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850: 2018/08/21(火)07:56 ID:mbTVF/lA(5/9) AAS
外部リンク[html]:www3.nhk.or.jp
即位儀式の高御座 解体作業公開
08月20日 18時04分
来年の皇太子さまの即位に伴う儀式で、皇太子さまがのぼられる「高御座(たかみくら)」を、修理などのために解体する作業が、20日、京都御所で初めて報道陣に公開されました。
この「高御座」は、大正天皇の即位にあわせてつくられたもので、数多くの装飾が施され、高さは6メートル50センチ近くあります。
皇太子さまの即位に伴って、来年10月22日に皇居で行われる儀式「即位礼正殿の儀」では、皇太子さまが「高御座」にのぼり、即位を内外に宣言されます。
「高御座」は、大正天皇、昭和天皇、天皇陛下の即位に伴う儀式で使われたあと、京都御所で保管されていますが、宮内庁は来年の儀式に向けて、ことし6月から解体と組み立ての作業を行って構造を調査したり、修理が必要な場所を確認したりしています。
20日は、「高御座」の台座を囲むように設けられている朱塗りの欄干や、「高御座」の裏側にある階段を解体する作業が初めて報道陣に公開されました。
このうち欄干の解体作業では、作業員たちが留め具を外したあと声を掛け合いながら、慎重に部材を台座から外していました。
「高御座」は、およそ1500の部材に解体されたうえで、来月中に東京まで陸路で運ばれる予定で、その後、屋根や柱の漆の塗り直しのほか、金具の修理などが行われるということです。
省16
851: 2018/08/21(火)07:57 ID:mbTVF/lA(6/9) AAS
外部リンク[html]:www.sankei.com
2018.8.21 07:00
両陛下の「儀装馬車」30年ぶり活用へ、秋から修復、代替わり後の伊勢神宮参拝でご使用か
(1/3ページ)
昭和天皇の即位の礼で使用された儀装馬車1号(宮内庁提供)
ご成婚パレードや即位の礼後の伊勢神宮ご参拝。天皇、皇后両陛下が重要な皇室行事で使われた「儀装(ぎそう)馬車」の修復が今秋にも始まる。来年の代替わりに伴い、皇太子ご夫妻が新天皇、皇后として伊勢神宮参拝時に使用されることを想定。実現すれば皇室の方を乗せた運行は約30年ぶりとなる。昭和3年の製造から90年の歴史を誇る皇室の馬車。昭和、平成を経て次代へと走り続ける。
走る工芸品
漆塗りの車体はえび茶色。胴部に菊葉と唐草の模様をあしらい、金色の菊紋章が中央に輝く。
「馬車は西洋のものだが、随所に日本文化が取り入れられている。“走る伝統工芸品”といってもいい」。馬車を扱う宮内庁職員は誇らしげに語った。
宮内庁が管理する儀装馬車には4種類あり、それぞれ1号、2号、3号、4号と呼ばれる。屋根に金色の鳳凰(ほうおう)を頂く神輿(みこし)のようなデザインの1号は、昭和3年、昭和天皇が即位の礼の際に使用した。現在は馬車庫で保管されている。
省11
852: 2018/08/21(火)21:13 ID:mbTVF/lA(7/9) AAS
外部リンク[html]:www.yomiuri.co.jp
即位礼で昇る高御座、解体進む…1500の部品
2018年08月21日
東京へ移送するため、解体される「高御座」(右は「御帳台」)(20日、京都市上京区の京都御所で)
宮内庁は20日、新天皇が即位を宣言する「即位礼正殿の儀」で昇る「高御座たかみくら」の解体作業を京都御所(京都市上京区)で公開した。
高御座は、約1500の部品で構成され、6月から移送のための解体作業が進んでいる。手順確認のために解体と組み立てを2回繰り返し、3回目の解体が終わった9月、新皇后が昇る「御帳台みちょうだい」とともに東京に陸送される。
宮内庁によると、部品は修繕後、来年9月に皇居・宮殿で組み立て作業が始まる予定。即位礼正殿の儀は来年10月22日に行われる。
動画リンク[YouTube]
外部リンク[html]:news.tv-asahi.co.jp
即位宣言で使用「高御座」 移送に向け準備着々(2018/08/20 18:56)
省17
853: 2018/08/21(火)21:14 ID:mbTVF/lA(8/9) AAS
外部リンク[html]:www3.nhk.or.jp
両陛下 退位前に最後の国体出席 福井県訪問へ
2018年8月21日 17時13分
天皇皇后両陛下が国体、国民体育大会に出席するため、来月28日から3日間の日程で福井県を訪問されることが正式に決まりました。来年4月の天皇陛下の退位を前に、両陛下が国体に出席されるのは今回が最後になります。
宮内庁によりますと、両陛下は来月28日の昼すぎに特別機で小松空港に到着し、車に乗り換えて福井県に入られます。
そして坂井市の教育博物館を訪れ、「全国学力テスト」で上位の成績を収めるなど教育に力を入れていることで知られる福井県の教育の歴史を紹介する展示を視察されます。
翌29日には福井市の県営陸上競技場で行われる国体の開会式に出席し、選手たちの入場行進や、2000人以上の人たちがさまざまなスポーツの動きをダンスで表現する集団演技をご覧になります。
30日には越前市の体育館を訪れ、国体では初めてフェンシングの競技を観戦し、夕方、帰京されることになっています。
天皇陛下は昭和天皇から受け継いで、即位以来毎年、国体に出席してきましたが、来年4月の退位を前に両陛下が出席されるのは今回が最後になります。
外部リンク[html]:www3.nhk.or.jp
省14
854: 2018/08/21(火)21:15 ID:mbTVF/lA(9/9) AAS
外部リンク:www.jiji.com
皇太子ご一家が帰京
静養のため16日から静岡県下田市の須崎御用邸に滞在していた皇太子ご一家は21日夕、帰京された。(2018/08/21-18:36)
外部リンク[html]:www.asahi.com
皇太子さま、高校野球と縁50年 家族の身近にスポーツ
宮内庁担当・緒方雄大2018年8月21日18時12分
貴賓席で笑顔で話す皇太子ご夫妻=8月5日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場
「私の高校野球の最初の記憶は、第50回記念大会の決勝戦、大阪の興国高校と静岡商業高校の試合でした」。8月5日午前、皇太子さまは雅子さまとともに阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)であった第100回全国高校野球選手権記念大会の開会式に出席し、あいさつでこう述べました。50年間、高校野球は皇太子さまにとっても身近な存在だったようです。
「最初の記憶」の試合は、皇太子時代の天皇陛下と皇后さまが開会式に出席した第50回大会(1968年)の決勝戦、興国(大阪)―静岡商(静岡)のことです。皇太子さまは当時8歳です。興国の丸山朗さんと静岡商の新浦寿夫さん(元巨人など)の両エースがマウンドに上がり投げ合い、両チーム合わせて安打は8しか出ない投手戦でした。結果は、興国が1―0で競り勝ち、初優勝を果たしました。
皇太子さまは「白熱した投手戦をよく覚えています」「それ以来、50年にわたり、高校野球を身近なものと感じて応援してきました」と語りました。「殿下はこんなに前から高校野球に関心があったんですね」と驚く東宮職関係者もいました。
省3
855: 2018/08/22(水)21:51 ID:M9mlpQc6(1) AAS
外部リンク:www.jiji.com
両陛下、静養で長野県入り
静養のため、軽井沢に向けて出発される天皇、皇后両陛下=22日午前、JR東京駅(代表撮影)
天皇、皇后両陛下は22日、静養のため北陸新幹線で長野県に到着された。同県軽井沢町に滞在し、27日には群馬県草津町に移動。29日に帰京する。
両陛下はこの時期に軽井沢、草津両町で静養するのが恒例で、来年4月末の退位前では最後となる見通し。滞在中は旧満州からの引き揚げ者が戦後に入植した大日向開拓地での散策や、草津町でのコンサート鑑賞などが予定されている。(2018/08/22-12:59)
外部リンク:mainichi.jp
天皇、皇后両陛下
静養のため軽井沢へ
毎日新聞2018年8月22日 17時38分(最終更新 8月22日 17時38分)
天皇、皇后両陛下は22日、静養のため北陸新幹線で長野県軽井沢町に入られた。23日は戦後に旧満州(現中国東北部)から引き揚げた人々が入植した大日向開拓地を訪問する予定。27日に群馬県草津町に移り、29日に帰京する。
省18
856: 2018/08/23(木)08:23 ID:uJGU6ihM(1/3) AAS
外部リンク[html]:www3.nhk.or.jp
両陛下きょうから軽井沢で静養
2018年8月22日 15時31分
天皇皇后両陛下は、静養のため、22日から長野県軽井沢町を訪問されています。
両陛下は、22日午後1時前、新幹線でJR軽井沢駅に到着し、長野県の阿部守一知事らの出迎えを受けられました。
駅前では、地元の人や観光客などおよそ550人が、歓声をあげたり小旗を振ったりして歓迎しました。
両陛下は、集まった人たちに笑顔で手を振ってこたえたあと、車に乗り込み宿泊先に向かわれました。
両陛下は、今月29日まで軽井沢や群馬県の草津で静養する予定で、23日は、旧満州・今の中国東北部に移り住んだ人たちが、終戦後に帰国して軽井沢町に切り開いた「大日向開拓地」を訪ねられることになっています。
約550人が両陛下を出迎え
長野県軽井沢町のJR軽井沢駅の前では、地元の人や観光客などおよそ550人が天皇皇后両陛下を出迎えました。
省18
857: 2018/08/23(木)08:24 ID:uJGU6ihM(2/3) AAS
外部リンク[html]:www3.nhk.or.jp
両陛下 静養のため軽井沢を訪問
08月22日 15時37分
天皇皇后両陛下は、静養のため、22日から長野県軽井沢町を訪問されています。
両陛下は22日午後1時前、新幹線でJR軽井沢駅に到着し、長野県の阿部守一知事らの出迎えを受けられました。
駅前では、地元の人たちや観光客などおよそ550人が歓声を上げたり小旗を振ったりして歓迎しました。
両陛下は、集まった人たちに笑顔で手を振って応えたあと、車に乗り込み宿泊先に向かわれました。
両陛下は今月29日まで軽井沢や群馬県の草津で静養する予定で、23日は、旧満州、今の中国東北部に移り住んだ人たちが終戦後に帰国して軽井沢町に切り開いた「大日向開拓地」を訪ねられることになっています。
【軽井沢 お二人の出会いの場所】
長野県の軽井沢は、天皇陛下と皇后さまが初めて出会った思い出の場所で、両陛下は夏になると毎年のように訪ねられています。
省16
858: 2018/08/23(木)08:25 ID:uJGU6ihM(3/3) AAS
外部リンク[html]:www.fnn-news.com
両陛下、ゆかりの地 軽井沢でご静養 天皇皇后として最後
08/22 15:35
天皇皇后両陛下は、22日から長野・軽井沢町で静養に入られた。
天皇皇后として、最後の軽井沢となる。
両陛下は午後1時前、JR軽井沢駅に到着し、集まった観光客や地元の人たちに笑顔で手を振り、応じられた。
両陛下の軽井沢での夏のご静養は、恒例になっていて、天皇皇后としては最後となる。
居合わせた人は、「涙が出るほど感無量。在位最後だもんね」、「穏やかな、とても優しい笑顔で感動しました」などと話した。
軽井沢には、出会いの場所となったテニスコートなど、両陛下にとってゆかりの地が多く、23日は、戦後、中国の旧満州から引き揚げた人たちが開拓した大日向地区を散策される。
両陛下は、27日に群馬・草津町に移動し、29日に帰京される予定となっている。
省19
859: 2018/08/24(金)07:54 ID:FsC7uVYU(1/8) AAS
外部リンク:mainichi.jp
侍従記録「戦争責任言われつらい」 晩年の昭和天皇吐露
会員限定有料記事 毎日新聞2018年8月23日 東京朝刊
昭和天皇
昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが明らかになった。共同通信が22日までに日記を入手した。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。
日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫り…
残り573文字(全文810文字)
外部リンク[html]:www.asahi.com
昭和天皇「細く長く生きても…」 元侍従の日記に発言
2018年8月23日10時03分
省19
860: 2018/08/24(金)07:59 ID:FsC7uVYU(2/8) AAS
外部リンク:www.jiji.com
昭和天皇、戦争責任で苦悩=晩年の姿、元侍従が日記に
昭和天皇の元侍従、故小林忍氏の日記=23日、東京都港区
昭和天皇が85歳だった1987年4月、太平洋戦争の責任をめぐり苦悩する姿を、元侍従の小林忍氏(故人)が日記に書き残していたことが23日分かった。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記されていた。
小林氏は人事院出身で、74年4月に昭和天皇の侍従に就任。89年1月の昭和天皇逝去後も香淳皇后に仕え、2001年6月に皇太后宮職御用掛で退任した。06年7月に83歳で死去した。
昭和天皇の元侍従、故小林忍氏の日記の一部。戦争責任などについて触れられている=23日、東京都港区
日記は74年から香淳皇后が逝去した00年まで27冊あり、家族が保管。共同通信を通じて、23日公開した。85歳だった昭和天皇が戦争責任を気に掛けていたとの内容は87年4月7日の欄に「昨夕のこと」として記述。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減を検討しており、同年2月には弟の高松宮が逝去した。
これに対し、小林氏は「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と述べたと記している。
75年11月24日の欄には、同22日の侍従長の話として、「訪米、帰国後の記者会見等に対する世評を大変お気になさっており、自信を失っておられる」と記述。訪米後の75年10月の記者会見で原爆投下や戦争責任についての発言が波紋を呼んでいた。「お上の素朴な御行動が反(かえ)ってアメリカの世論を驚異的にもりあげたことなど申しあげ、自信をもって行動なさるべきことを申し上げたところ、涙をお流しになっておききになっていた」と記している。(2018/08/23-16:37)
外部リンク[html]:www.yomiuri.co.jp
省14
861: 2018/08/24(金)08:00 ID:FsC7uVYU(3/8) AAS
外部リンク[html]:www3.nhk.or.jp
昭和天皇 戦争責任めぐり苦悩漏らす 元侍従の日記に記述
2018年8月23日 18時29分
昭和天皇が晩年、「細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる」と戦争責任をめぐる苦悩を周囲に漏らしていことが元側近の日記からわかりました。専門家は「昭和天皇が戦争責任の問題を長年重く受け止め、高齢になるにつれその思いが強くなっていたことがうかがえる」と分析しています。
小林忍元侍従は、昭和49年から昭和の終わりまで14年余りにわたって、昭和天皇の側近を務めました。
小林元侍従はこの期間を含め長年にわたり日記をつけていて、このうち、昭和62年4月7日の日記には、当時85歳だった昭和天皇が、前日に「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と語ったと記され、戦争責任をめぐる苦悩などを周囲に漏らしていたことがわかりました。
こうした戦争責任をめぐる昭和天皇の心情は、すでに公表されているほかの侍従の日記などにも記されていて、日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「これまでほかの資料で大筋わかっていたことが詳しく裏付けられた。昭和天皇が戦争責任の問題を長年重く受け止め、高齢になるにつれその思いが強くなっていたことがうかがえる」と分析しています。
外部リンク[html]:www.fnn-news.com
昭和天皇「戦争責任のことを...」 晩年の苦悩 明らかに
08/23 19:07
省11
862: 2018/08/24(金)08:02 ID:FsC7uVYU(4/8) AAS
外部リンク[html]:news.tbs.co.jp
23日 14時43分
昭和天皇が「戦争責任」で苦悩、元侍従日記に記述
昭和天皇が晩年に、戦争責任を巡って苦悩を漏らしたことなどが、元侍従の日記に記されていることが分かりました。
これは、昭和天皇の元侍従の故・小林忍氏の日記に記されていたものです。昭和天皇が亡くなる2年前の1987年4月には、昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたり、きいたりすることが多くなるばかり」とあります。これに続いて「兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」などと記されています。昭和天皇が、晩年まで戦争責任について苦悩していた心情が浮き彫りとなり、日記は、昭和後半の重要資料といえます。
また、1975年11月の日記には、アメリカ訪問についての評価を気にして、自信をなくしている様子の昭和天皇についての記述があります。
当時の侍従長が「素朴な御行動がアメリカの世論を盛り上げた。自信をもって行動なさるべき」と申し上げると、昭和天皇は「涙をお流しになって、おききになっていた」と記され、人間的な苦悩が伝わってきます。
外部リンク[html]:news.tbs.co.jp
23日 23時26分
昭和天皇 “戦争責任”で苦悩、元侍従の日記に記述
省8
863: 2018/08/24(金)08:09 ID:FsC7uVYU(5/8) AAS
外部リンク:www.jiji.com
両陛下、軽井沢で散策
大日向開拓地の野菜畑を散策される天皇、皇后両陛下=23日午前、長野県軽井沢町(代表撮影)
長野県軽井沢町で静養中の天皇、皇后両陛下は23日午前、旧満州からの引き揚げ者が戦後に入植した同町の大日向開拓地を散策された。
両陛下は皇太子夫妻時代からたびたび同開拓地を訪問し、引き揚げ者らと交流してきた。天皇陛下は皇后さまと並んで、浅間山を望むレタス畑をゆっくりと散策。収穫作業をしていた農家の土屋正人さん(83)に「これだけ多いと(作業が)大変でしょうね」と声を掛けた。
天皇陛下はリラックスした様子で、記者に「きょうは天気が良くて」と笑顔で話し掛ける場面もあった。(2018/08/23-11:38)
外部リンク[html]:www.yomiuri.co.jp
軽井沢で両陛下「思い入れのある場所」散策
2018年08月23日
大日向開拓地の野菜畑を散策される天皇、皇后両陛下(23日午前、長野県軽井沢町で)=代表撮影
省15
864: 2018/08/24(金)08:21 ID:FsC7uVYU(6/8) AAS
外部リンク[html]:news.tbs.co.jp
23日 15時39分
軽井沢で静養中の両陛下、旧満州引き揚げ者の開拓地を散策
軽井沢で静養中の天皇・皇后両陛下が、戦後、旧満州から引き揚げてきた人々が入植した開拓地を散策されました。
午前11時前、両陛下は、浅間山を望む長野県軽井沢町の大日向開拓地を訪れ、野菜畑を散策されました。大日向開拓地は、戦後、旧満州から引き揚げてきた人々が切り開いた場所で、両陛下はこれまでにもたびたび足を運ばれてきました。
両陛下は、サニーレタスの収穫をしていた農家の男性らと交流し、陛下は「これだけ多いと大変でしょうね」と気遣われ、皇后さまは「元気でお続けになってください」とねぎらわれていました。
両陛下は、27日に群馬県の草津町に移動し、29日に帰京されます。
外部リンク[html]:www.news24.jp
両陛下 大日向開拓地を訪問
2018年8月23日 15:26
省15
865: 2018/08/24(金)08:22 ID:FsC7uVYU(7/8) AAS
外部リンク[html]:www.asahi.com
皇太子さま、「縄文展」を訪問
2018年8月23日20時50分
特別展「縄文――1万年の美の鼓動」の会場を訪れた皇太子さま=2018年8月23日午後6時32分、東京都台東区の東京国立博物館、嶋田達也撮影
特別展「縄文――1万年の美の鼓動」の会場を訪れ、火焔(かえん)型土器・王冠型土器の説明を受ける皇太子さま=2018年8月23日午後6特別展「縄文――1万年の美の鼓動」の鑑賞のため、東京国立博物館平成館に到着し、出迎えを受ける皇太子さま=2018年8月23日午後6時1分、東京都台東区、嶋田達也撮影
特別展「縄文――1万年の美の鼓動」の鑑賞のため、東京国立博物館平成館に到着した皇太子さま=2018年8月23日午後6時、東京都台東区、嶋田達也撮影
皇太子さまは23日、東京・上野公園の東京国立博物館で開催中の特別展「縄文――1万年の美の鼓動」(朝日新聞社など主催)を訪れた。
北海道から沖縄までの各地で出土した縄文時代の土偶や土器など約200件を展示している。皇太子さまは熱心に会場をまわり、「きれいな形で出土されたわけですね」などと話した。特別展は9月2日まで。
外部リンク:this.kiji.is
皇太子さま、縄文時代の土器鑑賞
省15
866: 2018/08/24(金)08:24 ID:FsC7uVYU(8/8) AAS
外部リンク[html]:news.tbs.co.jp
23日 21時34分
皇太子さま、縄文時代の土器や土偶を鑑賞
皇太子さまは、東京・上野で開催中の縄文時代の土器や土偶を集めた特別展を鑑賞されました。
皇太子さまは、23日午後6時すぎ、東京国立博物館の平成館に到着されました。特別展「縄文-1万年の美の鼓動」では、日本の各地で出土した今からおよそ1万3000年前の縄文時代の土器や土偶などが展示されていて、国宝や重要文化財に指定されているものもあります。
皇太子さまは、新潟県十日町市で出土した火焔型土器などについて「美しいですね」と感想を述べ、また、土偶の表面の模様について「どうやってつけるのですか?」などと質問しながら、熱心に鑑賞されました。
動画リンク[YouTube]
外部リンク[html]:news.tv-asahi.co.jp
縄文時代の特別展 皇太子さまが土器などを鑑賞(2018/08/24 05:57)
皇太子さまは東京・上野公園の博物館で縄文時代の土偶や土器などの特別展を鑑賞されました。
省7
867: 2018/08/27(月)06:37 ID:E5yGk7eM(1/9) AAS
外部リンク:mainichi.jp
皇室
大嘗祭「公費支出避けるべきでは」秋篠宮さまが懸念
毎日新聞2018年8月25日 06時30分(最終更新 8月25日 06時30分)
大嘗祭の準備が整った大嘗宮。右が悠紀殿、左が主基殿、奥が廻立殿。鳥居も立てられている=皇居・東御苑で1990年11月21日、本社ヘリから
来年5月に即位する新天皇が五穀豊穣(ほうじょう)を祈る皇室の行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について、秋篠宮さまが「皇室祭祀(さいし)に公費を支出することは避けるべきではないか」との懸念を宮内庁幹部に伝えられていることが関係者への取材で判明した。大嘗祭は来年11月14日から15日にかけて皇居・東御苑での開催が想定されている。政府は来年度予算案に費用を盛り込む。
宗教色が強い大嘗祭に公費を支出することには、憲法で定める政教分離原則に反するとの指摘がある。政府は今年3月に決定した皇位継承の儀式に関する基本方針で、「宗教的性格を有することは否定できない」としながらも、「皇位が世襲であることに伴う重要儀式で公的性格がある」と位置付けた。費用は平成の代替わりの際と同様、皇室行事として公費である皇室の宮廷費から支出する。
平成の大嘗祭では、中心的な行事「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」の祭場建設のための約14億円を含めて費用は総額約22億5000万円に上った。関係者によると、同程度の儀式を行った場合、物価の変動などを考慮すると、費用は大幅に増える可能性がある。
通常の皇室祭祀は、天皇、皇后両陛下と皇太子ご一家の私的生活費である内廷費で賄われる。これに対して、皇室の公的活動は宮廷費から支出される。政府は大嘗祭について宮廷費で予算措置を講じる方針だが、秋篠宮さまは宮内庁幹部に対して多額の宮廷費が使われることへの懸念を示したうえで「内廷費で挙行できる規模にできないだろうか」とも話しているという。今年度の内廷費は3億2400万円だった。
秋篠宮さまは、新天皇が即位すると、皇位継承順位第1位の皇嗣となる。同庁幹部は秋篠宮さまの懸念について、毎日新聞の取材に「承知していない」としている。
省1
868: 2018/08/27(月)06:37 ID:E5yGk7eM(2/9) AAS
外部リンク:www.jiji.com
両陛下、思い出のテニスコート訪問=在位中最後か-長野・軽井沢
思い出のテニスコートでプレーを見学される天皇、皇后両陛下=25日午前、長野県軽井沢町(代表撮影)
長野県軽井沢町で静養中の天皇、皇后両陛下は25日、同町の軽井沢会テニスコートを訪問された。両陛下が結婚前に出会った思い出の場所で、来年の退位を控え、在位中最後の訪問とみられる。プレーはしなかったが、コートにいたプレーヤーらと笑顔で会話を交わした。
午前11時前、車で到着した両陛下は、出迎えた軽井沢会関係者ににこやかにあいさつ。ベンチに座り、「いいショットですね」などと笑顔で歓談しながらプレーを見学し、拍手を送った。約30分間滞在し、居合わせた人に手を振ってコートを後にした。
両陛下は1957年8月、このコートで行われたダブルスの試合で、それぞれペアを組んで対戦。これが出会いとなり、59年4月に結婚した。その後も夏の静養で軽井沢を訪れた際、この場所を何度も訪れ、2013年8月にはテニスを楽しんだ。
25日に両陛下を案内した軽井沢会理事の諸戸清郎さん(69)は「『来られて良かったね』とお二人で話されていたので、非常に懐かしい思い出の深い場所なんだと感じた。両陛下には『ぜひまたここでプレーを』と申し上げた。来年は少し時間が自由になると思うので、またお見えいただければ」と話した。
両陛下は27日、軽井沢から群馬県草津町に移動し、29日に帰京する。(2018/08/25-12:44)
外部リンク:this.kiji.is
両陛下、思い出のテニスコートに
省21
869: 2018/08/27(月)06:37 ID:E5yGk7eM(3/9) AAS
外部リンク[html]:www.yomiuri.co.jp
両陛下、出会いの場となったテニスコート訪問
2018年08月25日
思い出のテニスコートでプレーを見学される天皇、皇后両陛下(25日、長野県軽井沢町で)=三浦邦彦撮影
長野県軽井沢町で静養中の天皇、皇后両陛下は25日、お二人の出会いの場となった旧軽井沢のテニスコートを訪問された。両陛下が在位中にこのコートを訪れるのは最後とみられ、周辺には地元の人や観光客ら約200人が集まった。
午前11時前に訪れた両陛下は、コート裏のベンチに座り、交流のある同年代のテニス仲間のプレーを見守られた。陛下はリラックスした様子で、「みなさんお元気で偉いですね」などと話されていた。
両陛下がこのコートで出会われたのは1957年8月。ダブルスで対戦し、皇后さまのペアが勝利された。59年4月に結婚した後もたびたび訪れ、ペアを組んで大会に出場するなど夏の思い出を作られてきた。
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2018.8.25 22:15
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