である。 古事記では天孫降臨の地は「筑紫の日向の高千穂の峰のクジフル岳」とある。 福岡県の高祖山の南側は、別名をクシフル山とも言う。 クシフル山から自分の国土を眺めたニニギの国見の詔に「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり」とある。 宮崎県の日向高千穂では意味が通らないが、福岡県の高祖山なら、福岡平野と糸島平野の間にあり朝鮮半島に向かう博多湾に面している。 「高祖村、椚 二十四戸。慶長の頃、黒田長政、村の南の、野地を開き、田地とすべしと、手塚水雪に命ぜられし書状、今も、農民、田中が家にあり。 其書に、五郎丸の内、日向山に、新村押立とあれば、椚村は、此時立しなるべし。 民家の後にあるを、くしふる山と云、故に、くしふると、云ひしを訛りて、[木毛]と云とぞ。 田中は、元亀天正の間は、原田家より与へし文書、三通を蔵す」 (福岡県地理全誌抜萃目録、恰土郡之部) 考古学的にも、三種の神器を伴う弥生王墓は高祖山の東の福岡平野と西の糸島平野にのみ発見されている。 高祖山には後世に山頂から山麓までを囲む中国式山城である怡土城が作られ、その中に高祖神社がある。その原型が記紀にある高千穂宮だろう。 筑紫の日向にあった伊都国が倭国の王都であり、高祖山の高千穂宮が倭王である天孫降臨の舞台、神武東征の出発地、そして倭国女王卑弥呼の王城である。 ttp://wi12000.starfree.jp/map/afumi_sawara_map_25.gif.html http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/637
642: 日本@名無史さん [sage] 2019/12/20(金) 08:22:49 http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=16019 「発掘された日本列島2014」(文化庁編) P21 縄文時代に稲作はあったのか 縄文時代にも陸稲などの稲作が行われていたと考えられていました。 縄文時代の堆積層や土器の中に、イネのプラントオパールが確認されたこと、 土器についた籾(もみ)の圧痕の発見から、縄文時代後期まで稲作はさかのぼると みなされていたのです。しかし、籾圧痕にシリコンを注入して顕微鏡で観察した結果、 籾にあるはずの針状の突起、「禾(のぎ)」を確認できませんでした。 また米を食べるとされるコクゾウムシ圧痕の有無も調べられましたが、じつはコクゾウムシは コメ以外の雑穀類も食べることが判明し、現在のところ、確実な稲作は弥生時代早期からと いうのが最近の研究者の大方の見解です http://imgur.com/a/JL0VPTK http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/642
781: 日本@名無史さん [] 2019/12/30(月) 12:08:33 安本さんのHPからです。 初期の銅鐸が出雲に現れ、http://yamatai.cside.com/katudou/image/326-06_1.gif 畿内に。http://yamatai.cside.com/katudou/image/326-06_2.gif そして最終的に静岡。http://bbs10.aimix-z.com/gbbsimg/e_asia/87_154.jpg これはどういうことか。 これだけ静岡が突出してるのに何の解釈もできないのはおかしい。 ずばり狗奴国が静岡だからでしょう。 事代主 ┣━━━━━━━━━━━━┓ 天日方奇日方(鴨王) ヒメ(踏鞴五十鈴)媛━━神武 ┣━━━━━━━━┓ 建飯勝 渟名底仲媛━━ 安寧 ┃ ┃ 建甕尻 息石耳 ※ヒメ踏鞴(248年没) ┃ ┃ 豊御気主 トヨ津媛━━ 懿徳 おそらく建甕尻(=タケミカヅチ)がヒメ后の後に立った男王でしょう。 タケミカヅチとタケミナカタの両者の争いは、魏志の「更立男王 國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人」に符合します。 そして敗れたタケミナカタが諏訪神 建甕尻(=タケミカヅチ)が鹿島神 と今日まで呼ばれてるのでしょう。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1567051754/781
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